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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第十六幕 天下掌握 -副将軍・武田信玄-


十二月二日。

京・二条城


伊丹・大物の合戦で勝利した足利義秋を奉じる謀叛方は、暫く摂津の地に留まって幕府方の動きを見極めた後、京へと凱旋した。かつて伊予を平定した時には道行く道に町衆が集まり、義秋へ喝采を浴びせたものだが、今回は閑散としたものだった。皆、再び都が争いに巻き込まれるのではないかという不安に駆られ、屋内へと閉じこもっている。


「…これが、今の儂の評価か」


二条城へと戻る輿の中で、義秋が呟いた。


兄と進む道を違えた今、もはや後戻りは叶わない。再び都に、幕府に繁栄をもたらすために今は征夷大将軍への就任が必要不可欠であることを義秋は肌身を通して感じていた。


「儂の…いや、余の将軍宣下を急がせよ」


これが城へ戻った義秋が最初に下した命令となった。


「…はっ、早速にでも朝廷への工作を進めまする」


主命を受けた畠山高政と朝倉義景は、思わず視線を合わせてしまうほど驚いた。今まで義秋は常に受け身であり、こちらの方針に対して意見を言うばかりで自分から口を出すことはなかったからだ。あったのは、義輝との合戦を控えるよう命令したことの一度だけだ。


それが今になってどうしたことだろうか。高政と義景は揃って首を傾げたが、予定されていた計画と何ら違いがなかったために気にする事なく命令を受諾することにした。


ともあれ、謀叛方は義秋の将軍職就任へ向けて動き出した。現将軍である足利義輝より将軍職を剥奪し、謀叛方が賊軍から官軍へと成り代わるという寸法だ。大兵を集めてもう一戦するというのも手だが、陣城に籠もってしまった義輝と戦うのは相当な損害を覚悟しなければならない。それよりは将軍職を手に入れ、各地の大名たちへ義輝からの離反を促す。何れかの大名がこちらへ靡いてくれば、勝利の目は大きくこちらへ傾くことになるのだ。


しかし、そう謀叛方の思うようには進まなかった。関白である近衛前久が義秋の将軍職就任を頑なに認めなかったからだ。


「義輝殿は生きておられる。その意に反し、謀叛を起こしたのは義秋殿だ。その義秋殿が武家の棟梁など朝廷が認められるものではない」


前久は義輝との蜜月関係から朝廷内でかなりの権力を握っていた。関白という地位に加えて家禄も五千石を越えており、藤氏長者と名実共に公家筆頭の地位にある。しかも前久には心強い味方がいた。一条家当主の一条内基である。内基は土佐一条氏の件で義輝より大幅な加増を受けており、完全な義輝方だった。位こそ従二位・権大納言であるが、近衛家に続いて三千石を越える家禄が与えられている。それが結託したのだから、二条城へ勅使が下向することはなかった。


謀叛方は二条城内にあった金蔵から金銀を惜しみなく公家衆へばらまき、さらに朝廷工作を続けることになった。


=======================================


十二月二十七日。

摂津国・鷹尾城


摂津に留まっている武田信玄は鷹尾城へと拠点を移していた。


鷹尾城は城山に築かれている天険の要害であり、越水城が築かれてからはその支城となっている。幕府方との最前線に位置し、万が一に幕府方が攻め寄せてきた事に備えて信玄は城郭の改修を行っていた。鷹尾城は山頂にある山城と山麓に築かれている外城の二つから成り立っており、信玄は居住に適している外城に身を置いていた。


その信玄の許に武藤喜兵衛が報告に訪れる。


「幕府方の動きは如何でございましょう」

「守りに徹しているといったところだ。備前では宇喜多が挙兵し、少なからず兵は減っておるようだがな」

「それは重畳にございます。後は赤松の離反さえあれば、幕府方は大いに揺れましょう」

「…まあな」


信玄は喜兵衛の言葉に相槌を打って応えるが、その表情に満足した様子は見受けられない。


宇喜多の挙兵はよいが、このままでは鎮圧されるのは目に見えている。赤松を挙兵させ、少しでも謀叛の炎を西国で広げる必要があった。


「赤松の離反など付け焼き刃に等しい。それよりは毛利よ。やはりこちら側へ引き込むのは無理か」

「義秋様の御内書に御屋形様の副状を託しましたが、色よい返事は頂けておりません」

「中国で八ヵ国、九州で二ヵ国をやると言っても無理か」

「恩賞云々ではないようです」

「ちっ…、あの毛利元就が義輝に入れ込むとはな…」


実際、義輝と義秋を比べれば、将軍に相応しいのは義輝と誰もが言うだろう。意外だと思ったのは、信玄は毛利元就を利で動く人物だと捉えていたからだ。過去の毛利の動きから推察しても、版図を拡大するべく上手く将軍を利用している。これは信玄にも通じることだ。故にこそ、毛利には見込みがあると思っていた。


「ならば大友はどうじゃ?」

「九州についてはこちらの裁断を仰ぐつもりはないようですが、こちらが提示した周防と長門に加えて、石見と伊予を要求して参りました」

「強欲なことだ。構わぬ故、それで進めよ」

「はっ。畏まりました」


これが信玄が老獪なところである。毛利に九州で二ヵ国を条件とする一方で、大友へ対しても中国地方での恩賞を約束している。伊予に関して言っても河野がいるにも関わらずだ。毛利だろうが大友だろうが遠国の存在であり、天下さえ握ってしまえば約束など反故にしたところでどうということはないと、信玄は考えている。


「残る問題は将軍宣下か…。未だ勅使が下向する気配はないか」

「なかなかに厳しゅうございますな。松永殿が申すには、関白殿下は昔から義輝公を贔屓しておる故とのこと」


朝廷工作は難航しているようだったが、信玄は久秀の言葉に何処か余裕が感じた。


「久秀めに何か考えがあるのか」

「何やら秘策がある様に見受けられました。関白殿下を口説き落とすことに一抹の不安も抱いておらぬようです」

「…………」


信玄がまぶたを閉じて思案に耽る。


確か久秀には、義栄の時に将軍宣下を実現させた実績がある。それがどのような方法かまでは伝わっていないが、あまり褒められた内容ではないことは容易に想像がついた。


「秘策があるのであれば、何故に久秀は動こうとせぬ」

「自分を高く売る気のようです。少しくらいこちらを困らせるつもりなのでしょう」

「ちっ…、あの翁め」


信玄が吐き捨てるように言った。朝廷工作だけは他人任せにせざるを得ないからだ。


摂家に次ぐ清華家である三条家に伝手を持つ信玄であるが、三条家は信玄の元服にも立ち合った公頼が大寧寺の変に巻き込まれたことで断絶している。分家の三条西家より公宣を迎えて再興こそしているものの、公宣は未だ八つと頼りにならなかった。


その為に高政と久秀に任せっきりとなり、久秀の独断専行を許すことになっている。問題はこのまま久秀を放っておいてよいかというところだ。喜兵衛もそれを確認しにやって来ている。


「…構わぬ」


久秀がどう立ち回ろうとも、謀叛方が勝つには義秋の将軍就任が必要不可欠であることは判っているはずだ。それが早いか遅いかの違いに過ぎない。


「それとじゃ、喜兵衛。将軍宣下が間に合わずとも、正月には論功行賞を行うぞ。いつまでも先延ばしにしては諸将の収まりもつくまい」

「畏まりました。全ての支度は万端ととのっております」

「当然じゃ。これ以上の遅れは、後々に禍根を残す」


喜兵衛が一礼し、その場を立ち去ろうとするが、ふと足を止めて振り返った。


「そういえば三日前の事ですが、岸和田城が開城いたしました」

「聞いておる」


岸和田城は和泉に残る幕府方最後の拠点であり、和泉代官を務めていた松井有閑が籠もっていた。それを久秀の子・久通が攻めていたのだが、兵力に乏しく成果が上がらなかった。そこで久秀は力攻めを諦め、有閑を義輝の許へ送ることを条件に城を開けさせたのだった。


「松永殿はご自身の兵を留めおいておるようです。恐らくはそのまま居座る気かと存じます」

「…好きにさせておけ。どのみち、出て行けと言ったところで出て行きはせぬだろう。されど久秀には油断するな。一挙手一投足を見張れ」

「はっ。ではそのように…」


再び信玄はまぶたを閉じ、瞑想した。


武田信玄が天下を握る瞬間が刻々と近づいていた。


=======================================


永禄十三年(1570)一月四日。

京・二条城


年賀の席で義秋は論功行賞を行った。義輝を模範した形となったが、己の方針を宣言するよい機会でもあった。未だ将軍宣下は行われていないが、義秋は自分が将軍となる前提で諸大名を幕府の要職に就けるつもりだった。


まず手を付けたのは若狭の人事だった。


「右衛門佐。余はこれより幕政を担わねばならぬ故、若狭まで構っておられぬ。そなたが孫八郎の後見役となるがよい」

「はっ。畏まりました」


丁寧な口調で返した武田信景であったが、声が上擦っている。一国を任されたことが嬉しかったのだろう。少なくとも亡き兄・義統の子である孫八郎が元服するまでの間は、守護も同然の身として好きに出来る。


次に呼ばれたのは朝倉義景だ。


「朝倉左衛門督を管領代とする。併せて山城の守護も任せる。幕府の再建に力を尽くし欲しい」

「謹んで御請いたします。この左衛門督義景、上様の御為に全身全霊を尽くす所存にございます」


義景には珍しく鼻息が荒く、強い意気込みを表した発言であった。


(ようやくこの日が訪れた。これで幕府は儂の思いのままよ。この儂が天下人となったのだ)


思わず義景は頬を緩ませていた。永禄八年(1565)に抱いた野望がついに実現する時がやってきたのである。後は管領に細川晴之を据え、傀儡として操る。かつて三好長慶が用いた手法を義景は踏襲しようとしていた。


その絶頂期にあった義景を一瞬にして蹴落としたのが畠山高政であった。


「尾州よ。畠山家は長らく管領職から離れておったが、細川、斯波と没落していく中で畠山家だけが残っておる。いま一度、畠山が管領となって余を補佐して欲しい」

「管領職への復帰は畠山の悲願にございます。是非とも御任せ下さりませ」


得意満面の高政に対し、絶句する義景。これは義景の計画になかった人事だった。高政が管領となってしまえば、管領代など名誉職でしかなくなる。


「お…お待ち下さい!管領には細川晴之殿が就任される予定であったはず。何故に畠山殿が…」


当然なように義景が横から異を挟んだ。


「管領職は畠山、細川、斯波の三家のみに許された要職。近年は細川の独占状態にあったが、それは幕府の本意ではない。ここらで元に戻そうと思うたまでのこと」

「されど…」

「くどい。余の決定が覆ることはない!」


苛立った口調で義秋が言った。


義秋とてこの論功行賞は納得しているものではないのだ。管領の復帰、畠山の就任は義秋の目指す幕府のあるべき形に相違ない。しかし、義秋も人間である。こちらの意向を無視して好き勝手に振る舞ってきた高政が管領となることに抵抗を感じないわけがなかったが、細川晴之を管領としては傀儡を認めるも同然であり、幕府を実のあるものとするには高政の管領就任は避けられなかった。


その当事者たる高政といえば、まるで負け犬を見るような目付きで義景を見ていた。


(おのれ…高政め!最初からそのつもりであったか!!)


面目を潰された義景が心中で口汚く高政を罵るが、もはや後の祭りである。謀叛方で最大の動員数を誇り、全てが自分の思いのままになると高を括っていたことが裏目に出た。


義景は肩をガックリと落とし、その後は一言も喋らなかったという。


それでも論功行賞は続けられた。


畠山高政には河内半国と和泉が与えられ、京極高政は近江守護へ復帰、伊賀も与えられた。一色義道には丹波が加増され、池田知正が摂津守護に選ばれた。そして松永久秀が正式に大和守護となることが告げられた。これには義秋が最後まで反対を示していたが、結局は高政の圧力に屈する形で認めるに至っている。


また各地で戦っている謀叛方の大名にも所領が宛がわれている。山陰にいる山名祐豊には従来の但馬と因幡に加えて伯耆が与えられ、宇喜多領として備前と美作が認められた。伊勢の北畠具教は伊勢に加えて志摩も版図に加えることになった。


そして謀叛方を主導した武田信玄は大幅に加増されることになった。


御相伴衆に列し、甲斐と信濃に加えて尾張と美濃、そして三河の領有まで認められた。それだけでもかなりのものだが、さらに越後まで切り取り次第とされている。初めは上野も対象の一つとなっていたが、こちらは北条家との関係を重視して守護就任は一先ず見送られている。


これらは未だ敵地であるが、信玄が治めることが叶えば武田こそが天下一の大名となるはずだ。


論功行賞の多くはこれから攻め取らなければいけない土地もかなり含まれているが、概ね諸将の要望を満足させる形で終わった。


「これで儂が天下人か…。成ってみると意外と大したことないのう」


城を出た高政が感慨深そうに言ったが、その言葉とは裏腹に嬉しそうだった。


「その割には、口元が緩んでおりますよ」

「そなたにも礼を申さねばな、喜兵衛。斯様に上手く事が運んだのは、そなたと大膳大夫殿の御陰よ」

「私は主の命に従っておるだけにございます」

「ふん。面白うない奴じゃ」


高政は生真面目な喜兵衛の態度に不満そうな表情を浮かべ、待たせてあった輿に身を移した。そのまま宿舎としている本國寺へと移動している途中、妙満寺を通り過ぎた辺りで突然に完全武装した四十人ほどの兵に囲まれてしまった。


「何者じゃ!こちらにおわすのが畠山尾張守様と知っての狼藉か!」


供の一人が叫ぶが、誰も取り合おうとはしなかった。こちらを蔑んだような冷笑だけが聞こえてくる。


輿から外へと出た高政が集団へ視線を移すと、そこには知った顔が二つあった。


「河内!それに美作ではないか!?これは一体どういうことじゃ」


高政が見た顔は、遊佐信教と安見宗房の二人であった。畠山家の重臣たる二人がいるということは、その兵は二人の兵だということになる。


「どうもこうもございませぬ。ここいらで御屋形様には御退場を願いたいのですよ」

「阿呆どもが!畠山家がこれからという時に、何を血迷っておるか!」

「ご安心を。畠山家は御屋形様の弟君の秋高様に継いで頂きますので、何も心配はございませぬ」

「ぐぬ……貴様らッ!!」


咄嗟に高政が刀を鞘から引き抜く。しかし、こちらは六人と差は六倍以上だ。考えられる手は、六人が一丸となって南方へ突破を図るしかない。本國寺まで辿り着けば、自身の兵がいる。


(喜兵衛…、南へ逃げるぞ)


高政は同行している喜兵衛に小声で話しかけた。


(南へ…ですか?)

(そうだ。喜兵衛、呆けたか?)


喜兵衛の惚けた声に高政は苛立ちを覚える。


確かに喜兵衛は武田の臣であり、畠山家とは関係のない人物であるが、この場で命を狙われない保証は何処にもなかった。それならば高政と一緒に脱出するしか生き延びる手立てはない。


(もしや何やら策でもあるのか?)


一縷の望みを懸けて、高政は喜兵衛に聞いた。


ここ数ヶ月の付き合いで、高政も喜兵衛の才覚には気付いている。喜兵衛ならば、この難局を切り抜ける策を持っていたとしても不思議には思わない。


(まあ…、見ていて下され)


そう言って喜兵衛はすたすたと歩き始めた。喜兵衛が信教と宗房の側まで歩み寄り、不用心にも二人へ背中を見せると高政は唖然とした。


「…き…喜兵衛、どういうことじゃ?」

「どういうこともござらぬ。申したはずですぞ、私は主の命に従っておるだけだと」


喜兵衛は両手を大きく広げて、一連のことが最初から予定されていたことであると暗に告げた。


「儂を謀りおったなッ!喜兵衛!!」


嵌められたと知って高政が怒気をぶつけるが、虚しく響くだけであった。


「おい!何も御屋形様に付き合うことはない。刀を捨てれば命ばかりは助けてやるぞ」


信教が高政の従者へ向けて呼びかける。そうすると従者たちは迷った挙げ句に刀を捨て、主を見捨てて遁走していった。


「ま…待たぬか!儂を置いて行くなッ!おい、戻ってこい!!」


引き留める声も虚しく、高政はついに一人となった。それでも脱出を諦めない高政は尚も生へと執着し、無謀にも集団へと斬り込んで行った。当然なように敵うわけもない。


「…おの…れ。か…必ず報いを…受けようぞ」


死の間際、高政は恨み言を吐きながら死んでいった。


義輝へ対して謀叛を起こした畠山高政は、たった一日の管領という夢を見た直後に家臣に裏切られ、呆気ない最期を遂げたのだった。


享年四十四であった。


=======================================


翌日、畠山高政の急死に都は騒然となった。


表向きは急な病によるものだと公表されたが、昨日まで健康であった高政を見ている者は多く、それが偽りのものであることに誰もが気付いていた。もしこの時に義景が素早く動いていれば天下を握ることが出来たかもしれないが、義景が高政の死に気付いたのはもう少し後のことであった。


混乱を鎮めたのは、二千の兵を率いて入洛した武田信玄であった。まるで見計らったような絶妙な間であった。


「義秋様。後のことは某に全てお任せあれ」


登城した信玄は、そのように義秋に言うと配下に命じて事態の沈静化を図った。


「儂が来たからにはもう安心である。皆、いつも通りの暮らしに戻るがよい」


武田信玄の武名は京でも有効であった。瞬く間に都は平静を取り戻し、高政に謀叛した遊佐信教と安見宗房も揃って膝を屈し、その下知に従うことを宣言した。


そして再び登城した信玄へ対し、側近の真木島秋光から進言があった。


「武田様の手腕は見事としか言いようがなく、これからも上様の御力となるは間違いございませぬ。正直に申しまして畠山様の代わりに管領を務めて頂きたいところでございますが、前例がございませぬ。故に武田様は副将軍に就いて頂くのが宜しいかと存じます」

「大膳大夫を副将軍とするのか?」

「武田様は上様のご先祖であらせられる八幡太郎義家公の御弟・新羅三郎義光公に連なる家柄にございます。副将軍として上様を御支えするには適任でございます」


秋光の熱の籠もった進言に、義秋は全てを悟った。


義秋の家臣である秋光が、ここまで信玄の味方をする必要はない。恐らくは信玄の手が伸びていると考えて間違いはなかった。ただ秋光は義秋の信頼する家臣だ。大方、義秋のことを慮ってのことだろう。


(…されど、余の頼りとなるのは大膳大夫しかおらぬ)


義輝には、あの織田信長が付いている。それに打ち勝つには、朝倉義景では不足だ。対抗できるのは戦国最強と呼び声の高い武田信玄をおいて他にない。それくらいは義秋にも判っている。


義秋が決断する。


「副将軍へ任じる旨、大膳大夫へ伝えよ」


武田信玄が天下を掌握した瞬間だった。




【続く】

予告していたとおり早めの投稿です。次回からは今までのペースに戻ります。


さて義景の野望が計画が稚拙だったために潰えることとなり、大願を成就させた信玄が副将軍となりました。以後は信玄が謀叛方を取り仕切ることになり、次回もその話の続きとなります。


また解説ですが、江戸時代の近衛家の家禄が二千石ほどなので、現在の近衛家が史実と比べてどれほど力を持っているかが判ると思います。一条家も同じです。(他の摂家は優遇されていないので史実と何ら変わりはありません)

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