第三十五幕 岐阜城包囲 -信玄が抱いた天下-
一月二十五日。
近江・威徳院跡
武田信玄が織田信長の治める近江へ攻め込んだのが、凡そ一月前のこと。織田軍主力の不在から難なく制圧できると思われた近江平定戦だが、留守居役・木下藤吉郎秀吉と竹中半兵衛の予期せぬ抵抗により、信玄は敗走寸前にまで追い込まれるという苦戦を強いられた。しかし、信玄は耐えた。眼前にまで敵が迫りながらも背中を見せることなく、その攻撃を撥ねつけたのだ。
「こんなところで儂は終われんのだ」
その言葉には、並々ならぬ決意と覚悟が窺 い知れた。
「さて、今度はこちらの番ぞ」
信玄の反撃が始まる。
敵は観音寺城、箕作山城、安土城と三つに分かれて篭もっている。全て合わせても数は四〇〇〇と多くはないが、こちらも城攻めに必要と言われている三倍以上の人数を確保できてはいない。また次に控える美濃攻めを考慮すれば、ここで悪戯に兵を消耗させるのは避けたいところだ。当然、力攻めによる攻略は下策である。
「織田の悪足掻きもこれまで。返す刀で城を攻め落とすべし」
「まさしく。元々観音寺城は某の城でござる。先の城攻めは不本意にも途中で切り上げとなったが、次こそは必ず攻め落として見せる」
ところが麾下の将領たちは、揃って城攻めを主張し始めていた。中には拳を突き上げて息巻く者もいる。誰もが近江での権益を狙っている者たちであり、美濃攻めのことなど考えていなかった。
「ならば箕作山は儂じゃ。半兵衛めを討ち取り、先の恥辱を晴らしてくれん」
しかも呆れることに、美濃攻めにこそ重点を置くべき斉藤龍興すらも彼らに同調する勢いだった。もはや信玄は二の句が継げず、疲労で鬱屈を募らせる一方だった。
(どうしてこうも阿呆ばかりなのだ。こんな奴らが国を治めていたなど、民草にとって不幸でしかない)
信玄の理想とする世には、彼らのような連中は不要。彼らの旧領を回復させてやるくらいなら、有能な家来たちに国を分け与えてやった方が民も喜ぶというものだ。同情の余地など一切ない。
「さて……如何にするかな」
彼らを無視して、信玄は思案に耽る。
敵は竹中半兵衛と、木下秀吉なる者。寡兵にて自分を苦しめた手腕を味わえば、織田信長の急進も頷ける。よほど家臣に恵まれているのだろう。ならば、ここはどっしりと構えて策を練り直す必要がある。信玄が頼れるのは僅かばかりの側近のみで、他は役立たずばかり。その上で織田を近江から駆逐するにはどうしたらいいのか。
(戦えば、こ奴らは必ず竹中の罠に引っかかる。損害を出さずして美濃へ進むには、戦わずして勝つしかない)
信玄の感覚が研ぎ澄まされる。状況を整理し、己が思い描く理想の勝利を手にするための手段を構築、それを具体的な形にしていく。
「皆を集めよ」
信玄が側近衆を呼び集める。そして指示を出していく。
「内匠助は織田の劣勢を近江中に触れ回らせよ。それに伴い、堅田衆をこちらへ引き込め。淡海の水運を手に入れるのだ」
「ははっ」
信玄の命を受け、側近の曽根昌世が走っていく。
「京の喜兵衛に使者を送れ。義景を動かし、坂本城を確保させるのだ。手筈は左衛門尉が整えよ」
「はい。御任せ下さい」
「右衛門尉は、一向門徒たちが織田の挑発に乗らぬようしかと睨みを利かせよ。如何なる暴発も許してはならぬ」
「はっ。承知!」
土屋昌続、山県昌貞の両名が膝を折り、力強く応じる。
信玄が狙いをつけたのは、湖賊と名高い堅田衆であった。彼らを引き込めば、淡海(琵琶湖)の水運を一挙に手に入れられる。近江での状勢は一変するはずだ。ただそれには陸から堅田衆を圧迫する必要がある。
そこで信玄は京へ使者を送り、朝倉義景に堅田に程近い坂本城を接収させることにした。坂本城は明智光秀の居城で、白鳥道と山中道と交通の要所を押さえるようにして築かれている。その目の付け所は“将軍の懐刀”の名に相応しく、光秀を長いこと飼い殺しにしていた義景の愚かさには信玄も開いた口が塞がらなかった。
ただ如何に暗愚の義景とはいえ、人一倍に面子はある。坂本城は義景の属城という位置づけであり、義景としては坂本城が謀反方へ抵抗を示したとあれば大きく面子を損なうことになる。自尊心の強い義景には我慢のならないところだろう。そこを巧みに衝き、腰の重い義景を動かす。京に残してきている武藤喜兵衛なら、その辺りは上手くやるだろう。
信玄は安心して結果を待った。
「御屋形様。喜兵衛より早馬が到着してござる」
それから十日ほどのこと、京から報せが届いた。
首尾は上々で、坂本城を見事に開城させて無傷で手に入れたとあった。光秀が精魂を込めて築いた坂本城をそっくり手に入れられた成果は大きい。朝倉の大軍で威圧したとはいえ、城を開けさせるには粘り強い交渉があったことが予想できる。
そして坂本城の陥落は、当然のように堅田衆の動向にも影響する。
信玄の狙い通り、堅田衆の猪飼昇貞、馬場孫次郎、居初又次郎が寝返ってきた。直接の要因は坂本城の陥落であろうが、堅田では一向宗の影響が強いという側面があったことも考慮するべきだろう。喜兵衛は信玄の狙いを推測すると、自ら石山へ赴いて顕如門主から“信玄へ協力するよう”という書状を届けて貰った。
「喜兵衛め、思った以上にやりおる」
独断ではあったが、その機転に信玄は笑みを漏らした。やはり自分の家臣たちは、六角や斉藤など国を追われた者たちよりも遥に優秀なようだ。
「さて、ここからよ」
報告を待っている間、信玄も遊んでいたわけではない。美濃攻めに向けて着実に兵力の増強を図っていた。
既に信玄の求めに応じて百済寺の僧兵が駆けつけているが、更に福田寺を代表とする江北十ヶ寺へ対して信玄は挙兵を呼びかけた。彼らは横山城で軍団の再編を行っている浅井勢と合流を果たし、これにより信玄の率いる軍勢は、近江国内で二万を越えるまでに膨れ上がった。
織田方は、玉砕か撤退を迫られていた。
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二月二十日。
近江国・箕作山城
謀反方が戦力を増強している最中、指を咥えて見ているしかなかった木下秀吉の許に、岐阜から急使が凶報と共に飛び込んできた。
「東美濃にて岩村城が陥落!城を落とした武田勢は、そのまま明知城へ向かって進軍中にございます!」
使者の報せに、城内は揺れた。
岩村城は東濃の要害にて、織田信長の伯母を妻とする遠山景任が城主を務めている。遠山氏は古くから東濃に根を張る一族で、侵攻してきた秋山信友にも頑強に抵抗していた。岩村城の堅固さは織田家の誰もが知るところ。加えて岐阜には未だ数千の兵が残されている。故に近江で自分たちが粘っていれば安心だという思い込みが各々にあった。
しかし、岩村城には岐阜からの援軍はなく、次第に追い詰められ、ついには落城してしまったのだった。
「どうする半兵衛!」
悲鳴にも近い声を上げたのは秀吉の方だった。
進退は窮まった。訊ねられた半兵衛は間髪を入れずに即答する。
「悔しいですが、ここは退くしかありませぬ。東濃の武田が岐阜に到達する前に退かねば、全滅ということもあり得ます」
「そうか、退くか」
退くという言葉に少し安堵感を覚えた秀吉だったが、そう簡単にはいかない。自分たちはいいが、安土城の中川重政の撤退は困難を極める。
その事に半兵衛が触れた。
「問題は中川殿です。堅田衆が寝返ったことにより安土城は孤立しつつあります。中川殿が無事に引き揚げるには、我らの支援が不可欠です」
「左様なこと、言われずとも判っておる!」
不安から声を荒げた秀吉であるが、元より仲間を見捨てるつもりはない。ただ安土城は箕作山城や観音寺城と違って街道から少し離れた位置にあり、中川重政が活路を見出すのは、武田の注意をこちらへ引き寄せる必要がある。
「観音寺城の小一郎と繋ぎを取れ。中川殿を助けるには、儂の力だけでは不可能だ」
「ならば在城している柴田勢には私から説明しておきましょう」
「……頼む」
秀吉は半兵衛の気遣いに感謝した。
柴田勝家の家中と秀吉の仲は良くない。成り上がりの秀吉を譜代の柴田勝家が嫌っているからだ。今でこそ両者は信長の命令で同陣しているが、頭ごなしに命令されることに抵抗を覚えるところがある。小さな蟠りが作戦に影響する可能性を無視できない。その点、半兵衛から言われれば秀吉の指図と判っていても納得してしまうのだから不思議なものだ。
秀吉はすぐに部隊に出撃の支度を命じ、安土城救援の算段を立てる。しかし、ここは信玄が一枚上手だった。
「藤吉郎、やべぇぜ!信玄の奴、ついに痺れを切らしやがった」
前線で信玄の動きを見張っていた蜂須賀小六が駆け込んできた。
「どうすんだ?勝てねぇぞ」
小六が秀吉に詰め寄る。
こちらは山上から逆落としを仕掛けることが出来るが、優位に立てるのは緒戦だけだ。こちらと向こうでは圧倒的に兵力が違う。次第に追い詰められることは小六にも判っている。
「む……くッ!!」
秀吉は唇をきつく噛み締め、山麓を激しく睨み付ける。思わず拳にも力が入った。
「蜂須賀殿。敵が迫っているのは箕作山だけですか?」
「いや、観音寺城にも敵は動いている。安土は攻めていねぇようだが……」
その言葉を聞いて、半兵衛は即座に信玄の狙いに気付いた。そして決断の下せぬ秀吉に代わって半兵衛が指示を出す。
「撤退します。恐らく敵からは大した追撃はありませんので、安心して退くように兵たちに申し聞かせて下さい」
「なにッ!?半兵衛は中川殿を見捨てる気か!」
秀吉が顔を真っ赤にさせ、半兵衛へ向けて怒声を浴びせる。しかし、半兵衛は臆することなく撤退の意味を説明する。
「人数の差はあれど、ここで一日、二日は持ち堪えることは出来ましょう。されど退かねば、全滅します」
「だからと言って味方を置いて逃げるわけにはいかん!」
「急に敵が寄せてきたのは、間違いなく岩村城の陥落を武田殿も知ったからです。そしてこちらと観音寺城だけを攻めてきたのは、武田殿が我らに退けと暗示しているからにございます」
信玄は城を包囲しているが、何故か東側だけは封鎖していなかった。その為に今も秀吉たちの退路は断たれていない。
(そのように私が判断することは、武田殿も承知しておられるのだろう)
半兵衛は己の不甲斐なさを嘆いた。
策士は策士を知る。ここで半兵衛が無駄な戦をしないことを織り込んで信玄は策を組み立てている。安土城だけ包囲を続けているのは、合戦をあくまでも勝利で飾るためだ。織田勢の逃走を許すのと勝利ではまったく意味は異なる。中川重政は、まさに生贄に選ばれたのだった。
「そうだ、藤吉郎。……今なら、俺たちは助かる」
小六も半兵衛の意図に気付き、これに同調する。
半兵衛は兵を助けようとしているのではない。秀吉という一人の男を救おうとしていた。何れは天下に名を轟かせることになるだろうと予感している男を、このようなところで死なせるわけにはいかなかった。
「藤吉郎。俺らが退けば、佐久間勢も退きやすくなる」
小六が半兵衛の言葉を補完するように助言する。
秀吉を死なせたくないのは小六も同じだった。かつては秀吉を家来としながらも麾下に甘んじているのは、偏に秀吉の器量に惚れ込んだからだ。
「蜂須賀殿の申す通りです。今は救える命を救いましょう」
それが織田家を更に苦しい立場に置くことになると判っていても、半兵衛たちは受け入れるしか選択肢になかった。
(武田殿の狙いは、御自身の手で岐阜城を包囲することであろう。岐阜を落とさずとも、織田の本拠たる城を武田信玄が包囲したなれば、織田家滅亡は時間の問題と諸国に広く喧伝される。そうなれば寝返りが相次ぎ、織田家は……)
滅亡という単語が半兵衛の脳裏によぎった。
信玄にとって秀吉たちを撃破する必要性は必ずしもなく、美濃に追い払うだけで充分なのだ。戦わずして勝つという孫子の教えを忠実に守る信玄らしい戦い方だった。
「儂は……」
「なりませぬ!」
諫言を振り切って進もうとする秀吉の肩を、半兵衛が押さえる。
「それでは中川殿たちだけでなく、ここにいる兵たちも死にまする」
可能な限り死傷者を増やさないのは秀吉の流儀だ。安土城を救援しようとするのも、重政だけでなく兵たちの命を救おうとしているからだ。だからこそ半兵衛は、秀吉の行動がより死傷者を増やす愚行であることを判らせなければならない。
一方の秀吉も状況は理解している。しかし、判っていても中々決断できないことはあるものだ。
その二人の想いに割って入るかのようにして、続報が届いた。
「観音寺城の佐久間勢が撤退を始めました」
「莫迦な!?小一郎は何をやっておるか!」
秀吉は佐久間勢の薄情さに呆れ果てると同時に、強い怒りが込み上げてきた。
「御舎弟の秀長殿を責めても仕方ございませぬ。ここは、御決断をなさるべき時です」
半兵衛が秀吉に決断を迫ると同時に、佐久間勢の判断に助けられた想いがした。
岩村城の陥落を知って、あちらもここと同様の話がされていたのだろう。そして撤退を決断した。元々成り上がりである秀吉と違って佐久間勢には尾張が本貫という意識が強い。彼らにとって近江は、命を捨ててまで守らなければならない土地ではなく、尾張へ戻りさえば生活は保証されているので、いち早く撤退を決めたのだった。
「く……くそッ!覚えておれよ信玄!必ずや後悔させてやるぞ!」
こうなると秀吉にも安土城の救援が不可能であると判る。秀吉は悔しさに身体を震わせながら、全軍に撤退を指示した。
孤立した中川重政は城を枕に討ち死にし、近江は全域が謀反方の手に落ちることになった。
そして舞台は、織田の本拠・岐阜城がある美濃へと移ることになる。
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二月二十四日。
美濃・垂井
ついに信玄が美濃へ入った。
目の前に際限なく広がる大地では、草木が新たな芽を吹かせ、春の匂いを感じさせている。ほのかに温かみのある陽光が、何よりも心地よい。
「ようやくここまで来た」
信玄が大きく深呼吸する。
濃尾平野の広がる大地は、石高にして凡そ百万石を数える。その国力は信玄が築き上げてきたものよりも遥に大きい。その土地を、あの織田信長が治めている。守護大名として生を受けながらも付けられた差はかなりのものだった。
「この見渡す限りの大地を、儂のものとしてみせる」
信玄の眼光は強く光り輝いていた。
それはある大望を抱いているからだ。何も信玄は武田家を大きくしようという露骨な野心で乱世を生き抜いてきたわけではない。
(何としても儂が存命の間に天下を取って都に旗を立て、仏法、王法、神道、諸侍の作法を定めて政を正しく執行しなくてはならぬ)
正しい秩序の回復。それが信玄の望みであり、信念だった。
今でこそ足利義輝の登場で幕府に往年の力が戻ったかのように錯覚するが、そもそも世が乱れたのは足利将軍の衰退が原因だということを忘れてはならない。それが上杉やら織田やらの支援を得て復活したところで、長続きするわけがないというのが信玄の考えだ。奴らは平氏。正しき政など行えるわけはなく、現に義輝の政権へ対する不満は寺社を中心に多い。やはり天下は由緒正しき源氏の血族によって治められなければならないのだ。
正統なる源氏の世を創る。それを放棄した足利義輝は、信玄にとって倒すべき敵でしかなかった。
(それを成せるのは、天下は広しと言えども儂しかおらぬ)
世の源氏は凋落の一途を辿っている。いくらか小粒の連中は生き残っているが、天下で覇権を争えるほどの大名は武田信玄ただ一人と言っていい。岐阜を攻略すれば、武田の軍勢を都に上らせられる。そうなれば一ノ谷の幕府方を攻め滅ぼすことも、幕政に遠慮なく口出しするのも思うがままに叶う。
「……ゴホッ」
信玄の口から一つだけ咳が漏れる。押し殺したような重い咳だ。
若き頃より肺を病んでいる信玄には、いつ寿命が絶たれるのか判らないという恐怖がある。手段など選んではいられない。それまでに大望を成就するには、非道、非情と言われようとも力を手に入れなけばならなかった。力なき正義では、何も叶えられはしないのだ。
その悲願を信玄が叶えるまで、あと一歩のところまで辿り着いた。織田家の牙城が聳える金華山の頂を遠目に眺めながら、信玄は確かな手応えを感じている。
「もう間もなく、間もなくよ」
美濃の状勢は、概ね謀反方有利に動いている。
東濃は岩村城の陥落によって武田家の版図となり、北は隣国・飛騨で謀反方の江馬時盛が姉小路頼綱から国を奪うべく抗争に明け暮れており、とても南へ軍を進められる状態にない。中濃の軍勢は、森可成の敗死と共に壊滅している。このまま信玄が岐阜城を包囲すれば、美濃の大半は信玄の手に帰する。
それを防ごうとする織田方の動きは、信長の不在から鈍かった。
岐阜には五〇〇〇程がいるらしいが、城に篭もったまま出で来ようとしない。尾張の織田勢は岩村城の陥落を聞いて犬山城まで出張ってきたが、木曽川を越えられずにいる為体だ。唯一、近江から敗走した連中が大垣城に入って抵抗しようとしているが、数が三〇〇〇と大した脅威ではなかった。
ならば、信玄としては岐阜城攻めに着手するだけである。
まず信玄は六角承偵を呼び、大垣城を封じ込めるよう命じた。
「承禎。大垣城を取り囲み、これを封じよ。兵が足りぬだろうから、百済寺の僧兵たちを預ける」
指名された承禎は家来同然の扱いをされてムッとした表情を浮かべたが、兵が補充されると聞いて態度を軟化させた。大兵を預けられ、かつての近江守護としての面目を施す形となった。
「痛み入る。これで思う存分に采を振るえるというもの」
承禎は満足そうに答えた。
信玄が美濃侵攻に際して承禎をわざわざ近江から呼び寄せたのは、岐阜城を包囲するに当たって一隊を預けられる将がいないからだ。息子の義治や龍興は手元から放すには危なっかしく、浅井久政も心許ない。麾下にある将でもっともマシなのが、かつて三好長慶とも戦ったことのある六角承禎だった。
信玄は京極高吉を勢田に戻して専守防衛を依頼すると、承禎に自分と合流するように命じた。承禎としては接収した観音寺城に入って旧領の仕置きを行いたかったが、信玄は許さなかった。
「浅井殿は墨俣に進み、これを押さえよ」
「墨俣?岐阜を攻めるのではないのか?」
「岐阜を攻めに於いて墨俣は重要な拠点に成り得る。織田信長が稲葉山城を攻める際、犠牲を覚悟で墨俣に城を築いたことは周知のことだ」
「左様か。で、武田殿は如何なさる?」
「曽根城を確保した後、川手まで進む。その後、岐阜を包囲する」
「ならば、いよいよ岐阜攻めであるか」
興奮を抑えきれないといった様子で斉藤龍興が気炎を上げるが、信玄は冷めた態度で応じた。
「いや、岐阜を攻めるのは我が手勢と合流してからだ。知っての通り、儂の兵が岩村城を落としてこちらへ進んでいる。一両日中とは行かぬが、十日ほどもあれば合流できよう。それまでは城を包囲するに止める」
そう信玄は諸将に厳命した。
城攻めに必要な兵は揃っているが、配下の将が貧弱すぎる。如何に旧城主の龍興がいるとしても、秋山信友や馬場信春といった信頼すべき家臣たちと合流した上でないと城攻めは始められなかった。それまでは、調略に専念すればいい。焦る必要はないのだ。
次の日、謀反方は信玄の指示に従って進軍を再開させた。
六角承禎は六〇〇〇の兵で大垣を包囲し、浅井久政は墨俣へ入った。信玄は曽根城を鎧袖一触で屠ると、無人の野を行くが如く岐阜の南方・川手に布陣した。ここまで織田方に目立った抵抗はなかった。岐阜の軍勢も信玄の行動を黙って見ているしかなかったのである。
(信長のおらぬ織田など、恐れるに足らぬか)
信玄は張り合いのなさを感じた。
もし自分が逆の立場なら、東濃の軍勢は放っておく。合流を阻止するより、合流される前に確固撃破するしか織田が勝つ道は残されていないからだ。西美濃にいる軍勢ならば、岐阜と大垣に尾張の兵を合わせれば信玄に対抗できるだけの規模がある。そこで乾坤一擲の勝負を仕掛け、仮に勝利できれば危機は一気に消え去る。
ただこの作戦は合戦に於いて絶対的な自信がなくては実行し得ない。つまり武田信玄だからこそ思いつく策であり、留守居の将では目の前の城を一つ一つ守っていくことが限界だった。
二月二十六日。織田信長の居城・岐阜城は武田信玄によって包囲された。
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二月二十九日。
美濃・川手城址
それは何気ない報告から始まった。
岐阜を取り囲んで三日目。墨俣の浅井久政より使番が訪れ、南から織田勢が迫っていることを報せて来た。
「犬山の織田勢ではないのか?」
そう聞き返した信玄であるが、使者の男は首を左右に振って否定した。
「恐らくは南の竹ヶ鼻城から来たものと思われます」
「ならば物見の類か」
「はっ。数は二百余りに過ぎませんので、大物見の類にございましょう。我が主は敵は小勢ゆえ、殲滅して兵たちの士気を上げるべきと考えております」
使番の回答に信玄は納得できなかった。尾張の織田勢といえば、先日に犬山城に入った部隊を思いつく。この部隊が大物見を放つなら理解できるが、何故に竹ヶ鼻城の兵が大物見を放つ必要があるのか。威力偵察はあくまでもこちらと交戦する意思があってこそ意味を成すものである。とても竹ヶ鼻城に謀反方と一戦をやり合える人数がいるとはとても思えないし、そのような報告はない。
この件に於いて信玄は、大物見が犬山城の部隊とは別の思惑で動いている気がした。
「手出し無用とまでは言わぬが、相手が攻めて来ぬ限りは放っておけ。重々に申し聞かせておくが、相手が背中を見せたとしても追ってはならぬ」
「は……、ははっ」
よって信玄は迎撃に止めるよう下知した。使者は不満そうな面持ちであったが、下手に深追いして大怪我してからでは遅いのだ。いま大事なのは岐阜城であって、尾張ではなかった。
「やれやれ。全く、少しは学ぶということを知らぬのか」
信玄は大きく溜め息を吐き、うんざりとした表情を浮かべる。気持ちを切り替えて調略を進めるべく、筆を取り始める信玄であったが、四半時(三十分)後に再び久政から使番がやって来た。
その報せは、信玄のまったく想定しないことだった。
「敵勢の中に、織田信長がおります!」
「な……何ッ!?」
信玄の顔色が驚愕の色に染め上げられていく。とても言葉では言い表せない戦慄感が背筋を貫いた。信玄の思考は、完全に凍りついた。
「これは天が与えた好機です。ここで信長を討ち取り、勝敗を決したく。では、御免!」
使者は興奮した様子で、伝える事だけ伝えると去って行った。
僅かな沈黙の後に冷静さを取り戻した信玄が配下の者を呼び寄せると、慌てて使者を追うように命じた。
「引き返させろ!本当に信長がいるとしたら必ずや罠を張っておる!」
伝令は信玄の怒鳴り声に押されるようにして飛び出していく。この際、今は信長が何故いるかなどはどうでもいい。手遅れにならなければいいという僅少な希望を抱くが、結果は最悪に終わった。
浅井勢は待ち伏せられていた織田の鉄砲隊に散々打ちのめされた後、久政自身が捕縛されてしまう。しかも墨俣の地も織田に奪い返された。
「……莫迦な」
信玄がようやく搾り出した言葉が、それだった。
織田信長の帰還により信玄の美濃攻略は、根底から覆されることになった。
【続く】
またまた二週間ぶりの投稿です。
今回は信玄回でしたが、彼の目指した理想が何であるかは語られていない部分が多く、甲陽軍鑑から引用させて頂きました。岐阜城を包囲し、あと一歩のところで信長の出現です。
さて久しぶりの登場となった織田信長ですが、彼がどうやって帰還したかは次回で説明させて頂きます。もうお判りの方もいると思いますが、天竜川合戦の前に家康を呼んだのは信長であります。家康が一転して織田へ鉄砲を貸し出したのは、信長に請われたからだったのです。
次回の投稿ですが、一週間で可能かどうかは判りませんが、GWがありますので二週間はかからないと思います。
※4/22 読者様より御指摘があり、小一郎が木下秀長のことであると判るように一部の表記を変更しました。
※4/29 江馬時盛の名前を子の輝盛と間違えて表記していたのを修正しました。また時盛と争っている相手が姉小路の頼綱であることを追記しました。