第七幕 永訣 -謀将の願い-
十一月九日。
備中国・安養寺
幕府と毛利の和睦が成った後も義輝と元就の会談は続いていた。義輝には元就に問わなくてはならないことがあった。
「陸奥守よ。そなたが義景らと通じておったことは、あらかた想像がついておる」
義輝が断言する。毛利の三原出陣は明らかに下策だ。その不自然な行動は、謀叛方と通じていなければ説明がつかない。
これを元就はあっさりと肯定した。
「これは…痛いところを衝かれますな。ま、否定はしませぬが、これも御家の安泰を想うが故のことにて、どうか御許し下さいませ」
元就は苦笑いを浮かべ、頭を垂れて謝罪した。とはいえ、元就を咎め立てするつもりで義輝も訊いたわけではない。そんなことは承知の上で和睦したわけであり、それには許すという意味も含まれている。
義輝に必要なのは、元就が知っている謀叛方の情報である。
「今さら何も申さぬ。されど隠し立てすれば承知せぬぞ。知り得る限りのことを全て話すのだ」
「はっ。畏まりました」
元就は頭を上げて姿勢を正すと、己の予見も含めて全て義輝へ伝えた。
まず初めに毛利へ接近してきたのが畠山高政であり、連絡は商人を通じて行っていたこと。また山名祐豊は直前になって取り込まれただろうこと、事が露見することを懸念して山陽勢には謀叛方から誘いの手は伸びていないこと。そして謀叛方へ奔ると思われる河野通宣、北畠具教などの名を挙げた。
それは義輝にとって衝撃だった。想像以上の規模だったからだ。
義輝は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべたが、どうも納得が行かなかった。率直に己の疑問を元就にぶつけた。
「それだけの大名を纏め上げたのは誰だ。高政や義景に出来る芸当とは思えぬ」
これに対し、元就は前もって自身の憶測であることを義輝に告げてから、その名を口にした。
「…甲斐の武田信玄かと」
「信玄じゃと!?あの大膳大夫が、謀叛を主導したと申すか!」
「まず間違いないかと。高政からの書状には、それらしい事が仄めかしてございました。また某の許を訪れた商人は、甲州金を多く所持しておりました。西国では取り引きに銀を用いることが多く、甲州金は珍しゅうございます」
予想だにしなかった名前に、義輝は思わず下唇を噛みしめた。
甲斐の虎とも称される武田大膳大夫信玄は、地方大名の中でもっとも義輝が手を焼いた男である。その男が幕府へ従った振りをして密かに牙を研いでいた。
(あの折りも信玄は余の命令に不思議なほど従順であった。奴は余の考えなど全て見通した上で、余を欺いておったのか)
義輝は京で初めて信玄と対面したときのことを思い出していた。
(ならば受けて立とうではないか。そもそも余は初めから貴様が味方とは思うておらぬし、忠義も求めてはおらぬ。貴様がそのようなものを欠片ほど持ち合わせておらぬことは、先刻承知済みじゃ。表立って余に刃向かうとあらば、滅ぼすまでよ)
義輝は密かに闘志を燃え上がらせた。
信玄は義輝と同じ清和源氏に連なる者だ。その家格はもちろんのこと、今川義元や北条氏康、上杉謙信に織田信長などとも渡り合ったことのある武将で、その能力は義輝も認めるほどであり、紛れもなく名将に値する。
その武田信玄が、自分に挑んできた。並の者なら震え上がるところだろうが、義輝は将軍、また個人に於いては戦国最強と言っても過言ではない武将、武人である。信玄の挑戦に堂々と応じる気概は持っている。
(されど此度は余の失態じゃ。つまり信玄は余の目の前で謀叛を企んでいたことになる。それに余が気付かぬとは…)
信玄は二度も上洛しており、その際に幾人もの家来を京に残しているだろうことは簡単に想像がつく。音に聞く武田の透波忍を使えば諸大名との繋ぎを取るのも容易であろうし、その京には幕府に従う諸大名が多く屋敷を構えているのだ。策謀を張り巡らせるには格好の場であった。
「上様。恐らく武田信玄は義秋様を奉じる魂胆かと。御覚悟を成された方がよいかと存じます」
元就が信玄の狙いを告げる。これは義輝も理解するところだ。
征夷大将軍である義輝に逆らう以上、謀叛方にも相応の大義名分が必要となる。それには足利公方を担ぎ出すのが一番手っ取り早い。京にいる足利氏は義秋と義氏であるが、義氏は古河公方の家系なので将軍とするには些か大儀に乏しい。一方で義秋であれば、先代将軍・義晴の実子なので血筋に問題はない。
「義秋が…敵か」
義輝が呟くように言った。
その事は義輝も予測していないわけではなかった。初めに謀叛の報せを聞いたとき、義秋のことを疑ったのはそういう理由からである。
それは足利幕府の時代では、頻繁に起こっていたことだったからだ。
初めは応仁の乱の時のことだ。八代将軍・足利義政が実弟・義視を次期将軍と定めたが、それに反対する勢力が義尚を擁立して対抗した。これは義尚が義政の実子であったからという正当性が本音ではなく、単に義視が将軍職に就いては困るという勢力の利害が一致しての行動だった。
その後、義尚の跡を継いだ義視の子・義稙と対立した管領・細川政元が堀越公方・足利政知の子である義澄を新将軍に擁立して義稙を追放した。その義稙が大内義興の後援を受けて将軍職に復帰すると、義興の帰国後に再び管領であった細川高国と対立し、高国は義輝の父である義晴を擁立して義稙を追いだしている。
先に起こった永禄の変もこの流れを汲むものであり、義稙の孫に当たる義栄が将軍に就任することになった。要は諸大名にとって足利将軍とは自分たちの権益を守るための存在に過ぎず、それを犯すようならば取り代えてしまえ、というのが彼らの本音だった。今回の件についても、恐らくは奉じられる義秋の意思は殆ど存在しないだろう。
だからこそ将軍家が力を持ち、強大な武力を以て諸大名を従えなければ乱世の終焉は永遠に訪れないだろうと義輝は考えている。
義輝が兄弟で争わなければならないという苦悩に表情を歪ませていると、元就が丁寧な口調で話しかけてきた。
「されど上様。こればかりは御聞き届け下さいませ」
「何じゃ。改まって」
「此度の謀叛は上様にも原因がございます。上様が悪戯に守護大名の所領を召し上げたりしなければ、謀叛に奔る者も現れなかったでありましょう」
元就の指摘に義輝は怪訝な表情を浮かべる。義輝は語気を荒げて問い返す。
「余に責任があると申すか」
「我が毛利とて同じにございます。上様が毛利の所領をそのまま認めて下さっておれば、某は即座に従うつもりでおりました」
「…………」
「上様、某は先ほども申しました。何故に諸大名に辛く当たられますのか…と。上様はかつて諸大名に寛大であられました。それが三好や細川に対抗するためであったことは判ります。されど理由はどうあれ、上様が一度みとめたことではありませぬか」
元就は義輝の矛盾を鋭く指摘した。
事情が変われば方針が変わるのは理解するところだが、いちど発した征夷大将軍の言葉とは、それほどまでに軽いものではあってはならないはずだ。
苦言を呈した元就が義輝の言葉を待つ。義輝は軽い溜息を吐くと、一言告げた。
「余の矛盾は、余も理解しておる」
そして義輝が語り出す。
「陸奥守よ。今のまま国が纏まったところで何になる。将軍家が力を持たねば、諸大名が好き勝手な振る舞いを致すのは必定。これまで歴史が、それを証明しておる。それで迷惑するのは民百姓ではないか?我が使命は日ノ本の民が安心して暮らせる世を創ること。国を富ませることじゃ。それには、まずこの国から戦をなくさねばならぬ。天下の一統はそのための術でしかなく、けして余の目的ではない。そこを履き違えてはならぬ」
そこまで語ると、義輝は“されど”と口にしてから自身の言葉を継いだ。
「如何に泰平の世を築こうとも、それを分かち合える者たちがおらねば意味があるまい。民百姓には戦のない世を与え、その上で武士には子々孫々に至るまで家名を残せるようにしてやらねばならぬ。故に余は、大名どもの均衡を図っておるのじゃ。余計な力を持ち過ぎれば、何れ必ずや邪な望みを抱く者が現れる。それで家名が潰えてしまうのは、本末転倒と申すもの。例えば先ほど名の挙がった河野だが、余は守護こそ解任したが所領を全て召し上げたわけではない。これは河野に限らず、余は重代の忠功を重んじて家を残してやるだけのことはするつもりであった故だ」
信頼する幕臣以外の前で、義輝がここまで語ったのは初めてのことだった。だがそれは、元就を信用してのことではなかった。
(陸奥守の命…、そう長くはあるまい。死に逝く者に偽りは申せぬ)
義輝は元就の死期が迫っていることに気付いていた。というより、度々体調を崩していた元就へ対して名医である曲直瀬道三を派遣し、治療に当たらせたのは他ならぬ義輝なのだ。その道三から元就の容態についても報告を受けている。
そしていま目の前に座す老将は驚くほど痩せこけており、いつ死んでもおかしくないように思える。
ただ元就の眼光は強く輝いていた。まるで蝋燭が燃え尽きる瞬間にもっとも輝きを増すかのように。
その元就は義輝の志に共感を覚えていた。偶然にも元就が残した遺言と通じるものがあったのだ。
(義興様や経久様は天下人たる器量を御持ちであった。されど志半ばで亡くなられたがため、次代を継いだ者たちは己を過信し、結果として家を滅ぼしてしまった)
大内義興と尼子経久。共に若き日の元就が仕えた武将である。義興は足利公方を擁立して天下人までなった人物であり、尼子経久はその天下人たる大内義興に拮抗する勢力を一代で築き上げた武将で、謀に於いては元就すら凌ぐ才覚を有していた。
その二人の跡を継いだ義隆と晴久は、器量で先代に及ばないものの暗愚ではなかった。しかし、領土の維持に徹すればよかったものの広大な版図を引き継いでしまったが故に、共に天下を目指した。そして家は滅びた。
だからこそ“力を持ち、天下を望めば何代か後には一門の枝は折れて家名は潰える。天下に旗を翻し、武名を一世に挙げるよりは、六十余州を五つに分けてその一つを保ち、栄華を子々孫々まで残せ”と元就は遺言を残したのだ。
その元就が、最期の問いを義輝へ投げかける。
「では仮に将軍家が争乱の元となった場合、上様は身を引く御覚悟はございますでしょうか」
乱世の一因は諸大名にも原因があるが、将軍家の後継者争いにも一因があった。元就の問いは、それを暗に示したものだった。
「永禄の変で余が死んでおれば、幕府の再興はなかったはずじゃ。義秋や晴藤が生き残っておったにしろ、あやつらでは家名を存続させるが限界であろう」
義輝はそうは口にするものの、正直に言えば家名の存続すら危ういと思っている。
足利氏は将軍家となってしまったが故に、その地位からの転落は滅亡を意味する。鎌倉幕府の終焉と同時に北条得宗家が滅びたように、足利氏は幕府の消滅と共に消え去る運命にあるだろう。それに歯止めをかけているのは、偏に義輝という存在があるからだ。
口には出さないが、義輝は自分が死んでいれば今頃は信長が天下に手をかけていただろうと思っている。当時の状況を考えれば京畿近辺で織田家に対抗しうる勢力はなく、少なくとも浅井と徳川と同盟していた織田家が三好から京を奪い、天下人の座に就いたと思っている。それだけの器量と志が、織田信長にはある。
「余の代で天下に泰平をもたらす。もしその布石すら打てぬまま世を去ることになるならば、力ある者が天下を統べればよい。それが世のためであろう」
未だ自分の跡を継げる者はいない。かつてとは比べものにならないくらい将軍家の力は強くなったが、晴藤や義助では義輝の後継に足り得ないだろう。その血筋を散々に利用された挙げ句に幕府は滅びる。そうなるくらいなら、義輝の跡は天下を諦めて家名存続に専念した方がよい。
義輝は自分の代が最期の機会になるであろうことを、密かに感じ取っていた。
「それを聞いて安心いたしました。ならば、毛利は全力を挙げて上様の天下の為に働かせて頂きます」
義輝の決意に元就は安堵の表情を浮かべた。
中央の動乱に巻き込まれることは、毛利にとってはいい迷惑である。毛利にとって御家安泰に繋がるのであれば主が足利将軍である必要はなく、それは武田であっても構わない。ただそのための絶対条件は、中央政権が安定していることだ。もし義輝がそれを築くのに失敗すれば、毛利は容赦なく離反し、新たに強固な政権を打ち立てた者へ従うだろう。
(それで構わぬ。どのみち余が最期であろう)
また義輝も“力ある者が天下を統べればよい”と潔く語りはしたが、自分が生きている上は是が非でも己の手で天下泰平を実現するという大望を絶対に捨てることはない。義輝の決意は、力のない者が治める世が如何に廃れたものであるかを知っているが故のものであり、将軍家の存続を軽々に考えてのものではないのだ。
無論、それは元就も承知した上で協力を誓った。毛利は義輝が生きている限り、その忠誠心が揺らぐことはないだろう。
全ての話が終えると、義輝はスクッと立ち上がった。
「陸奥守。すまぬが余には時がない。すぐに陣払いをする」
「はっ。では某も自陣へ戻り次第、上様の許へ軍勢を遣わしまする」
と元就は約束する。その軍勢を率いる大将は、当然の様に一門の者になる。つまりは幕府に送られることになる人質であった。
毛利が軍勢を遣わすことは、義輝が勝つ可能性を高めることになると同時に謀叛方へ毛利が敵となったことを知らしめることにもなる。今のところ謀叛方は毛利は味方と考えているだろうことからも、その衝撃は計り知れないだろう。
「陸奥守、もはや二度と会うこともあるまい」
急に義輝が別れの言葉を告げた。
これだけ謀叛の規模が大きくなった以上は鎮圧に時間がかかる。それまで義輝が西国へ下ることはなく、元就も上洛するだけの体力はない。二人はこれが今生の別れになることを既に悟っていた。
「はい。上様…どうか善い世を御創り下さいませ。そして毛利のこと、御頼み申します」
「うむ。余は必ずや勝って戦乱の世を終わらせ、泰平を実現してみせる。安心いたせ」
義輝が穏やかな笑みを浮かべると、元就も合わせて笑みを浮かべた。
これが義輝と元就の最初で最後の対面となった。
【続く】
義輝回に戻りました。
さて今回で黒幕の名前がついに挙がりました。甲斐の虎こと武田信玄であります。彼が謀叛を主導した理由は後述しますが、武田家は義輝に従っている以上は勢力を拡大できる状態にない、というのは皆さまもご理解されていることかと存じます。
信玄の秘策は義秋を奉じて義輝と対抗するだけではありません。天下を己の掌中に収めんとする策が秘められております。(彼は野心家ですからね)
それとですが、実は今回の会談話は長くなりすぎてしまいました。
実のところ今幕は義輝が畿内へ戻るまでを書く予定だったのですが、書いている内に長くなりすぎて(一万字以上)二話に分割せざるを得なくなりました。その所為と申しますか、次話は既にほぼ書き終えているので早くて火曜、遅くとも水曜日までには投稿いたします。
次回は今幕最後に記述したように、毛利と吉川から二人の武将が義輝の許へ送られてきます。これにより義輝軍はさらに強化されるわけですが、忘れられているであろう人物(運良く謀叛に巻き込まれなかった人)が義輝に合流し、義秋軍と合戦に挑むことになります。(実際に合流するのは次々回ですが、名前は挙がります)
※光秀ら山陰勢、出陣していない四国勢の面々じゃありません。(ここまで言えばわかっちゃいますかね?)