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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第四十三幕 散りゆく栄華 -燃える百年の都-

五月十四日。

近江国・大垣城


東海四カ国の雄・織田信長は、大垣城を包囲していた六角承偵を新型の大鉄砲を用いて撃破した。秋山信友は大垣城の救援が不可能なのを悟ると兵力の温存を図って可児へと退き、美濃での戦いを制した信長は、その足で大垣城へと入った。その後、岐阜へ戻ると思いきや意外にも信長は大垣にて指示を出し始め、その場を動こうとはしなかった。


信長が最初に出した命令は情報収集である。数日間を情報収集に費やし、今後の方策を練っていた。外では連日のように雨が降っており、湿気が辺りを立ち籠めている。時節は梅雨に入っていた。


「どうやら信玄めは信濃へ戻ったようです。残った部隊は秋山信友が率いており、信友は岩村城まで後退したようにございます」


河尻与兵衛秀隆が帰還して報告する。秀隆は岐阜の留守居役の林佐渡守秀貞と共に信長の許へと呼び出されていた。


「信玄坊主め。悪足掻きを致す」


信長は吐き捨てるように言った。


戦の前に信玄がいなくなっていたことに織田方の者たちは気付いていないが、信玄が信濃へ戻った理由は推測できる。甲斐の謀叛を平らげ、その兵を以って逆転を図るつもりなのだ。それを信長は、悪足掻きと表現した。


既に信長の興味は、信玄にはない。


「奴らの主力は摂津、近江の一向門徒どもだったはずだ。兵站が断たれても尚、武田に従っておるのか」

「一部の信仰心に篤き者たちが共に岩村へ入ったようにございますが、大半は逃げ出しております。それよりも問題なのは、軍列を離れた一部の兵が賊徒化して治安を乱しておることです」

「ふん、迷惑なことだ」


秀隆の報告に、信長は不満そうに鼻を鳴らした。


敵の数が減るのはいい。これから西へ向かう信長としては、美濃に張り付けておく兵が少なくて済む。しかし、逃げ出した兵が人々に乱暴を働くのは論外である。他人の領地ならいざ知らず、ここは織田領であり信長の御膝元なのだ。如何に敵がやったこととはいえ、その批難の矛先が最後には信長へ向けられることとなり、不満が頂点に達すれば一揆へと発展する。そうなれば厄介で、早い内に処理しておく必要があった。


「佐渡は今のまま岐阜に残り、与兵衛は鶴ヶ城で武田を見張れ。村や領民を襲う不埒者どもは有無を言わさず斬り捨てよ」

「はっ。畏まりました」


林秀貞、河尻秀隆が頭を垂れて承諾の意を示す。


「して承禎めは何れに逃げた?やはり義治のいる観音寺か」


信長は木下秀吉の方へ視線を移し、問う。西側の偵察は、秀吉が担当していた。


「そのようです。されど百済寺の僧兵どもは寺に戻った様子にて」

「構わぬ。どの道、同じ運命を辿るのだ」


途端、信長の眼に狂気が浮かび上がった。その冷徹な視線をまともに受け止められる度胸が秀吉にはない。堪らず顔を伏せ、身を縮こまらせた。


信玄の帰国と秋山信友の岩村退転、六角承禎が観音寺へ逃亡したことの他にも情報は入っていた。特に重要だったのが飛騨の一件だ。飛騨では規模が小さいものの江馬時盛が武田と結んで姉小路から国を奪うべく相次ぐ合戦を繰り広げていたが、時盛が息子の輝盛に暗殺されるという事件が起こると事態は急変した。輝盛は以前より武田に与することに反対の立場で、美濃での情勢に決着がつき、信玄の影響力が低下したのを機に父親の暗殺を決行したのである。今後の情勢は見極めねばならないが、概ね飛騨は幕府方で纏まるかに思えた。


隣国の脅威が薄れた美濃では、信長の許へ馳せ参じて来る者が増え、金銭による募兵も行ったことにより織田の兵は僅かに増え、二万近くにまで回復していた。これが今の信長に動かせる限界である。


「ならば明日にでも近江に入る」


周辺の状況が解決に向かう中で、信長は近江入りを宣言する。それに対し、家中からは疑問の声が上がった。代表して意見をしたのは、同じく犬山から合流した佐久間信盛である。


「畏れながら、今こそ武田に奪われた東濃を取り戻す絶好の機会ではないでしょうか」


信長の不在時に何も出来なかった失態をここで取り戻そうとしたのである。信盛にしてみれば信長が近江へ向かうとは思っておらず、当然なように主が失地回復に動くと考えていた。近江も失地ではあるが、美濃は本拠地である。優先順位が逆だと思った。


「今はその時ではない」

「されど岩村の兵は日夜、減り続けているとのこと。充分に奪還は可能です」

「可能かどうかを論じているのではない」

「ならば伊勢は?滝川殿への支援が必要なのではございませぬか」

「彦右衛門は泣き言の一つも申しておらぬ。うぬと一緒にするな」


信長は怒気を滲ませ、言い放つ。信盛が不満そうに表情を歪めた。一瞬にして、張り詰めた空気が座を支配する。信盛は信長が帰還した際に折檻を受けており、大垣の回復にも大して役に立っていない。それなのに宿老としての責任か面子なのか判らないが、主の決めた方針に口を出してくる。


信長の顔には明らかな怒りの色が見えた。


「先陣は、是非それがしに御命じ下さい!」


それを一気に払拭したのは、秀吉だった。唯一、この中で信長の目線が京へ向いていることを知っている者としては、ここが勝負どころだ。普段は務めない先陣へ自ら名乗り出る。無論、近江留守居役を務めきれなかった雪辱が動機もあるが、元来より面子などに拘らない生き方をしている男は、この先駆けが出世の道を開くことを本能で悟っていた。


隣では信盛が密かに安堵の溜息を漏らした。


「私情を挟む者には任せられぬ」


だが上手く場を回避した秀吉へ対する信長の返答は、痛烈な拒否だった。秀吉の考えていることは、己の名誉を挽回する事と出世への我欲。どちらも個人的な事情である。大事な戦の前に自分のことしか考えない者を信長は前線に送るつもりはない。必ず功を焦り、全軍の足を引っ張るからだ。


「御安心くだされ。我が幕下には冷静沈着な竹中半兵衛がおりまする。半兵衛ならば、拙者の軽挙妄動など悉く諫めてくれましょうぞ」


それでも秀吉は執拗に食い下がった。これを逃せば出世が遅れる。今こそ西征に動員され、この場にいない上役連中へ追いつく絶好の機会なのだ。逃してなるものかという思いが強かった。


「ふっ、猿め」


自信満々に他力本願を宣言する秀吉を見て、信長の口元が緩む。それから信長は秀吉の先陣を認めると言わなかったが、認めないとも言わなかった。


(これは機嫌がよいな)


信長の態度を見て、そう秀吉は判断した。


家中では、あの鬼柴田すら震え上がらすほど恐れられている信長とて、人である。難局を切り抜けられて嬉しくない訳がない。しかも今回は、あの武田信玄との合戦に勝利したのだ。その喜びは一入(ひとしお)の筈だ。ならば、多少はおどけて見せたところで不興を買うことはないはず。


それに秀吉は信長が自分を近江の先陣に望んでいるという読みもある。秀吉は近江の留守居役であったし、今回は物見も命じられている。近江の情勢に明るい秀吉が先陣を任されるのは、自然なことだった。


「竹中、西へ赴く前に信玄坊主の動きを封じておきたい」


信長が秀吉の後ろへ座す竹中半兵衛を指名し、献策を命じる。間髪入れず、半兵衛は答えた。答えると判っているからこそ、信長は訊いたのだ。


「新型の大鉄砲を使えば、岩村の者たちは抑えられます」

「で、あろうな。だが甲斐の謀叛が鎮まり、信玄坊主の援軍が参れば如何にする」

「どうにもなりません。武田殿の武略は天下で五指には入ります。それを寡兵で押し止める策を私は持ち合わせてはおりません」

「つまり寡兵でなければいいということか」


遠回しな物言いを嫌う信長だが、不思議と半兵衛の言葉には苛立ちを覚えなかった。半兵衛の言には何気ないようで本質が含まれている。互いに頭が切れる者同士、充分に会話が成立する。


「御意にございます。要は甲斐の謀叛が続けばいいだけのこと。伊那郡で決起した者たちを密かに支援いたしましょう。徳川様の御協力を頂ければ、さほど難しくはありますまい」


と言って半兵衛はちらりと家康を見る。家康は眠っているかのように深く眼を閉じ、軍議の行方を見守っている。


信濃国伊那郡は三河と接している。その領主たる家康の家臣には、伊那で挙兵した小笠原信嶺や藤沢頼親と繋がりのある者が少なからずいるので、彼らを使おうと言うのである。具体的には兵糧や弾薬を流す、こちらで牢人どもを雇い入れて遣わせてもいい。幕府方からの支援と言えば、拒みはしないはずだ。


「織田殿の御随意に……」


周囲の視線を感じた家康は、低頭して信長への協力を約束した。


「……足りぬ」


しかし、信長は不満だった。伊那郡の謀叛を煽ったところで、信玄が義信を倒してしまえば意味がない。当然、半兵衛もそれは判っている。


「飛騨口より兵を入れます。武田殿も背後に織田の兵がいると判れば、甲州殿との合戦にも踏み切れられぬかと。同時に美濃での敗戦を喧伝し、調略も仕掛ければ、より効果的でしょう」

「それでよい」


信長は満足そうに頷き、半兵衛もホッと肩の力を抜いた。だが、これは油断だった。


「だがこちらの兵は割けぬ。お主が飛騨に出向き、姉小路と江馬から兵を出させよ」


過酷な命令に、再び半兵衛は肩に力を入れる。


信長の言いたいことは判る。飛騨での争いが終息へ向かっているのなら、兵は余っている。そこから出させろというのだ。しかし、現実はそのように簡単ではない。両者の(わだかま)りは消え去っていないし、一部では時盛に味方して反抗を続ける者もいるだろう。また織田のために都合よく兵を出してくれるとも思えない。


(私は近江にて武田殿を止められず、中川殿を見捨てるしかなかった。その責任を取れということか)


近江での失態を信長は忘れてはいない。死力を尽くしたのだろうが、全ては結果だった。近江を失った以上、その反抗の中心にあった半兵衛の責任は重い。故の過酷な沙汰だ。義輝が信長へ敗戦の責任を問うたと同じように、信長もまた配下に責任を問わなくてはならない。


「御屋形様!半兵衛がいなくては、この秀吉が困ります」


ここで半兵衛へ助け舟が出た。秀吉にしてみれば、先ほど先陣を許されたのは半兵衛同伴だからという思いがあるし、軍略の大半を半兵衛に委ねていた木下隊は、半兵衛を取られれば力が半減してしまうという事情もあった。


「それが何だ。うぬが困らぬよう気を引き締めて懸かればよいだけのことではないか」


それらを無視して、信長は秀吉を冷たくあしらう。貴様も半兵衛と同罪だと言わんばかりだ。


近江失陥の責任は半兵衛よりも留守居役たる秀吉に求められる。そんなことを忘れて半兵衛を庇う秀吉に信長は腹を立てている。ただ信長は罷免するとか腹を切るとかいう武家に於ける一般的な責任の取り方を嫌う。責任は、働いて返すべきというのが信長の考えだ。


今回のことは、半兵衛を秀吉から引き離すことにより余裕をなくさせるのが目的だった。こうなれば秀吉は“出世”などという余計なことを考えられなくなるし、勝ち戦で気を緩ませていた家中へ対する戒めにもなる。一連の流れは全て、信長の演出だった。らしくないことをしたと、本人も思っている。それは、それだけ織田家を取り巻く情勢が厳しかったことの裏返しでもあった。


「そ……そうで、ございますな……。は……はは……」


秀吉は苦笑いを浮かべるしかなかった。


こうして織田軍は近江へと入った。美濃には林秀貞ら五〇〇〇を残しての失地回復戦である。この日を境にして京より東の勢力図は大きく塗り換わることになる。


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五月十七日。

越前・一乗谷城

  

手取川、九頭龍川と二度も続いて敗戦を喫した朝倉義景は這々の体で一乗谷に戻った。


「不甲斐ない奴らめ。せっかく儂が有利な状況を作り出してやったのに、こうも簡単に敗れるとは。帰ってきたならば相応の責任を取らせてくれる」


戦場から逃げてくるなり不満を口にするばかりで、兵の収集や籠城の備えに指示を出すこともなく奥へと引っ込んでしまった。奥には側室の小少将がいる。義景の家臣・斎藤兵部少輔の娘で、まもなく出産を迎える身だ。現実を逃避し、いつもの日常に戻りたかった義景は、こんなときに愛妾に会いに行った。城下では上杉襲来に脅える領民たちで大騒ぎになっているにも関わらずの行動に側近たちは呆れ返った。


「御屋形様はいつものところじゃ。儂らで対策を講じるしかあるまい」

「だが対策と申しても上杉を防ぐ手立てがあるのか」

「今のところは何とも言えぬ。されど兵がおらねば始まらぬ。一先ず、諸将には一兵でも多く掻き集めて一乗谷へ入って貰うしかあるまい」

「それしかないな」


ともかく時間との勝負だった。九頭竜川は一乗谷から近く、長くても一日も経てば上杉が姿を見せる。それまでにどれだけ兵を集められるか。


鳥居景近と高橋景業は、主に成り代わって籠城の準備に忙しく働く。しかし、思うように兵が集まらなかった。朝倉景健や景綱、魚住景固などがそのまま自領へ引き揚げてしまっていたのが主な理由だ。他にも重臣の中で一乗谷へ顔を出している者は少なく、二万の陣容を誇った朝倉軍は五〇〇〇にまで減っている。もはや軍勢としての体を成していなかった。朝倉家の崩壊は目前かに見えた。


それから一日が経っても上杉は攻めて来なかった。攻めて来ないどころか九頭竜川を越えておらず、そのまま加賀へ撤退したという報せが届く。この事に朝倉の者たちは一斉に首を傾げたが、彼らがホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。


余裕を取り戻した景近と景業が、出て来ない連中の扱いについて相談する。


「どう致す?」

「どうと申されてもなぁ……、御屋形様の名で催促を促すぐらいしか出来ぬが……」

「無理強いをせぬ方がよいのではないか。西征の折より家中の負担は増しておる。幸いにも上杉は攻めて来ぬようだし、今は少し様子を見ては如何か」

「そうだな。それがよいかもしれぬ」


景近と景業は互いに視線を交わし合い、コクリと頷いた。側近といえども権限が付与されているわけではない。義景が奥から出てこない以上は家中に対して強く出られなかった。もし強気に出て臍を曲げられてしまえば城の守備すらままならない。それを恐れたのだ。


「ともあれ去ってくれるのならば、助かった」


景近は思わず本音を漏らした。


助かったと思っているのは、攻められれば勝てないと自認しているからに他ならない。二度の合戦は、何れも兵力で朝倉が上回っていたにも関わらずに一方的な展開で進み、押しに押されて敗北したのだ。小島弥太郎を討って一矢報いたと言えば聞こえはいいが、失った将の数に比べれば大した戦果ではない。もう何をやっても敵わないという思いが強い。軍神の名は、やはり伊達ではなかったのだ。名将・朝倉宗滴を失って、朝倉軍は確実に弱くなっていた。


そんな中で漸く義景が表に出てきたかと思えば、堀江景忠を討つと言い出した。


「景忠は手取川に於いて無断で兵を退いただけでなく、九頭竜川にも参陣しなかった。許すことは出来ぬ」


義景の主張を景近と景業の二人は黙って聞いていた。義景は奥に引き篭もって小少将相手に愚痴を零している内に自分に恥を掻かせた元凶を景忠と断じたのだった。


景忠は明確に上杉に与したわけではないが、義景には敗戦による鬱憤が溜まっている。不幸にも、その矛先が景忠に向いた形となった。しかも間の悪いことに九頭竜川で景忠と同じく無断で戦線を離脱した溝江長逸が“景忠に謀叛の気配あり”と義景へ報せてきたから厄介だった。事の真偽は定かではないが、上杉が去ったことにより長逸の立場が悪くなったのは間違いない。去った上杉に与する訳にもいかず、かといって朝倉に戻れば責任を追求されるのは明らか。そこで長逸が思いついたのが景忠に全ての責任を押し付けてしまうことだった。実際に景忠には謀叛の気があったので、長逸の言葉を義景は真に受けてしまった。


「御屋形様。まずは詰問使を送られては如何です」

「ならん。儂の命を軽んじたこと、身を以って思い知らせてくれる」


敗戦の傷は大きく、兵を動かすことを嫌った景近は主へ制止を促すが、義景は聞き入れなかった。


「某は賛成にございます。此度の事は、家中へ対するよい示しとなるでしょう」


一方で景業は賛意を示した。


景業の狙いは、義景の命令に従わない者たちへの見せしめである。いま朝倉家は揺らいでいる。当主の命令が絶対ではなくなり、相次ぐ敗戦で統制が利かなくなりつつある。つまり景忠は、朝倉が結束を保つための人柱とされたのである。


鬱憤を晴らすべく義景は二十日になって自ら出陣する。この決断が、朝倉家の滅亡を決定づけることになるとは誰も予想してはいなかった。


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五月十八日。

近江・佐和山城


近江に入った信長は、まず佐和山城を接収した。佐和山城は浅井家の磯野員昌が城主を務めている城だが、員昌は西征に動員されていて不在である。留守中は浅井久政の命令により謀叛方の拠点となっていたが、一時的に山岡景隆が奪取した。その後、近江失陥により城は放棄されて再び浅井の手に戻ったが、久政が捕らえられると事情がガラリと変わることになる。


「織田様に抵抗は致しませぬ。御自分の城と思し召し、如何様にも御使い下さい」


城代の男は、勝手な判断と理解しつつも信長の要求に応えて城を開けた。


信長は幕府方であり長政の義兄、そして久政の生殺与奪の権利を持っている。信玄が美濃で破れ、戦局が大きく幕府方へ傾いた今となっては織田家に抵抗する理由が浅井にはないと判断してのことだ。


「上様は如何されておる」


佐和山に入った信長は、義輝の動きについて訊いた。謀叛方であった浅井の者ならば、摂津の状況が逐一届いているはずと考えての問いである。


訊かれた男は、知り得る限りの事を話す。


「丹波に兵を入れられたとか。一色義道殿が討たれ、丹波一国はほぼ公方様の手に帰したと聞いております」

「一ノ谷は?」

「依然として睨み合いが続いているだけで、動きはございませぬ」

「どういう事だ。丹波を手にしたというのに、兵を動かさぬ理由は何だ」


丹波を平定したのなら、二方面から京を窺うことになる。京には大した数の敵はいないはずなので、いま進撃すれば勝利は疑いない。そもそも丹波に兵を入れること自体、京への侵攻が予定されていなければ価値のない戦でしかならない。


その理由を男は知らない。あくまでも推察の域を出ないと前置きをしてから答える。


「しかとは判りかねますが、去る三月の末頃に公方様に御嫡男が御誕生なされました。それが理由ではないかと」


この時、信長は義輝に子が生まれたことを初めて知った。嫡子の誕生は幕府方の者にとって重大事であるが、さほど信長は興味がないようだった。


「その事を上様はご存知なのか」

「御承知のはずです。松永殿が直に御伝えしたと聞いております」

「松永……久秀か」


久秀の名を聞いて信長の眼が鋭くなる。その凄みに浅井の者はただただ目を伏せるばかりであった。


義輝が久秀を深く恨んでいることは信長も承知している。その久秀が直に伝えたとなると、義輝と会って生きていることになる。その度胸は敵ながら買うが、殺されなかった理由を想像するのは難しくない。


「市の顔が見たくなった」


暫くして信長が口に出した言葉に城代の男はポカンと口を開けたまま呆けてしまった。意味が理解できずにいるところを横から秀吉が補足する。


「ほれ。小谷へ参ると言っているのだ、道案内をせぬか」

「は……ははっ!!」


叱り声に驚き、城代の男が慌てて飛び出していくと信長は家康の方へ向き直った。


「徳川殿は佐和山にて過ごされよ。ちと市の顔を見て参る」

「それは残念、手前も久々に於市様の御会いしとうございましたのに」

「ふっ。近々、その機会でも設けようぞ。来年の正月は岐阜に身内を集め、盛大に祝うとしよう」

「それは楽しみにござる」


と言って信長は莞爾と笑い、釣られて家康も笑った。


言葉から察するに、信長の中では来年の正月には一連の争乱は収まっていると考えているのだろう。それは家康も同じようで、特に驚いた様子はなかった。


「観音寺の六角が動いたなら如何なさいますか」


家康が信長不在時の対処について訊いた。


徳川勢は三〇〇〇でしかないので、六角が反撃に出るとすれば信長の不在時に限られる。それは信長が小谷訪問に織田全軍を引き連れて行くことを家康が気付いていなければ不可能な問いだった。


「その時は徳川殿に御任せする。煮るなり焼くなり好きになされよ。されどこちらから攻める必要はない。佐和山にて、戦の疲れを癒されるがよい」


近江には六角に味方した百済寺の僧兵や勢田に留まっている京極勢がいるので、承禎が寄せてくる可能性は考えられる。しかし、皆無に等しいというのが信長の見方だ。


その日の午後、信長は城を出て北上し、横山城を開けさせると秀吉を琵琶湖畔に建つ山本山城まで先行させた。城主・阿閉貞征は即座に開城を受け容れる。早朝、秀吉は小谷の北にある雨森城、田部山城など周辺の城を手当たり次第に接収してから虎御前山に布陣する信長に合流した。秀吉が戻ったことを確認した信長は、小谷城へ使者を派遣した。もちろん秀吉が担当である。


「玄蕃頭殿。城を開けて頂けますかな」

「…………」


織田の要求に小谷の留守を預かっている浅井政元は難色を示した。開城そのものを拒んでいるわけではない。兄である長政が幕府方にいる以上は浅井の改易はないだろうが、自分を含めて謀反方に与した連中が咎めを受けるのは確実だ。もはや織田家に縋るしか道が残されていないことは政元も判っている。


気がかりは、父・久政の事だった。


「父上は何処におられます」

「下野守殿は、戦で受けた傷が元で清洲にて静養して頂いております」

「それほど具合は悪いので?まさか命に関わったりは……」

「ははは、ご心配はござらぬ。傷と申しても大した事はなく、すぐに完治なされましょうぞ」


本当は軟禁されているだけだが、外聞もあるので秀吉は方便を使った。真に受けた政元が心配そうに表情を曇らせるが、秀吉は笑って誤魔化した。


「それは安心いたした。されど傷が浅いのであれば、小谷にて静養して頂くのは無理にござるか。代わりと申しては何ですが、於市様には一時的に里帰りをして頂こうと考えております」

「ほう……里帰りのう」


秀吉の声が途端に低くなる。


政元が開城を呑まない理由は、偏に久政の安否にあった。小谷を引き換えに久政の身柄を取り戻そうと考えていた政元は、於市の里帰りという云わば人質交換を申し出て、久政を取り返そう画策していた。浅井は一時的に小谷を失うことになるが、長政が戻れば返還されるという打算が政元にはある。結果だけを見れば、浅井には得しかない取引だ。


「どうやら立場が判っておられぬようじゃ」


秀吉は大きな溜息を吐き、嘆いた。政元の狙いなど、容易く看破している。


「当家としてはすぐに城を攻めてもよいのだが、同盟国の誼で貴家に降伏を要求しているのじゃ。長政殿の手前、そなたが於市様をどうこう出来る立場でもあるまい。余計なことは考えず、城を開けい」


使者にあるまじき強い口調で、秀吉は言う。政元は眉間に皺を寄せながら、言葉を詰まらせた。追い討ちを懸けるようにして秀吉は続ける。


「下野守殿は信治様を討った。森殿も手にかけておる。それなのに自分だけのうのうと生き長らえようとは虫が良すぎるのではないか。武門ならば、相応の責任の取り方というものがあろう。ましてや下野守殿は大名ぞ」

「……ご尤もにございます。すぐに城を開けますので、織田様にはよしなに御伝え下され」


力なくうなだれた政元は、一転して開城の受け容れを申し出る。秀吉はニッコリと微笑み、満足そうに頷くと政元を安心させようと一言、告げた。


「儂の勝手な予測だが、御屋形様は下野守殿を殺すつもりはないと思う。恐らく長政殿が戻られた暁には、御返しすることになろう」


それを聞いて、政元の表情はパッと明るくなった。


「されど、長政殿がどのように沙汰を下すかは判らぬがな」


ただ去り際に秀吉が呟いた言葉を政元は聞いていなかった。


信治は長政の愛する於市ノ方の兄でもある。義に篤い長政なら、父であろうとも死を命じても不思議ではなかった。


一転して開城を受け容れた小谷城では、夜になると織田の兵でいっぱいになった。そもそも浅井家は一万以上の数を動員することはなく、織田の兵を全て入れるのは規模からいって無理がある。そのために織田兵は周辺の民家を借り切って宿を取る事になった。


城内では、信長を持て成すためにささやかながら祝宴が催された。信長の酌をするのは、妹の於市である。既に子を産んでいるにも関わらず、その美貌は健在である。その於市が重大な報せを兄へ伝える。


「兄上は越前のことを御承知でありましょうか」

「越前?義景がことか」

「左様にございます。朝倉様は手取川で上洛してきた上杉様に敗れたとか」

「ああ、そのことか。無残な負け方をしたらしいな。愚かな男よ」


手取川の合戦は信長の許にも届いていた。それを聞いて信長は呆れたものだ。あれほど近くにいて、義景は上杉の精強さをまったく感じていなかったのか。自分なら武田同様に、三倍の兵と数千挺の鉄砲を用意する。それが出来なければ、出来るまで如何なる手段を講じても日延べする。それをしないまま戦に臨んだ義景は、敗れるべくして敗れたとしか言いようがない。


「ならば九頭竜川での合戦のことはご存知ですか」

「義景が再び謙信と戦ったのか」

「はい。まあ、また朝倉様が敗れたようにございますが……」

「……ちっ」


それを聞いて、信長は思わず舌を打った。幕府方の勝利に何が不満なのか於市は理解しかねたが、概ね人と考えることが逆な兄のことであるとして、気に留めなかった。於市のすべきことは、兄へ情報を伝えること。それから先ことは、兄が考えることである。


「ならば謙信が近江に入るのは時間の問題だな」

「それが……、不思議と上杉様は帰国なされたようにございます」

「なに?戦に勝っておきながら引き揚げたと」

「上杉様の身に何があったのかは知りませんが、引き揚げているのは事実でございます」

「……ふむ」


信長は口を堅く閉ざし、酒宴を余所に思案に耽った。


謙信が引き揚げたというのはどういうことなのか。一時的な撤退なのか。それとも関東まで帰ったのか判らなければ、今後の対応にも違いが出てくる。


「市よ。そのこと、いま少し詳しく判るか」

「報せを届けて参った者がおります」

「ならば呼び出せ。直に話が聞きたい」


すると信長は宴を中座し、外へ出て行ってしまった。次いで於市も退出すると主役のいなくなった酒宴は先ほどとは打って変わって静まり返った。


翌日、信長は越前への遠征を決める。小谷の城主には於市が指名され、その下知に従う旨が布告された。越前攻めの先鋒に命じられたのは、織田に降った浅井の者たちだった。


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五月二十二日。

越前・堀江館


堀江景忠の討伐に向かった朝倉義景は、現地で溝江長逸の出迎えを受けると堀江館の東、溝江館に本陣を置いた。昨日、既に仕寄りは築き終わっているので、すぐにでも攻められる状態にある。義景は使者を送って降伏と謝罪を求めるが、景忠は拒否した。領地の返上が条件だったらだ。


「堀江郷は先祖代々の土地であり、朝倉殿より拝領したものではない。それを返せとはどういう料簡か。欲しくば力ずくで獲ってみろ」


景忠は義景の言い方に怒りを露にした。これに義景も怒りで応じ、両者の交渉は一度きりで終わった。


「始めよ」


義景の号令で、溝江景逸の部隊が楯を構えて館へと近づいていく。戦意が高くない長逸であるが、景忠謀叛を伝えた以上は先手を引き受けるのは仕方ないことだった。渋々配下に命じ、戦端を開く。


「撃て!撃てッ!」


一方で死に物狂いの堀江方の抵抗は激しい。寄せ手の溝江勢へ向けて鉄砲を押し並べて放った。溝江勢は著しく隊伍を乱したが、鉄砲の数が思ったよりも少なく前進を止めなかった。第二射も堪え抜き、大手門に取り付いた。堀江勢は門を突き破ろうと槌を突き出す敵に対して容赦なく矢弾を浴びせる。


「怯むなッ!押して押して、押しまくれ!!」


長逸は大手門の手前まで進み出て兵たちを督戦する。一部の兵が掛けた梯子を登って内部への侵入に成功するが、圧倒的に数が足りずに全滅し、長逸は一時撤退を余儀なくされた。


「兵が足りぬ。どなたかに後詰を御願いしたい」


陣地へ戻った長逸は、味方に助力を願い出た。


「後詰か。して何方が適任であろうか」


堀江館は名前こそ館だが、水堀に塀と一通り揃っている上に北側は竹田川があり、寄せ手の攻撃を防いでいる。景忠からすれば三方のみに兵を集中させていればよく、少ない兵でも守り易い。昼夜を問わずに攻め立てれば籠城方は疲労で抵抗を鈍らせるのだが、相次ぐ合戦で朝倉方の諸将は、それに協力的ではなかった。皆、後詰を譲り合うばかりで名乗り出る者は一人としていなかった。


「何じゃ、お主らは!景忠如きに尻込みか」


堪りかねた義景が苛立った声を出す。


「ならば私が参りましょう」


その声に反応して後詰を申し出たのは黒坂景久だった。景久は九頭竜川の合戦で活躍できずに終わりを向かえ、大して損害を被っていないので他者に比べて余裕があった。ここで後詰くらい務めておかねば、批難の声が集中すると考えたのだ。


そこへ早馬が飛び込む。馬から飛び降りた男は息を切らしながらも報告を始める。その様子から只ならぬ存在が起きたと予想がつく。


「お……織田が攻めて来ました!!」

「織田?」


織田とは信長のことなのだが、それを聞いて織田信長を想像する者は誰もいなかった。朝倉方が掴んでいる情報では、信長は美濃で信玄と戦っているはずである。手取川と九頭竜川の敗戦によるゴタゴタで、情報が義景のところまで届いていなかった。信玄が敗れたこと、織田勢が近江に入っていたことなど越前へは伝わっていなかったのだ。


「織田とは、信長のことか」


戸惑いながらも義景は使者へ確認を取った。


「左様にございます。既に織田軍は木ノ芽峠を越えて、今庄に達しております」

「……何を莫迦な」


突然の報せに義景は信じることが出来なかった。


本当に今庄に織田軍がいるとしたら、越前を半分ほど進んだことになる。仮に攻めてきたことが本当であっても、遅くとも国境を越えた時点で報せてくるはずである。その理由を男は知っていた。


「敦賀郡で、中務大輔様(朝倉景恒)の遺臣が謀反にございます。奴らが織田に通じたため、こちらへの報告が遅れた次第」

「な……なんじゃと!」


余りにことに義景が言葉を失う。


「……織田の数は判るか」


隣で聞いていた景業が男に問いかける。


「正確には判りかねますが、少なく見積もっても一万二、三千。多くても二万には達していないようにございます」


正確な数に開きがあったのは、それだけ慌てていた証拠だ。しかし、最大でも二万であれば手の打ちようがないわけではない。


今やらなければならない事は一つだ。早く一乗谷に戻って籠城の支度を整えることだ。織田の数が二万に届かないのであれば、ここにいる五〇〇〇で籠もれば数日は確実に防衛できる。一乗谷は朝倉が百年をかけて拡張してきた要害中の要害。そこを九頭竜川の後に領地へ引き揚げている者たちが背後を衝けば、充分に勝算はあった。


「御屋形様、急ぎ一乗谷へ」

「うむ」


促されるようにして義景は馬へと跨る。朝倉軍は、たった一度の攻撃だけで堀江館を後にした。


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五月二十三日。

越前・府中


朝倉義景が堀江館を撤退した翌日、織田軍は越前府中にある朝倉の奉行所を占拠した。府中から一乗谷まで半日とかからない距離にある。信長の前には複数の書状が並べられてた。富田長繁、前波吉継、魚住景固が織田への内通を承諾し、朝倉一門では景隆の子・景健や越前国織田庄を治める景綱も主家を見放した。


ここまで信長が首尾よく朝倉方を切り崩せたのは、浅井の将を上手く使ったからだ。浅井と朝倉の付き合いは長く、互いに交流は深い。信長は織田家の者からではなく浅井の者から降伏を伝えることで、彼らの承諾を得た。最初に裏切ったのは敦賀朝倉家である。彼らが織田に通じた理由は怨恨であるので、特別なことは必要なかった。敦賀家は景垙が加賀の陣で景鏡と言い争って自害をさせられたのを始めとして景恒、景紀と相次いで騙まし討ち遭っている。とうとう我慢の限界を迎え、本家に牙を剥くことになった。


敦賀家の謀叛に朝倉の家臣たちは揺れた。立て続けに織田に通じる者が現れ始め、遅れてはならず今も増え続けている。基本的に信長は所領安堵を認めていたので、彼らが傾きかけた主家に従い続ける理由はなかった。所詮、彼らにとっても朝倉の家は外から来た者だ。応仁の乱の時に上手く立ち回って越前守護に任じられたに過ぎず、最期まで忠義を尽くす義理はない。


「このまま一乗谷へ寄せますか」


快進撃に気をよくした秀吉が主に訊く。


「いや、暫く府中に留まる」


しかし信長は、離反者の数が増大して朝倉が自然に瓦解するのを待つ事にした。下手に一乗谷に向かえば、籠もる側としては抵抗するしかなくなる。それよりは抵抗する力を失わせてから攻めた方が楽だ。


日にちが経つに連れて朝倉方を離れる者は増えていく。先日に攻められたばかりの堀江景忠は、渡りに船とばかりに織田へ従う旨を伝え、その景忠を見張るために一乗谷へ入らなかった溝江長逸も織田へ降ることを決断する。一乗谷では味方が集まるどころか兵の離散が止まらず、当初は五〇〇〇いた人数は二〇〇〇にまで減っていた。この数では、広大な一乗谷の防衛は事実上不可能だ。


「御屋形様。もはや落ち延びるしか手はございませぬ」


籠もっても落城するだけと判断した景近と景業は、揃って城を出るように義景へ進言する。


「落ち延びるにても行く宛てがない。下手に誰かを頼っても裏切られるだけじゃ」


裏切りの連続で義景は疑針暗鬼に陥っていた。人を信じることが出来なくなっていたのだ。何処へ行っても無残な末路を迎えると思ってしまう。


「大野郡へ逃れましょう」

「式部大輔(朝倉景鏡)の領地にか」

「はい。式部大輔様は上方におられますので、裏切りを心配なさる必要はございませぬ。今は逃れ、式部大輔様の御帰還を待ちましょう」

「うむ……、そうだな。それがいいかもしれぬ」


義景としても、ここで死ぬのは御免だった。生き残るには、景近の言葉に従うしかないように思える。越前の奥地たる大野郡ならば、いざとなれば平泉寺の力も借りることが出来る。平泉寺は応仁の頃より朝倉家と二人三脚で越前を治め、祈願所にもなっている大寺院だ。往時は僧兵八〇〇〇を抱えたこともあり、協力すれば織田に対抗することも不可能な話ではない。


「大野郡へ落ちる。小少将は輿に乗り先に落ちよ。母上は儂と共に参ろう」


義景は一部の側近と女子供を連れて大野郡へ退去した。それを知った信長は一乗谷へ入る。谷には朝倉の兵が少なからず残っており、織田勢と交戦になるが数の差から討ち破るまで、さほど時間はかからなかった。一乗谷を制圧した信長は、住民に避難を呼び掛けた上で火を放った。


炎は三日三晩と燃え続け、屋形を始め寺社仏閣すらも全て焼けた。かつて義輝が上洛を前に滞在した御所も跡形もなく崩れ去った。朝倉家が百年に亘って栄華を誇り、北ノ京とも呼ばれた都は塵となって消えた。


その後、義景が平泉寺の裏切りにあって世を去るのは、十日後のことである。鳥居景近と高橋景業は主の最期を見届けた後に殉死した。


七転八倒 三十余年中 無他無自 四大本空


最期に残した辞世の句は、人知れず世に埋もれていったという。


ここに越前朝倉家は滅亡した。




【続く】

今回は今までで一番長い回となりました。というのも次回で本作は百話を迎えることとなり、ストーリーを必要なところまで進めなくてはなりませんでした。


さて今回は織田家が飛躍した回となりました。浅井は完全に降伏(といっても長政は幕府方ですが)朝倉家は滅亡しました。朝倉に関しては信長が漁夫の利を得ることになり美味しいところを持っていってしまいました。謙信涙目です。


尚、次回は当然百回目ですので義輝へ場面が戻ることになります。話としても少し長い回を予定しておりますので、次の投稿までお待ちいただければと思います。

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