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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第四十幕 甲斐源氏 -嫡流の重み-

三月二十六日。

信濃国・塩尻峠


各地で諸大名が凌ぎを削っている頃、ここ信濃では静かなる戦いが進められていた。信濃は武田義信の挙兵で動乱の真っ只中にあるが、杖突峠での合戦以来、大きな戦いは起こっていない。義信は塩尻峠で馬場信春と対峙しながらも調略を中心に信玄方の切り崩しを計っていた。


義信方五五〇〇に対して信玄方は三八〇〇。義信は有利な状況にも関わらずに攻めようとはしなかった。相手は激情に駆られた四郎勝頼ではなく、不死身の鬼美濃と称される武田一の勇将だ。老練で洗練された采配は、確実に義信の上をいく。そう簡単に勝たせては貰えないだろう。


一方で信玄方も人数の差から開戦を控え、その間に海津城主・春日源五郎虎綱と連絡を取っていた。開戦に及ぶなら、虎綱と合流してからというのが信春の考えだ。その虎綱は越後の村上義清が南下の気配を見せていて動けなかったが、最近になって義清が本庄繁長討伐へ駆り出されたことをきっかけに、今日ようやく合流を果たし、信玄方は六三〇〇となって兵力の上で義信方を上回った。


さっそくに信春は虎綱と協議に入る。開戦か、降伏を迫るのかを決めなければならない。


「やはり太郎様とは戦いたくない。ここは説得しかなかろう」

「されど説得は失敗したのでしょう?」


信春が提案し、虎綱が異を唱える。


義信が武田家臣たちに送った書状を信春も受け取っている。直後、挙兵を思い止まるよう諭した返書を書いたが、義信が考えを改めることはなかった。また両軍が対峙した後も説得を試みているが、逆にこちらが説得されるといった有り様だった。


「あれは源五郎と合流する前の話だ。今とは兵力が違う」

「御屋形様は太郎様を討てと御命じです。それを破ることになりますが?」

「唯々諾々と命令に従うだけが家来ではない。天下を賭けた戦を前に武田同士で戦うなど馬鹿らしいわ」


吐き捨てるように言って信春は虎綱の言を斥けた。


親子の骨肉の争いを見るのは、信玄と信虎の代だけでいい。このような繰り返しは、武田の為にならない。虎綱も信春に反対するようなことを言っているが、本音では信春と同じだった。


「判りました。ならば次は拙者が使者として参りましょう」


故に自ら使者へ志願する。それを聞いて信春が右手を開いて突き出した。


「使者には儂が赴く」

「なれど馬場殿は総大将。総大将が使者になるなど聞いたことがありませぬ」

「ああ。儂もないな」


そう言って信春はニッと笑みを漏らした。


義信の説得は余人には任せられない。前回は仕方なかったが、虎綱がいる今なら安心して死地へと赴ける。危険が伴うが、老将には相応しい役回りだろう。


「太郎様に限ってなかろうが、儂に万が一のことがあれば、ここの指揮はそなたが執れ」

「……畏まりました」


後事を虎綱に託し、信春は義信へ会いに行く。その表情からは、先ほどまでの笑みが完全に消え失せていた。これが義信を説得できる最後の機会になると判っていたのだ。


果たして想いが届くのか。その自信が信春にはなかった。


(虎昌殿。儂に力を貸してくれ)


天に祈り、信春は敵陣へと向かった。


=======================================


馬場信春の来訪に義信方は騒然とした。何せ泣く子も黙る鬼美濃が直接に乗り込んできたのだ。信春が通る度に兵たちが畏縮してしまい、辺りは凍りついたように静まり返る。穴山信君も小山田信茂も信春の登場には目を見開いて驚いていた。


「ご無沙汰いたしております」


信春が義信の前で膝を降り、挨拶を述べる。義信の様子は至って変わらない。他とは違って冷静なようだった。


「用向きは?」


義信が訊ねる。


「降伏を勧めに参りました」


信春は最初から本音でぶつかっていった。本音で語らなければ、義信には通じないと思った。


「何故に儂が降伏せねばならん」

「勝てるとお思いか、お父上に」


表情を変えず、義信が言う。それを信春は、親が子を叱る様な物言いで返した。


「信義なき者に降る道理はない」


義信は真顔で応じる。その眼差しは一点の曇りもなく、信春へと向けられていた。信春は嘆息し、淡々と状況を述べ始める。


「上杉は本庄繁長の討伐に忙しく、信濃を脅かせるだけの力はございませぬ。我らは春日殿と合流し、兵の人数で太郎様を上回ってござる」

「そのようだな」

「……上手く甲斐を掌握されたようにございますが、今や甲斐は空にござる。真田に命じ、これを攻めることも我らには出来まする。また四郎様の軍勢も失われてはおりません。今頃は態勢を立て直し、近々太郎様の背後を脅かしましょう」


いま考えられる懸念を信春が指摘する。不利を示して、勝ち目がないことを悟らせようとしたのである。


状況は信春の言う通りだ。人数では逆転され、智将と名高い真田一徳斎は確かに領地の佐久・小県(ちいさがた)に残っている。特に佐久郡は甲斐に隣接しており、乱入は然程に難しくはない。また杖突峠で義信に敗れた四郎勝頼も兵を失っているわけではなく、敗戦で著しく人数を減らしているものの義信への復讐を忘れてはいなかった。背後を衝かれれば、義信の敗北は避けられない。


「何れも杞憂に過ぎぬな」


それらの懸念に対し、義信はきっぱりと言い切って自ら語を継いだ。


「上杉に信濃を脅かせる力はないと言ったが、それは間違いだ。謙信が信濃に手を出してこないのは、儂がそのように頼んだからだ」


衝撃の事実を義信は明かす。中身を知っている信君と信茂は押し黙り、知らなかった信春は唖然とする。


「何故にそのようなことを……」


信春は思わず理由を訊ねた。


義信の言うことが本当ならば、義信は自ら不利になる状況を作ったことになる。常識から考えれば有り得ない話だ。何の意味がある。その疑問は、すぐに義信が答えてくれた。


「儂が父に叛いたのは、武田の名誉と信義を守るためだ。要は家の問題で、上杉の介入は筋違い。謙信であれば、その辺りは理解しよう」


上杉の家になくてはならないものを一つ挙げるなら、それは信義だろう。常日頃から義の精神を尊ぶ謙信にとって、信義なき世の中は存在する価値のないものに見えるはずだ。実際、謙信からの返書には義信の挙兵を讃えると同時に支持する内容が延々と書き連ねてあり、万一の場合は助勢するのでいつでも頼ってくれて構わないとさえ書かれてあった。


ただ義信には謙信を頼る気はない。戦後も甲信を武田の領国として保つには、内々の問題で終わらせる必要がある。


「父のやり方では、武田の家は保てぬ」


断言する義信に信春が反論する。父親憎しで感情が先走っていると思った。


「甲斐一国に過ぎなかった武田をここまで大きくしたのは、御屋形様の手腕あってこそにござる。太郎様とて、それは御存知のはず」

「一度の栄誉に与り、家を滅ぼしては詮ないわ。此度の一件で謀叛方が敗北すれば、武田の存続は許されまいぞ」


義信の表情に、怒りの色が浮かび上がる。父の行いは、義信からすれば軽挙にしか思えなかった。


今でこそ幕府方と謀反方のどちらが勝利するかは判らないが、幕府方が勝てば義輝の力が増大するのは明らかである。叛乱の中心にあった武田家の罪は当然に免れぬものとなり、その時には抗う力も残されてはいない。将軍の信義を裏切り続けた武田の家は、確実に滅ぼされる。そこまでして武田の家が天下の権を握らなければならない理由が、義信には理解できなかった。義輝が天下を治め、武田が守護として甲信を治める。何故それでいけないのか。何故に父は天下を欲しがるのか。


「だから太郎様は幕府方に味方しようとなされたのか」

「それが直接の理由ではない。結果的にそうなるだけのことで、儂の挙兵はあくまでも家の問題、ひいては親子の問題だ。幕府のことを抜きにしても、恐らく父のやり方では武田を滅ぼしたことと思う」


父の栄誉は裏切りの連続から成り立っている、というのが義信の認識だ。そんなものが長続きするはずがない。


その過程で犠牲になった身内は多い。


諏訪頼重に嫁ぎ、信玄に夫を殺された叔母・禰々(ねね)、父の野心のために川中島で討ち死にした叔父・信繁、夫との離縁、敵対で精神を極限まで追い詰められた妹・黄梅院、そして伏せられているが義信の母・三条ノ方も病に倒れて死の淵を彷徨っていた。もう助からないだろうというのが、医師の診方だ。母の病に黄梅院のことや東光寺に蟄居させられた自分のことが影響しているのは、まず間違いなかた。母は実子に対する愛情の深い人だ。子供たちの不幸に神経を磨り減らしていたことは容易に想像できる。


(最後まで儂は親不孝だな)


それを思うと、義信の気は重くなる。何せ母ならば自らの挙兵も快く思わないことが判っていたからだ。しかし、それ以上に父が許せない。全て自らが招いたことにも関わらず、妻のことなど忘れたかのように国許を離れ、己の野望を叶えるべく奔走している。それに対する義信の怒りは凄まじい。もはや父に武田の家は任せられないというのが、義信の至った結論だ。


「美濃。悪いが真田は動かぬし、四郎もここへは来ぬぞ」


残る懸案事項に対しても義信は言い切った。


「上州では圧倒的に幕府方が優勢だ。箕輪城には一徳斎の息子たちも入っていると聞いているぞ。上州の監視を命じられている一徳斎が、今の状況で動くとは思えぬ。それに甲斐は空とはいえ父にとっても本貫、これを攻める意味は父の力を貶めることにも繋がる」


武田同士に戦いに本拠の奪い合いは無意味。甲斐武田の本拠は、信玄と義信どちらであっても平穏無事でなければならない。問題は身体に流れる血だった。同じ嫡流の血筋である信玄と義信ならば、生き残ることこそが本当の勝利を意味する。


「ま、四郎は確かに儂への再戦を望もうがな。四郎のところには三郎兵衛(山県昌景)がおる。三郎兵衛ならば、儂よりも小笠原や藤沢の謀叛を重視しよう」


義信は信春の言を肯定しながらも勝頼が寄せてくることには否定的だった。


勝頼ならば確かに敗戦を認められず、必ず汚名を返上しようとするはずだろう。しかし勝頼のいる高遠城の周りでは、義信の挙兵に呼応して謀叛が相次いでいた。兵を挙げたのは伊那郡松尾城主・小笠原信嶺(おがさわらのぶみね)と田中城主・藤沢頼親である。両者とも信玄の信濃平定で煮え湯を飲まされた者たちで、武田に対する恨みは深い。義信の謀叛が親子の衝突に対し、両者の挙兵は明らかなる武田への謀叛だ。昌景がどちらを重く見るかは自明の理だった。


「千載一遇の好機が訪れた。義信殿の義挙に加わるのじゃ!」


彼らは義信と行動を共にすることで謀叛の正当性にしていたが、その本音は武田からの独立であった。彼らは義信の背後に将軍・義輝がいると思い込んでおり、将軍権威を笠に着て戦後の独立を勝ち取る魂胆だった。しかし、それは間違っている。今回の挙兵は単独であって義輝の指図でもなければ、幕府方に付くということでもない。事実、義信は一度たりとも幕府方に味方するとは言っていない。あくまでも武田という家の問題と捉えており、武田の信義を守ることが義信の目的である。義輝云々は関係ない。


それを如実に現しているのが、今川家への対応である。もし義信が幕府方につくのならば、今川は幕府方として徳川と共同し、西進しなければならないが、両者は対峙して天竜川で一戦に及んでいる。結果、氏真が徳川に敗れたことは誰もが知るところだ。


(刑部殿とて大名の一人。自らの行動には、自らで責任を果たされるべきだ)


後見役とはいえ、自分は武田。必要以上には今川に介入しないというのが義信の姿勢だ。


突き放した言い方かもしれないが、徳川との敵対は義信が煽った訳ではない。今までも義信は後見役という立場にあったが、内政への干渉は極力避けてきた。それは氏真の立場を慮ってのことで、その氏真が徳川と戦う道を選んだのだから、どのような結果が出ようとも責任を己で負うべきである。最大限の助勢は、義信の挙兵で作り出している。それを生かせなかった責任は、やはり氏真にあるのだ。


これに対しては、信春が来訪する前に一つのやり取りがあった。


「意外ですな。太郎様はもっと今川贔屓かと思っておりました」

「我が室の実家じゃ。愛着はある。叶うならば、共に栄えて欲しいとさえ思っておる。されど、かつて父が駿河を攻めようとした折に反対したのは、武田の信義を守らんが為だ。甲斐源氏の正統に生まれしこの命、何で今川の為に捧げられようか」


信君の皮肉に対し、義信は明快に答えた。


駿河侵攻に対して謀叛まで起こしたのだから、信君はもっと義信が今川家に傾倒していると思っていたが、予想は違った。義信は相手が今川だったから反対したのではない。同盟国を攻めるという行為が武田の信義を失わせ、名誉を貶めることになると思ったからだ。


とはいえ義信も氏真を見捨てるつもりはない。もし氏真が自分の力で立つことが出来なくなった場合、最後には後見役として役目を果たすつもりでいる。それもまた後見役を務めた者の信義だろう。しかし、それは今ではない。氏真には、まだ徳川ともう一戦するだけの力が残されている。掛川と高天神に篭城し、徳川の攻撃を耐えているという報告が義信の許に入っていた。もし手助けをするとすれば、このどちらかが抜かれた時だろうが、それだけの力を徳川が持っているとは思えなかった。確実に戦は長引くというのが義信の予測だ。


話は義信と信春のところへ戻る。


「ならば合戦にて決着をつけるしかございませぬ」


義信の言葉を聞いて、信春が一つの結論に至る。


降伏を義信が認めないのであれば、信春の執れる手段は限られてくる。好みではないが、己の武名に於ける脅しに信春は最後の望みを託した。


「源五郎がきたところで人数による差が決定的になったわけではあるまい。こちらは玄蕃頭の鉄砲隊を主軸に守りを固めておる。鬼美濃といえ、突破は容易ではないぞ。それとも無茶な攻め方をして、上方へ行く前に兵をすり減らしてみるか」


信春の脅しに義信は屈しなかった。


峠という地勢を考えれば、義信の言うように鉄砲は大いに役立つ。既に土塁を築き、俵を積み上げて楯を並べている。防戦の支度は万端に整っており、例え負けたとしても信玄方の損害は計り知れないはず。次なる戦を控えている信春が可能な限り損傷を避けたいと考えていることなど、当初から見通していた。


「…………」

「…………」


沈黙が暫く続く。張り詰めた空気が流れ、重苦しい雰囲気が漂う。先に口を開いたのは、義信の方だった。


「美濃に頼みがある」

「敵である某に頼みとは、可笑しなことを仰られる」


聞く耳もたずといった感じの信春を余所に、義信は続けた。義信は最後の最後まで自分を説得しようとする忠臣の姿に胸を打たれていた。


「此度のことは儂が引き起こしたもの。ここにおる玄蕃頭も左兵衛尉も儂個人を支持してくれたのであって、武田へ二心を抱いての事ではない。他の者も同じだ。仮に儂が敗れることになったら、可能な限り帰参を果たせるよう取り計らって欲しい」

「……虫のいい話ですな」


義信の純真な願いを、信春は冷たくあしらった。別にそうしたかったわけではない。その証拠に信春はこの状況を招く原因となった二人を激しく睨み付ける。信君と信茂は罰の悪そうな顔をして、視線を逸らした。


確かに武田家への野心はないかもしれないが、何の思惑もなく義信に味方したわけがない。それは当たっている。二人には挙兵を機に己の所領を拡大するという打算があった。それを知っている義信であるが、武田の存続に重きを置いているのでこのような言い方になっている。


(貴様らの所為で太郎様は……!!)


信春の双眸には怒りの炎が灯っていた。彼らの合力があればこそ、義信は謀叛を決断したわけであり、二人が止めていればこんなことにならなかったという思いが強い。


「残念です、太郎様」


信春は寂しそう呟いた。状況が違えば、義信は由緒ある名門・武田の家に相応しい当主になっていたはずだ。それだけの器量を義信が備えているのは、誰もが知っている。それが何よりも残念でならない。


立ち上がり、信春は陣幕から去ろうとする。もはや議論は尽くされた。義信の願いは可能な限り果たすつもりだが、それを決めるのは自分ではない。主・信玄だ。ここで約束できるものではなかった。


「美濃、苦労をかける」


去る老将の背中に、義信の優しく声が響いた。


たった一言だけであったが、義信の想いを表していた。親子の対立で苦悩をする家来は信春だけではないが、実際に決断をしなければならない信春の責任は重い。その苦労は計り知れず、労わりの言葉は信春の意地となっていた部分を一気に氷解させた。


言葉を受けて信春はピタッと動きを止め、わなわな震え始める。抑えていた感情が湧き上がるのを感じた。


「太郎様!どうか御翻意して下さいませ!」


気が付いたとき、信春は両の手を地面に付いて必死の形相で懇願していた。


「御父上様と考えが合わぬのは判り申す。ならばもう一時のご辛抱なされ、家督を継いだ後に御自分の政をなされれば宜しいかと存じます。不肖、この美濃も老骨に鞭打ち、命ある限り太郎様を御助け致す所存!」


気迫あふれる懇願に義信は眉宇を曇らせる。その姿にかつての傅役・飯富虎昌の姿が重なって見えた。


(太郎様!)


ふと虎昌の声が聞こえた気がした。五年前の出来事が思い起こされる。あの時も虎昌は、信春と同じようにして義信の挙兵を止めた。同じにようにして、義信の心は揺れる。


深く目を閉じ、感慨に耽った。


(あの時とは違うのだ。もう引き返せぬ)


義信の決意は並大抵のものではない。虎昌の死すら乗り越えていかなければならない。この決断には、甲斐源氏の命運を懸かっているのだ。家としての転機である。ならば嫡流に生まれた者として、その責任を果たさなければならない。


「美濃、もう一つ頼みがある」

「聞けませぬ!」

「聞くのじゃ!四郎のことぞ!!」


義信の大喝に、信春を始め信君や信茂をも驚く。滅多に大きな声を出さない男が、ここ一番で出した。周囲は見えない力に押されるかのようにして黙った。


静かになったのを確認して、義信が話し始める。


「儂が死ねば、家督を継ぐのは四郎となろう。四郎は真っ直ぐな男だが、それ故に周りが見えなくなることがある。その時は、そなたの智恵で四郎を助けてやって欲しい」


切実な願いだった。挙兵の成否によって、本来は嫡流が担うべき重荷を弟に背負わせてしまうかもしれない。それが勝頼の運命を悲運なものに貶めてしまうことも有り得る。義信の心は複雑だが、伝えておかなければならないことだった。


「……承知いたしました」


震えた声で信春が返答する。


それが二人の交わした最後の言葉となった。


=======================================


五月六日。

美濃国・川手


信玄は焦っていた。討伐を命じた馬場信春は一向に成果が上げられずにいるという報せが、日を置かず届けられていたからである。また織田方から和睦交渉の打ち切りが伝えられたことも一つの原因だった。信長が打ち切りを伝えてきた理由も気になるところだが、信玄にとっては信濃の方が大事である。


「美濃は何をやっておる」


苛立ちが言葉になって現れる。


信春は義信の説得に失敗した後に塩尻峠で何度か合戦に及んだものの、やはり武田同士の戦いに兵たちが戸惑ってしまい、勝負にならなかった。幾度も敗退を繰り返すが、義信方が攻めに転じなかったこともあり、未だ対峙は続いている。信春はこれ以上の消耗戦を避けるべく、信玄の一時帰国を求めた。信玄が信友と共に帰国すれば、義信を挟撃して事態の打開は図れる。それを見越してのことだ。


考慮の一案ではあるが、今の状況で美濃を離れる危うさはある。首尾よく義信を討ったとしても、それから軍勢を纏めて戻ってくるまでの間が早くても一月かかると予測される。それまで美濃を今のまま保てるのか難しいところだ。


「帰国するにしても、せめて一度くらいは信長に勝ってからにしたいものだ」


もっとも求める状況を信玄は口にした。


織田を敗走させれば、信長を討てずとも建て直しに時間がかかる。その間に信玄は義信の謀叛を鎮められる。そのためには何としても信長を墨俣から引きずり出さなくてはならない。


(信長め。何を企んでおる)


信玄は交渉の打ち切りに踏み切った信長の態度に疑問を抱いていた。


武田と織田が置かれている状況は似ている。信玄は義信の謀叛を鎮圧できず、信長は伊勢で北畠、一向一揆という敵を抱えたままだ。その所為で双方とも決戦を決断できずにいる。ただ伊勢で謀叛方が敗れたとは聞かない。変心の理由が伊勢ではないことは明白だった。


(もしや上杉の上洛に望みを賭けているのか)


上杉謙信の上洛は、今のところ順調だ。成功すれば、確かに上方の情勢を一変させるだろう。しかし、そうならない仕掛けを信玄は施している。北条との密約、そして能登畠山家の内乱、椎名康胤、本庄繁長への調略、蘆名盛氏への支援要請がそれだ。朝倉義景の無断帰国という予定外の事態が起こったが、これも見方を変えれば、謙信の上洛を阻む壁が一枚増えたことになる。


(上杉の上洛は有り得ぬ)


信玄の上杉へ対する確信は今も揺らいでいない。


己が生涯の集大成として練り上げた策が、そう簡単に破られてたまるものか。全てが予想通りとはいかないが、ある程度は先を見通せる力は持っている。


「岐阜城下を焼け。なんとしても信長を誘き出すのだ」


信玄は見せしめとして、城下への放火を命じた。これに怒った信長が墨俣から出て来れば、殲滅する。仮に出て来ない場合は、信長の威光は地に落ちる。どちらにしろ信玄に損はなかった。


しかし、信長は動かなかった。丹精込めて作り上げた岐阜の町が焼かれてもまったく微動だにせず、まるで対岸の火事を眺めるようにして不動を決め込んだ。炎は闇夜を赤く染め、明け方まで燃え続ける。


そして夜が明けた。


この日、武田信玄と織田信長。戦国の世に生まれし二人の英雄の戦いが最終局面に入った。




【続く】

今回は早めに投稿が出来ましたが……


美濃の続きと言いながらも義信回となってしまいました。もう少し話を短くするつもりが長くなってしまった次第です。力で抑えてきた信玄に対し、情で攻める義信。甘い考えですが、付いていく家臣にすれば義信の方が扱いやすく仕え易いのは言うまでもありません。特に虐げられてきた信濃衆は義信につき始めています。


ともあれ次回で美濃の対峙には決着がつく予定です。概ね皆様には予想がついているのではないでしょうか?

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