第十四幕 再戦の誓い -両軍、仕切り直し-
十一月二十日。
摂津国・一ノ谷
伊丹・大物で行われた幕府方と謀叛方の合戦は、幕府方の敗北に終わった。幕府方の総大将である足利義輝は西へ敗走、生田川を越えたところで先に撤退していた織田勢と合流した。
そこは源平合戦の舞台で名高い“一ノ谷”という古戦場であった。
一ノ谷に織田勢は堅陣を敷いていた。川を防波堤とし、二千もの鉄砲隊を最前線に配して防備を固める一方で、後方では兵たちが忙しく陣地を構築している。
信長の許へ向かう義輝は、その光景に目を見張った。
織田勢は三重の空堀と馬防柵、それに土塁を築こうとしている。この内側に籠もり、謀叛方を防ごうというのである。謀叛方の人数は七万を超えているが、こちらとて織田と浅井、それに義輝の兵を加えれば四万ほどになる。さらに敗走中の味方が加わることになるのだから、充分に敵を防ぐことは可能だろう。
「くっ…弾正め…」
素早く陣城を構築した信長の手腕は評価に値するが、義輝の心境は複雑だ。
そもそも信長には勝手に兵を退いたことによる敗戦の責任があった。当然、これに義輝は怒りを覚えているが、織田勢が一ノ谷を確保したことで義輝は再戦への橋頭堡を得ている。一ノ谷は源平合戦の折りに平家が上洛を見越して布陣した地であり、その重要性は改めて語るまでもない。
「弾正!何故に兵を退いた!!」
それでも義輝は、信長の顔を見た途端に湧き上がってくる感情を抑えられなかった。
「何故…とは?」
平然とする信長に、義輝の怒りはさらに募っていく。
「うぬが勝手に兵を退いたことで、我らは負けたのだぞ!」
「これは異な事を仰せで。つまり上様は、あのまま戦っていれば勝てたと申されますか」
義輝は鋭い視線で信長を捉えている。それを直視して尚、信長は涼やかに反論する。その反論に対し、義輝は明確な回答を有していない。
義輝とて勝てたという確証がない。あったのは、勝てたかもしれないという漠然としたものだけで、願望に近い。武田信玄の参戦後に播磨勢が壊滅しても合戦を続けようとしたのは、偏に意地でしかないのだ。それは皮肉にも、義輝が一番理解していた。
義輝は大きく息を吐き、呼吸を整えて心を落ち着かせる。
「では何故に勝手に兵を退いた。余に断りもなく兵を退いたことで、多くの将兵が死んだのだぞ」
「あの折り、某が撤退を進言したところで上様が御認めになるとは思えません。故に兵を退いたのであります。我が手勢が兵を退けば、上様とて兵を退かざるを得ませぬからな」
信長の言葉に怒りを覚えたのは、義輝ではなく側近の者たちだった。
「不遜であろう。如何に織田様とはいえ、余りにも傲慢な御振る舞い。上様に詫びられよ」
幕臣たちからすれば当然の感情であったが、それを信長は鋭く睨み付けて黙らせた。
(どういうことだ?織田殿の態度が明らかに合戦の前と後で違う…)
柳生宗厳だけは違和感に気付いたが、当の義輝がまったく気にする素振りを見せなかったので、敢えて言及するようなことはしなかった。
(……試されているのか、余は)
何故かは判らないが、義輝は信長の態度からその様に感じていた。
(臣下たる者が主を試すなど烏滸がましいが、信長くらい御せずして百年も続く乱世を終わらせられようか)
義輝は瞳を閉じ、込み上げてくる怒りと悔しさを無理矢理に抑え込んだ。
確かに信長の行動と態度は褒められるものではないが、その指摘は正確で的を得ている。実際、もし信長が撤退を進言してきても義輝は絶対に認めなかっただろう。悔しいが、事実なのだ。
「ええい!余の負けじゃ!今さら考えたところで詮なきことよ!」
義輝は、内側に溜まったものを全て吐き出すかのように言った。
「されど弾正!余は諦めぬぞ。相手が信玄だろうが、最後に勝つのは余だ!」
「無論にございます。此度は不覚を取りましたが、まだまだ打てる手は無数にございます。我らに優位は揺るぎませぬ」
「うむ。主だった者が戻り次第、軍評定を開く。弾正、敵の追撃は終わっておらぬ。警戒を怠るでないぞ」
そう言って義輝は信長へ敗走してくる味方の収容を命じた。
義輝は気持ちを切り替え、再戦へ向けて闘志を燃やし始めるのだった。
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十一月二十一日。
摂津国・灘
合戦に勝利した謀叛方は逃走する幕府方の兵を追いに追い回し、西へと進んでいた。討ち取った兵は三千にも及び、負傷者を入れれば幕府方の損害は万を軽く超えると思われた。序盤の劣勢からすれば、よく勝てたものだと思うが、謀叛方の首脳陣からすれば、この勝利は必然であった。
誤算だったのは、織田勢に損害を与えられなかったことと義輝が一ノ谷に居座ったことだ。本来ならば播磨まで追い払うはずが、その手前の灘までしか進めなかった。
「まさか源氏である義輝公が一ノ谷に陣を敷くとはな」
同じ源氏である信玄からしても予想外の事態だった。誇り高き源氏が平家の真似事をするなど常識からすれば考えられないことなのだ。
一方で感心してみせたのは腹心の武藤喜兵衛だ。
「されど負けることも想定していたとなると、あの将軍も侮れませぬな」
「想定していたと思うか、喜兵衛」
主の問いかけに喜兵衛は首を傾げた。
幕府方の布陣は見事としか言いようがなく、隙はまったく見受けられない。これ程までの手際のよさを見せられては、計算高い喜兵衛は予め敗戦を想定してのことであると疑わなかった。
「あれは信長の仕業よ。あの強情な将軍が、負けたことなど考えておくものか」
義輝と対面したことのある信玄は、そう確信している。
武人でもある義輝は、謂わば自信家である。将軍である故に自分が上だという認識を常に持ち、相手を量るところがある。今回の謀叛劇ですら、義輝の慢心に衝け込まなければなければ成功しなかっただろう。
それはいい。問題はこれからだ。
「されど、これでは前に進めぬな」
「はっ。敵陣は思いの外に堅固でございます。あの柵、決して越えられぬとは思えませぬが、相当な犠牲を覚悟せねばなりますまい」
幕府方の陣地の構築は今も進んでいる。攻めるならば守りを固めきれていない今しかないが、それには大きな問題があった。
「我が甲州兵ならばいざ知らず、ここにいる者たちが儂の為に命を張るとは思えぬ」
「はっ。所詮、我らは利害が一致でまとまった烏合の衆に過ぎませぬ。勝利に酔いしれている今、犠牲を払うことをよしとはしないでありましょう」
的確な喜兵衛の指摘に信玄が深い溜息を吐く。
喜兵衛が言うように、畠山も朝倉も松永も全て利害関係で集まった者たちだ。信玄が率いる兵も本願寺からの借りものであり、信頼すべき甲州兵は未だ本国に残したままだ。これは今の信玄の弱みだろう。
「仕方あるまい。一応、形ばかり軍評定を開くことになるが…、当初の予定通りに動くぞ」
「では、とうとう……」
「うむ。いよいよ武田が天下を握る時が訪れたということじゃ」
信玄の双眸が、強い決意が垣間見られた。
その後、信玄の呼びかけによって軍評定が開かれた。
集まった者は武田信玄、畠山高政、松永久秀、京極高吉とその家臣団、雑賀に根来の者たちと追撃に参加した面々である。
案の定、大半は決戦に消極的であった。本音は勝ち戦の後に大きな犠牲を払いたくないということだったが、表向きは兵の多寡が理由だった。
現在、朝倉義景と無人斎道有、武田信景に一色義道は伊丹城に戻っており、こちらへは来ていないので謀叛方の人数は四万ほどしかいなかった。
「幕府方の兵は如何ほどまで減っておるのだ」
総大将格の高政が喜兵衛へ訊ねた。
「六万ほどと思われまする。されど負傷兵もかなりおる様子にございますので、実質で五万ほどと見るのが妥当かと存じます」
「ならば、やはり左衛門督の兵が必要というわけか」
高政は義景に頼るのは癪だという表情である。だが現実問題として朝倉勢は謀叛方の主力であり、誰よりも多く兵を動員している。
それに待ったをかけたのが松永久秀であった。
「確かに幕府方の兵は未だ多いかと存じますが、多いならば減らせば宜しかろう」
「ほう…。松永殿、それは如何なることにござるか」
これに食いついてきたのは、信玄である。
「近いうち、確実に宇喜多が挙兵いたす。単独で勝てるとは思っておりませぬでしょうから、我らへ助力を求めるのは必然かと」
「なぜ言い切れる」
信玄の問いに、久秀は合戦中に宇喜多へ仕掛けた謀略の全容を語った。
久秀は宇喜多直家と共謀して浦上宗景を暗殺した。久秀から直家を誘った形となったが、直家が乗ってきた以上はこちらの陣営に鞍替えしたと見ていい。備前で挙兵させれば、幕府方は鎮圧のために兵を割けざるを得なくなる。
(松永久秀か…。想像以上の食わせ者だな)
これに信玄は感心したように見せて、強い警戒心を抱いた。
信玄は謀叛方を全て仕切ってきた。各々が勝手に動いたように見えるものでも、喜兵衛を通じて巧みに誘導した結果である。久秀の策は、その信玄の範疇の外にあるものだった。つまりは独断だ。今のところ味方に利がある行為であるので問題はないが、久秀には味方へ対しても謀略を仕掛けるという前科がある。
(警戒を怠るべきではないな)
それが信玄の持った久秀の印象だった。
久秀の話は続く。
「宇喜多に加えて四国では河野が挙兵し、山陰には山名がおりまする」
「それで、幕府方の兵が減じたのを見計らって決戦を挑むのか?」
「いいえ」
久秀は首を左右に振って否定した。
「我らも足下が固まっているとは言い難く、不安定なまま決戦に及ぶのは下策にございます。まずは義秋様の将軍職就任が第一、大義を失えば幕府方は自然と瓦解いたしましょう」
「なるほど…、流石は松永久秀じゃ。一度は天下人の座に君臨しただけのことはある」
信玄は言葉にこそ皮肉が込められているが、心では素直に久秀を評価した。それは信玄が考えている策と寸分も狂いがなかったからである。信頼できる相手ではないが、その能力だけ見れば謀叛方の中で随一だろう。後は、信玄が使いこなせるかどうかの問題だ。
「義秋様の将軍職就任を急ぐとなりますと、尾張守様には京に戻って頂く必要がございますな」
「うむ。任せて貰おう」
喜兵衛の言葉に、高政が満足げに頷いた。
京に強い影響力を及ぼしていた畠山高政には、伝手のある公家がいる。義秋を将軍にするには公家たちを動かさなくては話は進まない。
その高政を補佐する形で久秀と高吉が京に向かうことになった。
「ならば、ここは儂が受け持とう」
「宜しいのか?」
信玄が残留を志願する。それを意外だと思った高政が聞き返した。
「此度の勝利は尾張守殿の役割が大きゅうござった。凱旋する名誉を授かるのは尾州殿を於いて他にはない。ならば、留守を預かれるのは儂しかおるまい」
殊勝な態度の信玄に、高政が疑念の目を向ける。
高政が謀叛に加担したのは、大望を抱いていたからだ。無論、他者も違いはあれど大小の望みを抱いているものと高政は考えている。信玄もわざわざ甲斐から供回りのみで上方までやって来るという危険を犯しているのだ。京に入らずにいる不利を理解していないとは思えない。
その疑念を晴らさせたのは次の言葉だった。
「尾州殿。喜兵衛を伴わせますので、何なりと御使いあれ。されど、左衛門佐殿にはお気をつけを…」
高政がニヤリと笑った。
(なるほど…そういうことか)
自分が大望を抱いているように、朝倉義景も大望を抱いている。それも分不相応な望みをだ。信玄の言葉に、高政は共闘を関係を続ける意思を確認した。
元々畠山と武田の間では、概ね利害関係の調整は終わっている。高政は管領となって幕政を仕切り、信玄は濃尾と東海を支配下に治めて一大勢力圏を築く。高政は上方さえ自分の支配下に置ければ、東国で信玄が何をやろうと構わないと思っていたからこそ成り立つ関係であった。
故に、高政の下で武田の家臣であるはずの武藤喜兵衛が動いていたのだ。
「あれにはいま少し夢を見させてやろうぞ。大膳大夫殿、雑賀と根来の者たちは京に連れて行っても意味がない故、置いていく。好きに使ってくれ」
「これは忝い」
信玄が大仰に礼をする。
己の野望が現実のものになると高政は信じて疑わなかった。失われた畠山家の誇りを取り戻し、自信に満ち溢れた表情で京へと凱旋する。
その背後で、信玄は怪しくほくそ笑んでいた。
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その頃、伊丹城では勝利に浮かれる者たちの中で、ひとり絶望の淵に立たされている男がいた。
「…勝ってしまった。あの兄上に…儂が勝ってしまった」
薄暗い室内で明かりも灯さずに足利義秋は鎮座し、ぶつぶつと呟いていた。目は虚ろで、焦点が定まっていない。
(どうして…斯様なことになってしまったのだ…)
初めは兄に自分の言葉を聞いて貰いたいだけだった。兄の手助けをしたいだけだった。兄弟で荒廃する足利幕府を栄えある尊氏公・義満公の御世へ戻したかっただけだった。それの何がいけない。何も間違ったことはしていないはずだ。
そう自問自答を繰り返すが、答えは出てこない。
「義秋様。御味方は敵勢を大いに蹴散らし、首級三千ほどを挙げられてございます」
「旧播磨守護代・赤松政秀殿を討ち取った由」
「別所安治、茨木重朝、入江春継も討ち取ったとのこと」
時間が経つにつれ、総大将である義秋の許へ次々と報知が届く。本来であれば味方の戦功に喜ぶべきところなのだろうが、義秋の気持ちは沈むばかりだった。
「…………あの?」
「…………」
余りの無反応に、伝令は揃って首を傾げた。義秋も聞いているのか聞いていないのか判らない状態だった。それが続くと、次第に義秋の許へ報せを届けることもなくなっていく。先ほどまで近くに侍っていた朝倉義景も何やら忙しいようで、義秋の前へ顔を出すことはなかった。
陽が完全に沈み、辺りが静寂に包まれても義秋がその場を動くことはなかった。
それから如何ほどか時が経った頃…
「ふ…ふふ……ふふふふふ…………」
怪しげな笑い声に、部屋の外で近侍をしていた者が恐る恐る部屋を覗き見る。中には先ほどと変わらずに義秋が一人いるだけである。
「は…ははっ……あーはっはっはっはっは!!!」
義秋が、天へ向かって雄叫びにも悲鳴にも似ているような不気味な笑い声を上げる。男はギョッとし、思わず物音を立ててしまったが、それに義秋が気付いた様子はなかった。
「もう…戻らぬ。戻らぬなら……進むまで…よ。儂は兄上の目指す世を否定した。ならば、儂の目指す世を実現し、どちらが正しいかを示すまでのこと」
義輝と義秋。二人の兄弟は足利幕府を再興するという点では共通していた。しかし、義輝は新たなる天下を、義秋は旧体制の復古を目指した故に道を分かつことになった。ここまで来た以上は、もはや引き返すことはできなくなっている。
「兄上……おさらばでござる」
義秋ははっきりと決別を宣言した。
そこに、紛れもない戦国武将の姿を見たのは名もない一人の近侍だけであった。
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十一月二十三日。
播磨国・波賀
播因の国境に位置する波賀に武士と思える一団の姿があった。とはいえ、人数はさほど多くはない。ただ山中を掻き分けてきたのか、ところどころ服に枯葉がまとわりついている。
その一団の長こそ、義輝の寵愛を受けた明智光秀であった。
「殿、ようやく播磨にございます」
敵地を無事に抜けられたことに、家臣の溝尾茂朝が安堵の溜息を漏らした。
「長かった…。あれからどのくらい経ったのだろうか」
「一月近くは経っておりましょう」
「もうそんなになるか…」
そうは言ったものの、光秀は未だあの悪夢から醒めてはいなかった。鳥取城での出来事は、昨日のことに様に鮮明に覚えている。
その後、山中に隠れて兵たちを逃がし、光秀は近臣と共に廃寺へ隠れ潜んでいた。暫く経った後に山名兵が慌ただしく動き始めた。そのことに光秀は、何処か釈然としないものを感じていた。
「どういうことでございましょう?まさか山名が上洛するのでは……」
茂朝の言葉を光秀はすぐに否定した。
「いや、山名勢が上洛するのであれば、これほど慌しくはならん。これは何処かが攻めて来たのだ」
急速に光秀の頭が回転する。腐っても鯛という言葉通り、義景の裏切りで全ての兵を失ったものの光秀は自暴自棄にならず、冷静に状況を推理していた。
(山名を攻めるとすれば、何処だ?考えられるとすれば毛利しかおらぬが、山陰を取り仕切る吉川元春は上様と対峙しておる。とすれば……)
光秀の脳内で全てが完結する。ところどころ理由が定かではないものもあるが、それは情報が足りないからであり、今は大した問題ではない。
導き出した答えを、光秀は家臣たちに告げる。
「恐らく上様は毛利と和睦なされたのだ。となれば、上様は上方に戻ろうとされるはず。我らも向かうぞ」
義輝は毛利を滅ぼすつもりがない。そのことに光秀は気付いており、即座に義輝と毛利が和睦したことに気付くことになった。ただ光秀も、義輝と毛利の間で一戦あったことまでは予想できなかった。
後で判る話だが、この時に山名領へ攻め込んできたのは因伯国境に待機していた南条元清の軍勢だった。山名領へ攻め入るよう命令された尼子義久は間に合っておらず、南条勢が単独での侵攻である。元清の狙いは戦功を挙げて伯耆の守護となることであり、故に尼子勢を待たずに動いた。
理由はどうあれ、周囲から山名の兵が消えたことで光秀たちの行動を束縛するものはなくなった。光秀は廃寺を出ることを決心し、まず播磨を目指して街道を南下していった。
それから幾日か経ち、ようやく播磨の地へ辿り着く。
「播磨へ入った以上は安心でございます。急ぎ、上様と合流せねばなりますまい」
「そうだな。ここからは少し急ぐとしよう」
「内蔵助が聞いたところによりますれば、街道を辿っていけば姫路に着くとか」
「姫路か…。上様が上方へ戻ったならば、そこまで行けばどちらに居られるか判るであろう」
大きな失態を犯した光秀は、何とか雪辱を果たそうと義輝の許へと急いだ。しかし、その義輝が謀叛方の前に敗れ去っていたことを光秀はまだ知らなかった。
【続く】
久しぶりの光秀登場となりました。名前こそ出ませんでしたが、一緒にいるのは溝尾庄兵衛と斎藤内蔵助以外では三宅弥平次と他数名(譜代衆)です。次回、義輝と合流する予定です。
また義秋が覚醒しました。私個人としては、義秋には幕府再興という信念があったと思っています。義輝がいた頃は兄の存在でそれが見えないこともありましたが、袂を分かって後は史実の“義昭”のように動き回ることになります。
次回は主に凱旋した京での謀叛方の話となる予定です。