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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第二十二幕 畠山御家騒動 -永禄十三年の政変-

永禄十三年(1570)一月二十六日。

能登国・七尾城


畠山氏は足利幕府で管領職を務めた大名家である。将軍を補佐する管領職は畠山、斯波、細川の三氏が交代で就任し、三管領と称された。中でも畠山基国(はたけやまもとくに)は管領職に加えて六ヵ国の守護を兼任して畠山氏最大の栄華を誇り、その名を天下に轟かせた。


それも応仁の乱の勃発から始まる乱世の到来により、状況は一変する。


畠山氏は三つの血筋に分かれて各地で勢力を有している。嫡流である奥州畠山氏は、観応の擾乱(かんのうのじょうらん)で当主の高国を失って以来、凋落の一途を辿って小勢力に甘んじている。また一番の勢力を誇った尾州畠山氏は高政の死と共に自主性が完全に失われ、昭高(正月に秋高から改名)を擁立する傀儡政権となり果てている。


その中で唯一と言っていいほど安定していた勢力を保っていたのが能登畠山氏である。血筋の上では庶流である尾州家の分家筋に当たるが、隣国・加賀、越中が一向一揆によって悩まされる中で名君に恵まれ、長きに亘って能登を支配してきた。


能登畠山氏の治世が安定していたのには訳がある。それは大名権力の強化に成功したからだ。応仁の乱から帰国した三代当主・義統は大名権力の強化に努め、代々の当主が義統を模範して専制的立場を強めていくことで下克上が能登で起こることを防いできた。それでも家臣の立場からすれば面白いものではない。代替わりの度に叛乱を企て、これに主君側が勝利を続けてきたことで能登の安定は保たれてきた。


実際、それは今も変わっていない。現在の畠山氏の舵取りをする前当主・義続も畠山七人衆と呼ばれる重臣たちとの抗争を経験してきている。父・義総(よしふさ)の死に衝け込み、義続を傀儡とするべく動いた七人衆と幾度となく対立があった。


「何としても奴らを黙らせねばならぬ」


勝手に国政を采配しては失策を招き、不興を買えば武力による粛正を図ろうとする。そんな彼らのやり方に義続は腸が煮えくり返る思いだった。


「もう我慢ならぬ!」


主君を主君とも思わぬ七人衆の態度に堪忍袋の緒が切れた義続は、彼らを打倒することを決意、一計を案じることにした。


天文二十二年(1553)、七人衆の筆頭・温井総貞の思惑に乗った振りをして次席の遊佐続光を加賀へ追放、次に総貞を連歌の会へ誘って飯川邸へ誘い出し、暗殺したのである。総貞の死によって続光は家中に復帰したが、完全に主導権を握った義続の前に膝を屈する他はなかった。


それからじわじわと立場を強めていき、極めつけとなったのが永禄八年の上洛だった。


「上様の窮地である。臣下たる者、これを御扶けするべし」


上杉謙信の呼びかけに応じて義輝の復権に貢献した義続は、幕府権威を背景に専制的立場を確固たるものにした。これにより能登は義続の下で安定した支配体制を築くことになる。


それがいま壊れつつある。


「おのれ信玄め。好き放題に言ってくれる」


義続は送られてきた書状を読み終えると、それを顔を真っ赤にさせて破り捨てた。


信玄からの書状はまるで臣下へ対するような文面であり、しかも加賀や越中の一向一揆を同時に蜂起させる旨が書き記してあった。これを脅しと義続は受け取った。依頼を断れば、門徒どもを能登へ乱入させるという意味であることは明白だ。


それ以前に信玄は、過去に畠山晴俊を支援して義続の追い落としを謀ったことがある。それ故に義続は信玄に対してよい感情を持っていない。義続の本音としては、義輝に復帰して貰って引き続き能登の統治に専念できればそれでよかった。


それならば積極的に幕府方として動き、義輝を支援すればいいのだが、隣国が不穏な状況ではそういう訳にもいかなかった。


「それにしても不甲斐なきは尾州家の者どもよ。こうまで信玄のいいなりになるとはな」


義続がちらりともう一通の書状に目を向ける。尾州畠山家の重臣・遊佐信教からのものだ。信教は尾州家の総意として義続へ越後への出兵を依頼してきたのである。高政の急死は義続の許にも届けられており、尾州家が傀儡政権となって武田へ尻尾を振っていることを義続は見抜いていた。


(上手くすれば畠山家を統一する好機になるやもしれぬな)


尾州家の没落を義続はほくそ笑んだ。


かつて尾州家は畠山稙長が家督を能登家に譲るよう遺言したことで統一の動きがあった。しかし、同時期に義総も死去したことで幻となっていた。このまま幕府方が勝利して尾州家が潰えれば、その家督は幕府方である自分のところへ回ってくるかもしれない。


(これは好機じゃ。春になったら越中や加賀へ兵を入れよう。越後の長尾の合力を得られれば、充分な戦果を上げられよう)


家督を継ぐ予定だったのは誰であろう義続である。義続は何処か運命めいたものを感じていた。


大炊助(おおいのすけ)はおるか」

「はっ。ここに」


義続に呼ばれ、近臣の飯川光誠(いがわみつのぶ)が現れる。


「兵どもを集め、国境を見張らせよ。特に加賀、越中の門徒どもの動きに注意するのじゃ。それと長尾家に使者を遣わせ。雪解けと共に援兵を出して貰えるよう手筈を調えるのじゃ」

「畏まりました」


この事がきっかけとなって自らの立場を危ぶませることになるとは、この時の義続は知る由もなかった。敵は、外側だけでなく内側にもいたのである。


=======================================


二月三日。

能登国・穴水城


畠山家の重臣・長続連(ちょうつぐつら)の居城・穴水城では、密かに進められてきた謀議が実行に移されようとしていた。


薄暗い部屋の中で、男たちがひそひそとした声で話している。


「とうとう機会が訪れたな」

「長かったわ。これで国を追われている温井殿や三宅殿の復帰も叶おう」

「うむ。それにしても大殿は馬鹿なことをしたものだ」

「まったくだ。儂らに兵を動かす名分を与えたようなものだからな」


穴水城の一室で、続連と遊佐続光が怪しい笑みを浮かべていた。二人は義続より兵を集めて国境を見張るよう命令を受けており、その途上で続光は穴水城を訪れていたのだ。


「それにしても流石は武田殿じゃ。上方におりながらも大殿の動きを正確に予測するとは、やはり敵に回せば怖い御人よ」


続光が感嘆の息を漏らす。


信玄が義続へ越後出兵を依頼したのは、尾州家を動かして義続を味方に引き込もうとしたわけではない。続光ら重臣たちに兵を動かす名分を与えるためである。その為にわざと怒らせるような文面を書き連ねて寄越したのだ。信玄は義輝の権威に縋っていた義続が味方になるとは思っておらず、それよりは能登畠山家に残っている当主と家臣間の痼りを巧みに利用し、能登を謀叛方へ転じさせた方が確実だった。それも一兵も用いずに実行してしまうところが信玄の恐ろしさだろう。


「武田殿は近江へ攻め込んだとか。浅井も味方に引き入れ、既に半ばを制していると聞く」

「まことか。ならば美濃を平定して我らを支援してくれるという話も現実味を帯びてくるな」

「うむ。上杉や長尾の動きを封じる策を武田殿はお持ちじゃ。ならば我らは外のことは気にせず、目的を果たせばいい」


二人は視線を交わし、静かに頷いた。


「家来たちのことを顧みぬ大殿と御屋形様は、能登の国主には相応しくない。義慶(よしのり)様の下で我らが正しき政を取り戻す」

「おおっ」


能登全域を揺るがす静かな喚声が、穴水城に響いた。


翌日、降雪の中を一〇〇〇の兵が出陣した。海岸沿いに南下し、越中との国境を目指していく。途中、府中に差し掛かった辺りで続連は“右へ道を取れ”と命令する。七尾城の方角である。表向き義続に挨拶するという名目だった。


「美作(続光)と対馬(続連)が参ったのか?」

「はい。大殿と御屋形様へ挨拶に伺ったとのことにございます」

「ふん。あの者らも殊勝になったものじゃ」


義続にとって従順な彼らの態度は喜ばしいものだった。ただ主君としては主命に向かう家臣たちを労わないわけにはいかない。兵たちも寒い中で行軍を続けているのだ。暖を取らせる意味でも城内へ入れる必要がある。


それが引き金となった。


「それ!今じゃ!」


深夜になって続光と続連は挙兵し、城内は瞬く間に占拠された。特に義続と義綱が捕らえられたことで抵抗する術を失った城兵たちは、次々と軍門に降っていった。


「これは如何なることじゃ!早う縄を解かぬか!!」


縄目を受けた義続が続光と続連へ罵声を浴びせる。


「以後、我らは義慶様を主君として仰ぎ、能登の統治をして参ります。どうか国許のことはご心配になられず、静かに余生をお暮らしなされませ」


そんな義続の言葉に耳を貸さず、続光と続連は義続親子と飯川光誠を追放した。殺さなかったのは、主殺しの汚名を着ることを嫌ってのことだ。義続は神保長職を頼って越中へ落ち延びていき、長尾景勝ひいては上杉謙信へ支援を求める使者を遣わすのだった。


こうして能登は家中の対立を上手く利用した信玄の策略によって、謀叛方に与することとなったのである。


=======================================


二月二十二日。

上野国・箕輪城


上洛を目指す上杉謙信は、上州全域に陣触れを発して一万二〇〇〇もの兵を集め、箕輪城を攻め立てていた。対する喜多條高広は内藤昌豊の援護を受けて三〇〇〇の兵で籠もっている。これの後詰として小幡信貞が二五〇〇を引き連れ、城外より箕輪城を支援していた。


後詰の存在によって、謙信は城攻めに専念できずにいた。


「小癪な。先に後詰の奴らを討ってくれる」


城を攻め倦ねていた謙信は、方針を転換して先に小幡信貞を攻撃することにした。箕輪城の抑えに五〇〇〇を残したとて上杉方は七〇〇〇を動員できる。凡そ三倍の兵を以てすれば、後詰部隊を蹴散らすことは容易い。


「上杉が迫って来たぞ!皆、慌てず予定通りに動くのじゃ」


しかし、小幡信貞は上杉勢が近づいてくると応戦せず、蜘蛛の子を散らすようにして逃げていった。これで安心して城攻めを行えると思った謙信だったが、翌日になると小幡勢が何処からともなく現れて上杉勢を再び牽制したのである。


小幡勢は城を攻める上杉の背後を脅かさんと狙ってくる。これではどうしても後ろを気にせざるを得ず、攻撃の手が緩まってしまう。それで落ちるほど箕輪城は簡単ではない。


「鬱陶しい奴らめ!」


再び謙信は小幡勢攻撃を命令するが、またも信貞は応戦せずに逃げていく。これが三回も繰り返されると、謙信は時間の余裕のない所為もあってか怒りを爆発させた。


「堂々と応ぜぬとは卑怯な奴らめ!流石は陰険な信玄坊主の家来どもと言ったところか…」


謙信が吐き捨てるように言ったが、それで状況が変わるわけではない。その表情は苦渋に満ちている。日が経つに連れて上洛が遅れていき、同時に焦りが募ってくる。


この状況に変化をもたらしたのは、北条氏邦だった。


一万の兵を率いて上州入りを果たした氏邦は、まず武田方へ使者を遣わして自身が味方であることを伝えた。信玄によって北条へ調略を仕掛けていることを聞かされている信貞は、氏邦の言葉を疑いもなく信じた。


ところがである。


「申し上げます!北条勢が槍を突き立てたまま、こちらへ向かっております」

「莫迦な!我らは味方だぞ!?」


安心したのも束の間、味方であるはずの北条勢がいきなり小幡勢に襲いかかった。大将の信貞を含めて誰もが驚いた。部隊は混乱し、対応が遅れる。その上で兵力差が四倍もあり、奇襲となっては逃げる間もない。信貞は自分が脱出するのが限界で、部隊は瞬く間に壊滅した。


「何があったのだ…」


この一瞬の出来事に謙信も見ているしかなかった。


その後、後詰部隊を破った氏邦が上杉勢と合流する。


「上杉様!遅くなり申した」

「おおっ!安房殿か!!」


予期せぬ友軍の到来に謙信が歓喜する。謙信の目の前に現れた氏邦は、開口一番に詫び言を述べた。


「到着が遅れましたことをお詫び申し上げます」

「なんの。それよりも安房殿が参られたということは、左京大夫殿は見事に御役目を果たされたということか?」

「それが…誠に申し上げ難きことですが、今川刑部殿、武田甲斐守殿の説得は未だ果たせておりませぬ」

「…それでは、東海道は通れぬということか」


謙信の落胆の色は大きい。ようやく展望が開けたと思った矢先に、これである。上方へ放った軒猿の報せは日を置かず届いており、義輝を取り巻く状況の改善は見られていない。


その謙信に氏邦が明るい声で言う。


「そこはご安心を。間もなく北陸の雪が溶けましょう。されば北陸道を通っての上洛も叶うというものと存じます」


時節は間もなく春を迎えようとしている。北陸の雪は深いが、そろそろ街道は通れる頃である。それは氏邦よりも謙信がよく知るところだ。


「それはそうだが…」


だが謙信の表情は晴れない。上洛への道が開けたとしても箕輪城が落とせていないからだ。とはいえ邪魔をしていた後詰部隊は、氏邦によって壊滅した。今ならば後詰を失った城方の士気は低下しているであろうし、こちらは氏邦の一万を加えて二万二〇〇〇にまで増加している。充分に勝ち目はあると思える。


「安房殿。箕輪城の攻略に手を貸して貰いたい」


謙信は大名という面子を捨てて、氏邦へ頭を下げた。下手に出ても事態を打開し、義輝を扶ける。それが永禄八年に上洛したときからの謙信の信念となっていた。


その謙信へ対して氏邦は一つの提案をした。


「上杉様は一刻も早い上洛を望んでおられるのではありませぬか?」

「左様じゃ。上様の窮地をお救いせねばならぬ」

「ならば箕輪城に構っている時間とて惜しいはず。ここは我が軍勢が抑えますので、すぐにでもお発ち下され」

「ま…まことか!?」


氏邦の言葉に謙信は驚きの声を上げた。


「幸いにも我らは一度、箕輪城を落としておりますし、我が兄は説得を果たせ次第に駆け付けてくれる事を約束してくれています。それまでは我が麾下におります一万の兵で充分に武田の動きを封じられましょう」


氏邦の言う通りだった。上州に残る武田の兵は僅かであり、後詰の連中が復活してきたところで一万の北条勢を撃破するだけの力はない。その上、関東で三ヵ国を治める北条が本気になれば五万近くの兵を軽く集めるだろう。


(これならば上洛できる)


心配する要素は何処にもない。あるとすれば、自国の防衛を他家に委ねる危険性だが、この懸念を謙信は一切持ち得なかった。何故ならば、既に北条は武田と抗戦して破っているからである。誰の目から見ても北条は味方であった。


「ならば申し訳ないが…」


謙信が承諾の意を表そうとしたところ、今まで傍らで黙っていた本庄実乃が口を挟んだ。


「御屋形様。安房守殿のご提案は誠に有り難いものと存じますが、上州の守護は我ら上杉家の役目にございます。某が残り、安房守殿を支援いたく存じます」

「ふむ。確かにそうじゃのう」


残留を望む実乃に謙信は満足そうに頷き、これを許した。


「されば御屋形様に御願い仕ります。某の補佐に金津新兵衛殿をお借り致したく存じます」

「よかろう。そなたと新兵衛が残ってくれれば、儂も安心して上洛することが出来る」


かくして謙信は上洛の途に着くことになった。


上杉軍は二〇〇〇を上州へ残し、守将に実乃と金津新兵衛義旧かねつしんべえよしもとが任じられた。新兵衛は実乃と共に謙信に仕える老臣の一人であり、謙信が“父”とも慕う人物である。春日山時代も留守居役を務めており、絶対の信頼を得ていた。


謙信からすれば高齢な二人を降雪の中で強行軍になり得るかもしれない部隊へ組み込むよりは、残っていて貰った方が安心だった。


「では、行って参るぞ」

「はっ。御武運をお祈り申し上げます」


しかし、笑顔で主を見送った二人の表情は険しいものだった。これは主のことを想ってではない。これから起きるかも知れない事態を懸念してのことだ。


「巻き込んで済まぬな、新兵衛殿」

「なに、御屋形様の想いを叶えて差し上げたいという気持ちは同じにござる」


表情と違い、二人の声は何処か安らかであった。


実のところ実乃も新兵衛も北条家への疑念を捨て去ってはいなかった。確かに疑うところはない。軒猿からの報知でも駿河で北条と今川は睨み合っており、善徳寺で交渉が続けられていることは伝わっている。しかし、これまでの経緯から考えれば不自然なほど北条は協力的すぎた。


(懸念を申し上げても御屋形様は御信じになられまい)


もはや長い付き合いである。実乃には主の考えが手に取るように判っている。ならば誰かが留守を守らなければならない。それは自分を於いて他にないが、一人で出来ることには限りがある。故に新兵衛を指名した。新兵衛ならば、主のために命を懸けることに躊躇はないだろう。事実、実乃と同じく全てを悟っていた新兵衛は、嫌な顔一つせずに留守居役を引き受けてくれた。


「さて…、何もなければよいが……」


上杉謙信が去り、関東の空気が変わり始めたことを実乃は本能で感じ取っていた。




【続く】

さて久しぶりの義続登場です。


第一章以来の登場で、しかも一章でもそれほど出番があったわけではない義続ですが、一応は義輝の復権に協力した御陰で能登で勢力を保っていました。(義輝の勢力が拡大した恩恵もある)本来ならば永禄九年に起きる政変が四年ほど先送りになった次第です。


能登の政変は、北陸道から上洛を目指す謙信の大きな障害となります。


次回は謙信が春日山にいるところからスタートすることになりますが、そこで畠山家のことは知ることになります。(今回ではまだ報せは届いていないことになっています)またかつて信玄が言っていた“北陸には二重三重の壁があり”ということについて描いていくことになります。畠山家のことは、その一つということですね。

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