第十八幕 南近江の攻防 -今孔明の策略-
一月十六日。
近江国・勢多
琵琶湖から冷たい風が吹き付け、兵たちが寒さに身を縮こまらせている中で、信玄は微かな陽光にも暖かさを感じていた。
「まだ一月も半ばだというのに、斯くも近江は暖かいものなのか」
生国・甲斐との差は歴然であった。今頃、本拠とする躑躅ヶ崎館は深い雪に包まれているだろう。それがないというだけでも、近江は素晴らしく魅力あふれる土地だった。
唐橋の焼失で思わぬ足止めを食らった武田信玄だが、その心中は晴れ晴れとしている。仮橋が完成するまで、琵琶の湖畔で風景を眺めていたほど心に余裕がある。
一月の近江は正月に二度上洛している信玄は既に経験しているが、こうして戦塵にまみれながら感じるものは、ひと味もふた味も違うよう思えた。そう思い始めると、信玄はこの土地を信長が治めていることに無性に腹が立ってきた。
「奴の天運もこれまでよ」
自分は甲斐一国の主に生まれながら、隣国・信濃を切り従えるに二十年を要した。だが信長は桶狭間の合戦を機に尾張一国を手中に収めると、僅か五、六年ほどで美濃と近江、伊勢を手にした。石高でいえば、信濃の倍の土地を手に入れたことになる。
信玄は信長を過小に評価はしていないが、自分より下だと思っている。その信長がこれほどまでの勢力を築いたのは、偏に地理的な条件と天運の差でしかないというのが信玄の見方だ。それを今から正す。
「信長の全てを儂が奪ってやるわ」
断固たる口調で、信玄は己の決意を天へ語った。
織田領を自らが治めることになるだろうことに、信玄は一片の疑いも持っていない。また織田領の制圧は、信玄の大望を成就させることに等しい。単独での上洛で政治的立場は手に入れた信玄だが、軍事力の後ろ盾がない為に幕政には介入ができなかった。これは予測済みのことでもあり、それが美濃と尾張を手に入れ、甲州兵と共に上洛すれば全てが変わることになる。
そこへ側近の曽根昌世が現れ、仮橋が完成したことを告げた。
「そうか。ならば行軍を再開させよ。まずは浮気城を確保する」
浮気城は野洲川流域に築かれた城郭で、東山道と東海道が交わる重要な拠点である。この地を抑えれば、伊勢から押し寄せる敵軍を防ぐことも、こちらから軍勢を送ることも可能になる。
「はっ。して、勢多城は如何になさいますか」
「焼けてしまったものを有り難く貰っても仕方あるまいが、兵を置いて仮橋の警護をさせねばなるまいな」
「では京極様に御願い致しましょう」
「それでよい」
勢多城主・山岡景隆は勢多城を焼き払って逃亡していた。向かった先は、永原城に集結していると報せがあった織田勢のところであることは容易に想像がついた。信玄は京極勢から二〇〇ほど守備兵を割くと、全軍へ進軍を命じた。
「さて…、織田の者どもは如何なる策を講じてくるのかのう」
信玄は不敵な笑みを浮かべつつ、これから起こる数々の戦いに思いを巡らすのであった。
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同日。
近江国・永原城
武田信玄の侵攻と浅井久政の裏切りは、近江に残る織田の諸将の士気を大きく失墜させた。前後を挟まれた状況での彼らの希望は、留守居役の木下藤吉郎秀吉…ではなく竹中半兵衛重治の存在であった。
「半兵衛が策を考えておる故、安心して貰いたい」
秀吉はそのように宣言して、諸将へ永原城へ留まるよう伝えた。秀吉も自らの家中の評判は知っている。酷い奴になると、信長に取り入って上手く成り上がった卑しき者だと陰口を叩いている程であり、それよりは半兵衛の名を出した方が差し障りなく事が進むと考えてのことだった。
半兵衛は斎藤家に仕えていた頃、その巧みな戦術で織田勢を何度も破っているし、稲葉山城を僅か十七人で乗っ取るという神懸かりな策謀を実現させて見せた。その才は、織田の諸将が畏怖する信長にも認められている。また何よりも半兵衛の秀吉とは正反対の謙虚な態度は、自負心の強い織田家中では好感を持たれている。
「木下殿。竹中殿の策とはどのようなものでござるか」
「拙者も気になる。教えて下さらぬか」
堪りかねた周囲からは、次々と声が上がる。これは不安の表れでもあった。既に信玄が勢多川を越えたという報せは届いており、一両日中にはこちらへ押し寄せてくるという認識が諸将の中にあったからだ。
「知らぬ」
これに秀吉は一言で応じた。
諸将は秀吉の堂々たる態度に策を秘していると思い込み、僅かばかり不安が和らいだ。実のところ秀吉は半兵衛に全てを委ねており、本当に知らなかっただけであり、そのことに誰も気付きはしなかった。
「お持たせしました」
そこへ半兵衛が現れる。どうやら少し外へ出ていたようだった。衆目が一斉に注がれ、誰もが身を乗り出して半兵衛の話が始まるのを待った。
「して半兵衛、如何にして信玄と戦う?」
訊いたのは秀吉だ。全てを委ねたとはいえ、どのような策で信玄へ挑むのかを誰よりも気になっていたのは、他ならぬ秀吉本人であった。
「戦いませぬ」
しかし、返ってきたのは意外な答えだった。これには秀吉を含め、全員が首を傾げた。
「戦わぬと?」
「あの武田殿と正面から戦って勝てると思ってはなりませぬ。こちらの人数が多いならば話は別ですが、少ないとあっては勝機は望めませぬ」
「であれば、どう致す」
「敵が二手に分かれている時、常ならば如何になさいますか?」
「ま、各個撃破が当然じゃな」
「左様。故にまず浅井を叩きます。浅井は織田と同じで主力が留守にしており、その人数も我らと大差ございませぬ」
「されど信玄に背後を衝かれては、勝てる戦も勝てぬぞ。まずは、これに備えねばなるまい」
秀吉の言う通り、織田の軍勢は限られている。元々あった四〇〇〇に加えて山岡勢が合流したので八〇〇ほど増えたが、兵力不足は解消していない。
「無論にございます。…それについては私めにお任せあれ」
半兵衛が策を語り出した。淡々とした口調で策の概要を伝える半兵衛に対し、諸将はジッと静かに聞き入っていた。
それを聞き終えた秀吉からは、思わず感嘆の息が洩れる。
「相も変わらず見事の策を考えるものじゃのう。一度、頭の中を見てみたいわい」
半兵衛の策には様々な役割を成す必要があったが、その一つ一つは決して難しいものではなく、ここにいる者たちで実行可能なものばかりだった。但し、それを組み立てて首尾よく進めるには、各将の連携が必要になってくる。
誰もが完璧であると思った策に対し、秀吉が一つだけ口を挟んだ。
「何でございましょうか」
「半兵衛、儂と変われ」
「はっ?」
突然の申し出に、半兵衛はポカンと口を開けて困惑した。
此度の策は、留守居役である秀吉も策戦の立案者である半兵衛も重要な役割を担っている。その役割を秀吉は、半兵衛と変わった方が上手くいくと思った。
「それは…、秀吉殿には全軍の指揮を執って貰わなければなりませぬ」
「そんなものは半兵衛がやった方がよいに決まっておろうが」
秀吉は迷いのない表情で断言する。
半兵衛の策では、浅井と戦う軍勢の指揮を秀吉が務めることになっていた。これは留守居役の立場を重んじてのことだが、元より秀吉より半兵衛の方が用兵に優れていることは明らかだ。
「皆々方。半兵衛が指揮することに異存はあるならば、この場で申し上げて頂きたい」
そう秀吉は諸将へ訊ねたが、誰からも異論が出ることはなかった。それだけに秀吉の判断が正しいことの裏付けとなった。
「されど、危険にございます」
それを半兵衛のみ承諾しかねている。半兵衛の担う役割はもっとも危険が伴うものであり、発案者故にそれを自らが引き受けるつもりだったからだ。
そんな半兵衛に秀吉は満面の笑みを浮かべて言う。
「なに、儂は半兵衛の申していた通りに動くだけよ。されど合戦は始まって見なければ判らぬ事も多い。そなたの策が実るには、浅井勢は確実に叩かねばならぬのだろう?」
「それは…そうでござますが……」
「なればこそ半兵衛が指揮を執れ。よいな」
真剣な眼差しの半兵衛と比べて、これから死地へ赴かんとしている秀吉はあっけらかんとしていた。既に秀吉は半兵衛の駒として動く覚悟をしている。かと言って責任まで半兵衛に押し付ける気はなく、謂わば信頼の証であった。
「畏まりました」
魂を振るわされた半兵衛は、その覚悟を新たにするのであった。
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一月十九日。
近江国・浮気
予定通りに浮気城を確保した信玄だが、その表情は決して明るいものではなかった。近江へ入った時の余裕は消え失せ、眉間に皺を寄せて怪訝な顔つきとなっている。
何故にそうなったかと言えば、理由は二つある。
一つは浮気に着くまでに三日を要したことだ。武田勢が草津へ着くと、村民が酒や兵糧を献上してきた。これ自体は占領地でよく見られる光景であるだが、途中の村々でも同様のことが起こり、行軍が遅々として進まなくなってしまった。献上品の多くが生ものであった為に荷駄に加えて運べず、その場で食してしまうしかなかったからなのだが、時間の惜しい信玄としてはいち早く行軍を再開させたかった。
「領民たちの厚意は有り難いが、我らは織田領の制圧を急がなければならぬ。せっかくの献上品だが、受け取らずに先に進もうと思う」
「何を申される。これは織田の圧政に民が苦しめられていた証にござる。領民たちが心を砕いての歓迎を無下にすることはできぬ」
その信玄の方針に反論したのは、京極高吉と六角承偵であった。彼らからすれば自分たちものになる予定の近江で、領民の歓迎を無視したくないという感情がある。それに織田勢の数は知れており、いつでも討ち破れると思っているからこそ、急ぐ必要性を感じていなかった。
だが奇妙な違和感が信玄の心底にはあった。
二度も織田領を通っている信玄は、肌身を通してその繁栄ぶりを知っている。織田の善政を捨て、領民がここまで謀叛方を歓迎する意図を掴めずにいる。
(似ている。…桶狭間で義元が討たれた時と)
信玄の盟友でもあった今川義元が、桶狭間で信長に討たれたのは有名な話だ。しかし、その経緯までは詳細に伝えられているわけではない。
だが信玄は知っていた。義元が領民たちの歓迎を受けて行軍を止め、そこを信長に襲われた事を。まず間違いなく信長が領民に指示を下したものと信玄は見ている。
それでも信玄が渋々彼らの意見に従ったのは、麾下の門徒兵も領民の歓待に気をよくしていたからだ。門徒兵には崇高な理念などなく、腹一杯に飯が食えて酒が飲めるならば満足であり、それを捨ててまで戦を優先させようなどとは毛ほども思っていなかった。自前の軍勢を持たないことの難しさ、悔しさを感じたのは、守護大名の子として生まれた信玄には初めてのことだった。
それでも門徒兵の中には一部信仰心の強い者たちがおり、その者たちは信玄の言葉を法主の言葉として聞くようにと伝えられており、下知に忠実であった。信玄は彼らを物見として放ち、織田勢の姿を探させることにした。
その信玄が視野を東へと向ける。
そこには対岸に布陣する織田勢の姿があった。僅かに五〇〇ほどであるが、三上山に布陣してこちらの渡河を阻もうとしているように見えた。陣中には、馬印と思われる瓢箪が掲げられている。それが誰の者なのか、信玄には心当たりはなかったが、何かしら目的があって布陣しているものと思われた。
「織田も案外と兵が集まらず、困っておるようじゃな」
「所詮は大物見の類いであろう。気にすることもないな」
それが概ね諸将の認識であった。無論、信玄は違うと思っている。故に一隊を動かして様子を窺うことを決め、一〇〇〇ほどを渡河させた。すると織田勢は僅かに抵抗を示したものの、三上山を捨てて逃げ散っていった。
「ほれ見たことか」
警戒が過ぎる、と信玄は諸将の笑い者になったが、それをまともに相手するほど信玄は短絡的な思考は持ち合わせていない。それよりも気になったのは、三上山に残されていた一通の書状であった。
「武田殿と一戦仕る」
差出人の名は、竹中半兵衛重治と書かれてあった。
(あの竹中が近江におるのか…)
意外な名に信玄は目を丸くして驚いた。流石に信玄も半兵衛の名は知っている。若くして俊才、川中島で軍師・山本勘助を失っている信玄としては、美濃平定後は是が非でも麾下に加えたい人材だった。
(心して懸からねば、こちらが痛い目を見るかもしれぬな)
と信玄は織田を侮る者たちに囲まれる中で、一人だけ気を引き締め直すのであったが、その書状は半兵衛が書き残したものではなく、秀吉が書いたものであった。
(半兵衛は謙虚すぎる。自分の名がどれだけ大きいか、まったく理解しておらぬ)
敵に対しても味方に対しても、竹中半兵衛の名は秀吉なぞよりもずっと影響がある。そう確信している秀吉は、敢えて自らの名ではなく半兵衛の名を使うことで信玄を揺さぶろうとしていた。
「永原城へ籠もるが、犬死にするつもりはない。適当なところで城を捨てるぞ」
撤退した秀吉は永原城で信玄を待ち受けた。秀吉は兵たちを巧みに指揮し、一日という貴重な時間を稼ぐことに成功すると、城を焼いて逃亡を図った。二十倍以上の軍勢を相手に耐えられたのは、竹中半兵衛という名に信玄が慎重になった所為であった。
様子見で攻撃の手を緩めていた間に、東では織田と浅井が激突したのである。
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愛知川合戦は、織田勢三五〇〇と浅井勢四〇〇〇の戦いであった。
「柴田勢は正面から敵を防いで下さい。佐久間勢は北側より迂回し、側面に回り込んで頂きたい」
半兵衛が本陣を据えた金堂より指示を出す。
要となるのは織田勢の中でもっとも強い柴田勢だ。留守居の兵とはいえ、織田家中で“懸かれ柴田”の異名を持つ勝家の軍団である。それを半兵衛は浅井勢の渡河を遮るように軍勢を展開させている。半渡の戦法を用いれば、浅井の攻撃くらい容易に耐えられる。
「今のうちに蜂須賀、前野の部隊は南側より鉄砲を撃ちかけて下さい。敵が怯んだところで中川勢を投入します」
半兵衛の指示は非常に的確だった。
浅井勢はこちらの数が少ないと思い込んでいた節が見られ、その戦いぶりは単調たった。正面を受け持つ柴田勢は一手に攻撃に晒されることになっているが、そこは佐久間安政は初陣とは思えぬほど奮戦で、思ったよりも善戦していた。
変わって同様に留守居の兵で構成されている浅井勢には勇猛名高い将はおらず、満足な抵抗も敵わずに押し戻されつつある。
「何故に織田の人数がここまで多いのじゃ!?」
本陣で指揮を執る久政が悲痛な叫び声を上げた。
そもそも久政は大した兵がいないことを見越して南近江へ兵を進めていた。当然ながら織田勢の大半は武田勢に備えていると思い込み、眼前の織田勢へ攻めかかっている。ところが近くの和田山城や垣見城から織田の軍兵が続々と現れるとたちまち浅井勢は混乱状態へ陥り、織田の最初の備えすら破れず側面にまで敵に囲まれつつある。
物見を怠ったことが全ての原因であった。
「父上。ここは一旦、退かれるべきかと存じます。佐和山城へ籠もれば、武田殿の後巻も期待できましょう」
久政の次男・政元が父へ声をかける。
初手を誤れば、同数の兵で挽回するのは難しい。織田の背後には信玄がいるのだから、無理に踏み止まって戦う必要性を政元は感じなかった。
但し、久政は苦虫を噛み潰したような表情で眼前の戦闘を見つめていた。政元からすれば、それが現実を受け止められずにいるように思えた。嫡子の長政を裏切ってまで謀叛方に与したのだ。久政としては自分の判断が正しかったことを証明しなくてはならず、負け戦は避けたいという想いが強い。
だが今は現実を直視しなくてはならない。
「淡路。父上を連れて落ちよ」
そんな父を余所に、政元は容赦なく撤退を告げる。命令を受けた阿閉淡路守貞征も戦う無意味さを悟っているのか、すんなりと政元の下知に応じた。
その後、政元は自ら殿軍を務めて織田勢の攻撃を防いだ。正面の柴田勢と側面の佐久間勢を相手によく戦い、肥田城に入って抗戦を続けようとした。その矢先、佐和山城の近く彦根に織田の別働隊が上陸したとの報知が入り、城を放棄せざるを得なくなった。
しかも浅井勢は久政が佐和山からも逃亡してしまったことで、横山城まで退くことになってしまった。途上にある太尾山城は援兵を得られずに落城し、城主の中嶋宗左衛門は自害して果て、鎌刃城は兵力不足から抗戦敵わずと見て降伏した。これにより織田方は東山道を確保したことになり、岐阜との繋がりを回復することになった。
「急ぎ兵を進める」
浅井勢の敗北を知った信玄は、一挙に織田勢を叩き潰す策に出るべく強権を発動して進軍を下知したのだが、日野の蒲生勢が石部まで出張って来たという報せに兵を割かざるを得なくなった。
京極、六角勢が浮気まで戻って蒲生勢に備えることになり、織田勢を前後から挟んでいた信玄が一転して挟撃されるという事態に陥ってしまった。
信玄の率いる兵は、七〇〇〇まで減じていた。
【続く】
さて今回は信玄がいいように振り回されています。これは信玄が劣っているのではなく、あくまで麾下に忠実な兵団がいないからであります。作中でも言及したとおり、信玄は守護大名の出であり、こういったことは初めての経験となります。
とはいっても信玄ですので、このままやられっぱなりではありません。
一方の秀吉は半兵衛頼りとなっていますが、半兵衛の名を使うことで信玄を抑えています。これは今のところ半兵衛の名の方が大きいからであり、史実でもこの頃の秀吉はまだまだ世間では無名であるとの認識が私の中にはあってのことです。
また今回で信玄と秀吉の対決は終わらせるつもりだったのですが、またもや長くなりすぎて二分割となりました。しかしながら、それでも合戦描写をかなり省略しております。今後とも大事な合戦以外はこういうことも多くなってくるかと思いますので、そこのところはご了承願えればと存じます。とはいうのも、今幕では規模はほぼ全国に及ぶので、小競り合いが多く起こり、書いていたらきりがないとの理由からです。
ちなみに登場した佐久間安政の兄・盛政ですが、こちらは西征組に加えられていますので、未登場となっています。いずれ登場の機会もあることでしょう。
次回で近江戦線での話は決着がつくことになります。