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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
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第十一幕 合戦激化 -策謀の戦場-


十一月二十日。


伊丹・大物の地で合戦が始まって凡そ一刻半余り(三時間)が経った。各地では一進一退の攻防が繰り返されてはいるものの、着実に幕府方は謀叛方を押していた。


挿絵(By みてみん)


その時、義輝の本陣に松永久秀が出撃したという報せが届く。


「ついに出てきたか」


宿敵の出陣に義輝は思わず立ち上がった。


何度も辛酸を舐めさせられてきた相手に、義輝は久秀へ対する苦手意識を持っていた。“奴には勝てないのではないか”、そういう思いがここまで将軍家の力を回復させた義輝の中に未だ僅かながらに残っている。


一方で、この状況で負けるはずがないという確信が義輝の中にはある。冷静にならねばならないと思い直し、床几に腰を下ろす。


「義助はしっかりやっているようだな」


宇喜多直家を繰り出して久秀を釣り出した義助を見て、義輝は上手くやっていると思った。しかし、これは正確ではなかった。実際は直家の使者が義助の陣を訪れ、出撃を求めたのを許可してのことだ。この際に直家は主と共に出撃することを希望しており、両者の関係を知る義輝が聞けば不審に思ったはずだ。


「伊丹はどうじゃ」

「吉川元資、毛利元清の両名の参戦により敵の戦意は低下しつつあるとのこと。数に勝る朝倉勢は、我が方を攻め倦ねております」

「狙い通りだな」

「されど上様。池田殿のことは宜しいのですか?」


清信が訊く。


勝正は開戦直後に戦線を離脱し、池田城へ向かっている。上役の惟政より池田隊の動きは勝正の独断であることは報されていたが、勝正も勝正で惟政の動きを予測してか自ら使者を義輝へ遣わしていた。義輝は勝正の心情に理解を示したが、本音は惟政と同様だった。しかし、動いてしまったものはどうしようもなく、敢えて許すことにした。


そういうのも、勝正の言う池田城を奪取する利点を義輝も考えないわけではなかったからだ。そうしなかったのは、あくまでも伊丹城を落とすことを優先させたからだ。


「構わぬ。それよりも弾正だ。まだ城を抜けぬのか」


義輝が苛立った声を出す。


これまで織田軍は常に義輝の期待に答えていた。今回も同じように富松、七松の二つの拠点をあっという間に抜いてくれると思っていたのだが、報告では未だ城門にすら手をかけられていないとあった。これは精強な織田軍らしからぬことだ。


その義輝と同様に信長も膠着する戦況に苛立ちを隠せずにいた。


「五郎左は何を手間取っておるか!」


信長の怒りの矛先は、七松砦を攻めている丹羽長秀へ向けられていた。


織田軍が攻めている富松城は城郭として整備されているが、七松砦は環濠集落(かんごうしゅうらく)を防衛拠点として利用しているに過ぎない。水堀があるが、虎口は北と東側にある程度だ。故に信長は攻める前、一刻もあれば充分に落とせると判断していた。


激怒した信長が長秀に状況を報せるよう命令すると、思わぬ答えが返ってきた。


「安見勢はこちらの想像以上に鉄砲を有している模様。あれほどの銃撃に晒されては、容易に近づくことが出来ませぬ」

「なにッ!?鉄砲だと!!」

「はっ。少なくとも一千挺以上はあるかと存じます」

「どけい!」


信長は立ち上がり、そのまま陣幕の外へと出て行った。


信長が耳を澄ませると確かに鉄砲の音が聞こえる。如何に鉄砲隊を退かせたとはいえ、織田軍はまったく鉄砲を使用していないわけではないし、畠山は畿内の大名であるので、それなりに鉄砲は有している。故に信長は今まで聞こえていた鉄砲の音を特に気にすることはなかった。


(信玄坊主が如何に鉄砲の力を見抜いたとはいえ、鉄砲は竹束と違って簡単に揃えられるようなものではない)


信長の頭が激しく回転する。


鉄砲を揃えるのが如何に難しいことであるか、それは信長が一番よく知っている。今ですら二千挺を越える鉄砲を有している織田軍であるが、これですら信長が欲している数には遠く及ばない。鉄砲は金がかかるし、生産地も限られ、しかも鉄砲鍛冶が少なく少数しか造れない。数を揃えるのにはどうしても時間がかかってしまう。


(弱小である畠山にそれ程の金があるとは思えぬ。武田は甲斐と遠国であるが故に大量に鉄砲を買うことは不可能だ)


そして、信長が答えを導き出す。相手は鉄砲を揃えたのではなく、初めから持っていたのだと。


「おのれ!雑賀や根来の者どもを味方につけおったな!」


途端、信長は苦虫を噛み潰したような顔つきとなった。


雑賀衆は紀伊に土着する国人で、雑賀荘、十ヶ郷、中郷、社家郷、三上郷の五つから成り立っている。また根来衆は根来寺を拠点とする僧兵たちの総称である。両者に共通していることは、鉄砲で武装していること、そして傭兵集団であること。特に鉄砲に於いては津田監物が種子島より鉄砲を持ち帰って以降、その生産地となったことから大量に保有していた。


その雑賀、根来の者たちは畠山氏と繋がりが深く、教興寺合戦に於いても高政の味方をして出陣している。今回も高政の要請に応えて出てきたものと思われた。


「…ちっ」


信長が思わず舌を打つ。


兵站の問題から、こちらは鉄砲を思うように使えない一方で、雑賀・根来衆を相手にしなくてはならない。鉄砲の力を知る信長だからこそ、それがどれだけ難しいかを判っている。織田軍は猛烈な銃撃を敵に浴びせることはあったが、自らが晒された経験は少ないのだ。鉄砲に有効な竹束も敵方ほど用意してはいない。


そこは切り替えの早い信長である。すぐに目標を富松城へと変えた。


「五郎左には敵の突出にだけ備えよと伝えい。七松は捨て置き、富松城を落とす」

「承知仕りました」


信長の命令を受けて伝令が去って行く。


「籐八、馬引け」

「はっ。ならば私は、先に柴田様のところへ参りましょう」


突然の命令であったが、赤母衣衆の佐脇籐八郎良之は機敏に動いた。


信長の下知はいつも突然である。そして、その言葉のまま従うだけでは役目は務まらない。小姓上がりの良之は、信長の意図を正確に掴んでいた。


「御屋形様が来るじゃと?」

「はい。間もなくこちらへ参られます」


主に先行して勝家の陣を訪れた良之が用件を伝える。それを聞いて、鬼と異名を持つ柴田勝家の顔面は蒼白となった。それだけに織田家では、信長は畏怖の対象だったのだ。


「良之。儂は前線へ赴いており、いなかったことにせよ。よいな」


怠慢を咎められると思い、勝家はまるで逃げ出すように前線へ向かっていった。しかし、戦意を失ったわけではない。勝家は前線へ到着すると自ら陣頭指揮を執り、麾下の蜂屋頼隆、西美濃三人衆へもっと前に出るように指示を出した。


「退くことは許されぬ。儂よりも後ろにおる奴は切り捨てられても文句は言えぬものと思え!」


そう言われて鬼のような形相で迫られれば、兵たちも進まないわけにはいかない。柴田勢は土塁を乗り越えて逆茂木を廃し、ついには城門へと手をかけたのである。弓矢による応酬があるが、柴田勢の一人として怯む者はいなかった。


「権六め。ようやく本気になりおったか」


先ほどまで勝家がいた場所に信長は立っていた。これが信長特有の督戦法である。勝家の行動は、全て信長の計算通りだった。


「申し上げます。柴田様の軍勢が城門を突破した模様、一色勢は城を捨てて逃げ出しております」

「で、あるか」


勝家が遣わした伝令の言葉に、信長は眉一つ動かさなかった。当然である、といった表情だ。


叛軍の防衛拠点の一角が、織田軍によって陥落した。


=======================================


織田軍が富松城を落とし、勝敗が幕府方へ傾きつつある頃、その異変は起こった。


(まさか斯様に早く機会が訪れるとはな)


松永久秀より密書を受け取った宇喜多直家は、一人ほくそ笑んでいた。


(彼奴の狙いなど知ったことではないが、利用できるものは利用させて貰う)


直後、宇喜多勢は動いた。


直進してくる松永勢に一当てすると、乱戦になる前に撤退の指示を出したのである。


「退けッ!退けッー!宗景様の陣まで退くのじゃ!」


先ほど松永久秀の部隊と戦闘に入ったばかりの宇喜多勢が撤退を開始する。兵たちは一様に驚いたが、主の命に逆らうわけにはいかず、命令通りに宗景の陣へ向けて兵を退き始める。


「殿は如何なされたのじゃ?何か拙いことでも起こったか」


家臣たちは皆、首を傾げて主の行動を不思議に思った。


ただ家臣たちの心配とは裏腹に、直家の表情にはまったくと言っていいほど焦りの色はない。寧ろ笑みさえ浮かべているほどだ。


宇喜多勢は松永勢に追われるように散っていき、そのまま背後を行軍する浦上宗景の陣へ逃げ込んでいった。当然の様に宇喜多の敗走は、浦上勢の混乱を招いた。


「いったい何をしておるのじゃ!?早う立て直さぬか!」

「無理にございます。敵味方が入り交じり、思うように兵が動きませぬ」


近習の答えに、宗景は苛立ちを募らせる。


散り散りに逃げ込んでくる宇喜多兵を浦上兵は討つわけにはいかない。両者の関係は悪かろうが、味方であり主従なのだ。しかし、同時に宇喜多兵に混じって松永兵も侵入してくる。


「そこを何とかするのが、お前たちの役目であろう!」


宗景が声を荒げるが、陣中は混乱の極みにあり誰も取り合おうとしない。そこへ駆け付けた大田原長時が撤退を進言する。


「直家は撤退した様にございます。こうなっては我らも兵を退かねばなりませぬ」

「何じゃと!?あの阿呆が…、儂を置いて先に逃げたというのか。この痴れ者がッ!臆病者めがッ!!」


宗景は口汚く直家を罵倒するが、虚しく響くだけだった。そう言ったところで状況が変わるわけではない。


「殿。早う御退き下さりませ」

「莫迦を申すな!まだ我らは戦ってもいないのだぞ!」

「とは申しましても、このままでは戦になりませぬ。いったん退いて、体勢を立て直すべきにございます」

「う…ぬ……」


長時の進言に宗景は押し黙った。ここで退くということは、上方で無様な醜態を晒すということだ。誇り高い宗景には、それは許すことの出来ない事だった。


だが、状況は誇りでどうこうなるものではなかった。


「…くそっ!殿(しんがり)は任せるぞ」

「承知!」


宗景は吐き捨てるように命令を下すと、脱兎の如く逃げ出した。宗景の近習が主を守るように駆けだしていく。


それを見届けた長時が部隊に下知する。


「殿は御退きになられた。皆、儂の周りに集まるのじゃ!ここで松永勢を暫し食い止める!」


長時は愛刀を目立つように高々と掲げると、味方を自分の周りに集結させた。その数、凡そ三〇〇余りと少なくはあったが、戦っている内に散り散りになっていた味方が続々と集まり始めた。長時は多数の兵を失いながら後退を繰り返していく。


そこへ頼もしい味方が現れた。


「我は北条相模守が子・左馬助氏規である。大田原殿、御助勢仕る」

「おおっ!これは助かる」


氏規は義輝より預かった兵二〇〇〇を二手に分けると、一手で正面の敵を押さえ、もう一手を敵の側面へと向けた。通常、追撃を行っている部隊は正面に意識が集中しており、側面や背後の攻撃には弱いものである。松永勢も例外ではなく、氏規の部隊が側面へ回り込むと久秀は即座に兵を退かせた。


「北条殿。助太刀、感謝いたす」


窮地を脱した長時が安堵の溜息を漏らす。


「何の。我らは味方同士、助け合うのは当たり前にござる」

「して、殿は御無事であろうか」


氏規の救援で命を拾った長時は、先に撤退した主の安否が気になっていた。


「備前守殿にはお会いしてはおらぬが、先に退かれたのであろう?ならば無事であろうさ」


特に気にすることもなかった氏規であるが、この時、驚くべき報せが義輝の本陣へ届けられていた。


「なに!?備前守が討ち死にじゃと!?」

「はっ。松永勢との戦闘で乱戦となり、討たれたようにございます」

「直家は何をしておったのじゃ!」

「それが…撤退の最中での出来事で、救う手立てがなかったとのこと」


途端に義輝は怪訝な顔つきとなった。


宇喜多勢が余りにも早く崩れたことは、義輝の許にも報告が入っている。立て続けの合戦で宇喜多勢が損害を出していたのは承知しているが、それにしても早過ぎた。また討ったのが松永久秀と聞いて、義輝は何か策謀めいたものを感じた。


(されど…、確証があるわけではない)


証拠がなければ直家を咎めることは出来ないし、今は合戦中でそれが叶う状況でもなかった。


それにしても不思議なことだった。先に逃げた宗景が命を落とし、殿を務めた大田原長時が氏規の助勢があったとはいえ、無事に生還している。


浦上備前守宗景。備前守護となって九ヶ月余り、奇しくも大物崩れで命を散らした父・村宗と同じ地での死だった。


=======================================


同日。

摂津国・野田


伊丹・大物の地で激戦が繰り広げられている頃、一人の男が木津川を遡り、この地へと密かに上陸していた。


出迎えるのは武藤喜兵衛と一人の坊官だ。背後には、静かにそれを見守る群衆の姿がある。


「御待ちしておりました」

「おう、喜兵衛。息災のようじゃな」

「御屋形様こそ御無事の御到着、祝着に存じます」

「長い船旅であったがな。何ということはなかったわ」


野田へ上陸したのは、喜兵衛の主・武田大膳大夫信玄であった。


信玄は駿河より船で摂津までやってきたのである。途中、徳川領があるために遠回りした所為でかなりの日数がかかってしまったが、紀伊半島は雑賀水軍の護衛もあり比較的安全に航行することが出来た。


それでも危険な旅であったことは否めない。兵を連れていけるわけでもなく、供回りだけでの上洛となる。信玄の上洛には、家臣の誰もが反対を示した。それを押し切り、敢えて危険を犯したのには相応の理由があってのことだ。


(高政や義景では義輝公に打ち勝つことは不可能だ。それ以前に、戦後に儂が上方におらねば、武田が天下を握ることは叶わぬ。…天下は誰のものでもない。儂のものだ)


その断固たる決意が、この上洛へと繋がった。


「本願寺の下間頼廉(しもづまらいれん)にございます」


喜兵衛の隣りに控える坊官が名乗りを上げた。年は喜兵衛より上だが、まだ若い。義輝と同じくらいであろうか。才気に溢れた顔つきは、どうも坊主にしておくには勿体ない気がする。


「うむ。儂が信玄じゃ。出迎え、ご苦労に存ずる」

「いえ。武田様へ顕如上人よりの御言葉を御伝え致します。我が門徒一万五〇〇〇、悉く武田殿へ御預け致すとのことにございます」

「有り難い事じゃ。必ずや顕如上人の御期待に応えて見せますぞ」


そう言って信玄は合掌した。


「喜兵衛、合戦は終わっておらぬのだな」

「はい。伊丹城を中心に幕府軍が攻勢が強まっておりまする。幸い、こちらへは注意を向けておりませぬ」

「頃合い…ということじゃな」

「はい、頃合いにございます」


喜兵衛の言葉に、信玄は満足げに頷いた。やはり喜兵衛を遣わして間違いはなかったと確信したのである。


伊丹・大物合戦に、甲斐の虎が参戦する時が間近にまで迫っていた。




【続く】

合戦第二回です。


さてさて信玄が登場しましたが、紀伊半島周りので上洛です。この上洛方法には異論のある方もいるかもしれません。ただ私の認識では、戦国時代は対立している大名同士の中でも“余程のことがなければ”街道を封鎖するような真似はしておらず、ちゃんと警戒していれば少数での移動は可能と考えています。作中でも語っていますが、信玄が上洛したのは“戦後”を考えてのことです。戦後の立場は、自分がいるといないとでの差は大きいと考えています。


またあっさりと死んでしまった宗景ですが、何があったのでしょうか?彼を殺したのは一体…(バレバレですが)これで備前は荒れることになります。播磨勢も何やら一枚岩ではありませんし、山陽道が不安になってきました。


尚、雑賀・根来衆も登場です。戦力に乏しい高政が彼らを頼るのは必然と言えますし、喜兵衛が常にフォローしていたので畠山軍がかなり強化されています。(竹束を用意させたのも喜兵衛です)


一方で富松城を落とし、謀叛方の戦力も低下していますので、未だ優劣付け難しというところです。次回で信玄が参戦することになりますが、それで戦局がどう動くのか、ご期待下さい。


次回は明日…ではなく、投稿頻度は元に戻ります。

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