第五幕 影と闇
真っ赤になった咲耶を地面に下ろすと、宗次朗は違う意味で赤くなった顎を摩る。
地面の降りた咲耶は、皺の寄ったスカートを直しながら、横目で宗次朗を睨んだ。
「おいコラ。テメェ、何でこんな場所に……」
「言いたいことはわかるけど、今はそんな場合じゃないだろ?」
怒鳴りつけようと思って口を開いたが、逆に有無を言わせぬ口調で、ピシャリと言い切られてしまった。
思わず咲耶は目を丸くするが、確かにその通りだと舌打ちを鳴らし正面を睨んだ。
崩れて瓦礫となった、コンクリートの壁から身体を起こしたマガツモノは、四つん這いでのっそりと進みでると、不思議そうに周囲を見回す。
直ぐに正面の二人に気が付くが、急に人が増えたことに驚いたのか、キョロキョロと落ち着かない様子だ。
「……この前と、随分様子が違うな」
「ハッキリ言って馬鹿だが、油断すんな。力はとんでもなく強いし、何よりこっちの打撃が通らねぇ」
「打撃が通らない?」
聞き返すと、咲耶は頷いた。
「殴っても蹴っても、手応えが殆どねぇんだ。あのブヨブヨとした、気持ち悪い感触の所為でよぉ」
「ブヨブヨとした感触か」
咲耶の言葉を受けて、宗次朗はマガツモノに目を向け、よく観察してみる。
言った通り知性は低いらしく、立ち上がっても直ぐに襲ってくる様子は無い。
餌、餌と呟きながら、迷うように咲耶と宗次朗、交互に視線を向けているからだ。
巨体を捻る度に、どす黒い身体がぶるんぶるんと震える。
「確かに、鉄とか岩とかとは違うみたいだな。かといって、生物のような肉感でも昆虫のような筋張った感じでも無い」
「…………」
呟きながら、マガツモノの生態を観察する宗次朗。
自然とその横顔に、咲耶は視線を注いでしまう。
第一印象は何処かお人好しな雰囲気のある、飄々としたガキっぽい少年だった。
しかし、今は一変して、研ぎ澄まされ鋭さを帯びた気配や視線は、第一印象の子供っぽさとは正反対の、落ち着いた大人の雰囲気を醸し出していた。
切れのある眼差しでマガツモノを見据える横顔に、思わず咲耶は見惚れてしまった。
視線に気づいた宗次朗は、咲耶の方を振り向く。
「ん? どうした」
「~~ッ!? べ、別の何でもねぇよ!?」
視線が交差し、咲耶はビクッと身体を震わせた後、誤魔化すように声を荒げる。
妙な反応に宗次朗は怪訝な顔をするが、直ぐに表情を切り替えた。
「そう? まぁ、いいさ。咲耶ちゃん。一つ、俺に考えがある」
「か。考え?」
若干上擦った声で首を傾げる咲耶に、宗次朗は素早く耳打ちをする。
簡潔に考えを述べると、咲耶はふんと鼻を鳴らして、挑発的な視線を宗次朗に投げかけた。
「面白いじゃねぇか。けど、アンタ如きが、あたしの動きに付いてこれんのかぁ?」
「忍者は出来ないことは、口にしない……タイミングはこっちで合わせる」
「へっ。上等」
楽しげに頬を吊り上げ二人は頷くと、同時に視線を正面のマガツモノに見据える。
互いに呼吸を同調させ、何時でも走り出せるよう、低く態勢を落とす。
汗ばむ熱気の中、訪れた静寂を乱すよう、マガツモノは無造作に大きく足を振り上げ、一歩前へと踏み出した。
それが切っ掛けとなり、宗次朗と咲耶は走り出す。
示し合わせたわけでは無く、咲耶の動くタイミングに合わせ、ほぼタイムラグ無しに宗次朗も地面を蹴った。
「アレ、アレ? ドッチ、ドッチ」
左右に広がるよう走り出した為、マガツモノは目標が絞れない。
キョロキョロと迷うよう、首を巡らせている内に、二人は挟むよう両脇に回り込む。
そして再び宗次朗がタイミングを計り、地面を蹴った。
「――ずぇりゃッ!」
「――フッ!」
咲耶は叩きつけるように、宗次朗は打ち抜くようにして。
同じ蹴りながら、タイプの違う一撃を両の脇腹に同時に炸裂する。
ほぼ同じタイミングで左右から打撃を加えられ、マガツモノは大きく仰け反った。
「――イデェェェェェェッッゥ!?!?」
泣き喚くような絶叫を張り上げる。
「効いたか?」
「ああ。だが、手応えが足りないッ……来るぞ蘭堂、避けろッ!」
地面に降りたった瞬間、二人はバックステップで飛び退くように離れる。
遅れて痛みをむずがるように、両腕を振り乱すようにマガツモノが撓らせると、叩きつけられた腕が地面を大きく抉り、地響きと共に土煙を上げた。
ちょうど、着地した時に地面が激しく揺れた為、二人はバランスを崩したたらを踏む。
土煙が上がって視界が遮られたのが幸いしてか、直ぐに立て直すことが出来た。
その隙に宗次朗は咲耶の腕を引き、スクラップになって重なる廃車の陰へと身を隠す。
「咲耶ちゃん。一度、下がろう」
「んだとぉ? 馬鹿を言うんじゃねぇ。ここで仕留めないとあんなのが外に出たら、関係無い連中に被害が出るだろうがッ!」
急に引っ張られて驚いた顔をしながら、咲耶は乱暴に掴まれた腕を振り払った。
殆ど無意識の発言なのだろう。
咲耶が発した言葉に、やっぱりかと宗次朗は内心で微笑んだ。
「だからこそ、だ。確実に仕留める為の、策がある」
「マジか?」
パッと一瞬表情に明るさが差すが、直ぐに難しい表情へと戻ってしまう。
先ほどは挑発に乗ってしまったが、やはり無関係な宗次朗を巻き込むことに、抵抗があるのだろう。
「……やっぱり帰れ、蘭堂。コイツは、あんたには関係無いことだ」
「今更、無茶を言うな。それに、得意の打撃も通じないのにか?」
冷静に指摘すると、咲耶は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「それでも、何とかする。あたしが何とかしなくちゃ、ならないんだ」
責任感が強いと言うか、何でも一人で背負いたがると言うか、差し伸べた手すら払う姿は、随分と難儀な性格をしているようだ。
いや、頼るのが嫌なのでは無く、どう頼れば良いのか、わからないのだろう。
「今のでおおよそ、あのマガツモノの性質は見抜けた。けれど、倒すには俺一人の力じゃ難しい。咲耶ちゃん一人でも無理だ……二人で協力する必要がある」
力強い視線で、宗次朗は咲耶に訴えかける。
彼女が他人を巻き込まない為、一人傷だらけになって戦っていることは、もうわかっている。それはきっと、並々ならぬ決意の元に行っている行為なのだろう。
だから宗次朗も、固い決意を持って咲耶を睨み付けた。
わずか数秒に睨み合いの中、咲耶は舌打ちを鳴らす
癖なのだろう。彼女が何か決断する時は、最初にまず舌打ちを鳴らすのは。
「あ~っ、クソッ。面倒クセェ! 他人を巻き込むのは癪だが、それ以上にマガツモノを野放しには出来ねぇ……今は考えるのを止める。だから、さっさとその策とやらを話やがれ!」
頭を掻き毟りながら、咲耶はやけっぱちに言う。
素直じゃない咲耶に微笑みかけながら、チラリと物陰からマガツモノの様子を伺う。
土煙は晴れてきたが、まだ視界を完全に取り戻せてないのだろう。近くに敵がいるモノと思い込み、両腕を振り乱しては、バランスを崩して倒れたりを繰り返している。
もう暫く、時間を稼げるだろう。
視線を咲耶の戻した宗次朗は、得た情報を整理するよう、自分のこめかみを指先で軽く叩くと、素早くまとめたそれを説明する。
「俺の見立てでは恐らく、あのマガツモノの身体はゴムで出来ている。それも、かなり弾力性のある」
「ゴムだって?」
確かに言われてみれば、殴った感触はそれに近かったかもしれない。
しかし、咲耶には疑問がある。
「待てよ。マガツモノってのは、者か物に憑く。身体がゴムだとしても、あの巨体はおかし過ぎるだろう。蘭堂は知らないだろうが、マガツモノは憑いた元のサイズを、超えたりはしないんだぜ?」
「別におかしいことは無いさ」
咲耶の疑問を、宗次朗は容易く解説する。
「ここは車の板金工場。だとすれば、大量の廃タイヤが山積みになっていたとしても、何の不思議でも無いだろう」
「――タイヤだって!?」
何故か咲耶は、過剰な驚きを示す。
「馬鹿を言うなよ! マガツモノがタイヤに憑くだなんて、聞いたこともねぇぞ!」
「だったら今回、その例外が偶々訪れただけだ」
あり得ないと否定する咲耶だが、冷静な宗次朗の返しに、言葉を詰まらせてしまう。
今まで何体ものマガツモノを祓ってきたが、憑いたのは皆人間や動植物など、天然の物ばかり。タイヤのような加工された物に、マガツモノが憑りついたケースなど、咲耶の経験には無かった。
だが、冷静に考えれば、あり得ない話では無い。
付喪神のように、長年使われた物に神や霊魂が宿るのなら、人工物にマガツモノが憑りつく可能性も考えられる。
もしくは咲耶達も知らない、全く別の要因があるのかもしれない。
「難しい話ばっかしやがって。頭を使うのは苦手だ、コンチクショウ」
どうやら異界の雰囲気に充てられて、咲耶も冷静さに欠けていたようだ。
いや、戦いに慣れているといっても、十代の少女。マガツモノに食い散らかされた死体を見て、冷静でいろと言う方が難しいだろう。
「……落ち着いてやがるんだな。蘭堂は」
「まぁ。忍者だから一応、その手の修業は行っているんだよ」
そう言って、宗次朗は笑った。
本人は隠しているのだろうが、瞳の奥に見え隠れする寂しげな色に、皮肉げな言い回しをしてしまった咲耶は、自分で自分を恥じた。
大きく息を吸って、気分を切り替える。
「……それで? あたしは何をすればいい」
「それじゃあ……」
言葉少なな問いかけに、宗次朗は片目を瞑ると、人差し指を異界内のある方向を指す。
「咲耶ちゃんには少しばかり、力仕事をお願いしようかな」
指差した先には、大量のバイクや自動車が。
他のスクラップ同然の廃車とは違い、まだ新しく壊れていない、ちゃんと動く物ばかり。
それで何をするのか、意図が詠めない咲耶は、眉根を寄せながら首を捻っていた。
★☆★☆★☆
灰色の空の下、ゴムタイヤの身体を持つマガツモノが、その巨体を引き摺りながら獲物を求めてさ迷い歩く。
三メートル近い巨体もそうだが、何よりも恐ろしいのは身体を構成する材質だ。
全身。いや、中身まで弾力性の高いタイヤのゴムで構成されている。
押せば押したぶんだけ、中へと沈んで行く弾力が、外部からの打撃を吸収し分散してしまう。これにより、咲耶の拳から放射される龍の波動が分散され、体組織を僅かに破壊するのみで散ってしまうのだ。
それは打撃のみならず、刃物や拳銃による銃撃でも、表面を傷つけるのが精一杯だろう。
タイヤのマガツモノを倒すには、一撃で全身を破壊出来るような火力が必要となるが、常識的に考えて、そんな物を一介の高校生が今すぐに用意出来る筈が無い。
絶対的に相性の悪い相手なのだが、蘭堂宗次朗は臆することなく堂々と対面する。
「……アウ?」
ハリボテのような建物を、両脇の備えた細い路地。
キョロキョロと周囲を見回しながら歩く、マガツモノの進行を遮るよう、屋根の方から身軽な動作で地面に宗次朗が降り立つ。
降り立った時に衝撃を逃がす為、曲げた膝をゆっくり直しながら、正面のマガツモノを見据える。
「待たせたなゴムタイヤの化物」
挑発するよう笑みを見せながら、宗次朗は右手に苦無を構える。
対するマガツモノは、獲物を見つけたことを喜ぶよう、ニタッと口を大きく歪ませた。
「エサ、ミツケタ。エサ、クウ」
「慌てるなよ。ここは一つ」
右腕をスイングして、苦無を投擲する。
「鬼ごっこといこうじゃないか」
投擲した苦無は真っ直ぐマガツモノの額に伸び、切っ先が表面の接すると、突き刺さることなくボヨンと弾き飛ばされてしまった。
それを合図に、宗次朗とマガツモノは、同時に走り出した。
宗次朗は路地の奥へ。マガツモノは両手を伸ばして、逃げる背中を追い駆ける。
背後から追ってくるマガツモノは鈍足だが、異常なまでの力を示すよう、曲がり切れないコンクリートの角を体当たりで破壊したり、道を半分以上塞ぐ自動車を両手で掴み上げ、退かすように投げ飛ばしたりして、宗次朗の後を追う。
あんなのに掴まったら、一たまりも無いだろう。
だが、宗次朗は決して、逃げる足を速めない。
「ほらほら。鬼さんこちら……ふっ!」
知性の低いマガツモノは、視線が宗次朗から外れると、何でも無いところで見失いことがあるので、それを気づかせるよう、苦無を投擲して居場所を教える。
そして幾つかの角を曲がると、マガツモノの視界に入っていることを確認してから、真横の建物の内部へと飛び込んだ。
コンクリート作りの二階建てで、外からは何の建物かはよくわからない。
宗次朗がそこに逃げ込んだのを確認したマガツモノは、獲物を追い詰めたとでも思ったのだろう。
喜び勇んでドタドタと足音を鳴らし、建物の入り口へと走る。
「エサ、タベル。エサ、オイシイ」
ギリギリ巨体でも入れる建物の入り口に、首を突っ込んで内部を確認する。
日が差し込まない為、真っ暗で視界が悪く、宗次朗の姿は確認出来ないのか、キョロキョロと内部を見回す。
獲物である宗次朗を捕まえる為、更に身体を建物の中へと押し込む。
身体を肩まで建物に入れた瞬間、二階の窓から人影が飛び出した。
「かかりやがったなぁ、このダボがッ!」
マガツモノの真後ろに降り立った咲耶は、振り向く間も与えず、渾身の力を込めて背中を蹴り飛ばした。
衝撃は分散されても、建物内へ蹴り飛ばすには、十分過ぎる一撃。
隙を突かれたマガツモノは、でんぐり返りをしながら、建物内部へと転がった。
「――今だ、蘭堂!」
「――応ッ!」
建物に入ったすぐ側で、息と気配を殺していた宗次朗が、マガツモノが内部へ蹴り込まれたのを見て外へと飛び出す。
同時に、身体は入り口の外へと向けたまま、左手に握った苦無を、建物内部へと後ろ向きの態勢で投擲した。
蹴り飛ばされたマガツモノは、奥の壁にぶつかって停止する。
暗がり故に気づかなかった。もしくは、鼻が利けば、直前で気づけたかもしれない。
この場所は何も無い他の建物内部とは違い、破壊されたバイクや車の部品らしきタンクが幾つも転がり、そこから液体が大量に零れて床を濡らしていることを。
そして室内に充満する、独特の刺激臭。
ガソリンだ。
「エサ、エサ」
外に飛び出していく宗次朗を追うよう、マガツモノが手を伸ばす。
その真横を苦無がすり抜け、狙い澄ましたバイクの部品に先端が当たり、火花が散った。
瞬間、耳をつんざくような爆音が響いた。
激しい炎が建物の入り口から吹き出し、宗次朗は地面に転がるようにして、何とかギリギリでそれを回避する。
「ッッッ!? ……くはっ、効いたぁ……」
鼓膜に激しい痛みと、背中にチリチリとした熱を感じながら、宗次朗は這うようにして燃え盛る建物から離れる。
途中、先に退避していた咲耶とすれ違うと、彼女はパチンと手の平を拳で叩く。
「トドメは任せな」
「ああ、任せた」
燃え盛る建物に咲耶が近づくと、爆発で劣化した壁を叩き壊しながら、黒煙を上げて燃える人型が飛び出して来た。
ゴムタイヤのマガツモノだ。
しかし、何故かその巨体は一回り以上、小さくなっていた。
「全身を焼かれて、身体を構成するゴムが伸縮したか……ってぇことつまりよぉ」
「アー。アー! モエル、トケル。オレ、オレ!」
右肩をグルグル回しながら、ジタバタと暴れるマガツモノにゆっくりと近づく。
既に目が見えないのか、腕を闇雲に振り回すが、咲耶は身を反らして容易く回避。
「お得意の弾力性も無くなって、殴りごろになってんじゃねぇのかぁ? ああッ!」
「エサ、エサ、エェェェェェサァァァァァァアアア!!!」
全身を業火に蝕まれながら、マガツモノは半狂乱な叫びと共に、声が聞こえる方向目掛け圧し掛かろうとする。
軽く息を吐いてから、咲耶はマガツモノを睨み付け、両腕に黄金の雷光を迸らせた。
「不法投棄の廃棄物は、あたしがキッチリ処理してやんよッ! ブチ砕けろッ!」
怒声と共に、固く握った拳が振り下ろされた。
それまでの鬱憤を晴らすよう、全力を込めた一撃が、マガツモノの顔面に突き刺さる。
衝撃が全身に走り抜け、包んでいた業火が掻き消える。
「アバ、アバ、アババ……アバババババババババババババ」
ぶくぶくと口から、溶けたゴムのような泡を吹き出す。
耳障りな音を口から発するマガツモノは、数回大きく痙攣した後制止すると、身体全体に黄金色の雷光が走り、次の瞬間にはドロドロの濁った黒い液体になって、崩れるように溶解してしまった。
完全に溶け切ったのを確認してから、咲耶は大きく息を吐き出し、拳を下ろす。
「ふん。面倒かけやがって、ダボが」
そう吐き捨てて、殴った感触を払うよう、右手を振るった。
「やれやれ。何とか成功したな、咲耶ちゃん」
「……お前」
背後からの声に振り向くと、咲耶はジト目を宗次朗に向けた。
ガソリンの爆破を近くで浴びた為、服には煤と若干の焦げた跡が見受けられる。
「無茶苦茶過ぎんだろ。忍者の癖に、やることが派手なんだよ」
「あはは。まぁ、だから忍者に向いてないんだけどね、俺は」
そう言って笑う宗次朗を睨んでから、咲耶はスカートのポケットに両手を突っ込み、大きく息を吐き出した。
そして、照れ臭そうに視線を泳がせる。
「関わらせないつもりだったのによぉ、どっぷり関わらせちまったじゃねぇか」
拗ねるように唇を尖らせ、咲耶は宗次朗を上目遣いで見る。
「どうすんだよ? お前、普通の高校生になりたかったんじゃないのか?」
「普通の高校生って言ってもなぁ。俺、普通の高校生がどういうモノか、知らないし」
とぼけるように、宗次朗は頬を掻く。
咲耶の視線が険しくなる。
「テメェ。ふざけてんのかぁ?」
「ふざけてないよ」
至って真面目な表情で、宗次朗はそう切り返す。
「蘭堂宗次朗は忍びだ。それは一生変わらない。普通の高校生活を送りたいって気持ちも、変わったりはしない」
「だったら……」
「だから両方取ることにした」
キッパリと言い切った言葉に、咲耶は「はぁ?」と首を傾げる。
「別に二者択一の選択を迫られてるわけじゃないんだ。選ぶ必要性は無いだろ?」
「そりゃまぁ……いや、あるよ、おおありだ! これはあたしの使命だ。無関係なアンタが関わり合いになる必要は……」
「無いけど、俺は知ってしまった。知ってしまった以上、見過ごすことは出来ない……これって、普通のことじゃないのか?」
「……うっ」
咲耶は言葉に詰まってしまう。
知ってしまっては、見過ごすことが出来ないのは、まさに咲耶自身にも当てはまる行動理念だからだ。
「普通の高校生だったら、無謀なことだろう。けど、俺は忍者だ。咲耶ちゃんみたいな、マガツモノに対して絶対的な力や使命があるわけじゃないけど、俺には戦う術がある、知識がある。それは、今さっき証明して見せた」
またも、咲耶は反論出来ない。
あのマガツモノを倒すのに、宗次朗の策が効果的だったのは明白だ。
「……けど、蘭堂には理由が無い。あたしを助ける理由なんか……」
「理由ならある。理由なら、あるんだよ咲耶ちゃん」
先ほどまでの鋭く隙の無い口調から一転して、普段の何処か抜けたような、飄々とした宗次朗の口調に変わる。
咲耶は反射的に外していた視線を上げると、優しく微笑む宗次朗の瞳と交錯した。
「俺は友達の力になりたい。それが俺の理由だ」
「……蘭堂」
自然と名前が零れ、答えるように宗次朗は歯を見せて笑った。
咲耶も微笑を漏らし、ポケットに突っ込んでいた右手を抜き、前に突き出した。
「死んでも知らねぇぞ……そんでいいなら、勝手にしやがれ」
「心配無い。忍者は生き残るのが使命なんだよ」
互いに笑い合い、パチンと小気味の良い音を鳴らして、二人の手の平が合わさった。
同時に、灰色だった空に罅が入り、弾けると元の青空が現れた。
巣を作ったマガツモノが祓われたことで、異界化も消滅したのだろう。
ようやくひと段落ついたことに、やれやれと大きく伸びをする咲耶だが、ふとあることに気づき宗次朗の方を見た。
「そういや、今って真昼間だよな。お前、学校はどうしたんだよ?」
「……あ~、そういや、そうだね」
視線から逃れるよう、宗次朗は誤魔化すよう顔を背ける。
向ける視線を細め、咲耶は呆れるように呟いた。
「……今頃、妃奈子先生、泣いてんぞ、オイ」
「だとしたら原因の一端は、咲耶ちゃんにもあると思うけど」
横目を返され、咲耶もグッと言葉に詰まる。
何とも閉まらないオチが付いてしまった。
ともあれ、蘭堂宗次朗の高校生活は、非日常から幕を上げ三日目。桜の舞い散る夜の公園で初めて出会った、同い年の女の子桜ノ守咲耶と、ようやく友達になることが出来た。
暦は四月。まだまだ一年は始まったばかりの、出会いの季節だ。