第四幕 水島灘の海戦 -割れる村上水軍-
十一月八日。
備中国・高梁川
幕府と毛利凡そ十三万にも及ぶ大軍勢による合戦は激しさを増していた。将軍・足利義輝の本陣では気忙しく人馬が行き来している。
「申し上げます。池田勝正殿が佐々部元資の部隊を撃破した由にございます」
「ようやった。民部大輔には、そのまま前進せよと伝えい」
「はっ、承知いたしました」
義輝の下知を受けた伝令が、勝正の陣へ戻って行く。それと入れ替わるように新たな伝令が入ってた。
「織田の将・前田又左衛門が児玉景栄を討ち取りました。小早川隊は、徐々に後退しております」
「うむ、流石は弾正よ。余が手当するまでもないな。我が前面は引き続き弾正に任せる」
「はっ」
毛利軍先鋒の杉原盛重と楢崎信景は、織田鉄砲隊の猛威攻勢に晒されて兵を退いている。代わりに織田と当たるようになった小早川隆景も毛利勢の中では八〇〇〇と兵力の多いが、それでも一手で織田を抑えられるほどの規模はなく、圧倒的な織田の火力に苦戦を強いられていた。よって毛利輝元の陣から児玉元良と粟屋元光が兵四〇〇〇を預かって出撃、隆景を支援した。
それでも織田軍の優勢は揺るぎないのだから、流石である。
中翼と右翼で戦況は幕府方が優勢であり、次々と舞い込む報せに義輝も満足した表情を浮かべている。
「晴藤はどうしておる」
義輝が本隊を纏めている柳沢元政へ状況を問い合わせる。
戦闘中の部隊の中で義輝が最も心配なのが、左翼に向かわせた実弟の晴藤だ。晴藤は初陣を済ませてはいるとはいえ、その初陣では戦らしい戦はなく、合戦はこれが初めてだった。補佐役の蜷川親長も戦巧者というわけではなく、左翼は毛利との兵力差が一番に開いているところとはいえ、やはり心許なかった。
「左中将様は上手くやっているようですな」
意外な答えを元政は返した。
「左中将様は左翼に到着すると同時に部隊の入れ替えを下知なされたとのこと。今は紀伊守(三村親成)殿の部隊を下げられ、代わりに宇喜多直家が庄(三村)元祐と戦っております」
「元親の兄である元祐の前に、宇喜多を出したのか?三村一族の直家へ対する恨みは深い。晴藤は先の松山城攻めで何も学んではおらぬのか。あれによって宇喜多は相当な犠牲を払うことになったのだ。元祐とて同じ、その前に宇喜多を出せば、松山城の二ノ舞となろう」
如何に親成の部隊が押されていたとはいえ、三村元祐の仇敵である宇喜多を出すのは悪戯に感情を刺激するだけである。義輝には晴藤の采配が的確とは思えなかった。
しかし、その心配は杞憂に終わる。
「左中将様は小寺を庄勢の側面へ向かわせております。恐らく元祐は我を忘れて宇喜多へ突撃いたしましょうから、その脇はがら空きとなりましょう。それを狙ったものかと」
「なんと!?晴藤は宇喜多を囮に使ったか」
意外な晴藤の采配に義輝は衝撃を受けた。
実際、元政の言う通りに三村元祐は宇喜多隊と戦闘に入った後、父と弟たちの仇を討たんと我武者羅に突き進んできた。元祐の突出により伸びきった隊列は細く長くなり、その側面を小寺政職の部隊によって衝かれ、敢えなく壊滅してしまったのだ。
戦の采配が初めてとは思えぬほど、鮮やかな手並みであった。
その後、晴藤は宇喜多隊を退かせて浦上宗景を福原貞俊、蜷川親長を桂元信へ当てると自身は両隊後方へ詰め、その後巻となって戦線を押し上げた。
「晴藤め…、誰ぞよき家来でも召し抱えたか」
戦は何事も経験である。それがない晴藤が自ら采配したと義輝は思わないが、人を使うことは主たる者の務めである。全てを主が担う必要はなく、自身の智恵でなくとも成果を上げることに繋がる人材の用い方をした晴藤の判断は正しい。
後は奸臣だの佞臣などに惑わされぬよう自身を磨くことだが、それは一朝一夕で叶うものではない。長い目で見ればいい。今は素直に弟の成長と戦功を喜ぼうと、義輝は思った。
ただ晴藤の活躍の裏で小寺孝高という名軍師が存在していたことを義輝はまだ知らなかった。
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同時刻。
備中国・水島灘
幕府と毛利が戦っている高梁川の遙か南方の海で、もう一つの戦いが繰り広げられていた。但し、こちらは陸戦とは違って毛利が優勢…いや、圧倒的に毛利が幕府方を押していた。
「火を消せッ!これ以上の損害を許すでないぞ!」
旗艦なる船上で細川藤孝が叫ぶ。その傍らで水軍の総指揮を執っている安宅信康が指示を出し、それを受けて水夫たちが太鼓や鐘を叩いて味方へ合図を送る。
「何故に斯様な無様な戦となったのだ…」
藤孝は小さく嘆いていた。
そもそも幕府水軍は数の上では毛利を上回っていた。総勢で六〇〇艘余り。半数は輸送船であるために三〇〇艘ほどで出撃し、残りは後方へ避難させている。それは敵方も同じで、毛利方は四〇〇艘を越える船団を抱えながらも幕府の六割ほどの一七〇艘しか出してきていない。
故に、藤孝と信康が執った策戦は兵法に則っての包囲殲滅であった。それで簡単に勝てるとは思わなかったが、それなりにいい勝負ができると踏んでいた。だが、その包囲網はあっさりと毛利に食い破られてしまう。
海戦は毛利方からの攻撃で始まった。
毛利麾下の能美水軍が、幕府先鋒の宇喜多水軍へ攻めかかったのだ。
安宅船を擁する能美水軍に対し、宇喜多水軍は関船と小早のみの構成だった。能美水軍は高い矢倉と厚い楯板に覆われた安宅船を中心に押し出し、宇喜多水軍を徐々に押し込んでいった。信康の指示で浦上水軍が援護に出るが、上手く連携できずに状況は好転しなかった。
そこへ因島村上水軍が襲いかかり、焙烙玉を放ってきた。幕府水軍と毛利水軍の違いの大きな差は、この焙烙玉の存在だった。
焙烙玉は球状の陶器に火薬を詰め、導火線を用いて爆発させる武器である。毛利水軍は盲船という高い塀で囲われた船を使って幕府船団へと近づき、次々と矢を放って注意を向けさせ、その間に焙烙玉を積み込んだ船を接近させて敵船へ投げ込むという戦法を用いていた。
これにより宇喜多と浦上の水軍は半数が壊滅した。もちろん藤孝も目を瞑っていたわけではない。
「奴らに対抗できるのは来島村上水軍しかおらぬ」
と決断して来島水軍を出撃させ、水島灘の南、小手島と大島の間から毛利水軍の側面を衝くよう命じた。しかし、それは読まれていたようで、能島村上水軍により阻まれるに至った。
能島と来島。同じ村上水軍として敵味方に分かれているが、互いに両者の実力は知り尽くしている。
決定的な対抗手段を失った幕府水軍は毛利水軍にいいようにやられてしまい、既に三割近い船を失っていた。
「これ程までに焙烙玉の威力は凄まじいのか…」
藤孝が嘆くのも無理はない、焙烙玉の情報は事前に来島村上水軍の将・村上吉継よりもたらされていたのだ。つまり藤孝は焙烙玉の威力を甘く見たことになる。
直後、藤孝の乗る安宅船の左前方で轟音が響いた。
「またやられたのか…」
炎上している味方の船は、塩飽水軍のものだ。藤孝は茫然と見ているしかなかった。
そもそも立場上しかたなく大将を務めてはいるが、藤孝は船戦の経験がない。故に副将に安宅信康を起用し、ほぼ全権を委任していた。無理な口出しはしない方がよいと考えた末のことだ。
「信康!如何いたすのじゃ」
藤孝が信康に問う。素人目にも、このままでは負けると判った。
「いったん退く他はございませぬが、このまま退いたのでは面目が立ちませぬ」
「当たり前じゃ。かといって何か策があるわけでもなかろう」
「いえ、ございます。ここまでやられるとは思いませんでしたが、ようやく相手の狙いが判って参りました」
「毛利の狙いとは何だ?」
「毛利は宇喜多、浦上、塩飽の水軍に狙いを絞っております。これは自身も焙烙玉による被害を恐れてのことでしょう」
信康が断言する。まさにその通りだったのだ。
毛利方は宇喜多水軍に猛攻を仕掛ける一方で、来島村上水軍の船へは弓合戦を仕掛けるだけで距離を保っていた。また来島村上水軍も無理して攻めようとはしていなかった。
「いま一度、村上殿へ犠牲を恐れずに押し出すよう命じるしかございません。上様への忠義を示させるのです」
「うむ。されど海の男どもは我ら武士とは違う。忠義という言葉でおいそれと動くとは思えぬが…」
「無論です。せめて勝利の暁には能島、因島、来島からなる村上水軍の舵取りを来島村上家に任せる、とくらいは言わねばなりますまい」
「それくらいであれば問題はあるまい。所詮、村上家の中でのことだ。されど犠牲を恐れず進めと命じたところで、来島水軍までやられてしまえば我らの敗北は確実ぞ」
「反撃の糸口となるのは鉄砲にございます。我が船団の半数を以て支援すれば、必ずや勝てるものかと」
として信康は、藤孝に出撃の許可を求めた。
幕府水軍の中で鉄砲を充分に配備しているのは安宅水軍しかおらず、その御陰で藤孝らの乗る船は敵を寄せ付けさせずにいる。ここで半数を出撃させれば、藤孝らの守りは確実に手薄になるのは確実だった。
「…構わぬ。船戦のことは、元より信康に任せている」
藤孝は当初の考え通り、口を挟まないこととした。
「畏まりました。では私が陣頭で指揮を執りますので、宰相様はここで総軍の指揮を御願い致します」
「承知した」
と藤孝はいうものの、船団の指揮を執るのは信康の配下であるから、藤孝は首を縦に振るだけだった。
信康は小早を使って別の安宅船へ乗り移り、半数を率いて前線へ向かっていった。
その様子を注視していたのが、村上水軍の頭領であり能島水軍を率いる村上武吉であった。
「幕府水軍が動いたようだな」
「はい。恐らくは焙烙玉による反撃を狙ってのものかと」
家老の大野直政が答える。
「まぁ、それしかないだろうからな。それよりも陸地での合戦は如何になっておる」
「…それが、押されているようです。味方も粘っているようですが、幕府勢の方が数も多く仕方のないことかと」
「そうか……」
陸地での合戦を武吉が気にかけるのは、武吉なりの打算があったからだ。
(どうも毛利の家中で儂に対する態度がおかしい。今までであれば、船戦で我らが後方を任されることはなかったはずだ)
武吉が船上で思慮に耽る。
船戦に於ける能島村上家の力は毛利水軍の中でも優秀である。その庭たる水島灘の戦いで能島水軍は前線を離れて来島水軍の抑えを命じられている。よって主力となって戦っているのは毛利警固衆の水軍だった。
(もしや九州で大友に通じていたことが元就にバレたか)
そう武吉が思うのも、思い当たる節があるからだ。
武吉は九州での戦で大友家と通じた。海上を警備していた武吉が黙認した結果、大友水軍は周防国・秋穂浦へ上陸に成功し、高嶺城は落城寸前となった。最終的に元就の機転によって勝つには勝ったが、大事な家臣が幾人も亡くなっている。
元就としては、武吉の行為は看過できない重大な裏切りだ。
(思えば九州より撤退する折りもおかしかった。如何に急いでいたとはいえ、兵の輸送に警固衆を用いず、我が水軍を用いる必要はない)
何度もいうようだが、この海域は村上水軍の庭なのだ。如何に幕府水軍の侵攻を警戒していたとはいえ、守備に残るなら警固衆ではなく村上水軍の方が相応しい。それなのに元就は、武吉に兵の輸送を命じた。
今回の船戦で後方に回されたことも同じだ。それも武吉を信用していないと考えれば、全て辻褄が合う。
武吉は決断する。
「直政。引き揚げるぞ」
「えっ!?」
突然の命令に直政が驚きの声を上げる。
「如何に船戦で勝とうとも陸地での合戦で負ければ意味がない。幕府が勝利すれば、我らは瀬戸内での支配権を失うことになる」
「されど我らが退けば敵はますます…」
「案ずるな、幕府には吉継おる。それに我らがここで退けば、幕府へ恩を売る形にもなろう」
本来ならば、ここで寝返って味方に襲いかかるのが一番だろうが、流石に昨日までの味方に刃を向けるのは気を咎めた。
ただそれは建前に過ぎない。武吉の本音は、元就の謀略を恐れてのことだった。
(元就が手を打つ前に幕府へ属してしまえば、元就といえど手は出せまい)
元就の謀略は味方である内は頼もしいが、敵となればこれ程までに恐ろしいものはなかった。天文十九年(1550)に毛利家中で専横を極めていた井上元兼ら一党が、元就によって粛正されたのは有名な話だ。また天文二十三年(1554)に大内家を仕切っていた陶晴賢によって江良房栄が殺されたのも元就の仕業だった。さらに尼子の精鋭部隊であった新宮党が当主・晴久によって粛正された裏には元就の謀略があったとの噂もある。
(このまま元就に疑われたままでは、儂の命が危うい)
その恐れから、武吉は離反を決意したのであった。
しかし、この事を後に武吉は後悔することになる。武吉は幕府の背後で謀叛が起こっていることを知らなかったのだ。それを元就が伝えていないということは、武吉を疑っていたことを意味していた。
こうして能島水軍の離脱が起こった。
「あれを御覧下さいませ!能島水軍が引き揚げていきます!」
「何が起こったのだ!?」
水夫の一人が叫んだ。信康が目を見開いて驚く。
能島水軍の離脱が起こったのは、信康が来島水軍と合流した時のことだった。
それは不思議な光景だった。今も毛利の水軍は幕府水軍を攻め続けており、能島水軍だけが撤退を始めている。能島水軍はこちらへ内応しているわけでもないので、離脱はあちらの都合としか考えられなかった。
「いったいどういうことだ…」
「理由はともかく、これは好機ですな。今ならば毛利の側面を衝くことができる」
頭を悩ます信康の横で吉継が冷静に言った。立場では信康が上なものの、船戦に於ける経験は吉継が勝っている証だった。
信康の目に光りが走る。
「太鼓じゃ。鐘を鳴らせ。これより突撃する」
思わぬ好機に突撃の下知が飛んだ。
焙烙玉を積んだ焙烙船を二十艘ばかりの小早が警護し、毛利の船団へ近づいていく。敵方も近づけさせまいと矢を放ってくるが、小早から放たれた猛烈な銃撃がそれを黙らせた。
「今だ!投げ込め!」
焙烙玉の投擲を指示した物頭が叫ぶ。
また毛利方も投げ込まれた焙烙玉を防ぐ術がないことは知っている。ある者は物陰に隠れて避難し、ある者は咄嗟に海へと飛び込んだ。
そして船は大爆発を起こして炎上する。先ほどまで幕府水軍に起こっていた光景が毛利水軍にも起こった瞬間だった。
「この隙に突っ込むぞ!」
前衛の数隻を焙烙玉で沈めた信康は、左右から武者船を走らせる。武者船は多数の兵士を乗せており、敵方の混乱に乗じて近づき、鉤を投げて熊手で引っかけ、敵船をたぐり寄せる。兵たちが敵方の船へと乗り込み、矢も鉄砲も役に立たない白兵戦へ突入する。
「かかれー!」
毛利方の船団へ信康の兵が襲いかかる。
槍を突き、太刀を振るうだけの陸地での戦いとは違い、押し押されの陣取り合戦である。何も敵を殺す必要はなく、船から突き落としてしまえば勝ちだった。信康は船を奪うことを優先するよう味方へ指示を出していた。
この能島水軍の離脱に伴う幕府水軍の反撃は、水島灘での船戦に大きな影響を及ぼした。
「このままでは退路が断たれてしまう」
毛利水軍を統率する児玉就方は、思わぬ幕府の反撃に焦りを感じていた。
目の前の船戦は圧倒的に毛利水軍が勝っているが、幕府水軍は毛利方を包囲するように布陣していたために後方まで塞がれてしまえば、八方を敵に囲まれることになる。それは如何に毛利水軍が精強とはいえど拙い事態だった。
「やむを得ぬ…、退くしかあるまい」
いま少しで幕府水軍の本隊である安宅水軍に迫れるところで、就方は苦渋の決断を下した。退路が塞がらない前に離脱しよういうのだ。
かくして水島灘に於ける海戦は幕府方の勝利に終わったが、その損害は幕府方が一六〇艘を失い、毛利方は僅かに四〇艘という圧倒的に幕府水軍の方が多い結果となった。
藤孝や信康を含め、幕府水軍の誰もが自分たちが勝ったとは思わなかった。
【続く】
第四幕は本作では初めての海戦となりました。陸戦より描くのがずっと難しかったです。
さて前回の最期で急展開すると書きましたが、村上武吉がそれに当たります。ただ次回でもかなりの動きがあります。とはいうのも全二回で済ます予定が伸びでしまった所為です。
よって次回も少し早め、恐らくは週明けくらいに投稿できると思います。