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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第三十九幕 丹波復仇戦 -怨念の渦巻く戦場-

四月二十七日。

摂津国・花隈城


将軍・足利義輝が反撃の秘策を実行に移してから、凡そ二月が過ぎ去った。義輝の許には織田信長が無事に領地へ帰還したこと、また上杉謙信が上洛を目指して加賀へ雪崩こんでいることが報せとして届いている。義輝は狭まる包囲網に確かな手応えを感じつつも、伊丹・大物での敗戦を決して忘れはしなかった。もう次なる敗北は、武家の棟梁として許されない。ここで確実に勝利を手にしておかなければ、天下泰平の実現は露と消える。


この日、更なる吉報が四国より齎された。近臣の蒲生賦秀がそれを受け、主へと報告する。


「細川宰相様(藤孝)よりの遣いが参りました。四国勢二万、十日と掛からずに合流できるとのことにございます」

「うむ。上首尾のようじゃな」

「はい。宰相様は、此度こそは上様の馬前にて働き場所を与えられることを望んでおいでです」

「ふふっ。宰相には損な役回りばかりを与えてきた故な。宰相には“案ずるな、此度は共に轡を並べようぞ”と伝えい」

「はっ」


賦秀は義輝からの言を使者へ伝えるべく去って行く。その後ろ姿を義輝は満足そうに眺めていた。


(これでいつでも動ける。だが……)


反撃の支度は整った。宇喜多の滅亡で山陽道の平定は成り、兵站は確保されている。懸念された大友宗麟の博多侵攻も、今のところない。流石の宗麟も幕府御料地となった博多には手が出しづらいようで、毛利相手に不毛な戦を仕掛け続けているだけに止まっている。義輝は停戦を宗麟に呼びかけてはいるが、


「幕府は儂の依頼で援軍を出したはず。それが毛利の肩を持つとは、一体どういう料簡だ!」


として、矛を納めようとはしなかった。もちろん宗麟は本音を直接ぶちまけるような真似はせず、表向きは毛利がちょっかいを出して来るために仕方なく戦闘になっていると報告をしている。


「よい。九州が事は京を取り戻してからじゃ」


義輝はそれ以上に関わることを避けた。


余裕がなかったこともあるが、博多から安定して兵糧、玉薬が輸送されれば義輝としても充分であり、今は九州の問題に深入りよりは上方へ注力すべきだったからだ。


そして今月の中頃に充分な量の物資を確保した義輝は、反攻に向けて具体的な準備に取りかかった。幸いにも後方は、宇喜多の滅亡によって再び北へ転じた石谷頼辰が因幡で尼子勝久と合流し、山名祐豊を相手にして優位に立っているので、然して気にかける必要がなくなっている。


そこへ藤孝からの報せだ。後は義輝が号令を下せば、幕府軍が一斉に上方へ攻め込む手筈だ。


現在、義輝のいる花隈には五万を越える兵が駐屯しており、義輝や和田惟政、一色藤長を始めとする幕軍に吉川元資ら毛利勢、柴田勝家を大将とする織田勢、浅井長政、三好義継らがそれを占める。農繁期になるが、彼らの大半は領地から切り離された存在であるために人数の減少には至っていない。


それ以外で反撃に動員されるのは、新たに播州を纏め上げた実弟・晴藤の一万、宇喜多の鎮圧を終えた上野隆徳が率いる備中勢四〇〇〇、大田原長時が率いる旧浦上勢二〇〇〇、降伏した宇喜多忠家の一五〇〇となる。これに四国勢が合流し、義輝の軍勢は十万近くにまで膨れ上がるのだから、兵力では確実に謀叛方を圧倒している。対して謀叛方は空白地の占領に兵力を分散させており、今や鷹尾城には三万五〇〇〇ほどしか残っていない。しかも奴らの背後には、織田信長と上杉謙信が迫っている。もはや敗戦の傷痕は消えつつあった。


しかし、義輝は開戦に踏み切れずにいた。嫡子を人質に取られているからだ。最悪にも相手は松永久秀。将軍だった義栄を殺した久秀ならば、将軍の子を殺すくらい躊躇いはないだろう。


(余はどうすればいい)


義輝は迷っていた。


要は義輝が嫡子を諦めさえすれば、勝利は差して難しくないところまできている。もし後継者が問題となるのであれば、側室を迎えればいいことだし、将軍なのだから、それこそ候補者は山ほどいる。最悪の場合、義昭の子・如意丸に継がせるという選択肢も残されていないわけではなかった。如何に謀反人の子とはいえ、未だ自我のない赤子は罪に問えないので、跡継ぎがいなければ家督に成り得る。


それでも義輝は動かなかった。御台所と子供たちの命を諦めきれなかったのだ。義輝は永禄の変と同じ結末を二度と見たくない。それが自らの決断となれば尚更だった。


だが世は無常にも義輝へ決断を迫ってくる。


「改元の詔が発布されただと!?」

「はっ。朝廷が義昭様の求めに応じ、決断されたようにございます」

「改元は将軍の権限で行うものぞ。朝廷とて、そのくらいは知っておろう!」


元号が永禄から元亀に改められたことが義輝の許に伝わったのである。それは朝廷による義昭の将軍宣下に対する妥協案であったが、見方を変えれば謀叛方の度重なる圧迫に朝廷が屈したとも取れた。由々しき事態だった。このまま悪戯に日延べすれば、いつかは義昭に将軍宣下が成されるかもしれない。そうなってしまっては、大義を失った義輝の求心力は急激に低下し、下手すれば軍勢の瓦解も有り得る。義輝は勝てる内に勝っておかなければならなかった。


残された時間は、僅か。義輝は久秀が手を出してこないだろうギリギリの一線で勝負に出ることにした。


「……晴藤へ伝えよ。全軍を率いて丹波を奪還せよ、とな」


義輝の下知が、遂に飛んだ。


=======================================


五月四日。

丹波国・般若寺


亀岡、福知山、篠山などいくつもの盆地から成る丹波国は、その地勢から一国を包括して統治する存在は現れなかった。室町期には細川京兆家が守護、内藤氏が守護代として名目上の支配者として君臨していたが、その実は波多野や赤井などが丹波の諸豪の代表として分割統治していたに過ぎない。


その丹波の実情を知る義輝は、京畿七カ国を統治する段階で幕府に従うことを条件に豪族たちの権益を認める形を選択する。姻戚関係のある赤井直正ではなく、丹波一の実力者であった波多野秀治を代官に任じた辺りが実力主義の義輝らしいところだろう。しかし、鳥取城の変事で波多野秀治、赤井直正と丹波に於ける実力者が相次いで倒れると情勢は一変する。京の確保を目指す朝倉義景の大軍により丹波の要所は次々と抑えられ、伊丹・大物の合戦で幕府方が敗れると一色義道が義昭によって丹波守護に任じられた。


当然、丹波の国衆は一色の支配を認めようとしなかった。義道の守護就任が正式なものでなかったこともあるが、一番は謀叛方への恨みだった。その急先鋒が、兄を殺された八上城の波多野秀尚である。


「一色義道は兄者の仇ぞ!決して退いてはならぬし、降伏も有り得ぬ!例え我一人になろうとも戦い抜く覚悟だ!」


気炎を上げて、秀尚は兵たちを鼓舞して回る。


秀尚の兄・秀治は義景に謀殺されているが、その真実までは伝わっていない。判っていることは、波多野勢を一色勢が襲ったということで、秀尚は兄がその時に死んだと思っている。


「怯むな!今日こそ城を落とすぞ!!」


怨念を()ねつけるかの如く、今日も八上城には一色の軍勢が登ってくる。先陣の名誉を賜ったのは、一色三家老の矢野但馬守だ。但馬守は勇猛果敢に山を駆け上がっていく。


「矢弾を喰らわせい!」


秀尚の号令で山頂から鉄砲を撃ち掛け、矢の雨が矢野勢へと降り注ぐ。さらに巨木を放り落とし、石ころをも投げつけた。使える物は、何でも武器にする。それを受けて敵兵が斜面を転がり落ちる光景は、もう見慣れたものだ。


「長槍隊!突き下ろせッ!」


曲輪から曲輪へと移動し、下知して回る秀尚の眼は血走っている。兄の無念に取り憑かれたようにして兵を指揮していた。


「撤退だ!退き鐘を鳴らせ!」


攻撃が始まって凡そ二刻(四時間)余り、義道は全軍に撤退を命じた。大きな鐘の音が戦場に響き渡り、兵卒たちは逃げるようにして山を降りていく。


「くそッ!また失敗じゃ!」


攻城を陣頭で指揮していた義道の子・五郎義定は苛立ちから軍配を地面へと叩きつけた。一色勢は八上城の北側、般若寺に本陣を据えており、当初は数の少ない波多野勢を押し切り、茶丸や鳩ノ巣砦、茶屋丸など八上城の外郭部分を陥落させるなど成果を上げていたが、そこから先には堅牢な竪堀や堀切が邪魔をして一歩も進めずにいた。防衛範囲が狭まったことで、波多野勢の抵抗が強まったことが原因だった。仕方なく義道は兵糧攻めに切り替えるものの事情が変わり、現在は再び城攻めが始まっている。


「五郎。少しは落ち着け」

「されど父上。このままではジリ貧でござる」

「判っておる。だからこそ京に遣いをやって援軍を請うておる」


義道が息子を嗜めるように言った。


剛勇でならす義定は正面からの合戦には強いが、こういった根回しが苦手で、専ら外交は父親に任せている。また義道も戦の采配では息子に劣るために軍配を委ねており、そういった意味ではなかなかよい相性の二人であった。


息がピッタリの二人であったが、八上城には手こずっている。主な要因は、慢性的な兵力不足だ。僅か三五〇〇ほどの一色勢では、城の南側まで大した兵を回せない。もし四方八方から手を回せていれば、これほどの苦戦は強いられなかっただろう。


(されど、このままでは五郎の申す通りジリ貧じゃ。八上城に構っていられる時間は、然程ないというのに……)


日に日に義道の切迫感は募っている。


一色は足利幕府で四職を務める名家ではあるが、丹後一国を治める大名でしかない。当初は朝倉義景を始めとする謀叛方の大軍を頼みに各地を順調に制圧していったが、京で論功行賞が行われると加増地の制圧は諸大名に委ねられた。武田信玄と京極高吉は近江へ入り、松永久秀は大和制圧を目指した。義道も単独で丹波を攻略することになったのだが、元々一色には単独で丹波を制するだけの兵がいない。攻略に着手できているのは、あくまでも鳥取で丹波勢の主力が壊滅したという条件下にあるからだ。そこで義道が目をつけたのは、丹波衆の旗頭である波多野の居城を落とすことだ。八上城の陥落は政治的な要素を含む。もし義道の丹波経略が好転するとすれば、この八上城を落とせた時だ。


だが話は簡単ではない。実際に義道は攻めあぐね、四ヶ月という無駄な時間を労した。


「西方(幕府方)が丹波へ援軍を入れるという噂が広がっております」


その間に義道の許へ入った報せがこれだった。


幕府方は伊丹・大物で敗北したものの赤松、宇喜多に河野と背後で起こっていた謀叛を着実に鎮圧していっている。そろそろ兵力に余裕が出始めても不思議ではなく、義道は噂を噂として切り捨てることが出来なかった。義道としては、幕府方の援軍が到着する前に決着をつけたい。これが城攻めの再開に繋がり、連日に亘る無茶な城攻めで兵の消耗は激しくなっていた。義道が義昭に援軍を求めたのも、この頃だ。


「父上!城方には疲れが見える。明日も攻めさせてくれ」


悔しさを表情に含ませた義定が、父に懇願した。


「構わぬが、こちらの手負いが増えておる。被害を抑える手立てを考えよ。援軍が到着する前に撤退となっては話にならぬわ」

「判っております。では、御免!」


義定が去る。陣所を回って翌日の城攻めに手筈を整えるが、一色方が八上城を攻める機会は二度と訪れなかった。


次の朝ことである。急使が飛び込んできた。


「も…申し上げます!西方に敵の援軍らしき幟が見えまする」

「なにッ!?詳しく申せ」


眠い目を擦りながら報告を聞いていた義道は、驚きの余り一気に覚醒した。


「旗は水色、紋は桔梗にございます」

「水色桔梗……明智光秀!?生きておったのかッ!!」


義道は唖然とした。


光秀の生存は衝撃だが、問題はそこではない。光秀は義輝の側近、その投入は幕府方が本格的に丹波を取り戻しにきたことを意味している。つまりは時間切れだ。一瞬にして攻守が逆転した味方陣内では、少しずつ混乱が広がっていくだろう。早く打開策を打たなくてはならない。その前に敵の規模を把握する必要があった。


明智勢が布陣したのは槙ヶ峰という小さな山だった。山間部なので正確には判らないが、幟の数からして数百といったところだろう。その南の愛宕山にもいくつかの幟が揚げられているのが見える。その一つに白地に桐紋の軍旗があった。


「義輝公……ではなかろうな。考えられるとしたら、弟君の左中将様か」


足利公方が参陣しているとなると、相応の人数が動員されているに違いない。まず間違いなく、敵の規模はこちらを上回る。となれば、結果は見えている。


(今のうちに引き揚げるしかないか)


義道は撤退を即断した。今ならば敵は布陣を終えていないので、隙はある。後はどこまで退くかだ。


京へ引き揚げた場合、確実に本国・丹後との連絡が遮断される。下手すれば丹波を取り戻した幕府方が義道の留守を衝いて攻め入るかもしれない。そうなってしまえば、義道は帰る場所を失う。


「父上!ここまで来て諦めるのですか!」


撤退命令を聞いた義定が悔しそうに詰め寄る。


義定にはもう少しで城を落とせるという感情がある。それは半分で間違っていないが、半分は間違っている。四ヶ月にも及ぶ城攻めで城方の疲労は限界に近づき、兵糧も尽きかけている。ただ城方が援軍の到来に影響を受けないわけがない。既にちらほらと城の方から歓声が聞こえてきているのは、恐らく援軍に気付いた波多野勢から湧き上がる歓喜の雄叫びと思われた。城方の士気は、昨日とは明らかに違っている。


それを落とすのは、まず不可能に思えた。


「敵の布陣が終わっておらぬ今が退き時じゃ。このまま丹後へ帰るぞ」

「帰国されると?」

「已むを得ん。但州の山名殿と連携し、状況が好転するのを待つ」


こうして八上城は謀叛方の手から解放された。


=======================================


一色勢が撤退していく姿を悠然と眺めている足利晴藤の姿が愛宕山にあった。隣には、光秀の家臣となったはずの黒田孝高が控えている。


「今回も黒田の申す通りになったな」

「然程に難しい予測ではありませぬ。倍する軍勢を擁した援軍が現れたのです。攻め手には退くという選択肢しかございません」


孝高は当然といった顔で答えた。


「だが本当に追撃を行わなくてよいのか」


事前に追撃を行わないことが決められていたが、それを晴藤は未だに疑問に思っていた。援軍の中で一色勢を追撃するには、明智勢だけである。光秀が単独で槙ヶ峰に布陣しているのは、そういう理由からだ。


追撃を行わない理由を孝高が説明する。


「山間部の多い丹波では大軍での追撃は不向きです。ましてや今以上に播磨勢が功績を上げれば、恩賞を多く与えねばならなくなります。それを義輝公は望んでおりませぬ」

「……兄上の御考えか。ならば仕方あるまい」


そう言って晴藤は溜息を吐いた。


義輝は諸大名の強大化を望んでいない。それは相手が晴藤でも同じことだ。特に同じ公方家が将軍家を脅かすほど大きくなってしまえば、対立の火種となる。かつて将軍家と鎌倉公方家が争った歴史を義輝は繰り返すつもりはない。ただ判っていることとはいえ、家来たちに働き場を与えないというのは、どうもすっきりしなかった。


そんな晴藤の感情を読み取り、孝高が補足する。


「我が殿を含め、鳥取で裏切りに遭った者たちの恨みは深うございます。彼らに仇を討つ機会をお与えになったと御考えあれ」

「ふむ。そういうものか」

「主君とは、そういうものにございます」


孝高がニッコリと微笑むと、晴藤は胸のつかえが取れた気分になると同時に光秀に感謝した。


光秀が孝高を残していったのは、こういった役回りを演じさせるためなのだろう。播磨衆の面々では、追撃に参加できないことへの不満を延々と述べるだけで晴藤の気分を害したのは想像に難くない。いい主従だと思う。


(いつか私にも孝高のような家来ができるのであろうか)


そんな憧れを持ちながら、晴藤の意識は戦場から離れていった。


=======================================


一色勢の殿軍は矢野但馬守。先陣を任されていた但馬守は、そのまま後方に守りに就くという貧乏くじを引かされることになった。


「追えッー!このまま奴らを生きて帰すなッーー!!」


まず一色勢へ果敢に襲い懸かったのは、波多野秀尚だった。山を攻め降り、その勢いをそのままぶつける。矢野勢は押しに押され、まともに抗戦できないまま一方的に討たれていく。


「鉄砲隊、構え!敵の前衛を撃ち崩すのだ!」


光秀の掛け声の後、銃声が轟いた。


波多野勢を援護するようにして明智の鉄砲隊が火を噴く。義輝の麾下より鉄砲を預けられた光秀は、この僅かな間に新たなる鉄砲隊を組織していた。直に光秀から手ほどきを受けた者たちで、その練度は極めて高い。


兵士たちはバタバタと倒れ、それを味方が踏み越えていく。


「突っ込めー!」


半槍、太刀を握り締めた足軽三〇〇の突撃だ。明智家臣・斎藤利三と三宅弥平次の部隊である。皆、山岳戦に不向きな長柄は持っていない。身軽さを武器に容赦なく斬り込んでいく。


「楯を構えよ。突撃に備えるのだ!」


対して但馬守は前衛を固めるよう指示を出す。両軍は正面から派手にぶつかった。制したのは、明智勢である。士気の高さも影響しているが、矢野勢は連日に亘る城攻めの疲れがあった。一方で明智勢は備前での戦い以後は姫路で英気を養っていた部隊である。


矢野勢は次第に数を減らし、但馬守の周りにまで明智勢が押し寄せてくる。


「何をしておる!防がぬか!」


但馬守は必死に叫ぶが、もはや聞いている兵は誰もいなかった。そうしている内にも自らを襲う刃が迫り、部隊の指揮どころではなくなる。


「お…おのれ……!!」


愛槍を振るって辛うじて防ぐが、敵は凄まじい形相でこちらを睨みつけてくる。三宅弥平次である。


「死に晒せや!」


弥平次が恐れることなく但馬守に飛び懸かり、大太刀を振り下ろす。刃が首筋に食い込むと、但馬守は口をバクバクとさせながら最期の時を迎えた。


「よし!このまま敵を追うぞ!」


光秀は敵の殿軍が崩れたことを確認すると、隊伍を組み直すよう指示を出す。そこへ近づいてくる一団があった。波多野秀尚であった。


「御助勢、感謝いたす」

「いえ、こちらこそ遅くなって申し訳ない」

「早速だが明智殿に頼みがある。このまま尾撃されるのであろう?ならば我らを先陣に加えて頂きたい。兄者の仇を逃がす訳には参らぬ」

「勇猛な波多野勢の助力とあれば心強い。こちらからもお願い致す」


と言って光秀が頭を垂れた。その態度に秀尚も慌て、遅れて頭を下げる。


幕府方の追撃は、まだ終わらない。


=======================================


先頭をひた走る佐野備前守の視線に籾井城が見えた。ここから綾部街道に入って北上し、山陰道に出れば本国への帰還は目の前だ。


「御屋形様。如何なさいますか」


備前守が行軍を止め、義道へ伺いを立てる。籾井城は丹波の青鬼こと籾井教業によって奪還されているので、このまま突破すべきか備前守は迷っていた。


「城の兵は少ないのであろう」

「はい。確か二、三百といったところです」

「ならば手出し出来まい。懸念は無用じゃ」

「はっ。では……」


備前守が進むように部隊に下知をする。一色勢は殿軍を差し引いても三〇〇〇を越えるので、僅か一割程度の人数では何も出来ないと高を括った。これが甘い見通しだったことは、すぐに明らかになる。


一色勢が籾井城下に差し掛かると、城門が盛大に開け放たれるのが見えた。


「籾井城から敵が突出!籾井教業です!」

「ちっ!備前守に防がせよ。儂は先に行く」


義道は備前守を籾井勢に当たらせると、自らは綾部街道を北上していった。自分だけ先に逃げようというのである。主従関係からして当たり前に見えるが、この行為は士気に大きく影響する。特に義道自身に強い求心力がなければ成り立たない手段だった。


「無闇に命を落とすことはねぇ。俺は逃げるぞ!」

「なに?一人だけ逃げるつもりか。俺も連れて行け」


義道の周りからは得物を手放して逃げ出す兵が相次ぎ、従う者も少なくなっていった。士気も下がり、徒労の色も見え始める。そこへ更なる悲運が重なる。


「あれなるは一色義道か!これは運が向いてきたぞ」


眼を輝かせて義道の姿を見つけたのは、元細工所城主・荒木氏綱だった。


氏綱も西征へ動員されており、鳥取城で生き残った内の一人だ。生き延びて丹波で潜伏し、居城奪還を狙っていたのだが、そこへ偶然にも義道が通りかかったのである。運がないとしかいいようがなかった。


「ここに義道がいるとなれば、籾井殿も動いているはず。我らも遅れてはならぬぞ!」


氏綱が状況を正確に予測した。


元々教業が籾井城を回復したのは、氏綱との共同戦線を張った御陰だった。氏綱が細工所城を窺い、その後方で手薄となった籾井城を教業が奪い返す。そういう算段だった。策は見事に成功し、教業は籾井城に復帰している。こういう関係から、氏綱は籾井城にいる教業なら必ず一色勢に襲い懸かっているものだと判断した。


「な…何事だ!?」


突如として現れた荒木勢に義道はたじろぐ。顔面を蒼白にさせ、声高に叫んだ。


「伊賀守!伊賀守はおらぬか!」


義道の呼び掛けにガシャガシャと大きく鎧の擦れる音を立てながら駆けつけたのは、二領具足の異名を持つ稲富祐直である。祖父の名は祐秀といい、砲術の名手・佐々木義国から鉄砲を学んだ名人で知られている。祐直は、その業を受け継ぐ若き侍である。


「自慢の鉄砲を披露する時ぞ」


その祐直に義道は無茶な命令を下す。普段は鉄砲を軽視している癖に、こういった場面で起用する。既に義道に打開策が見出せていない証だった。


(だが、ここを対処してみれせば、御屋形様の見る目も変わるやもしれぬな)


武人たる祐直は、この状況でも冷静だった。


そもそも鉄砲という新たな武器に昏倒してきた祖父は、白い目で見られながらも業を磨いてきた。ならば、自分も同じ道を歩むだけだ。


「御任せあれ」


祐直は即座に首を縦に振った。


「撃てッ!」


迫る荒木勢の前に一列に並んだ鉄砲から同時に火が噴いた。


「撃てッ!」


再び火砲が轟く。


「撃ちまくれッ!!」


弾丸の雨に、流石の氏綱も怯みを見せた。隘路が重なる丹波では、こういう戦い方をされては突破は容易ではない。犠牲を覚悟で押し切るか、山を登って敵の背後を突くしかない。氏綱は後者を選択したが、別働隊が回り込む前に決着はついた。


「攻撃が緩んだ?今なら……!!」


祐直が所持する鉄砲は僅かに三十しかなく、連射に砲身が焼きついてしまい使えなくなってしまったのである。鉄砲がなくては、荒木勢の進軍を止める術が祐直にはない。瞬時、敵の変化に気付いた氏綱は攻勢に転じた。白兵戦では荒木勢に分がある。祐直の部隊は瞬く間に崩れ去り、祐直は捕縛された。


「敵ながら見事の武者振りよ。一色の家来にはもったいないわ」


だが祐直は生き延びた。氏綱にその腕を見込まれて、鉄砲の名手と名高い光秀の許へ送られることになったのだ。一方で義道は無事に山陰道へ入ることは出来たものの、丹後を目前にして新たなる敵に出遭うことになった。


「御待ちしておりましたぞ」


箱部峠を越え、義道の先へ回り込んでいた島清興である。完壁に迎撃態勢を整えており、義道の行く手を阻んでいた。その数、赤井勢と合わせて六〇〇。今の義道に相手できる人数ではなかった。


清興は幕府軍の動きを知ると、義道が丹後へ帰国すると予測した。自らがいる位置は八上城の西にある大山城なので、このまま合流したところで後方に回されて追撃戦に参加できるとは思えない。ならばどうするのか。清興は山越えを選んだ。途中に難所がいくつもあるが、進む距離は義道の行く道の半分ほどである。決して追いつけない距離ではなかった。


「ま…待ってくれ!降伏するから、義輝公へ繋いでくれ」


勝ち目がないと悟った義道は、降伏を申し出た。これでも自分は幕府守護の一人である。一介の武将である清興が去就を決していい相手ではない。そこへ衝け込む気だった。


「何か言っておるようだが、とんと聞こえぬ」


ただ義道の目算は早くも崩れる。清興が無視を決め込んだからだ。


「さあ忠家殿。叔父上の無念を晴らされよ」

「うむ。何から何まで島殿には世話になった。忝い」

「お互い様でございますよ」


赤井忠家と島清興。鳥取城から苦難を共にした二人が笑顔で視線を交わす。


忠家が軍配を振り下ろすと、一斉に一色勢へ目掛けて赤井勢が殺到した。丹波勢の恨みは深い。今回は筋道よりも感情が優先した。そのことに誰も疑問を抱かなかった。


ここで義道は命を散らした。丹後へ辿り着いたのは、息子の義定を含めて百名にも満たなかったという。


その後、丹波一国は半月ほどで幕府方の手に帰した。




【続く】

いよいよ義輝の反撃です。丹波を回復し、謀叛方は追い詰められることになります。丹後は完全に空き家となり、但馬を脅かされる山名祐豊はいつまでも因幡にいられなくなると同時に、鷹野城へ篭もっているだけでは京の防衛が不可能になりました。(丹波方面から京へ進撃できるため)


いよいよ再決戦の時が近づきつつあります。


但し、次回は美濃の話の続きを描く予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 人は感情を優先させ、リミッターが外れると鬼になるのか。 [一言] 義道にとって最期に聴いた赤井と島左近の会話は鬼同士の嗤い声に見えただろな。文字だけなのに見てるこっちも手が震えてきました。…
2022/11/02 18:46 ジェイカー
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