第五幕 決着 -義輝・元就会談-
十一月八日。
備中国・高梁川
能島村上水軍の離脱は義輝、元就の双方に大きな衝撃を与えた。
しかし、船戦での味方の損害は余りにも大きく、毛利水軍を撤退に追い込んだとはいえ、勝利とはいえなかった。高梁川で合戦を優位に進めている義輝は、ここらで一気に決着を図りたいと考えている。そこで船戦の内容はどうであれ、勝利という事実だけを利用することを思いついた。
「前線の部隊へ告げよ!水島灘での船戦は我らが勝利した。この事を敵陣へ触れて回させるのじゃ!」
「畏まりました」
船戦に絶対的な自信を持っている毛利である。自身の敗北を知れば、間違いなく士気は低下する。そこへ予備隊を全て投入し、合戦を終わらせる…はずだった。
一人の伝令が本陣へ駆け込む。
「申し上げます。吉川元春が出て参りました!」
「鬼吉川か!して、何処に出てきた?」
「はっ。吉川勢は本陣正面、小早川勢を支援して織田勢へ攻めかかっております」
「両川が同じ戦場に出てきたと申すか」
「御意」
義輝の額に嫌な汗が流れる。
流石の織田勢とはいえ、毛利精鋭中の精鋭である両川の部隊を相手にするのは骨が折れるはずだ。武将の質、兵の数に於いて同等となり、今ある勢いが殺されるのは時間の問題だろう。
(陸奥守め…、簡単には勝たせてくれぬわ)
こちらの思惑を先んじて潰してくる元就の采配に義輝は唸った。
「狼煙を上げよ。これより総攻めと致す。一色式部少輔と三好左京大夫へも伝令じゃ。右翼の和田侍従を支援し、何としても毛利の備えを崩せと伝えるのじゃ」
「畏まってございます」
義輝の命令を受けた伝令が足早く散っていく。
「時に兵庫助。そなたの腕を見込んで頼みがあるのだが…」
義輝が柳生宗厳を呼び寄せて何かしら告げている頃、総攻撃の狼煙が本陣から上がった。
これにより高梁川の合戦は中盤から終盤へと移っていく。
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吉川元春の参戦で、合戦の形勢は五分と五分へ戻っていった。
「織田信長がどれほどの者か見定めてくれる」
いよいよ出番が回ってきた元春は、相手が織田と知ると逸る気持ちを抑えられずにいた。今にも自ら前線へと赴かんとしている。
「殿。また悪い癖が出ておりますぞ」
吉川家重臣・宮荘元正が主を諫める。
「そう申すな。あの天下に名高き織田信長を相手に出来る機会は、そうそうあるものではないのだぞ」
「殿の心中は御察し致しますが、この戦には御家の命運が懸かっていますことを御忘れなきよう」
「判っておる。だが、余り時が残されておらぬ事も事実だ」
合戦が始まって既に二刻(四時間)余りが経過している。正午に始まったことから考えれば、日没までそう時間があるわけではなかった。ここらで早く挽回しておかなければ、毛利の敗北は必至となる。
「どれ。元資の様子でも見て参るか」
そう言って元春は馬を走らせ、前線へと赴いた。元正が慌てて後を追っていったのは言うまでもない。
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その前線では、元春の嫡子・元資が織田の武将・坂井政尚と激闘を繰り広げていた。
「ふん!」
元資が政尚の槍撃を弾き返す。
「うぬ…、若いのにやりおるわ」
意図も容易く攻撃を防がれた政尚は、思わずたじろいだ。
「今度はこちらの番よ」
元資は愛槍を天高く上段に構えると、力任せに振り下ろした。単純な攻撃である故に政尚は槍の柄で見事にそれを受け止めるが、想像以上の力に思わず手が痺れてしまう。
「くッ…舐めてかかったか…」
相手の力を見抜けなかった己の未熟さを密かに罵る政尚。次に繰り出された元資の槍を身を転がせて躱した政尚だったが、それまでだった。政尚が最期に見たのは、地面に這いつくばった自分へ槍を突き出す元資の姿だった。
「ち…父上ッ!?」
近くで戦っていた久蔵尚恒は、父の死に激昂した。
「よくも父上を……許さぬッ!!」
元資へ対して猛然と襲いかかる尚恒であったが、その刃は虚しく空を切った。
「おのれ!おのれ!おのれー!!」
腰を落とし、鋭い突きを幾度も放つ尚恒であるが、どれも元資には簡単に避けられてしまう。元資も若いが、尚恒はもっと若く未だ十五であり、元資とは実戦経験が遙かに違っていた。
「もう止めよ。そなたの父との勝負は互いに武門であるが故だ。恨みがあったわけではない。今ここでそなたの命まで獲ろうとは思わぬ」
「ほざくなッ!」
尚恒の大振りの横薙ぎが再び空を切る。その我武者羅で出鱈目な攻撃に元資は溜息を吐く。
「止めぬのであれば、ここでお主の命を奪わぬばならなくなる。悪いことは言わぬ、退くがよい」
ここは戦場であるのだから、本来であれば情けをかける必要はないのだが、坂井隊は政尚の討死で壊滅するのは目に見えていた。毛利には逃げる兵を追う余裕はなく、尚恒を見逃しても問題はなかった。
「く…くそッ!!」
悔しさを滲ませる尚恒が後ろへ下がろうとした時、頼れるべき男が駆け付けて来た。
「坂井殿は無事か!」
大音声を轟かせ、戦場に姿を現したのは織田家随一の猛将・柴田勝家であった。信長は吉川元春の参戦に伴い、勝家を戦場へ送り出していたのである。
前線へ辿り着いた勝家は、血を噴いて倒れている政尚の遺骸と向き合う元資と尚恒の姿だった。
「久蔵、これは……」
「し…柴田様。父上が…父上がぁ……」
勝家を目の前にした尚恒は思わず嗚咽した。元服したとはいえ、やはりまだ子供なのだ。
「しっかりせぬか!坂井の家は、今日よりそなたが継がねばならぬのだぞ!」
尚恒の哀れな姿を見て、勝家が渇を入れる。そして鋭い眼光で元資を睨み付けた。堪らず元資は、射すくめられる感覚へ陥った。
(ふ…ふふ、面白い。これこそが戦よ)
だが、それで戦意を失うほど元資は脆弱ではない。逆に闘志を湧き上がらせ、勝家に挑み懸かった。
元資が槍を突き、勝家がそれを捌く。
「ふん。若いのにやるではないか」
元資の並外れた膂力に勝家は内心で驚いたが、その技量から間違いなく勝てる相手だと踏んだ。
「見所ある若者は嫌いではないが、政尚の仇は取ってやらねばならぬ。悪く思うなよ」
「この俺に勝ったつもりでいるとは…気が早いわ!!」
それから二十合ばかり、元資は勝家の猛攻に耐え続けた。その槍が首筋を掠めたこと三度、負けずと此方も反撃してはいるが、傷一つ与えられずにいる。はっきり言って勝てそうにない相手だった。
元資は脂汗を流し始めていた。
そこへ無数の矢が降り注ぐ。同時に元資の前方、勝家の後方で兵たちの叫び声が無数に上がる。
「何事だッ!」
勝家の問いに答えたのは家来の誰かではなく、正面から駆けてきた武者だった。
武者は馬上から鋭い槍を突き出してくる。勝家は咄嗟に槍を捌くが、反動で思わず片膝を付いてしまう。
「不意打ちとは卑怯なり!名を名乗れい!!」
「はっはっは。これは済まぬことをした。我は吉川駿河守、柴田勝家殿とお見受けしたが?」
「…鬼吉川の登場か。如何にも、柴田勝家である」
「倅が世話になったようだ。今度は儂の相手をしてもらうか」
「望むところよ」
今度は勝家が挑み懸かる番だった。
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そんな折りである。義輝の本陣へ凶報が舞い込んだのは。
前線では柴田勝家と吉川元春が互角の戦いを演じており、織田隊の進撃は止まっていた。また右翼でも左翼でも押してはいるものの決め手を見出せずに戦線は膠着しつつあった。
東より駆け込んで来た伝令により、その凶報はもたらされる。
「申し上げます。京にて畠山高政が謀叛、洛中は畠山勢に押さえられてございます」
「何じゃと!?」
あと一歩で勝利と手に入れられる時に、義輝はどん底へ落とされた気分になった。
畠山高政の謀叛が明らかに朝倉義景と通じてのものだとは、誰の目にも明らかであった。
「義秋は如何した!和州は何をしておる!」
「わ…判りませぬ…」
「判らぬとはどういうことじゃ!!」
激怒する義輝が伝令を怒鳴りつけるが、男は和泉国代官を務める松井有閑の配下であり、京の状況を正確には掴んでいなかった。
身を縮こまらせながら、男は報告を続ける。
「わ…判っていることは、既に一色様の若江城が畠山勢に攻め落とされたこと、そして信貴山城が…松永を名乗る者に乗っ取られたということにございます」
「な…」
松永という名に、義輝は言葉を失った。
松永といえば、一人しかいない。義輝の宿敵ともいうべき松永久秀である。しかし久秀は義輝が四国を攻めた際に城内から姿を消し、そのまま行方知れずとなっていた。その後の捜索でも、久秀の足取りは掴めてはいなかった。ただ久秀は元信貴山城主であることから城の縄張りに精通しており、大和国代官・京極高吉が謀叛方に与していることから考えれば、信貴山乗っ取りは不可能な話ではないと思われた。
何処に潜伏していたかなど、今の義輝には考えている余地はなかった。
(まさか謀叛を主導したのは奴なのか。…いや、久秀が如何なる者かなど皆が承知しておるはずじゃ。義景や高政とはいえ、容易く話に乗るほど阿呆ではあるまい。謀叛に便乗したと考えるのが妥当であろうが…)
義輝の表情に焦りの色が浮かぶ。
朝倉義景、そして畠山高政。これらが相手であるのならば、どのような状況に陥っても義輝は負ける気がしなかった。しかし、相手が久秀となると話は変わってくる。久秀に負け続けた過去が義輝にはあり、勝ったのは最期の一回だけなのだ。それに大勝ちしただけに、今の地位が義輝にある。
(早く京に取って返さねば…、余の夢が潰えてしまう)
義輝には、久秀が将軍家に仇なす災厄の元にしか思えなかった。
義輝の目指す天下泰平の世。それは要である京を失って叶うものではない。もちろん京に残してきている御台所や一人娘の安否も気になる。
(おのれ…久秀!またしてもか!!)
凄まじい怒りが義輝の中に湧き上がる。しかし、今は何とかそれを堪えるしかない。戦はまだ続いているのだ。ここで冷静さを欠く訳にはいかず、いち早い決着が求められた。
(兵庫助……頼むぞ)
義輝は一縷の望みを腹心へ託した。
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その義輝から望みを託された宗厳は何処にいるかというと、織田と吉川が戦う最前線の場にいた。
「六左衛門殿。頼み入る」
「任されよ」
宗厳の言葉に、六左衛門と呼ばれた男は門下たちに指示を出す。門下たちは一斉に弓を番え、迫り来る吉川の兵に向けて一斉に矢を放った。
「ぐわッ!」
僅か二十人足らずの弓射であるが、全て必中必殺の一撃だった。吉川の兵たちは恐れ戦き、その足を思わず止めてしまったほどだ。
それもそのはず。六左衛門と呼ばれた男の名は吉田重勝といい、弓術の流派の一つ日置流で知られる吉田重賢の孫に当たる人物である。その重勝も自身で雪荷派を起こしており、京で多くの武将たちに弓術を教授していた。細川藤孝や永禄の変で義輝を守って死んだ小笠原稙盛も重勝の教えを受けた一人である。
その重勝の吉田家は元は六角家に仕えていたが、六角家は主君と家臣との間で諍いが多く、義重の父・重政は家伝が途絶えることを危惧して重勝に奥義を伝授、京に移らせていた。そこへ馬廻衆再建を請け負う宗厳に誘われ、将軍家に仕官したのであった。
将軍家に仕官後、柳沢元政など彼に教授を求める幕臣は多かった。
「流石でござる。では、暫し時を稼いで頂きたい」
「織田殿の手勢もおる。心配はなかろう」
そう告げて宗厳が向かう先は、吉川元春のいるところである。宗厳が義輝から受けた命令は、その吉川元春を撃退もしくは捕縛することだった。それにて合戦を終わらせる算段であった。
その宗厳が現れたのに最初に気付いたのは、元資であった。戦場に於いて悠然と構える宗厳の姿は流石に目立ち、元資の視線を釘付けにした。
父・元春に勝家の相手を奪われた元資としては、雑兵相手に暴れるだけでは力を持て余していた。よき敵を見つけたと喜び勇んで跳びかかるが…
「な…何が……!!」
まさに一瞬の出来事であった。
元資が斬りかかったのは、得物を手にしていない宗厳の左側面からであった。その宗厳がいま、左手に槍を持ち、自分は尻餅を着いている。
「気を逸らせるのは結構なことだが、それでは相手に動きを読まれるだけであるぞ」
まるで師が弟に告げるのが如く、宗厳が言葉を放つ。
宗厳が一瞬で見せた業は、新陰流の奥義である“無刀取り”という。相手の攻撃する瞬間に懐に忍び込み、一瞬で元資の槍を奪ってしまったのだ。
力の差をまざまざと見せ付けられ、元資は歯がみして悔しがった。
(こうまで及ばないのか…俺の力は)
強気に出られるのは格下の相手のみ。格上の相手には歯牙にもかけられない悔しさを元資は味わっていた。
「貴殿の名は?」
自分を一瞬で打ち負かした男へ名を問う。
「公方様が馬廻衆筆頭・柳生兵庫助宗厳じゃ」
「公方様の…」
意外だと元資は思った。織田と戦闘しているのだから織田家中の誰かだろうと思っていたが、まさか将軍の馬廻衆がこんなところにいるとは思わなかった。
「一つ教えて欲しい。公方様も貴殿と同じように強くあられるのか」
将軍である足利義輝は、剣術の達人と評判がある。馬廻を務めている男なら知っているだろうと思い、元資は訊ねた。
「もちろんじゃ。公方様は武士の頂点に立つ御方、儂よりも遙かに強くあられる」
「…左様でござるか」
流石に主君が自分より弱いとは言えない。多少の世辞もあるのだろう元資は思ったが、それでも衝撃であった。
ただ実際はそうではない。義輝と宗厳は日々形稽古に及んでおり、その勝敗は八十六勝七十九敗と義輝が僅かに勝ち越している。永禄の変での経験が、義輝の業にさらに磨きをかけていたのは言うまでもない。
そして元資は目撃することになった。
武将として最上の尊敬を抱き、威厳に満ち溢れていた父が、柳生宗厳の前に一瞬にて敗れ去る姿を。
高梁川に於ける合戦は、吉川元春の撤退により終結を迎えることになった。
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十一月九日。
備中国・安養寺
ここ幸山城の拠る福山の麓にある安養寺は、かつて平相国の嫡子・小松内大臣こと重盛の義兄である藤原成親が鹿ケ谷の陰謀で流罪となった後に出家したことで有名な寺院である。
その地で、義輝は毛利元就と対面していた。
「そなたが陸奥守元就か」
「左様にございます」
と淡々と言葉を吐き、平伏する元就。
何故に元就が義輝と体面しているかというと。
高梁川の合戦で敗北した毛利勢は猿掛城まで兵を退き、高梁川一帯は再び幕府の支配するところとなったが、毛利勢の損害はそれほど大きくなく、幕府方より若干多い程度だった。もう一戦する力を確実に残しており、義輝もすぐに猿掛城攻めとはいかなかった。
どうしたものかと決めかねている最中、毛利方より和睦の話が伝えられ、そして交渉に臨んだのが元就当人だったのだ。
これには出迎えに赴いた柳沢元政も驚いた。ただ元就からすれば、将軍との大事な駆け引きは余人に任せられるものではなかった。秘策を成就させるため、この交渉は自ら纏める必要があった。
「和睦したいと聞いた。つまり毛利は余の命令に服し、三ヵ国の減封を受け入れるということでよいのだな」
「御意にございます。されど、それには一つ条件がございます」
「ほう…申してみよ」
「毛利としては、安芸・周防・長門の三ヵ国減封を受け入れまするが、欠地となる石見では吉川家、備後は小早川家を新たなる守護として御取り立て頂きたいのです」
元就の意外な申し出に義輝は難色を示す。
元就の条件は表向き毛利は三カ国で構わないが、実質で五カ国を安堵して欲しいということだ。合戦に負けた立場としては当初の八カ国は要求することはできないが、やはり三カ国は呑めない。そこで元就が五カ国を勝ち取る策として考えたのが、両川の守護化である。
「それでは毛利に五カ国を安堵することと同じではないか」
「いいえ。吉川家と小早川家は我が子息が当主となっておりますが、両家は毛利の分家ではございません。これまでも対等な関係を築き、共に西国の安寧に勤しんで参った次第にございます」
「よう言うわ。西国の安寧とは申すが、それは毛利安泰のためであろうが」
「仰せの通りで。されど、それは上様とて同じでありましょう。将軍家安泰のために天下を平定なさろうとしておられる。要は規模が小さいか大きいかの違いにございます」
「ならば、何故に版図の拡大を求める。始めから余の命に服しておれば、三カ国の太守として毛利の安泰はあったのだぞ」
「上様こそ、何故に諸大名へ辛く当たられますのか。毛利が治める土地は、我が家来たちが汗を流し、命を散らして手に入れた土地でございます。そう簡単に手放せませぬ。その相手が、如何に将軍家であろうとも」
二人の中央で、視線が交差する。そして長い沈黙が続いた。
義輝は全身に覇気を漲らせ、突き刺すような視線を元就に放っている。また元就はそれを堂々と正面から受け止めている。
暫くして後、ふいに義輝が気を和らげて口を開いた。
「…今後、毛利が余への忠勤に励むというのならば、陸奥守の申し出を受けてやってもよい」
「有り難う存じます」
義輝が条件を受け入れたのには、もちろんのように上方で起こっている謀叛の影響がないわけではない。しかし、次の条件を元就が受け入れるならば毛利の力はさほど増えなくなるし、無事に撤退することも叶う。
「うむ。但し、こちらからも条件がある」
「承りましょう」
「毛利に安堵する三カ国は、先に申した通りだ。されど吉川家には備後、小早川家には石見を守護として任せる。その上で小早川家には我が一門より藤政を養子に入れ、嗣子とせよ」
義輝の条件に元就は息を呑んだ。
義輝が元就を一筋縄でいかない相手と思っているように、元就もまた義輝を一筋縄ではいかない相手と思った。
義輝が言っているのは、毛利に五カ国を認めるが、石見については隆景の一代限りということだった。その沙汰に大森銀山の権益が影響しているのは間違いなく、吉川と小早川の守護国を入れ替えたことからも判る。また藤政は隆景より僅かに年下なだけで、親子にするには不相応なことからも読み取れた。
「宜しゅうございます」
この厳しい義輝の条件を元就は受諾した。
(銀山を手放すのは惜しいが、まだ時はある。毛利が子々孫々にまで長らえられるだけを財を築く時がな)
元就は隆景の代で掘れるだけの銀を掘るつもりだった。大森銀山から採掘できる銀の量は相当なものがあり、一大名が手にすれば百年は軽く繁栄できるだけの量となるだろう。
これによりかつて古河公方の候補として目された足利藤政は小早川家へ入り、小早川藤景と名を改めることになった。
その後、義輝は二つの条件を付け加えた。
一つは旧出雲守護・尼子義久の処遇である。これは出雲守護として復帰させることで決着がついたが、尼子に帰参する者、毛利に残る者は誰であっても本人の意思に任せることになった。毛利に残る者については、改めて毛利の領国で知行が与えられることになる。
ちなみに出雲の仕置に合わせて伯耆のことにも義輝は触れた。
伯耆は南条元清が最大勢力となって国を切り盛りしているが、義輝は幕府に対して何の功もない元清を守護に据える気はない。一先ずは代官職に任じ、中央の争乱が落ち着いた後に沙汰することにした。
また九州に関しては毛利の版図としては認められなかったが、同時に義輝も兵を入れるほどの余裕はなく、大友に任せる気もない。よって大友の好きにさせぬよう毛利が最大限の支援をすることを命じた。
もう一つ義輝が出した条件は、毛利と吉川家より幕府へ人質を差し出すことである。名目上で毛利と吉川は対等になったので、別個に人質が必要となったのである。小早川家に関しては、藤政が養子となったことに加えて人質に出す人物がいないために条件には加えられなかった。
「人質と申しても余の近侍として働いて貰うことになる。無論、功績があれば取り立てることは厭わぬ。それは毛利本家に至っても同じである」
と義輝は宣言した。
これは毛利の版図が功績次第でいま以上に拡大することが可能なことを示唆してのものだ。どんな功績を上げても三カ国以上は望めないと知れば、流石の毛利も収まりが着かないであろうことは目に見えているし、主従の関係は御恩と奉公の上に成り立つものだ。それを将軍たる義輝が無視するわけにはいかない。
これを義輝は当たり前のように認め、元就に伝えたのであった。
そして会談の最期に議題に上ったのが能島村上家のことだった。
既に昨日の内に能島村上家の当主・武吉は幕府へ恭順を誓う旨を同族の吉継を通して伝えてきているが、この事は元就としては看過できない事態である。武吉の裏切りにより死んだ者もおり、被害のあった警固衆の者たちからは武吉を批難する声が高まっている。
その武吉の討伐を元就は義輝に求めてきた。
「構わぬ。されど命までは獲るな。身柄は幕府が預かることとする」
これを義輝は止む得ぬ事情と判断し、受け入れることにした。
如何に幕府を頼ってきたとはいえ裏切りは裏切りである。武吉を守ってやる義理も義務も義輝にはない。ただ武吉の離脱により海戦での勝利を手にしたのは間違いなく、義輝は助命だけは認めることにした。
かくして幕府と毛利の和睦は成り、義輝は京を目指して引き返していくことになる。
【続き】
幕府と毛利の合戦は和睦という決着となりました。
互いに相手と滅ぼしあうつもりのなかった結果とさせて頂きました。また今回は長くなりすぎたので、柳生宗厳VS吉川元春の場面をカットさせて頂きましたことを深くお詫び申し上げたいと存じます。すぐに敗れましたが、宗厳VS元資の方が重要だったので…
さて毛利と和睦し、尼子も再興となって西国の半分近くを手に入れた義輝が反撃を開始しますが、畠山の謀叛と松永久秀の再登場により予断を許さない状態が続いています。次回はこの辺りを補完する形で京の場面を描く予定ですので、義輝が京へ向けて戻っていくのは次々回となります。
また馬廻衆で初めて宗厳以外の人物が登場しました。前回、開戦の矢文を射る場面で出す予定もあったのですが、初登場は合戦の場の方がいいかな…と思い、出番を遅らせました。(これにより柳沢元政が門下になったという設定が付け加えられたのですが…)
尚、新たに誕生した小早川藤景(足利藤政)は今後で活躍させるかは限りなくゼロに近い未定です。何故なら、藤政の武将としての器量は未知数であり、どう考えても活躍するなら隆景だろ…と思ってしまうからです。藤政の役割は、小早川家に養子に入ることで終わってしまいました。
※早速でしたが訂正が一件あります。両川に任せる守護国について言い出したのが義輝になっていたのを元就へ変更しました。内容を深く確認せずに投稿したミスです。申し訳ない。8/27