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第四幕 マガツモノ





 蘭堂宗次朗は人生において、物事に迷ったことは殆ど無い。

 即決即断が尊ばれる忍びの世界において、心の迷いは死に繋がると、幼い頃より厳しく言いつけられているからだ。


 だが、悩むという行為は、また違ってくる。

 これが忍びの任務なら、過去の経験から物事の予測を付けることが出来るだろう。全く新しい出来事だとしても、積み重ねた経験や訓練。培われてきた技能や知識があれば、打開することは難しく無い。


 けれど、今は違う。

 普通の高校生男子が、今後取るべき行動で何が正しいのか、宗次朗には全くわからなかった。

 だからこそ、最善を選ぶ為にはどうすればいいのか、悩んでしまう。

 経験や知識が乏しい以上、一人で悩んでいても答えは導き出せない。

 宗次朗がこの世で一番信頼している人物、妹に相談事を携帯メールで送信したりもした。

 返って来た答えは。


『兄上様。兄上様が考え抜き、選び取った答えこそ至高だと思います故、わたくしからは何も申し上げることはありません。ただ、蘭堂の忍びや普通の高校生とやらでは無く、我が敬愛する最愛の兄上様、蘭堂宗次朗としての答えを見つけて下さいませ』


 何とも妹らしい返答が、一分も待たずに帰って来た。

 ちなみに。


『追伸。ちなみの兄上様がお気にしてらっしゃる相手の方は、お名前から察するに女性と推測されるのですが、どのようなご関係なのでしょうか? 離れて暮らす身故に言えたことではありませんが、兄上様が一番に心想う女子は妹御であるわたくしであるべきと、愚行致します。そもそも、兄上様はメールを送る頻度が些か少ないかと。せめて朝起きてから眠るまで、一時間置きにメールを頂ければ妹はすこぶる上機嫌に……』


 などと明らかに本文より多い追伸が、文字数の限界近くまで文字が羅列されていた。

 慕われるのは嬉しいが、ブラコンというレベルを超越した兄に対する妹の愛情は、もう少し何とかならないのだろうかと思う。

 全ては閉鎖的な、蘭堂の風紀が悪い。そういうことにしておこう。


 とにもかくにも、蘭堂宗次朗らしい答えを出せ。という妹の言葉は、自分にとっての最善を選び取るのに、大きなヒントとなった。

 一応もう一人、事情を知っている、寮母の朱里に相談したのだが。


「いいぞ、部屋に来い。枕を並べて、じっくりねっとり聞こうじゃないか」


 即効で断って、部屋に逃げ帰った。

 据え膳食わぬは男の恥などと言うが、何故だろう。あの寮母に対してだけは、性欲がまるで掻き立てられないのは。

 それが昨日、咲耶と別れて寮に帰った後の出来事だ。

 即決即断が信条の宗次朗。床につく頃に、既に取るべき行動を決めていた。




 ★☆★☆★☆




 蘭堂宗次朗が、転校して来て三日目。

 今日も桜ノ守咲耶は姿を見せず、窓際最後尾の席は無人のままだった。

 病欠や冠婚葬祭のような、やむ得ない理由では無く、単純な無断欠席に担任教師の妃奈子は、「また学年主任に嫌味を言われるぅ」と、泣きそうな顔で出欠を取っていて、哀れに思った生徒に慰められるという場面が、朝のホームルームで見られた。


 太陽が頭の真上に昇り、三門高校では昼休みを告げるチャイムが鳴る頃。

 サボりの常習犯である咲耶は、斉門町に来ていた。

 平日の真っ昼間の中、不良丸出しのセーラー服姿は酷く目立つ。

 警官に見つかれば、言い訳を口にする暇なく補導され、家と学校に連絡を入れられるだろう。


 だが、今日の場合は、そんな心配をする必要は無い。

 何故ならここは、斉門町の外れ。

 廃ビルと廃工場だけが立ち並ぶ、人気の無い寂れ果てた通りだからだ。


「……駅前とはエライ違いだな」


 何時も通り、ポケットに両手を突っ込んだ態勢で、咲耶や周囲を見回す。

 賑やかな駅前やその周辺とは違い、人の姿はおろか気配すら感じられない。


 時折、軽トラックや自動車が、横を通り過ぎていくが、殆どが抜け道として利用しているだけで、この界隈に用事があるわけでは無いだろう。

 周囲に人気が無いのなら、どれだけ目立つ格好でいようと、咎められる心配は無い。

 もっともそれでは、咲耶がわざわざ、ここまで足を運んできた意味が無いのだが。


「……まぁ、雰囲気だけで考えりゃ、あり得ない話ではねぇか。けど、ガセだったらあの情報屋、マジぶっ殺してやんぞ」


 ぶつぶつと呟きながらも、咲耶は常に周囲に視線を這わせていた。

 何処か忙しないその動作は、何かを探しているような、そんな雰囲気だ。

 静けさに満ちた周囲にあるのは、古びた工場やビルばかり。

 斉門町と言えば、三十代より上の世代から言わせれば、今のような繁華街では無く町工場などが密集する、工業地帯という印象が強かったらしい。


 それが十年以上前、新たらしい駅が誕生した以降、都市開発と称し駅前を中心に発展。バブル後、ゆっくりと数を減らしていた町工場は、都市開発の煽りを受け、大きく衰退し消えて行った。


 この場所は、その名残だ。

 解体しようにも費用がバカにならずそのまま放置したり、売り出しても買い手が付かなかったりと様々な理由で、手つかずの状態になっている建物が多い。いわば時代の忘れ形見とでも、言ったところだろう。


 まぁ、そんな時代の必衰に思いを馳せるほど、咲耶は枯れてはいないので関係無いが。

 むしろ、青春まっしぐらだからこそ、思い悩むこと他にがある。


「……昨日はちょっと、言い過ぎちまったかな」


 似たような狭い路地を見て、ふと昨日の出来事を思い出す。

 蘭堂宗次朗。

 一見すれば素直で真面目そうな少年に見えるが、何処か飄々として掴みどころの無い、雲のような人間。

 忍者だと言われれば、そうかと納得出来るし、そうかぁ? と疑問にも思う。


 結論で言えば、よくわからない奴、という答えになってしまう。

 見ているぶんには面白いのだろうが、恐らくもう咲耶と関わり合うことは無いだろう。


「アイツの望みは普通の高校生活。普通じゃないあたしとは、住む世界が違うんだよ。他の連中と同じさ……これで、良かったんだ」


 別に他人を拒絶することは、初めてじゃない。だが、それは仕方の無い事だ。

 闇に身を置く者と関われば、碌な目に合わないなんて、わかりきっている。


「なのに……クソッ。昨日から同じことばっか考えてるじゃねぇかッ」


 苛立つように、咲耶は自分の頭を掻き毟った。

 関わるなと言った時、宗次朗は僅かに見せた悲しげな瞳の色。

 アレを思い出すと、何故だか胸の奥が締め付けられ。少しだけ痛くなった。


 日常生活において、忍者である自分の素性を明かすわけにはいかない。けれど、それは心を許してくれる友人に、嘘を付くことに他ならない。仕方が無いことだとわかっていても、感情では割り切れないのだろう。

 だからこそ、宗次朗は真実を知る咲耶と、友達になりたかったのかもしれない。

 何故ならば咲耶もまた、近しい考え方を抱いているからだ。


「どっちにしても、駄目に決まってる。あたしの側は危険過ぎるんだ」


 祓い人として、マガツモノを祓うのが桜ノ守家の、龍の力をその身に宿す者の使命。

 闇は闇を、強い力はより強い禍を引き寄せる。

 宗次朗が友達に隠し事をすることに、良心の呵責を感じるのなら、咲耶は自らの使命の所為で友人知人が傷つくことを、何よりも嫌う。


 だから、桜ノ守咲耶は人を寄せ付けない。

 人を寄せ付けず拒絶し続ける態度が、何時しか彼女に不良のレッテルとして張り付け、咲耶自身もそれを受け入れた。他人を威嚇し孤高であり続ければ、そのぶんだけ関係の無い人々を、危険な闇や禍から遠ざけることが出来る。

 桜ノ守咲耶が不良者である理由は、ただそれだけのことなのだ。

 段々、気分が暗くなってきたので、切り替えるように、咲耶は首を左右に振る。


「いかん、集中しないと……以前から感じるマガツモノの気配。公園で潰したのだけかと思ったが、ここ二日くらいでまた湧きやがったようだな。クソッ、次から次へと鬱陶しい。おかげでこっちは、二日連続でサボりだ」


 宗次朗と顔を合わせ辛かった言い訳を、マガツモノにぶつける。

 けれど実際、マガツモノの出現回数が、今年に入って急増しているのも事実だ。

 以前は月に一度、出るか出ないかだったのが、今年は四月の段階でもう二桁以上のマガツモノを祓っている。これは明らかに、異常事態と言えるだろう。


「何か原因があるのかぁ? 虫じゃあるまいし、大量発生の時期とか洒落になんねぇぞ」


 言葉を吐き捨てる咲耶だったが、ふとその足を止めた。

 首筋にチリチリとした嫌な気配を感じ、咲耶は右手の方に視線を向けた。

 鉄の門で閉じられた、潰れた板金塗装の工場。

 咲耶の視線が細まる。


「……ここか」


 意識を集中すると、工場の奥からおどろおどろしい気配が流れてくる。

 身体を門に向けると僅かに屈み、膝の伸びだけで跳躍した。

 軽い足取りで門の上に着地。続けて工場内に飛び込もうとするも、不意に静電気のようなモノが全身に纏わりつき、身体を押し戻そうとする。まるで侵入しようとする咲耶を、拒んでいるかのようだ。

 咲耶は舌打ちを鳴らすと、爪を立てるよう手の平を開いて、右腕を大きく振り被る。


「しゃらくさいんだよ、ダボがッ!」


 紫電を散らす真正面に向かって、真っ直ぐ振り下ろすよう腕を振るうと、爪で引き裂いたかのよう、空間に四つの裂け目が生まれた。

 瞬間、咲耶の身体を拒む静電気が消え去り、空間の裂け目を通って工場の内部へと降り立った。

 地面に足を付くと、世界は一変する。


「……ふん」


 外から見る限りは、何の変哲も無い廃工場だったが、今は全く違う。

 晴れ渡った青空は灰色に染まり、周囲の音が完全に消え去ってしまった。

 風の流れる音も、遠くに微かだが聞こえていた、車の排気音も何もかも。


「異界化してやがるのか……いや。入る瞬間に抵抗を感じたところを見ると、随分と中途半端な代物らしいな」


 異界化とは、マガツモノが作った巣のことだ。

 空間自体が歪んでいる為、外からは見分けがつかないし、通常の方法では侵入することは出来ない。だが、一度内部に入ってしまうと、そこはマガツモノの巣であり、引きずり込まれれば普通の人間は、脱出することはほぼ不可能だ。

 本来はマガツモノが人目につかないよう、隠れる役目もあるのだろうが、今回は異界化が不完全だったのか、咲耶にも気配で探知出来た。


「ともかく、先に進んでみるか」


 周囲を警戒しながら、咲耶は工場の奥へと進む。

 駐車場を抜けた奥は、まさに異界といった奇妙な様相を呈していた。

 建物の間に路地が走る、網の目状の奇妙な構造。

 元の敷地面積より確実に広い空間は、最大五階建てのビルのような建物や、シャッターの閉じた車庫が無作為に立ち並ぶ、何とも不思議な光景。建物もお店等では無く、本当にただの建造物で、覗き込んでも何も無い部屋があるだけ。


 上の階に続く階段すら、確認出来ない。

 後は元が車の板金工場だからか、車やバイクがあちこちに停車してある。

 時折、ツンと鼻にくる刺激臭は、流れ出したガソリンか何かだろう。


「相変わらず、異界ってのは出鱈目だな。それに、何だか酷く蒸し暑いぜ」


 息が詰まるような暑さに、咲耶は顔を手で仰ぐ。

 奥へ真っ直ぐ進んでいると、何処からか重いモノを引き摺る音が聞こえた。

 咲耶は足を止め、息を潜ませながら視線を巡らせる。


「……この匂い」


 僅かに流れる空気に乗って、鼻孔にガソリン以外の生臭い匂いが届く。

 これは、血の匂いだ。

 慎重に音を辿り、巡らせる咲耶の視線が、とある建物に向けられた。


「あそこか」


 足音を立てぬよう近づき、そっと入り口から中を覗き込むと、暗闇の中で巨大な何かがモゾモゾと、屈むようにして身体を揺らしていた。

 むわっと濃厚に感じる血の匂いに、咲耶は顔を顰める。

 巨大な何かが身体の向きを変えた為、両手で抱きかかえるモノが何か、咲耶の目にもハッキリと確認出来た。


「――ッ!?」


 それは、人の死体だった。

 服装からして、警察官なのだろう。良く見れば、足元にも警察官らしき人間の死体や、引き裂かれた制服が、無造作に転がっていた。

 吐き気を催す無残な光景に、咲耶は口元を覆い息を飲む。


「――ダレ、ダ!?」


 気づかれた。

 目の前のショッキングな光景に、過剰な反応を示した所為で、巨大な何か。マガツモノが此方を振り向くと、抱きかかえた死体を投げ捨てて、その巨体を揺らしながら転がるようにして突っ込んできた。


「――チイッ!」


 地面を蹴り、咲耶は慌てて入り口から後ろへと飛び退く。

 一瞬遅れて、激しい破壊音が鳴り響く。

 マガツモノの巨体がコンクリートの壁を破壊し、入り口を二回り以上大きくしながら、外へと飛び出して来た。

 ゆっくりと身体を起こすマガツモノに対して、咲耶は戦闘態勢を取る為、スカートのポケットからフィンガーレスグローブを取り出し装着する。


 現れたマガツモノは、まさしく異形そのものだった。

 体長は三メートルくらい。前回の鬼より、一回り以上大きい。

 だが、岩のようだった鬼と違い、このマガツモノの身体は泥のように真っ黒で、ぶよぶよと蠢いていた。表面は凹凸が少なく、波打つような肥満体系。例えるならば、物凄く巨大な赤ん坊といった身体つきだ。


 辛うじて目と口らしき窪みが顔にあり、口元にはべっとりと赤い血が付着していた。

 窪んだ目を咲耶に向けて、身体をぶるんぶるん揺らしながら、聞き取り辛い声を出す。


「エサ、エサ、キタ。エサ、クウ」

「はん。頭ん中は獣以下かよ……だったら問答は無用だ」


 顔の横で握り締めた右拳から、黄金色の雷光をが爆ぜる。


「ぶちまけろやッ!」


 掴もうと伸ばした手を掻い潜り、無防備な腹部に拳を叩きつけた。

 強力な一撃にマガツモノの身体が波打ち、黄金の雷光が走る。

 だが、拳から伝わってきたのは、不可解なまでの手応えの無さだ。


「――なにッ!?」

「カユイ、カユイ、ヨ」


 マガツモノはむずがるようにきゃっきゃと笑って、右手を無造作に振るった。

 真横から叩きつけらた平手は強烈で、咄嗟に腕を差し出してガードするが、咲耶の身体はふわりと浮き上がり、容易く吹っ飛ばされて、コンクリートの壁に激しく背中を打ちつけた。


「――ガッ!?」


 視界が揺れるような衝撃を受けながらも、倒れ込むことは堪え、地面に膝を付く。

 マガツモノは自分で張り倒しながら行方を見失ったのか、きょろきょろと大きな首を周囲に巡らせていた。

 苦悶の表情を浮かべ、咲耶は自分の右手に視線を落とす。


「龍の波動が通らなかった? どうなっていやがるッ」

「エサ、ミツケタ。エサ、タベル」


 疑問を巡らせる暇も無く、マガツモノが咲耶の方を目掛け、両手を伸ばしながらドタドタと駆け寄ってきた。

 考えるのは、後回しだ。

 舌打ちを鳴らしてから迎撃の構えを取ると、間合いを狭めた隙を見計らい、自らマガツモノの懐へと踏み込む。


「――うらぁッ!」


 最初の一撃で動くを止めてから、反撃の余地無く連続で拳を叩き込む。


「――ずぅぅぅららららららららッ、うらぁぁぁッ!!!」


 一呼吸の間に数十発の拳が、マガツモノの全身に叩き込まれる。

 あまりに素早い連続攻撃に、殴られた部分が拳の形に陥没し、それが幾つもマガツモノの身体に刻まれていた。

 しかし、次の瞬間には、陥没した部分は元に戻ってしまう。


「――クソッ!」


 何事も無かったように、咲耶を捕まえようと伸ばした腕を、屈んで回避すると跳躍し、同じく黄金の雷光を纏う蹴りで、マガツモノを蹴り飛ばした。

 後ろに倒れたマガツモノは、そのまま一回転してから、地面にうつ伏せになる。

 地面に着地し息を吐くが、やはり手応えは薄く、表情が苦々しい。


「やっぱり、波動が通りやがらねぇ。何なんだッ、あのぶよぶよとした気持ち悪い身体はッ!」


 人の身でありながら、マガツモノと対等に渡り合えるのは、長年の肉体的鍛錬もそうだが、波動と呼ばれる特殊な力が大きな要因の一つだ。

 中でも桜ノ守の一族は、龍の波動と呼ばれる強力な力を、代々その身に受け継いでいる。


 対マガツモノに対して、強力なアドバンテージになる筈の力で、岩より硬い全身鉄のマガツモノと戦ったこともあるが、今日のように全く手応えが薄いなんてことは、今まで一度も無かった。

 それに目の前のマガツモノは、普段とは違う不気味さを宿し、より禍々しい気配がヒシヒシと伝わっていた。


「普通のマガツモノとは違うってわけかい」


 一筋の汗を額から流しながら、咲耶は構えを取る。

 倒れたマガツモノは手足をばたつかせると、仰向けに転がってから上半身を起こし、立ち上がってまた咲耶を探すよう、きょろきょろと首を巡らせた。

 一々、挙動が不気味だ。


「さて、どうすっかな」


 どうするかと言っても、肉体派の咲耶に取れる手段など限られている。

 幸い、相手の動作は鈍い。

 一撃の手応えは薄くとも、ダメージは僅かながら通っている筈なので、時間がかかってもここは地道に手数で凌ぐしかない。


 そう割り切り、相手の出方に合わせ、咲耶は軽く腰を落とした。

 マガツモノは直ぐには動かずジッと此方を見つめると、何を思ったのか丸まるように、身体を小さく屈めた。

 咲耶が眉を潜めた瞬間、マガツモノは両手を前に突き出す。

 巨体が大きく波打ったかと思うと、まるでカタパルトで射出されたかの如く、マガツモノの巨体が高速で迫ってくる。


 不味い、完全に油断していた。

 相手の動きが鈍いことを前提に、様子を見ていた為、タイミングを外され回避が間に合わない。

 あの巨体、あの速度で突っ込んでこられたら、骨の一本や二本では済まないだろう。

 持久戦に持ち込まねばならないのに、大ダメージを受けることは致命的だ。


「――ちくしょうッ! 情けねぇ!?」


 屈辱を噛み締めながらも、無いよりはマシと腕を交差させ防御を固める。

 来るであろう衝撃に身を固くした時、恐怖心を吹き飛ばすかのよう、爽やかな突風が吹き抜けた。


「――えっ?」


 何が起こったのか?

 咲耶が状況を正しく認識する前に、全身を包み込んだのは、激痛の走る衝撃では無く、宙に浮くような浮遊感だった。

 同時に轟音が響く。

 目標を見失ったマガツモノの巨体が、背後にあったコンクリートの壁をぶち抜き、灰色の砂埃を巻き上げていた。


「大丈夫か、咲耶ちゃん」


 聞き覚えのある声に、咲耶は大きく目を見開いた。

 軽い揺れと共に、身体を包んでいた浮遊感は消える。

 けれど、咲耶の足は地面についてはいなかった。


 何故なら今、咲耶は背中と太腿を支えられ、抱きかかえられているからだ。

 見上げるとひらりと揺れる赤いマフラーを首に巻き、飄々とした笑顔を向ける少年が、優しく咲耶を見下ろしていたからだ。


「……蘭堂?」

「ああ。蘭堂宗次朗、ただいま参上。なぁんてね」


 おどけるように、宗次朗はパチッと片目を瞑る。


「なんで……って。ッッッ!?」


 唖然として問い質そうとするが、そこでようやく自分の態勢に気が付く。

 今、咲耶は宗次朗に、いわゆるお姫様抱っこをされているのだ。


「なぁ……ななななな、なぁッ!?」


 状況を把握した途端、咲耶の顔が首まで真っ赤になる。

 そのリアクションに、宗次朗は不思議そうに首を傾げた。


「ん? どうした、咲耶ちゃ――痛ッ!?」

「さっさと離せッ、こっのダボがッ!」


 下から突き上げられるよう放ったアッパーが、宗次朗に顎に突き刺さる。

 でも、助けられた手前、本気で殴るわけにもいかず、力は殆ど入っていなかった。

 つい殴ってしまったのは、お姫様抱っこが恥ずかしかっただけでは無く、見上げた瞬間の宗次朗の顔に、思わず見惚れてしまった自分が、信じられないくらいに気恥ずかしかったからだ。


 乙女かあたしはっ!

 心の中でそう叫びつつ、咲耶は宗次朗の腕の中で、顔を限界まで真っ赤にして、ぐぬぬぬと恥ずかしそうに歯を食い縛っていた。





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