第四十一幕 虎の選択 -無念の帰国-
五月七日。
美濃国・川手
尾張、美濃、伊勢、近江と東海で四カ国を治める織田信長の領地へ甲斐の虎・武田信玄が侵攻してから五ヶ月近くが過ぎ去ろうとしていた。信玄は留守居の将・木下藤吉郎秀吉とその参謀・竹中半兵衛重治の激しい抵抗に遭いながらも、持ち前の軍略と勝負強さでこれを撥ねのけ、近江を織田から奪取した。美濃にまで駒を進めた信玄は、目下の川手に布陣して岐阜城を包囲する。織田方は尾張より佐久間信盛が救援に赴くものの僅かな兵しか動かせず、信玄の侵攻を妨げるには至らない。もはや万事休すかと思われたその時、織田信長が海路を経て遠く摂津より帰還を果たした。かの信玄も、そして信長を主と戴く織田家臣団の誰もが予想もしなかった出来事だった。
信長の帰還と共に当初は濃尾平野を部隊に激しい攻防戦が繰り広げられると思われたが、両軍ともに決定打を欠いており、戦線は膠着した。
信玄は将領の不足から人数で織田軍を圧倒していても開戦に踏み切れず、信長は鉄砲を駆使して墨俣に堅固な防衛陣を敷いたが、攻めに転じれば自軍の優位が崩れることを理解していた。両軍は現状維持を保ちながらも均衡を破るため、後方で起こっている乱の鎮圧を重視した。
それから一月半ほどが経った。
「……拙いな」
信玄は周囲に聞こえないようにして呟く。静かに苛立ちを募らせていた。
苛立っているのは武田義信の謀叛が一向に鎮圧されないからもあるが、今回は別の理由からだ。先頃、信玄の許に早馬が到着し、関東の情勢を伝えてきた。その時から信玄の機嫌は悪い。
「箕輪城で異変が起こりました。城を包囲していた上杉勢が急に厩橋へと戻り、それを北条勢が追っております。その後、北条勢は厩橋城を取り囲んだとのこと」
使者の口から、関東の情勢が大きく動いたことが告げられた。報告を受けた信玄は、怪訝な表情を浮かべて問い返す。
「何があった?箕輪城はどうなったのだ」
「城の包囲は完全に解かれましたので、内藤殿は一先ず信濃へ入って馬場殿と合流するとのことです。喜多条殿は、そのまま箕輪城に残っております」
「意味が判らぬ。北条は上杉に通じたのではないのか?」
もっともな疑問だった。
以前、北条氏邦が上杉勢と共に箕輪城を攻めているという情報が入った時、信玄は北条の引き込みに失敗したと思った。それでも見過ごしていたのは、上杉謙信の上洛を阻む障害が一つではないことと、箕輪城は堅城で北条が加わろうとも簡単には落ちないという確信があったからだ。
「相模守様(北条氏康)の気が変わり、我らに味方する気になったというでしょうか」
届いた報せから隣で聞いていた秋山信友は、そのように推測した。
「それはない。氏康が心変わりしたのなら、予め昌豊に繋ぎを入れるはずだ」
信友の推論を信玄は否定した。
報告から判ることは、上杉と北条が敵対していること。北条が謀反方に与したわけではないこと。そして武田の勢力が上州から大きく減退したことである。
内藤昌豊の箕輪城撤退は、云わば放棄に近い。元々喜多条高広は家臣というよりは同盟者に近く、殆ど武田の支配を受けていなかった。それは信玄が高広の立場を尊重する形を取っていたからであるが、こうなってしまっては高広がどう動くかは信玄にも想像がつかない。高広は永禄十年(1567)、上杉謙信が関東へ侵攻の際、北条に見捨てられたから武田を頼った過去がある。今回はその武田が高広を見捨てた形になっている。しかも義信の謀叛により再び箕輪城が危機に陥っても支援が約束できる状態にない。そんな武田を高広は頼りとするだろうか。
答えは、否である。高広の心は既に武田を離れつつあった。
(これはいよいよ儂も動かざるを得ないやもしれぬ)
流石の信玄も沈黙のときが過ぎ去ろうとしていることを肌で感じ取っていた。
北条の行動はある程度の予測はつく。大方、悪い虫が騒ぎ出したのだろう。あの家は関東に拘り過ぎる。もっともそれだからこそ扱いやすくはあるのだが、こうなっては目的以外のことに兵を使うことはないだろう。信玄は北条のことを頭の中から切り捨てることにした。
(それよりは信長よ)
信玄の目が鋭くなる。
織田方から和睦交渉の打ち切りを通告された信玄は、何かしらの動きが信長にあったと予想している。それが何であるかは側近の曽根昌世に調査させている最中だが、信玄が義信の謀叛を鎮圧できていないと同様に信長も長島一向一揆と北畠具教の討伐も終えておらず、戦況を一変させるようなことが起こったとは想像し難い。
信玄は現状を確認するため、近臣の山県昌貞に訊ねる。
「確か北畠中納言は、一向一揆との挟撃策を考えているのであったな」
「はい。連絡役の京極様からは、そのように伺っています。されど思惑は敵に察知されて抑え込まれているようにございますが……」
主の問いに、昌貞は詳細を報告する。上手く行っていないためか、表情はどちらかといえば暗い。
この頃、北進して攻勢に出ていた具教は、滝川一益が清洲の兵を率いて来着すると一向一揆勢の後ろ巻に期待して守勢に転じていた。この策は余りにも芸がなく、すぐに一益に看破されてしまう。一益は敵の狙いを察知すると長島に一部の兵を向け、牽制して突出を押さえ込んだ。具教の目論見は防がれたが、兵力を分散させてしまったことで織田方の動きも鈍っており、伊勢は美濃以上に厭戦気分が漂っていた。
傍から見れば、両者の対陣は続くかに見える。だが事態は、信玄の予測を大きく外れて動いていた。ついに均衡が破られる時がやってきたのだ。
突如として早馬が信玄の本陣へと駆け込んでくる。
「申し上げます!敵軍に新手が加わっております!」
「新手だと!?」
信玄は思わず立ち上がり、兵たちを押し退けて自ら状況を確認しに行った。
「な……何故だ。何故に奴がおる!?美濃にまで来られるはずは……!!」
目の前に映し出される光景を、信玄は現実のものとして素直に受け止められなかった。
信長の本陣・墨俣へ続々と新たな軍勢が入っていく。バタバタと風に靡いて翻るのは、白地に厭離穢土欣求浄土と書かれた無数の軍旗。これが誰のものであるかなど、今さら問うまでもない。
「織田殿、お待たせ致した」
「徳川殿。度々の支援、感謝する」
二人は挨拶を短く交わす。それだけで通じるものが二人の間にはあった。
織田軍の支援に現れた援軍は、遠江で今川氏真と戦っているはずの徳川家康であった。数にして凡そ三〇〇〇と決して多くはない数だが、弱兵の尾張兵と違って家康の率いる三河兵は甲州兵に引けを取らない精兵部隊である。信玄方にも精鋭と呼べる部隊が秋山勢の二〇〇〇のみとあっては、徳川軍の到来は脅威となる。
この時点で、僅かに保っていた信玄の優位は完全に崩れ去った。
「それにしても今回は織田殿に感謝せねばなりますまい」
「感謝?支援を受けたのは当方だが」
「付城のことです。桶狭間の経験が活きましたぞ」
家康はカラカラと笑った。若き日の記憶を呼び起こす家康の脳裏には、鳴海と大高の城の周囲に築かれたいくつもの付城群が浮かんでいた。これを真似た家康は、今川方が逃げ込んだ掛川、高天神の二つの城を付城にて封じ込めたのである。
ただ付城の弱点は十年も前に今川義元に看破されている。付城自体の防御力は通常の城郭に比べれば遥かに劣るので、付城は周辺の付城と連携して防衛に当たる。故にこそ同時に攻められれば弱かった。これは桶狭間で義元が実践して証明していることだ。もちろん義元の息子たる氏真が知らぬはずはないのだが、問題は同時攻略に大兵力の動員が不可欠だという点である。家康が付城を築いた理由は、弱点を知られていても衝かれる心配がないからだ。今の氏真には兵力に余裕はなく、頼みの綱の北条も関東に目が入っており、いま以上に今川を支援する気はない。家康としては、ここで無理に今川を叩くよりも上方の戦を終わらせることを優先させた方がいい。上方で幕府方の勝利が決まれば、正直なところ今川などどうにでもなるのだ。
(上手くいけば、東遠江くらいは無償で手に入るな)
そこに御家発展の打算がなかったといえば、嘘になる。何も家康は義輝への忠義だけで戦っているわけではない。全ては、徳川のためである。
家康の打算は非常に的を射ていた。幕府方が勝利し、今川家が存続を維持するなら領地の割譲は必須だろう。その場合、本貫の駿河はともかくとして氏真が遠江を手放すのは最低条件となるはずで、その後に恩賞として東遠州が徳川に下賜されるのがもっとも自然な流れだ。ならば遠江に拘っている必要は家康になく、信長を援けた方が将軍の印象もよくなる。そこで家康は武田の抑えとして酒井忠次に預けていた軍勢を率い、信長の許へやってきたというわけである。
大局を見る家康と信長の思惑は、完全に一致していた。
「さて、信玄殿はどう出ますかな」
余裕綽々で家康が訊いた。あの信玄の裏を見事にかいたことで、家康は気を良くしていた。
「さあな」
それに対し、信長は興味なさそうに呟いた。どうやら結果が見えているようで、細く鷹の様に鋭い眼の先には、もう信玄はいないかのように家康には感じられた。
(恐ろしい方だ。織田殿は……)
肩を並べてみても、見ている先が違うように家康は感じる。その果てに何があるのか。家康には想像もできなかった。
対する信玄は、家康の登場により最終的な決断を迫られることになった。
「攻めるか、退くか。はたまた帰るか……か。くそッ!」
珍しく冷静な信玄が、周りにも判る様に歯噛みして悔しがった。
この先、三つの選択肢が用意されていることを信玄は自ずと理解している。後はどれを選ぶかであるが、もう答えは出ているのかもしれない。
一つは現有戦力での決戦が考えられる。数の上で両者は拮抗しているが、可児に留まっている木曽義昌を動員すれば信玄が上回る。ただ斎藤龍興や六角承禎などの混成部隊で果たして勝てるかという疑問は尽きない。さらに懸念があるとすれば、信長がいる墨俣への攻撃だ。求心力の低下した今の信玄が“堅固な野陣へ命を捨てて飛び込め”と命令して何人がついてくるだろうか。武田の臣である信友や義昌は従うだろうが、こんなところで大事な兵を磨り減らす気は信玄にはない。無謀な突撃は、減っても大した影響のない斎藤や六角の兵にこそ相応しく、今後のことを考えれば自前の兵は温存しておきたかった。だが彼らの自尊心だけは人一倍に強く、命令を拒否してくる可能性があった。
総大将の命令が拒否される。そうなった場合、軍は成り立たない。軍団の維持も危ぶまれてくる。そうなると二つ目の退くという選択肢を考慮しなければならなかった。
「関ヶ原……。あそこならば十二分に戦えるが」
信玄が思い浮かべる戦場は、美濃と近江の国境にある“不破の関”。ここに広がる関ヶ原は北に伊吹山系、南に鈴鹿山脈が接近する狭隘地で、敵を迎え撃つには非常に適した地形だった。その場所を何度も通っている信玄の眼には、それが確信となって映っている。
(笹尾山に儂が布陣し、承禎を松尾山に置く。信友らに南宮山を抑えさせれば、充分に勝機はある)
狭隘地に誘い込んでの包囲殲滅戦ならば、今の部隊でも勝利を引き寄せられる自信が信玄にはあった。信長も京を目指す以上、ここに飛び込まざるを得ない。しかし、それには大きな代償が伴う。全軍を関ヶ原へ向かわせれば、信長は当然なように解放された岐阜城に入るはずで、その時点で信玄は本国との連絡手段を失ってしまう。上洛してより今までも信玄は本国と連絡が途絶えていたが、一度、繋がってしまえば失うのが惜しくなる。しかも義信の謀叛が起きた現状からして、連絡の断絶は取り返しのつかない事態を招きかねない。故に第二案である関ヶ原での迎撃戦を信玄は諦めるしかなかった。
「……信友、儂がおらずとも戦線を維持できるか」
声を振り絞り、信玄が信友へ訊く。その言葉の裏に信友は、主が重大な決断をしたことを悟った。
「必ずや……と申したいところでございますが、ここで気休めを言っても仕方ありませぬな」
「無理か」
「問題は御屋形様の不在を隠し通せるかです。もちろん信長に対してですが、この件に関しては味方も含まれます」
信友の指摘は的確であると信玄は思った。
毎日ではないが、信玄は数日に一度は龍興や承禎と軍議を開いて協議を重ねている。彼らの意見に期待しているわけではないが、形上は開かなければ不満は募る一方である。当然、信玄が帰国すれば軍議は行われなくなるので、彼らは不審の目を向けてくるだろう。信玄の体調が悪いと言って誤魔化せる限界が、凡そ半月ほど。それが信友の見方だった。
では正直に帰国すると伝えれば済むかといえば、そうではない。
「儂が信濃へ戻るといえば、承禎辺りは近江へ戻ると言い出しかねぬ」
「はい。何とか誤魔化しては見ますが……」
「仕方あるまい。可能な限り引き伸ばせ。一瞬で太郎を叩き潰す策はある」
「まことでございますか!?」
「うむ。予州(木曽義昌)をわざと寝返らせ、太郎の寝首を掻くのだ。今回は儂の不在から太郎は上手く挙兵に至ったようだが、相変わらず甘さが目立っておる。それが自滅への道を生むと判らせてやることが、親としての最期の務めよ」
冷酷に言い放つ信玄の表情からは、愛情は微塵も感じられなかった。
信玄が用いようとしている策は、“埋伏の毒”というものである。三国志の時代、呉を攻めた曹操が味方を偽って敵に投降させ、機を見て寝返らせようとしたことがある。それに倣い、信玄も情で訴える義信に義昌を送り込もうとしていた。
「されど木曽勢まで帰国するとなると、敵の抑えが効きませぬ」
「案ずるな。全ては帰国させぬし、減った分は擬兵で補う。信長ならばいざ知らず、犬山から動けぬ佐久間某という者ならば簡単に騙せよう」
「畏まりました。出来うる限りのことはやってみます」
信友は責任の重さを痛感し、力強く頷いた。
動くと決めた信玄は素早かった。夕暮れには支度を終え、いつでも出発できる状態を整えた。ただ帰国するに際して信長の目を欺かなくてはならない。信玄は日頃から利用している輿ではなく馬に変え、使者に扮装する。また万全を期するため夜陰に紛れて川手を発つことにした。
(信長め。待っておれよ、必ずや貴様は儂が倒してくれる)
思わず握る手綱に力が入った。
仕切り直しといえば聞こえはいいが、追い詰められている感覚を信玄は覚えている。もう間違いは許されない。武田が天下を獲るには、甲信を僅かな期間で纏め上げなくてはならないのだ。親として子に情をかけてやれる余裕は、残されていない。
だが信玄が美濃の地を踏むことは、二度となかった。この日を境として、一連の謀叛劇は終息に向けて一気に加速し始めるのだった。
【続く】
タイトルでネタバレ回となってしまいました。
結局、今回も信長と信玄の戦いは先送りとなってしまいました。この辺りは勝てる確信がなければ、開戦に踏み切らないという両者の性格を分析した上でのストーリー展開となります。
さて美濃での情勢は織田方に傾き、事実上の信長勝利と言っていいでしょう。ただ信玄も信濃で義信を倒す秘策を用いる様子。完全敗北には至っておりません。まあ美濃の地を踏まないと言ってしまいましたが……
一応、次回まで信長側の話の予定です。そして義輝側に話を戻すことになります。