第八幕 神楽坂兄妹
「ひ、ひぃぃぃッ!? た、助けてくれぇぇぇ!?」
少女、夕鶴に絡んでいたチャラい男達は、恐怖に表情を歪ませると、悲鳴を上げて我先にと逃げ出していく。
彼らにしてみれば、超常的な現象が目の前で起きたのだ。
情けないと一言で切り捨てては、あまりにも酷と言えるだろう。
逆に気絶している仲間を、わざわざ抱きかかえて逃げているのだから、その点だけは褒めても良いのかもしれない。
もっとも宗次朗自身、そんなつもりは更々無いが。
男達が逃げ去って一件落着と思いきや、場に張り詰めた緊張感は、緩む気配が無い。
原因は露骨に殺気立つ、目の前の蔵人と言う名の、少年の所為だ。
宗次朗を厳しい眼光で射抜くと、血が付着した指先を突き付ける。
「次は貴様の番だ不埒者。逃げなかった度胸だけは褒めてやるが、一切の容赦はせん。覚悟しろ」
「ちょっと待て。俺は別に……」
「言い訳など聞く耳は持たん。貴様は殺す。これは決定事項だ!」
怒り心頭と言った様子で、まるで聞く耳を持ってくれない。
見兼ねた少女、夕鶴が慌てて止めに入る。
「ま、待って蔵人。この人は……」
「安心するんだ夕鶴。直ぐに始末をつけて、お兄ちゃんが助けてやる」
打って変わって優しい声と眼差しを向けるが、話を全く聞く気が無いのは、妹に対しても同じのようだ。
傷口が固まった指先を擦り、蔵人は出血を促す。
「我が鮮血紋様術にて爆ぜることを、名誉としろ!」
指先を操り、自らの血液で空中に蝶を描く。
紋様。蔵人がそう言った通り、改めて見ると生み出された蝶は、複雑な紋様を描いているようにも見えた。
アレは小さな爆弾のような物。
触れるのは不味い。そう思っている隙に、蔵人は血の蝶を宗次朗目掛け放った。
真っ直ぐに飛翔する蝶は、揺れるような動きが本物の蝶にも思えた。
宗次朗の視線に鋭さを帯びると、一瞬の内に戦略を練る。
「誘導性があるかもしれない……ならば」
取り出した苦無を、腕だけのモーションで蝶目掛け投擲する。
苦無は飛翔する蝶を打ち抜くと、先ほどと同じよう小さな爆発と共に四散した。
狙い通りだ。
「――なんだとッ!?」
今度は蔵人が、驚きに表情を崩す。
爆発する血の蝶を苦無で相殺し、爆ぜて生み出された黒煙を盾に、宗次朗は地面を蹴り間合いを縮める。
この距離を一瞬に詰めるなど、宗次朗の脚力なら造作も無い事。
冷静になって貰うには、多少手荒でも蔵人の動きを拘束するしかない。
黒煙に視界を阻まれた僅かの間に、蔵人の姿を射程距離に納めた宗次朗は、腕を拘束する為に手を伸ばす。
「――チイッ!? 小癪なッ!」
手首を掴むが、蔵人は力を入れるのでは無く逆に脱力し、拘束を引き離す。
激昂はしているモノの、落ち着いた対処に、宗次朗は眉を上げて驚く。
「体術の心得もあるのか」
「妹を守る為だ。当然だろうッ!」
蔵人の身体が、宗次朗の視界から消える。
「――グッ!?」
視線が動きを追うより早く、腹部に鈍痛が走った。
上体を急に低くすることで視界から逃れた蔵人が、素早く身を回転させ、後ろ回し蹴りを宗次朗の腹部に叩き込んだのだ。
細身の蔵人からは、想像もつかない鋭い蹴り。
「……むっ?」
「ッ痛い、なあッ!」
顔を顰めながらも、宗次朗は腹部に突き刺さる右足を両手で握る。
先読みして腹筋に力を込めていたからよかったモノの、油断したところに打ち込まれていたら、歓迎会で食べた物を全て廊下にぶちまけるところだった。
この状態なら、今度は逃がさない。
「よっと」
「――ぬわっ!?」
何とか引き抜こうとする蔵人の軸足を払い、通路の床へと転ばせる。
続けて関節を決め今度こそ蔵人の動きを拘束しようとするが、彼の身体能力は宗次朗の予想を超えていた。
背中から落ちる直前で身を捻り、床に両手を付き態勢を整える。
「――お返しだッ!」
手に平で床を弾き捻った身体を戻しながら、遠心力で自由になっている左足で宗次朗の顔面を狙う。
「――危なッ!?」
ギリギリで回避するが、その所為で掴んだ足を離してしまう。
その隙に、蔵人はバク転をしながら後方へと退避。
距離を取られては不味いと、透かさず踏み込もうとするが……。
「――なッ!? 足が……!?」
動かない。
膝から下が床と同化でもしたかのように、ビクともしない。
何事かと視線を足元に落としてみると、床には血で書かれたのだろう。真っ赤な紋様が描かれ、そこから伸びた血文字が、絡み付くように足を拘束していた。
狙い通りだったのか、正面の蔵人がニヤリと笑う。
「まさか、床に手を付いたあの一瞬で?」
「手こずらせたな。だがその動き、その判断力……どうやら、ただの穀潰しでは無く、我ら側の人間のようだな……」
言いながら、再び指を舞わせて、蝶を生み出す。
今度は一匹では無く、五匹同時だ。
「夕鶴に手を出した己の愚かさを呪い、砕け散れッ!」
「――だから、違うっての!」
否定しながらも、迎撃の為に苦無を取り出そうとするが、血の拘束は腕の方にまで浸食してきて、身動きが取れない。
本気でヤバいかもと、宗次朗に背中に冷や汗が湧き出る。
指を動かし今まさに、蝶を飛翔させよとした瞬間、宗次朗の顔に影が差し込む。
「――止めてッ!」
「――なにッ!?」
庇うように宗次朗の前に立った、夕鶴だ。
危うく飛翔させかけた蝶を慌てて止めると、誤射を恐れてか、指を鳴らして消滅させる。
夕鶴の背中に隠れる宗次朗が、安堵に胸を撫で下ろしていると、蔵人の戸惑うような声が聞こえた。
「ゆ、夕鶴……なぜ、そんな男を庇うのだ?」
「――ッ!」
問いかけに答えず兄を睨み付けると、夕鶴はツカツカと足を鳴らして近づく。
目の前まで来ると無言のまま息を吸い込み、大きく右手を振り被った。
「――馬鹿ッ!」
大声と共に平手打ちが、蔵人の頬に叩きつけられた。
痛々しく響く音に、宗次朗は顔を顰める。
一方の蔵人は、何故自分が殴られたのか理解出来ない様子で、赤く染まる頬を指で触りながらポカンとしていた。
夕鶴は目に涙を溜めて、唖然とする兄の胸をポカポカと叩く。
「馬鹿っ、兄さんの馬鹿! なんでこんな酷いことをするんですかっ!」
今にも泣きだしそうな夕鶴の勢いに、先ほどまで漲っていた殺気は何処へやら。
両肩を掴み大慌てで、蔵人は涙目で怒る夕鶴を宥めた。
「お、落ち着いてくれ。俺はただ、お前を助けようと……」
「助けてくれたのは、此方の方ですっ! 兄さんは勘違いで、この方に酷い事をしようとしたんですよ!」
「……は?」
涙声で発せられた言葉に、蔵人の身体が凍りつくよう固まる。
錆び付いた機械のような動きで、此方に視線を向けた蔵人に、拘束が解けた宗次朗は後頭部を掻きながら頷いた。
★☆★☆★☆
「――本当に、申し訳ないッ!」
額が床に引っ付きそうな勢いで、蔵人は腰を曲げて頭を下げる。
夕鶴が説得してくれたおかげで、誤解が解け何とか事なきを得たのだが、事情を詳しく聞いた蔵人は自分の過ちに気が付き、顔面を蒼白にさせた。
勘違いを詫びる為、誠心誠意、頭を下げて宗次朗に詫びる。
横の夕鶴もまた、兄の不始末を詫びる為に頭を下げ謝罪していた。
「本当に、申し訳ありません。私がちゃんと説明出来ていれば……」
「いや、妹に罪は無い。全ては不甲斐ない兄の不始末。恩人に対して恩を仇で返すような、恥ずべき行為だ。全霊を持って謝罪したい」
「い、いや、別にいいさ。お互い、怪我は無かったんだし」
今にも土下座をしかねない勢いに、宗次朗の方が恐縮してしまう。
本音を言えば肝を冷やしただけに、多少は頭に来る部分もあったのだが、心の底から謝罪をする蔵人の真摯な態度に、怒る気が湧いてこなかった。
しかし、蔵人は随分と生真面目な性格のようで、頭を上げようとはしない。
蔵人もそうだが、横の夕鶴にまで頭を下げ続けられるのは、少々座りが悪い。
どうしたモノかと頭を掻いていると、名案を思い付く。
「なら一つ。お詫びをして貰おうかな」
「ああ。俺に出来ることなら、なんなりと言ってくれ」
頭を下げた状態で、間髪入れずに答える。
「んじゃ、二人共。俺の友達になってくれないか?」
「「……へっ?」」
宗次朗の言葉が余程、意外だったのだろう。
間の抜けた声をハモらせると、二人は同時に下げていた頭を上げた。
中々良いリアクションに、宗次朗は楽しげに眼を細める。
「実は俺、最近引っ越してきたばかりなんだ。だから、友達は随時募集中なわけ……どうかな?」
そう言って、宗次朗は右手を差し出す。
突然の申し出に、蔵人は戸惑った様子で、差し出された手と顔を交互に見る。
迷惑をかけたぶん、気後れをしているのか、迷っている気配が伝わる。
「……蔵人」
背中を押すように、見上げる夕鶴が頷くと、蔵人は笑みを零し右手を握り返した。
「神楽坂蔵人だ。こっちは妹の夕鶴……粗忽者だが、よろしく頼む」
「俺は蘭堂宗次朗。よろしくな、蔵人、夕鶴」
「はい。私の方もよろしくお願いします」
夕鶴もペコリと、頭を下げた。
「蘭堂は……」
「宗次朗でいい。俺も名前で呼ぶし」
「宗次朗は、斉門町に住んでいるのか?」
「いや、三門市だ。三門高校二年」
それを聞いた夕鶴が、パッと笑顔になる。
「まぁ! では、私達の同い年なのですね?」
「私達?」
妙な言い方をする夕鶴に、宗次朗は首を傾げる。
兄妹だと思っていたが、違うのだろうか。
「俺と夕鶴は双子なんだ」
「ああ、それで」
納得と宗次朗が頷くと、何故だか夕鶴は不満げに頬を膨らませる。
「酷いんですよ、蔵人は。たかだか数秒早く生まれただけなのに、私のお兄さんぶって」
「ああ、だから呼び捨てなのか」
彼女なりに、譲れないモノがあるのだろう。
その割には感情が高ぶった時は、「兄さん!」と叫んでいたが。
妹の不満に、蔵人は軽くため息を吐く。
「昔から言っていることさ。いい加減、諦めて欲しいんだがな」
そう言って苦笑しながら、頬を膨らませる夕鶴の頭を優しく撫でた。
子供扱いには不満でも、頭を撫でられること自体は心地よいらしく、夕鶴は気持ちよさげに目尻を下げて言いた。
なんとも、微笑ましい光景だ。
「仲がいいんだな……二人は、同じ学校なのか?」
「いや、俺は天宮高校に通っている。夕鶴は三門市郊外の、聖セシリア女学館だ」
「私はその、休学中なんですけどね」
恥ずかしがるよう、夕鶴はそう付け加えた。
休学中と夕鶴が口にした瞬間、蔵人は表情に僅かだが、悲しげな色を浮かべたけれど、宗次朗は気が付かないフリをした。
「夕鶴は生まれつき身体が弱くてな。折角入学した学校も、最初の半年しか通えていないんだ……一応、今年度は進級出来たのだが、このままだと流石に危ういな」
「でも、ここ最近、春休みを超えてからは、随分と身体が楽になったのですよ。だから、久しぶりに今日は兄さんとお出かけなんです」
「……そうか。それはめでたいな」
宗次朗の言葉に、夕鶴は満面の笑顔で頷いた。
今日は比較的気温も暖かく、出かけるにはちょうど良い日和だ。だが、遠出するわけのもいかないので、二人は地元で有名なレジャースポットである、この場所に遊びに訪れたらしい。
あの連中は、蔵人がトイレに行っている隙に、ナンパする為擦り寄ってきたようなのだが、怖がる夕鶴を面白がって、乱暴に連れ出そうとしたのだろう。
散々な出来事のように思えるが、夕鶴としては、新しい友達が出来たことが嬉しいようだ。
「これも蔵人が見つけてきてくれた、外国のお医者様のおかげね」
「あ、ああ。そうだな」
「……外国の?」
より良い治療を受ける為、外国の病院に行くというのは良く聞く事だ。しかし、わざわざ主治医を外国から呼び寄せるなんてことは、あまり聞いた事が無い。
疑問の視線を察したのか、蔵人がああと此方に視線を向けた。
「父の古い友人でね。妹が難病にかかっていると聞いて、駆けつけてくれたのだ」
「ああ、なるほど」
それなら一応、何もおかしい事は無い、か?
余計な考察をしてしまい、宗次朗は頭を振って、その思考を追い出す。些細な事に疑い深くなってしまうのは、自分の悪い癖だと。
「でも、健康になっているなら良かった。兄としても安心だろう」
「……ああ。本当に、そうだな」
僅かに。ほんの僅かだが、蔵人の表情が不安とは違う陰りを見せた。
気の所為と言われれば、それまでだが。
まぁ、隠し事はあっても当然か。
宗次朗は内心でそう理由づけすると、思考を一度打ち切り、別の気になる事柄に切り替えた。
普通に会話をしているが、三人ともワザと避けている話題がある。
蔵人が使った血の術や、宗次朗の人間離れした体術についてだ。
その件に関して、先に口を開いたのは蔵人の方だった。
「……聞かないんだな」
「ん? あ~……」
困った顔で、宗次朗は頬を掻く。
「聞かれても答え難いことってあるだろ? その類かなぁと思って」
「なるほどな。だが、これは宗次朗に対して、筋を通す意味で聞いて欲しい。構わないだろうか?」
筋を通すと言われては、断るわけにはいかない。
宗次朗が頷くと、蔵人は微笑を浮かべ「ありがとう」と礼を述べた。
「我が神楽坂家の祖先は、ヨーロッパの魔術師の家系なのだ。それが明治頃日本に渡り、帰化したのが今の神楽坂家。まぁ、俺の使う鮮血紋様術は、日本の呪術などを取り入れたモノだから、純粋な魔術とは違うがな」
魔術師。
俄かには信じ難いが、咲耶と出会う前の宗次朗だったら、蔵人の言葉に対してもっと疑いを持っていただろう。
だが、宗次朗は自分も含め、この世には摩訶不思議が満ちていることを、実感している。
「信じられないか?」
そう問う蔵人に対して、宗次朗は素直に首を横に振れた。
「いや、信じるよ。何故なら俺も、似たようなモノだからな」
「えっ? 宗次朗さんも、魔術師なんですか」
「いいや、俺は忍者。にんにん」
悪戯っぽく答えると、蔵人と夕鶴は目を丸くしていた。
「た、確かに苦無を投げていたしな……」
「凄い。忍者って、本当にいたんですね」
思いの外、アッサリと受け入れてくれたようで、夕鶴など目をキラキラとさせ、尊敬に満ちた眼差しを向けていた。
その所為か一瞬、蔵人の宗次朗を見る目が厳しさが宿る。
確認するまでもなく、相当のシスコンな様子だ。
と、そこでポケットに入れておいた、宗次朗の携帯が揺れる。
取り出すとメールの着信があったようで、送り主は田宮だった。
「おっと。少し長居し過ぎたようだな」
「学校の友人か? 済まない、長々と付き合わせてしまって」
申し訳なさそうな顔をする神楽坂兄妹を見て、宗次朗の頭にひらめくモノがあった。
「二人共、この後予定は?」
「? いや、軽く食事をしてから、家に戻ろうと思っていたのだが……」
「俺のクラスメイト達が、上でカラオケをやってるんだが、混ざっていかないか?」
突然の申し出に、二人は驚いた様子で顔を見合わせる。
「い、いや流石にそれは……他校の人間が混ざっては、他の人達にも迷惑だろう」
「んじゃ、聞いてみよう。あ、写メとっていいか?」
携帯を向けると、戸惑いながらも蔵人は大人しく写メを撮らせる。
蔵人は固い表情だが、夕鶴は見事なスマイルを見せてくれた。
これが、男女の違いなのだろう。
撮ったばかりの写メを添付し、素早くメールを送る……すると、一分も立たない内に返信があった。
『歓迎、美少年&美少女。ぜひ、お越しください。2年D組一同』
流石は宗次朗のクラスメイト達。素晴らしいノリの良さを見せてくれる。
それを二人に見せると、また戸惑った様子で顔を見合わせていた。
仕方が無いこととはいえ、やはり気後れしているのだろう。
そこで宗次朗は、最後のもうひと押し。
「実は俺、歌が苦手でさ。でも、歌って欲しいって迫られていて……蔵人や夕鶴がいてくれると、助かるんだけど?」
「そ、そうなのか……」
蔵人は困ったように眉根を寄せる。
逡巡するように視線を泳がせてから、心を決めたのか真剣な表情で頷く。
「わかった。歌は俺も苦手だが、それが宗次朗の助けになるのなら、喜んで力を貸そう」
そう言って蔵人は、力強く頷いた。
自分で乗せた事とはいえ、この生真面目さには若干の申し訳なさを感じてしまう。
苦笑しながら、宗次朗は同じく呆れ顔の夕鶴に視線を向けた。
「な、何だか悪い事したかな?」
「……気にしないで下さい。蔵人ったら、何時もこうなんですから」
そう呟いて、夕鶴は深々とため息を吐いた。
その後、クラスメイト達と合流した宗次朗と神楽坂兄妹は、最初こそ緊張した様子を見せていたが、ノリの良い空気に飲み込まれて、終了十分前の電話がかかってくる頃には、同じクラスの生徒かと思う程、馴染んだ様子で大合唱をしていた。
だが、ノリの良さが災いして、結局は宗次朗も歌う羽目に陥ってしまう。
微笑ましい視線に囲まれて、童謡を歌った時の記憶は、早く忘れさりたい。
心の傷を慰めて欲しくて、後でこっそり咲耶にメールをしたら、返って来たのは非常に短いお言葉だった。
『知るか』