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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第二十三幕 立ち塞がる者達 -謙信を待ち受ける信玄の罠-

三月六日。

越後国・春日山城


上州より越後入りした謙信は、かつての居城・春日山城にいた。永禄九年(1566)に関東へ出陣して以来、四年ぶりの帰郷であった。上洛後の関東出兵から、謙信は一度も越後へは戻っていない。


それには理由がある。


謙信は小田原攻めの陣中に於いて長尾景勝に長尾家の家督を譲り、越後守護代とした。これは上杉家と長尾家を分割させた後、その命令権を関東管領であった上杉家に帰属させる必要性があったからというのもであるが、それが長尾家本来の姿であることが大きな理由だった。また関東諸侯を味方に留めておくために関東へ身を置く必要もあり、越後の統治を誰かに任せなくてはならなかった。


それも北条家が将軍家に恭順したことで終わりを告げる。将軍・義輝は長尾家の功績を称えて越後守護へと昇格させ、これにより関東管領を辞した謙信と景勝は、幕府内に於ける立場で同列となった。


「上様の思し召しじゃ。大事にせねばなるまい」


己の考えとは違う沙汰が下りることになったが、謙信は義輝の意向を反映するため、越後に於ける自らの影響力を低下させることを決断した。それ故に家臣団の殆どを越後へ帰したにも関わらず、自らは越後へ足を踏み入れることはなかった。


一方、越後の統治を任された景勝といえば、


「若輩者であるが、任された役目は全うせねばならぬ。皆、不甲斐ない私に力を貸して欲しい」


と、謙信による独裁制が強かった家中へ合議制を導入し、さっそく宿老の直江景綱を奉行職筆頭とした。その補佐の下で謙信の治世を踏襲し、見事に越後を治めたのである。若いながらも、いや若いからこそ重臣たちの声に耳を傾け、不満一つ漏らさず実直に職務を遂行する。また武芸にも精を出し、兵たちの模範ともなっていた。


「もはや喜平次も一廉の将であるな」


景勝の働きは謙信を大いに満足させるものだった。その治世は上方にも届いており、謙信の推挙もあって義輝は、西征の直前に官位を奏請し、景勝は従五位下・弾正少弼へと叙任された。謙信と同じ官途を叙任されたことで、景勝は名実共に謙信の後継者となった。


その景勝の許に謙信がやってきた。義輝に従う守護として、同志として上洛への協力を求めたのだ。


「大殿の下知に従い、我らも上洛する」


景勝にとって謙信は立場上同格であれ、養父であり先代である。故に呼称こそ春日山城の主を差す“御実城様”から“大殿”へと変わったが、景勝は筋目を重んじ、謙信を敬うことにより春日山内でも上座を譲った。また養父の申し出に応じて陣触れも発した。立場は違えど、両家、両者の関係は今も謙信時代と変わり得ぬものだった。


「我ら一同、何処までも大殿の御供を致す所存にございます」


再び長尾の家臣たちは謙信の前に現れ、全員が下知に従うことを誓った。


「皆、相済まぬ」


旧臣たちの想いに謙信は目頭を熱くさせた。


「さて上洛に至り、解決せねばならぬことがありますな」


直江景綱が音頭を取り、評定を進める。


「議題は三つ。春先に侵攻が予測される武田と蘆名への備え、そして能登の内紛を如何に致すかである」


上洛を阻む問題は山積していた。


一つは言うまでもなく武田への備えだ。謙信は雪解けと共に行き来が自由となる北陸道を通って上洛するが、それは甲信の武田も同様である。恐らく大半は上方にいる信玄と合流を図るだろうが、確実に一手を越後へ向けてくると思われる。


「信濃守と弥五郎は飯山城へ入り、武田勢へ備えよ」


これに謙信は村上義清、高梨頼親ら信濃衆を抑えに任じた。


「はっ。されど隙あらば攻めに転じても構いませぬか」


義清が謙信へ許しを請う。


剛胆な男である。預けられる兵は二〇〇〇足らずに過ぎないものの、元々信濃最大の大名であった義清は旧領回復へ執念を燃やしている。武田の矛先が上方へ向けられている今、義清にとっては信濃復帰への好機だった。


「此度の目的は上洛して上様を救援することにある。上方での戦に決着がつけば、その後は武田攻めとなろう。此度は我慢して守勢に徹するのじゃ。如何なる誘いにも乗ってはならぬ」

「そう申されるのであれば、致し方ございますまい。次の機会を待つことに致しまする」


申し出を退けられた義清であったが、近い内に機会があることからすんなりと引き下がった。


「次は蘆名ですな。こちらはちと厄介ですぞ。蘆名盛氏が本格的に兵を入れてくれば、上洛どころではなくなります」


少し前のことだ。軒猿を通じて会津の蘆名盛氏が越後侵攻を画策しているという話が届いていた。今のところ会津で軍勢は動いていないらしいが、会津は越後同様に雪国であるためにこれは当然と言えた。しかし蘆名は以前より武田と同盟を結んでおり、侵攻してくる可能性を無視は出来ない。


今のところ長尾家では揚北衆(あがきたしゅう)へ国境の警戒を命じており、議論はさらに兵を残すかどうかが論じられることになる。揚北衆とは越後北部を領する国人衆の総称で、激戦となった第四次川中島合戦でも目覚ましい活躍をした長尾家精鋭中の精鋭のことだ。


「ならぬ。蘆名がどう動こうとも上洛する」

「されど蘆名の力は奥州随一、少なくとも越後の兵は残していかなくてはなりませぬぞ」

「越後は揚北衆のみで支えさせる」

「畏れながら揚北衆は精強でございますが、まず兵の数が足りませぬ」


謙信と認識を共通する景綱であるが、揚北衆が蘆名勢を相手にするには厳しいように思えた。蘆名の規模からすれば一万数千の兵が動員可能なのに対し、揚北衆はどう集めても五〇〇〇ほどしかならず、圧倒的に不利だった。


「案ずるな。儂から常陸介(佐竹義重)へ蘆名の抑えを依頼する。背後を佐竹に狙われていると知れば、盛氏とて満足に兵を送れまい。揚北衆でも充分に守れよう」


懸念する景綱へ対し、謙信は腹案を披露した。


如何に謙信が上洛に重きを置いているとはいえ、国主である。揚北衆に全てを押し付けるなど綱渡りのようなことは考えていない。蘆名の抑えを確実とするため、佐竹を選んでいた。北関東に版図を持つ佐竹は地理的に奥州への影響力を有している。関東で兵乱が途絶えて以降も奥州では戦が続いており、義重も白河結城氏と合戦に及んでいた。結城氏は一族の室に盛氏の娘を嫁がせており、蘆名方だが、結城氏は単独で佐竹とやり合える力はないので、佐竹が攻めてくれば確実に応援を盛氏に依頼するはずだ。つまりはその分だけ越後へ向けられる兵の数が減ることを意味する。


「なれば残る五千ほどが上方へ向かうことになりますな」

「うむ。後は畠山の内紛をどう片付けるだけだが…」


二月の初めに起こった畠山家の内紛で当主の義綱は追放され、先代の義続と共に神保長職の富山城で謙信の到来を一日千秋の想いで待ちわびている。石山本願寺の檄によって挙兵している北陸の一向一揆と共に謀叛方である畠山七人衆が謙信の上洛を阻んでくるだろうことは誰にでも予想がついた。


「畠山のことは、富山城にて諮ることと致す」


実際に越中に入ってからでないと不明な点が多々あり、謙信にはここでの論議は無用に思えた。但し、その前に一点だけどうしても確認しておかなくてはならないことがあった。


「よもやと思うが、畠山家の内紛に信玄が絡んでおるのではないか」


謙信はまたもや信玄が策謀を張り巡らせたのではないかと疑念を持っていた。もはや謙信の周りで起こる全てのことに信玄が関与しているように思えてならなかった。


「はい。左衛門佐殿(義続)からは、内紛が起きる前に信玄から書状が届いたという報せが届いております。書状には加賀と越中の一向一揆を蜂起させる旨が書かれてあり、それを警戒して遊佐らに兵を動かすよう命じた矢先、矛先を転じられて七尾城を追放されたようです」


景勝が頷き、謙信の問いに答えた。


「やはりか…」


途端に謙信の額に青筋が浮かんだ。


上方で兄弟の絆をズタズタに切り裂き、畠山家では主従を対立させた。原因は別のところにあるとはいえ、火に油を注いだのは信玄である。己の野心の為に秩序を乱す行為を謙信が黙って見過ごせるわけもない。もはや信玄に対する怒りは収まりがつかないところまできていた。


自然と拳に力が入る。わなわなと振るえた拳は、振り下ろす先を求めていた。


「これより上洛する。信玄の野望を打ち砕き、上様の下に秩序を取り戻す。それまでは一切の帰国は考えぬ。左様に心得て出陣せよ!」

「はっ!承知いたしました」


高らかな謙信の咆吼に諸将は揃って平伏し、喚声を以て応えた。


翌日、春日山の大手門より上杉軍が出陣した。


紺地に朱色の日ノ丸が風に靡き、その後ろには粛然と行軍する越後兵たちが長蛇の列をなしている。毘沙門天の旗印の下には、口を真一文字に閉じた謙信の姿があった。


(必ずや上洛してみせる)


その表情からは、覚悟の程が窺い知れた。


付き従う兵は一万五〇〇〇余。途上には越中、加賀の一向一揆や謀叛方となって主を追い出した畠山七人衆もおり、その後ろの越前には信玄に与して管領代を僭称する朝倉義景の領地がある。これを抜いてこそ、初めて上洛が叶う。決して楽な道のりではなかった。


(だが…、儂がやらねばならぬ)


上方の情勢は楽観視できるものではない。二月半ば、義輝が摂津・鷹尾城へ攻め寄せて敗退したという報せが上方へ放った軒猿より進発の直前に届いたことに謙信は焦りの色を隠せないでいた。仔細は不明だが、幸いにも特に大きな損害を出したわけではないらしい。それでも切迫した状況であることに違いはなかった。


(それに義昭様のこともある)


謙信は懐に収めた一通の書状に目をやった。送り主は足利義昭だった。


「権中将には承知していて貰いたい。余は兄上が憎くて謀叛に及んだ訳ではない。兄上は成り上がりどもを重用し、公家や寺社へも不当な圧力をかけ、荘園をも全て取り上げた。このようなやり方では幕府の再興は叶わぬばかりか、兄上によって等持院様(尊氏)より続く幕府の形が大きく壊されることになる。これを守らんと、余は苦渋の決断をして挙兵に及んだのだ」


延々と書き連ねられた義昭の独白に謙信は瞳を潤ませた。義昭は信玄に拒否されたにも関わらず、密かに謙信へ書状を送っていたのである。


義昭の言葉は、まだ続く。


「権中将が兄上を慕っておることは重々承知しておる。されど余は、権中将とは同じ道を歩めると思うておる。幕府をあるべき姿へ戻すため、余の力となってはくれまいか。ついては義氏を鎌倉公方へ再任して預けるので、権中将は関東管領に復帰してこれを補佐して欲しい。さすれば関東での秩序は回復し、世は昔日の姿へ回帰することだろう」


想いのこもった文面に胸を熱くさせた謙信は思った。早く上洛して二人の仲を取り持たなくては、取り返しのつかないことになると。共に天下の泰平を望む義輝と義昭が同じ道を歩むことは、難しいことではないはずだ。


二人の仲を引き裂いた元凶さえ取り除きさえすれば…


そして謙信は、暁の沈む海原を横目に北陸道を上っていった。


=======================================


三月九日。

越中国・富山城


越中へと進んだ謙信は、真っ直ぐに神保長職の居城である富山城へ入った。長職や畠山親子に出迎えられた謙信はすぐに軍評定を開いた。


「ようこそ御出で頂きました」

「うむ。左衛門佐殿も此度は災難であったのう」

「お恥ずかしながら家中の不忠者どもらにしてやられました。されど上杉殿の御支援を賜れば、能登の回復は疑いござるまい」


義続は平身低頭して謙信へ助勢を願い出た。その姿は守護としての誇りを失い、まるで謙信の家臣にでもなったかのようであった。


「承知した…と申し上げたいところだが、我らは上洛を急いでおる。上様が窮地に陥っておるのでな」

「存じ上げております。されど能登を放置したままでは上洛も叶いますまい」

「…可能なら能登は左衛門佐殿と宗右衛門尉殿(神保長職)に任せたく思うておる。右衛門大夫(椎名康胤)にも出兵を命じた故、追って駆け付けるであろう」


謙信は何が何でも上洛を急ぎたかった。途上で椎名康胤にも使者を遣わして義続支援を命じていた。


「それは我らを助勢して頂けぬということですか」

「そうは申しておらぬ。だが優先すべきことは上様の救援じゃ。能登がことは上方の戦が終わって後に必ずや取り戻してみせる」


謙信の言葉に畠山親子は揃って悲壮感を滲ませた。一方で上洛軍に加えられないことを知った長職は安堵した表情で謙信へ問う。


「されど上杉様。途上には一向一揆どもが跋扈(ばっこ)しており、これを討ち破らぬ限りは上洛も望めぬかと存じますが?」

「我が行く手を阻む者は、誰であろうが蹴散らすのみじゃ」


長職の調べでは、越中国内の勝興寺と瑞泉寺に一向門徒が集まっているらしい。数も相当いるとのことだ。ただ一向一揆勢は数こそ多いが、今まで謙信は一度たりとも負けたことはなかった。如何に立ち塞がろうとも討ち破るだけの自信が謙信にはある。


そこへ急使が駆け込んでくる。出兵を命じたはずの椎名康胤が魚津城に入り、立て籠もったというのだ。


「間違いではないのか?」


それを聞いた謙信は誤報かと疑った。


そもそも越中では古くから神保氏と椎名氏の争いが続いており、形勢不利になった康胤は謙信へ泣きついて救援を請い、助けたことがある。その時、謙信が長職を攻めて降伏させ、両者は謙信の麾下に入ることになった。康胤は長尾一族でもある景直を養子としており、そういう経緯があったからこそ康胤の裏切りを謙信は信じられなかったのだ。


「誤報ではありません。魚津城には一向門徒どもの姿もあり、手を結んだようにございます」

「…くッ!康胤め、儂が助けてやったことをもう忘れたかッ!!」


謙信の怒声が広間に響き渡る。


「これも信玄の策謀か!」

「左様にございましょう。かつて信玄は某にも誘いの手を伸ばして参りました。その際には越中一国を与えるとの約定がございました」


かつて信玄の策謀に乗り、謙信と対立した長職が記憶を蘇らせて答える。


長職の言う通り、椎名康胤の裏切りは信玄の策だった。信玄が康胤へ越中一国と引き替えに求めたのは謙信を越中国内で孤立させることであった。身動きの取れなくなった謙信は、四方に敵を抱えることになる。その間に信玄は上方で戦を進め、片がつき次第に救援すると約束していた。


しかし、これで終わらないのが信玄の恐ろしいところだった。


それを報せたのは越後鳥坂城主・中条景資(なかじょうかげすけ)からの使者だった。


「本庄繁長が城に立て籠もり挙兵いたしました。しかも繁長は出羽の大宝寺義氏(だいほうじよしうじ)と結び、越後内へ引き入れる腹づもりにございます」

「なっ……」


続けての凶報に、もはや謙信は言葉を失った。


揚北衆の一人・本庄繁長の謀叛だった。しかも使者は繁長が揚北衆の面々へ発した密書を携えており、これが確報であることを裏付けていた。


「大宝寺だけではあるまい。恐らくは蘆名の動きも繁長の謀叛に呼応してのことだろう」


絶句する謙信の横で冷静に状況を分析するのは、長尾景勝であった。若いながらも冷静沈着な景勝は、その将器の片鱗を見せていた。


「一つ問うが、揚北衆の中で繁長の謀叛に与しようという者は如何ほどおるか」

「御安心下さりませ。鮎川殿を始め色部殿ら揚北衆の大半は、繁長の謀叛に加担いたしませぬ。我らの中に謀叛をよしとする者はおらず、大殿より発せられた下知を守り通す所存にございます」


景資も揚北衆の一人であり、使者の答えは信頼できるものだった。景勝は安堵の溜息を一つだけ吐くと、謙信の方へ向き直って進言した。


「大殿、御聞きの通りでございます。私が戻り、繁長の謀叛を鎮めて参りましょう。大殿は越後のことなど気になさらずに上洛をなされませ。途上の椎名めも、我が手勢で討ち払っておきまする」


頼れる養子の明るい言葉に、謙信の心は少し安らいだ。


「…されど、越後の兵だけでは数が足りまい。ここまで策謀が及んでいる以上、必ずや信濃の武田が動く。春日山の守りにも兵を割かねばならぬのだぞ」


謙信が難色を示す。状況は最悪であり、確実に領国を守るには全軍で引き返す他はなかった。


「何の。越後の兵は大殿に鍛えられし精兵ばかり。数で劣っていようとも、五分…いやそれ以上の戦いを致しまする。御懸念は、無用に存じます」


首を左右に振り、景勝は淡々と答える。それにより謙信は上洛へ気持ちが傾き始めるが、見捨てられないのが生来の性分である。どうしても景勝に全てを任せて上洛する気にはなれなかった。


「…少しだけ時間をくれ。考えさせて欲しい」

「畏まりました」


悠長に考えている時間はなかったが、景勝はそれをいとも簡単に受け容れた。謙信とて状況は理解しているはずで、結論を出すことにそう長くはかからないことを判っていたからである。


(どうする…越後へ戻るか。さすれば上様が…)


心の葛藤が続く。どちらを決断しても後悔が残りそうな気がしていた。ここまで自分を追い込んだ信玄が憎らしくて堪らない。その首を刎ねてやりたいところだが、目の前の現実から目を離すわけにはいかない。


その夜のことだ。景綱が現れて謙信の思慮を遮った。


「大殿。火急の報せが参っております」

「…また悪い報せか」


落胆した表情の謙信が、景綱から送られてきた書状を力なく受け取る。謙信は差出人の名を見て驚いた。なんと武田義信からであったのだ。


書状の中身は、義信の決意表明であった。


「此度、父・信玄は野心から天下に無用の混乱を招いた。これは由緒ある甲斐源氏の末裔として、幕府に任じられた守護として、また人として恥ずべき行為だ。これを正すのは、武田の嫡子しての役目である。甲信は武田の守護国、家中の問題でもある故に上杉殿には手出し無用に願いたい。私は武田の名誉と信義を守るため、甲斐の兵を率いて父に与した者どもを成敗することに致す」


武田義信の挙兵という驚くべき報せだった。北条氏政が義信を説得していることを知っていた謙信だったが、こうもあからさまに挙兵に及ぶとまでは思わなかった。これが本当ならば、武田の抑えとして残した村上らの軍勢を繁長謀叛の鎮圧に振り向けることが出来る。


「あの武田家にも…、武士がおったか」


想像の範疇外にあった出来事に、謙信は目を丸くして驚いた。


武田義信の挙兵は甲斐が信玄の版図から失われたという問題に終わらない。信玄が各地に根を張った策謀の大半を根底から覆すものとなる。信玄からの援護を期待して挙兵した繁長や畠山七人衆の思惑は崩れ、これに同調した者の戦意を喪失しかねず、家中の分裂を知った盛氏が約定通りに動くかも判らない。そして、それは上方へも大きな影響を及ぼすことになる。


「喜平次へ伝えよ。儂は上洛する!」


確かな希望が、そこにはあった。




【続く】

さて今回は謀叛や裏切りが相次ぐことになり、謙信がピンチに陥る回となりましたが、義信の挙兵により全てが覆される(かもしれない)という状況になりました。


義信の挙兵は、今回の謀叛劇に於ける一つの契機となります。


次回は今回の中でサラッと書きましたが、二月に起こった義輝サイドの動きを含めた話となります。少し時間を遡る形となりますが、長くなった今章を纏める回ともなります。

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