第一幕 叛逆の狼煙 -景恒の遺言-
永禄十二年(1569)十月十七日。
因幡国・鳥取城
これより十日前、山陰道を進む幕府勢は毛利方の属将・武田高信の鳥取城を包囲した。京を出陣してより一月余りが経過していたが、義輝の意を受けている明智光秀は不満だった。何故ならば、山陰勢より早く義輝は三村の居城を包囲していたからだ。
義輝のいる山陽道には毛利の本隊がいる。その数は三村も合わせて凡そ六万にも及ぶ。反面、山陰道には毛利の兵は殆どおらず、敵らしい敵といえば武田高信と南条元清くらいだった。両者の兵力を合わせても一万を僅かに越える程度であり、五万を越える山陰勢からすればどうどいうことはない数である。
それなのに山陰勢は、未だ鳥取城を抜くことが出来ずにいる。
敵勢が少ない山陰勢は、さっさと鳥取城を攻め落として出雲へ攻め入り、少しでも義輝の負担を減らすことが求められる。それが判っていながら、総大将・朝倉義景の腰は相変わらずに重かった。
「中務大輔様(朝倉景恒)、義景様は何を考えておられるのでしょうか。本気で鳥取城を攻め落とす気があるとは思えませぬ」
「御屋形様は慎重な御方じゃ。此度も鳥取城を裸城とし、それから攻めるつもりであろう」
「策としては判りますが、それでは遅すぎますぞ。あと一月もすれば、雪が降り始めましょう」
鳥取城を包囲して後、軍評定が開かれた。そこで義景は鳥取城を攻めず周囲の城を先に落とすことを宣言した。無論、これに光秀が異を唱えようとしたのは言うまでもないが、先の宴で不興を買っている光秀の言を義景が受け入れるはずがなく、こじれるだけとして景恒が事前に制止していた。
故に軍評定は、義景の思うがままに進んだ。
具体的には、京極勢を南方・播州街道沿いにある妙見山城や生川城へ派遣して制圧させ、西因幡へは祐豊の配下・山名豊国を向かわせる。豊国は前因幡守護・豊数の弟であり、因幡平定に欠かせぬ人物だった。
「さて肝心の鳥取城攻めだが、先手は上様の御命令通りに金吾殿へ御願いしたい」
「うむ。任されよ」
祐豊が自信を以て応える。鳥取城はかつて自分のものだったことから、何処が弱点が全て判っているといった顔だ。
「鳥取城を落とすには雁金山を抑えるが肝要にござる。左衛門督殿、一隊を派遣しておくのがよかろう」
「流石は金吾殿じゃ。ならば雁金山は式部大輔殿(一色義道)に御願い致す」
「承知した」
義道が承諾したことで、軍評定は終わりを告げた。
それから雁金山は早々に抑えることに成功したが、城自体の攻略が開始されるまで十日を費やした。京極勢が南方の枝城を確保したことを機にようやく城攻めが開始されたものの曲輪群へ攻め登る山名勢へ対して、武田高信は大石や丸太を容赦なく落としてくる。恐らくは、この日のために予め大量に用意していたのであろうが、それに怯んだ山名勢は犠牲を恐れて散漫的な攻撃に終始するばかりで何も進まなかった。
「退け!退けー!」
まだ攻め始めて間もないというのに、祐豊は撤退の下知を出す。これが五日も続いているのだから、光秀が苛立つのも無理はない。だからこそ景恒の陣を訪ね、今後の方策を練っているのだった。
「義景様は上様の命を重視する余り、先手を交代させようとしませぬ。我が鉄砲隊を用いれば、あの程度の曲輪の一つや二つ、簡単に落として見せるものを…」
「されど御屋形様が日州(光秀)の進言を受け入れることはあるまい」
「承知しております。故に中務大輔様から先手の援護に明智勢を、と申して頂ければと思った次第でございます」
「ふむ…」
景恒とて悪くない策だと思う。因州各地の制圧も順調であり、南条勢も伯耆の防備を整えることを優先させているようで、高信救援へ駆け付ける様子もない。いま鳥取城が落ちれば、因州の大半は一気に幕府方へ靡くだろう。そうすれば、そのまま伯耆へ討ち入れる。
翌日。景恒は義景の陣を訪ね、先手の交代を進言した。
「景恒もその様に思うか。実は儂も山名勢の不甲斐なさに呆れておったところじゃ。あのような醜態を晒すようでは、因幡が高信如きに奪われるのも無理もないのう」
意外にも義景は景恒の言葉に同意を示した。
「されど上様の御命令を蔑ろにするわけにはいかぬ。今日一日だけ機会を与え、落とせぬ様であれば代えるとしよう」
「はっ。畏まりました」
その様に義景は言ったが、その日も山名勢は同じように敗退した。そこで陣替えが行われ、丹波勢が先手となり、その援護に明智勢が選ばれた。
「よし!これで戦の主導権を握れる」
と意気込んだ光秀に、波多野秀治ら丹波衆も共感を抱いていた。
「朝倉殿の戦はどうもちまちましていて好かぬ。明智殿、我らで戦を終わらせてしまおうぞ」
「はい。恐らく明日は敵の抵抗も激しいかと存じます。我らが支援いたしますので、存分に御働き下さい」
「ほう…明智殿は我らに手柄をくれると申すか」
光秀の謙虚な申し出に赤井直正はニンマリとした。丹波衆は自国が山岳の多いところである所為か、山岳戦に滅法強い。こういった戦には慣れており、確実に勝利できる自信が直正にはあった。
「大事なのは、一刻も早く雲州へ入ることにございます。功名争いをしている暇はございませぬ」
「これは耳の痛いことを言う。ま、明智殿が手柄をくれると申すなら、遠慮のう貰うまでだがな」
陣替えに一日を費やした後、鳥取城攻めは再開された。直正は言葉通りの強さを見せ、城方の抵抗に一切の怯みなく、攻勢を強めていった。城方は前の山名勢の如くすぐに退くと考えていた所為か、曲輪への接近を許してしまう。
「今じゃ!放てッ!」
そこに光秀の鉄砲隊が火を噴いた。
城攻戦に於ける五百挺もの鉄砲隊は壮観であるが、何よりもこの鉄砲隊の精度が半端ではない。城壁から大石を落とそうと顔を見せた者を容赦なく狙い撃っていく。かなりの練度である。
「こりゃ楽だ。流石は上様に重用されるだけのことはある」
秀治が感嘆の一言を漏らした。
丹波で国内の統治に当たる秀治と滋賀郡を治める光秀は余り接点がある方ではない。三好征伐で同陣した他は年賀の席で顔を合わせるくらいで、きちんと光秀の軍才を見たのはこれが初めてと言っていい。
鉄砲隊の活躍により、城方の抵抗が弱くなった。
「これで城を落とせぬようでは我らの面目は丸潰れだな」
「波多野殿。ここはどちらが先に本丸を落とせるか競争と参りましょうぞ」
「ならば先に行かせて貰おう」
秀治と直正が先を争うように城を攻め登っていく。最初の曲輪が落ちてからは敵の抵抗も本腰を入れたものとなり、激しさを増した。
「臆するでない!丹波武士の強さを見せ付けい!」
丹波勢が死を顧みずに柵へと取り付き、城方は必至になって槍を突く。それが繰り返される度に柵が兵たちの血で赤く染められていくが、兵力差から次第に攻め手が押し込んでいく。そして、柵が突破されれば後は脆いものだ。その日の内に波多野勢が三ノ丸を奪い、次の日には赤井勢が二ノ丸を落とす。ここまで制圧すれば、鳥取城は落としたも同然だった。事実、この時を以て武田高信は抵抗を諦めて自刃を決意していた。
そして十月二十七日。
鳥取城に於いて最後の攻撃が行われた。本丸にはもはや抵抗する力は残っておらず、高信が自刃する時を稼ぐだけである。正午過ぎに高信が自刃して果てたのを機に降伏して開城するに至った。庇護者を失った山名豊弘は祐豊が預かることとなった。
光秀と丹波衆はそのまま城の接収に当たっていたが、その時に義景から使番がやってきた。
「我が主が丹波守様と赤井様を御呼びにございます。鳥取城攻めについて報告されたし、とのことにございます」
「報告?それならば既に使いを送っておるが…」
義景の呼び出しに秀治と直正は目を見合わせ、首を傾げた。義景とは主従関係にないとはいえ、総大将であるから当然のように城攻めの様子は報告している。
「主は御二方の活躍に随分と興奮されております。ついては直に労を犒いたいので、本陣まで御越し頂きたいと仰せでございます」
「なるほど、そういうことでござるか」
それを聞き、二人は得心がいったようだったが、呼び出しに光秀の名前がないことへ疑問を感じた。城攻めの主力は確かに丹波勢だったが、光秀の鉄砲隊も大きな役割を果たしている。
「手前のことは気になさらずに結構でございます。ここは受け持ちますので、どうぞ行かれて下さいませ」
自分は嫌われているから仕方がないといった感じで光秀は答える。秀治と直正はバツの悪そうな顔をしたが、総大将からの呼び出しを断るわけにもいかず、光秀に城の接収を任せて義景の本陣へ赴くことにした。
(私はいいのだ。今は役目に励むのみよ)
光秀とて功名心がないわけではない。しかし、それを果たすのは義景の許ではなく義輝の許だと思っている。故に気にすることなく作業を続けることにした。
これが、光秀が二人の姿を見る最後のなるとは知らずに…
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その夜。
明智勢により城の接収が完了したのだが、秀治と直正は最後まで戻って来なかった。
(義景様のことだ。また宴を開いて御二方を巻き込んでおられるのだろう)
作業の完了を見届けた光秀は、山道を落ちながら溜息を漏らしていた。そんな折りである。突如として光秀は鎧武者たちに取り囲まれた。
「何奴ッ!」
咄嗟に家臣である明智光忠が主を守るようにして前に出た。
「明智光秀殿であるか?」
「如何にも。かかる無礼、何処の家中の者であるか、名を名乗られい!」
無礼な振る舞いに光秀は動じることなく大音声で告げた。しかし、相手の対応は予想だにしないものだった。
「上意である。ここで死ぬがいい」
いきなり武者たちが刀を抜いたのである。これに明智勢も抜刀し、斬り合いとなった。初撃は光忠が防いだが、数からしてこちらが圧倒的に不利だった。
「殿!ここは拙者に任せて逃げられよ!」
「次右衛門(光忠)!?」
余りにも突然な出来事に光秀の思考は停止していた。唯一判るのは、ここで逃げれば光忠が死ぬということだけだ。それを選ぶことは出来る光秀ではなかった。
そんな光秀の人となりを見抜いているのか、光忠は三宅弥平次を呼んで主君を託した。
「弥平次!殿を頼むぞ!」
「はっ!殿、こちらへ…」
「ま…待て!?弥平次!!」
弥平次は強引に主を引っ張り、逃走を図った。そのまま力任せに囲みを突破すると一目散に山林へ飛び込んだ。山林を突っ切り、山麓にいる斎藤利三の部隊へ向かうとしたのである。
「も…戻れ弥平次!次右衛門を見捨てるわけにはいかぬ!」
「なりませぬ!どうしても光忠殿を助けたければ、まずは斎藤殿と合流してからにござる」
まだ状況を掴めていない光秀が引き返すように指示を出すが、弥平次にとって守るべきは光忠と同様に光秀の命である。弥平次と共に囲みを突破してついてきた兵は僅かに五人でしかなく、この状況で引き返すのは死にに行くようなものだった。
「くそッ!」
光秀が吐き捨てるように言った。
何故にこのような目に遭わなければならないのか。どうして家臣の命が奪われようとしているのか判らなかった。その悔しさを何処に向ければいいのか。
山林を抜け出した時、さらなる衝撃が光秀を襲った。合流しようとしていた斎藤利三の部隊が、先ほどの光秀と同様に襲われていたのである。
「ば…莫迦な……」
光秀は愕然とし、膝から崩れ落ちるような感覚に襲われた。
(上意…確か先ほどの者はそう申した…、上意だと…)
その言葉が意味するところは、つまり義景の命であるということだ。
光秀が辺りを見回す。暗くて確認は出来ないが、辺り一帯で合戦が行われていることだけは判った。
「弥平次。内蔵助(斎藤利三)と合流するぞ」
「されど…」
初めこそ利三との合流を考えていた弥平次であったが、その利三が襲われていると判れば話は違ってくる。そのような危険な場所に主君を連れて行くわけにはいかなかった。だが、それでも光秀は利三と合流すると言う。
「内蔵助が逃げぬのは、儂の居所が判らぬからだ。儂が健在と知れば、退くはずだ。見捨てられぬ」
「は…はっ!」
家臣を気遣う主の判断に、弥平次は心を打たれた。そもそもこういう人柄であったからこそ、仕えたのだと思い出す。
「急げッ!」
光秀たちが走る。幸いにも利三は明智勢の鉄砲隊を抱えていたために敵を寄せ付けておらず、すぐに合流することが出来た。
「殿!御無事で!」
主の姿を確認した利三が駆け寄ってくる。
「うむ。いったい何が起こっているのだ」
「判りませぬ。朝倉様の使いがやって来て、殿の居場所を聞いたかと思うと攻撃を仕掛けて参りました。それで抵抗していたのですが…」
と話している内に、利三は光忠がいないことに気付いた。
「光忠殿は如何なされました?」
利三の問いに、光秀の表情を曇らせた。それが答えであった。
「助けに行きたいが、状況が判らぬままではどうしようもない。せめて誰が味方であるか判ればよいのだが…」
何故に義景がこのような行動に出たのかを追求している暇はない。目の前に命が奪われている以上、今は安全圏へ逃れるのが何よりも優先される。未だ明智勢の一部が残る鳥取城へ籠もることが考えられるが、利三の部隊のみでそこまで行くのは兵力差から考えて難しい。方角的に、南へ向かうのが一番だ。突っ切れば、幕府の勢力圏である播州へ辿り着く。
「朝倉勢に増援でございます!このままでは持ちそうにありませぬ」
前線より報告が届く。近づいている部隊は三〇〇〇ほどだった。そもそも兵力に於いては圧倒的な差がある。如何に鉄砲隊が防いでいるとはいえ、長引けば勝敗がどうなるかは自明の理だった。光秀は即座の判断を迫られる。
その時である。迫る増援はこちらを向かうのではなく、攻め手を蹴散らすべく襲いかかったのだ。その部隊より数人の武者がこちらへやって来た。
「殿!」
「庄兵衛か」
姿を現したのは光秀の腹心・溝尾庄兵衛茂朝であった。茂朝は光秀より前に山を下り、同様に朝倉の兵に襲われていたところを景恒に救出されていたのだった。
「景恒様に?」
「はっ。間もなく中務大輔様が参られます」
茂朝の言葉通り、すぐに景恒が姿を見せた。斎藤勢を襲っていた軍勢を蹴散らしたのは景恒の兵だったのだ。つまり、これは朝倉家中で敵味方に分かれて戦っていることになる。
「光秀!無事か!」
「景恒様!これはどういうことでございましょうか」
「御屋形様の謀叛じゃ!明智勢だけではなく、丹波勢も襲われておる。一色に山名、京極は敵じゃ」
「そんな!?長門守様(高吉)までが…」
景恒の言葉に、光秀は動揺した。
他の者はともかく、京極高吉は義輝の近臣だ。大和の代官を務めており、光秀より義輝に近い存在だといっても過言ではない。それが義景と通じ、謀叛を起こしているという。俄には信じられない話だが、景恒は謀叛を起こしている朝倉の一門、内情を知る者が言うのだから事実なのだろう。
「何故に義景様は謀叛など…」
「左様なことは知らぬわ!儂ですら何も知らされておらなかったのだからな!」
景恒が怒りをぶちまけるように言った。
義景の謀叛に景恒は加担していないが、朝倉一門であることから標的にされることもなかった。無論、知らされていれば身体を張って諫止したであろう。
「ともかくお主は上様の許へ参り、この事を御報せするのじゃ」
「景恒様は如何なされます!」
「儂は責任を取り、ここで最後まで味方の撤退を支援する」
味方とは、明智を始め波多野、赤井、筒井らのことである。
「ならば私も残ります」
「阿呆!」
残留を志願する光秀を景恒は叱りつけた。
「そなたの才は上様が必要とするもの。そなたがおらねば、上様の天下泰平の実現が数年は遅れることとなる」
「何を仰せですか。そのような力は私にはありませぬ」
「謙遜はよせ。上様は人を見る目に優れておられる。上様がそなたへ滋賀郡を任せた意味、しかと考えよ」
「景恒様…」
光秀は涙ぐみ、無力な自分を情けなく思った。そんな光秀へ対し、景恒は最後の願いを託す。
「光秀、儂からの遺言じゃ。こうなってしまっては朝倉の家に未来はない。御屋形様も馬鹿な真似をしたものだ」
そう言って景恒は溜息を吐き、一呼吸おいてから言葉を続けた。
「それでも儂は、朝倉の血筋を絶やしとうない。どのような形でもよい。そなたの計らいで、朝倉の家を残しては貰えまいか」
つまりは景恒の命を賭けた最後の奉公を以て、義輝に取りなして欲しいということだった。命の恩人であり、多大な恩を受けた景恒の遺言である。聞かない理由が光秀にはなく、同時に何としても生き延びなくてはならなくなった。
「畏まり…ました」
光秀が膝をつき、承諾する旨を告げる。それを見た景恒は、満足した笑みを浮かべると一言だけ告げて去って行った。
「さらばじゃ、光秀。上様の天下、そなたと共に見たかったぞ」
景恒の後ろ姿を最後まで見ている余裕は、今の光秀になかった。一刻も早く脱出を図らなくてはならない。
それが、二人の今生の別れとなった。
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同刻。
秋里・筒井順慶ノ陣
鳥取城一帯で生きるか死ぬかの壮絶な戦いが繰り広げられている頃、一つだけ静まりかえっている陣があった。鳥取城の西側、義景の命にて支城の秋里城を落とした筒井順慶ノ陣である。
何故に自分が狙われなかったのかは、すぐに判った。京極高吉から使者が訪れ、“静観せよ。されば悪いようにはせぬ”と言い残して去ったからだ。恐らくは大和の支配権を考えての処置と思われた。
順慶はこれ幸いとして高吉の言葉を受け入れるつもりでいたが、家中から反対の声が上がった。その声を上げたのが島清興であった。
「謀叛でござるぞ。静観すれば加担したと見なされ、公方様を敵に回しますぞ」
「それは違うぞ。儂は突然のことで何も出来なかっただけじゃ。静観したわけでも味方を見捨てたわけでもない」
「そのような言い訳が公方様に通じると思っておられるのか!」
「ならばどうせよと申すのか。儂らだけで朝倉の大軍に勝てるとは思えぬ」
謀叛側は三万を軽く超えている。明智、波多野など襲われている連中は頼りならないし、今いる場所は敵地のど真ん中なのである。よほど上手く立ち回らなければ、自領へ帰ることは不可能だろう。
「そうじゃ。今のうちに撤退するのじゃ。朝倉勢が明智を襲っている今ならば、我らの帰国を阻む者はおるまい」
「何を申されますか!それは武士のやることではありませぬ!」
清興は主の思いつきに唖然とした。まだ若輩の順慶を清興は引き続き諫めるが、順慶は考えを改めようとしない。その間にも味方は命を落としており、いつまでも主に構っている時間はなかった。清興は単独で救援へ向かうことを決意した。
それが筒井家を去ることに繋がると判っていてだ。
そして筒井順慶は味方を見捨てて帰国を始め、清興は単独で救援へ赴いた。
清興は一色勢へ奇襲を懸けて丹波勢を助けることに成功するが、すぐに朝倉景鏡の大軍に囲まれてしまう。その清興を助けたのが、景恒の軍勢だった。
しかし、景恒はその戦闘で命を落としたのであった。
【続く】
さていきなりですが、新章突入です。
新章の題名もそうですが、今幕の題からも、この謀叛が始まりに過ぎないということが判ると思います。義景の狙いが何なのか、動機は?それはもう少し後で明らかになります。
ちなみに今回で波多野秀治と赤井直正は謀殺されています。波多野=謀殺というのは史実と同じ展開で皮肉なものですが、義景が丹波勢こそ強敵であると考えての末です。残っている“青鬼”さんは、一応はまだ生きているということになっています。
次回、この報せが義輝の許へ届きます。




