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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第三十六幕 信長帰還 -義輝の深慮遠謀-

永禄十二年(1569)十一月某日。

摂津・一ノ谷


伊丹・大物の合戦は、義輝にとって痛恨の敗北だった。相手を圧倒するだけの兵力と将領を率いながらも戦術で劣り、貴重な将兵たちを多く失ってしまった。また敗戦は京と堺の失陥にも繋がり、幕府軍の兵站は危機に瀕している。次なる敗北は、もはや許されない状況だ。


義輝は建てられた仮陣屋で、謀反方を討ち破る方策を必死になって模索していた。


謀反方を討ち破る戦略は、概ね三通りが考えられる。その一つが大兵力による正面突破だ。


(陸奥守に中国での権益を認め、宗麟には九州を与える。その上で四国の兵を呼び寄せれば、万に一つも負けることは有り得ぬ)


西国の大連合。毛利と大友の利害調整は難しいが、征夷大将軍の名を最大限に活用すれば不可能ではない。何よりも両者は以前に義輝の調停で和睦しているし、毛利は高梁川で敗戦、大友は筑前を失っている。一敗したとはいえ、義輝の力は以前とは比較にならないくらいに大きい。未だ西国に九ヵ国を領する義輝を元就も宗麟も無視は出来ない。


だが、そこから考えられる代償は余りにも大きかった。


(目先の勝利に捉われてはならぬ。それは我が夢を諦めるということ。敗北と何ら変わらぬ)


義輝は脳裏によぎった誘惑を強烈な意志で振り払った。


ここでの妥協は、諸大名の強大化に繋がる。それが何を意味するのか、足利幕府の歴史を知る者ならば言わずとも理解している。将軍家の権力強化なくして、天下泰平は叶わない。義輝は正面突破策を早くから除外していた。


次に考えたのは、迂回策だ。


先に山名を討伐してから山陰方面に兵を派遣、もしくは水軍を用いて泉州辺りに上陸する。そうなれば正面の敵兵は分散されるので、一ノ谷からも押し出していけばいい。一考の価値がある策だが、義輝は保留した。迂回策も正面突破策ほどではないが、兵力の増強が不可欠だったからだ。これを解決しない限り用いることは不可能だ。


(これ以上、諸大名の強大化を許すべきではない……)


熟慮に熟慮を重ねた結果、義輝は三つ目の策を採るべく信長を呼び出すよう蒲生賦秀に命じた。


「織田弾正様を御連れ致しました」


暫くして賦秀が信長を連れて入ってくる。


「……お呼びとか」


相変わらず信長の態度には愛想がなかった。


信長は謀反方の侵攻に備え、陣築の構築に忙しい。その合間に呼び出されたのだから、内心では迷惑だと思っているのだろう。義輝の前ですら、その感情を平気で顔に出している。やはり信長は、先の合戦後から義輝へ対する遠慮が少しずつなくなってきていた。


それは己に余裕がなくなってきている所為なのか。それとも別の理由か。


「ふっ」


そんな信長を見て、義輝は可笑しくなった。態度こそ不遜ではあるが、信長はよい意味でも悪い意味でも義輝と対等な視点で物事を考えていると判ったからだ。ならばこそ、義輝の考えている策が生きてくるというもの。


「弾正、そなた領国へ戻れぬか?」


信長へ対し、義輝が訊ねる。


義輝が選択した三つ目の策は、東西からの挟撃策だった。京の東側には織田、徳川、浅井、蒲生、山岡など西征へ動員されていない戦力が残されており、数にして三万を超える。現有する一ノ谷の戦力と連携して二方面から京へ進撃すれば、充分な脅威となるはずだ。


但し、これには一つだけ問題があった。指揮官の不在だ。


留守居の兵力の大半は織田軍である。その織田軍を率いる総大将は信長であり、代わりを務められる者はいない。信長には嫡男がいるが、まだ元服も終えていない童に過ぎず、留守居を任せた佐久間信盛にさえ繋ぎが取れればよいのだが、連絡は遮断されている以上は信盛の判断に期待するしかない。ただ常識で考えれば、留守居の将では守勢に徹するのが精一杯で、とても京へ侵攻するという考えを持たない。だからこそ信長の帰還を義輝は求めている。


「…………」


訊ねられた信長は、軽々に口を開かなかった。それを実行に移すには余りにも危険が多い。


信長には義輝が何を望んでいるかはすぐに判った。そこから推測されるのは、義輝が上杉謙信の上洛に差して期待を懸けていないことだ。


(左中将ならば余のために動いてくれようが、関東は遠すぎる)


信長の推測通り、義輝は謙信をさほど頼りにしていなかった。


戦後の事を考えれば、謙信が上洛してくれた方がいい。恩賞を多く与える必要がないからだ。ただ謙信が上洛できなかった場合を想定しておかなければならない。大事なのは最悪の事態に備えるのではなく、複数の状況を想定し、いくつもの手を打っておくことである。これならば、謙信が上洛に失敗しても挟撃策は頓挫しないし、もし上洛して来れば、三方から謀反方を攻められることになる。それこそ義輝の勝利は確実だ。


長い沈黙が続く。それを破ったのは義輝の方だった。


「弾正、そなたは信玄が如何にして上洛したか知っておるか?」

「存じ上げませぬが、恐らくは船を使ったものかと推察いたします」

「流石よな。堺の商人たちの話では、紀伊半島周りで上洛したらしい。奴の天下に対する野心は、余の想像以上だったわ」


と言って義輝は大仰に笑って見せたが、目は真剣そのものだった。


「上様は信玄坊主の真似をしろと仰るので?」


信長も釣られて笑うようなことはせず、単刀直入に聞き返した。


「不可能ではあるまい」


義輝は冷徹に言い放った。信長は涼しい顔をしているが、傍で二人の会話を聞いている賦秀の背中には冷たいものが走った。


(上様は何をお考えなのか……)


一人、賦秀だけが困惑していた。


義輝の命令は、とてつもない危険が伴う。信長ほどの大大名に課せられる命令ではない。しかし、義輝は敢えて危険を冒させることで、信長に先の敗戦の責任を取らせようとしていた。


如何な理由があろうとも、無断撤退を許しては他に示しがつかない。ただ何も義輝は悪意を持って信長に過酷な命令を下しているわけではない。全ては勝つためである。それを信長も判っているからこそ、拒否していない。承諾の返事をしないのは、海路にて帰国するには今のままでは不十分だからだ。


「上様。織田様が海路にて帰国を目指すとしましても、途上で雑賀、熊野の水軍が待ち受けておりましょう」


堪らず賦秀が声を発する。それは偶然にも信長の言葉を代弁することになった。


水軍の規模こそ幕府方が上だが、謀反方にも水軍はある。それが雑賀と熊野の水軍である。彼らは紀伊半島を根城にしており、謀反方として名を連ねている。無視できない存在だった。


「そのことだが、この一ノ谷へ瀬戸内の水軍を結集させようと考えておる。そうなれば雑賀だろうが熊野だろうが一艘と残らずやって来らざるを得ん」

「瀬戸内の水軍ですか。それは、毛利の水軍も合わせてという話でしょうか」

「左様じゃ」


信長の問いに義輝は即答した。


そこには毛利へ対し、いま以上の協力を呼びかける代償を受け入れる覚悟を信長は垣間見る。


「…………」


そして再び沈黙を続ける信長が口を開くまで、かなりの時間を要した。


「宜しゅうございます。全ては勝つために、上様の御命令に従いましょう」


信長が頭を垂れ、承服の意を表す。


信長の物言いには問題があったが、これで義輝の思惑通りに事は進むことになる。細かいところで詰めなければならない事は山ほどあるが、それは仕度を整えている間に決めればいい。


(後は陸奥守だな)


この件について義輝が負った代償は、織田と毛利の強大化である。


信長が無事に帰還を果たして謀反方に勝利した場合、義輝は織田家に莫大な恩賞を与えなくてはならなくなる。また毛利に水軍の増派を依頼する以上は、明確な見返りを提示する必要がある。いま義輝が毛利に与えられる土地は、空白地となっている筑前以外にない。前から筑前を欲している陸奥守ならば、恐らくは否とは言わないだろう。


ただ義輝は毛利に関して、さほど問題視していなかった。


(陸奥守の死期は近い。その死は、確実に毛利の弱体に繋がる。ここで毛利が大きくなろうとも然したる影響はない)


一度だけ邂逅した元就の姿は印象的だった。頬の肉は削げて落ち、骨と皮になった肉体からは寿命が尽きかけている感を窺わせた。もし元就が次に大病を患ったとすれば、もはや回復の見込みはないだろう。そして、毛利は屋台骨を失って大混乱に陥る。


その時、義輝が気にかけなければならない存在は織田家のみとなる。


(諸大名が強大化するのは避けねばならぬが、織田家だけならばやりようはある)


義輝は信長が裏切るとは思っていないが、織田家が大勢力となれば少なからず幕府の統治に影響が出る。織田領が幕府権力の及ばない地となってしまっては、天下泰平の実現は叶わない。それ故に義輝には信長を御せるだけの力が求められていた。


こうして義輝の壮大な作戦は始まった。


=======================================


二月三十日。

美濃国・墨俣城


一ノ谷の軍議から三ヶ月ほどが経った二月十七日、幕府軍が動いた。一ノ谷に布陣する全ての軍勢と一千もの軍船を動員し、鷹野城へと攻め寄せたのである。謀反方は高まる決戦の気運に惑わされ、五万の兵と六〇〇艘の水軍で対抗するが、幕府方に戦意はなく三日後には撤退して行った。謀反方も義輝の不可解な行動に首を傾げたが、まさか信長を帰国させるためだけに大掛かりな仕掛けを施し、惜しみなく戦費を投じたとは思わなかった。


幕府勢が鷹野城に押し寄せている間に織田信長は堺・会合衆の船に乗り込み、紀伊半島周りで帰国の途に着いた。何度か雑賀、熊野の水軍衆に臨検を受けるが、上役の船頭たちは留守にしており、下っ端の連中は渡された(まいない)に頬を緩ませるだけだった。そして信長は無事に三河国・渥美半島へ上陸、領主の酒井忠次を呼び出して徳川家康との会談を要求した。


「まことに織田殿か。これは驚き申した」


忠次からの報せを受けて姿を現した家康は、予想もしない信長の来訪に目を丸くして驚いた。


信長は甲冑を纏っておらず、まるで商人のような軽装であった。その脇には滝川一益と数人の側近衆が控えている。どうやら帰国に同行したのは、この数人のみのようだ。


「急な御呼び立てをして申し訳ない。折り入って三河殿に頼みがある」


時間のない信長が単刀直入に切り出した。


「これより儂は信玄との戦に望まなくてはならぬ。されど肝心の鉄砲は摂津に残したまま。故に可能な限り鉄砲を貸して頂きたい」

「鉄砲にござるか……」


家康が顎に手を添えて思案に耽る。


信長の依頼は援軍ではなく鉄砲の貸与である。援軍を求めなかったのは、留守居の兵ですら二万以上の動員が可能だからで、単に必要としていないからだ。だが織田勢は二〇〇〇挺もの鉄砲を西征へ投じており、国内に残された鉄砲の数に限りがあった。


信長は、その点に不安を抱いている。それは信玄への切り札が鉄砲であることを暗に告げていた。


(掛川での対陣の折も織田殿は鉄砲で武田を威嚇した。やはりこれからの時代は、鉄砲が戦の勝敗を分けるということか)


家康は信長が必要以上に鉄砲を求める意味を的確に掴んでいた。ならば、その後の回答も既に決まっている。


「畏まりました。こちらも戦を控えている以上は限界がございますが、出来うる限り織田殿の御要望にお応え致す」


家康は嫌な顔を一つせず、信長の依頼に応じた。


「有り難い」


信長は一礼すると、サッと視線を北へ向けた。その彼方には、美濃がある。もはや信長の意識は信玄との戦にあった。


信長は借り受ける鉄砲が揃うまでの間、返礼の一つとして西国の状況を家康に説明する。また家康も東国の情勢を信長へと伝えた。これは信長にとって貴重な情報となった。特に武田の主力が未だ動いていないことは信長にとって嬉しい誤算だった。


(信玄坊主め。上杉や北条を警戒して兵を動かせなかったと見える)


信長は意外にも武田の大半が動いていないことに信玄の詰めの甘さを感じた。


越後長尾家を警戒して北信の連中を動かせず、上杉を警戒して箕輪城へ兵を送り込んだ。また北条を警戒して甲斐の軍勢を留めている。織田領へ侵攻したのは、たった五〇〇〇と少ない。恐らくは本貫への執着と自身の留守への不安がそうさせたのであろう。ならば、まだ間に合う。


「悪いが三河殿。今は先を急ぐ故、礼は何れということにさせて貰う」

「いいえ。織田殿には遠州攻めで援軍を遣わして頂いた礼がござる。これは、その返礼と思って下され」

「うむ」


信長と家康は互いに視線を交し合うと、それ以上に言葉を発することなく別れた。


その翌日、ついに織田信長は自領へと帰還を果たす。だが休んでいる暇はない。信長は即座に清洲で兵を集めると、美濃へ向けて出陣した。向かう先は、浅井久政が駐屯している墨俣である。


竹ヶ鼻城に到着した信長は、辺りの状況を確認すると自ら戦場に赴かんとした。


「危険にございます。せめて佐久間様と合流なさってからになさいませ」


愛馬の鞍に手をかけた信長へ湯浅直宗が諫言する。だが主は止まらない。直宗の言葉を無視して馬へと跨り、飛び出していく。直宗は後を追いかけて行くしかなかった。


信長は長良川を越えて南方より墨俣へと近づいた。この辺りの地理は常日頃よりの遠乗りで全て頭に入っているので、行軍速度はかなりのものだった。


その信長の接近が浅井の陣地へと伝わる。


「御注進!南より接近する一団がございます。掲げている軍旗から織田勢と思われます」

「織田だと?数は判るか」

「凡そ二百。それ以外の敵勢は見当たりませぬ」

「ふん。いよいよ織田も追い詰められたと見える」


墨俣を守備する浅井久政は突如として現れた軍勢に驚きはしたが、数が少ないと判って侮った。一応、総大将である信玄へ報告の使者を遣わしたが、同時に配下へは敵勢を討ち取るように指示を下した。


「それッ!全て討ち取ってしまえ!」


二〇〇に過ぎない敵に十倍の軍勢が襲い掛かる。当然、敵う訳もなく織田勢は逃げ散るわけだが、久政を仰天させるような報せが飛び込んでくる。


「申し上げます!敵勢の中に金の唐傘が掲げられております」

「何じゃと!?」


金の唐傘といえば、信長の馬印である。浅井は織田の同盟者であり、その事は信長のことを嫌っている久政ですら知っている程に有名だった。


「信長がいるのか……」


久政の胸の鼓動が早鐘のように高鳴っていく。


謀反方が知り得ている情報では、信長は一ノ谷で将軍や長政と共にいるはずである。領地へ戻ったという話は聞いていない。誤報であろうと久政は予想したが、同時に確報であって欲しいと願った。


「信長の姿を確認!あれは間違いなく織田信長にございます!」

「……まことか!!」


続報に久政は歓喜する。


浅井兵の中には、信長の姿を見たことある者が多い。複数から確認が取れた今、信長の存在は疑いようもない事実だった。ならば、ここで討ち取れば織田家は瓦解する。そして勲功第一は久政のものとなり、破格の恩賞が浅井に齎される。


「全軍出撃だ!何としても信長を討ち取れ!」


久政の理性は狂喜と共に吹き飛んでいた。執拗に織田勢を追い続け、逃げる信長の首を獲る瞬間を何度も何度も想像する。自燃と久政の口元は緩み、視野は極端に狭くなった。


そして羽鳥まで差し掛かったところで異変は起きた。


「放て」


滝川一益が静かに軍配を振り下ろす。


「な…何事じゃ!!」


浅井勢は側面から猛烈な銃撃を受け、一瞬にして混乱状態に陥ってしまったのだ。警戒を怠り、必中距離まで引き付けられての銃撃だった。しかも数にして凡そ五〇〇挺もの銃弾を浴びたのだから、立て直しようもなかった。久政も愛馬を撃ち抜かれて落馬し、這う這うの体で逃げているところを織田兵に捕縛されてしまう。


自らを囮にした信長の完全勝利だった。


「……ふん」


信長は這い(つくば)る久政を一瞥することもなく、軍を北の北方(きたかた)まで進めた。その地の制圧が目的ではない。岐阜の味方に自らの存在を示すためである。


「お…御屋形様じゃ!御屋形様が我らを助けに参ったぞ!」


この信長の劇的な勝利と帰還は、濃尾一帯の戦況に大きな影響を及ぼした。


岐阜、大垣の両城では信長の帰還が伝わると息を吹き返したように歓声が沸いた。絶望の淵に立たされていた兵たちは蘇り、将の顔つきにも明るさが戻っていく。


「岐阜は御屋形様の戻られるところぞ!信玄めに奪われるわけにはいかぬ。皆、一層奮起せよ!」


あの凡庸な林秀貞ですら熱弁を奮って兵たちを鼓舞して回ったくらいだ。それ程までに信長の帰還は彼らを勇気づけた。


(莫迦な!いったいどうやって戻ってきたというのだ!?)


信長の帰還に一番の衝撃を受けたのは、他ならぬ信玄だった。


今月の半ばに義輝が大軍を動かしたという報せは信玄の許にも届いていた。その時は義輝が軍を動かした意味を掴み兼ねていたが、ようやく合点が行った。義輝は、信長を帰還させるために軍勢を動かしたのだ。


(まさか儂の真似をするとは……)


信玄は激しく歯噛みして悔しがった。ただ今さら後悔しても遅い。そんなものは時間の浪費でしかなく、大事なのはここからどう挽回するかだ。


「信友に使いを出せ。何としても明知城を抜き、儂と合流せよ!多少の犠牲は構わぬ」


それにはこちらへ向かって来ている秋山信友と合流するしかない。信長が帰還を果たした以上、調略には大した成果が期待できなくなった。兵の少ない信長を討ってしまうのが手っ取り早いが、岐阜をそのまま残しては戦に踏み切れない。かといって斎藤龍興らに任せるには危う過ぎる。信友とされ合流できれば、信友に岐阜攻略を任せて自分が信長との対決に挑める。


今は待つしかなかった。


一方の信長は、墨俣に帰陣すると犬山城の佐久間信盛を呼び出した。


「御無事の御帰還、祝着に存じ上げまする」


現れた信盛が祝辞を述べる。表情も何処か和らいでおり、ようやく肩の荷が下りたといった感じだった。これまで信長留守の織田領に対して信盛は全責任を負ってきたのだから、その解放から出た安らぎの表情だった。


「たわけがッ!」


その信盛を信長は憤怒の表情で蹴り飛ばした。いきなりのことで、誰も対応できなかった。信盛は二転、三転して慌てて平伏するが、信長の足蹴は更に続いた。


「何が祝着か!貴様の所為で信興、信治が死んだわ!三左衛門(森可成)まで殺しおって!!」


信長の容赦ない折檻は続く。周りには滝川一益や側近衆の面々が控えているが、誰も制止しようとはしない。止めようとすれば自分にも被害が及ぶことを知っているのだ。こうなったら、自然と止むまで待つしかなかった。


「……ちっ」


足蹴にするのが疲れたのか、信長はまるで玩具に飽きた子供のように興味を失って自席へと戻った。


辺りには重苦しい空気が漂ったが、それを無視して信長が問う。


「……申せ」


信長の言葉に信盛は一瞬の戸惑いを見せたが、すぐに汲み取って主が求めている答えを口にする。失態を犯したとはいえ、信盛も織田の宿老だからという理由で留守居役に起用されているわけではない。信盛にも充分に信長に仕えていけるだけの能力は備わっている。


対して信長も一応は家康から状況の報告は受けているが、さらに詳しい情報を欲していた。


「まず尾張は一国を保っております。次に伊勢でございますが、一向一揆どもが何度か尾張への進入を試みたものの撃退に成功しており、現在は長島周辺を荒らしている程度です。また北畠具教が謀反方に与し、上野城で三十郎様(長野信良)が神戸の手勢と協力して食い止めております」

「中納言ごときが」


信長が吐き捨てるように言った。


かつて義輝に止められた所為で、北畠を叩き潰せなかったことが仇となった。本当なら、あの伊勢出兵は北畠討伐までを視野に入れたものだった。もっともあの一件が具教を謀反方に奔らせる要因の一つになっているのだから、義輝の責任というわけではない。


「彦右衛門、清洲の兵を預ける」


信長は一益の方へ目配りをし、一言だけ告げた。


「ははっ。長島を封じ込め、蒲生と繋ぎを取って京までの道を確保いたします。御屋形様は伊勢のことなど気にかけず、信玄の相手に傾注くだされ」


一益は即座に返答した。


主の望みは判っている。伊勢に所領を持つ自分だけが何のために帰還へ同行を許されたのかを考えれば、すぐに判ることだった。


信長が視線を信盛に戻して頷き、続きを促す。


「最後に美濃でございますが、岐阜は信玄に包囲され、大垣も危ない状態にあります。また東からは武田の別働隊が迫っており、その数は凡そ五千ほどにございます」

「猿は大垣か?」

「はい。近江衆の面々は大垣城に入っております。されど中川八郎殿は、近江で討たれたようにございます」


中川重政の戦死に信長は眉をピクリと動かせたが、それまでだった。その死について何ら感想を述べることもなく評定は進んでいく。信盛からは美濃の何処が味方で、何処が敵の手に渡っているかが詳細に報告された。


全てを聞き終えて、信長が指示を出す。


「猿の下には半兵衛がいたな。まさか死んではおるまい」

「竹中殿が討たれたという報せはございませぬ」

「ならば繋ぎを入れろ。信玄坊主を追い払うには、あれの力が必要だ」

「はっ。畏まりました」


何事もなく信盛は返事をした。周りの者も気付かなかったようだが、一益だけは妙な違和感を感じていた。主は信玄を“追い払う”と言った。つまり戦って蹴散らすつもりがないということだ。


(まともに戦っては勝てないということか。されど岐阜を救うには一戦を覚悟せねばならぬ。まさか御屋形様は、岐阜を救われるつもりがないのか?)


兼ねてより主が京までの進路を確保することに拘っていることは、一益も承知している。かつての伊勢出兵も近江では浅井領が街道を割るようにして入り込んでいるため、代わりとなる上洛路を織田自身が手に入れるためだった。今回の策でいえば、それは一益の働きだけで充分に達成できる。


だがいくら考えても答えは出ない。そこから先は一益が考えることではなく、領分を越えた範囲となる。故に一益は考えるのを止めた。それよりも任された伊勢の経略に専念しなくてはならない。信頼を勝ち得た以上、失敗は許されないのだ。


「下野守殿(久政)は如何なさいますか?」


最後に直宗が捕縛した久政の処遇について訊ねた。


「清洲の牢にでも入れておけ。連れて行くだけ邪魔だ」

「では、そのように」


信長が興味なさげに答えると、直宗も事務的に返答した。


それから十日後のこと。


信玄は信友と合流するまでは動かない方針で、ただひたすらの秋山勢の到来を待った。また信長は大垣城に繋ぎを入れると、竹中半兵衛にある命令を突きつける。


「菩提山城の兵を近江に入れろ……ですか。流石は信長様にございます」


信長の意図を半兵衛は簡単に看破した。


「どういうことじゃ?」


理解できていない秀吉に対し、半兵衛は噛み砕いて説明を始める。


「大垣の北にある菩提山城の兵が近江へ入り込むことで、謀反方の兵站を脅かすことになります」

「なるほど。敵の主力は近江や摂津の一向門徒じゃからな。故地が危機とあっては慌てようぞ。流石は御屋形様じゃ」


秀吉は主の慧眼に敬服したが、半兵衛の表情は晴れない。不安になった秀吉が心配して半兵衛へ訊ねる。


「どうした?何か心配事か」

「確かに御屋形様の策は的を射ています。されど菩提山城の兵は二、三百に過ぎませぬ。援護もなしに近江へ入ることは、死ねと言われているも同じです」


菩提山城は半兵衛の持ち城である。現在は実弟の重矩(しげのり)が守備しており、近江へ出るとしたら重矩が部隊を指揮することになる。信長の命令を実行するならば、半兵衛は弟に死を宣告しなくてはならない。しかも重矩の妻は中川重政の姉妹であり、もし重矩が死ぬようなことになれば二重の悲しみを与えることになる。


(それをしろと仰るのか!)


半兵衛は心の中で強い憤りを覚えた。普段は余り感情を表に出さない方だが、この時ばかりは半兵衛も人の子、苦痛で表情が歪んでいた。


「半兵衛、大丈夫じゃ」


そんな半兵衛の手を取り、秀吉がニッコリと笑う。


「御屋形様の申すことは、昔から間違いはない。考えてもみよ。密書には敵方に渡るのを恐れてか、必要最低限のことしか書かれてはおらぬ。恐らくは彦作殿(重矩)が近江へ入っても死なぬようになっておる。安心せい」

「……秀吉殿」


半兵衛は秀吉の根拠のない笑みに癒される気がした。不思議なことに、秀吉の前ではどんなに苦しいことでも必ず光が差して見えた。その可能性を半兵衛は信じることにした。


「では、彦作には御屋形様の御命令を伝えます」

「うむ。そうするがよい」


と言って秀吉は半兵衛の前から姿を消したが、振り返ったその顔からは明るさが消え失せていた。


(半兵衛……済まぬ。あの御屋形様ならば、やりかねぬ!!)


自責の念に秀吉は駆られていた。


半兵衛よりも信長と付き合いの長い秀吉ですら確証はなかったのだ。それなのに信長の命令を優先させた。そうするしか秀吉には選択肢がなかったのである。


それから暫くして菩提山城からいつでも動けるという報せが半兵衛の許に伝えられた。同様の報せは、信長のところにも届いている。半兵衛が心の葛藤を振り切って命令を下そうとした矢先、両軍の戦略を揺るがす事態が起こった。


“甲斐にて武田義信が挙兵”


その報せと共に両軍の動きは一切を停止させることになる。




【続く】

今回は信長と信玄の対決……とは行きませんでしたが、信長の帰還した経緯について説明する回となりました。再び時間を遡っての話となりましたので、そろそろ話を進めろよ!という読者様の怒りの声が聞こえてきそうです。


というわけで、ここから先は時間が遡ることもなくなり、今章完結まで十幕前後かと考えています。長かった第四章にもようやく終わりが見えてきたというところですが、拙作は本編七章+外伝一章の全八章を予定していますので、まだまだといった感が拭えませんが、それでも第四章が一番長い予定なので、早いところ終わらせたいのが本音です(笑)


ちなみに本幕で義輝が京の東側に残している勢力に浅井があるのは、この時点で久政の裏切りが表面化していないからですので、ミスではありません。


次回も美濃での攻防の続きを描くつもりです。更新は、G.W.の何れかの日になると思います。

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