第九幕 忍び寄る足音
見ず知らずの少年少女達の中に、放り込まれた神楽坂兄妹であったが、ノリの良さは随一である三門高校2年D組の面々と、宗次朗のフォローもあって、最初こそぎこちなかったモノの、カラオケが終わる頃には、すっかり溶け込んでいる様子だった。
顔が良く紳士的な兄・蔵人に、儚げで守りたくなる系美少女の妹・夕鶴。
二人の人柄もプラスに働き、クラスの皆と終始、仲の良い光景が見られた。
時折、クラスメイトの男子、特に田宮が夕鶴にちょっかいをかけようとして、蔵人が取り乱す場面もあったが、それも含めて楽しい休日だと言えるだろう。
楽しい時間は、アッと言う間に過ぎゆくモノ。
カラオケの後、ゲームセンターで遊んだり、宗次朗に斉門町を案内したりしている内に、日は傾き空がオレンジ色に染まりつつあった。
一部はまだまだ遊び足りない顔をしていたが、それぞれ個人の都合を考え、日が落ちる前に解散する事にした。
皆、変える方向が違うので、駅前で現地解散。
連休の中日にまた、学校で会う事を約束して、宗次朗はクラスメイト達と別れた。
一緒の方向に帰るメンバーもいたのだが、自分から誘ったのだからと、最後まで神楽坂兄妹を見送る事にしたから。
他にもほんの少しだけ、理由はあるのだが。
「自宅からの迎えを呼んだから、ここまでで構わないよ」
駅前のロータリーで蔵人は、通話していた携帯を切り、ポケットへしまう。
夕暮れ時の駅前は、ゴールデンウィークだからか、やはり人通りが大きく、向こう側のタクシー乗り場やバス停には、長い列が出来ていた。
迎えを待っている間に、兄妹二人は宗次朗の方を振り返る。
「宗次朗。今日は、本当に済まなかった。そして、ありがとう。君のおかげで夕鶴に、妹に良い思い出を作ってやれた」
「私からも、お礼を言わせて下さい。ありがとうございます、宗次朗さん」
そう言って二人は、改めて宗次朗に対して頭を下げた。
誤解から知り合った関係だが、そう言っても貰えるなら誘った価値があったと、宗次朗は照れ笑いを浮かべる。
「気にするな。俺も楽しかったし……それよりも」
言いながら視線を、夕鶴の方へと移す。
屋内では気が付かなかったが、外に出てみると出会った当初より、顔色が悪いようにも思えた。
心なしか息遣いも、ぜぇぜぇと荒い気がする。
「夕鶴、大丈夫か?」
「えっ? ……全然、大丈夫ですよ」
心配げな視線に気づいてか、明らかに無理をして、夕鶴は笑顔を作る。
昔から病弱だったと聞くから、周りに迷惑をかけぬようにしているのだろう。
当然、兄である蔵人は、夕鶴の強がりに気づいている。
「疲れたのなら、ベンチで休んだ方がいい……済まない。調子が良いと思って、無理をさせ過ぎたようだ」
「そんな……大丈夫。大丈夫だから、蔵人」
労わる蔵人に、夕鶴は弱々しい笑顔を見せた。
折角楽しい雰囲気で終われそうだったのに、水を差したくなかったのだろう。
それがわかるからか、蔵人も強く休むことを勧められず、口を噤んでしまった。
「相手に心配をかけてる時点で、それはもう大丈夫じゃないんだ。夕鶴」
見兼ねた宗次朗が、少し厳しめの口調で、夕鶴をそう諌める。
二人の少しびっくりしたような視線が、宗次朗に向けられた。
「別に難しい事を言っているわけじゃない。疲れたから休もう。お腹が空いたから、何処かお店に入ろう。それと同じ事だ」
「でも。私、蔵人や皆さんに迷惑や心配をかけたくなくて……」
「うん。俺もそうだ……だからさ」
ぽんぽんと優しく、宗次朗は夕鶴の頭を優しく撫でる。
「全員にそうしろとは言わないから、家族である蔵人と友達の俺くらいには、心配させてくれないか?」
「……宗次朗さん」
頭を撫でられた夕鶴は照れ臭いのか、視線を伏せてから、コクっと小さく頷いた。
少し気安いかとも思ったが、嫌がられなかったので良いとしよう。
双子という事で、年齢は宗次朗と同じなのだろうが、病弱故の儚い雰囲気があるからか、自然と年下のように扱ってしまう。
ましてや宗次朗にも妹がいるので尚更、そういった態度が出てしまうのだろう。
実の妹とは、まるっきり正反対の性格をしているが。
そろそろいいかと、撫でてくる手を離すと、夕鶴の口から「あっ」という寂しげな声が零れた。
「な、なんでもありません!」
顔を真っ赤にした夕鶴は、慌てた様子でそう誤魔化した。
「ん、んんッ! 夕鶴。お言葉に甘えて、ベンチで休んでなさい」
「は、はい」
露骨な咳払いをして蔵人が促すと、夕鶴は真っ赤になった顔を隠すようにして、直ぐ側に設置してあるベンチに向かった。
蔵人の態度に、宗次朗は苦笑を漏らす。
「何もそこまで嫉妬しなくても、いいんじゃないか?」
「嫉妬するだろう! 夕鶴は、世界で一番可愛いからな!」
清々しいまでのシスコンっぷりだ。
チラッとベンチに座り、息を整えている夕鶴に視線を向ける。
「……夕鶴は、そんなに身体が悪いのか?」
ずっと気になっていたことを、口に出して聞いてみた。
体調を崩したからでは無く、皆と遊んでいる途中も、蔵人は常に夕鶴に様子に気を配っていた。
宗次朗にしか気づかれない程なので、気遣われている本人も知らないのだろう。
シスコンや過保護で片づけるには、少々過敏のように宗次朗には思えた。
「聞き辛い事を、率直に問うんだな」
「気分を害したんなら謝る。気になっただけだから、答えなくても構わない」
「いや……」
蔵人もベンチに座る夕鶴に、視線を向けた。
何処か寂しげな、自分の無力さを痛感するような、そんな横顔だ。
「生まれつきの、先天的な病を患っていてな。酷い時は、何ヶ月もベッドの上から、起きれない時期もあった」
「でも、良くなってるんだろ?」
蔵人は首を横に振った。
「成長して体力が付いてきたから、多少の抵抗力はあるが、油断すると急激に体調を崩す可能性がある。治療法も確立していないので、現代の医学では現状維持が精一杯だそうだ」
「……そうか」
短く、それだけを呟いた。
こんな時に、何て声をかければいいのか、宗次朗の限られた知識には無かった。
慰めも励ましも同調も。思いつく言葉は全て、何処か的外れで浮いている。
湿っぽい雰囲気になったのを気にしてか、蔵人は無理やりな笑顔を作った。
「そんな顔しないでくれ。直ぐに命に別状が出るような状況じゃないんだ。それに、何度も言う通り、今日は今までに無いくらい体調が安定しているらしい」
「じゃあ、新しい医者が診てくれた甲斐が、あったと言うモノだな」
少し前に話した会話を思い出し、特に何の理由も無く口にする。
すると何故だか。蔵人は酷く怯えた様子を見せた。
思わぬ反応に、宗次朗は眉根を寄せる。
「蔵人?」
「い、いや、何でも無い。相手方のご厚意に甘えっぱなしで、申し訳ないなと思っていたんだ」
それだけ言って、蔵人は口を噤んでしまった。
何か言い辛い事だったのだろうか?
話せない事情でもあるのかと察し、この件に関しては深く追求はしないことにした。
若干、重い雰囲気を引き摺りながらも、携帯番号やメールアドレスの交換、他愛の無い会話していると、不意にロータリーに、黒塗りの外車が侵入してくる。
視線を向けた蔵人の様子から、アレが迎えの車なのだろう。
随分と高そうな外車。
予想はしていたが、神楽坂兄妹は、良家の生まれのようだ。
「どうやら、来たようだな……夕鶴」
ベンチに座っている夕鶴に声をかけてから、改めて宗次朗の方に向き直る。
「それじゃ、お別れだな宗次朗。何かあったら、気軽に連絡をくれ。出来る限り、力になろう」
「それはこっちも同じだ。休業中に付き、忍びは何でも手を貸すよ」
「私も、メールします。だから、宗次朗さんもたまにでよろしいので、送ってくれるの嬉しいです」
車に乗り込む為、近寄ってきた夕鶴もそう言ってから、蔵人の隣に並ぶ。
シスコンの蔵人は微妙そうな顔をするが、妹の手前、咎める事も出来ないのだろう。
「……常識の範囲で、頼むぞ?」
「はいはい」
睨まれてしまったので、肩を竦めながらそう返事をした。
黒塗りの高級外車が、音も無く静かに、蔵人達が立っている近くに横づけされる。
「では、またいずれ」
「ご機嫌よう、宗次朗さん」
「ああ、またな」
車に乗り込んで行く二人を、手を振って宗次朗は見送る。
ドアが閉まると、エンジン音を鳴らして、高級外車は静かに出発していった。
窓越しに手を振る夕鶴の姿が見えたので、答えるようもう一度手を振る。
ロータリーを左折して車が見えなくなると、宗次朗は振っていた手を下ろした。
「……さてと」
一人、ロータリーに残った宗次朗は、大きく息を吐いてから、着ているパーカーのポケットに両手を突っ込む。
ゴールデンウィーク初日は、とても充実した気分で日が落ちていく。
こんなに楽しい休日は、宗次朗にとって生まれて初めてだった。
初めてのカラオケに、初めてのゲームセンター。初めて尽くしだった上に、今日は他校の生徒とも友達になれた。どちらかと言えば、咲耶寄りの仲間で、クラスメイト達に負けないくらい、個性の強い双子の兄妹だ。
多少のトラブルはあったが、これも青春のスパイスだろう。
クスッと笑みを零してから、視線を鋭くして、浮かんだ笑みを打ち消す。
「……まだ、トラブルは続きそうだけどな」
視線は向けず、背後の気配だけを探る。
駅前で人の往来の多さに隠れるよう、ジッと此方の様子を伺う一団がいた。
素人同然のお粗末な監視ではあるが、滲み出る悪意には、嫌なモノを感じる。
「…………」
意識のスイッチを入れ替えるよう、背後を警戒しながら、宗次朗は気づかないフリをして歩き始めると、監視する連中も動き始める。
どうやら狙いは、宗次朗で間違い無いようだ。
★☆★☆★☆
宗次朗が向かったのは、駅の構内では無く五分ほど歩いた先にある公園だ。
公園と言っても小さい物では無く、遊歩道やボート乗り場がある大きな池も存在する、自然公園のような場所。賑やかな斉門町の中で、ちょっとしたピクニック気分が味わえる、緑豊かな憩いの場と言えるだろう。
ゴールデンウィーク期間中は、この場所にも大勢の人々が安らぎを求め詰めかけるのだが、今は夕暮れ時だからか、人の姿はまばらだった。
遊歩道を一人歩く宗次朗は、大きな池が見渡せる場所で、周囲に無関係な人影が無いのを確信してから足を止める。
「俺も暇じゃ無いんだ。話があるなら、堂々と姿を現したらどうだ?」
駅からずっと付きまとう人の気配に向け、宗次朗はそう言い放つ。
返事は無い。
日が落ちて気温が下がり、肌寒い風が公園の木々を揺らす。
黙って数秒待つと、背後から数人の足音が聞こえた。
「なんだ。気づいてたのか、兄さん」
野太い男の声に、宗次朗は背後を振り向いた。
姿を現したのは四人の男と、一人の少女。
その内三人には、見覚えがあった。
「ピースさん。アイツっす、あのガキ」
「……お前、夕鶴に絡んでた連中か」
憎々しい視線で睨み付け指を差す男に、宗次朗は呆れ顔で片目を瞑った。
四人の男の内三人は、夕鶴をナンパしようとして、宗次朗と蔵人に撃退されたチャラ男達だ。
彼らはピースと呼ばれた男の背に隠れるようにして、敵意の籠った視線を向ける。
「ふぅ~む。なんだ、お前ら。あんな普通の兄ちゃんにやられちまったのか」
意外そうな声を漏らし、ピースはスキンヘッドの頭を掻いた。
ピースという男の外見は、一言で言えば黒人のバスケット選手のような風貌。
色黒のスキンヘッドで、日本人離れした身長と体格を持つ。柔道部の大和田より、ずっとゴツイ身体つきをしているだろう。
ただし、名前や風貌に対して、顔は完全に日本人だった。
不釣り合いな顔と外見に、宗次朗は目を細める。
「……アンタ、日本人なのか? それとも、ただのハーフなのか?」
「おいおい。この状況で、まず言うことがそれかよ。恍けた兄ちゃんだなぁ」
背後で睨み付けてくる男達とは対照的に、ピースは何処か呑気な様子で、スキンヘッドの頭をぺちぺちと叩いた。
宗次朗の反応に、ケラケラとおかしそうに笑うのは、もう一人の少女。
棒付きの飴玉を舐めながら、剣呑な場の雰囲気を無視するよう楽しげに笑う。
「ハハッ! ピース先輩、日サロで肌焼いてるエセ黒人っすから。ああ、自分。桂木樹里亜って言うんすよ、よろしくセンパイ♪」
ピースとはまた違った馴れ馴れしさで、樹里亜はニッと飴玉を咥えたまま微笑む。
両耳にピアスを幾つも開け、ナチュラルメイクを施したショートヘアの今風の少女。
都会っ娘らしく、出で立ちからしてオシャレだが、決してケバ過ぎ派手過ぎにならないのは、本人の元から持っている素材と、センスが良いからなのだろう。
文句なく美少女と言って良い、中学生女子だった。
明らかに場違いな樹里亜の存在に、ピース以外の男達も戸惑った様子を見せる。
「お、おい。何で樹里亜さんまで、ここにいるんだよ?」
「知らねーよ、勝手についてきたんだからよぉ」
「ヤベェよ。ピースさんはともかく、樹里亜さんは加減を知らねぇからなぁ……あの人は、化物じゃねぇか」
三人が何やらひそひそと話しているのを、樹里亜は目敏く聞きつける。
「なぁに? ジュリの悪口? 文句があるなら、テメェらからぶち殺してやろうか」
にこやかな笑顔で物騒な単語を口にすると、三人は青い顔をして慌てた様子で、首を思い切り左右に振った。
「おい、桂木。ウチのチームの連中を、恫喝すんなよ。そもそも、なぁんでお前が付いて来てんだ?」
「はぁ? んなもん、面白そうに決まってるからじゃないっすか。それとも、もしかしてアレですか?」
ギロリと、中学生とは思えないほど、迫力のある眼光をピースに向ける。
「ピース先輩、ジュリのする事に、文句でもあるんすか?」
「い、いや。そんな事はないぞ、うん」
スキンヘッドに冷や汗を浮かべながら、ピースは薄ら笑いを浮かべた。
随分と奇妙な力関係に、宗次朗は訝しげな表情をする。
「アンタらの関係は知らないが、要するに仲間がやられた敵討ちをしに来たってわけだろう?」
「そっすよ~。ああ、ジュリは~関係無いっすけど。でもセンパイ、馬鹿っていうか不幸っていうか、とにかく運が無いっすよねぇ」
小馬鹿にするよう、樹里亜は笑う。
「間抜けな正義感だして、人助けなんかしてるから、余計な恨みを買うんすよ。ピース先輩、面倒見が無駄に良いっすから、この人らがどんなに屑でも、泣きつかれたら助けちゃうんすよ」
屑扱いされ男達は表情に不満の色を露わにするが、樹里亜を恐れているのか、何も言わずに口を噤んでいた。
底の読めない言動を繰り返す樹里亜に、やれやれと肩を竦めながらピースが前へ出る。
「そういうわけだ。まぁ、悪いとは思うが、俺らも舐められたら終わりなんでね」
そう言ってピースは、ポキポキと拳を鳴らす。
佇まいからして、後ろの男達など比較にならないくらい、腕が立つのだろう。
樹里亜は棒を指先で抓み、口内の飴玉を転がす。
「折角見に来たんだから、簡単にやられないで下さいよぉ? ジュリ、人が嫌がってるのや痛がってる姿を見るの、大好きなモンで」
「そこまでやるつもりは無いが、骨の一本くらいは覚悟……」
「ペラペラペラペラ、さっきからよく回る口だなお前ら」
言葉を遮った宗次朗の姿は、もう既にピースの正面にあった。
何時移動したのか。この場にいる全員が、そのことに気づけなかったのは、驚いた表情で凍りつく姿を見れば一目瞭然だ。
宗次朗の手はピースの服の襟首を握っており、それを下に引きながら同時に足を払う。
「――うおわっ!?」
踏ん張る事の出来ないピースは、引き摺られるまま顔面から地面に倒された。
まさに、一瞬の早業。
もっとも、宗次朗からしてみれば、敵対者を目の前にして、流暢に喋っているピース達の方が迂闊なだけと言える。
一般市民に、そのレベルの警戒心を求める方が間違っているが。
「…………」
樹里亜は唖然とした表情のまま、口内の飴玉を転がす。
男達三人の方は、既に戦意を喪失しているのか、顔面蒼白のままジリジリと後ろに下がっていく。
宗次朗は鋭い視線で、樹里亜を射抜く。
「どうする中学生。回れ右して帰るんなら、今の内だぞ?」
女子中学生相手でも容赦無く、宗次朗は殺気の籠った視線をぶつける。
忍びの修業で培った宗次朗の本気の睨みに、素人が容易く耐えられるわけが無い。
これで逃げてくれるなら、面倒が無くて安心なのだが、目の前の女子中学生、桂木樹里亜は、どうも普通とは毛並が違ったようだ。
「……へぇ」
頬を吊り上げて、楽しげに嗤うと、自分の左腕をギュッと握りしめた。
楽しい玩具を見つけた。そう言いたげな深い闇を宿す不気味な視線で、殺気の籠る宗次朗の眼光を、真正面から受け止める。
どうやらこのトラブル、一筋縄では行かないらしい。