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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第三十幕 北陸会戦 -血染めの手取川合戦-

四月十七日。

京・清水寺


鷹尾城から軍勢を引き抜き、筒井順慶を追って大和を制圧した松永久秀であったが、その代償は余りにも大きかった。戦乱に巻き込まれた興福寺、東大寺の伽羅は灰燼に帰し、大仏殿も放火に遭って盧舎那仏像(るしゃなぶつぞう)の首が落ちた。南都最大の大寺院が戦場になった衝撃で、都ひいては朝廷を大いに揺れた。寺社を始めとし、久秀の断罪を求める声が続々と足利義昭の許へと寄せられていくが、何よりもこの事件が公家衆が渋っていた改元への引き金となったのだ。


朝廷は義昭から奏請のあった改元を受け容れることを決定する。しかし、抜け目のない朝廷は同時に多額の改元費用を義昭へ求め、義昭も謝罪の意味も込めて要求された額以上を献金した。そのために二条城の金蔵よりかなりの金が消えることになった。今の義昭は謀叛方に於いてお飾り同然になりつつあり、金で解決するしか手段がなかったのである。


「改元?ふっ、どうでもよいわ」


その大事件を引き起こした張本人である久秀は、高まる悪評を気にする素振りも見せず、次なる手を打ち始めていた。


「上杉謙信が加賀に入ったとの報せが届きました。国許に危機が迫っておりまする。越前宰相様におかれましては急ぎ、帰国なされますよう…」


朝倉義景のいる清水寺へ赴き、帰国を促したのである。


義景は京で天下を握り損ねたことで京に在する意義を失い、帰国を考えていた。義景が如何に暗愚とはいえ、管領代として大軍を率いている事実は久秀にとって邪魔になる。京にいたくないのであれば、早く帰って貰いたいというのが久秀の本音だった。


「帰国し、上杉勢に備えるのは吝かではないが、儂は管領代として公方様を守護し奉る役目がある。それを疎かには出来ぬ」


ただ義景の返答は予想に反しての拒否であった。義景は義景なりに久秀のことを疑っており、その勧めを安易に受け容れることはしなかった。


きっぱりと答えた義景だったが、その語気に何処か弱々しさを感じた久秀は、内心で義景が迷っていることに気付いた。


「宰相様の仰りよう、ご尤もにございます。管領代の御役目の重さ、某も亡き三好修理大夫様の家来として肌身を感じ、承知しております」


そう言ってさらに語を継いで義景を焦らせる。


「されど宰相様、今や越前は空にございましょう。僅か一月足らずで越中を抜いた上杉は、来月には越州へ到達するやもしれませぬ」

「…判っておる。故に軍勢の一部は帰すつもりでおる」

「たった一部で軍神と称される上杉謙信の進軍を止められるとお思いでしょうや」

「上杉の軍勢は一万ほどと聞く。その程度ならば問題はない。それともそちは、我が軍勢が上杉に劣ると申すか」

「おおっ!これは申し訳ございませぬ」


言葉に怒気を滲ませた義景を前に、久秀はニコリと笑みを浮かべ、大仰な身振りで謝罪の言葉を述べた。


「宰相様の軍勢は、月光院殿(朝倉宗滴)の御生存の頃より天下無双と京でも評判にございます。されど此度はちと状況が悪うございます」

「…悪いとは、何がじゃ」

「宰相様は、信玄殿が天下を狙っておることをご存じでしょうか」


久秀は話題を信玄のことへ切り替えた。


信玄の名が出たことで義景は表情の歪ませ始める。信玄は義景の狙った天下を横から奪っていった不逞の輩。それが義景の中での信玄だった。


その義景に対し、久秀が秘事を明かす。


「某の調べたところによりますれば、畠山尾張守様の死には信玄が深く関わっております」

「なに!?高政の死に信玄が関わっておるだと」

「はっ。尾張守様は表向き病死とされておりますが、亡くなる直前まで御壮健であったことは宰相様もご存じでありましょう。その真相は、信玄による暗殺にございます」

「暗殺じゃと!?あの武田信玄がそのように大それた真似をするとは…」


義景は眉を(ひそ)めて何度も頷いた。言葉では否定しているものの信玄ならばやりかねないと心では思っている証拠だった。


「信玄は尾張守様を(けしか)けて宰相様を追い落としただけではなく、尾張守様までもを手にかけて殺し、副将軍となって天下の権を握ろうとしております。その総仕上げが、織田領の制圧にございましょう。義昭様の下、それを防ぐことが出来るのは宰相様を於いて他にはございませぬ」


そこまで言ってから久秀は、一呼吸おいて言葉を溜めて言った。


「これは好機にございます。宰相様の国へ迫っているのは信玄すら勝てなかった上杉謙信。彼の軍勢を撃ち破れば、天下万民は宰相様こそ日ノ本一の武士と謳い、如何に信玄が手勢を率いても戻って来たところで何も出来ませぬ。故にこそ宰相様自らが帰国なされ、謙信を破る必要があるのです」


悪辣な久秀としてはらしくない熱弁であったが、“日ノ本一の武士”と言われた本人はまんざらでもない様子で聞き入っていた。しかし、それで義景が久秀へ対する警戒心を解いたわけではない。


「そちは何が目的だ。何を以て儂へ味方しようとする」


義景は確信を衝いた問いを質した。これに久秀は驚いたような素振りを見せ、諦めたかのような口調で話し始めた。


「…これは、やはり宰相様の前では嘘は付けませぬな。実は某、泉州が欲しゅうございます」

「大和に続いて泉州も欲しがるとは、強欲な奴よ」

「時は乱世にございます。この命が続く限り立身出世を目指したいと思うのは武士の本懐にございます。宰相様が泉州を御約束いただけるのであれば、手前は宰相様の手足となって働きましょうぞ」


その立身出世の先には“天下”があることに義景は気付かず、得心した笑みを浮かべて久秀の言葉を信じてしまった。


「相判った。ならば儂は帰国して上杉に備えることと致す。されど公方様の守護を疎かに出来ぬのも事実。手勢のいくらかは残してゆく故、協力して上方の守護に当たるのじゃ」

「はっ。畏まってござる」


こうして義景は帰国を決めた。朝倉景鏡に五〇〇〇を預けて京に残し、自身は残る手勢を全て率いて引き揚げることになった。


帰り際、久秀が義景に囁いた。


「それと伊冊殿(朝倉景紀)にはお気をつけを」

「伊冊がどうしたというのじゃ?」

「いえ、伊冊殿が景恒殿の件に承服しかね、密かに上杉と通じているようにございます。今のまま上杉と事を構えれば、後ろから伊冊殿に襲われるという可能性もございます」

「なに!?伊冊が儂に背くと申すか」

「俄には信じられませぬが、伊冊殿のことは宰相様の方がよくご存じでありましょう。宰相様の御判断にお任せ致しまする」

「ううむ…」


信じられないといった表情で義景は唸り声を上げたが、完全に否定は出来なかった。景紀は息子のことになると反抗的は態度をとることが多く、永禄七年に子の景垙が景鏡と争って陣中で没したときは、義景の仲裁に抗議するかのようにして領地に引き籠もってしまった事もある。


今は景恒が朝倉の世継ぎとなったことで入道して伊冊と名乗っているが、確かに景恒の件には承服していないようで、何度も義景に真偽を明らかにするべく詰問するかのような強い文面の書状を何度も送りつけてきている。


これにより景紀は義景の帰国と同時に一乗谷へ呼び寄せられ、謀殺されることになる。表向きは当主へ対して無礼を働いたという事だった。同時に、景紀の娘を正室に迎えていた義昭の地位も完全に失墜することになった。これが久秀の狙いだったのである。義昭に実権がないとはいえ、朝倉家との繋がりは無視できないものであった。故にこそ縁を絶ち斬って義景には帰国して貰う。それで完全に上方は久秀の膝下に置かれることになるのだ。


ところで義景の帰国するのを止める者がいなかったのかといえば、そうではない。義昭は上意を以て義景に帰国を呼びかけたものの無視され、義景は自ら挨拶にすら赴くことなく使者を送っただけで済ませてしまった。


そして帰国する義景の前に立ち塞がったのが武藤喜兵衛だった。


「お待ち下され!お待ち下され!!」


突然の帰国を知った喜兵衛が慌てて義景の前に進み出る。無礼を承知で、ひたすらに帰国を留まるよう願い続けた。


「ここで宰相様が帰国なさっては戦線の維持が敵いませぬ。どうか京に留まって全軍の指揮をお執り下さいませ!!」

「全軍の指揮だと!?そんなものいつ儂が執った?信玄殿と道有殿が全て采配しているではないか。武田の家臣たるそちは、さぞ鼻が高かろうて」

「そ…それは……!?」


喜兵衛は愕然とした。義景がここまで武田に対して敵意を抱いているとは思わなかったからだ。そもそも武田への敵意を躱すため、信玄は畠山高政を利用したはずだった。朝倉には都のある山城を与えて懐柔したはずが、いったいどういうことなのだ。


(朝倉殿に何かを吹き込んだ者がいる。…誰だ?)


思案に耽る喜兵衛の脳裏に浮かぶのは、どう考えても一人しかいなかった。松永久秀という悪鬼の存在である。そのしたり顔が、嫌にも目に浮かんだ。


「武田は関係ありません。もし宰相様がお望みとあれば、天下の政を宰相様にお任せ致すことを御屋形様に御約束させてもようございます」


ここで喜兵衛は最終手段に出た。天下を任せると言って義景を思い留まらせようというのだ。無論、信玄の許しを得てのことではない。しかし、嘘八百を並べてでも朝倉を帰国させるわけにはいかなかった。己の主・信玄さえ戻ってくれば約束を反故にしたところでどうということはない。


だが言い方が拙かった。


「痴れ者がッ!天下を任せると申すこと自体が自惚れている証よ。いつから天下が信玄のものになった。天下は将軍家が担うもの、そなたらが(わたくし)してよいものではないわ」


激昂した義景はもはや聞く耳持たずという状態で、配下に命じて喜兵衛を無理矢理に下がらせた。一人残された喜兵衛は茫然と役目を果たせなかった自分を責め始める。


(朝倉に帰国されては我らの勝ち目は乏しい。このまま儂が京に残ったところで…)


もう主の許へ帰ろうかと考えた喜兵衛だったが、心の奥底に残っていた僅かな使命感がそれを打ち消した。


(いや、儂が去ればそれこそ御屋形様の天下が本当に失われる。それを自ら選ぶことだけは出来ぬ)


こうして喜兵衛は京に残る決心をした。


=======================================


元亀元年(1570)五月八日。

加賀国・尾山御坊


季節は夏だというのに北陸では時折、冷たい風が吹いている。戦塵に身を包んでいる者たちからすれば心地よい風になるが、城攻めが停滞して十日を過ぎた辺りからは寒さを感じるようになってきた。


「相変わらず城方の士気は高いままか」


本陣を置いた満願寺山から御坊を眺め、城攻めの指揮を執らせている上野国白井城主・長尾左衛門尉憲景に訊いた。


今や謙信の傍には、越後時代から仕えている家臣たちの姿は殆どない。謙信を慕う者は多かったが、越後に所領を持つ者は景勝に仕えるよう厳命したので、謙信の傍には上野にて上杉家に仕えていた者たちばかりとなっている。これも上杉家と長尾家の関係を重視したためであるが、随分と風景が変わったようにも思える。


「はっ。尾山御坊は一向門徒ども最大の拠点にございます。我らを前にしても臆することないようです」

「…そうか」


憲景の報告に、謙信は興味なさげに頷いた。


既に謙信の意識は尾山御坊にはなく、昨日に軒猿より届けられた朝倉勢に注がれていた。


朝倉勢が上方より引き揚げて一乗谷へ帰国したという報せが届いたのは、五日ほど前だ。それが昨日になって加賀へ入ったという確報に変わった。石山本願寺が謀叛方に属していることを考えれば、朝倉勢が尾山御坊を目指して進んでいることは間違いない。そうなれば謙信は城の内外から挟撃を受けることになり、一転して形勢は逆転する。しかし、謙信は撤退の命令を出さなかった。出さないどころか、その報せを受けた謙信は堅く強ばらせていた表情を少し和らげていた。


(これで上様の負担を少しは減らせただろうか)


ようやく己が慕う義輝の役に立てたことに謙信は、積み重ねられた憂悶を一つ消化する事が叶った。今宵の酒は、昨日よりも旨いはず。そう信じて、並々と酒が注がれた杯を勢いよく呷るのだった。


そして翌日、朝倉勢一万八〇〇〇程が手取川の南・和田山城へ入ったとの報知があった。この分だと確実に明日には姿を見せる。謙信の目は細く鋭くなり、感覚が研ぎ澄まされ始める。


「…篝火を用意しておけ。それも多くだ」


そう下知して謙信は諸将を集めて宣言した。


「恐らく明日の朝一番で朝倉勢は手取川を越えてくる。我らは先んじて待ち伏せ、これを叩く!」


謙信の命令に誰もが頷いた。


渡河中の敵を攻撃するのは兵法の常道である。ましてやこちらが数で劣るとなれば、尚更この機は逃すべきではない。


「されど尾山御坊の門徒どもは如何になされます?」


春日山時代から残った少ない家臣の一人・河田長親が訊いた。


尾山御坊には四、五〇〇〇ほどの門徒兵が籠もっている。野に出て来れば敵ではないが、朝倉勢と挟撃するとなれば話は別だ。こちらは一万しかいないので、両方を相手に戦えるほど戦力は充実していない。


「手取川の北に、門徒どもは如何ほどおる」

「軒猿によれば、手取川の上流・船岡城に五〇〇〇ほど、他には松任城と安吉城にも僅かではありますが門徒どもの姿が確認されております」

「ならば問題はない。左衛門尉、そなたは二〇〇〇を率いてここに伏せよ。朝になれば尾山御坊の者たちは我らがいないことに気付き、出て来るはずだ。そこを叩くのだ」

「はっ。お任せあれ」


謙信の示した先は、高尾城の西側の一帯だった。


高尾城はかつて加賀守護であった富樫氏の居城で、その近くには重鎮たちの屋敷があった。今や打ち棄てられて廃墟と化しているが、それだけに兵を伏せるには適していた。


「後備えには当長と成繁に命ずる。松任、安吉の両城より敵が突出してくれば防げ。されど無理して追い返す必要はない。儂が朝倉を破れば、自ずと兵を退くはずだ」

「はっ。承知いたしました」


長尾当長と由良成繁が即応し、役目を遂行するべく陣を離れていく。


その日の夜のことだ。謙信は辺りが静まったのを確認すると二〇〇〇の兵を憲景に預け、自身は八〇〇〇を以て闇夜へと消えていった。


跡には煌々と焚かれた篝火のみが残っていた。


=======================================


五月十日。

加賀国・和田山城


朝靄が晴れぬ頃、眠たい目を擦りながらも義景は疲れた身体を無理矢理に起こした。周りでは兵たちが忙しく動いているのが判る。前日に手取川の渡河を命じており、その支度に追われているのだ。


「京に比べると随分と田舎まで来たものじゃ」


義景は溜息交じりに言った。


周りは見渡す限りの田園風景。長閑と言えば平和的に聞こえるが、眼前に見える川の向こうでは上杉軍と一向門徒たちの間で激闘が繰り広げられている。それに介入しようというのだが、それは義景なりの思惑があってのことだ。


(これを機に加賀を我が版図に加えてくれようか)


そう義景は考えていた。


そもそも加賀は朝倉百年の夢と言っていいかもしれない。加賀で一向一揆が発生した長享二年(1488)、その後一揆たちは朝倉氏の治める越前へ何度も攻め寄せてきた。朝倉家は迫る外敵を何度も排除しながら時には加賀へ攻め入ることもあり、宗滴の晩年には破竹の勢い攻め続け、加賀平定まであと一歩のところできた。もし宗滴が病に倒れずにいれば、今ごろ加賀は朝倉の領国になっていただろう。


義景は天下も欲しいが、目先の加賀も欲しかったのだ。加賀を平定すれば、少なくとも加賀を落とせなかった先代たちの上に立てる。この混乱に乗じて切所を押さえ、上杉を破りさえすれば一向門徒など滅ぼしてしまえばよい。義景の中で小さく芽生えた野心が、確実にそして急速に育ちつつあった。


「御屋形様。渡河の支度が整いました」

「…ふむ。では参るとしようか」


既に軍団の四割が街道ほど近い地点から、手取川に多数存在している中州を利用して渡河を終えつつあった。そして義景の番となり、重い腰を上げて馬に跨がろうとした矢先のことだった。


「て…敵襲でございます」


肩で息をし、ずぶ濡れとなった武者が本陣へと駆け込んだ。その姿からは対岸にいる味方から送られてきたものと判った。


「上杉勢にございます!上杉が襲って参りました!!」

「莫迦な!上杉は尾山御坊を攻めているのではないのか?」


急報に義景は狼狽した。確かに上杉が御山御坊を攻めているという情報を得ていたからだ。しかも、それは昨日の話であり、近くに一向宗の拠点がある以上、手取川は安全に渡れるはずだった。


「仔細は判りませぬが、確認できる上杉勢は七、八千ほどにございます。恐らくは抑えの兵を残してこちらへ向かって来たものと思われます」

「…ううむ」


俄に眉宇を曇らせた義景が対応に苦慮する。戦経験が豊富ではない義景には、こういうときに即座に対応する能力に欠けていた。ただ義景にも上杉勢が八〇〇〇という言葉だけは聞き逃しはしなかった。


「敵は寡兵じゃ!追い返せ!」


義景は悲鳴に近い声を張り上げて、命令を下した。そして、それが仇となった。本来ならここで、犠牲を払ってでも兵を退かせるべきだったのだ。このとき既に勝敗は決していたのだから。


「懸かれー!朝倉の弱兵どもを越州へ追い返せー!」


手取川の北側では、早々に銃撃戦を終えて上杉の長柄部隊が朝倉勢を突きに突きまくっていた。戦場の至るところでは絶叫が放たれ、兵たちが転がりながらも越えてきた川を戻ろうとする。そこへ刀で斬りつけられ、絶命する者が後を絶たない。奇襲された上に渡河を完了している部隊の大半は、満足に備えすら築けていない有様だ。数からしても上杉を下回っている。


「落ち着け!敵は我らの半数ほどぞ!腰を据えて防げば負けはせぬ!」


唯一、奮戦して上杉の猛攻を押し止めていたのは山崎吉家だった。軍略に優れ、家中に於ける武勇、戦歴は抜きん出ている。義景からの命令を聞き、応援が駆け付けるものと思って耐え続けていた。しかし、彼の抵抗は虚しいものに終わる。


「前衛を崩すだけでよい。逃げる者まで追ってはならぬ」


上杉軍の先鋒を務めた和田業繁が、謙信の下知に従って三方から攻め寄せてきたのだ。謙信は合戦の状況を的確に把握しており、朝倉勢の渡河が鈍くなっていることに気が付いていた。本来ながら味方を救うべく速やかに渡河しなくてはならないのに、その様子が朝倉の兵たちにはなかったのだ。


それは朝倉方が既に勝利を諦めかけているということだった。その事は、堀江景忠が撤退したことにより証明されてしまう。


「み…味方はどうした!援護はまだか!」


不安と恐怖に怯えながらも戦い、敵を防ぎ続ける吉家は限界を迎えつつあった。麾下の部隊は完全に浮き足立ち、迫る敵をいくら排除してもきりがない。そこに凶報が届けられる。


「御舎弟・吉延様が討ち死に!御子息の吉健様も敵の手にかかり命を落とされました!」

「な……」


身内の死に吉家は愕然とした。そして群がる敵の前に力尽き、自らも首を討たれることになった。


「御屋形様。我らの負けにございます。このまま戦い続けても勝ち目はありませぬ」


側近の鳥居景近が沈んだ声で義景へ話しかけた。


朝倉の前衛は壊滅し、死傷者は二〇〇〇を越えていた。一部は上杉に討たれた兵たちであったが、手取川に飛び込んで溺死した者も多かったという。山崎吉家を始め、青木景康などが戦死した。


未だ数の上では朝倉に分があったが、兵の士気が完全に失墜していた。誰の目にも、上杉と戦えば負けることが判っていた。


「おのれ謙信め!この儂に煮え湯を飲ませるとは、覚えておれよ!」


結局、何も出来なかった義景は命からがら落ち延びるしかなかった。だが双眸に怒りの炎を灯し、再戦を忘れはしなかった。朝倉家が越前守護となって凡そ百年余り経ち、芽生えていた名門の意識が敗北を受け容れられなかったのである。


「一度、態勢を立て直す必要はございますが、まだ我らは戦えます」

「何処で敵を防ぐというのじゃ!越前を戦場にするのか!」

「建て直しの時を稼ぐにはやむを得ぬかと。されどまだ九頭竜川がありまする。あそこならば、我らにとっては縁起のよい土地にございます。必ずや勝ちを得ましょう」


九頭竜川。越前を流れる大河の一つだが、彼の地は朝倉家でも歴史残る大会戦で勝利した土地であった。


永正三年(1506)。加賀の一向一揆と呼応して越前でも一揆が起こった。その大軍が群れに群れをなして一乗谷へ迫っていた。その数、なんと三十万にも及んだ。朝倉勢は九頭竜川を防衛線とし、後の朝倉宗滴こと朝倉教景に一万余の兵を預けて対抗した。宗滴は三十倍の敵を目の前にしても臆することなく戦い抜き、果てには撃退するという奇跡を起こしてしまったのだ。


だからこそ義景には、九頭竜川ならば軍神・上杉謙信といえど防げるはずと思えてならない。


「…宗滴か。あれがおった頃には、斯様な無様な敗北はなかったものを…」


一瞬、義景は若き日のことを思い出して遠くを見るような目になったが、すぐに元に戻って軍団に下知した。


「軍を移動させる。本陣は吉例に従って中ノ郷へ置くことにする」


朝倉義景と上杉謙信の第二戦は間近まで迫っていた。




【続く】

さて今回は手取川の合戦となりました。史実と違う点は、朝倉勢が渡河中であったことと上杉勢の動きを正確に把握していたことです。(ただ前日までの情報でしたが)


これで朝倉軍は傷を負ったものの一万以上の軍勢は未だに保持しています。今回の合戦は余り詳細に描きませんでしたが、それは次回が本番だからです。次回は上杉勢がようやく越前まで殴り込み、朝倉勢と死闘を繰り広げます。九頭竜川での合戦は奇襲戦ではなく、兵の数も朝倉が多いために今回のような一方的な展開とはならない予定です。


次回も一週間ほどで投稿できるように頑張ります。

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