第十二幕 南無阿弥陀仏 -本願寺挙兵-
十一月二十日。
富松城の陥落に義輝は本隊を動かす決断をした。
「機は熟した!者ども、出陣ぞ!」
義輝の号令に武者どもが瓦林城を続々と出て行く。源氏の旗印である白地錦御旗が無数に林立し、風に靡いている。義輝本人も愛馬へ跨がり、その隊列に加わっていく。馬印である鋼色の丸扇が、天高く掲げられていた。
「あ…兄上!私も連れて行って下され!」
義輝を追うように実弟の晴藤が現れる。俄の出陣は、晴藤には伝えられていなかった。
「ならぬ。そなたはこの城を守っておれ」
「し…しかし……」
「覚悟のない者が戦場に出ることは罷り成らぬ。下がっておれ!」
義輝の大喝に、晴藤は身を縮こまらせた。晴藤は今まで義輝に叱られたことはなく、初めてのことだった。兄に突き放された形となった晴藤が、ガックリと肩を落とす。
ただ何も義輝は晴藤を情けなく思ったわけではない。晴藤が未熟なのは判っている。今のように精神が不安定な晴藤が出陣すれば、きっと命を落とす。そうさせないために城に残すのだ。
「中務少輔。晴藤を頼むぞ」
「はい。お任せ下さりませ」
上野清信が膝を折り、承服を示す。
かくして将軍・足利義輝は伊丹城を目指して出撃していった。随行するのは、柳沢元政と上野隆徳である。瓦林城には晴藤と清信の二〇〇〇ほどを残し、全軍の出陣となった。
これにより戦局は大きく幕府方へと傾いていく。
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義輝が出陣を決めた頃、池田勝正は奪われた居城・池田城へと猛攻を仕掛けていた。
「儂の留守に城を奪った卑怯者などにくれてやる慈悲はない。構わぬから討ち取れぃ!」
勝正が大音声を張り上げる。
池田勢は城の西側と南側へ兵を集中させる一方で、東側へも一手を差し向けた。少ない城兵を分散させることで城方の抵抗を弱め、攻略しようというのだ。
そうでもしなければ池田城は落とせない、と勝正は確信を持っていた。
そもそも池田城は己の城であるが故に弱点は承知している。しかし、永禄八年(1565)に勝正が幕府に降伏して以降、城の拡張を行っていた。それにより城の防御力は格段に向上しており、生半可な手では城を落とすことは不可能だった。こんな事になるのならば、城を改修しなければよかったとさえ勝正は思う。
とはいえ、勝機はある。それは守備兵の少なさだ。
「よいか。敵は荒木の郎党のみじゃ。上様が謀叛方と合戦に及んでいる以上、城方に援軍はない。余計なことは気にせず、安心して城を攻めよ」
勝正の言葉に兵たちが安心感を覚えた。城方の抵抗に怯える事なく毅然として楯を構え、隊列を崩さずに歩を進めていく。城方からは弓、鉄砲が放たれるが、池田勢は着実に城門へと近づいていった。
勝正が指摘した通り、城に籠もる兵は少なかったのだ。勝正の弟・池田知正に自前の兵はなく、あるのは与力である荒木村重の兵だけだった。池田城乗っ取りは、この村重が謀叛方と通じて知正を傀儡当主とし、奉り上げたのが真相である。勝正の留守を狙うことで最初こそ上手く行きはしたが、やはり池田兵の大半を勝正が率いて出陣していた所為で兵の確保が遅々として進まなかった。ようやく集めた兵も八〇〇と少なく、村重は畠山高政に援兵を要請したが、高政は伊丹・大物での決戦を重視して援兵を一切寄越さなかった。
この劣勢は、村重も予定外のことだった。
「ジリ貧か…。だが、この程度で儂は諦めぬぞ。この戦いに勝てば、摂津は儂のものなのだ」
城内で指揮を執る村重が、野心を露わにする。
敵方には摂津の主だった武将たちがいる。守護の和田惟政、旧主・池田勝正に伊丹親興だ。入江春継や茨木重朝も和田勢に組み込まれている。これらを討ち平らげてしまえば、摂津で残るのは池田知正のみ。その知正は御年十五と若く、操るのは容易い。
「いま少し時を稼がねばならぬ。儂が出る」
というと、村重は馬廻衆一〇〇騎を率いて出撃していった。
大手門の門扉を開け放つと、城門へ殺到しようとした池田兵へ一撃を加え、そのまま押し返しいく。村重も自ら槍を取り、雑兵を討ち取っていく。
「この裏切り者めが!儂が殿に代わり引導を渡してくれる」
そこへ池田家臣・下村勝重が躍り出た。
「ふん。勝重如きに儂の相手が務まると思っておるのか!」
「ほざくな!この謀反人めッ!」
勝重は村重の挑発に顔を赤く染め上げる。手槍を力任せに振り回した。
「ふん。その程度か!」
村重は勝重の攻撃を難なく受け止めると、素早い突きを繰り出した。これに勝重は反応するものの躱しきれず、左腕に傷を負ってしまう。
「ぐ…、おのれ……」
「終わりだ。勝重」
そのため、次の攻撃を勝重は受け止めきれなかった。鈍く突き刺さった槍を抱えたまま、勝重は絶命する。
「ふん、雑魚が…」
村重はまるで汚いものを見るかのように、愛槍を骸から引き抜いた。
「やるではないか、兄者」
「…瀬兵衛か」
その様子を眺めていたのは、池田勢一の猛将、闘将と名高い中川清秀だ。村重は清秀にとって従兄に当たり、村重の剛毅なところを清秀は慕っていた。それ程の仲であったが、瀬兵衛は西征軍へ組み込まれ、村重は摂津で謀叛を起こして敵同士となった。
「瀬兵衛。見ているだけで助けぬとは、余り褒められたことではないぞ。勝重は味方であろう?」
「武士の一騎討ちに、わいが割り込む理由はあらへん」
「流石よの」
「次はわいの相手をしてもらうで、兄者よ」
「瀬兵衛、今からでも遅くはない。儂の許へ来ぬか?」
「悪いな。わいはこっちの方が性に合うとるんや。力こそ正義、上様は判りやすうてよい」
「…そうか。ならば、遠慮はせぬ」
「こっちもや!兄ィ!!」
清秀が勇んで村重へ跳びかかる。流石は闘将と云われるだけあって、勝重とは比べものにならないくらい強いが、村重も負けていない。清秀の鋭い槍撃を器用に捌いていく。
膂力に於いては清秀が勝るが、技量は村重が勝る。両者はまったくの互角だった。
「瀬兵衛は何をやっておる。村重が出てきたのだ。早う討たぬか」
その頃、停滞する戦況に勝正は苛立ちを募らせていた。
先頃、村重が出てきたという報告があった時は勝正も勝利を確信したほどだ。池田軍最強の中川清秀を送り込んで一気に決着を図ったのだが、思う以上に村重が粘り、未だに城内へ侵入できずにいる。
「せいぜい足掻くがいい。どちらにしても儂の勝ちよ」
それでも勝正は自分の勝利を疑ってはいない。
村重を討ち取れずとも、清秀と戦っている内は指揮を執ることは出来ない。その間に勝正は更なる攻勢を仕掛ければ、城は必ず落とせる。
だが、勝正は背後に忍び寄る脅威に未だ気付いてはいなかった。黄泉の国からの使いが、すぐ間近まで迫っていることに…
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伊丹城周辺での攻防戦は、義輝の出陣によって流れは完全に幕府方のものとなっていた。謀叛方の戦果といえば、真柄兄弟が伊丹親興を激闘の末に討ち取ったくらいだ。
親興の代わりとなって戦線を維持したのは、吉川元資と毛利元清勢六〇〇〇である。謀叛方は毛利の敵対に戦意を喪失し、疲れ切った真柄勢も確実に勢いを落としていた。また浅井勢を防いでいた前波新八郎が磯野員昌によって討たれ、朝倉景健の部隊も壊滅寸前に陥っていた。さらに悪いことに富松城を抜いた織田勢が攻め寄せ、伊丹城周辺に於ける兵力差が逆転するに至った。
これに付け加え、将軍・義輝の出陣である。幕府方は勢いづき、大きな波となって押し寄せてきた。
慌てたのは伊丹城で指揮を執る朝倉義景だ。常に人任せにしてきた義景に合戦の機微が判るわけもなく、やれることとしたら筆頭家老の景鏡に委任することだけだった。
「何をやっておる。式部、そなたが行って敵を防いでこい」
「わ…私がですか?」
義景の一方的な命令に景鏡は戸惑いの声を上げる。こうも囲まれては、流石に景鏡にも打開策は浮かんでこない。あるとすれば朝倉軍の総大将である義景が陣頭に立って兵を指揮することだけなのだが、そのようなことを具申しても主が認めるはずはないことは判っている。
景鏡は義景と二人三脚で家中を切り盛りしてきただけあって、主の気性を誰よりも知っていた。まず間違いなく、危険なところに身を置こうとする人ではない。
「そなた以外に誰がおる。人数に不安があるのであれば、誰でもよいから連れて行け」
そのように主に命令されては、景鏡も出て行かないわけにはいかない。仕方なく景鏡は出撃を決める。自身は三〇〇〇を率いて織田勢迎撃に向かい、河合吉統と山崎吉家が各々二〇〇〇を率いて景鏡を援護した。さらに景鏡は前波景当に真柄支援を命じ、密かに客将としていた人物を召し出して兵を与え、景健援護へと向かわせた。
その人物こそ、元美濃国主・斎藤龍興であった。
「ようやく儂にも機会が訪れたか。相手が信長でないのは残念だが、役目を達した後でならば如何様に動いても文句は言えまい」
美濃を追われて四年余り、流人となり路頭を彷徨った龍興は雪辱を果たすことだけを考えて生きてきた。武将として一回り成長し、戦場へと帰ってきたのである。
「行くぞ!者ども!」
龍興が吼える。
兵二〇〇〇を伴い、景健の脇から怒濤の勢いで進んでいく。このまま進めば浅井勢の側面へ回り込むことが出来る。如何に強兵の浅井とはいえ、側面から襲われれば崩れるはずだ。それが龍興の狙いだった。
それを制したのは、遊軍として待機していた蒲生賦秀だった。
「…蒲生とな?しかも倅の方か。ふん、所詮は戦を知らぬ若造だ。何ということはあるまい」
出てきたのが蒲生賢秀の子と知って、龍興は余裕の笑みを浮かべた。
自身も若いが、己では経験してきた合戦の数が違うという自負がある。また元国主としての誇りも失っていない。龍興には“蒲生は六角の被官”という認識しかなかった。また蒲生勢の数は龍興が率いている人数よりも少なく、龍興は自身の勝利を疑わなかった。
斎藤勢が勢いよく蒲生勢へ目がけて突撃していく。
「進めー!蒲生など一気に叩き潰してしまえ!」
馬上から声を張り上げ、兵を叱咤する龍興。久しぶりの戦場に胸を躍らせていた。
「放てッ!」
その時である。蒲生勢より無数の銃弾が放たれた。堪らず怯む斎藤勢。賦秀は高梁川の合戦で義輝より預かった鉄砲衆をそのまま部隊に組み込んでいたのだ。もちろん義輝の許しがあってのことだ。
「よし。弓隊、前へ出ろ」
賦秀は斎藤勢の勢いが弱まったことを確認すると、次いで矢の雨を見舞った。飛来する凶器に、兵たちは身を屈めて危険が去るのを待った。そこへ長柄隊を突撃させ、敵の前衛が崩れたところへ騎馬隊を送り込む。
人馬によって蹂躙された斎藤勢は、もはや部隊として体を成していなかった。
「若殿、お見事でござる。もう一撃くわえれば、敵を討ち破れましょう」
側近の赤座隼人が出撃を求めてくる。常に前線へ立つことを望んで止まない賦秀は、当然の様にこれを了承する。
「うむ。儂も出る故、ついて参れ」
「ははっ!」
銀の鯰尾兜が太陽に照らされながら、光り輝く。その光りに追われるようにして、斎藤勢は来た道を引き返していったのである。圧勝であった。
斎藤勢の無残な敗北に危機感を募らせたのは、伊丹城内で戦況を窺う無人斎道有であった。
「脆い。何という脆さか。上方の武士とは斯様にも弱いものか」
道有が額に手を当てて嘆いた。
かつて自身が率いた兵は鬼のように強かった。僅か二〇〇〇で一万五〇〇〇を撃退したこともある。それから比べれば、道有には目の前で行われている合戦など童の石合戦にも等しく思えてならない。
「もはや任せてはおれぬ」
そう言って道有は立ち上がった。その道有へ対して義秋が質す。
「待て、道有。まさか出陣するつもりではあるまいな」
「いけませぬかな?」
道有は義秋が総大将であるにも関わらず、悪びれもなく答えた。命令に服そうとしない道有に、義秋が腹を立てる。
「そなたには儂の本隊を預けておるのだぞ。儂を守るのが役目ぞ」
「いま兵を遊ばせておく余裕がござらぬことくらい、御判りでありましょう」
「ならば右衛門佐(武田信景)に出撃を命じる。それでよかろう」
「無駄にござる。儂でなくては、戦線は維持できぬ」
「な…ならぬ!そなたはここにおるのじゃ。おい、道有!!」
義秋の言葉に道有は溜息を一つ吐くと、引き留める声を無視して立ち去ってしまった。
(城に籠もってなどはおれぬのだ。間もなく勝千代が参るのだからな)
道有には目算があった。
既に道有は味方の勝利を確信している。勝てば追撃となるのは確実であり、その際に城に籠もっていれば戦機を失うと考えていたのだ。どのような勝ち戦になろうとも、七万を越える大軍が瓦解することはあり得ない。必ずや何割かは残り、義輝は再戦を挑んでくるはずだ。であれば、追撃に於いて可能な限り損害を与えておく必要が謀叛方にはある。
(そのようなことも判らぬとはな)
道有は義秋のことを鼻で笑ったが、歴戦の道有の考えを源氏の御曹司である義秋が読めるはずもなかった。
そして道有が戦場にその身を現した時、南方より迫る一団の姿を現した。
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ついに甲斐の虎・武田信玄が戦場に姿を現した。
大物城の東側より怒濤の勢いで進軍している。信玄は一向一揆勢一万五〇〇〇を五つに分け、前衛三つを土屋右衛門尉昌続、|山県勘解由左衛門尉昌貞、曽根内匠助昌世の側近衆三人が率いている。四陣は下間頼廉が預かっており、本陣となる五陣には信玄と武藤喜兵衛が指揮を担当していた。
「まずはあれか…」
「蜷川親長の部隊でございますな。旧守護の赤松や小寺などの旗印も見受けられます」
信玄が正面の敵を見据えると、喜兵衛が解説した。
「数は五千ほどか。初戦には相応しい相手だな」
「では…」
「うむ。一気に叩き潰せ」
信玄が采配を振るうと、門徒兵が雄叫びを上げながら播州勢へと迫っていく。
「南無阿弥陀仏」
「進者往生極楽、退者無間地獄」
「厭離穢土、欣求浄土」
念仏を唱えながら前進する。それが極楽浄土への道であることに一片の疑いも持っていない。何かに取り憑かれたからのように、真っ直ぐと播州勢を目指している。
「新手だと?どこの部隊だ」
急報に接した親長は、唖然とした。
播州勢は遊佐信教と交戦中であり、優位に進めてもいるが、とても一万五〇〇〇の兵と戦える状態にない。ここで攻撃を受ければどうなるかなど答えるまでもなかった。
「あれは一向門徒です。進んできた方角からすれば、石山のものかと存じます」
「莫迦な…」
近習の報告に、親長は再び声を失った。
この辺りの一向宗といえば、近習の言うように間違いなく石山の本願寺だろう。一向宗の総本山である石山本願寺が敵に回ったということは、一向宗全てが敵になったに等しい。しかし、その理由を親長は掴みかねた。そもそも一向宗とは義輝の上洛以来、敵対関係に至っていないはずだ。
ただその理由を確かめている余裕は、今の親長にはない。
「右兵衛督様に伝令を走らせよ。可能な限り支援を求めるのじゃ」
「はっ!承知いたしました!」
親長の陣より急使が飛び出していく。また親長は義輝の本陣へも使いを走らせた。報せるべき内容であるからだ。また義輝ならば事の重大さに気づき、必ずや援軍を送ってくれるはずだ。
「問題はそれまで持ち堪えることが出来るかだが…」
額から汗がこぼれ落ちる。確かな焦りが、そこにはあった。
門徒兵の攻撃は疎らだった。手にしている武器が統一されていないことが原因だが、死を恐れず、信仰心を糧に突撃してくる様は死兵も同然だった。
武士同士の戦でも、死兵との衝突は避ける。途方もない犠牲が出るからだ。しかし、通常の死兵は多くても数百でしかなく、一万五〇〇〇もの数を相手にすることはない。何故ならば、本来“勝てない”と悟っている者たちが忠義などに殉じる際に死兵と化すからである。武士が一万五〇〇〇もの数を揃えていれば、如何なる状況でも僅かながらに望みを持っているものだ。望みのある者が、死兵となることはない。
「くそッ!こやつら化け物か…!!倒しても倒しても湧いて出てきおる」
初めに門徒兵の攻撃に晒された赤松政秀だった。
武士の中には“一揆勢如き”という侮りがある。百姓が武士に敵うわけがないという思い込みだ。しかし、門徒兵たちは播州勢の攻撃に一歩も退かなかった。銃弾を受けても顔色一つ変えず、槍を突いても止まらず、太刀で斬っても前進してくる。わらわらと播州勢に殺到する門徒兵と血みどろの白兵戦が開始された。
その門徒兵の中に風林火山の軍旗が翻っていることを最初に気付いたのは、小寺孝高だった。
(抜かった!!まさか一揆勢を信玄が率いていようとは…)
風林火山の軍旗といえば、孫子の一句“疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山”の一四文字を記された旗指物であり、それを用いる人物は日ノ本に於いて一人しかいない。もちろん孝高も知っている。
「殿!御退きあれ。このままでは壊滅いたします」
不測の事態に孝高が主・小寺政職へ撤退を進言する。
「儂に…、一揆勢如きに退けと申すか!」
「一揆勢を率いているのは武田信玄にございます。相手が悪すぎます」
「し…信玄じゃと!?何故に甲斐の武田信玄が摂津におるのだ」
「左様なことは知りませぬ。ですが、このまま踏み止まれば全滅は免れませぬ」
「うぬぬ……」
信玄が謀叛の黒幕であることを報されていない二人には、今の状況を正確に把握することは困難を極めた。その中で孝高が選択できる手立ては、撤退しかない。
「ええい!退けッ!退けー!」
孝高の声に押され、政職は撤退を下知した。これにより播州勢の崩壊は始まった。
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播州勢の敗走と、武田信玄の参陣はすぐさま義輝の許へと伝えられた。親長が期待した義輝の援軍も、肝心の播州勢が崩れてしまっては意味がない。
(信玄めが上方に来ておったというのか。いや、奴は相当な野心家だ。来ておっても何ら不思議はない)
これまでも信玄は策という策を弄して版図を拡大してきた。そこに義輝の求める信義はなく、目先の土地を奪うために不義を繰り返している。それが武田信玄という男なのだ。今回も勢力拡大の好機と考えてのことだろう。
「面白い。貴様が出てくるというのなら受けて立ってやろう。余に抗う者どもは全て成敗してくれる」
信玄の登場にも、義輝の気迫が衰えることはなかった。
「当然にござる。飛んで火に入る夏の虫とはまさにこの事、返り討ちにしてみせましょうぞ」
「そうじゃ!そうじゃ!信玄など恐れるに足らず!」
義輝の本陣、馬廻衆は武人の集まりである。武田信玄という強敵の出現に気を昂ぶらせることはあっても、気圧されることはあり得ない。ますます血気盛んとなり、義輝は彼らの活躍に期待した。
「義助には全軍を以て武田勢へ当たらせよ。式部少輔も向かわせる。弾正へも使いを送れ。一手を差し向けて義助を支援させるのじゃ」
義輝が次々と指示を出してゆくが、凶報は尚も続く。
「伊丹城から新手が出撃、家紋は四つ割菱にございます!」
「小浜御坊が挙兵。池田勝正様が背後を襲われ苦戦している模様!」
「七松砦より敵方が打って出て参りました!敵は鉄砲を激しく撃ち鳴らし、丹羽勢へ迫っております!」
「大物城から畠山高政が出撃!三好勢の側面へと回り込むつもりのようです」
続々と伝えられる報せに、流石の義輝も表情を曇らせる。
「諸将に伝えい!ここが耐え時じゃ。各々持ち場を離れず踏み止まり、目の前の敵を撃破せよ!さすれば我らの勝利は確実ぞ!!」
義輝が総力戦を覚悟する。相手も同様に総軍を繰り出している。ここで退くわけにはいかない。
一揆勢が参戦しようとも、兵の数に於いては未だ幕府方が上回っている。将の質もけして劣ってはいないし、敵が如何に反撃に転じようとも織田勢、浅井勢を中心に未だ優勢な部隊はある。謀叛方は信玄の参戦により、ようやく戦局を五分に戻したに過ぎないのだ。
しかし、義輝の覚悟が諸将に伝えられることはなかった。
「引き揚げる」
織田信長が撤退を開始したからである。
【続く】
ついに信玄の参戦です。
ちなみに連れて来た家臣は奥近習六人衆です。ちなみに甘利信忠は既に死亡、長坂昌国は義信付きに復帰していることになっています。なので、六人衆の内で四人が信玄の傍にいることになりますね。
さて本編では武将の数が多すぎて全てを描ききれませんでした。本当なら毛利の二人と真柄兄弟との戦闘も描きたかったのですが、無理でした。申し訳ない。次回で一応は活躍する予定です。
また前回の感想で役者が出揃いと返信で書いたのですが、誤りでした。あの斎藤龍興を忘れてしまうとは、無念です。一回り成長した龍興でしたが、元が元なので一回り成長しても賦秀にあっさりと敗れてしまってます。けしてお笑い担当じゃありませんよ。両者の力量を正確に分析しての上です(笑)
尚、中川瀬兵衛は二度目の登場ですが、私が関西人じゃないので関西弁が間違っているかもしれません。関西人の方には深くお詫びを申し上げたく存じます。ただ今後も登場する予定なので、平にご容赦下さいませ。
そして肝心の義輝の馬印が決定致しました。募集した結果、誰かを採用したわけではありませんが、ヒントは頂きました。
鋼色の丸扇
これが義輝の馬印です。まず読者様から提案があり、義輝のイメージに合致する刀を馬印としようと思ったのですが、刀を扱っている馬印は例がなく創作してもおかしな事になると考えて止めました。ただイメージは残したいと思い、鋼色として刀っぽくしてみました。丸扇は征夷大将軍となった徳川家康と義輝を慕う軍神・上杉謙信が馬印として用いているので、これを採用して鋼色の丸扇となったわけであります。
さて次回ですが、信長が撤退を決断したところから始まります。何故に信長が撤退をしたのかを描いていきますが“織田軍の撤退=幕府方の敗北”と捉えて貰って構いません。流石に二万五千もの兵が退き、播州勢壊滅に摂津勢は半壊、浦上宗景は死亡し、宇喜多は戦線を離れている状態で義輝に勝ちはありません。
壮絶な撤退戦が、次回のテーマです。