第三十一幕 毘沙門天の慟哭 -上杉軍、去る-
元亀元年(1570)五月十日。
この日、上杉謙信は華々しい戦歴にまた一つ勝利の文字を刻んだ。屈辱的な敗北を喫した朝倉義景は越前へと逃げ帰り、己の不甲斐なさを思い知ったことだろう。上杉謙信の強さは、麾下の将が違っても変化しなかった。
ここに手取川の合戦と呼ばれる戦いが幕を下ろす。謙信は無闇に朝倉を追撃するようなことはせず、周辺諸城の接収と情報収集を急がせた。
そして朝倉が敗れた効果は、援軍として期待していた者が多くいた所為か絶大だった。
「長尾当長殿は一向門徒らが放棄した松任城を接収。由良成繁殿は安吉城を攻撃して陥落させ、城将・大窪経忠は自害したとの由」
「うむ。両名ともようやった。して左衛門尉は如何した?」
「はっ。長尾憲景殿は、我らの背後を衝くべく出撃した一向門徒どもを奇襲、撃破しました。しかも門徒どもの大将が一人・杉浦玄任を討ち取ったとのこと。敵は尾山御坊へと戻りましたが、もはや大した数は籠もっておりませぬ」
辺りが夕闇に暮れた頃、各所から届けられた伝令に謙信は頬を緩ませた。特に杉浦玄任は加賀一向一揆の指導者の一人であり、玄任の死により門徒どもの抵抗は確実に弱まると予測される。つまり謙信が越前へ進むことが可能になったことを意味していた。
「ならば今宵は和田山城で休む。左衛門尉は引き続き御坊を包囲し、可能ならば攻略せよと伝えい」
「はっ!」
下知に頷き、もの凄い勢いで伝令が散っていく。どうやら戦勝の興奮は、末端の兵まで行き届いているらしい。
その後、上杉勢は手取川を越えて和田山城に入って休み、翌日になってから東の虚空蔵山城を攻めた。この地も一向一揆の拠点であったが、昨日の朝倉勢敗北の影響が大きく士気がかなり低下していた。虚空蔵山城は僅か一日で上杉の手に渡り、もはや加賀国内において一向一揆が謙信の進軍を邪魔をすることは不可能になっていた。
そんな折り、謙信の許へ織田信長の動きについて報せが届いた。信長の行動は意外という他はなく、神懸かりな戦術を用いて余人を圧倒してきた謙信をも驚かせた。
(流石は織田殿よ。やはり、ここぞという時に頼りになるのは織田殿しかおらぬな。儂と織田殿がしっかりと手を携えておれば、上様の天下は盤石よ)
思い起こせば永禄二年(1559)、将軍・足利義輝の要請に応じて上洛してきた大名は僅かだった。しかし、そこに上杉謙信と織田信長の名はある。永禄の変で窮地に陥った時も謙信は大和で、信長は摂河泉で義輝の為に戦った。そして今回もまた二人の活躍が義輝の天下を守ることに繋がっている。
(織田殿とは奇妙な因果よな。されど…)
だが悲しむべきは、敬愛する義輝の傍には常に信長がおり、自分はいない。絶対の信頼を得たとしても離れたところで奉公するのと傍近くで仕えるのとでは訳が違う。何故に義輝の傍にいるのは信長であって自分ではないのか。そう考えない時はなかった。
(儂は織田殿が羨ましい)
それこそが謙信唯一の野心といってもいい。“義輝の許、第一の家来になりたい”という想いが謙信の心の奥底に眠っている。しかし、それは決して表には出していけない想いだった。出せば野心に取り憑かれる。忠魂義胆を尊ぶ自分が、それを犯すことは出来ない。
謙信は雑念を振り払い、軍勢を南へと進めた。そこへ前線へ送り込んでいた軒猿が帰ってくる。
「朝倉勢は越前まで後退した模様。大聖寺城、黒谷城、檜屋城は焼き払われております」
「なに?ならば越前までへの道は開けたも同然ではないか」
「はい。朝倉勢は九頭竜川に布陣し、我らを待ち伏せております」
「ほう。あれだけ散々にやられておいて、まだ戦う気か。義景に左様な根性があったとは知らなかったぞ。数は判るか」
「一万一千ほどまで減らしているようにございます」
「案外と少ないな。大義じゃ、引き続き朝倉の動きを探れ」
「畏まりました」
朝倉勢の加賀放棄で、軍神の刃は義景の喉元に突き付けられたかのように思われた。朝倉は手取川に続いて九頭竜川でも敗れれば、再起は不可能となるだろう。恐らくは一乗谷防衛の兵すら集めることはままならないはずだ。その一乗谷を落とせば、いよいよ近江へと至る。そうなれば京までは近い。美濃で立ち往生している憎き武田信玄をこの手で成敗することも夢ではない。
“北条勢、厩橋城を包囲中”
その報せが届くまで、そう謙信は思っていた。
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元亀元年(1570)五月十六日。
越前国・九頭竜川
加賀から逃げ戻った朝倉義景は、九頭竜川を防波堤にして堅陣を布いた。彼の地は一向一揆三十万を退けた吉例のある土地。朝倉方には一万にも満たない上杉勢が押し寄せてこようとも、防ぎきれるという思いが強い。その所為か朝倉勢の士気は、数日前の敗北を感じさせないものにまで回復していた。
ただ不安がないわけではない。手取川合戦で先んじて撤退した堀江景忠が自領に引き籠もってしまっていたからだ。かねてより主君へ思うところのあった景忠は、義景の陣触れにも従わず日和見を決め込んだのだった。しかも他にも同じように領地へ戻った者がおり、彼らは皆“度重なる軍役による疲弊”を理由にした。朝倉方の兵が少ないのは、こういう事情があったのだ。
「儂の下知に従わぬとはよい度胸じゃ!」
越前の国主として今まで絶対者として君臨してきた義景は、この勝手な振る舞いに激昂した。しかし、そんな彼らを討伐するにも目の前に迫った上杉を何とかしなければならない。
「越後勢の南下を確認!正午ほどには姿を見せると思われます」
「ついに来おったか!」
物見から報告に、義景は思わず床几から立ち上がった。その虚空を睨む瞳には、先の敗戦で味わわされた屈辱を晴らさんとする覚悟が籠もっている。自ずと拳にも力が入った。
そして正午過ぎ。その上杉勢が姿を現した。土煙の先には一糸乱れぬ行軍を続ける上杉勢の姿がある。無数の軍旗が風に靡き、真っ直ぐとこちらへ向かって来る。言葉にも言い表せぬ威圧感が、そこにはあった。
「…ん?」
その上杉勢の動きに不審を感じたのは、朝倉景隆だった。武勇に長けた将であるが、西征では高齢を理由に留守居を任されていた嫡男の後見に当たっており、末子の景健を義景へ随行させた。しかし、朝倉家の危機とあっては見ているわけにもいかず、久しぶりに軍装を纏って出陣してきている。
その景隆が上杉勢を凝視する。
「なぜ速度を落とさぬ?」
景隆は上杉勢の行軍速度に疑問を持った。
こちらは九頭竜川を前に鶴翼の陣である。相手がこちらより少ないと予め判っていたので、兵法に則れば、こうなるのは当然だった。対する上杉勢は長蛇の陣。いや多少、弓なり状になっていることを考えれば偃月とも言える。通常なら戦場に到着した場合、陣形を組み始めるのでここから形が変わる。こちらは兵が多いので、その時がもっとも攻め時となるのだが、義景の判断は“守勢に徹する”とのことだった。あくまでも宗滴が行った九頭竜川合戦を模範とするつもりのようだ。
しかし、そんなことは今はどうでもいい。問題は上杉が行軍速度を落とさない理由だ。陣形を変えるには、速度を落とすのが普通だ。
「どういうことだ?これでは、そのまま合戦が始まるよう…」
そう呟いて、景隆は気付いた。そして使番を大声で呼び寄せる。
「御屋形様へ伝令じゃ!上杉が攻めてくるぞ!」
景隆が考えた通り、上杉勢は戦場に辿り着くと同時に合戦を始めたのだった。
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行軍を続ける上杉謙信の許に戦端が開かれた旨が報された。謙信が先鋒を任せた人物は、上野に本拠を移した謙信へ付き従った数少ない者の一人・小島弥太郎貞興、鬼と恐れられし豪傑で、勢多橋での激闘は今では語り草となっている。
「おりゃりゃりゃりゃー!」
その小島弥太郎が、朝倉景隆の部隊とぶつかった。
大きな喚声を上げながら前進し、弓や鉄砲をものともせずに突っ込んでいく。先頭を突っ走る弥太郎が、自慢の槍捌きで活路を開いていった。犠牲が出る寄せ方だが、敢えてその方法をとったのには理由がある。幸いにも相手方の虚を衝いたことで、小島隊の渡河は思ったよりも犠牲を出さずに成功した。
「折を見て小島殿を退かせますが、本当にこれで宜しかったのでしょうか?」
「言うな。決心が鈍る」
「はっ、申し訳ございませぬ」
河田長親の問いを、謙信は冷たく却けた。
(これしかないのだ。仕方なかろう)
先日に舞い込んできた関東の報せ。北条家の裏切りは、謙信へ重大な決断を迫った。
北条が裏切った理由は定かではないが、北条氏邦の軍勢が厩橋城を取り囲んでいることは確からしい。となれば、残してきている本庄実乃と金津新兵衛では防ぎようがない。彼らが率いる兵は、僅か二〇〇〇しか過ぎないのだ。謙信は、撤退して彼らを救う必要があった。同様に麾下の上州勢も北条家の強さは身に染みて知っており、謙信へ帰国するように求めた。
だが謙信は“義輝の下に秩序を取り戻すまで帰国しない”と決意していた。ここでの帰国は、それを自ら破ることになる。
(北条の裏切りは上州だけの問題に留まらぬ。儂の依頼で奥州へ入った常陸介も軍を返すだろうし、そうなれば枷の外れた蘆名が越後へ攻め込んでくることも考えられる)
謙信が考える通り、北条家の問題は関東一円に広がることは容易に想像がついた。
(儂はとんだ不忠者よ。上様の危機に何の役にも立てぬとは)
心の中で、何度も己の不明を詫びた。詫びても詫びてもきりがなく、謙信の中にはすぐに謝罪の言葉が浮かんでくる。
その謙信が何故に越前まで赴いて合戦をしているというと、それは帰国に際して一つだけ条件を出したからだ。
「北条の魔の手から上州を救うべく帰国する。されどこのまま帰国しては、我らが何のために上洛を目指していたか判らぬ。故に朝倉義景だけは倒す」
九頭竜川で義景を破れば、朝倉勢は壊滅的な打撃を被る。となれば、再び上洛して戦うことは出来ず、少なからず謙信は義輝の負担を減らしたことになる。
「御屋形様の御命令に従います」
長尾当長、由良成繁などが率先して謙信の下知を受け容れた。上州勢には、これを拒否して帰国するという判断もあったが、今いる場所が遠国とあっては独自に帰国するより纏まったまま方が安全だったからだ。彼らは帰国して北条から領地を守るべく、死に物狂いで戦うことになった。
「小島隊が離れます!続いて和田隊が突入!」
「よし!各隊、遅れをとるなッ!このまま義景の本陣を崩す」
謙信の合図で和田業繁が景隆と戦い始めた。業繁は接近する為に構えていた楯を倒し、雪崩れ込んだ。これに後続の桐生、由良、長尾の部隊が続いていく。偃月状となった陣形が、俄に回り始めた。
これぞ謙信がもっとも得意とする戦法“車懸かり”であった。
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対して朝倉方からすれば、上杉の動きは不可解なものだった。いきなり突入してきた小島弥太郎が、後続の渡河が済み次第に退いていったからだ。景隆の部隊は明らかに浮き足立っており、そのまま戦い続ければ敗走も有り得たのにだ。
「どうなっておる?」
そう思ったのは、義景だけではなく朝倉の将兵たち全員だった。
「右兵衛尉様(景隆)から伝令!敵軍の次鋒と思われる部隊も引き始めたとのこと。この間に態勢を立て直すとのことにございます」
「う…うむ」
戸惑いながらも頷くしか義景には出来なかった。その後、第三陣引き揚げの報せを機に義景の側近・高橋甚三郎景業が上杉方の戦法が車懸かりだと見抜いた。
「車懸かり?」
聞き慣れない言葉に、義景は側近へ問い直した。
「はい。彼の川中島合戦でも謙信は車懸かりを用いて信玄を苦しめたと聞き及びます」
「その話ならば知っておる。確か妻女山より戻って来た部隊に側面を衝かれ、上杉は撤退したとか」
「その通りにございます。故に側面を衝けば、我らの勝ちにございます」
勝ちという言葉に義景は目を光らせ、景業に訊く。
「隙があるとすれば、右翼か左翼か」
「左翼です。右翼には戦闘前の部隊がおり、その気になれば切り離してこちらの攻撃を防げます」
景業の明快な答えに義景は自信に満ち溢れた表情で、素早く下知した。朝倉景行へ上杉の側面を衝くように申し付け、景綱には万が一に備えて本陣近くへ陣を移すよう命じた。
そこへ鳥居景近が策を補完するように進言する。
「御屋形様。右翼の黒坂備中にも敵の側面を攻撃させては如何でしょう」
「備中にか?されど右翼への攻撃は意味がないと甚三郎が申したぞ」
「意味はございます。敵の戦法が車懸かりとすれば、いま進んで来ている部隊は全て本陣を目がけて襲ってくることになります。その一つでも備中殿へ向けられれば、本陣への攻撃の手を緩められます」
「それはよい」
景近の策は己の安全に繋がると判断した義景は、即座にこれを採用した。如何に景隆の部隊がいるとはいえ、目の前で繰り広げられる戦闘を見続ける胆力が義景にはなかったのだ。これが戦局を左右したと言っても過言ではない。
上杉方は戦列を離れた部隊から撤退する予定であり、黒坂隊の接近を無視したのだ。結果、黒坂隊は側面攻撃に間に合わなかった。つまりは朝倉勢から黒坂隊の持つ兵力が切り離されただけに終わってしまった。
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義景よりの使番が到着した朝倉景行の陣では、さっそくに軍を動かすよう手配した。いま進めば、ちょうど後退している小島弥太郎を後ろから突くことが出来る。河合吉統と溝江長逸に九頭竜川を渡河するように命令を下す。
「河合隊が渡河を開始しました」
「続いて溝江隊が進みます」
続々と九頭竜川へ入る味方の後ろに続き、景行も駒を進める。その時である。俄に小島隊が反転し、こちらへ向かってきたのだから驚いた。
「こっから先は御屋形様が退かれるまで通すわけには参らぬ」
大槍を振り回し、立ち向かってくる河合の兵を次々と薙ぎ倒していった。対して吉統は奉行衆として内政手腕に長けた男だが、武勇に優れているとは言えない。小島隊を破って前に進むには、弥太郎と同じく豪傑を投入するか、そのさらに側面より攻撃して撤退に追い込むしかない。
「吉家か真柄兄弟の何れかがおれば何とかなったかもしれぬが…」
朝倉の家にも他家に負けぬ豪傑はいる。しかし、山崎吉家は先の手取川で命を落とし、真柄兄弟の弟・直澄は伊丹・大物の合戦で討ち死にしている。唯一生き残っている兄の直隆は、弟の敵である義輝への復讐を誓って京に残っていた。
他にも中条流の富田景政や印牧能信など勇将がいるが、それも京に残っているか他の部隊に組み込まれているかのどちらかで、景行の指揮下にはいなかった。
「いない者を当てにしてもしょうがあるまい」
と言って景行は長逸へ小島隊の側面へ回り込むように命じた。時間はかかるかもしれないが、確実な一手になるはずだった。
「堀江殿が御家を離れた今、儂まで戦場で兵を失うわけにはいかぬ」
そこに溝江長逸の離脱が報される。長逸は景忠と所領を接しており、早く領地に戻って防衛に専念したいと考えていた。だが主君の命令には逆らえない。仕方なく留まって合戦の様子を見ていたが、どうも味方は勝てそうになかった。よって軍勢を動かせる理由を得た機に戦線を離脱したのである。
「くっ…情けない奴らめ!こうなったら我が隊でやるしかない。者どもッ!突撃ぞ!」
景行は大声で叫び、味方を鼓舞するようにして九頭竜川へと入っていった。
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上杉勢の攻撃は容赦なく続く。由良成繁、長尾当長と続いて沼田顕泰が朝倉景隆の部隊を後退させた。景隆は絶え間ない攻撃に堪え続けたが、ついには周辺が敵勢に囲まれるまで追い詰められた。
「孫三郎(景健)を落ちさせよ。ここは儂が防ぐ」
迫り来る敵兵を斬り払いながら、景隆は馬廻衆の一人へ告げた。既に嫡男や一族の大半は討たれており、残った身内は景健一人だった。義景を見捨てて自分が脱出するのは論外だが、息子一人を落ちさせるくらいならば許される範囲だろう。
「いやです。私はここで戦います」
逃げることを拒否する息子へ景隆は、父らしく威厳のある口調で諭すように言った。
「ならぬ。いいか、よく聞くのじゃ。此度の敗戦で朝倉の命運は決しよう。御屋形様の罪は免れぬが、一族の者すべてが連座させられるかは判らぬ。故に生き残り、朝倉の血を絶やさぬよう心掛けよ」
「…父上」
景健は申し訳なさそうに父へ一礼すると、僅かな兵と共に後方へ退いていった。
その僅か後、朝倉景隆は名も泣き兵に討たれることになる。その屍の上を“毘”の旗が颯爽と通り過ぎていった。その下には法体姿の武者が一人。上杉謙信が朝倉義景の本陣へと突入した瞬間だった。
「どうなっておる?まだ土佐守(景行)は上杉の側面を衝けぬのか。七郎(景綱)は何をやっておる。早う救援に来て防がぬか」
上杉の猛襲に義景は狼狽していた。
今や義景の本陣は陥落寸前である。前衛を任せていた景隆は後退し、本陣救援を命じた景固は上杉の後備えの河田長親によって阻まれて駆け付けられない。そして側面攻撃へ向かった河合吉統は小島弥太郎の部隊によって阻止されて討たれ、景行が猛攻を続けるものの突破には至っていない。
これも謙信が予め開戦から撤退までの流れを読み切っており、各隊へ役目を与えていた結果である。
謙信は合戦前に各隊へ命じていた。先鋒の小島弥太郎には、後続の渡河が済み次第に戦列を離れ、九頭竜川を利用して味方の撤退を支援すること。第二陣から本陣までは、朝倉の前衛を崩し次第に義景本陣へ突入し、これを敗走させること。後備えを任された河田長親には、謙信の撤退及び本陣への攻撃を楯となって防ぐことであった。
策戦の肝は、やはり重要な役割を上州勢に任せなかったことだ。帰国に憂いている上州勢は、いざという時に持ち場を捨てて逃げ帰ってしまうかもしれず、やはり大事を任せるには股肱の臣に限った。現に小島弥太郎は溝江長逸の離脱という思わぬ出来事があったこともあるが、考えられた以上の働きをしており、僅かな兵で見事に敵を防いでいた。
「防げッ!防げッ!!敵は寡兵ぞ!何故に負ける!負けるはずがない!」
柄にもなく声を張り上げる義景。その表情は恐怖に怯えている。家督を継いだ頃より戦場へ出たのは数える程度であり、その大半が大軍に囲まれてのことだった。今回も倍する軍勢を持ち、上杉勢など簡単に討ち破れるはずだった。なのに、兵が少ない上杉勢は今まで戦ったどの相手よりも強かった。
「なぜ勝てぬ!こちらの方が兵が多いのだぞ…」
その問いに誰も答えてはくれなかった。若き日は宗滴に、宗滴の死後は景鏡に軍権を委ねてきたツケがここで回ってきた。このような時にどうすればよいか判らないのである。
「誰ぞ!誰ぞ策を申せ!あの上杉を却ける策を持つ者はおらぬか!」
義景の声が虚しく響いた。
頼りになる鳥居景近や高橋景業は手勢を率いて上杉と戦っていて、今は義景の傍にいない。他の者は右往左往するばかりで義景の言葉すらまともに聞いていなかった。
そこへ上杉謙信が乗り込んでくる。
「見つけたぞ義景ッ!上様に刃向かった不逞の輩は、この手で儂が斬ってくれるわ!」
ギロリと睨み付ける謙信の顔はまるで地獄の閻魔ように恐ろしかった。義景は京で会話した謙信をこれほど恐ろしく思ったことはない。それは虚栄心という見えない壁があったからだ。敗戦を目の前にして壁が取り除かれた今、その恐怖を身体中で受け止めることになった。
「あ…う……」
射すくめられた義景は、まるで金縛りにあったかのように動けなくなった。
「そこを動くでないぞ!」
義景を見据える謙信が、ゆっくりと近づいてくる。握られた刀には既に血が啜られており、何人もの兵をあの世に送っているのが判った。その刀が、今度は自分を貫くのを想像する。
「い…いやじゃ…!!」
途端、義景の金縛りが解けた。脇目も振らずに愛馬へと跨がり、一目散に逃げ出した。
「ま…待たぬか!」
その様子に謙信も馬を走らせて追う。しかし、流石に義景の馬廻りの中にも己の命を賭して主の命を守ろうとする者がおり、それが謙信の行く手を阻む。
「ど…どけッ!邪魔立てするか!!」
敵兵に遮られ、ついに謙信は義景の首を挙げることは叶わなかったが、朝倉方は総大将の逃亡により総崩れとなった。
「御屋形様が退かれたと?莫迦な、いま少しで勝てるというのに…」
それを特に悔しそうにして歯噛みしたのは朝倉景行だった。
確かに戦況は謙信が思い描いたように進んでいるだろう。しかし、眼前に立ち塞がる小島弥太郎の部隊は、流石に疲れを見せていた。弥太郎は開戦からずっと戦い続けており、それも仕方がないといえた。いま一押しすれば討ち破れるはず。
「せめて一矢報いねば、朝倉の名が廃る」
欲が出たといえばそうなのかもしれないが、景行にとっては名誉と誇りを重んじたつもりあった。誇りある名門・朝倉が負け続きでよいわけがない。景行は再度、兵たちへ突撃を命じた。
「まだ来るのか!?」
完全に油断だった。義景の敗走により戦が終わったものと思っていた弥太郎は疲れもあってか気を抜いてしまっていた。
「こ…このッ!」
弥太郎が槍を横に薙ぎ払う。一度に三人の兵が命を散らしたが、今度は弥太郎の背後から二人の兵が近づいてくる。
「ちっ…!」
上段から振り下ろされた一人の攻撃を槍の柄で受け止めるが、その隙を衝き、もう一人の槍が弥太郎へ突き出される。その槍は深々と弥太郎の右足へと突き刺さった。
弥太郎の表情は激痛で歪み、一瞬だけ退くことを考えた。僅かに左足が、後ろへと後退る。
(ここで退くわけにはいかぬ。まだ御屋形様が撤退されておらぬ)
自分が撤退するのは謙信が去った後だ。それまで退路を死守するのが己の役目である。ここでそれを投げ出すわけにはいかなかった。
自らに突き刺さった槍を掴んで引き抜き、地面へと転がす。幸いにも味方の兵が駆け付け、先の二人は弥太郎に止めを刺す暇もなく逃げていった。
味方の兵が弥太郎を心配して近づき、声を掛ける。
「大丈夫にございますか?」
「…うむ、大事ない。敵の大将は敗走したと聞いた。ならば、あと少しの辛抱だ。御屋形様が戻られるまで、踏ん張るのじゃ」
「はっ。畏まりました」
そうして兵の肩を借りて弥太郎が立ち上がった時であった。
「鉄砲!…放てッ!」
という言葉の後に、大きな銃声がした。それを最後に弥太郎の意識は途絶えたのである。
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謙信は泣いていた。
「弥太郎…そなたの忠義に儂はどう応えればよい」
言葉を投げかける先には、冷たくなった弥太郎の遺骸があった。それを謙信は抱きしめ、声を大にして涙を流している。
小島弥太郎は謙信の撤退まで持ち堪えられなかった。余りにも強すぎる弥太郎を前に、景行は直に討ち取ることを諦めて鉄砲隊を繰り出した。流石の弥太郎も鉄砲玉を回避することは出来ない。弥太郎は全身に風穴を開けながら、ドッと地面へと倒れた。
そして首を獲ろうと朝倉兵が殺到する間際、謙信の部隊が戻って来たのである。正確には謙信はまだ九頭竜川を渡り終えておらず、退路を確保するべく先行していた部隊だった。これが朝倉兵を却けたのだ。逆襲に拘った景行は、深追いし過ぎた所為で逃げられずに討たれることになった。
「御屋形様。もう参りませぬと…」
悲壮感の漂う主の背中へと長親が話しかける。
「判っておる。されど、その前に弥太郎の遺体を丁重に葬ってやらねばならぬ」
「はい。我らがあるのは、弥太郎殿の御陰にございます故…」
こうして近くの寺で弥太郎を弔った謙信は、帰国の途に着くことになった。その心の中は哀しみに支配されていた。側近の死と、未だ危機にある主君を想い、人知れず頬を涙で濡らした。
「…無念よ」
その言葉を残し、上杉謙信は去って行った。
【続く】
手取川に引き続き九頭竜川の合戦となりました。
タイトルでネタバレしてしまっていますが、上杉が去ったことにより朝倉義景の首が皮一枚で繋がりました。ただ軍勢は疲弊しきっており、もはや京に戻って合戦することは不可能となっています。麾下の武将も死にまくっていますからね。
一方で上杉方は第一章で活躍した弥太郎が死んでしまいました。彼は史実の人物かどうかも判らず病死したか戦死したかも不明です。しかし、謙信の側近であったらしいので上州組として拙作では描いた次第でございます。
次回は時間を少し遡って北条家の話を描きたいと思います。