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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第二十七幕 叛人たちの隔たり -打ち込まれる楔-

伊丹・大物の合戦を契機に幕府陣営を離反した宇喜多直家は、備前へと帰国して主筋たる浦上家を乗っ取った。浦上宗景の子・宗辰を謀殺して新当主に久松丸を据えた。久松丸は宗景の兄・政宗の血筋で謂わば浦上の嫡流だった。


「御屋形様が亡くなられ、宗辰様も急な病で身罷られたとあっては久松丸様に御家を継いで頂く他はない。されど久松丸様は幼年ゆえ、儂が後見となって御家を支えよう」


直家は天神山城から国中に振れを出し、自らの下知に従うよう伝えた。直家の行動に疑問を抱く者も少なくはなかったが、上方で幕府方が敗れた衝撃は備前でも大きかった。その結果、明石行雄(あかしゆきかつ)延原景能(のぶはらかげよし)など浦上家の重臣たちも宇喜多方へ寝返り、足利義昭が備前と美作を宇喜多領として認めたことで、備前では完全に宇喜多が優勢だった。


地盤固めを急ぐ直家であるが、早急に手当すべき事柄があった。将軍・足利義輝の命により帰国してくる浦上の宿老・大田原長時の軍勢をどう対処するかだ。


「直家に時を与える訳にはいかぬ。急ぎ国許へ帰る必要がある」


長時は宗景の残した兵三〇〇〇を纏め上げて帰国を急いでいた。直家は一度目の謀叛に失敗しているが、それは幕府が思わぬ介入をしたからであり、それは大きな誤算だったはずだ。だが何事も計算高い直家は、必ず謀叛を成功させるべき下地を作っているはずだ。


故に長時は遅れれば手遅れになると思い、急いでいた。それが仇となった。


「くっくっく、無警戒に阿呆面を並べておるわ」


直家は高尾山で待ち伏せ、船坂峠を通る大田原勢を眺めていた。


「それ、今ぞ」


直家が振り下ろした軍配に合わせ、宇喜多勢が大田原勢へと襲いかかる。


「なッ!敵襲だと!!急ぎ備えを固めるのじゃ!」


突然の出来事に長時は冷静に対処しようとしたが、兵たちは狼狽し、辺りからはわめき声ばかりが聞こえている。味方は散々に打ち負かされ、湧き上がる喚声が絶叫に変わるまでさほどに時間はかからなかった。


宇喜多勢が下ってきている高尾山を長時はキッと睨み付けた。


「怯むなッ!これは御屋形様の弔い合戦ぞ!返せ!返せー!!」


長時の叱咤も虚しく、兵の逃散は後を絶たなかった。兵の疲労が溜まっていたこと、上方に次いで負け癖がつき始めてきたこともあったが、何よりも兵たちには忠義を尽くす相手がいない最大の原因だった。長時は浦上の宿老であっても主君ではない。命を懸けてまで守らなくてはならない相手ではないのだ。


「脆い!脆すぎるわッ!儂が斯様な腑抜けた家に仕えておったとは知らなんだぞ」


山頂にて大田原勢の崩れていく様を見て、直家は大仰に笑った。こんなに気持ちよく笑ったのは生涯でたった一度きり。祖父の仇である島村盛実を謀殺した時以来だ。直家には何もかも上手くいく気がしてならなかった。


後は他国の邪魔が入る前に国を纏め上げ、謀叛方と連携して版図を拡大していくだけである。幸いにも隣国の兵は留守にしている者が多く、やりようはいくらでもある。


一方で幕府方も反撃を始めた。義輝は実弟・晴藤に命じ、久松丸を引き渡して謀叛方に内通した赤松義祐の討伐に乗り出した。これは宇喜多に与した者たちへ動揺をもたらしたが、直家だけは違った。寧ろ不安がる家臣らへ向けて余裕で言い放った。


「案ずるでない。必ずや上方は援兵を遣わすはずだ。赤松を救わねば、二度と義昭様へ従おうという者は現れなくなるからな」


直家の態度は悠々としたものだった。


この理屈に家臣たちは大いに安心した。ただ現実は甘くなく、直家は裏切られることになる。武田信玄が近江へと出陣し、西方への支援を放棄したのである。


(莫迦な!信玄は儂を見捨てるつもりなのか!?)


表情にこそ出さないが、その胸中で直家の焦りは日増しに高まっていった。即座に密偵を遣わして松永久秀に問い合わせるも、返ってきた答えは燦々たるものだった。


「はっはっはっは、誤解じゃよ、誤解。武田殿は宇喜多殿を見捨てられたわけではない。近江、美濃を制すれば武田殿の兵が上洛されることとなる。さすれば全軍を以て再度、西方(幕府方)と決戦する所存じゃ。今暫くの辛抱でござる」


嘘は言っていないのだろうが、これに直家は憤りを覚えた。


つまりは信玄頼みの軍略で、それまでは一切の支援をしないというものだ。信玄の織田領制圧が遅れれば、宇喜多の命運は尽きることになる。こちらは幕府を裏切った者たちだ。謀叛へ奔った者たちを許すことは、義輝の気性からすれば考えられず、再び幕府方へ鞍替えすることはないと見越しての支援放棄と言える。


義輝をよく知る松永久秀らしい策だった。


(この儂が使い捨てられるだと?あってはならんことだ)


幾度となく人を道具のように使い捨ててきた直家にとって、自分が同じ目に遭わされるのは無性に我慢がならなかった。そもそもこの状況をあの将軍が、この隙を見逃すはずもない。現に義輝は因州攻めよりも備前の平定を優先し、美作の石谷頼辰を呼び戻す。また上野隆徳を帰国させて西から備前を脅かさせた。このままでは手に入れたばかりの備前を失う羽目になってしまう。


(そうはさせぬぞ)


直家は脳漿を振り絞り、己が生き残るために全精力を注ぎ込んだ。


まず美作国人・原田貞佐(はらださだすけ)を調略して味方に付け、花房職秀(はなふさもとひで)に命じて美作西部の岩屋城を奪取させた。これで頼辰は国内の平定に力を注がねばならなくなり、備前へ入ることは不可能になった。


次に直家は居城・沼城へと帰還して兵を西へ向け、備中へと駒を進める。西から攻め寄せる上野勢を挑発し、野戦にて一気に壊滅させてしまおうという腹だった。それと同時に大友宗麟へ使者を送り、河野の支援と毛利領への侵攻を依頼した。


その時である。播磨で赤松家が滅び、直家では手に負えない事態が起こった。


一月の末、幕府の要請に応えて小早川隆景を大将とする毛利水軍が四〇〇艘余りの大船団で瀬戸内を進んだのである。水島灘の海戦で壊滅状態の宇喜多水軍では阻めるわけもなく、船団は無人の野を行くかの如く進んでいった。


ここにきて直家は己の決断を悔やみ始めた。


(宗景を倒すためとはいえ、松永の誘いに乗ったのは誤りだったやもしれぬ)


今を以て西方の支援に乗り出さない謀叛方からすれば、宇喜多や赤松の離反は信玄が織田領を制圧するための時間稼ぎにしか過ぎなかったのだろう。その間に生き残っておればよし。滅びてしまっても問題はないということか。まず間違いなく四国で挙兵した河野も捨て駒にされるだろうと思われた。


直家は国内でこそ優勢に事を進めているが、赤松が滅び、次いで毛利が本腰を入れてきたとなると謀叛方の勝利も怪しくなってくる。正直にいって直家には毛利がここまで幕府方に肩入れするとは思わなかった。仮にも幕府方と一戦に及んだ大名家が嘘のように協力的過ぎる。だが事実は事実として認めねばならない。そうしなければ判断を誤ることになる。


一つの決断をした直家が、弟の忠家を呼び出す。


「七郎兵衛。済まぬ毛利へ行って貰いたい」

「毛利へですと?また何故でござる」


忠家が問い返した。


いつも唐突に言い出す兄に振り回されてきた忠家であるが、今回ばかりはどうしても訳を聞かなければならないと思った。毛利は敵方であり、いきなりバッサリと斬られることも有り得るのだ。


「知れたこと、毛利に降るのよ」

「…は?」


余りにも突拍子もない発言に、忠家は思わず呆けた声を出してしまった。


既に宇喜多は大友へ遣いを出し、毛利領への出兵を依頼している。それ以前に我らは幕府方を裏切ったではないか。それを今さら元に戻そうなど不可能だ。


「元就にはこう儂が申していたと言え。宗景殿を討ち果たしたのは、恥ずかしながら私怨でございました。されど公方様に刃向かうつもりは毛頭なく、つきましては陸奥守様直々の仲立ちにて公方様へ取りなして頂きたく御願い申し上げます。さすれば備前の者どもは悉く陸奥守様の御下知に従うでありましょう…とな」


直家は自ら宗景を討ったことを打ち明けるだけではなく、幕府方へ降伏を申し出るつもりだった。但し、義輝へ直接に申し出ない。義輝が許すわけがないし、それが明るみになれば国人衆たちの離反は止められなくなる。それが毛利へ降ればどう変化するのか。


元就には直家の命を奪わなければならないという理由はない。と同時に幕府によって削減された所領を少しでも回復したいという思いが必ずあるはず。そして諸大名に強く当たる義輝も元就にだけは遠慮がある。つまり直家は元就に降伏を仲介して貰い、あわよくばかつての三村元親のような立場に収まろうと考えていた。


元就ならば必ず乗ってくるという確信を持って…


=======================================


二月七日。

播磨・姫路城


赤松攻めを終えた晴藤は、姫路城へ帰還すると義輝から鷹尾城攻めへの動員を命じられた。晴藤は唯々諾々と兄の命に従って出陣の支度を調えるよう明智光秀と黒田孝高を呼んで命じたが、両名は義輝の下知に疑問を抱かざるを得なかった。


最初に言葉を発したのは孝高だ。


「寄せ手は敵を僅かに上回る程度でしかなく、いま鷹尾城へ攻め寄せても勝てる見込みはございませぬ」


まず孝高は、いま鷹尾城を攻める無謀さを説いた。これに光秀が相槌を打って続く。


「うむ。それよりも義祐を討って播磨が落ち着いた今、八上城の救援を急ぐべきだ。八上城には新手が押し寄せ、連日に亘って城攻めが行われていると聞く」

「左様にございます。そもそも公方様には我が策を受け容れて下されたものと考えていたのですが…」

「う…む」


二人とも何処か腑に落ちないようで、主従揃って仲良く唸り声を上げていた。


晴藤が播磨の統治を任されたことからも義輝が孝高の策を採用したことは間違いない。しかし、実際に発せられた命令は八上城への救援ではなく、上方への動員。八上城には一色義道の軍勢が増援として駆け付けており、一層の厳しさを増している現状を鑑みれば、それを無視して上方へ一戦を仕掛ける意味はまったくと言っていいほどなく思える。


唯一、晴藤だけは兄を擁護するように考えを述べる。


「兄上は大がかりな船戦を挑まれるおつもりではないか?一千もの船を集められたのは、そのためであろう。恐らくは鷹尾城へ攻め寄せるのは陽動で、木津浦辺りで一戦し、摂津もしくは河内の何れかに上陸しようという策と見たが…」


晴藤が腕組みをし、義輝の策を推測する。所謂、中入りというやつだ。


「さすれば南から謀叛方を脅かすことになり、鷹尾城の人数も多少なりに減じよう。その上で決戦を挑めば、我らの勝利は疑いあるまい」


さらに語を継いで語る晴藤だったが、孝高は即座に首を左右に振って否定した。


「下策です。それではこちらの人数も減ることになります。また謀叛方の兵は鷹尾城だけではなく、泉州にも少なからずおります。必ずや上陸を阻んで参りましょう」


晴藤の前であっても孝高は言い切った。そこに無用な遠慮はなく、高貴な者の傍に多く見られる奸臣が取るような(へつら)う素振りは一切なかった。


一瞬、考えを否定された晴藤は嫌な顔をして見せるが、すぐに己の誤りを認めた。とはいえ孝高にも義輝の策が見通せているわけではない。疑問は尽きないまま晴藤ら一向は、手勢を率いて一ノ谷へと向うことにした。


=======================================


二月十六日。

摂津・花隈城


幕府陣営が本拠を置く一ノ谷には、新たに城が築かれていた。突貫工事で築かれた城郭は花隈城と名付けられ、総普請を和田惟政が担った。義輝の御座所が必要になったために築かれることになったのだが、当初の義輝は一ノ谷に長居するつもりがなく築城には否定的だった。その義輝が築城を決断したのは、前方の謀叛方よりも後方で起こっている謀反の鎮圧を優先させたためだ。


これにより一ノ谷の防備は万全となり、幕府方は少なからず兵を後方へ割く余裕が生まれた。いま義輝の本陣は、この花隈城に置かれている。


その花隈城で軍評定が開かれた。これには毛利より新たに派遣された小早川隆景が加わっていたが、代わりに今まで参加していた重要人物の姿がなかった。


「そういえば織田様の姿が見えませぬが…」


軍評定の席で、誰もが織田信長の不在に気が付いた。


明日、義輝の命にて全軍が鷹尾城へ攻め寄せるにも関わらず、主力たる織田軍の大将の姿が見えないのは不思議だった。代わりに出席しているのは織田の宿老・柴田勝家だった。


「まさか急な病でも?」


光秀の問いに、義輝は意味深な笑みを浮かべて答える。


「弾正には別命を与えている」


諸将は揃って首を傾げたが、義輝が何も明かさない以上はどうしようもない。軍評定は信長が不在のまま始まった。


「毛利の水軍は木津浦へ進み、敵水軍を抑えよ。信康は麾下の水軍を率いて住吉崎辺りまで押し出し、敵方の南下を防ぐのじゃ。尚、徴発した漁船は後方に留め置き、前線へ出すには及ばぬ」

「畏まりました」


義輝の言葉に隆景と安宅信康の二人が恭しく頭を下げる。


二人からは特に質問はなかった。事前に義輝から策の概要について伝えられているのだろうが、その言葉からは義輝が船戦を挑むつもりがないことが窺い知れた。


「余は全軍を率いて鷹尾城を包囲する。されど仕寄りを築くには及ばぬ」

「仕寄りを築かなくてよいということは、城攻めはせぬということでしょうか?」

「そうじゃ」


晴藤の問いを義輝は肯定した。


これで余計に訳が分からなくなった。船戦も行わず、城攻めも包囲に留まる。もしかしたら一ノ谷に籠もるのを止めて鷹尾城を兵糧攻めにするつもりかと思ったが、それも違うことがすぐに証明された。


幕府軍は鷹尾城に攻め寄せて三日後の二月二十日、義輝の撤兵を全軍へ告げたからだ。まったくの無駄骨だったにも関わらず、何処か義輝は満足そうだった。


「兄上は一体どういうおつもりなのだろうか」


花隈城へ戻った晴藤が悶々とした時間を過ごしていると、義輝より呼び出しがあった。


「来たか、晴藤」

「兄上。私をお呼びとか」


義輝は弟を手招きで近くまで呼び寄せると、声を小さくして耳元で呟いた。


「実は博多の直轄化を条件に、毛利に筑前の領有を認めた」

「なんと!?」


衝撃の発言に晴藤は思わず声を大にして驚き、と同時に納得した。いきなり毛利が四〇〇艘もの大船団を派遣してきたのは、その代価を得たからだったのだ。しかし、晴藤には毛利は三ヵ国と拘っていた兄が妥協した理由が分からない。筑前一国を引き替えとした船団を、僅かに三日で引き上げさせたのでは意味のない気がする。


「流石の余も義昭に負けるとは思わなかったのでな。止むを得ぬ仕儀であった。されど、それによって陸奥守の協力を得られることが叶ったわけだから、よしとするしかあるまい。もう二月、三月ほどすれば、形勢は余に傾こう」


そんな晴藤の疑問を余所に、義輝は話を続ける。


「されど晴藤よ。これで宇喜多の成敗を毛利に頼むわけにはいかなくなった。筑前に加えて備前を預けることにでもなれば、割に合わぬわ」


義輝が吐き捨てるように言い放つ。この言葉から、兄が言わんとすることを晴藤も理解した。


「兄上は私に備前へ攻め入れと?」

「兵部少輔(石谷頼辰)や肥後守(上野隆徳)に期待したいところだが、確実ではない。そなたのところには日州と黒田がおろう。あの者らならば、余の期待に応えよう」


光秀はともかくとして、既に孝高まで兄から絶大な信頼を寄せられていることに晴藤は僅かに嫉妬を覚えた。兄が自分に宇喜多攻めを命じるのは、自分を信頼してではない。麾下に光秀と孝高がいるからだ。


「しかと承りました。播磨に引き続き、備前を平定いたします」

「うむ。頼んだぞ」


それでも兄の期待に応えたいと思う晴藤は、従順に主命を受け容れた。それを義輝は優しい眼差しで返した。


複雑な思いを晴藤は胸に抱えたまま、帰城するべく広間を出たところである人物とすれ違う。様子からして兄が次に会う客なのであろうが、その姿が異様だったのだ。


「あれは確か…、耶蘇教の宣教師」


晴藤が見かけた人物は、ガスパル・ヴィレラであった。




【続く】

更新が遅れまして申し訳ありません。近頃は転職の影響で、少しペースが落ちそうです。元のペースに戻れるよう頑張りたいとは思っていますが、思うように行きません。


さて今回ですが、義輝が何やら動いています。この事柄については二十三、二十四幕でも取り上げましたが、今回で明らかになった新事実は信長の不在。一体どこで何をやっているのでしょうか。


ともあれ義輝には余裕が戻って来ています。主人公なのに主人公っぽく書いていないのは策を明かさない処置でして申し訳ありませんが、再び義輝サイドを描く際には視点を戻したいと思っています。


尚、最後の最後で再登場となったガスパルさん。義輝が彼を使って何をしようとしているのかは、歴史に詳しい方々ならばすぐにお判りかと思いますが、無論、彼にも利益があってのことです。西洋人ですからね。利益なしには動かないと思っています。


次回は宇喜多編の続きを考えています。また四国情勢についても取り上げる予定にしています。

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