第二十九幕 梟雄の牙 -大天魔、蠢動す-
三月三十日。
京・二条城
御台所が若君を出産したという報せに足利義昭は表情を俄に曇らせた。袂を分かったとはいえ義昭は、兄・義輝へ恨みや憎しみを抱いているわけではない。将軍家の威光を取り戻し、幕府を再興させた兄の手腕は義昭も素直に認め、今でも尊敬の念を持ち続けている。故に戦局を優位に運べると判っていても義姉である御台所、姪の藤姫を政治的に利用することはしなかった。それは義昭の矜恃を大きく傷つけてしまうからだ。
しかし、その兄に子が生まれた。しかも男子だ。これは由々しき事態だった。
(何故に男ノ子として生まれてきた。そちが姫であったなら、心から喜べたものを…)
義昭は胸の内の深いところで大きな溜息を吐いた。
この日、御台所の様子を窺いに訪れた義昭は、複雑の表情で生まれたばかりの赤子を見つめていた。
「姉上。今は表のことは気になさらず、健やかにお過ごし下され」
義昭はニッコリと笑って言ったが、その声は沈んでいた。結局、義昭は兄の子を抱くことが出来ずにその場を去るしかなかった。
あの子は紛れもない将軍家の血を引く男ノ子である。義昭に如意丸という息子がいなければ、兄の子とはいえ将軍家の後継として育て上げるところだが、二人を兄弟のように育てるとしても何れは父の存在を知ることになるだろう。そうなったとき、再び将軍家の中で後継者争いが勃発するかもしれなかった。その歴史は決して繰り返してはならないもの。
(いっそ仏門に入れてしまうか)
そう考えた義昭だったが、如何せん未だ子は名もない乳飲み子である。とりあえずは兄との決着がつくまで御台所のところで養育するしかないだろう。全てが終わった暁には、然るべき処置をする。そうやって存在を忘れるしか今の義昭には出来なかった。
だが、そう考えていない者が一人いた。
「く…くっくっくっく!まさか嫡子が誕生するとはな。ようやく儂にも運が向いてきたようじゃな」
義輝の宿敵・松永久秀である。
久秀は即座に使者を発し、若君誕生の報せを一ノ谷へ届けさせた。蒲生賦秀が嫡子誕生の報せを知ったのは、実は久秀の手の者が報せたからだった。事実のみを報せれば事足りる。失った子を再び得た義輝が二の足を踏むのは容易に想像がついた。その間に久秀は策謀を張り巡らす時を手に入れられるという算段だ。
「父上、ようやく機会が訪れたようにございますな」
報せを聞き付けてやってきた久通が意味深な笑みを浮かべて言った。
「そなたにも機というものが判ってきたようじゃな」
「はい。邪魔な信玄は不在、しかも甲斐守の謀叛で京へ戻って来られるか判りませぬ。気位が高いだけの越前宰相は、上杉の西進に心が浮ついている様子。あとは父上から帰国を促せば、即座に帰国いたしましょう」
「うむ。して、荒木のことは抜かりないか」
「池田知正が幕府方に通じているという文書を偽造し、渡しました。間もなく村重が知正を追放し、池田を完全に乗っ取りましょう。残るは厄介な道有ですが…」
「ふっ、道有など既に籠絡しておるわ」
「なんと…!?」
久通は父の用意周到さにゴクリと唾を飲み込み、冷や汗を流す。
信玄の不在と上杉の西進に乗じて村重をも味方に引き入れ、総大将格の無人斎道有をも掌中にしたとなると、朝倉義景さえいなくなれば上方に残る謀叛方の大半は久秀の意のままとなる。こちらの数こそ減るが、それを建て直すだけの時間は、嫡子の誕生で手に入れた。
「元甲斐国主とはいえ所詮は田舎大名。槍働きの場さえ与えれば、こちらの思惑通りに動いてくれるわ。戦しか知らぬ老いぼれには、血生臭い役回りには丁度よかろう」
久秀は淡々と答えながら、陰気な笑みを浮かべた。それに久通は背筋が凍るのを感じた。巧みに人の心を操りながら上へ上へと昇り詰める手並みはかつて京で天下を欲しいままにしていた頃と何ら変わりがなかった。今まで息を潜めていたのは、久秀を大きく超える存在・武田信玄がいたからだ。
「さて少し義輝を揺さぶって参るか」
悠々と立ち上がった久秀は、俄に西へ視線を向けると久通の前を去っていった。
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四月朔日。
摂津・花隈城
若君誕生の報せから一夜が明け、城内は先日までの活気が嘘のように静まりかえっていた。それも義輝が自室に籠もって出て来ないからである。
(何故に我が許におらぬ。何故に我が手で抱けぬ。天は余を見放したというのか)
義輝はまだ見ぬ我が子の姿を必至になって思い浮かべたが、それは手の届かないところで何度も消えていった。
この戦いに勝ったところで、将軍家が続いていくには世継ぎの存在は不可欠だ。もちろん義輝の子だけが世継ぎとして認められないというわけではないが、やはり跡継ぎは実子がいい。まさか謀反人たる義昭の子を継嗣にするわけにもいかない。
ただ諦めるのは早い。今後、義輝に子が生まれないというわけでもなく、人質にされなくなければ、今この状況下であっても側室を迎えて子を産ませればいい。そうすれば義輝の手に世継ぎは入る。しかし一度、永禄の変で子を全て失っている義輝には、御台所や子供たちに対する強い執着があった。いや覚悟と言ってもいい。
(守ってみせると誓ったのだ、余は……)
その双眸には、未だ光は消えていない。気持ちは途切れることなく続いているが、既に昨夜より一睡もせずに思案を繰り返しても結局のところ打開策は何も浮かばなかった。
そこへ蒲生賦秀が予想もしない来客を告げてきた。
「ま…松永久秀がやって参りました」
「何じゃと!?まことか忠三郎!!」
義輝は思わず目を見開き、驚きの声を上げた。同時に身体が身震いを始める。恐怖からではない。心の底にしまい込んでいた久秀への憎しみが沸いて表へ出始めたのである。
「間違いございませぬ。兵庫助様が本人だと確認しております」
賦秀がきっぱりと答えた。
柳生宗厳は元々松永家に仕えていたこともあり、久秀とは面識がある。その宗厳が直に確認したのであれば、まず間違いなく本人である。
「おのれッ!!」
突如、賦秀が驚くような行動を義輝は起こした。室内に置いてあった太刀を握り締め、阿修羅のような形相で飛び出していったのである。慌てて賦秀は義輝の後を追っていった。
廊下を喧騒とさせ、義輝は大きな足音を立てて走っていく。
「久秀ーッ!!」
そして盛大に襖を開け放った先には、忘れたくても忘れられない宿敵の姿があった。幾度となく京で煮え湯を飲まされ続けてきた三好長慶の背後には、いつもこの顔があった。今も将軍と会うというにも関わらず烏帽子も被らずに平然と平服のまま鎮座している姿は、こちらへ対する敬意も尊重も一切感じられない。
「…ふっ」
途端、こちらを見て久秀が鼻で笑った。この人を小馬鹿にしたような笑みを義輝は嫌いだった。不快感を募らせた義輝は、いきなり太刀を引き抜くと久秀へ斬りかかる。広間には浅井長政、柴田勝家、北条氏規などが天下の梟雄たる久秀を見たさに集まっていたが、義輝の目は久秀しか映っていなかった。
「死ね」
義輝は久秀へ一気に詰め寄り、太刀を振り下ろす。放たれた鋭い斬撃が的確に首筋を狙って打ち込まれていくが、刀身が久秀に届くことはなかった。刃は久秀の身に届く寸前で左へ折れ、そのまま床へと突き刺さった。
「なりませぬ!」
一人の男が声を張って義輝を制止した。
もはや名人の域に達している義輝の斬撃を正確に捉えられるのは一人しかいない。そう宗厳が横から義輝の腕を掴み、抑え込んだのである。余りにも突然の出来事に、集まった諸将は腰を浮かせて唖然とするしかなかった。
当然、宗厳の行いに義輝は激昂する。
「何をする兵庫助!放さぬかッ!」
「御短慮はなりませぬ。自重なされませ!」
「どけッ!こ…こ奴だけは斬らねばらなぬのだ!こ奴を生かしておいては、必ずや将軍家に災いを及ぼす」
久秀によって殺された者たちの恨みが義輝を突き動かしていた。義輝には、久秀が生きている限り幕府の存続はあり得ないように思えてならなかった。その義輝の形相は鬼神かと見間違うほど恐ろしいもので、さしもの宗厳も義輝の威圧に冷や汗を滲ませたほどである。
「上様ッ!?」
そこへ遅れて駆け付けた賦秀が加わり、宗厳と一緒になって止めに入る。長政など我へと返った者たちも駆け寄って二人の間へ入っていく。
「ここで久秀を斬れば、若君の御命はありませぬぞ!」
宗厳の諫言に義輝はピタリと止まった。
久秀が単身で乗り込んできた背景には嫡子の存在がある。つまりここで久秀を僅かでも傷つければ、生まれたばかりの命は儚く散るだろう。
「やれやれ、気が短いのは変わりありませぬな。そんなことでは天下の御政道は担えませぬぞ」
「黙れッ!うぬ如きが天下を語るでないわ!」
義輝の怒声にも久秀は余裕だった。敵中に飛び込み、殺されそうになったにも関わらずに汗一つかかずに涼しい顔をしている。
「ようもぬけぬけと余の前に姿を現せたものよ!斬り捨てられても文句は言えぬと思え!」
その様が如何にも気に入らないといった表情で、義輝は言った。
「…ふう。お忘れですかな。昔、何度も申し上げたはずですぞ。出来ぬことを口になさるのは上様の悪い癖だと」
「くッ…!おのれ……!!」
「ご辛抱を!!ここで久秀を斬れば、若君のお命は諦めねばなりません!!」
度重なる久秀の挑発に顔を朱色に染め上げていく義輝を、宗厳は必死になって押し止めた。
「くそッ!」
ようやく義輝は力を抜いて太刀を手放した。それに合わせて宗厳も息を吐く。太刀を賦秀へ預け、乱れた衣服を整えながら上座へ座った。
「用件を言え」
熱の冷めてきた義輝が冷たく言い放った。その鋭い視線は久秀を捉えて放さない。少し間を置いた久秀が両の手を床に付き、姿勢を正して話を切り出した。
「そろそろ将軍職を辞して頂きたい。将軍は京にあってこそ意味を成すもの。それを果たせぬ上様に将軍職は重うござろう。是非とも某が、その荷を軽くして差し上げたく存ずる」
と形だけ平伏する久秀であるが、明らかに嫡子を人質にしての脅迫だと察しはついた。しかし、この態度には諸将は不快感を募らせた。将軍である義輝へ対し、ここまで厚顔に振る舞う者を彼らは見たことがない。
「無礼な…」
と思わず漏らしてしまった長政の声を久秀は見逃さなかった。
「そこに居られるのは、浅井左衛門佐殿かな?」
「…如何にもそうだが」
急に話しかけられた長政は、戸惑いつつも小さく頷いた。
「父上のご活躍は御聞きになられましたかな」
久秀は惚けたような声を出し、長政をからかい始める。父の活躍が義兄・信長の弟や家臣たちを討ち果たしたことを指すのは明白で、長政の心を痛烈にえぐった。
「そういえば久政殿は大の織田嫌いとか。織田殿の妹御との婚姻にも反対なされたと聞きましたぞ」
「浅井の当主は儂だ。父が何と思おうとも儂の考えには従って貰う」
「浅井殿は親不孝者ですな。されど某には久政殿のお気持ちがよう判る。実は久政殿に申し出ようと思っておることがあるのじゃ」
と言って久秀はフフンと鼻を鳴らすと、醜悪な顔つきで語を継いだ。
「織田の妹御がお嫌いならば、某が引き取って差し上げてもよいと。聞けば絶世の美女との噂、某の側室として迎えてもよいかと考えておる」
「この外道がッ!!」
いきり立った長政の手が思わず太刀に伸びた。織田家との縁組は政略結婚であったが、長政は素直に於市ノ方の人柄を好いている。仮に運命の悪戯で織田家と袂を分かつことになっても於市を手放そうとは思わない。そんな於市が他人の者になるなど長政が我慢できるわけがない。
「浅井殿、御加勢いたす!」
同じように於市を慕っていた勝家も額に血栓を浮かべて片膝を立たせ、刀の柄に手を置いた。それを制止したのは、先ほどまで同じように久秀へ怒りをぶつけていた義輝だった。
「者ども控えい!」
「上様ッ!?されど……」
「余が堪えたのだ!そなたらが暴発することは許さぬ!」
義輝の一喝に、長政たちは肩をすくめて押し黙った。義輝が味方に対してこれほど威圧的な態度に出るのは珍しい。それだけ義輝の中にも怒りの炎が燃えたぎっている証だ。現に義輝の拳は、今も強く握り締められている。
「各々方も故郷に残してきておる妻や子が恋しくなっておる頃であろう。義昭様に従われるならば、所領の安堵は約束いたしますぞ」
露骨にも久秀は、義輝の前にも関わらずに声を大にして諸将らへ寝返りを呼びかけた。多くの者が京に妻子を残してきている。それらの殆どは謀叛方によって軟禁状態にあるが、今までは義昭の方針で何かしらの要求をしてくることはなかった。
よって誰もが人質の存在に気をかけながらも幕府方として戦うことが出来た。しかし、いま久秀によってその結束が揺さぶられている。
全員が視線を左右に泳がせ、周囲を見回す。中には“上様を裏切るなど有り得ぬ”と叫ぶ者もいるが、内心でどう考えているかまで判ったものではない。身内可愛さに裏切り者がでないとも限らない。
場には緊迫した空気が流れる。これを破ったのは、またもや久秀であった。もはや完全に主導権は久秀に握られていた。
「いやいや、この場で御返事を頂こうとは思っておりませぬ。上様の前では言いにくいでしょうからな。後で儂の許へ密使でも送ってくれればよい」
「このッ…!!」
久秀の余りにも図に乗った態度に、再び義輝の腸は煮えくり返る思いだった。堪らず荒げた声を上げたが、それを無視して久秀は立ち上がり、帰ろうとして後ろを振り返った。
「そうそう。上様が将軍職を辞職なされるのが、皆を救う一番の道であることは改めて申し上げておきます。義昭様が将軍となられれば、上様の目指される天下静謐は即座に成りましょうぞ」
こちらを見下したような目付きで久秀は捨て台詞を吐き、去って行った。残されたのは、何も出来なかったという虚無感だけであった。それは永禄の変以前に義輝が日々感じていたものを思い出させるものだった。
(余は、未だ奴には敵わぬのか)
取り戻したはずの自信を失いかける義輝。久秀という大きな壁を越えられない現実。しかし、義輝は希望を失ったわけではなかった。
(奴は余に将軍職の辞職を求めた。つまり、それは朝廷工作が上手くいっていない証ではないのか?だからこそ、奴は余の前に姿を現した。ならば、衝け入る隙はまだあるはずだ)
義輝は僅かな希望を捨てていなかった。その双眸は今も強く光り輝いていた。
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四月二日。
京・二条城
松永久秀が一ノ谷を訪れ、義輝の嫡子を人質に将軍職の辞職を迫ったことはすぐに義昭へと伝わった。
「あのたわけめがッ!これでは余の大義が失われてしまうではないか!」
義昭の目指す世は幕政の復古であり、それが挙兵の正当性となっている。久秀の行いは義昭を単なる簒奪者に、尚且つ将軍家を貶めるものだ。畠山高政と信玄の進言があったとはいえ、やはり奴を許すべきではなかったと後悔する。
「久秀めをこれへ呼び出せ!余が自ら詰問してくれる!」
と義昭は吼えたが、その命令は虚しく無視された。久秀が義昭の前に顔を出すことはなく、その意思に反して動き続けた。その最たる例が鷹尾城からの軍勢引き抜きである。
鷹尾城には五万もの兵がいる。謀叛方の主力であるが、幕府方への備えもあって動かすことは出来ないはずだった。それを久秀は、大胆にも一万五〇〇〇もの兵を引き抜く。それを自らの版図として認められた大和へ向け、その制圧に利用しようというのである。大和を完全に手に入れられれば、久秀の扱える兵は多くなる。それは、それだけ久秀の発言権を高める事に繋がる。
「勝手に兵を動かすなど以ての外にござる。いま攻められればとても支えきれませぬ」
これに反対の声を上げたのは、信玄の眼として上方に残っていた武藤喜兵衛であった。喜兵衛は憮然とした態度で久秀へ迫った。
「武田殿の家来に過ぎぬ者が口を挟む事ではない」
しかし、久秀は喜兵衛の言葉をあっさり切り捨てた。
「某は武田宰相様の代理にござる」
「ならば申し上げよう。儂は儂の所領と認められた大和を平定すべく軍を進めるだけ。これは武田殿が行っていることと大差のないことであるし、大和を平定すれば我らの兵力は増え、戦を優位に運べる。其方とて軍略を学んでおるであれば、この程度のことは承知しておろう」
「故に我が主が織田領の制圧へ赴いておるのです!敢えて危険を犯さずとも、主が帰還すれば戦局は我らが優位となりましょう」
「ふん。息子に背かれた者など当てにならぬわ」
尚も抗弁する喜兵衛も、これには反論することは出来なかった。
義信の謀叛は、信玄にも喜兵衛にも寝耳に水であった。甲斐は既に奪われ、信濃の一部も失っている信玄の威光には陰りが見え始め、京での影響力は格段に低下している。最近まで大人しくしていた久秀が動き始めたのが、その判りやすい例だろう。
「総大将たる道有殿の裁可は得ておる」
最終的に久秀は、上意を以て押し切って軍を動かした。喜兵衛は道有へ久秀を止めるよう申し出たが、取り合って貰えなかった。
「武田家では、息子が親に刃向かう教えでもあるのかのう」
そう言って道有は、まるで他人事のように呟くだけであった。自らを追放した息子が孫に謀叛されたことが可笑しくて仕方がないようで、事ある毎に話題にしてカラカラと笑っていた。
そして久秀の軍勢は大和へと入った。
大和は京極高吉が代官であったので、国内の大半は概ね久秀の支配下に収まっているが、筒井領と柳生領は別である。筒井順慶は山陰勢に組み込まれ、鳥取城での謀叛に巻き込まれた。味方を見捨てて撤退した順慶であったが、その薄情な行為に家臣たちはもちろんのこと兵たちにも見放され、途中で軍勢は離散し行方知れずとなっている。
また柳生宗厳は麾下の軍勢を率いて一ノ谷におり、領内には大した兵は残っていない。よって筒井領と柳生領は満足な抵抗も敵わずに久秀の軍門に降ることになった。これにより久秀が軍勢を四〇〇〇ほど増やすことが出来た。
大和の制圧が完了した頃、順慶の行方が判ってきた。久秀へ降ってきた者の中に、居場所を知っている者がいたのだ。
「順慶が興福寺に匿われているというのは本当か」
「はっ。間違いないものかと」
元々筒井氏は興福寺の衆徒であり、順慶を匿う理由は判らなくもない。しかし、興福寺は久秀が拠点とした多聞山城のすぐ近くであり、どうしても裏切られたという感覚を抱いてしまう。すぐに軍勢を差し向け、興福寺へ順慶の引き渡しを求めた。
「久秀に見つかったか。されど興福寺におれば安心じゃ」
引き渡し要求を受けても順慶は強気だった。興福寺の門徒たちも同様で、順慶がいることを認めた上で久秀の要求を却けた。さらに興福寺は義昭に対して使者を遣わし、久秀に軍を退かせるように訴えた。義昭は興福寺の塔頭の一つ一条院で門跡を務めていたことがあり、その誼を頼ってのことであった。
「これ以上の勝手は許さぬ。即刻、兵を退け」
当然なように義昭は、久秀へ撤退を命令する。
「儂の言葉が聞けぬとは、時勢の見えぬ者どもよ。まあ、この機に僧共の掃除でも致すとするか」
しかし、久秀は命令を無視して興福寺への攻撃を開始した。予てより多聞山城の膝下にある寺院を邪魔に思っていた久秀は、陣地となりそうな拠点を悉く焼き尽くした。驚いた順慶は必死になって脱出を図るが、それによって戦火は拡大し、隣接している東大寺にも火の手が及ぶことになる。いくつもの伽藍が焼け落ち、興福寺の多門院を預かる英俊は、これを“大天魔の所為と見たり”と書き残した。
久秀はさらに悪名を背負うことになったが、肝心の順慶を捕まえることは出来なかった。何処をどう逃げたかは判らず、東へ遁走したという情報だけが久秀へ告げられた。
「捨て置け」
それ以上の順慶の捜索を久秀はしなかった。大和の制圧という目的を達したいま、久秀にとって順慶はどうでもいい存在となっていた。
【続く】
さて今回の主役は松永久秀です。信玄の影に隠れつつあった彼ですが、やはり悪いことを考えております。喜兵衛が如何に優秀でも久秀を止める権限は何もなく、どうすることも出来ない状態に陥っています。既に義昭も傀儡同然に落ちつつあり、謀叛方の大半が久秀に掌握されつつある状態です。
次回は北陸の話となります。可能なら一週間前後で投稿したいと思っております。