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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第四章 ~忘恩の守護大名~
58/201

第二幕 揺らぐ天下 -毛利百年の計-


永禄十二年(1569)十一月七日。

備中国・幸山城


急使が足利義輝の許へ駆け込んで来たのは、一色藤長を始めとする幕臣たちを集め、対毛利戦へ向けて協議中のところであった。


「も…申し上げます!!」


男は肩で息をしながらも、必死に声を絞り出していた。


その様子からして、余程のことが起こったものだとは想像がつく。しかし、それが何であるかを察しがつく者は義輝を含めて誰もいなかった。


誰もが男の次に吐く言葉を息を呑んで見守る。


「朝倉義景が謀叛!京極、一色、山名らも朝倉と通じ、兵を挙げてございます!」


義輝の両眼がカッと見開く。衆議は一気に騒然となった。


「まことか!」

「はっ!朝倉勢は鳥取城を落とした後、挙兵に踏み切った由」

「莫迦な…」


それだけを言って、義輝は言葉に詰まった。その義輝の代わりに、蒲生賦秀がもっとも義輝の欲している情報を訊く。


「確認だが、山陰勢の全て裏切ったのではないのだな」

「はい。謀叛に及んだのは先ほど申し上げた大名たちのみです」

「ならば、明智殿は如何した。波多野殿を始めとする丹波勢や筒井の者どももおったはず」


光秀らのことを訊かれ、男は言い淀んだ。


「それが…、明智光秀殿を始め、波多野秀治殿、赤井直正殿らは行方知れずにございます。筒井勢は何とか戦線を離脱したようにございますが、いま何処にいるかは判りかねまする」

「何ということだ…」


余りの衝撃に大きな(どよ)めきが起こった。


義輝は義景を信用していなかったとはいえ、謀叛に及ぶことなど考えもしなかった。それは、義輝が義景の力を認めていなかったからに他ならない。それだけの器量すらないと。


(おのれ義景ッ!)


次第に感情が込み上げてきた義輝がいきり立つ。


天下泰平への道筋が大きく崩れた瞬間だった。


既に義輝の敵は、毛利家と大友家に絞られていた。他は今の幕府に比べれば弱小勢力でしかなく、この二家さえ屈服させてしまえば天下は定まるはずだった。いや敢えて言うならば、毛利すら倒してしまえば疲弊している大友は敵ですらなかっただろう。その決戦の直前で、謀叛が起こった。


(義景めは叩き潰すのは造作もないが、光秀らの安否が気になる。無事であってくればよいが…)


義輝は義景如きに負けるとは微塵も思っていない。しかし、光秀を始め有能な丹波勢を失うことは、義輝は手足をもがれたも等しい。それでは外様を頼るしかなくなり、天下を一統したところで幕府はかつての姿にしか戻らない。開祖・尊氏を尊敬している義輝であるが、幕府を元の姿へ戻すだけでは天下泰平は訪れないと確信している。


故に光秀らを始めとする有能な家臣たちの力が必要だった。


「それにしても朝倉殿も血迷われたか。謀叛に及んだところで、上様に敵うわけがあるまいに」


そう言ったのは藤長だ。


山陽にいる義輝の軍勢は七万六〇〇〇。それに対して裏切った山陰勢は凡そ半数の三万数千でしかない。しかも義輝は畿内に織田勢を始めとする留守居の兵を残してきている。端から見ても勝ち目がある戦いには思えなかった。


それに疑問を呈したのは、和田惟政だった。


「式部少輔殿。それは余りにも安直な考えでは?」

「どういう意味ですかな、和田殿」

「確かに謀叛した者どもらの兵は少ない。戦えば我らが勝とう。されど、それは敵が毛利と通じていなければという前提があってのこと」

「奴らが毛利と通じていると申されるか!」

「そうでなければ、毛利が三原から出てきた理由に説明がつかぬ」


惟政は毛利の侵攻と義景の謀叛を結びつけて考えていた。


義景が謀叛を起こした以上、義輝は畿内へと兵を返さなくては退路を断たれてしまう恐れがある。松山城にいた頃ならば容易に撤退できたであろうが、毛利と対峙してしまった今はそれが不可能となった。撤退すれば、熾烈(しれつ)な追撃に遭うことは目に見えている。


この不可解な毛利の備中侵攻は、まず間違いなく義輝を逃がさないためだと考えられる。仮に幕府と毛利が合戦に及ぶ場合、確実に水軍の援護を得られる三原の方が有利だからだ。そして、それは謀叛が起こることを初めから知っていなければ不可能な行動だった。


(元就め…、これが狙いであったか)


最初から元就は、三村元親を朝倉義景が謀叛に及ぶまでの時間稼ぎに利用するつもりだったのだと義輝は断じた。


「急ぎ主だった者を集めよ。火急の軍評定を開く」


これほどの大事が起こった以上、皆に知らせぬわけにはいかない。その上で今は対応を協議するしかない。


義輝の心には、確実な焦りがあった。


=======================================


同日。

備中国・岡田(毛利本陣)


幕府陣営に山陰勢謀叛の報せが届いた頃、元就も麾下の将へこの戦に於ける本当の目的を告げていた。


「儂は天下を欲してはおらぬ。毛利は、天下を競望してはならぬ。天下を支配する者は如何に栄耀栄華を誇っても、何代か後には一門の枝は折れ、株絶えては末代の子孫まで続くことはない。天下に旗を翻し、武名を一世に挙げるよりは、六十余州を五つに分けてその一つを保ち、栄華を子々孫々まで残すのだ」


これを元就は“我が遺言と心得るべし”とまで言った。


そうまで言ったのは、実のところ元就は己の死期が近いことを悟っていたからだ。ここ数年は床に伏せることも多くなり、心身に衰えを感じている。甲冑がこれほど重いと感じたのも、今まではなかったことだった。にも関わらず、尼子を滅ぼし、九州の権益を手に入れるために老骨に鞭を打つ日々が続いている。それは全て、毛利の家を保つため。


(もはや戦場に出られるのも僅かであろう。隆元が生きておれば違う選択をしたやもしれぬが、輝元では心許ない。儂が死ぬ前に、何としても毛利の行く末を定めておかねばならぬ)


謀将と恐れられた元就の強い決意が、そこにはあった。


だが御家安泰のためとはいえ、そのやり方を受け入れられない者もいる。


「そのために父上は、朝倉の謀叛を煽られましたか」


怒気を含んだ言い方をしたのは吉川元春だ。三村を使い捨てにした父へ対する怒りが、そこにはあった。


「煽ってなどおらぬ。謀叛を起こしたのは、あちらの都合であって儂は無関係じゃ。いま少し早ければ、元親殿を死なせずに済んだはずだ」

「本当でございましょうな」

「偽りはない。その証に、儂は朝倉の謀叛に加担する気はさらさらない」


この発言に毛利の首脳陣は困惑した。


いま毛利は幕府と対峙している。いつ合戦が始まるか判らない状態なのだ。幕府に討ち勝つには、謀叛した者どもと連携するのは一番に思える。なのに元就は、加担する気がないと言い切った。


(朝倉義景め。腰が重いと聞いてはいたが、噂通りだったとはな)


元就が義景の謀叛を知り得たのは、義景から誘いがあったからだ。義景にすれば、幕府に攻められる毛利を味方に引き込めると考えたのだろうが、元就の考えは大きく違った。


朝倉の謀叛は、あくまでも毛利安泰のために利用する。それが元就の考えだった。しかし、元就は単に利害が一致していただけの武田高信と違い、毛利へ忠義を尽くした三村を見捨てる気はなかった。それが元就が山陽と山陰に向けた兵力にも如実に現れている。山陰へは南条元清を送ったのみで、しかも因幡へ兵を入れることを控えた一方で山陽へは毛利の全軍を揃えた。それは三村を見捨てないためだ。仮にもう少し早く義景が決起していれば、元親は死ぬこともなかったはずだ。


(そう…、こちらの思う通りにはいかぬものだ)


と、元就は大きな溜息を吐く。


「されど、我らは既に幕府と敵対しておりますが…」


福原貞俊が口を開く。


幕府が毛利と戦うために兵を進めてきていることは事実である。元就が朝倉の謀叛に加担しないのであれば、和睦するのか。これから幕府と戦うかもしれない貞俊ら家臣としては、それを知る必要があった。


「毛利は、幕府と敵対してはおらぬ」


だが元就の見解は違う。皆、幕府勢を目の前にしたことで錯覚しているが、未だ毛利は幕府と戦端を開いてはいないのだ。そして幕府は表向き西国の平定を大義名分に掲げており、毛利には討伐令は出されていない。これは義輝が毛利を許すつもりだったからであり、暗に元就へ降伏を促していたからだ。その駆け引きが、ここで最大限に生きた。


「この年の始め、儂が公方様へ恭順を誓ったことは皆も知っておろう」


それを元就は皆に判るように公言した。


「よいか。毛利の家が続いていくには、天下が治平たることが何よりも肝要である。これを成せるのは、義輝公を於いて他になし」


そのように元就は断言した。義輝が元就を認めているように、元就も義輝を認めていたのである。


その義輝が天下を盤石にしてこそ、中国の覇者として毛利の安泰はある。かつて天下が乱れに乱れていた時代、中央の争乱に何度も巻き込まれた経験から、そう元就は判断していた。


(朝倉…いや、奴らが担ごうとしている御仁では、天下は纏まるまい)


この謀叛の裏に潜む黒幕の姿を、元就は朧気(おぼろげ)ながら感じていた。それでも尚、義輝が勝つと判断している。問題は、義輝が毛利へ三ヵ国の領有しか認めないことだ。一連の策は、全てこれを見直させるものだった。


そして、元就が今後の指示を出す。


「公方様へ使いを出す。此度の謀叛は天下を揺るがす一大事、我が毛利は義輝公へ揺るぎなき忠誠を誓うと共に西国八ヵ国の兵を以て公方様へ馳走いたす。そう伝えるのじゃ」


元就の命令により毛利の使者が義輝の本陣を訪れるのは、この少し後のことである。


=======================================


元就の言葉は、義輝を激昂させるには充分なものだった。


「元就めッ!ようもぬけぬけとぬかしおったな!」


義輝の顔は赤らみ、額には血管が浮かび上がる。その凄まじい剣幕に諸将はたじろいだ。


「さ…されど、これで毛利が味方となったわけですし、無事に兵を返すことが出来るのでは…」


堪りかねて声を出したのは浦上宗景を義輝はギロリと睨み付ける。


備前守護である宗景にすれば、謀叛が起きた以上は毛利との最前線に置かれることとなる。当然、幕府勢は全軍を引き返すことになるので、毛利は浦上一手で抑えなければならない。かつて播磨と美作に勢力を有していた時代の浦上ならばそれも可能かもしれないが、所領が備前一国となり、宇喜多直家という不穏分子を抱えた状態の今では厳しい話だった。


今の状況では、宗景にとって毛利が味方となることほど有り難い事はない。それも向こうからの申し出なのだから尚更だ。実際、利点がないわけではない。毛利が味方となれば義輝の軍勢は十三万へと膨れ上がり、義景が如何なることを企んでいようとも、恐れる必要はなくなる。中国の平定も成る。


しかし、それに安易に乗る義輝ではない。


「阿呆!元就は毛利に八ヵ国を認めよと、余を脅しておるのだぞ」


何処の国という指定はないが、元就は確かに“西国八ヵ国の兵を以て”と伝えてきた。それは八ヵ国を認めねば、謀叛方へ与すると言っているのと同じなのだ。


(征夷大将軍ともあろう者が、たかが一大名の脅しに屈してなるものか!)


義輝の目指す天下は、そのようなものではない。将軍には、絶対なる力が必要なのだ。ここで屈すれば、かつて管領・細川や三好長慶の傀儡となっていた頃へ回帰してしまう。


「ここで毛利と戦は避けるべきかと存じます。八ヵ国は認められぬとしても、五、六ヵ国辺りで折り合いを着けては如何でしょうか」

「ならん。毛利に認められるのは三ヵ国のみだ」


折衷案を唱えた蜷川親長に対し、義輝は一切の譲歩をしないことを告げる。


「それで本当に宜しいのですか」


確認するのは、織田信長だ。しかし、信長の言うことだから言葉通りの意味ではない。


「弾正…、何が言いたい」

「上様とて気付いておられましょう。義景如きに大それた真似は出来ぬ、と」


義景が謀叛に及ぶと義輝が考えなかったのは、それだけの能力が義景にないと思っていたからだ。その評価は、謀叛に及んだ後も変わってはいない。


「義景如きに大名共を纏められるはずがない…か」

「まず間違いなく、義景の他に大名共を纏め上げた者がおるはずです」

「元就…ではなかろうな」

「違うと思われます。もし元就であれば、先ほど毛利の使者が申したことは、味方に対する重大な裏切りとなります。仮に元就が義景を利用したとしても、謀叛方の口から密約があったことが明らかになれば、再び幕府の討伐対象となるのは必定にございます。義景と違い、元就はそこまで阿呆ではありますまい」

「…誰が黒幕か、元就は知っていると思うか」

「それは判りませぬ。されど戦えば上様が勝つと考えているからこそ、使者を遣わして来たことは間違いございませぬ」

「陸奥守め…、好かぬ事をする」


この時、義輝も元就に将軍として認められていることを知ることになった。義輝も人である。稀代の謀将、名将と称される元就に認められて悪い気はしない。


先ほどまであった元就への敵愾心が和らいでいく。それは元就へ対する呼称が陸奥守へ戻っていることからも判る。


ならば、誰か仕組んだのか。ふと義輝の脳裏に留守居を任せた弟の姿が浮かんだが、すぐに否定した。血筋としては有り得るが、義景同様に能力が欠けている。


(陸奥守が余を認めておるのであれば、多少は強引な手を使っても幕府に服するやもしれぬ)


義輝は冷静になった頭で、今後の方策について再び考えた。


やはり毛利に八ヵ国は認められるものではない。力を持ちすぎてしまう。三ヵ国の条件を呑ませるしかないが、受け入れる見込みは皆無だ。受け入れさせるには、合戦で勝つしかない。


「弾正、義景めはこちらに来ると思うか」

「山陰におる間は義景も兵站に不安を抱えております。余程の阿呆でなければ、京を抑えることを優先させるでしょう」


山名と一色は別として、朝倉と京極は丹波があることから領国と分断されている状態にある。このまま山陽に出てきて義輝と一戦に及ぶ危険を犯すよりは、京の確保して兵站を確保すると共に山陽に義輝を孤立させる方を選ぶと思われた。


「ならば毛利が余の要求を受け入れぬ場合、合戦することとする」


義輝は毛利と戦う決心をした。


場はどよめき、諸将は互いに顔を見合わせる。この状況で義輝が合戦を決断すると思わなかったのだ。


「茨の道を進むことになりますが、宜しいのですか」

「天下泰平への道は、元より茨の道よ。何を今さら躊躇する必要がある。ここで毛利を屈服させ、京へ戻って義景を討つ」

「…承知いたしました」

「うむ。特に毛利に打ち勝つには弾正の力が不可欠じゃ。頼りにしておる」

「はっ」


義輝の言葉に、信長は頭を下げた。信長にしても領国へ戻るには、毛利との一戦に負けるわけにはいかないので、死力を尽くして戦わなければならない。


「ならば策を申し付ける…とは言いたいところだが、これは策と呼べるほどのものではない。あくまでも力と力の勝負、強い方が勝つこととなろう。つまりは真っ向からの戦で、陸奥守へ幕府には敵わぬことを知らしめるのだ」


義輝が絵図を指し示しながら説明する。


「毛利の本陣正面、ここ川辺あたりは川幅が狭く渡河しやすい地形となっておる。当然のように毛利は兵を集中させており、渡河するには相当に難儀することであろう。突破する鍵を握るのは、鉄砲じゃ」


そう言って義輝が先鋒に指名したのは、多くの鉄砲を所有する織田勢である。この中で唯一、単独でも毛利とやり合える実力の持ち主であり、毛利正面を任せるには相応しい大名だ。


「また夜の間に北側より兵を迂回させ、毛利の背後を衝く」


高梁川の西岸は義輝が兵を退かせたために毛利の勢力圏に戻っているが、山陽道沿い以外のところは未だに幕府に属していた。義輝の策は、それを橋頭堡として兵を安全に渡河、鬼身城の上田家実と合流させた上で毛利の背後を襲わせるというものであった。


「されど上様。毛利とて背後は警戒しておりましょう」

「我らは兵の数で余裕がある。一万以上の兵を差し向ければ、必ずや毛利の背後を衝けよう」


義輝の策は特に小細工を弄するものではなく、その兵力を生かした包囲作戦であった。元々義輝は多くの戦国武将が好むような奇策を用いることはなく、正面きっての戦を好む。それは武人としての気質もあるが、局地戦での戦術よりも大局を見据えた戦略を重視しているからである。今回もそれに則したものであり、正攻法であるが故に衝け込まれる隙も少ない。これならば、仮に敗れても大敗はあり得ない。


「その迂回する部隊だが、誰ぞやってみたい者はおるか」


義輝の呼びかけに真っ先に反応したのが、毛利を宿敵とする山中鹿之助であった。


「我ら尼子にお任せ下され。必ずや毛利の備えを突破して御覧に入れまする」

「うむ。期待しておる…が、尼子だけでは兵が足りまい。他に誰かおらぬか」

「…それならば、浅井勢が適任かと」


信長が迂回部隊を担当する将として義弟の長政を推挙する。浅井勢は七〇〇〇と兵の数も多く、突破力にも長けていた。


「お任せあれ。この長政、義兄上の期待に応えてみせましょう」


武将として尊敬する信長に指名されたことが嬉しかったのか、長政は鼻息を荒くして息巻いた。


「左衛門佐ならば余も異存はない。見事、毛利の背後を衝いてみせい」

「ははっ」


長政は迂回部隊の大将に選ばれ、これに尼子勝久、そして蒲生賦秀が副将として加わることになった。


かくして、義輝は謀叛を起こした朝倉義景を討伐する前に毛利と一戦する決意をした。明朝に毛利へ最後通告をし、正午まで返答がない場合もしくは拒否された場合に合戦を始めることとした。


そして迂回部隊は夜陰に紛れて移動していく。


両軍で十万を超える大合戦が、間近まで近づいていた。




【続く】

さていよいよと合戦へ動き出しました。


意外や意外?謀叛の黒幕でなかった元就ですが、畿内の大名たちとの接点に欠ける状態で大規模な(はかりごと)は元就であっても不可能と思いました。(誰が黒幕かは何れ…)しかし、状況を最大限に利用するのは流石に元就です。何に利用するか…というところは、御家安泰にです。


元就の死期は史実で一年半ほど先であり、本作品でも延びたりはしません。そういうIFは余程の要因がなければ成り立ちませんからね。特に病死は。また元就の死因は老衰及び食道癌と伝えられていますので、この時期に何かしら身体に影響が出ていても不思議ではなく、死期を悟った元就の行動は全て毛利安泰のために繋がるとしています。そう考えた場合、この展開が一番と思いました。


まあ本編中では義輝の覚悟を見抜けなかったところがありましたが、一度も会ったことのない相手ですので見誤っても仕方がないと思います。普通の大名ならば、八ヵ国を簡単に認めて和睦に至ったことでしょう。


次回は元就の筋書きを脱線して合戦となります。一波乱あった後にようやく幕府と毛利の戦となりましたが、本文中でもある通りに三原での合戦よりも幕府が有利になっています。ただ一方的にやられる元就では…ありませんね。はい、そうです。意地を見せますし、各々の武将の反応も描いていきます。

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