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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
69/201

第十三幕 幕府軍壊走 -伊丹の退き陣-


十一月二十日。


挿絵(By みてみん)


「引き揚げる」


武田信玄の参陣を知った織田信長は、全軍に撤退を下知した。味方が有利な状況での突然の命令に、側近衆たちは揃って困惑した。


(撤退?このままでは勝てぬということか)


側近の湯浅甚介直宗ゆあさじんすけなおむねが主の判断を推測する。


主・信長は非常に合理的な人物だ。無駄を(いと)い、ここで撤退理由を訊こうものなら側近衆から外されることを覚悟しなければならない。だが主の言は、常に冷静で正確な判断を下すことを誰もが承知している。今の織田家の繁栄が、それを証明しているからだ。


その主が撤退を宣言したということは、勝利の目がなくなったのだと直宗は理解した。但し、素直に下知に従えばよいというものではなかった。


「公方様の御指示を仰がずとも宜しいのですか?」


直宗が主へ訊ねる。


直宗は撤退理由ではなく、筋目のことを訊ねた。いつもなら信長が総大将であるので唯々諾々(いいだくだく)と主の命に従っていればいいのだが、今回の合戦は信長ではなく将軍・足利義輝が総大将なのである。


「上様とて、引き際は弁えておろう」


信長が冷たく言い放つ。その言葉からは、側近たちが常に持つ忠義の心はまったく感じられなかった。


「されど、せめて使者は遣わすべきにございましょう。下手をすれば、公方様が討たれることもあるやもしれません」


直宗は驚きを覚えつつも、執拗に食い下がった。


織田軍の撤退は、即座に味方の敗北へと繋がる。二万五〇〇〇という数は総軍の三割に相当し、これが抜けて勝てるほど合戦は甘くない。確実に味方へ動揺が走り、敗走が始まる。


(それは拙い)


独断での撤退は何処の大名家でも重大な軍律違反であり、この合戦の重要性を考えれば信長と言えども咎めを受けざるを得ない。直宗は主の立場を慮って発言しているのだ。


その直宗を信長が睨み付ける。余計な口を叩いたからだ。


「甚介。ここで上様が命を落とされるなら、それまでの定めであっただけのこと。儂の助けで命を拾ったところで、この先の天下は重かろう」

「……!!」


直宗の忠義を買ったのか、珍しく信長が直宗にも判るように説明したのだが、天下を口にされてはそれ以上に異見を挟む余地がなくなってしまった。


“天下布武”


織田家の指針とも言える言葉だ。指針とはいえ、その理を真に理解している者は誰もいない。


林秀貞、佐久間信盛、柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益と織田家を代表する武将たちは数多おれど、信長の目指す“天下布武”が如何なるものであるか、明快に答えられはしないだろう。信長は余人に自らの大望を語ることはないし、恐らくは語ったところで理解できる者は少ないと思われる。


ただ主が“天下”を見据えていることだけは、はっきりと判る。


(御屋形様が望まれる天下には、必ずしも公方様が必要というわけではないのか?ならば、何故に御屋形様は公方様を支持なされるのか)


その様に直宗が思ってしまうのも無理なからぬことであった。将軍を天下様として戴いた武家政権が世の中を統治して三百八十年近く経ち、誰もがその在り様に疑問を抱かなくなっている。無論、直宗もその一人だ。


それが織田信長という武将は、違うというのだろうか。


「鉄砲隊を先に退かせる。権六には殿を務めさせよ」


とだけ告げて信長は馬上の人となり、僅かな供回りだけを連れて先に退いていった。ここから先は、側近衆の仕事である。二万五〇〇〇もの大軍を無事に退かせなくてはならない。


直宗が側近衆へ指図する。


最前線で戦っている柴田勝家の許へ伝令を走らせ、殿軍を命じると共に丹羽長秀のところへも人を遣わした。こちらへは撤退を援護させるため、少なからず本隊から軍勢を送る。


残った直宗は他の側近衆に本隊の撤退を任せると、自身は義輝の許へと向かった。主は使者を送ることに否定的であったが、明確に拒否されたわけではないので、後で責任を追及されることはないはずだ。


織田勢の撤退は、合戦の勝敗を決定づけることになった。


=======================================


織田勢撤退の報せに義輝は激怒した。


「勝手に持ち場を離れるとは如何なる事じゃ!即刻、弾正を呼び戻せ!」


義輝の怒号が雷鳴の如く轟く。顔は引きつり、額には血管が浮き出ている。さしもの直宗も怯みはしたが、そこは常に信長と接している側近衆の一人である。はっきりと伝えるべきことは伝えられた。


「申し訳ございません。既に主は戦列を離れており、呼び戻すことは不可能にございます」


直宗の答えに、義輝の表情は険しさを増していく。


「上様。織田様が退かれたとなると、もはや戦は……」

「そんなことは判っておる!」


堪らず発言した柳沢元政に、義輝はやり場のない怒りをぶちまける。


(弾正…何故に退いたのだ。ここが踏ん張りどころであることくらい、そなたなら判っていよう)


信長だけは、自分と同じ目線で物事を捉えていると思っていた。過度な期待があっただけあって、裏切られた時の反動は大きかった。


しかし、感傷に浸っている暇は義輝にはない。こうなった以上、後は如何に素早く判断を下すことが求められる。でなければ悪戯に犠牲を重ねてしまい、再戦すら不可能となってしまう。


「……退く…ぞ」


義輝は全身に悔しさを滲ませながら、全軍に撤退を指示した。


=======================================


織田信長の撤退は様々な影響を及ぼした。


いち早く反応を示したのは、後方で軍勢の再編を行っていた宇喜多直家だ。


「ほう…織田勢が撤退するか。ならば儂が兵を退いても罪には問われまい。これ以上、上方の揉め事に付き合わされるのは勘弁して貰いたいところだ」


直家が会心の笑みを浮かべる。


安全地帯より離脱の機会を窺っていた直家は、即座に兵を退いた。向かう先は、備前・沼城だ。ここからであれば、織田勢よりも先に離脱することが可能となる。それは全軍の安全が保証されるということだ。


(備前に戻ったら、やるべきことが山ほどあるのう)


敗軍の将であるにも関わらず、直家の表情からは“敗北”の二つはまったく感じられなかった。


そして織田信長の撤退を知った武田信玄は、俄に口元を歪ませていた。


(逃げられた!!)


最初に信玄の脳裏に浮かんだ言葉は、これだった。


(信長が斯くも早う兵を退くとは…)


この合戦で織田勢へ大打撃を与えるつもりだった信玄の計画は、大きく狂わせられた。幕府方の主力は義輝本隊ではなく、織田勢であると信玄は考えている。数からしてもそれははっきりしており、実のところ信玄は、この合戦で討てば汚名を着ることになる義輝よりも信長を討つことを重視していた。


(敵わぬと見て兵を退いたか。やはり奴は侮れぬ男よ)


自分が信長の立場でも、確実に兵を退く。領地から切り離された状況で総力戦に臨むなど愚の骨頂としか言いようがない。一旦、兵を退いて体勢を立て直し、再戦を挑んだ方がよほど勝機があるというものだ。要は最後に勝てばいいわけであり、過程の敗戦などに拘るのは面子の問題でしかない。


しかし、それを決断することは並大抵のことではない。実際に幕府方にも勝機は残されていたわけであり、大抵の者は勝機が尽きるまで戦い抜くものである。そして武士は、面子に拘る生き物なのだ。


「喜兵衛。今から織田勢に追いつけると思うか?」


主の問いに武藤喜兵衛が即答する。


「無理にございましょう。恐らく西国街道は幕府方の兵で埋め尽くされましょうから、先に引き揚げた織田勢に我らが追い着くことは不可能かと存じます。それよりは目下の幕府勢を掃討された方が賢明かと存じます」

「残っておるのは三好に別所、足利公方の兵もおったな」

「…それと、どうやら北条氏規殿がおられるようです」

「ちっ…、厄介な」


北条という単語に、流石の信玄も舌打ちした。


「氏規は放っておけ。儂が氏規を討ったとなれば、相模守が何をしでかすか判らぬ。京極や松永にも、氏規への攻撃は控えさせよ」

「ははっ」


武田と北条は一度関係が崩れはしたが、今も縁戚関係は続いている。信玄としては、領地の接している北条を敵に回したくはない。特に隠居している氏康が本気になれば、国に残している者たちでは相手にならないだろう。領地を守るために信玄の帰国が必要となってくるが、いま信玄が上方を離れるわけにはいかなかった。


信玄には、天下を握るという大望があるのだから。それは、いま始まったばかりなのだ。


=======================================


熾烈な撤退戦が始まった。


伊丹城から敵全軍が出撃し、義輝の本陣を目指して突撃してくる。これを最前線で押し止めるのは、吉川元資と毛利元清の部隊であった。


真柄兄弟と入れ替わるように前波景当の部隊が迫ってくる。優勢な立場にあった味方は一転して劣勢を強いられた。


「ええい!しつこいわ!!」


元資が雑兵を斬り捨てる。これでもう九人目である。


伊丹城周辺に展開している敵味方の軍勢はほぼ互角であるが、織田勢が抜けたことで南から一揆勢が攻め寄せてくるのは時間の問題だった。幕府方としては、それまでに何とか武庫川を越えたいところであるが、敵の勢いが凄まじく、なかなか下がることが出来ない。


「元清ッ!そなたが先に落ちよ」


元資は二人同時にではなく、自らが一手を引き受けることで先に元清を逃がすことを決断した。


これに当然の様に元清が反発する。


「何を申される。元資殿こそ先に落ちられよ。ここで元資殿を死なせれば、元春兄者へ申し訳が立たぬ」

「毛利と吉川を同列に捉えてはならぬ。吉川は潰えても構わぬが、毛利が潰えることは絶対にあってはならぬのだ!」


毛利の家督である輝元には子がいない。もちろん輝元は若いので嫡子が生まれる可能性は充分に残されているが、同時に生まれない可能性もある。そうなった場合、毛利の家を継ぐのは順番から言えば元清となる。元清には二人の兄がいるが、吉川元春と小早川隆景は他家に養子に出た身であり、幕府から独立した守護として認められていることを考えれば、本家に復帰して家督を継ぐことは難しいだろう。


だからこそ元資は、その命を懸けて元清を落ち延びさせる義務があった。ここで自分が死んでも、吉川家は才寿丸(後の吉川広家)が継げばいい。


(俺は吉川だ。吉川は、毛利ではない)


それが元資が父より受け継いだ最初の教えであった。


毛利家中には“三子教訓状”という教えがある。これは弘治三年(1557)に元就が発布したもので、毛利の家を廃れさせないよう吉川と小早川は本家を支えるべし、というものである。


「何をしておるか、広繁!さっさと元清を連れて行かぬか!!」

「は…ははっ!!」


元清の補佐役である桂広繁が、元資の怒声に突き動かされるようにして、尚も留まろうとする元清を引きずるようにして下がっていく。兵たちも同様に撤退を始め、それに伴って残った吉川勢へ対して前波兵が群がってくる。


「さて…、ここからぞ」


元資は元清を無事に落ち延びさせるため、もう一度だけ前に出る覚悟でいた。部隊に号令を出し、突撃の準備をさせる。


「行くぞ!」


陣形を魚鱗に整え、吉川勢は鯨波の雄叫びを上げながら迫り来る前波勢に突進していった。後詰が期待できない中での突撃で、予想外の反攻に前波勢はたじろいだ。


吉川兵が一塊となって、毛利の楯となるべく前波勢へ斬り込んで行く。その強さは圧倒的だった。吉川勢は着実に前波勢を押し込んでいった。


「敵の侍大将を討つ。さすれば敵の勢いは弱まるはずじゃ」


元資が兵たちに目的を伝える。


吉川は毛利の楯となるが、元資はここで死ぬつもりはない。精強なる吉川兵ならば、必ずやこの苦境を脱することが出来ると信じている。


そもそも吉川は毛利最強の部隊である。毛利で最強であるということは、中国地方で吉川の右に出る者はいないということだ。朝倉の中で筆頭奉行人を務める前波景当であっても、朝倉は越前一国を治める大名に過ぎない。毛利とは格が違うのだ。


前波勢は吉川により二つに引き裂かれ、景当は敵陣に孤立してしまった。


「ちっ…援軍はまだか!真柄は何をやっておる!」


一転して窮地に陥った景当は必死になって味方の姿を探した。そもそも真柄勢の支援で出てきたわけである。ここで死ぬことなど考えていないし、勝利を前にした討ち死にほど馬鹿らしいものはない。


だが、運命は残酷なものである。真柄勢は救援に間に合わず、景当は吉川勢によって首を討たれてしまった。


「よし!ここで退くぞ!」


敵の進撃が弱まったことを敏感に感じた元資は、自隊に撤退を下知する。既に元清が無事に撤退したことは確認済みであり、後は自分が退くだけだ。


そんな元資の思惑をひっくり返したのが、真柄兄弟であった。


「ふん、逃がしてなるものか。先ほどの借りはきっちりと返してくれる」

「裏切った毛利には、その代償を払って貰わねば割に合わぬわ!」


前波救援に間に合わなかったことなど(おくび)にも出さない真柄兄弟は、真っ直ぐに元資を狙ってきた。


「くっ…拙いな……」


元清と連携して退けた真柄兄弟を、今度は元資一人で相手にしなくてはならなくなった。それがどんなに難しいことか、一度戦っている元資には嫌と言うほど判っている。


吉川の前衛は崩され、真柄兄弟が元資の前に再び姿を現した。


「今度は負けぬ。覚悟せい」


真柄直澄の大太刀が、元資を襲う。


「ちっ…」


直澄の攻撃を太刀で受け止めるが、得物の強度の違いで元資の太刀は真ん中から折れてしまう。次の直隆の攻撃を、元資は咄嗟に後方へ身を転がせることで、何とか回避した。


「ちょろちょろと逃げ回るな、この鼠め」


主を助けようと吉川兵が真柄兄弟に挑んでいくが、二人の強さは圧倒的であり、足軽程度では太刀打ちできなかった。すぐに蹴散らされ、元資の死が近づいていく。


「死ね…」


直澄の大太刀が、元資の頭上に振り下ろされる。為す術もない元資は、死を覚悟した。


その時である。一人の武者が割って入り、大太刀を横から弾き飛ばして元資の窮地を救った。


胸板に天照大神と八幡神を著し、袖に藤の花が威した具足を身に付けた武者は、一気に真柄直澄の懐に入ると柄頭で胸元を強打し、反転して短刀を具足の合間から左脇の下へと突き刺した。


「ぐえっ…」


呻き声を上げながら、直澄が絶命する。余りにも一瞬の出来事であったために、直澄には何が起こったのか理解できぬまま死を迎えた。兄である直隆もまったく反応できなかった。


「元資ッ!立てるか!」

「う…上様!?」


元資の窮地を救ったのは、何と義輝であったのだ。総大将たる義輝が、撤退を下知したにも関わらず最前線にまで出てきている。


「何故にこのようなところへ参られましたか!早う落ちなされ!」


助けて貰ったのは有り難いが、元資は当然なように義輝の行動に怒りを覚えた。自分がこのようなところで戦っているのは誰のためなのか。義輝が逃げずに留まれば、誰も退くことなど出来はしない。それだけ味方の死が増えていくのだ。


そんな元資を無視して、義輝は立ち回る。弟を殺されて逆上した直隆が、義輝に襲いかかっていた。


「おのれ!おのれ!おのれー!!」


血走った眼が義輝を捉えている。しかし、直隆の攻撃が義輝に当たる気配はまったくなかった。


直隆の振るう大太刀は、その重量故に斬撃が必然的に大振りとなる。新当流を極めている義輝に、そのような単純な攻撃が通じるわけもない。全ての攻撃を完全に見切っており、それどころか元資と会話する余裕すらあった。


「そなたを陸奥守から預かったのは、余の身代わりにするためではない!」

「その様なことは聞いておりませぬ!」

「いいから退くぞ!来いッ!」


義輝は直隆に一撃を食らわせて怯ませると、無理矢理にでも元資を立たせて下がっていく。


「に…逃がすわけがなかろう!」


直隆も弟の仇を逃がすまいと義輝を追う。それを遮ったのは、柳生宗厳率いる馬廻衆だった。


「かかれい!」


宗厳の合図で柳生の門弟たちが一斉に駆けだして行く。真柄は朝倉で最強を誇る部隊ではあるが、相手が悪すぎた。如何に真柄が強かろうとも普段は農作業に従事する者たちで構成されているのに比べ、馬廻衆は日頃より武芸を磨いてきた者たちで占められている。


柳生新陰流の門弟たちを代表に、かつて足利将軍家の兵法指南を務めた吉岡直光もいるし、日置流の吉田重勝も自慢の弓術で味方を支援している。これに対抗できるのは直隆一人といっても過言ではない。退けるには数の暴力に頼るしか術はなく、それに気付いてる者が既に側面より迫っていた。


「殺せッ!殺し尽くすのじゃ!」


背後から攻め寄せる敵は馬廻衆の圧倒的な武力によって完全に抑え込まれているが、北側より迫ってくる無人斎道有の軍勢は、前線へ出る義輝を支援するべく進んでいた和田惟政の部隊に挑みかかっていた。惟政が抜かれれば、道有は義輝の側面へと出ることになる。


「血じゃ…。血の臭いが塗れておる。これこそ儂の求めておった戦場よ」


道有のいる戦場だけが、異様な空気に包まれていた。


老齢なため道有は自ら刀を取って戦うことはできないが、不思議と道有の刀は既に血で染められていた。


「戦場で戦う勇者には潔い死が似合いよ。どれ、儂が与えてやろう」


といって、兵たちを片手間で指揮しながら、自らは瀕死の敵兵に対して止めを刺していったからだ。


狂気に取り憑かれたとしか思えない道有の行動は、敵のみならず味方をも怯えさせた。何せ道有の矛先は、味方の兵にまで向けられていたからだ。


「もはやその傷では助かるまい。いま楽にしてやろうぞ」

「ひっ…!や…やめ……!!」


敵味方を構わずに殺めていく道有に兵たちは恐怖した。傷の具合によっては助かる可能性がある者まで、手にかけているのだから無理もない。兵たちはなるべく道有から離れようとして、和田勢へと雪崩れ込んでいる。惟政は異様な敵の動きに惑わされ、思うように軍勢が動かせない。そして、一部が崩れて突破を許してしまう。


恐怖で縛り、味方を突き動かすことこそ、かつて武田信虎と呼ばれた無人斎道有の本領であった。


「いかん!これでは上様が……」


惟政が悲鳴に近い叫び声を上げるが、惟政の率いる摂津勢は半壊に近い状態であり、惟政が一人だけ気を張っていたところでどうにかなるものではなかった。


和田勢を突破した道有の兵たちは、義輝の首を求めて突き進んで行く。道有の恐怖から逃れるために、義輝の首を獲って合戦を終わらせようとしたのだ。


「上様!ここは私に任せて御退き下さりませ」


元資が叫ぶが、義輝はまったく聞く耳を持たず、ひたすらに目の前の敵を斬り倒していく。


どう見ても自分の方が足を引っ張っているようにしか見えなかった。疲労が溜まっているとはいえ、元資が敵兵を一人倒す毎に、義輝は三人を倒していた。二人ならば、六人である。


(これが義輝公か…)


義輝の腕前が噂だけのものではないことを、元資は知ることになった。


だが、それでも追撃の手は一向に止まない。足軽兵の中には将軍殺しの汚名を着ることよりも、大将首を獲って莫大な恩賞を得ようとする野心の方が強く、次々と敵兵が義輝のところへ殺到していく。それら全てが義輝の前で屍と化しているのだから、また驚きである。このまま西へ向かえば元政が退路を確保しているはずなので逃げ切ることが出来るが、実際はそう簡単な話ではない。


圧倒しているのは義輝の周りだけであり、その義輝にも確実に疲れが見え始めている。


「踏ん張れッ!ここで上様を討たせるわけにはいかん!」


元資が檄を飛ばして兵たちを叱咤する。個人の武では義輝に敵わないが、兵を指揮することで役に立ちたいと思った。


そこへ頼もしい援軍が現れる。


追いすがる敵兵を後ろから蹴散らしながら、自らの手勢を楯とするように入ってきた一団があった。蒲生賦秀の軍勢だ。


「上様!御無事で!」


馬上から賦秀が叫ぶ。普段なら非礼に値するところだが、今は戦場であるが故にそのようなことは言ってられない。


「まったく無茶をなさる。いい加減に御立場を弁えなさいませ」

「すまぬな。されど、ここで余の武威を示しておかねばならなかったのだ。…許せ」


己の不明を理解しているのか、義輝が素直に詫びた。


何も義輝は考えもなしに前線へ出たわけではない。謀叛方との初戦で元資を死なせれば、元就の落胆を招き、下手をすれば毛利の離反に繋がりかねない。そうなれば義輝が再戦を挑むことが難しくなる。とはいえ、それだけのために義輝自ら救いに行く必要はない。家来の誰かに任せれば済む話である。


それでも義輝が前線へ出たのには訳がある。それは戦後のことを考えてのことだ。


ここでの敗戦は、軍事的な敗北というだけではない。勝利を手にした謀叛方が、義秋を征夷大将軍とするのは自明の理である。将軍職を失えば、政治的な敗北へと繋がる。義栄の時は三好勢が三万ほどに過ぎなかったから何ということはなかったが、今回は武田信玄が七万という大軍を率いている。合戦での勝利を手にすれば、敵は十万を超えるかもしれない。


その状況で将軍職を失うことだけは、避けなくてはならなかった。


義輝は永禄の変で、個人としての武威を天下に示した。この合戦で真柄直澄を義輝が自ら討ち取ったとこにより、その武威が些かも衰えていないことを示すことが出来る。


これで義秋が将軍職へ就任できなくなったとは思わないが、武家の棟梁に相応しき義輝を罷免してまで義秋に将軍職を与えることを朝廷が渋る可能性はある。一日でも二日でも時間を稼げれば義輝はよかった。その間に反撃の体勢を整え、再び都を目指して進撃する。


そのために義輝は前線に出た。幸いにも伊丹城周辺は幕府方が優勢であり、少なからず余裕があった。


「忠三郎。現状はどうなっておる」


義輝が各隊の撤退状況について訊ねた。


「織田と宇喜多は撤退、浅井勢も無事に退いてございます…が、右翼は壊滅的にござる」

「…やはりか」

「播州勢は壊滅。一向一揆勢は早々に織田勢の追撃を諦め、三好勢へ攻めかかっております。左京大夫様は式部少輔様へ義助様を託し、敵を食い止めておられます」

「左京大夫がか…。生きて戻ったら、あれにも報いてやらねばなるまいな」

「はい。そのためには、まず上様が生き延びられることが肝要にございます」

「判っておるわ。余は、ここで死ぬつもりはないぞ」

「ならば、ここは私が引き受けます。上様は吉川殿と共に御退き下さりませ」

「うむ。されど死ぬことは許さぬ。生きて余の許へ戻って参れ」


これに対し、賦秀は明快な返答をしなかった。生きて帰れる保証がないからである。


その後、義輝は蒲生勢と馬廻衆の活躍により何とか戦線を離脱することが出来た。武庫川を越えたところで晴藤が手勢を率いて義輝を出迎えた。


「兄上…、御無事でありましたか」

「ああ、無様な合戦だった」

「何を仰せです。私こそ、情けないことに此度の合戦では何もしてはおりませぬ。せめて兄上の身を守らせて下さりませ」

「そうだな。共に参ろうぞ」


弟の顔を見た義輝の心に安心感が湧いた。やはり身内の存在はどんな時にでも大きいものである。


義輝は晴藤と合流すると、そのまま西国街道をひたすらに西へと進んで播磨を目指した。摂津には大軍を押し止められる城郭がないことから、完全に放棄するせざるを得なかったのだ。


その義輝が生田川へ差し掛かった時である。


「上様!生田川に織田勢が布陣しております」

「織田勢だと?」


先頭からの報せに、義輝は思わず首を傾げた。織田勢といえば、先に逃げた信長の軍勢でしかない。それがこんなところで何をやっているのか。


「どうやら陣地を築いているようにございます」

「どういうことだ?まさかこの地で敵を防ぐつもりなのか」


義輝は思わず疑問を口にしたが、それに伝令が答えられるはずもない。


周辺には城郭も砦もないただの平地だ。但し、川を越えれば非常に狭隘(きょうあい)な土地になっている。北に山があり、南は海である。広いところでも南北に半里(約2㎞)ほどしかない。よくよく考えれば小勢でも大軍を防ぐことのできる格好の場所である。


義輝の脳裏に、この場所が何処であったかが蘇ってくる。


「弾正め…。余に平家の真似事をせよと申すか…」


信長の狙いに気付いた義輝が、当然の様に顔をしかめた。


この地がどういう場所なのか、源氏の棟梁が知らないわけがないのだ。かの源平合戦の折り、源九郎義経が都を窺う平家の大軍を逆落としにて討ち破った伝説の地。


その地を“一ノ谷”といった。




【続く】

今回も登場人物が多く、あまり個々を描写することができませんでした。申し訳ない。また初の一万字越え(通常は五千字ほど)となってしまいましたが、分割する区切りが難しくそのままの投稿となっています。


さて幕府勢が敗れてしまいました。少し信長の撤退理由が本文にて説明不足な感が否めませんが、簡単な話で“勝つ見込みが乏しいから退いた”ということです。史実でも信長は合戦の見切りが早いところがあり、三英傑の中で圧倒的に敗戦が多いのが信長です。確実に十敗以上はしているでしょう。(要は退いたから敗戦になっているだけで、軍勢がガチで戦って敗れている合戦は少ない)


但し、信長の凄いところは敗戦しても領地を失っていないことです。金ヶ崎の退き口がよい例のですが、信長は敵地での合戦を常としているので負けても領地を失わないのです。またサッサと引き揚げるので、兵たちも逃げはしますが死なないのですぐに再戦が可能というわけです。(逃げた兵たちは結局のところ信長の許へ戻ってくる)


信長にとって、合戦に勝てるかどうかは戦う前に決まっているのでしょうね。想定外のことが起こったのなら、一度退いて勝てる策戦を練り直す。そう考えているのだと私は思います。(異論は別に結構ですよ。人の捉え方はそれぞれですので)


また仮に義輝が死んだ場合はどうするつもりだったんだ?というのは拙作での信長の考えにも関わることなので詳しくは明かしません。ただ残された者たちは必然的に信長を頼るしかなくなるので、絶体絶命の状態までは陥りません。晴藤を奉じて戦うなどという方法もありますからね。


次回は合戦の総まとめといいますか、討ち死にした者が判明します。宇喜多、織田、浅井の将兵は無事に逃げ切っていますが、他の部隊にはかなり死者が出ています。軍勢の数もかなり減っており、厳しい状態となっています。ここから逆転の一手を義輝が打っていくことになります。

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