第十五幕 忠臣の帰還 -反撃の軍略-
十一月二十七日。
播磨国・姫路
鳥取城での謀叛劇から凡そ一月が経った日のこと、九死に一生を得た明智光秀は何とか姫路まで辿り着いていた。そこで光秀は驚愕の事実を知ることになる。
「う…上様が負けた……」
主君・足利義輝の敗報に接した光秀は、途端に膝から崩れ落ちた。
光秀は鳥取城で全てを失ったことにより殺伐とした精神状態にあった。その上にこの一月余りの逃走による疲労が蓄積している。光秀は強い責任感からぎりぎりのところで正常を保っていたが、義輝の敗北はそれを打ち崩すに充分な報せだった。
「わ…私の所為だ。私が義景の謀叛を見抜けてさえいれば、こんなことにはならなかった」
光秀は堪らずに自分を責めた。
謀叛の発端は鳥取城で裏切った朝倉義景に始まる。軍監の立場であった光秀が事前に謀叛を察知していれば、死んだ景恒や行方の判らない丹波衆の面々と協力して対応することが叶ったはずだ。いや、それ以前に光秀は朝倉家の家臣でありながら義景を無視し過ぎた。義輝の許での幕府の再興に勤しむ中で、もっと義景のことを気にしていれば、その邪な野望に気づけていたかもしれない。
光秀には全てのことが、自分の責任に思えてならなかった。
「何を申されます!殿は充分に戦ったではござらぬか!悪いのは朝倉義景にござる!」
「左様。殿ほど上様に尽くした人物はおられませぬ!それは上様も御承知のはずです!何を思い悩む必要がございましょうや!」
打ち拉がれる主に、溝尾茂朝と三宅弥平次が励ましの声をかける。
僅かに残った家臣たちの言葉に、光秀は少し心が軽くなった気がした。ただそれでも己の責任が果たせなかったことを忘れることは出来ない。明智光秀とは、そういう人物なのだ。
そこへ一人の人物が通りかかった。
「おや?そちらにおられるのは明智様ではございませぬか」
集団の視線が一人の男へと注がれる。身なりからして武士であるのは間違いないが、光秀はその顔に心当たりはなかった。
「まさか、鳥取城で行方知らずであった明智様とこのような場所でお目にかかるとは思いませんでしたぞ。いや、御無事で何よりにござる」
相手はこちらの事情を知っているようで、平然と話しかけてくる。光秀を含め家臣ら一同が状況を理解できないでいると、それに気付いた武士は自らの名を名乗った。
「申し遅れました。拙者は小寺家の家老を務めております、小寺官兵衛孝高と申す者にござる」
「家老の小寺…?ということは、姫路の領主の小寺か」
「左様にございます」
問い返した光秀が、ようやく状況を理解した。
意外かもしれないが、光秀は播磨の状勢に詳しい。義輝の傍らで西征の軍略を練っている時、播磨のことについても詳細に調べ上げたからだ。故に御着の小寺の下に姫路の小寺がいることや旧守護の赤松の家系がどのような関係になっているかまで正確に把握している。
ただ光秀は播磨の状勢に詳しくとも孝高と面識はない。声をかけられた理由を掴めないでいた。
「それは判ったが、何故に私を知っている?そなたとは面識がないはずだが…」
「一度だけ主に従って上洛したことがございます。その際に上様の御側におられた明智様を御見かけしたことがございます」
「たったそれだけで、私を覚えておったのか?」
「はい。明智様と言えば上様の懐刀として有名にございますれば…」
「……私は、そのような大それた者ではない」
“懐刀”という言葉が、光秀に重くのしかかる。思わず光秀は目を孝高から逸らした。
鳥取城での一件で、光秀は自信を完全に喪失していた。上様の懐刀など今の自分には分不相応な言葉だった。
「されど小寺の者ならば、上様の軍勢に加わっていたのではないか?」
主に代わって訊ねたのは斎藤利三だ。光秀が一番知りたい情報は、合戦の推移と今の状況である。それが義輝の軍に従っていた者から聞けるほど正確なものはなかった。
「ふむ。ならば我が城までお越し下さりませ。そこで御話し致しましょう」
孝高は光秀たちの身なりを見て、大凡のことを悟った。また孝高も鳥取での謀叛がどのようなものであったかを知る必要があり、場所を移して情報交換することにした。
光秀ら一行が場所を姫路城内へと移す。湯殿で旅塵を払い落としてから軽く食事をし、小休止してから本題へと入った。
まず光秀が鳥取城で起こったことを話し、それから孝高がこれまでの経緯を伝えた。
「莫迦な…。そこまで上様が追い詰められておられようとは……」
想像以上の状況に光秀は言葉を失った。
そもそも光秀は義輝が毛利を味方にしたことを察していたために、敗報すらまともに受け止めることが出来ずにいた。どう考えても合戦は義輝が有利だったはずだ。それが敗北し、追い詰められている。
特に軍勢の多くを失った上に離反者が発生したことは、看過できない事態である。
伊丹・大物の合戦で播磨勢は守護代・別所安治と赤松政秀を失った。摂津勢も多くの討ち死にを出した上に和田勢が半壊状態にあり、池田勝正は何とか死地を切り抜けて生還したものの、その軍勢はほぼ壊滅状態にある。さらに問題なのは、宇喜多直家が国許に不穏な動きがあるとして一方的に帰国したことだ。
これを即座に否定したのは浦上家の宿老・大田原長時だった。
長時は直家が再び謀叛へ奔るだろうことを予感し、帰国することを義輝へ願った。元々宇喜多を信用していなかった義輝は、長時の言を信用して帰国を許した。ただ同時に義輝は隣国への手当を施さなくてはならなくなった。
宇喜多が叛旗を翻すとなれば、当然なように備前はさることながら隣国まで影響を及ぼすのは目に見えている。美作は石谷頼辰が在国しているので命令を出せば済むが、備中や播磨はそうはいかない。義輝は上野隆徳を帰国させると傷ついた播磨勢も一旦領地へ戻ることを許した。故に孝高も帰国が許され、姫路にいたのである。
これに加えて四国で河野通宣の挙兵が確報として伝わり、反撃の糸口となるべき四国の兵を動員することも叶わなくなっている。これにより一ノ谷に残る軍勢は、負傷兵を合わせても五万余というところまで減じることになった。幸いにも信長が築いた陣城が完成し、五万の兵があれば充分に謀叛方の攻撃は防げた。
そして更なる事実を孝高は口にする。
「赤松兵部少輔様(義祐)にも謀叛方へ通じる動きがございます」
「なにッ!?」
赤松義祐といえば播磨の旧守護家だ。幕府方として兵を出し、大きく傷ついている。その義祐が今になって謀叛方へ与するとはどういうことなのか、光秀は理解しかねた。
「兵部少輔様の望みは播磨守護への復帰でございます。政敵であった龍野の政秀様が亡くなられ、守護職への復帰を条件に謀叛方が誘いをかけておる様にございます」
孝高が確信を持って告げた。
謀叛方は義輝が考えるよりも早くに動いていた。
元々山陽勢には計画が露見することを避けて内応を仕掛けていなかった謀叛方だが、勝ったとなれば別である。さっそくに寝返りそうな者へと誘いの手を伸ばしていた。
義祐へ誘いをかけているのは松永久秀の手の者だ。しかし、播磨の地では孝高に分があった。故国の地で如何様に久秀が暗躍しようと、何処かで孝高の情報網に引っかかる。特に久秀側は厳重に警戒していたが、義祐側に隙があり過ぎた。すぐに事が露見し、孝高の許へ伝えられた。
「それを上様は承知なのか?」
「いいえ。御伝えしておりませんので、知らぬはずでございます」
「何故に伝えぬ。大事ではないか」
真顔で答える孝高に対し、光秀は呆れかえった。しかし、孝高にもそれなりの考えがあってのことだ。
「誘いの手が伸びてることは事実なれど、未だ兵部少輔様は謀叛方へ与するとはっきりと返答したわけではございませぬ。いま公方様へ報せれば、兵部少輔様へあらぬ疑いをかけることになりかねませぬ」
「それは判らぬでもないが…」
光秀も孝高の言葉に一定の理解を示したが、いまいち納得できていなかった。
「裏切る気がないのであれば、はっきり断るか誘いがあったことを自ら公方様へ御伝えすればよいのです。それがないということは、兵部少輔様が迷っている証にございます。今のところ暫く様子を見るつもりでおりまするが、折を見て公方様へは御伝えするつもりでおります」
「なればよいが…」
「もし宜しければ、明智様より公方様へ御伝え願えませんでしょうか?」
「私がか?」
「拙者は小寺家の家老に過ぎませぬ。公方様の直臣たる明智様ならば、すぐに御目通りも叶いましょう」
陪臣の身で将軍と会うのは、手続き上のことも踏まえると面倒なものである。孝高からすれば、光秀に伝えたのだからそのまま義輝へ伝えて貰った方が楽だ。
ただ光秀は、孝高の言葉により自分が義輝の直臣になっていることに初めて気が付いた。
いつかは幕臣になることを考えていた光秀であるが、義景の謀叛により結果として幕臣となる障害が取り除かれることになった。当然の様に、元々その気であった義輝が光秀を幕臣へ加えることに躊躇するはずはない。
「それは承知したが、問題はこれからぞ。宇喜多が離反し、赤松が寝返るとなると上様が挽回するのも容易ではあるまい」
しかし、今の光秀には晴れて幕臣となれる身の上を喜ぶことは出来なかった。現状は厳しく、表情を曇らせるばかりだ。
「確かにそうでございますな。敵を東西に抱えた上、こちらの人数は相手よりも劣るとなれば…」
主と同じく利三や茂朝ら明智家臣たちも腕を組んで思案に耽るが、そう簡単に妙案が浮かぶわけもない。そこで光秀が播磨の状勢に詳しい孝高へ問うたところ、意外な答えが返ってきた。
「そう難しいことではございませぬ。まずは播磨を一つに纏め上げることが第一、第二に丹波を取り戻すことと四国を再平定することで現状の打開は図れまする」
と孝高が答えたが、光秀は播磨を纏めるというところに疑問を抱く。播磨は今でも守護の蜷川親長の下で一つとなっているはずだ。
その疑問に孝高が回答する。
「播磨の者たちは、みな気位が高い。もっと言えば誇り高うございます。正直に申しまして、外から来た蜷川様に尽くそうなどという者は一人としておりませぬ。かといって赤松に往年の力はなく、これもまた播磨を纏めることは難しゅうございますし、先ほども申したように謀叛に奔るかもしれぬ者に守護は任せられませぬ」
「ならば、誰ならば播磨を纏められる。蜷川様が駄目で、赤松も駄目となると播磨を従えられる人物はいないように思えるが?」
「いいえ、おりまする。公方様の御近くに、未だ領地を持っておられない御仁が一人。あの方であれば、播磨の者たちも下知に従うことに納得いたしましょう」
勿体つけた言い方だが、光秀は孝高のいう“御仁”という言葉でそれが誰であるかに気が付いた。
「そうか!左中将様(足利晴藤)だな。播磨を平定をなされたのは左中将様だ。播磨を領有される名分は立っておる上、将軍家御一門となれば誇り高き播磨の者たちも従いやすいというわけだな」
「左様にございます。播磨は各々が互いを牽制しあっている故に西征でも充分に兵を動員することは出来ておりませぬ。これを一つに纏まれば、一万やそこらの兵を動員することが可能となります。その上で赤松を討ち、丹波で窮地に陥っている八上城を救援いたします」
丹波という言葉に光秀は敏感に反応した。鳥取城で丹波衆の多くは命を落としている。その事が今でも気がかりであり、可能ならその手助けをしたいと思っている。
光秀の表情から思考を読み取った孝高が話しを続ける。
「丹波は山深き土地にございます。恐らく鳥取城から生き延びておられる方々は旧知の者を頼って丹波の何れかに潜伏しておるものと思われます。我らが丹波へ兵を入れれば、必ずや挙兵すること間違いありませぬ。さすれば彼らの旧領を回復することも叶いましょう」
その言葉に、光秀は身を乗り出して瞳を輝かせる。西京街道を通れば八上城へは赴けるし、それを救援することは義景の罠に嵌められて命を落とした波多野秀治への何よりの手向けとなろう。
重荷が少し減った光秀の思考が蘇ってくる。
「うむ。丹波さえ取り戻せば、謀叛方を上方と山陰で分断できる。加えて我らは二方面から京を窺うこととなり、東国への繋ぎも取れやすくなるというわけか」
「左様にございます。四国で謀叛方に通じそうなのは河野のみなので、その頃には四国の再平定も終わっておりましょう。その上で全軍を以て再度、京を目指します」
打てば返ってくる光秀に孝高の表情は嬉々としてきた。播磨では孝高の話が通じる相手は皆無であり、対等に会話できる相手に喜びを感じていたのである。
「そなたの策は概ね理解したが、宇喜多はどうする?あれを放っておいては…」
「宇喜多のことは、毛利に任せればどうにでもなります。放っておいても宜しいかと存じます」
孝高は言い切った。
中国地方に住む者として、毛利の存在は今でも大きい。特に元就の名は桁違いの大きく、宇喜多など霞んで見えるほどだ。毛利は今でも各地の兵を送っているが、宇喜多を抑えられないほど余裕がないわけではない。無闇に兵を割くよりは、毛利に一任した方が早い。
「よし!ならばこうしてはおれぬ。すぐに上様の許へむかおうぞ」
光秀は膝を叩いて意気込みを現し、その闘志を再熱させた。主の復活に家臣たちは破顔して喜ぶ。それに対して孝高は、冷ややかに別の話題を切り出した。
「それはようございますが、明智様は如何なされますか?」
「如何とはどういうことじゃ。私は上様の下知に従うのみだが…」
「ご自分の手で丹波を取り戻したいとは思いませぬのか、と聞いております」
「…取り戻したい。されど、いま申したように丹波を取り戻すのは左中将様となろう」
「左中将様が播磨を治めようとも、公方様が丹波奪還の全てを委ねるとは思えませぬ。誰ぞ有能な者を側近くに据えるはずでございます」
晴藤は未だに未熟。そう義輝が考えていることを孝高は察していた。そして、光秀もそれは感じていることだ。孝高の言うように、誰かが補佐役に付くことになるだろう。
光秀が溜息を一つ吐いて言った。
「それならば蜷川様が適任であろう。現在の播磨守護であられるのだからな」
「蜷川様では、力不足にございましょう」
またもやきっぱりと言い切る孝高に、光秀は不快感を募らせる。
親長に率いられた播磨勢の脆さを孝高は身を以て痛感している。播磨勢が力を発揮したのは、晴藤が大将で孝高が助言した時だ。だが孝高には自分ほどの軍略を親長が錬られるとは思っていない。自信過剰かもしれないが、それでも孝高は冷静に物事を判断していると思っている。
ただ光秀ならば自分の代わりが務まる。光秀とは今日一日の付き合いでしかないが、孝高はそう確信していた。
「私にそれを務めよと申すか。されど私は敗残の将である。兵を失い、多くの味方を死なせた。汚名返上の機会が欲しくないと言えば嘘になるが、それを自ら求めるなどという恥知らずなことは出来ぬ」
「恥など、どうでも宜しかろう」
「なに!?」
これに反応したのは光秀ではなく、その家臣たちだ。怒気をぶちまけ、好戦的な三宅弥平次などは刀の柄に手をかけたほどだ。一方で孝高は臆することなく言葉を続ける。
「恥と思うだけで勝てるならば、それほど楽なことはございませぬ。それに敗残の将と申すならば、公方様を始め幕府方の将すべてがそうでございます」
「だが私は……」
光秀はやや声を落とした。理解はしているが、納得はしていないという表情だ。
そんな光秀へ対し、孝高は意外な申し出を口にした。
「もし明智様が再起を望み、その為の兵を欲するのであれば、我が姫路城をそっくり差し上げても宜しゅうございます」
余りにも荒唐無稽な話に光秀は一笑に付した。家臣たちも互いを見合って驚いているものの孝高本人は至って真面目だった。
「冗談で申し上げているわけではございませんが…」
「莫迦なことを申すな。そのような話は聞いたことがないし、そなたとて養うべき家族や家来がおろう。私に城を譲れば、その者たちが路頭に迷うことになる」
「それならば問題ありませぬ。明智様より改めて知行を頂ければ結構にございます」
として孝高は恭しく頭を垂れた。
確かに孝高の言う通りなのだが、孝高とは今日初めて会ったばかりなのだ。“はい、そうですか”と受け入れられる話ではない。
これに唯一理解を示した者がいた。斎藤利三である。
「殿。もはや失うもののない我らには、小寺殿の申し出を断る理由がございませぬ。ここは、受けられるべきかと」
かつて利三は稲葉家に仕えていた頃に光秀と出会った。その際に光秀への合力を拒んだ主に反して、自らの兵を委ねた経験を持つ。それは明智光秀という人物に惹かれたからだ。利三はかつての自分を、孝高に重ね合わせていた。
そして主の将来を考えたとき、根無し草同然の現状を打開する必要がある。それ故に進言であった。
また孝高も姫路を譲ると申し出たのには理由があった。
そもそも孝高は己の才を天下で試したいという野心がある。しかし、主君の小寺政職は現状を維持することにしか意識がなく、その視野が播磨の外へと向けられることはなかった。だからといって松永久秀や宇喜多直家のように主をどうこうしようという気は孝高にはないのだが、自分の望みを簡単に諦められるほど孝高は人間が出来てはいない。新たに領主となる晴藤の下で才を振るうことも選択の一つだが、その場合は小寺の家老という立場が孝高の縛りとなる。その点、光秀の家臣となれば話は別である。幸いというべきではないだろうが、光秀は鳥取城で家臣の大半を失っている。いま仕えれば即座に側近となれるのは明白であり、義輝に近い光秀の家臣であれば天下に近いところで才が試せることになる。また才気に溢れる光秀とならば、互いに切磋琢磨しあって更なる高みへと登り詰めることも夢ではなかった。
「……相判った」
熟慮した結果、光秀は孝高の申し出を受けることにした。全面的に孝高を信じたわけではない。何よりも信頼する利三の言葉があればこその決断であった。
=======================================
十一月二十八日。
摂津国・一ノ谷
光秀の帰還を伝えられた義輝は、喜びが爆発するのを抑えられず、光秀の待つところへ一目散に駆けだした。
「十兵衛!よくぞ…よくぞ戻った!…よう生きておった!」
いきなり姿を見せた義輝に光秀は驚き、咄嗟に平伏する。義輝は光秀の傍らまで一気に近寄ると、肩を叩いてその労をねぎらった。
「生き恥を晒して戻って参りました」
深々と謝罪する光秀に対し、義輝は一言も光秀を責めるようなことはなかった。主の優しい言葉に光秀はいつまでも顔を上げられず、頬には涙が伝っていた。
「全ては私の責任にございます。赤井様と波多野様は敵の手にかかり、中務大輔様は私を逃がすために命を落とされました。…申し訳ございませぬ」
光秀は涙ながらに己の不明を詫び続けた。この時、義輝は初めて朝倉景恒が謀叛方に与せずに戦ったことを知ることになった。
「中務大輔様は申されました。どのような形でもよいから朝倉の家を残したい、と。中務大輔様は最期まで上様の御命令を全うし続けました。こればかりはどうか御聞き届け下さいますよう御願い申し上げます」
地に頭を擦りつけながら、光秀は亡き景恒の遺言を伝えた。それを義輝は慈愛の眼差しで見つめている。
「もうよい。そなたも不覚を取った。そして、余も不覚を取っただけのことだ。中務大輔のことも承知した。今すぐにしてやれることはないが、余が京に戻った暁には能う限りのことはしよう」
そう言って、義輝は全てを水に流すことにした。
その後、光秀は孝高と語り合った策について義輝へ伝えた。赤松義祐の謀叛も報せる必要があると判断し、包み隠さずに伝えた。
全てを聞き終えた義輝は判断を下す。
「…播磨のことは判った。義祐が事は一先ず置いておくが、播磨守には守護を解任するだけの落ち度があるわけではない。されど何れ晴藤にも国を任せるつもりであった。ここは十兵衛の申すように晴藤に播磨を預け、播磨守には別の地を任せることとしよう」
義輝の決断によって、急遽ではあるが足利晴藤が播磨の領主となった。晴藤は将軍家一門であるために播磨は守護国とはならず、公方領となったが、かつての鎌倉府のように強い権限が付与されたわけではない。どちらかといえば吉良氏、渋川氏、石橋氏で構成されていた御一家と同様であり、将軍職(足利氏家督)を相続できる権限を有した大名家となった。過去と違う点は、足利姓と二引両の家紋の使用を許されているところである。
また義秋の謀叛により、晴藤は第三位だった将軍職継承権が二位の義助を飛び超えて第一位となった。これは、あくまでも義輝の父・義晴の血筋を優先させたためである。
(後は余と弾正、そして陸奥守次第か…)
義輝とて反撃の策を考えていないわけではない。ただその視点は西国中心のものではなく、東国ひいては日ノ本全体を巻き込んだ壮大なものだ。その為には暫く一ノ谷へ腰を落ち着けて長期戦で挑む必要があり、陣城をさらに強化させるために信長へ一ノ谷内部に城郭を築くように命令も出している。光秀が語った策は、兵力の乏しい義輝の策を補完するには充分なものとなった。
これを機に義輝の反撃が始まることになる。
【続く】
今回は早めの更新です。
というのも、前回で予告した謀叛方の場面ではないからです。本来であれば光秀の帰還はもう少し後で時間を遡る形で描く予定だったのですが、時系列で書いた方が判りやすいだろうと思い構成を変更しました。よって次回が謀叛方の回となりますし、可能な限り次回も早めに更新したいところです。
ちなみに今回以降は暫く義輝サイドの話はお休みとなります。
さて意外だったかもしれませんが、官兵衛が光秀の家臣となりました。恐らくは晴藤の家臣となるのではと予測していた方が多いのではないかと存じます。そうならなかったのは、小寺家という障害がどうしても残るからです。とはいえ、晴藤と官兵衛の関係は今後も残り続けることになります。
また拙作とは関係のない話題ですが、2014年の大河ドラマに黒田官兵衛が選ばれましたね。決まった後に官兵衛のことが書けるとは思いませんでしたが、若き日の官兵衛が描かれるのは非常に珍しいのではないかと思います。大体は秀吉との出会い辺りからですからね。だいぶ前に一度だけ高橋克典が主演で官兵衛をやっていましたが、一回限りのスペシャルドラマであったので若年期を丁寧に描いていたとは言い難いものでした。
私としては非常に楽しみであります。
※10/17 誤字脱字を修正した際に、一部表現を変更いたしました。




