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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
73/200

第十七幕 叛軍侵攻 -信玄、近江へ征く-


永禄十三年(1570)一月六日。

京・二条城


義秋の謀叛によって沈みがちだった都の空気も、新年を迎えると少しずつ明るさを取り戻していた。それが畠山高政の死によって一気に消沈化してしまい、再び重苦しい雰囲気が漂うこととなった。それは謀叛方の諸将も同じであり、新年の宴は早々に切り上げられて、二条城では主だった者を集めて幕府方への勝利するための方策を練る評議が行われることになった。


まず先日に起こった畠山家の騒動が議題となった。高政の弟である秋高が家督を継承することは、畠山家中の問題であるが故に異論が出ることはなかったが、秋高が管領職に就くかどうかでは賛否が分かれた。


「先日も上様より申し上げた通り、細川、斯波の両家は管領職を全うするだけの力がございませぬ。つまりは畠山家以外に管領職を任せられる大名家はなく、管領職は秋高殿に御任せするしかございませぬ」


賛成意見は主に真木島秋光ら義秋の側近衆から出ている。無論、武田信玄の考えを代弁しているということだ。


「管領職を畠山家が務めるという話は理解いたすが、秋高殿はまず御家中を纏められるが先決であろう。いま管領に就いたとしても職務を満足に遂行できるとは思えぬ」

「左様。急いで管領職を定める必要はなく、一先ずは空席のままで宜しいのではありませぬか?」


これに対し、反対意見を述べたのは朝倉義景と松永久秀だった。


義景は管領代として、管領職を置かれるのは避けたいという狙いがあってのことだと信玄も予測しているが、久秀の目的が定かではない。単に信玄が力を持つのを懸念してのことなのか、そうでないのか。


「武田殿は如何に思われる」

「ここは上様の御判断を仰ぐのがよいかと存ずる」


義景から話を振られた信玄は、義秋の方へ身体を向けて頭を垂れた。義秋の裁断がどのように下るか確信を得ていてのことだ。


「余は、秋高でよいと思う」


その相貌には明らかな不満の色が浮かんでいたが、義秋は秋高の管領就任を拒まなかった。


幕政の復古を目指す義秋が、三管領以外の管領を認めるわけにはいかない。どういう経緯があるにせよ、それを理由に高政を推したのは他ならぬ義秋なのだ。筋目を通さねば、幕政の復古は水泡と化す。それが理由だった。


これにより管領には畠山秋高が就くこととなった。


次の議題は将軍宣下についてだった。その席で足利義秋は、近衛前久を説得すると申し出た松永久秀に対して釘を刺した。


「姉上と藤を人質に将軍宣下を迫ることは許さぬ。そのような卑劣な真似は、将来に亘って(そし)り、(あざけ)りを受けることは免れぬ。余は、義栄とは違う」


義秋の語気は荒く、怒気も含まれていた。


兄・義輝から足利義栄が将軍となった経緯を聞いていた義秋は、久秀が如何にして前久に将軍宣下を認めさせようとしているかを見抜いていたのだ。


(ふん!何も知らぬ血筋だけの無能が、偉そうに儂に異見するとはな)


と胸中では義秋を鼻で笑った久秀であったが、流石に諸将の前で謀略を素直に認めるわけにもいかず、すんなりと引き下がった。


「されど、このままでは埒が明きませぬ。何か妙案はないものでしょうか」


秋光の問いかけに、義秋が即応する。


「関白殿下の御協力を得られないのは心苦しい限りだが、ここは二条様を頼る他はあるまい」

「二条晴良様をですか?」

「うむ。二条様は永禄九年に准三宮(じゅさんぐう)となられておる。如何に関白殿下とはいえ、二条様の御言葉であれば無下にはできまい」


久秀の案を蹴った以上、義秋も代案を考えていた。五摂家の筆頭は紛れもなく近衛前久であるが、序列第二位は准三宮の二条晴良であった。位階による両者の差はないにも等しいが、前久は義輝によって優遇され、家禄で大きな開きがあった。絶えず金に困っている公家たちの支持を集めるには、この差は大きかった。


「断絶している鷹司(たかつかさ)家を二条様の手で再興して頂けば、その力は関白殿下にも匹敵しよう」


義秋が披露した腹案に、周囲からは感嘆の声が洩れた。


鷹司家も摂家の一つであるが、最後の当主であった忠冬に嗣子がおらず、天文十五年(1546)より断絶している。これを義秋は既に長子である兼孝を同じ摂家である九条家へ養子に入れている晴良に再興させ、五摂家の内で三家を仕切らせようとしていた。


「よい案と存じます。されど、事が上手く運んでも勅使が下向される保証はございませぬ」


即座に信玄が賛意を示すが、三家を纏めたところで晴良はようやく前久と肩を並べる程度でしかなく、一条内基が味方している前久が未だ有利だった。


「そのような事は承知しておる。故に兄上によって召し上げられた荘園を返すことと致す。公家領、寺社領を問わず返還し、余の支持を集めるのじゃ」


義輝が畿内で検地を始めてより、旧来の荘園は全滅していた。既に関所も廃されて関銭を徴収できなくなった彼らの不満は、募りに募っている。これを義秋が返還することは幕政の復古に繋がる行為であり、同時に支持を集めることにもなる。


一呼吸おき、義秋が自ら語を継ぐ。


「後は余の振る舞い方次第じゃな」

「と、申されますと?」

「まず、余は名を改めようと思う。義秋という名は兄上より頂いたもの。改名することで兄上との決別の証としたい」

「上様の御覚悟を世に示すには、丁度よいかと存じます」

「実は既に名も考えておるのじゃ。日に召すと書いて義昭。読み方は同じだが、秋の字と比べて縁起がよいらしい」

「それは重畳にございます。名を改めることによって、上様の前途も開けて参りましょう」

「うむ。そう申してくれると思っておったぞ」


義秋が上機嫌に顔を綻ばせる。名を改めないままでは、どうしても兄のことが頭によぎる。これでようやく兄からの独り立ちが叶うものだと思った。


こうして義秋は、義昭となった。


「それから皆の官位の奏請することにした。また折りを見て朝廷へ改元を申し出る。これらは知っての通り将軍の権限で行うものだ。余は未だ将軍ではないが、余の奏請によって皆の官位が引き上がり、元号が変われば大衆は余を将軍として認めよう」


義昭の言に皆が相槌を打って納得の表情を浮かべたが、信玄だけは奇妙な違和感を感じていた。


(何だこれは…?この公方は義輝と違って暗愚だったのではないのか)


今まで語った義昭の策は、信玄も唸るものだ。朝廷のことに詳しくない信玄が思いつかないのは仕方がないとしても、こうまで的確に指示が出せるものだろうか。


信玄がふと視線を右の方へ移すと、そこには眉間に(しわ)を寄せている久秀の姿が映った。


(あ奴めも気づきおったか)


義昭の変化に気付いている者は、恐らく信玄と久秀の二人だけだろうと思われた。皆、聡明な義輝に慣れており、義昭が同じようなことをしてもさしたる驚きを感じていなかったのだ。だが、それは大きな間違いである。義昭自身が聡明でなければ不可能なことなのだ。


その義昭が別の話題を切り出す。


「大膳大夫、余は戦のことは判らぬ。全てそなたに任せる故、兄上に打ち勝つ軍略を練るがよい」


と言って今度は信玄に丸投げしてしまったから、なお驚いた。


政略ではその才能を垣間見せた義昭であったが、軍事に関してははなはだ無知であった。既に義昭は信玄とは一蓮托生であることが判っており、腹を括っている。故に余程のことがない限りは口を挟むことはつもりはなかった。その代わり、義昭は幕政に関して信玄に口を出させるつもりはない。


義昭にしては役割分担をしたつもりだが、信玄としては看過できることではない。それでも今は言に従うしか道はなかった。まずは義輝そして信長を打ち倒すことが先決なのだ。それを成さなければ、幕政も何もあったものではない。


「御任せ頂けるのであれば、某も全力を尽くすのみにございます。まずは我が軍略を披露いたしますので、ご意見はその後に承りとうござる」


委託された信玄が抑揚なく語り出す。


話は半刻にも及び、大まかな戦略から細かな戦術までと多岐に亘って説明された。主に重視した点は、織田領への侵攻だった。


「近江と美濃を制すれば、我が兵を上洛させることが叶います。幸いにも信長は主力を率いて西国へ出陣しており、制圧にはさほど時間を要しますまい」


兵力の増強は幕府方でも謀叛方でも緊急の課題だ。謀叛方で最有力となるのが、武田勢の上洛である。


「伊勢は如何なさる。伊勢を平定すれば北畠中納言殿の兵も上洛が叶おう。伊賀の蒲生も倅が義輝公の下におる故、我らに味方することはあるまい。早々に討たねばならぬ」

「無論、同様に手当は致す」

「ならば、当方に異論はござらぬ」


京極高吉が最初に賛意を示した。京極高吉は近江守護に任じられているが、未だその領地は敵地である。このままでよいはずがなく、早めに切り取りたいと思っていた。また信玄も美濃を制すれば自領に加えられるため、双方の利害が一致した損のない戦略であった。


「そのように自分の都合ばかりを押し付けては、皆が困ろう」


信玄の狙いを見抜き、皮肉を言ったのは信玄の父・無人斎道有である。


評議では二十九年ぶりに親子の再会を果たしたことになるが、挨拶も禄にせず、これまで互いに一言も会話をしていなかった。二人の間には余人を介すことのできないほど重く張り詰めた空気が流れていた。


「…………」

「一色殿は丹波の平定を急がれたいのではないか」


一向に言葉を発しようとしない信玄を余所に、道有が一色義道へ訊いた。


「許されるのであれば、すぐにでも。丹波は街道沿いの城こそ攻め落としてありますが、奥地には手をつけておりません。放っておいては手痛い反撃を受ける懸念がござる」

「敵が播磨から兵を回してくることも考えられるしの。丹波を抑えることは急務であろうな」


道有がわざとらしく何度も頷いて同意を示す。


「それを申すならば、我が軍勢はそろそろ帰国したく存ずる」


冷ややかな語調で惚けたことを言い出したのは、朝倉義景だ。


義景は管領代となって天下に号令するという野心を以て謀叛に踏み切ったが、亡き高政と信玄によって大望を打ち砕かれている。先の議題であった秋高の管領職継承でも自身の主張は取り上げられず、嫌気が差した義景は永禄八年の時と同様に、越前へ戻りたいという気持ちが強くなってきていた。現在の北陸道は雪で塞がれているが、実際に義景は無理矢理に帰国した前例がある。俄に無視できない発言だ。


「何故に帰国などと申される」


呆れ果てたのは信玄だ。ここでの帰国が如何なる事を意味するのか、義景はまったく理解していない。


「我らは遠く山陰まで赴いて戦った。兵たちも傷つき、故地が懐かしくなっておる」

「兵をいたわるのは大将として当然であるが、ここで帰国しては先の勝利を捨てるも同然でござる。そのような寛容な備えでいても、労あるのみで功などはありますまい」


信玄はぴしゃりと言い放ると同時に凄まじい形相で義景を睨み付ける。義景は信玄の変貌に驚き戦きつつも言い逃れのように取って付けたような言い訳を繰り返した。


「…そ…それだけではござらん。貴殿は忘れておるやも知れぬが、義輝公の窮地にあの上杉が動かぬとは思えぬ。上杉が上洛するとなれば、北陸道を通るは必至じゃ。儂は帰国し、上杉に備えようというのじゃ」

「御懸念は無用に願いたい。石山の法主より越中の門徒に檄を飛ばして頂くよう取り計らってござる」

「門徒如きが上杉の進撃を阻めるとは思えぬ」

「一向門徒の力を侮るなかれ。先の合戦でも門徒たちは名のある将を討ち取っておるし、門徒たちの力は加賀一向一揆に苦しめられた朝倉殿がよくご存じのはず」

「そ…それは……」

「それでも門徒たちの力を疑われると申すなら、某からも越中の国人たちへ調略を仕掛けておるので安心して頂きたい。朝倉殿が気になさらずとも北陸には二重三重の壁があり、それを突破するのは謙信といえど容易ではない」

「大膳大夫の申す通りじゃ。左衛門督には山城の守護を任せたばかりぞ。帰国など以ての外じゃ」


義昭が横から口を挟み、義景の帰国はなくなった。信玄も一先ず安堵したのだが、その後に義昭がとんでもないことを言い出して当惑してしまう。


「それはそうと大膳大夫よ。上杉をこちらへ引き込めぬか」

「上杉をですか?それはちと難しいかと存じますが…」

「ふむ。権中将(ごんのちゅうじょう)には義氏を鎌倉公方に再任して預け、関東管領を任せたいと思っておるのだがな。そう伝えても無理か」


義昭の存念に信玄は言葉を失った。


確かに義氏は鎌倉公方家の血筋であり、上杉は関東管領職にあった家柄だ。義昭が幕政の復古を目指しているのは知っていた信玄だが、ここまで馬鹿正直に元に戻す意味はないと思っている。そもそも上杉謙信を関東管領に再任することは、北条を敵に回すことに繋がるのだ。


だが義昭にとっては別だ。上杉謙信は関東管領の務めを立派に果たし、統一されていた上杉と長尾を再び分離させた。これこそ義昭の求める幕政復古の姿であり、その体現者たる謙信とならば、共に歩めると思っていた。


「上様の御心はお察し申し上げますが、東国のことは今は捨て置かれるべきかと存じます。正式に将軍宣下を受けられてからでも遅くはございませぬ」


信玄は言葉を濁しながらも、義昭の考えを否定した。義昭は残念そうな表情を浮かべるが、信玄は無視して評議を続けた。


後は概ね信玄の筋書き通りに進んだ。


京には義昭と義景が残って朝廷工作を続け、武田信景が義昭を補佐する。一色義道は丹波へ兵を入れ、信玄と京極高吉が近江へ向かうことになった。本来ならば京を離れたくない信玄であるが、こればかりは自ら赴かなくては話にならない。信玄が織田領を攻め取るからこそ、その地を領有する資格を得られるのだ。


それに伴い、軍勢の配置にも変更があった。


具体的には摂津・鷹尾に残っている畠山、池田、松永、一向門徒に加え、伊丹城に残っている朝倉景鏡の一万五千を合流させる。総勢で五万ほどになるが、幕府方も五万なので、それ以上は兵を割くわけにはいかない。総大将には、遺憾ながら道有を信玄は指名した。


自ら追放した父ながら、その用兵は信玄も認めるほどであり、実力の上ではもっとも信頼できる相手だった。


「ふん。つまらぬ役目じゃ」


道有は不満そうに鼻を鳴らしたが、渋々引き受けることになった。他に適役がいないことは道有にも判っていたからだが、戦と血を好む道有としては戦火が拡大することを望んでいる。一番、戦になりそうにないところを引き受けるのは正直いって本意ではなかった。


次に近江だが、こちらは思った以上に兵が足りていない。


京極高吉の三千が近江へは同行するが、伊丹・大物の合戦で借り受けた一向門徒は摂津から動かせない。よって信玄は昨年の暮れより石山へ増派を依頼しているが、それでも一万に届くかどうかはわからない。


そこで信玄は二つほど要望を出した。一つは朝倉義景に対してである。


「斎藤龍興殿をお借りしたい」

「龍興を?」

「織田領へ兵を進めれば必ずや岐阜城を攻めることになり申す。城を攻めるにも美濃を平定するにも旧主の龍興殿の御力が役に立ち申す。叶うならば、朝倉殿の御慈悲で龍興殿に復権の機会を御与え下され」


として義景の自尊心に訴えるかの如く、恭しく礼をして頼み込んだ。


初めて上洛する折りに岐阜城を訪れたことのある信玄ではあったが、山頂に築かれた城には入らずに山麓に建てられている居館にて接待を受けている。故に城の構造までは判らず、城攻めとなれば龍興の協力は不可欠であった。


ただ義景も信玄の頼みを素直に聞き入れる心情にはない。しかし、矛先が織田領とあっては信長憎しの感情が湧き上がってくる。


「好きにせい」


義景は申し出を受けることにした。信玄がいなくなれば京で好きに動けると踏んでのことだが、それは信玄も判っている。義景如きが如何に動き回ろうとも、武田兵と合流して戻ってくれば全て取り返せるという思いが信玄にはある。それよりも重要なのは、目先の兵力だ。龍興とて身一つで信玄の下へ来るわけではなく、少なからず兵を与えられるはずであり、それを信玄は自由に使えることに意味があった。


続いての願いは義昭に対してだ。


「京で隠遁しております六角承偵殿を召し出すことを御許し願いたい」

「承偵を?されど、あれは謀反人だぞ」


自分が義輝に謀叛したことなど忘れたかのように義昭は言った。もっともそう言ったのは、義昭にとって自分の挙兵は然るべき大義があってのことで、特別だという想いが強いからだ。


「前公方様は六角殿を御許しになられております。なれば、召し出すことに障りはないと存じますが」


そのように信玄が願い出たのは、龍興同様に南近江制圧に承偵の力を借りるつもりだったからだ。功さえ立てれば、観音寺城くらいは返してやってもいいとさえ思っている。未だに不遇に喘いでいる旧臣らに働きかければ、一千やそこらの兵は集まるだろうとの打算もあった。


「構わぬ。連れて行け」


軍事に関しては口を挟むつもりのない義昭は、これを許した。


かくして評議は終わり、謀叛方は次なる戦場へ向けて動き出していった。


=======================================


一月十三日。

近江国・永原城


武田信玄が近江へ侵攻した。


石山本願寺からの増派が到着し、麾下に入る京極高吉、斎藤龍興、六角承偵は俄に人馬を整えての出陣である。数は京極三〇〇〇に斎藤二〇〇〇、六角一二〇〇といったところで、信玄が率いる一向門徒が五〇〇〇と総勢で一万を僅かに越えている過ぎなかった。少なく思うかもしれないが、門徒兵に関しては近江でも増える予定であるし、更なる援軍を加わることもあり、現状の数の少なさを信玄はさほど問題視してはいなかった。


混成軍であるが、風林火山の軍旗が翻るだけで風格が漂うのは信玄の武名によるものだろう。信玄は自分の存在を周囲に見せ付けるかの如く、無数の旗印を林立させながら長蛇の列を成して街道を闊歩した。


信玄が近江へ入ったという報せは、勢多を守る山岡美作守景隆より永原城へ届けられることとなった。


「一大事じゃ……、これは一大事じゃ!」


報せを受けた木下藤吉郎秀吉は顔面を蒼白させると、落ち着きもなく部屋中をウロウロと動き回った。


近江留守居役を命じられており、十一月に京で謀叛が起こって後は留守居の諸将と対応を協議するために何度も永原城を訪れていた。今までは主の信長と連絡が取れず、謀叛方の目が西を向いていたこともあり表立って行動することはなかったが、ここに至っては敵の侵攻を食い止めるべく団結して行動を取らなければならない。


まず秀吉は景隆の発した急使へ問いかけた。


「山岡殿が勢多の唐橋を落としたというのは、まことでござるか?」

「本意ではございませぬが、やむを得ず…」

「致し方あるまい。して、幾日稼げる?」

「二日…ないし三日かと存じます」


三日という言葉に、思わず秀吉は持っていた扇子を床に落としてしまった。


信玄の侵攻で景隆は勢多川に架かる唐橋を落としたが、信玄が勢多川を渡るだけならそれほど時間を要さない。しかし、京との繋ぎを保つには橋の存在は重要であり、必ずや仮橋を設けることになる。それが完成するまでが二日ないし三日だった。


「山岡殿はどちらか?」

「まもなくこちらへ参られるかと。主の上様への至誠至純は一点の曇りなく、幕臣の身なれど織田家の方々と協力して謀叛方を退けたく存じます」

「うむ。山岡殿の合力はこちらも望むところだ。共に戦おうぞ」


反射的に使者へ感謝の念を述べる秀吉だが、表情は笑っていない。


正直に言って近江にある織田家の兵力は、主だった者が西国へ出陣している為に乏しいのが現状だ。留守兵を集めても四〇〇〇ほどにしかおらず、謀叛方の動きを知りながら有効な手段を打てなかった背景はここにある。故に猫の手も借りたい織田家としては景隆の協力は有り難いのだが、問題は信玄の武名であった。城攻めにおいては三倍以上の兵数が必要であると兵法書には書いてある。つまり現状の四〇〇〇で謀叛方と戦うことは不可能ではないことを意味している。それでも諸将が“勝てない”と思っているのは、偏に信玄の存在があるからだ。


「佐久間殿、如何いたす」


秀吉が上座に坐る佐久間勘九郎信栄に訊いた。


この永原城は織田家宿老・佐久間信盛の属城である。秀吉は近江留守居役を拝命してはいるものの、佐久間家中に対して頭ごなしに命令することには憚りがある。実力主義の織田家とはいえ、序列を軽んじるわけにはいかないのだ。


ちなみに永原城には信盛と同じく近江に所領を持つ柴田勝家と中川重政の家中の者も訪れており、他に伊賀国代官の蒲生賢秀の弟・青地茂綱も協議に同席している。ただ肝心の佐久間信盛は尾張留守居役のために清洲城へ出向いており、不在となっている。


「一先ず勘九郎様には、尾張へ移って頂くのが宜しいかと」


御年十五に過ぎない信栄に代わって返答したのは、永原重康だ。六角家の旧臣で勇猛名高く、三好家との合戦では何度も先手を務めた男だった。


「逃げると申すか」

「勘九郎様を尾張へ御移しすると申し上げた。儂は逃げるつもりはない」


故に相手が信玄だろうが臆してはいなかった。


「ならば如何にして戦う。まず兵が足りまい」

「儂が永原城に籠もり、信玄を足止めする。その間に木下殿は美濃より援軍を連れて来て貰いたい」

「援軍か。確かに常策ではあるが…」


重康が援軍という言葉を発した途端、諸将の間に重い空気が流れた。


確かに織田家は全軍を西国へ遣わしておらず、まだ余力がある。ただ織田家の置かれている状況は西国にいる信長と比べても決して楽観できるわけではない。


昨年の十一月中頃より信濃の武田軍が美濃・岩村城へ攻め寄せてきており、伊勢では北畠具教が兵を挙げて北上を開始している。また石山本願寺の顕如上人が義輝打倒の檄文を全国の門徒へ発し、それに応じてる形で長島の願証寺も武力蜂起していた。その長島の一向門徒たちが尾張・小江木城へ攻め寄せて信長の弟である織田信興を討ったのは、今月の七日のことである。


とても援軍を呼べる状況ではない、というのが織田家の者たちの認識である。


「承知した。ならば岐阜に急使を送り、少しでもよいから援軍を寄越して貰う他はあるまい」


それでも援軍がなければどうしようもないというのが結論となった。相手の人数を考慮すれば、一〇〇〇でも二〇〇〇でも駆け付ければ善戦できる。早速に岐阜へ急使が遣わされ、佐久間信栄は尾張へと移っていった。


その二日後である。


尾張の佐久間信盛は動けなかったが、森可成が美濃留守居役の林秀貞を説得し、即座に三〇〇〇を率いて援軍へ向かうという嬉しい報せが届いた。この辺りが、全てにおいて判断の早い織田家のよいところであろう。岐阜では激しい議論が行われたようだが、近江を失えば美濃で信玄と武田軍が合流してしまう恐れがあり、それを懸念してのものだと送ってきた書状に記されていた。


「流石は三左衛門殿(可成)じゃ。よう物事が見えておられる」


この報せに秀吉が嬉々として喜んだのは言うまでもないが、森勢は近江へ入った直後、奇襲に遭って壊滅することになる。


可成は討ち死にし、共に行軍していた織田信治も逃走中に落ち武者狩りに遭って命を落とした。。


「な…何があったッ!?」


再び顔色を青白くさせた秀吉に対して、新たなる凶報が無残にも突き付けられる。


「浅井勢でございます。浅井久政が謀叛方に寝返りました」

「莫迦な…!!浅井家には於市様が嫁がれておるのだぞ!御当主の長政様も御屋形様と同陣し、上様と共におられるはず」

「されど事実にございます。森様とて浅井家が敵に回るとは思っておらず、共闘を呼びかけたところをいきなり襲われた由にござる」


ようやく事態が少しは好転すると思われた矢先のことで、秀吉は絶句した。


随分と前になるが、浅井家には秀吉からも援軍を請う使者を送ったことがある。その時は“援軍は出せない”と断られている。


「我が浅井は本隊を長政が率いており、北方の朝倉にも備えなくてはならない。申し訳ないが援軍要請には応じかねる」


と理由をつけてきたことは記憶に新しい。これは織田家にも通じることであったので、秀吉も久政へ対して疑念を抱くことはなかった。もっとも朝倉は全軍を京に送っているので備える必要は殆どなく、西国で長政が孤立していることを思えばもっと協力的であってよかったはずだった。しかし、憧れの於市が浅井に嫁いでいるという事実が、秀吉の判断を誤らせていた。


「よし、逃げよう」


進退窮まった秀吉の判断は早かった。


僅か四〇〇〇では武田と浅井の挟撃に耐えられるはずはない。一国一城の主を夢見る秀吉としては、勝ち目はない戦をして死ぬのは嫌だ。危機は目前まで迫っているが、今ならば安全な尾張へ逃げる道は閉ざされてはいない。ならば脱出して再起を図った方がよほど利口というものだ。


その秀吉を制止したのは、秀吉の与力である竹中半兵衛重治だった。


「本当に宜しいのですか」

「いいも悪いも、相手は信玄だぞ。甲斐の虎だぞ。勝てるわけがなかろう」

「近江を捨てれば、岐阜が危機に落ちるは必定にございます。それ以前に秀吉殿に課せられた主命は、近江の留守居役でございましょう。信長様は役目を怠ることを酷く嫌われる御方であることは、秀吉殿がよく御承知のはず」


冷たく慈悲のない言葉だが、それが真実であることは秀吉が一番理解している。ここでの逃亡は死罪を免れない。 


「ではどうせよと申すのじゃ!戦っても死ぬ、逃げても打ち首じゃ!どちらにしろ儂の夢は断たれてしまうではないか!」


秀吉は悲鳴に近い声を出し、哀願するような瞳で半兵衛を見つめた。そんな秀吉を見ても半兵衛は平然とした態度を崩さず、余裕さえ感じられた。


「大将に必要なのは、兵たちに己の覚悟を示すことにございます。そのように逃げ腰では、勝てるものも勝てませぬ」

「あの武田信玄に対して勝てる策があると申すのか?」

「さあ?それはやってみなければ判りませぬ」

「……うぬぬ」


淡々とした口調だが、半兵衛は秀吉に腹を括らせようとしているのだ。


半兵衛の見る秀吉評は必ずしもよくはない。お調子者で悪びれもなく法螺を吹き、特に政略や軍略に秀でているわけもなく、学もない。金に卑しくもある。されど、この男は開き直ると滅法と強い。


故に半兵衛は、わざと秀吉の逃げ道を断っていた。


「ええい!御屋形様に比べれば、信玄など恐ろしくもないわ!甲斐の虎だか何だか知らぬが、この秀吉が軽く蹴散らしてくれようぞ!!半兵衛、虎退治じゃ!」


秀吉が大きく吼えた。吹っ切れたのだ。


武田信玄の名に比べれば、木下藤吉郎秀吉など無名にも等しい存在でしかない。だが、半兵衛は秀吉の大器を見抜いていた。開き直った秀吉の器は計り知れず、どんなものでも呑み込んでしまうのではないかと思うほど底なしである。何れは信玄の名が霞んでしまうほどに大きくなると半兵衛は思っている。


「はっ。では、そのように……」


わざとらしい仕草で半兵衛が恭しく礼をする。ようやくその表情には笑みがこぼれていた。




【続く】

さて今回も義昭サイドの話ですが、ようやく義秋が義昭となりました。


義昭がこのような策を講じられたのは、朝廷や幕府、寺社といった古くからあるものについて精通していたからです。義昭は当初から幕政の復古を夢見ており、それに必要な知識を多分に有しています。(過去の幕府の政策とか)ただ合戦については自分の役目ではないという思いが強く、まったくと言っていいほど知識はありません。その辺りが義輝との違いでしょう。


その義昭を京に残し、信玄が織田領へと攻め込みました。対する相手は未だ木下姓の秀吉です。次回は信玄VS秀吉(and半兵衛)というIF小説でしか実現しない対決がテーマとなります。(ちなみに喜兵衛はおりません。道有と久秀の目付役として摂津へ赴いています)

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