第三十幕 急転直下
町外れの雑木林の中にある、朽ち果てた廃屋。
既に宿主が去って、数十年は経過しているであろう平屋の家屋は、天井や床が抜け落ち、辛うじて原型を留めているに過ぎない。壁も風化して穴だらけになっており、今にも朽ち果ててしまいそうだった。
時間の流れから弾きだされたかのような建物で、身体を休める獣が一匹。
僅かに残った天井と壁の影で雨風を凌ぎ、片膝を抱いて眠る少年、犬塚史郎だ。
腐った床板や柱には奇妙な虫が湧き、湿ったかび臭い空気に満ちていても、人気の無い静けさは休息するには申し分無かった。
「……ん?」
浅い眠りにいた史郎の意識を引き戻したのは、ズボンのポケットで震える携帯だった。
朽ちた天井の隙間から覗く青空から、今が日中だと言う事だけは理解出来た。ここ数日、昼夜問わずの生活が続いているので、時間の感覚が酷く曖昧なのだ。
しつこく震える携帯を引っ張り出すと、タイミング悪く電話は切れてしまう。
「竹中さん、か」
着信履歴を見ると、寝ている間に何度もかけたのだろう。携帯番号を知る数少ない人物である、竹中吾郎の名前がずらりと並んでいた。
大方、アパートに帰ってない事を知って、心配しているのだろう。
「迷惑かけて、済みません」
折り返し連絡する事はせず、携帯に向かって史郎は頭を下げる。
元の位置に戻そうとすると、また着信音が鳴り響いた。
再び竹中がかけ直してきたのかと思ったが、液晶に映った『非通知着信』の文字に、史郎は直感的に一人の人物を思い浮かべた。
「……もしもし」
迷わず通話ボタンを押し耳に沿えると、史郎は口調に剣呑な雰囲気を滲ませる。
「大吾だな?」
『……ふふっ』
電波が悪いのか、ノイズ越しに覚えのある含み笑いが耳に届く。
「牙神大吾だな?」
もう一度、ハッキリと電話口にいる相手を名指しする。
ノイズが治まるのを待っているのか、数秒の間、沈黙してから先ほどよりクリアな音声で、彼は史郎に言葉に返答した。
『その通りだよ史郎。久しぶりだな。今年に入ってからは、初めてか?』
「ああ。誰かさんが逃げ回ってばかりで、姿を現さないからな」
『逃げていたのは史郎の方だろう? 僕が君に対して窓口を閉ざす筈が、無いじゃないか。連絡の一つも無ければ、見舞いの言葉もくれてやれない……どうだい、史郎。俺にやられた傷の具合は?』
「お蔭様で。お前の言葉を聞く度に、ズキズキと疼きやがるぜ」
流暢で挑発的な物言いに対して、史郎は普段通りの態度を崩さない。
けれど、頬の古傷が痛むのか、誤魔化すように親指で乱暴に撫でつける。
「大吾。わざわざ俺に連絡を入れて、何のつもりだ?」
『何のつもりとはご挨拶だね。君が熱心に僕の事を探しているようだから、こっちから出向いてあげようと言うんだよ。自慢の鼻も、人間の暮らしが長すぎて鈍ってしまったようだからね』
「……俺は、人間だ」
ふんと、嘲るように大吾は鼻を鳴らす。
『羊の群れの中に埋もれて、本当に自分を羊だと思い込んでしまったか? 残念だが、どんなに人畜無害を装うと、君は狼、人狼だ史郎……いい加減に気づけ、認めろ。羊の群れは羊毛の暖かさを楽しむ物じゃない、牙を突き立て肉を食いちぎるべき獲物だ』
「不必要な殺生が、狼の本能だと言うつもりか? 笑わせるッ」
語気を強めると、呆れたように肩を狭める素振りが、携帯越しに感じ取れた。
『やはり史郎、君は狼の誇りを忘れてしまったようだね』
「違う。誇りを穢しているのは貴様だ大吾。欲望に溺れた己を、好き勝手に肯定するな」
『犬畜生のように吠えるじゃないか、負け犬風情が。僕に叩きのめされて牙が折れたと思ったのに、すっかり敗北の味を忘れてしまったようだな』
「……逃げ出したのも、負けたのも否定はしない。だから俺は、ケジメをつけるつもりだ」
決意を示すよう、史郎は左拳を固く握り締めた。
「お前は俺が始末する。そして、俺とお前が作った荒御霊に幕を下ろす」
『やれるモンならやってみろよ史郎』
「言われるまでも無いさ」
『……野良犬風情にきゃんきゃんと騒がれるのも、そろそろ面倒になって来たところだ』
語る大吾の口調から、笑みが消える。
『以前、僕とタイマンを張った場所へ来い……そこで今度こそ、貴様に狼の本能を刻み込んでやる』
吐き捨てるように言って、大吾は一方的に携帯を切った。
無機質な電子音を耳にしながら、史郎は大きく息を吐き出して立ち上がる。
家にも帰らず、最小限の睡眠と食事しか与えていない身体は、うたた寝した程度で疲労が回復するわけも無く、節々が錆び付いたように痛む。
けれど、身から湧き出る闘争心が、身体の疲労を全て焼き尽くしていた。
「俺は人狼。狼であり、そして人間だ」
自分に強く言い聞かせながら、史郎は腐り脆くなった床板を踏み砕き、廃屋の外へと出て行った。
★☆★☆★☆
三門高校の被害は、校庭側に面した窓ガラスの八割が、投石によって砕かれるという異様な事態だった。
割れたガラス片で怪我をする生徒が続出するが、幸いな事に投げ込まれた石にぶつかるなどの重傷者は無く、比較的に怪我人は軽傷で済んだ事は、幸運だったと言えるだろう。いや、実際に被害者が出ているのだから、そんな言葉で片付けるべきでは無い。
人数が多い事もあってか、怪我人は教師が呼んだ救急車で病院に搬送。残った生徒達は簡単なホームルームを終えた後、急ぎ帰宅する事を促された。
涙目で鼻をぐずぐず鳴らす南野妃奈子も、緊急の職員会議の為、いそいそと出て行く。
「あ~あ。何だか知らないけど、これじゃ遊びにもいけそうに無いなぁ」
他人事のように、教室の何処かで誰かが呟く。
帰り支度をする宗次朗はふと、割れてガラスが無くなった窓から外を眺めると、校庭では通報を受けた警察がパトカーのランプを回転させ、教師に事情を聴きながら、現場検証をしている真っ最中だった。
単純な悪戯なら、どんなに良かっただろうか。
「……こんな事をしている場合じゃないな」
先に飛び出していった咲耶の事も気になる。
授業中の為、他の仲間達との直接的な連絡はまだ取れてないが、蔵人と樹里亜からはメールの返信があったので、一応は自体を把握して貰えただろう。
急ぎ行動しようと立ち上がった宗次朗の耳に、不意に聞きなれた名前が入り込む。
「……ってかさぁ。これって、桜ノ守の所為じゃね?」
「あ~、かもなぁ。アイツ、深夜の斉門町を出歩いてるって噂を聞いたし、窓ガラスの件も喧嘩売った連中の報復かも……」
「マジで? だったら俺ら、とばっちりじゃん」
憶測や想像だけで、彼らはゲラゲラと好き勝手な言葉を並べる。
一瞬、宗次朗の動きが止まるが、そのまま何事も無かったかのように立ち上がり、スタスタとすれ違うクラスメイト達に、笑顔で別れの挨拶を告げながら、普段通りの素振りで廊下へと出て行った。
違う事と言えば、廊下を歩く足取りが、若干早い事くらいだろう。
「……悔しいな」
けれど我慢しきれず、本音がポロリと漏れてしまう。
桜ノ守咲耶が不良少女として他人を寄せ付けないのは、祓い人としての使命に他人を巻き込みたくないから。勿論、照れ屋で恥ずかしがり屋な性格もあるのだろうが、彼女は自らの意思で、クラスメイトと距離を取っている。
それは、宗次朗も理解出来ている。仕方の無い事だとも思う。
「でも、友達の悪口を聞くのは、正直辛いなぁ」
誤解を受ける事、人が遠ざかっていく事は、咲耶にとっては好都合な事なのかもしれない。理屈ではわかっているが、感情ではクラスで孤立し続ける咲耶を見るのが、無言のま誤解が積み重なっていくのが、とてもじゃないが我慢ならなかった。
思考を切り替えるよう、宗次朗は自分の頬を軽く叩く。
「その事を考えるのは後にしよう……今は、状況を正確に見極めるのが先決だ」
携帯を取り出し、この数ヶ月でがっつりと増えたアドレス帳から、仲間達の電話番号をコールする。しかし、まだ時間帯的に出られないのか、直ぐに留守番電話に切り替わってしまい連絡が付かない。
咲耶も同様だ。
仕方なく携帯をしまい、宗次朗は急ぎ昇降口を抜け校舎を出る。
「直接、他の学校まで出向くしか無いか」
だとすれば、最初に安全を確保しておくべきなのは、戦闘力の無い神楽坂夕鶴だろう。
蔵人からも連絡が入っているとは思うが、彼女を孤立させておくのは心配だし、聖カトレア女学館なら天宮より、三門高校からの方が近い。
「よし。ならまずはバス停だな」
警察が現場検証する校庭側とは逆の出入り口から、見張り役の教師に一礼して学校の敷地外へと出る。
聖カトレア女学館に行くなら、バスを利用するのが良いのだが、ここからだとバス停まで少し距離がある。正門の方からなら近いのだけれど、皇木宮穂の一件もあるので、警察の目に触れるのは避けたかった。
裏門からだと駅方面の、大通りにまで出る必要がある。
「面倒だが、仕方ないか」
少しでも時間を稼ぐ為、宗次朗は鞄を脇の下に担ぎ、走ろうと足を踏み出した。
踏み込んだ右足に体重が乗ったかと思うと、不意に背後から人の気配が。
敵かと思い身を強張らせるが、そうで無い事は背中にかけられた、覚えのある声で直ぐに判明した。
「あの、宗次朗くん」
「あれ。相原?」
振り返ると、そこに立っていたのは、戸惑った笑みの相原優奈だった。
本当は急ぎたいのだが、無視するわけのもいかず、宗次朗は彼女と歩調を合わせるよう、並んで歩き始める。
「どうしたんだ相原。俺に、何か用事か?」
「ううん。そうじゃ無いけど……その。宗次朗くん、何時もは正門の方から帰るでしょ? なのに今日は裏口から出て行ったから」
「ああ、うん。大通りの方のバス停に、ちょっと用事があって」
「もう、駄目だよ? あんな事があったんだから、真っ直ぐ帰らないと」
仕方ないなぁと言った風に笑うが、その笑顔は直ぐに消沈してしまう。
何か他に聞きたい事があるのか、相原は躊躇うみたいにチラチラと、横目で宗次朗の顔を伺っていた。
「何か気になる事があるんなら、遠慮なく聞くけど」
「えっと、その……」
口ごもる彼女に、落ち着いてと宗次朗は笑顔を向けた。
「悪い意味で捕えて欲しく無いんだけれど、宗次朗くん……教室に出る前、凄い、怖い顔をしていたから」
指摘を受け、反射的に自分の頬に手を添えてしまう。
「それで、気になって俺を?」
「う、うん。ごめんなさい」
「いや、謝る事は無いんだけど」
ペタペタと宗次朗は自分の顔を触り続ける。
確かに教室での無責任な会話を聞いて、むっとしたのは事実だが、感情は押し殺していた筈。ましてや、表情に出てしまうなど、忍者として失格だ。
落ち込んでいる姿に傷つけたと思ったのか、相原は慌ててフォローの言葉を口にする。
「ほほほ、本当にごめんなさい! 私が勝手に思っていただけで、ちょっと表情が普段と違ってたかなぁって思っただけで、勘違いだよ! うんうん!」
「落ち着いてくれよ。大丈夫、怒ってないから」
苦笑する宗次朗に自分が取り乱していた事に気が付き、相原は顔を真っ赤にして俯いてしまった。
彼女には申し訳ないが、微笑ましい姿に自然と頬が緩む。
「それにしても、そんなに普段と違っていたかな?」
「うん。宗次朗くんって、何時もニコニコしてるから気づき難いけど、時々凄く、真剣な目をする時があるから」
予想外の言葉に、宗次朗は目を丸くする。
「へぇ、良く見てるね」
「ひうっ!? ちち、違うの宗次朗くん! 偶々、偶然、だからね!」
観察眼を褒めたつもりなのに、何故だか相原は泣きそうな顔をして、酷く狼狽しながら偶然だと念を押す。
そこまで慌てる理由はいまいちだが、これ以上、深く突っ込むのは酷だろう。
一通り取り乱し終えると、途端に押し黙り、相原は上目遣いを向ける。
「……あの、こんな事、聞くべきじゃないってわかってるんだけど」
「うん」
「やっぱり原因は、桜ノ守さんの事を悪く言われたから?」
「そうだよ。友達だからね」
笑顔でそう答えると、ちょっとだけ相原は複雑そうな表情をした。
「仲、良いよね。桜ノ守さん、今までずっと一人で、誰とも仲良くなる気は無いんだなぁって、思ってたから。失礼な言い方かもしれないけど、意外だった」
「失礼じゃないさ。そう誤解させてしまうのは、本人の所為なんだから……それでもさ」
軽く顎を上向きにして、宗次朗は空を見上げる。
梅雨の季節だからか、普段より多い雲が空を灰色に染めていて、僅かだが吹き抜ける風に雨の匂いが混じっていた。
「それでも、悔しいじゃないか。友達が誰かに、悪く言われるのって」
「…………」
悔しさを滲ませるよう、表情を強張らせる宗次朗の横顔を、相原は真剣な表情で見つめていた。
言葉を選ぶよう沈黙してから、相原はゆっくりと自らの心情を吐露する。
「……私は、桜ノ守さんの事、凄く怖い。色々と噂話を、耳にしてしまっているから」
「それは……」
噂話は噂話だ。
否定しようとする宗次朗を制するよう、相原は笑いかけてくれた。
「でも、明日からは少しずつだけど、変えていこうと思う。同じクラスメイトだもん。ずっと誤解したままだなんて、悲しいから」
「……ああ!」
相原の言葉が嬉しくて、宗次朗は笑いながらで力強く頷いた。
その動作が大袈裟過ぎたのか、相原はクスクスッと笑みを零してから、小走りに大通りに面したT字路の入り口まで進む。
振り返るとまた、相原は手を振った。
「バス停は左側でしょ? 私の帰り道は右だから、ここまでだね……また明日。宗次朗くん」
「うん。また明日」
笑顔を返すように、宗次朗も手を振った。
もう一度、相原は楽しげに微笑むと、T字路を右側に曲がっていく。
振っていた手を下ろした頃には、宗次朗の胸の内を蝕んでいた、棘のような苛立ちは消え去っていた。
「本当は不味いんだろうけど……ほんの少しくらい、いいよな?」
明日、相原に挨拶をされて、面を喰らった表情をする咲耶が見物出来るかと思うと、自然と胸が高鳴った。
祓い人の前に、彼女も普通の女子高生。クラスメイトと仲良くしたって、問題は無い。
そんな楽しげな思考が、忍びとしての、宗次朗の危機管理能力を鈍らせてしまった。
異変に気付いた時には、既に回避不可能な領域にまで、攻め込まれていた。
「――えっ?」
タイヤとアスファルトが激しく擦れ合う、スキール音が背後で鳴り響き、振り向いた宗次朗の眼前に、自動車のボンネットが迫っていた。
ヤバいという危機感と、馬鹿なという疑惑が同時に湧き上がる。
音が聞こえるまで、気配が殆ど感じ取れなかった。
「――間に合わないッ!?」
接触するまでの間、もう猶予は一秒にも満たず、回避するのは不可能だ。
次の瞬間、激しい衝突音と共に、宗次朗の身体は車体の上を転げ回り、大きく吹き飛ばされていった。
五メートルは高く宙を舞う宗次朗。
衝突の衝撃と混乱から、空中で態勢を立て直す事も出来ない。
「――がはッ!?」
反射的に受け身を取ったが、固いアスファルトに背中から叩きつけられた衝撃は殺し切れず、痺れるような痛みに身体が蝕まれ、視界が白く染まってしまう。
咄嗟に防御態勢を取ったので、ダメージは最小限に抑える事が出来た。骨に異常は無いだろうが、如何に忍者とはいえ、自動車で跳ね飛ばされて無傷とはいかず、骨の髄にまで響く痛みと痺れの所為で、起き上がるどころか、うつ伏せに引っくり返るのがやっとだ。
何度も咳き込みながら、何が起こったのかと、思考を懸命に働かせる。
宗次朗は歩道を歩いていた。事故では無く、確実に狙って突っ込んできた。
「グッ……く、クソッ。身体が……」
痛みは直ぐに治まらず、指先一つ動かすだけでも、全身に激痛が走る。
霞む視界の先には、宗次朗を撥ねた自動車が確認の為か停車していた。
周囲に人影は無いが、運が悪い事に先ほどの衝突音を聞いたのだろう。驚いた様子でT字路の方から、相原が戻ってきてしまった。
「――宗次朗くん!?」
うつ伏せで倒れる宗次朗の姿に、顔を青ざめさせた相原は、悲鳴のような声を上げる。
来るな。そう言いたいけれどダメージの所為か、咳き込むばかりで言葉が出てこない。
助け起こす為、慌てて駆け寄ろうとするが、それを阻害するよう直ぐ側に停車していた車の、サイドドアが開いた。
中から現れたのは、チンピラ風の男三人組。
宗次朗の仲間だと思っていのか、その視線は駆け寄ろうとする相原に向けられていた。
「な、何なんですか貴方達!?」
「はいはい。ちょ~っと、大人しくしましょうねえ」
戸惑う相原の腕を、男の一人が乱暴に掴み取る。
ひっ、と相原の口から小さく悲鳴が漏れた。
「――嫌ッ!? 離して、宗次朗くんが!」
「アイツも一緒に連れてってやっから、大人しくしろよ」
暴れる相原を拘束する為、もう一人の男も加わり完全に動きを封じられてしまう。
「やめ、ろッ!」
咳き込みながら激痛の走る身体を強引に起こそうとするが、それを邪魔するかのように、背後から更なる爆音が響く。
今度は大型バイク数台が、倒れる宗次朗を取り囲むよう現れた。
「――クッ!?」
何としても、相原だけは逃がさなければ。
地面に四肢を突いた状態で、宗次朗は右手で隠し持っていた苦無を引き抜き、相原を拘束する男の腕目掛けて投擲する。
「――ギャッ!?」
吸い込まれるよう苦無は男の腕に突き刺さるが、抵抗はそこまでだった。
「この野郎ッ!」
「――ぐっ!?」
バイクから降りてきた男達に、圧し掛かられるよう地面に再び押し潰されると、抵抗する意思を削ぐ為か、身体を軽く持ち上げた後、後頭部を掴み顔面をアスファルトに叩きつける。
頬から激しく地面にぶつかり、歯で切ったのか口内に鉄の味が広がった。
「――宗次朗くん!? やめて。やめてやめてよぉぉぉ!!!」
悲痛な声が木霊する。
事故の音もあってだろう。何事が起ったのかと、流石に周囲も騒ぎ始めた頃、男の一人が舌打ちを鳴らした。
「おい。女も車に引きずり込め。男の方も適当に痛めつけたら、さっさと連れてくぞ」
そう命令を出し、泣き叫ぶ相原を引き摺るよう、宗次朗を跳ね飛ばした自動車のトランクを開き、強引に押し込んでしまう。
「……あい、はら」
宗次朗は必死でもがくが、男達数人に頭まで抑え付けられては、抵抗することもままならない。
不味い。不味い不味い不味い。
同じ言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
最悪の事態だ。自分の仲間達のみならず、無関係なクラスメイトまで巻き込んでしまった。冷たいと思われても、狙われている事を考慮して、あの場は強引にでも一人で先に行ってしまうべきだった。
後の祭りだとわかっていても、後悔せずにはいられない。
「離せッ……離せッ!」
事故の激痛が走るが、構わず宗次朗は何とか拘束を振り払おうと暴れる。
しかし、抵抗も空しく、宗次朗の身体は男達によって、力任せにねじ伏せられた。
「クソッ……クソッ!」
「暴れるなよ。面倒だ、腕の一本も折っちまおうぜ」
ゾッとするような言葉と共に、左腕を男に無理やり取られ、関節を逆に曲げられた。
「――があッ!?」
ミシミシと肘から二の腕、肩の関節にかけて軋む。骨格に負荷がかかる激痛以上に、身体の内部から響く骨の音に恐怖を感じた。
だが、宗次朗が気にかけるのは、躊躇なく折られかける腕より、今まさに拉致されかかっている相原の事だ。
こうなれば、骨が折れた瞬間に生まれる隙間を、狙うしか無い。
そう覚悟を決めて骨が折られる激痛に耐えようと、キツク奥歯を噛み締めた時、肌を刺すような怒気と共に怒号が駆け抜けた。
視線が反射的に声の方へ向くと、誰か人影が走って来るのを確認出来る。
見覚えのある、スリットの入った時代遅れのロングスカート。
男達が反応するより早く、怒号と共に白い肌の生足を露わに、蹴撃を解き放った。
「――なにやってんだテメェらッッッ!」
突き抜けた雷光が、宗次朗の動きを拘束していた男達を一気に蹴散らす。
車で跳ね飛ばされた時より倍は派手な音を響かせ、上に圧し掛かっていた男達は細足の一撃に悲鳴を上げる間も無く、反対側の歩道まで蹴り飛ばされてしまった。
大きく足を振り抜いた態勢で、鼻息を荒くする少女の姿に、拘束から解き放たれた宗次朗は大きく目を見開く。
「――咲耶ちゃん!」
名前を呼ぶ声に反応するよう、桜ノ守咲耶は、残光が走る足をゆっくりと下ろした。