第二十五幕 決戦前夜 -毛利勢、動く-
九月二十九日。
備後国・三原城
この日、三村元親の松山城が幕府の軍勢に包囲されたという報せが、備後三原で戦機を窺う毛利元就の許へと届けられた。当然のように、三村からは毛利へ援兵を求める使者が訪れる。
「当初の予定と違い、幕府勢が松山城へ攻め寄せて参りました。至急、救援を御願い申し上げます」
「承知した…と申したいところだが、生憎と九州から兵が戻ってきておらぬ。少しだけ待っておれ」
即座に承諾して貰えると考えていた使者は、元就の言葉に途惑った。そして、不安そうに口を開く。
「少しとは…どの程度でございましょうか」
「案ずるでない。十日やそこらであろう。兵が揃えば、必ずや救援に駆け付けよう」
その言葉を聞いて、使者の表情はパッと明るくなった。大国・毛利の総帥が直々に“救援に駆け付ける”と言ったのだ。それに、十日ほどであれば松山城なら充分に耐えられる。
「有り難き御言葉、その言葉を励みに暫く辛抱することに致します」
使者は無事に役目を終えたことを確信し、主の許へと戻って行った。
しかしだ。元就は十日が経過しても動かなかった。矢継ぎ早に三村からは第二、第三の使者が訪れるが、元就は最初と同じように“救援に駆け付ける”という言葉を繰り返すだけだった。
時間の経過と共に松山城の落城は迫ってくる。四度目の使者ともなれば、元就の言葉を信じて帰るわけにはいかない。主家の存亡が懸かっているのだ。何とか毛利に動いて貰おうと家督の輝元や両川、重臣の許を訪ねては元就を説得してくれるように頼み込んだ。
「我らとて三村を見捨てる気はさらさらない。されど大殿には大殿の考えがあるのじゃ。きっと救援には駆け付ける故、今は耐えて頂きたい」
使者は肩をガックリと落とした。特に元就へ対して名目上では命令権を有している輝元に断られた時は、主家の滅亡を覚悟したほどだった。誰も元就に逆らえないのか、はたまた言い含められているのかは判らないが、よい返事をくれる者はいなかった。
そこに希望の光が差す。吉川元春が元就の説得に応じてくれたのである。
「儂が大殿を説得しよう。もし承諾いただけぬ場合、我が吉川の手勢だけでも救援へ駆け付ける故、安心するよう元親殿には伝えて頂きたい」
その力強い言葉に、使者は涙ながら感謝した。報告を受けた元親も“流石は駿河守殿である”と言ったとう。
そして十月二十二日。三村救援へ向けての軍評定が元春の申し出により行われた。出席者は、毛利元就に輝元、吉川元春と元資親子、小早川隆景、福原貞俊、口羽通良らである。
この中で三村救援を積極的に支持したのは元春のみであり、他は通良が僅かに理解を示したに過ぎなかった。皆、三村を救援しないことが元就の意向であるならば、それに従うのみと思っているのだ。
「大殿は何故に三村の救援へ向かわれませぬ。長年の三村の忠孝、忘れたわけではありますまい」
我が子の厳しい言葉を、元就は静かに聞いていた。
「策から言っても、幕府勢を三村と挟撃できる。けして不利とはなりますまい」
確かに三原で幕府軍と戦うのが最上ではあるが、戦とは常にこちらの思惑通りに進むとは限らない。松山で決戦に及んでも、毛利の勝ち目は充分にある。
だが元春の問いに元就が答えることはなかった。
「元春。毛利と三村、そなたならどちらを取る」
「そのようなもの、毛利に決まっておりましょう」
「ならば、三村は見捨てよ」
「父上、話が見えませぬ。三村を見捨てることが、どうして毛利を守ることに繋がるのですか」
「今に判る」
「今とはいつにございますか。明日ですか、それとも一月後ですか」
話をはぐらかそうとする父へ対し、元春は語気を強めていく。
「それは判らぬが、もう間もなくであるのは間違いない。それまで三村が生き残っておれば、救う道もあろう」
「それはつまり、父上は何かを待っている…と考えて宜しいのでしょうか?」
父の表情から何かを汲み取った隆景が問いかける。それに元就は僅かに頷き、答える。
「うむ。それまで毛利が幕府と交戦するわけにはいかぬ。…絶対にだ」
そう言って元就は、鋭く元春を睨み付けた。親である元就には、この後で元春がどういう行動に出るかなど簡単に予測できているのだ。勝手に幕府と戦をされては元就の策が水泡に帰してしまう。それは避けなければならない。この策には、毛利の存続が懸かっているのだから。
猛将と称される元春も、稀代の謀将と恐れられる父の凄味を利かせた視線には冷や汗を流す。こうなれば元春とて父の命に従うしかなかった。
(元親殿、申し訳ない……)
力及ばず父の説得に失敗した元春は、心の中で元親へ謝罪するのだった。
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十月二十八日。
備中国・松山城
早朝、まだ陽が昇りきっていない時分に松山城から飛び出した三村元親三〇〇騎が、山麓に布陣する宇喜多直家の陣へ攻撃を仕掛けた。
「敵襲!三村が攻めてき……」
三村の襲撃を告げようとした兵が、一刀の下に斬り伏せられる。
「馬を放せ!全て宇喜多にくれてやるのじゃ!」
元親の下知で、凡そ一〇〇頭ばかりの軍馬が宇喜多の陣内へ放たれた。軍馬は興奮状態にあるのか、右往左往と走り回り、近づく者たちを蹴り飛ばした。
敵陣を混乱させるため、籠城戦では役に立たない馬を利用した策であった。
そもそも宇喜多勢は三〇〇〇。数にして凡そ十倍となる。さらに三村の奇襲はある程度は予測されている可能性がある。その条件で直家の首を獲るには、まず敵陣を混乱させる必要があった。元親は、直家を討つためには使えるものは全て使うつもりだった。
「雑兵に構うでない!狙うは宇喜多直家の首だけぞ!」
「おおう!」
三村の兵が、一斉に襲いかかる。元親の突き出す槍が敵兵を次々とあの世へ送っていく。それに味方が勇気づけられ、一丸となって宇喜多勢へ突っ込んでいく。対する宇喜多は防戦一方だった。
両者にこれ程の差が出るのは、何も奇襲だからではない。そもそも三村と宇喜多では兵の質が違っていたのだ。
三村は尼子、毛利と組んで勢力を拡大し、備中一国を領するまで連勝街道を突っ走ってきた大名である。暗殺で家親を亡くしたものの元親とて父に負けぬだけの武勇を備えている。明善寺合戦での敗北は、直家に巧みに躍らされた末の結果であり、局地戦では三村は不意を衝かれたにも関わらずに善戦している。その兵たちが、三〇〇とはいえ死兵と化して戦いを挑んでいるのだ。弱いわけがない。
一方で宇喜多は戦の経験は豊富なれど、謀略を駆使して大きくなった大名である。敵の虚を衝いての戦を得意とし、常に優位な状況で戦ってきた者たちである。しかも、この戦に於いても既に勝利は約束されており、ここで元親がどう足掻こうとも勝敗が覆ることはない。彼らにとって三村の奇襲で命を落とすことは馬鹿らしいことであり、何としても生き延びようと必死だった。
故に、三村の突撃を身体を張って押し止めようとする者は皆無だった。その御陰で、元親は確実に直家の陣へと近づいていた。
その直家の陣では、狙われている当人が盛んに下知を出していた。
「臆するな!敵は小勢ぞ!返り討ちにしてしまえ!左右から三村を挟み込むのじゃ!」
「左翼、右翼ともに暴れ馬により混乱しております」
「このうつけがッ!ならば前面を固めよ。けして三村を通すでない」
「それが敵勢が思いの外に強く、その前に突破される恐れがございます!」
「三村輩に何たる様じゃ!奇襲があるやも知れぬ事は、予め伝えておったであろう!」
直家は悔しそうに拳を握りしめ、歯がみした。思った以上に三村の進軍が速いのだ。焦燥感が、次第に募っていく。
(このままでは……)
ふと直家が後ろを振り向く。
後方には直家の主君・浦上宗景の陣がある。当然、こちらが襲われているのは気付いているはずであるが、一向に援軍を出そうとする気配がないのだ。しかも動き自体がないために、陣を下げることもままならない。宗景は明らかに自分へ対し、“死ね”と言っていた。
その頃、直家の主はまるで他人事のように宇喜多の陣が襲われている様子を笑みを浮かべて眺めていた。
「殿。直家を救わなくて宜しいのですか」
いつまでも下知がないことに疑問を持った大田原長時が、主へ問う。
「何故に儂が直家を救わねばならぬ」
「直家は家臣ですぞ」
「形ばかりのな。寧ろ三村を支援し、直家を討ちたいくらいぞ。ま、流石にそれは拙かろうな」
「当たり前です。そのようなことをしたら、公方様へ申し開きも叶いませぬ」
「そう怒るでない。直家が討たれたという報せが届いたのであれば、宇喜多の者どもは助けてやってもよい」
宗景は興味なさ気に言った。
一度、直家は宗景に対して謀叛を起こしており、それが浦上の家に対する恨みだと知った以上は主従の縁を切るしかない。それでも直家を家臣としているのは、偏に将軍の命令だったからに過ぎない。その直家を助けるために自身の兵を使うなど以ての外であった。
(どうせなら討たれてしまえ、直家。貴様の末路には似合いであろう)
宗景は全軍に警戒を命じるのみで、それ以上のことは何もしなかった。
一方で天神丸にいた浅井長政は、三村元親が出撃したことを知ると小松山へ攻め寄せた。城兵の殆どが出払っている今、難なく落とせるだろうと思われたからだ。
その浅井勢が小松山と指呼の間まで迫ると、城方から城兵の一人が出て来た。
「抵抗は致しませぬ。城を明け渡しますので、猶予を頂きたい」
「猶予とはどれくらいにござる」
「今は早朝なれば、寝ている者を起こさねばなりませぬ。城に残っている者の大半は女子供にござれば、支度もございます。一刻(二時間)で結構ですので、御待ち頂きたい」
長政は城方からの申し出を快諾した。
城兵は僅かとはいえ、力攻めすればこちらにも少なからず犠牲が出る。それがなくなるのであれば、その方がいいと長政は考えていた。しかし、これは城方の思惑通りであった。城方の目的は主君・元親が直家の首を獲るまでの時間を稼ぐことであり、それは一刻で充分だったのだ。
実際、城からは三村勢の優位が見て取れた。
「おおおりゃあ!!」
鬼気迫る形相で、元親は宇喜多兵を斬り伏せる。既に一六人も元親は斬っており、槍は捨て、刀は拾った物を使っている。また袖は外れ、兜もなくしていた。手傷も数カ所おっており、まさに満身創痍であったが、身体はまだ動いた。
「敵本陣まで間もなくにございます」
最前線で戦っている兵から、直家の陣へ近づいていることが報告される。
(…直家、待っておれよ)
先ほど斬り伏せた雑兵から新しい刀を手にした元親は、直家の本陣を目がけて駆けだして行った。
そして宇喜多直家も、元親が本陣近くまで迫っていることを感じていた。
宇喜多の本陣は騒然としていた。三村の勢いは止まらず、主・宗景はこちらを助ける気がない。仕方なく将軍へ援兵を依頼したが、どうやら間に合いそうにない。とすれば、自分で何とかするしかない。
「殿。ここは拙者に任せて御退き下さい」
危険を察した家老の岡豊前守家利が主君へ退避を求めたが、直家はそれを却けた。
「三村如きに退けると思うか」
「御気持ちは判りますが…」
「三村の数は減っているのだろう」
「それは…確かに」
三村に勢いがあるとはいえ、その兵力差は埋めようがなく、当初三〇〇いた数を七〇にまで減らしている。もう少し耐えれば直家が勝利を得られるのは判りきったことだった。
すると直家の口元が怪しく緩んだ。
「よいことを思いついた。豊前、遠藤兄弟を呼べ」
「遠藤兄弟を?どうするのですか」
「元親に引導を渡す。父と同じ手法であの世へ送ってくれるわ」
その瞬間、直家の表情が変貌した。目は焦点を合わせずに大きく見開き、口は少し開け笑っている。
家利は息を呑む。この身の毛もよだつような恐ろしい相貌は、主が真価を発揮したときのものだ。家利の背筋に冷たいものが走る。
ともかくその場を離れたくなった家利は、命令通りに遠藤兄弟を呼びに行くことにした。
「殿。我らを御呼びとか」
「・・来たか」
家利に連れられて遠藤秀清、俊通兄弟が姿を現す。彼らは元親の父・家親を狙撃で暗殺した張本人であった。
「まもなく三村元親がここへ押し寄せてくる。家親同様、自慢の鉄砲を以て殺せ」
「はっ。畏まりました」
突然に命令を受けた遠藤兄弟は、互いの顔を見合い、満足そうな笑みを交わした。彼らは以前に家親を討った際に一千石を下賜されており、同様の恩賞に与れると思ったからだ。
そして、ついに元親が幔幕の内部へと乱入した。
「三村元親じゃ!直家の首を貰い受けに参ったッ!」
付き従う家臣は僅かに七名。乱入した元親は視線を四方へと巡らせて直家の姿を探そうとしたが、その手間は省けた。元親の正面の床几の上で鎮座している一人の武者がおり、他の武将と明らかに違う出で立ちから直家本人だと判ったからだ。
「騒々しいな。武門の意地だが何だか知らぬが、死ぬつもりならばさっさと死ねばよいものを。余り他人を巻き込むものではないぞ、元親」
「貴様……!!」
直家の飄々とした態度に元親は激昂し、近づこうとした矢先に直家の両隣に侍る二人の兵が短筒を向けてきた。咄嗟に元親の足が止まる。
「貴様らは…、遠藤兄弟!」
元親は二人の顔を知っていた。何故ならば遠藤兄弟は三村家に仕えていた時期があったからだ。それ故に遠藤兄弟も家親の顔を見知っており、興善寺での暗殺に繋がっている。
暗殺の命令を出した直家と、その実行犯を目の前にして元親の怒りは頂点に達した。
それに危機感を募らせたのが実弟の実親である。
(このままでは兄上が危うい。誰ぞ我と共に兄上の楯とならんとする者はおらぬか)
今にも直家に斬りかからんとする元親の傍で、実親が家臣へ小声で呼びかけた。若い実親は父との思い出があまりなく、どちからというと兄・元親と過ごした時間の方が長い。また遠藤兄弟の顔も知らない。故に仇敵を目の前にしても冷静でいられたのだ。その実親は、直家の馬廻を相手に勝てると思うほど自惚れてもいない。この場で自分に出来ることは、兄の楯となることしかないことを何よりも理解していた。
(なれば拙者が)
兵の一人が志願してくる。
(すまない。兄が直家めに一太刀浴びせれば、我らの勝利だ。他の者は周囲の兵を相手にしてくれ)
(はっ)
実親が周囲に視線をやる。既に三〇名ほどに囲まれており、絶望的な状況だった。しかし、幸いにも前面には直家と遠藤兄弟しかいない。他の兵がいないのは、射撃の邪魔になるからだと思われる。
「兄上、どうか御武運を!先に逝きまする!」
実親が動いた。その声に合わせ、家臣たちが一斉に走り出す。遅れて元親も直家を目指して駆けだした。
「何をしておる!撃てッ!」
突然の展開に直家が命令を下し、二つの銃声が轟く。それで勝利を確信した直家だったが、元親の勢いに衰えはなかった。
「あに…うえ……」
銃弾を受けて倒れる弟を横目で一瞥しながら、元親は直家へ近づく。
「死ねや!直家ッ!!」
そして阿修羅の如き形相で直家に斬りかかった。そこには父・家親の無念と実親の執念、さらには元親の怨念が込められていた。
「くそっ!」
元親の覚悟を甘く見ていた直家は、咄嗟に俊通を自らの楯として斬撃から逃れる。いきなり身代わりとされ俊通は、訳も判らずに息絶えた。
「喜三郎(俊通)!!」
弟を殺された秀清が短筒を捨て、刀で元親へ斬りかかった。直家しか見ていない元親は、それを片腕を突き出して受け止める。無論、受け止められるわけもなく腕は真っ二つに避けて激しい血飛沫を上げる。しかし、元親は痛覚が麻痺しているのか、気にする様子はなく秀清をギロリと睨み付けると、手にした刀を振り下ろした。
「うぐ…」
首筋に元親の刀が食い込んだ秀清が絶命する。この瞬間、元親は父暗殺の実行犯を自らの手で成敗することに成功した。残すは、命令を下した者だけである。
「…これで終わりじゃ。直家」
元親は血走った目で直家を見据えた。狂気を宿したその瞳は、もはや物ノ怪如く人間のものとは思えなかった。それほどまでに元親の恨みは深い。
だが、そこまでだった。突然に元親が膝から崩れ落ちる。後ろから宇喜多の兵に斬られたのである。
「お…のれ…」
それが元親の最期の言葉となった。死んでも尚も見開いた双眸は、直家へ向けられたままだったという。
備中の雄・三村元親の最期であった。
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三村元親の死によって松山城の戦いは終わりを迎えた。一月にも及ぶ攻城戦では幕府勢も少なからず犠牲を出し、中でも宇喜多直家は元親の最期の足掻きで八〇〇も死傷者を出していた。
毛利との決戦を控えた義輝は、緒戦を勝利で飾った。だが、それは後味の悪い勝利だった。
(三村元親か。惜しい男を亡くしたものだ)
親の仇討ちに執念を燃やした元親の意地は、立派だと思う。状況が違えば、よき家臣となったであろう。しかし、義輝の許には元親の死と同時に宗景が直家を助けようとしなかったことが報告として上がっている。これは直家が主の評判を落とすために義輝の耳へ入るよう仕向けたからである。
「経緯はどうあれ、主君たる者が臣を助けずして何とする。そのようなことだから、世が乱れるのだ」
結果、直家の思惑通りとなり、宗景は義輝の評価を落とすことになった。
それから三日。義輝は松山城を中心に備中の制圧を優先させた。毛利が三村を見捨てた以上は三原での決戦を覚悟しなければならない。その前に備中を完全に支配下に置いてしまおうと考えたのである。制圧している間、鳥取城を攻撃中と報告のあった山陰勢にも何かしらの進展があるだろう。
だが、事は義輝の思い通りには進まなかった。
「申し上げます!毛利勢が山陽道を東へ進んでおります!」
突如、飛び込んできた伝令の報せに義輝は衝撃を受けた。
「莫迦な!毛利は三原で余を待ち構えるつもりではなかったのか。三村が滅んだ今、動いたところで何の利がある」
毛利が備中で決戦を挑むのであれば、三村の存在が不可欠であるのは誰の目にも明らかだ。それが滅んでから動くのは道理に合わない。まったく理解できない行動だった。
「毛利は何処じゃ」
「福山にございます。明日には備中へ入るかと思われます」
「上様!ここは軍評定を開き、急ぎ方策を…」
「それでは間に合わぬ。動ける者から幸山城を目指すのじゃ!」
藤長の進言を却け、義輝が下知を飛ばす。急いで戻らなければ、毛利に兵站を断たれる危険性がある。軍評定をしている暇などなく、毛利の不可解な行動については、その進軍を阻んでから考える他はない。
加えて義輝は、藤長に山中鹿之助を呼ぶように命じた。
「勝久殿ではなく、山中殿をですか?」
藤長が疑問を呈す。鹿之助は陪臣なので、何かしら命令を下すには主の尼子勝久を呼ぶのが筋であるのだが、義輝は鹿之助を呼ぶように命じた。
すぐに呼ばれた鹿之助が姿を現した。
「毛利が出てきた」
その言葉に鹿之助は鋭く目を光らせた。
「何故に今頃になって毛利が出てきたかは知らぬ。されど急いで戻らねばならぬのは事実じゃ。特に高梁川を越えさせてはならぬ。山中、そなたら尼子は小勢ゆえすぐに動けよう。急ぎ清信の許へ行き、支援せよ」
「はっ。畏まりました」
高梁川西岸には、隆徳が集めて清信へ預けている軍勢しかいない。三〇〇〇ほどの数しかいないので、義輝がそちらへ合流するまで毛利の相手をするのは不可能だ。ならば、時間を稼いでいる間に高梁川東岸へ布陣し、毛利を待ち構えるしかない。
高梁川を防波堤とすれば、一先ずは兵站の安全は確保できる。
しかし、どちらかというと清信は政務に長けた人物であり、巧く毛利の侵攻を遅らせられるか不安だった。そこで義輝は毛利との戦に慣れている尼子に目を付けた。
「可能な限り時間を稼げばいいのですね。決戦は、高梁川でと考えて宜しゅうございますか」
義輝が鹿之助を呼んだ理由はこれだった。戦の経験が殆どない勝久であれば、何をどうすればいいか呑み込むまで時間がかかるが、鹿之助であれば細かい内容を伝える必要はない。このような時に、筋目を通している暇はなかった。
(この日のために、私は幕府に従っていたのだ…)
長い間、鬱屈としていた鹿之助の心中に光りが差した瞬間であった。ついに毛利と対する時が、復讐の時が訪れたのだ。全身をわなわなと震わせ、今にも飛び出して行かんとするしている程だ。
「行け」
その言葉に、鹿之助は一目散に駆けだした。
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永禄十二年(1569)十一月六日。
備後国・高梁川
ついに毛利が姿を現した。その数、凡そ五万三六〇〇。対する幕府勢は備中での降兵を加えて七万六〇〇〇となっていた。その差は二万以上も開きあり、野戦においての優位は完全に幕府勢にあった。
しかし、義輝は開戦を決断できずにいた。何故ならば、ここに至るまで毛利の行動が不自然すぎたからだ。
まず三原で待ち受けると思われた毛利が、何故か三村が滅びた後に動き、数で劣る野戦を仕掛けてきたのかが判らない。そして高梁川に至るまでも幕府に降った諸城を積極的に攻撃することなく、義輝が幸山城へ入ってから清信へ撤兵を命じた後、空城を接収する形で進軍してきている。
また水軍も同じだ。毛利水軍は水島灘で幕府水軍と睨み合ったまま攻撃を仕掛けてこない。
(まさか調略…。誰ぞ陸奥守と通じている者がおるのか)
謀将の名の如く調略は元就のもっとも得意とするところだ。しかし、毛利と通じてそうな人物と言えば宇喜多くらいしか思い当たらない。後はその主君・浦上か。ただ宇喜多は、三村との戦で大きな損害を受けているので理に適わない。また浦上も毛利が支援していた三村を通じて毛利とは敵対関係にあったことからも寝返るとは考えにくい。幕臣または畿内の大名衆は距離的にも遠く、元就と通じる利点が何もない。
(元就…、何を考えている)
義輝の疑問に答えは出なかった。軍評定を開いても毛利の動きを説明できる者はおらず、頼みの信長も元就の行動には怪訝な表情を浮かべていた。しかし、確実に毛利がこの状況で出てきた理由があるはずなのだ。それが判るまで、義輝は決戦を控えることにした。
義輝がその理由を知るのは、翌日の正午過ぎの事である。毛利勢が動いて、七日目のことだった。
【続く】
今回は長くなりすぎました。これまでで一番はなしの長い回となったのではないでしょうか。次もいつもより長くなると思います。(通常は五千字ていど)
さて、ついに毛利が動き出しました。何やら蠢動している元就ですが、その理由が明らかになるのは次々回です。次回は、その理由に至る元が話の中心になります。恐らく題名でネタバレになるでしょうが…