第三幕 高梁川合戦 -両者譲らず-
十一月八日。
備中国・川辺
将軍・足利義輝が毛利との合戦を決断した翌日の早朝のこと。
「殿。対岸に騎馬武者が数騎、現れてございます」
川辺一帯を守備する備後神辺城主・杉原盛重の許へ報せが入る。
「何者だ」
「白地の二引両から推察いたすところ、公方様かと存じます」
「な…なに!?」
余りの驚きに盛重の眠気が一気に吹き飛んでしまった。
「儂が確認する。案内せい」
「はっ。こちらにございます」
盛重は家臣に連れられて現場へと向かって行った。
その頃、対岸から毛利の陣を眺めていた義輝は、敵陣が俄に騒がしくなったことに気が付いた。
「どうやら毛利も上様の存在に気付いたようにございますな」
傍に侍る柳沢元政が言う。
「そのようだ。ならば始めると致すか。のう兵庫助(柳生宗厳)」
「はっ。ではこちらを…」
宗厳から矢を渡される。その矢柄には書状が結びつけてあり、毛利への最後通告が書かれていた。その内容は、当初と変わらずに“毛利の所領は安芸・周防・長門の三ヵ国とする”旨が書かれている。
自前の大弓は三人張りの強弓、並の者では引くことの出来ない代物である。
「陸奥守よ。懸命な返答を期待しておるぞ」
義輝が弓に矢を番えて射る。矢は弧を描き、ぐんぐんと伸びていく。そして、対岸で様子を窺う盛重の目の前に突き刺さった。
「ば…莫迦な……」
盛重は驚きの余りに声を失った。
義輝のいる位置からこちらまで二町(約200メートル)以上もある。弓矢の飛距離としては充分に到達可能な距離であるが、矢文となれば話は別だ。並の者では、そうそう届く距離ではない。
次いで、義輝が再び弓を構えて矢を射る。それと同時に両脇に控える武者からも矢が飛んで来る。それが先ほど刺さった矢の手前に三本とも突き刺さる。一本の矢文と三本の矢が地面に刺さった光景は、まさに毛利の家紋“一文字三ツ星”を表しているようだった。
並の芸当で出来る業ではない。盛重は思わず冷や汗をかいた。
「あ……あれが将軍か」
盛重は勇猛果敢な将として毛利家中で名を轟かせており、自身にもその自負はある。武芸に於いては相当な自信を持っているだけに、義輝を含む三人の凄さを知ることになってしまった。
その次の瞬間である。一条の矢が鋭く地面を薙ぎ払った。四本の矢は川辺の小石と共に吹き飛ばされた。
何が起こったのだと盛重が視線を対岸へ戻すと、それを放ったであろう将軍は静かに後ろへ振り返り、去って行った。
命令に従わねば討つ、という強い意志の表明であったことは語るまでもなかった。
盛重の足取りは重く、その表情には敗北感を滲ませていた。家臣の一人が矢文を拾って手渡すと、そのまま元就のいる本陣へと走って行った。
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義輝からの最後通告を受けた元就は、その表情を歪ませていた。
(この状況で合戦に及ぶつもりか。もしや公方様は朝倉の謀叛が単独のものと思われておるのか……。いや、あの公方様はそれほど阿呆ではないし、公方様が気付かずとも取り巻きの何れかが気付くであろう)
幕府との合戦は、元就の予定にないことだった。義輝が毛利に八ヵ国を認めずとも五、六ヵ国ほどで折り合いが着くと想定していたのだ。六ヵ国であれば、元就も呑む用意があった。
義輝が指定した三ヵ国に加えて出雲と石見に備後を合わせた六ヵ国が毛利の版図として認められれば、毛利は中国の覇者として君臨できる。多大なる犠牲を払って手に入れた九州の所領は惜しいが、それは今後の勲功次第で取り戻すことも出来ると踏んでいた。ここで毛利が幕府に従うとしても、その後に立てられた勲功には将軍として恩賞を与えねばならないからだ。六ヵ国で終わりということは、天下一統を成し得ていない状況であり得ない。
恐らく義輝は毛利に厳しい条件を突き付けてきた以上、大友に対しても同じ処置を下すだろうと元就は読んでいる。そこでは毛利の力が必須となるのは明白であり、九州を取り戻せる可能性は充分に残っていた。
(あくまでも毛利に三ヵ国しか認めぬつもりか。しかし、それでは毛利の家は立ち行かぬ)
将軍の命令に逆らい続けてきた結果とはいえ、こうなったら降りかかる火の粉を払い、もう一度交渉に望むしかない。将軍とて敗北すれば、こちらの条件を認めざるを得ないだろう。その上で全力を以て幕府を支援し、天下の権を定めてしまう。そこまでが、元就の残された命で可能な範囲と考えている。
(何としても勝たねばならぬが、大勝する訳にもいかぬ。幕府勢が再起不能にまで陥れば、毛利が支援したところで謀叛方に打ち勝つことは無理じゃ)
謀将・毛利元就の生涯を懸けた難しい戦が、いま始まった。
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戦端が開かれたのは、やはり川辺一帯であった。
毛利方の将は杉原盛重と楢崎信景に対し、幕府方は織田家の将・塙直政に福富秀勝、野々村正成である。
「打ち方、構え!………撃て!」
直政は高梁川の中間まで部隊を進ませると、待ち構える杉原隊へ向けて激しい銃撃を加えた。合戦の火蓋が切って落とされた瞬間である。
杉原隊の兵がバタバタと倒れる。負けずと盛重も麾下の鉄砲衆へ応戦を命じるが、如何せんに数が違う。再び織田の銃弾の雨に晒され、身を縮めるしかなかった。
「こ……これは堪らぬ」
一〇〇挺そこらの鉄砲くらいなら相手をしたことのある盛重も、こればかりはどうしようもなかった。
何度か両軍で激しい応射と共に両軍の視界は硝煙に包まれていく。その影に隠れ、織田勢は一気に進軍を始める。
「我らは数で劣るのだ。敵が渡河している間に数を減らさねばならんのだぞ」
杉原隊の様子を見かねた信景が味方を鼓舞する。
渡河中の敵を討つことは、兵法の基本だ。高梁川は大きな河川であることから、毛利では幕府勢に相当な被害を与えられるものと考えている。簡単に突破されることだけは、是が非でも防がねばならなかった。
「早々に支援を願い出るのは恥ずべきことだが、こうも敵の鉄砲が多いとは想定しておらなかった。小早川様に鉄砲衆を御借り出来るよう使者を遣わそう」
鉄砲の多寡は自隊では覆せないと判断した信景は、小早川隊へ支援を要請した。
毛利で最も鉄砲を多く所持している部隊は小早川隊である。その小早川隊の力を借りなければ、戦線を維持することは不可能だった。それ程までに織田の鉄砲隊は凄まじかったのだ。
「毛利も案外と不甲斐ないのう。それほど鉄砲が怖いか」
敵方の戦意の低さを見抜いた直政が呟く。
信長が西征に持参してきた鉄砲は凡そ二一〇〇挺であり、その半分を先手の三部隊が所持していたのだから無理はない。西国を支配する毛利の鉄砲隊とはいえ、総数では織田の半数にも満たない数しか保有していなかった。
そして、再び織田軍の鉄砲が火を噴いた。
その織田の鉄砲から発せられた轟音は、義輝の本陣にも届いていた。
「これが弾正自慢の鉄砲隊か。なんと凄まじい音よ」
義輝も鉄砲隊を組織している為、三〇〇挺ほどまでなら一斉射撃を見たことがある。しかし、一〇〇〇挺を越えるとなると幕府が所持している鉄砲の数では足りず、経験がなかった。
(光秀が弾正を警戒したのも頷ける。余とて、あの鉄砲に恐怖を感じぬわけではない)
やはり義輝にとって光秀の損失は大き過ぎた。
光秀の生存には未だ望みが残されているが、明智勢に持たせていた五〇〇挺もの鉄砲が失われたのは確実だった。織田は頼りになる味方だが、常に最強たらねばならぬ将軍家としては、鉄砲の数でも織田家に劣るわけにはいかない。それを組織する上に於いて、光秀の力は必要となる。
(余の許しなく死ぬでないぞ……、十兵衛)
合戦の激化の前に、義輝は光秀の生存を強く祈った。
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一方、毛利の背後を襲うべく向かった浅井長政ら別働隊は、岡田まで一里(約4キロメートル)ほどの山田という地で敵と遭遇していた。相手は熊谷信直を大将とする安芸・出雲の兵六〇〇〇余りであった。
ついに始まった毛利との戦に山中鹿之助は勇んで飛び出していった。そこで見知った旗指物を前にして激怒する。
「あれなるは裏切り者の赤穴の旗印!盛清がおるのか」
尼子勢の目の前に現れた部隊は、赤穴盛清だった。盛清は元々鹿之助と同じく尼子に仕えており、父・光清の代には忠臣の呼び声も高く、歴代の尼子当主からの重用されていた。その光清は天文十一年(1542)に大内義隆が出雲に遠征してくると瀬戸山城で防戦したが、武運つたなく敗死している。しかし、その時の当主・晴久は光清の功績を称えて赤穴家を加増して報いていた。
それなのに盛清は尼子を裏切り、先鋒となって月山富田城へ攻め寄せてきたのだ。そうした経緯から、鹿之助としては盛清は許すことの出来ない存在だった。
復讐の鬼と化した鹿之助は、猛然と赤穴隊へ襲いかかった。
「尼子を裏切り、毛利の手先に成り果てた赤穴に遠慮はいらぬ。叩き潰してくれるわ!」
尼子勢の攻勢は強く、数でこそ赤穴に劣っていたが勢いは完全に尼子にあった。赤穴の前衛は長柄による槍衾によって一気に崩され、早くも白兵戦へと突入していく。
「このまま押し切ってくれる!」
馬上で吼える鹿之助。
鹿之助が陣頭に立って槍を振るっている所為か、尼子の勢いは衰えることを知らず、ジリジリと後退する赤穴隊。ただ盛清とて鹿之助の武勇はよく知っている。即座に信直へ使いを送り、尼子の側面を衝くように依頼した。
「攻めるだけが戦ではないわ。退くことも戦よ」
盛清は熊谷隊が側面を衝く時まで耐え凌げばいいと割り切り、それを兵たちにも伝えていく。一時の我慢と知れば、不思議と兵たちの気持ちも和らぎ始め、各所で粘りを見せる。
その様子に尼子の参謀として働いてきた立原久綱は、冷静な判断を下していた。
「鹿之助め、少し深入りし過ぎじゃ」
「ならば私から退くように命令するか」
「いえ、それには及びませぬ。ここはせっかくですので、蒲生殿に働いて頂きましょう」
猪突する鹿之助と違い、久綱の目には自軍の側面へ回り込もうとしている部隊の姿を捉えている。それを戦の判らぬ勝久は頼もしく思った。
「蒲生殿へ伝令じゃ。我らはこのまま攻め続ける故、側面に攻め寄せる熊谷勢を御任せしたい、と伝えよ」
「承知いたしました」
尼子の陣から蒲生賦秀の許へ使番が走った。
久綱からの依頼を聞いた賦秀は、すぐに動いた。
「上様から御預かりした鉄砲隊の出番ぞ。一斉射の後、一気に敵を打ち崩す」
賦秀は別働隊支援の為に義輝から鉄砲衆一五〇を預かっていた。それらを率い、自ら尼子の側面へ回り込んでいく。一方の熊谷勢からも蒲生勢の動きは見て取れたが、本隊は既に浅井勢と戦闘に入っており、これ以上の兵を割く余裕が信直にはなかった。
「鉄砲を撃ちかけよ。その後、我らが突撃する」
ズラリと突き出された鉄砲が、賦秀の命令で火を噴く。
この鉄砲による攻撃を受けた熊谷別働隊は思わずたじろぎ、前進が止まった。その間に賦秀は尼子との間を割るようにして入り込み、別働隊が狙っていた尼子の側面攻撃を防ぐことに成功した。
「それにしても浅井の強いことよ。上方の兵は腑抜けとばかり思っておったが、骨のある者もおるではないか。はてさて如何したものか…」
著しく膠着した戦況に信直が嘆息する。
山田に於ける戦闘は僅かに毛利方が劣勢であったが、兵の数を考慮すれば互角の戦いが出来ていると考えてよかった。実際、信直は決め手に欠けるものの倍近い浅井の攻撃を真っ正面から見事に受け止めている。しかし、かといって自由に兵を動かせるほどの余裕はない。現に狙っていた側面攻撃は防がれている。
「殿。このままでは公方様よりの主命を果たせませぬぞ、我らが毛利の背後を衝かねば、勝利は有り得ませぬ」
また長政の陣でも熊谷勢の粘りに遠藤直経が苛立っていた。
「そう急くな。毛利の本隊は義兄上が引き受けて下さっている。ここは時間をかけ、じっくりと攻めればよい」
直経の苛立ちに比べ、主の長政は意外にも焦っていなかった。
長政とて直経の不安は判る。毛利への勝利には浅井の帰国が懸かっており、万が一でも負けることは許されない。隣国の領主で往年の盟友たる朝倉が謀叛した以上は、浅井の将兵の誰もが一刻も早い帰国を望んでいる。留守兵を残しているとはいえ、朝倉家と浅井では国力に倍以上の開きがあるのだ。皆の不安は、留守の間に所領を失ってしまうことを懸念してのものであることは長政も承知している。
それでも長政は落胆していない。
(国に残してきた者たちは、いざとなれば義兄上の領地へ逃げられる。それよりも左衛門督殿が謀叛した以上は、小谷へ戻り次第に越前へ攻め込まねばならぬ)
家臣たちの思惑の余所で、長政は密かに決意を固くしていた。
朝倉との友誼は大切だが、幕府ひいては義輝へ逆らってまで与しようとは長政は思わない。ならば朝倉の所領は浅井が攻め取る。家中でも越前に知り人が多く、朝倉なき越前の地を治めるに相応しいのは、浅井を於いて他にない。
ここで国を失っても取り戻し、尚且つ所領を倍増できるという打算が長政にはあった。
やはり長政も乱世に力で名を轟かせた戦国大名の一人であった。
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迂回部隊が激闘を繰り広げている頃、高梁川の南方・酒津では同族同士が戦っていた。
つい先日に三村元親を裏切り、幕府へ降った三村親成率いる備中勢と毛利の許へ逃げ込んでいた庄元祐改め三村元祐、石川久式ら元三村の者たちである。
この時、奇しくも成親と元祐は三村の当主として戦に望んでいた。親成は元親の後継として義輝に認められており、元祐もまた元就によって三村家を継ぐことを許されていた。
三村の当主同士が、自らの大義を懸けて戦っていたのである。
「我が身かわいさに元親殿を裏切った伯父上が、ようも儂の前に出て来られたものよ!」
「怨恨で御家を危険に晒した者が何を申すか!家を保つことこそ武門の道。幕府へ従うことが武家の正道じゃ」
二人の激闘は、率いる兵の数からはとても想像が出来ないほど激しいものだった。元祐は敗残の将であり、兵も多くはない。それでも死を顧みずに猛然と襲いかかり、無謀な突撃を繰り返していた。それはまるで実弟である元親の亡霊が憑り移ったかの様だった。
また親成も既に幕府へ従うしか生きる道はなく、ここが忠義の見せ所と弁えていたために必死になって檄を飛ばし、元祐の猛攻に耐えている。
「ふむ…南の布陣が弱いな。紀伊守(成親)が粘っておるが、いつまでも保つものではあるまい。毛利とて福原、桂の軍勢を控えておる。今の浦上では支えきれぬかもしれぬ」
本陣では、その元祐の猛攻に義輝が次の手を打ちかねていた。
中央では織田勢が期待通りの活躍をしている。杉原、楢崎の前衛は崩され、毛利は両川の一角である小早川を投入してきている。それでも織田勢の優位は揺るいでいない。
また北側は和田惟政と池田勝正ら摂津衆が宍戸隆家の部隊と一進一退の攻防を続けているが、此方へは戦況次第で一色藤長と三好義継を投入するつもりでいるので、さして問題視していない。
残るは南だった。
南は浦上と三村で一万余の兵力があるが、麾下の宇喜多は先の松山城攻めで大きな被害が出ており、宗景も何処まで本気で戦うか怪しいものだった。南方へは、安心できる者を投入するしかない。
そこで義輝が指名したのは、今年の初めに初陣を済ませたんばかりの弟だった。
「晴藤。そなたが助けてやれ」
「わ…私がですか!?」
いきなりの指名を受けた晴藤は、身を仰け反らせて驚いた。
「そう驚くこともなかろう。大将たる者は、もっとどっしりと身構えておくものぞ。播磨の者どもを付けてやる故、安心いたせ」
「……判りました。必ずや敵を打ち破って見せまする」
そう言って無理矢理に虚勢を張る弟を見て、義輝はフッと笑った。
「気張る必要はない。無理に敵を討とうとは思わず、戦線を維持すればよい。毛利の備えは、弾正が突破してくれよう」
長い高梁川流域での戦闘は、何処か一ヵ所が敗れれば堰を切ったように崩壊するはずだ。もちろん空いた穴は未だに戦線へ投入されていない吉川元春が埋めるだろうが、吉川に備えた兵力が義輝には播磨勢を投入しても残っている。
それが数の多い幕府勢の強みだ。
しかし、戦局は意外なところから急展開を見せることになる。
【続く】
ついに始まりました幕府と毛利の合戦です。
久しぶりに合戦模様を描きましたが、細かくと書くと合戦だけで四、五話とか使っちゃいそうで、短くすると描写が上手く伝わらない。まだまだ勉強が必要なようです。
さて比較的に幕府が押している形となりましたが、まあ兵が二万以上も多いので無理もないことだと思っていますが、吉川元春が未投入など予断を許さない状況にあります。
続きは次回となりますが、今回は合戦回だったので早めに上げられればと思っています。(保証はありませんが…)
そして今回は読者様へ一つアンケートを採らせて頂きたいと思っています。アンケートといっても難しいものではなく、単なる募集です。何を募集するかといえば……
それは主人公である足利義輝の“馬印”です。
織田信長ならば“金の唐傘”、豊臣秀吉なら“千成瓢箪”が有名ですが、家紋と違って馬印とは全ての武将が持っているものではありません。もちろん義輝の“馬印”はありません。(私が知らないだけかもしれませんが…)ただ仮に本作のようなIFに歴史がなった場合、義輝にも“馬印”が必要だと思うのです。
筆者が考えてもよいのですが、最期まで構築済みのシナリオと違い“馬印”はまったく考えていなかったので、ここらで読者様に案を出して頂ければと思った次第です。登場は次回というわけにはいきませんが、この次の合戦には出したいと思っています。
但し、どれにするかは筆者の独断で決めさせて頂きますので、その辺りは予めご了承下さい。発表は、概ね案が出揃った時点の次の回の後書きでさせて頂きます。
宜しく御願いします。




