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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第三章 ~新たなる乱世~
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第二十二幕 九州撤退 -揺れる西国-

永禄十二年九月朔日。


征夷大将軍・足利義輝がついに西征へ動き出した。十万を超える軍勢が三隊に分かれて西へ進んでいる。世間では、有力大名を討伐する義輝を三代・義満や六代・義教の再来と称するようになっていた。


ただ先代たちとの明確な違いが義輝にはあった。足利幕府においては、本来は有力大名に命じて逆賊を討伐するのが通例であり、将軍の役割は討伐令の発布や朝廷へ治罰綸旨の要請をするなどもっぱら政治向きなことが多い。しかし、義輝は自らが采配を執ることを決意し、親征へ及んだ。また討伐令も出さず朝廷への働きかけも一切ない。何故ならば、義輝には毛利を滅ぼす気がまったくないからだ。


確かに将軍権力の確立には諸大名を討伐して強すぎる力を削ぎ落とす必要があるが、義輝が目指しているのは天下の泰平であり、あくまで将軍権力の確立は実現のための手段に過ぎない。力で諸国を切り取った毛利が有能であるのは疑いようもなく、明確な叛意こそなければ、これを屈服させて分国の統治を任せるのが泰平の実現にもっとも有効な方法だった。河野、赤松で判るように、無能な輩へ分国を任せることは乱の元となる。これでは泰平は築けない。


対する毛利の総帥・陸奥守元就も対応を迫られていた。そもそも元就には幕府を倒して天下を我が物にするという野心は微塵もなく、あくまでも御家存続に幕府を利用していたに過ぎない。それが退っ引きならないところまできている。


(まさか幕府の力がここまで回復していようとはな…)


ここ数年で幕府が他国へ直接干渉できるまでになると予測できた者は、誰一人としていなかっただろう。分岐点は、幕府から伊予撤兵を求められた時だった。この時に九州をも諦めて幕府へ恭順を誓うべきだった。そうすれば将軍は、かつて与えた五ヵ国の守護を留任し、九州では門司の領有は認めたかもしれない。少なくともまだ交渉の余地はあったはずだ。


その将軍は、毛利へ厳しい沙汰を下した。


「幕府へ従うならば、尼子より切り取りし出雲・石見・伯耆の三ヵ国を返還し、備中と備後を差し出せ。さすれば安芸・周防・長門の三ヵ国は、毛利の所領として認めよう」


引き際を誤った結果、義輝の裁断は五ヵ国の割譲、また九州に於いては一切の領有を認めないと言ってきた。一切の釈明、弁明は許されず、恭順の意すらも領土の割譲以外では認められなかった。


これが今年の二月のことである。そこから元就を取り巻く環境に変化が生じ始める。


毛利は九州での多々良浜合戦の勝利で、圧倒的な優位に立っていた。元就は大友の防衛線を破るべく更なる離反工作を進め、その結果として肥後衆が乗ってきた。彼らが寝返れば、筑後の大友勢を南北より挟撃できる。しかし、春頃より揃って反応が鈍くなり、中には元就の密使を追い返す者まで現れ始める。何故か。


大友宗麟が幕府より援兵の約定を取り付け、その事を九州中に広めたのだ。つまり幕府は大友方であり、正義は自分にあると喧伝して回ったのだ。


さらに三月。幕府による播磨出兵で、播磨・備前・美作の三ヵ国が平定された事も幕府の力を西国へ知らしめる大きな要因となった。ここに至っては全ての大名が幕府の力を認めることとなり、その動向に注視し始めた。


これにより元就の仕掛けた離反工作は頓挫、元就は武力による突破を試みるしかなくなった。上手く行けばいいが、それが難しいからこそ離反工作を進めていたわけである。試しに攻めてみたが、やはり大友の抵抗は激しく筑後川の抜くことは敵わなかった。


(本当に幕府は兵を差し向けて来るのか?)


再び膠着した戦況に元就は次の行動を迫られる。このまま対陣を続けるか、幕府勢に備えて退くかである。


以前に幕府は伊予へ兵を送って平定した。そして播磨へも兵を送ったことを考えれば、(あなが)ち大友を支援するために西国へ派兵するという噂を否定できない。問題はその規模だった。


「都では、幕府が戦支度を始めているとのことにございます」


配下の忍・座頭衆の報告に元就は幕府の出兵を確信した。


「やはりか。して規模は判るか?」

「数万…としか言いようがございませぬ。されど中国筋の大名どもは幕府に従うようにございます」


忍が挙げた名は、浦上、山名、一色、赤松などである。


(先の播磨攻めが与えた衝撃は大きい。守護大名どもが幕府に従うのは道理だ。されど…)


唯一、元就が読めないのは畿内から東海に於ける大名衆の参陣だ。織田、朝倉など義輝の将軍職復帰を支えた大名たちが兵を送ってくるかどうか、流石にそこまでの情報を集める術が元就にはなかった。


(四万や五万で我らを潰せると、あの将軍が思うだろうか…)


元就が知っている足利義輝は阿呆ではない。ならば、相当数の人数を送ってくると見なさなければならない。


「…九州より兵を退く他はあるまい。その旨、元春に伝えてくれ」

「はっ。畏まりました」


元就は九州よりの撤兵を決断するした。ただ諦めたわけではない。筑後川一帯に布陣する毛利勢は六万、その内の四万が毛利家の軍勢で、残りが秋月や立花など九州の者たちの兵である。対する大友は三万。いま大友がやっているように強固な防衛線を築くことで、毛利全軍を返しても残る二万で筑前は守りきれる。


そこで元就が出した指令は、勝尾城とその支城群の奪取であった。


「父上からの命令が届いた。勝尾城を落とす」


毛利勢の総大将・吉川元春が全軍へ告げる。


勝尾城は筑後川で防衛線を張る大友勢の中で唯一、川を越えた位置にある拠点だ。撤兵するに当たっても肥前との連絡を安全に確保するに当たっても放置できない位置にある。籠もっている兵は五千だから、筑後川の大友勢へ三万を割いても六倍の三万を動員できる。充分な数だ。


実際に葛籠(つづら)城、鬼ヶ城、鏡城、若山砦などの支城群は鷹取城を残して落ちた。この鷹取城を落とせば、後は勝尾城を残すだけである。


だが問題はその鷹取城だった。


鷹取城は山城としては屈指の標高にあり、まともに攻めたのでは多大な犠牲を払うことになる。そこで隆景は先に勝尾城を調略で落とし、鷹取城へ開城を迫る策に出た。


勝尾城は元々少弐家臣・筑紫氏の城だ。それが惟門(これかど)の代になって大内氏へ従い、その後に大友へ属した。そして毛利へ通じて謀叛を起こし、一昨年に成敗されたばかりだった。


そういう経緯から筑紫の者たちと毛利は繋がりを持っている。そして主の仇である大友へは止む得ず従っているに過ぎず、充分に公算はあった。


「我ら筑紫衆、毛利様に従い申す」


翌晩、城から密かに抜け出した者が密書を携えて隆景の陣所を訪れた。さっそく成果が現れたのだ。


「ならば決行は明日の正午としたい」

「畏まりました。では、これにて」


こうして勝尾城は呆気なく落ちた。旧筑紫家臣が内応し、毛利を城内へ導いたのだ。そうなれば戦いは三万対五千という兵力差で決まる。勝尾城は一日と持たなかった。


次いで孤立した鷹取城も開城した。城主・毛利鎮実の身柄は秋月種実へ預けられた。


八月四日のことだった。そこで毛利は、初めて撤兵の意思を諸将へ伝えた。


「余りにも勝手な物言い。我らを見捨てるおつもりか!」

「左様。御家の事情は御察し致すが、せめて眼前の大友勢を退けてからの話でござろう」


当然のように残される者たちは撤兵に猛反対した。途端、元春は諸将をギロリを睨み付けて黙らせる。


「勝尾城は落とした。既に確保してある赤司城と連携すれば、貴殿らだけも充分に筑前の地を守れよう」


元春はせめてもの責任を果たすため、勝尾城攻めは毛利の兵のみで行っている。それを九州の諸将はただ同然で貰えるのだから文句の言いようがなかった。


元春としてもここで大友と決戦に及ぶ事は吝かではない。総力戦となれば、兵力に勝る毛利が勝つ見込みが高い。しかし、幕府勢の侵攻に備えるべく悪戯に兵を損なうことは避けるべきだった。


「あとは貴殿らに任せる。大友と和睦しようが当家としては一向に構わぬ故、好きに致すがよい」


六日後、毛利勢は撤兵を強行した。幸いにも大友側からの追撃はなかった。


毛利は撤退する様子を、大友宗麟は戸次道雪と共に久留米城内で眺めていた。宗麟は正月に幕府へ使者を遣わすと、国人衆の離反を抑えるために久留米へと戻ってきていた。


「どうして追撃をなさらぬのですか」

「儂とて余裕があるわけではない。毛利のことは、幕府へ任せる」


道雪の疑問に宗麟が答える。追撃はしないが、次善の策は考えてあった。


「まずは肥前の者どもを動かす。さすれば龍造寺は撤退するだろう。儂が動くのはそれからよ」

「博多を取り戻すのですね」

「うむ。その後は熊退治よ」


そう宗麟は、自信満々に言い放った。


その大友家へ対し、将軍・義輝が探題職と守護職の解任を決意していることなど宗麟本人が知る由もなかった。


かくして、九州に於ける毛利と大友の長き戦いは終わりを迎えたのであった。


=======================================


九月七日。

備中国・松山城


幕府軍の西征で対応を迫られたのは何も元就ばかりではない。備中一国を治める三村元親も同様だった。


「元親殿。ご再考なされい!」

「如何に伯父上の言葉であっても聞けぬものは聞けぬ!」


城内で怒声が飛び交っている。


三村家中では、意見が二分されていた。このまま毛利に従うか、それとも幕府へ恭順するかである。ただ元親は国主に準じる地位にあるものの備中は毛利の守護国。幕府にとっては元就こそ交渉の相手であって実質の統治者である三村は完全に無視されていた。


よって家中で意見をまとめ、どちからに使者を遣わさなければならない。


「このまま毛利に従っても明日はござらぬ。幕府に恭順すべきじゃ。細川宰相殿を頼れば、上手く取りなして頂けよう」


幕府へ恭順するべきと主張しているのは、三村親成や重臣・竹井直定などである。元親は詩歌に精通し、細川藤孝とも親交が深かった。その伝手を頼ろうというのである。


「毛利には恩義がある。これを裏切るは義に反しよう」


このまま毛利に属すべきと主張するのは当主・元親を始めとする一門の者である。


「陸奥守様へは儂が出向き、弁明いたす。それで三村の信義は果たせよう」

「これは伯父上の言葉とは思えぬ。口だけで信義が果たせると思うてか」

「殿、御家の大事でござる。ここで三村の家が潰えれば、泉下の御先代様に何と申し開き致しましょうや」

「何を申すか、直定!儂が直家を討つことこそ、何よりも父が望んでおることぞ。幕府に従えば、それも叶わぬ」


結局のところ元親の本音はこれだった。幕府には宇喜多直家がいるから従いたくないのだ。一門衆が揃って元親を支持しているのも、これが理由だ。しかし、それでは矢面に立たされている三村は真っ先に幕府の攻撃を受けることになる。流石に七万もの大軍を相手に戦う力は三村にはない。毛利の援軍も、未だ備中に姿を現さない。


憤怒の念に駆られ、目が曇っている元親には取り付くしまもなかった。結局、元親ら毛利派が意見を押し通した。


「幕府には従えぬ。三村は今まで通り陸奥守様の指図で動く」


三村元親は、毛利に味方することとなった。


=======================================


九月十一日。

但馬・此隅山城


山陰道を進む幕府勢は順調に行軍を続け、丹波で赤井直正、一色義道と合流を果たし、但馬守護・山名祐豊の此隅山城(このすみやまじょう)へと入った。


「遠路、御苦労に存ずる。まずは我が城で御寛ぎなされ」

「うむ。世話になる、金吾殿」


祐豊に案内された幕府諸将は広間へ通されると、差も当然のように上座へ義景が座った。これに祐豊が一瞬ムッとしたが、義景は幕府より正式に命じられた山陰勢の総大将である。当人は下手に出て諸将の機嫌を取る気などまったくなく、祐豊も我慢するしかなかった。


しかし、この演出は必要不可欠なものだった。ここで義輝の主命が全員に伝えられた後に軍評定へ移る予定なのだが、その前にどうしても祐豊に伝えておかなくてはならないことがあった。


「光秀。其ノ方から上様の御言葉を御伝え致せ」

「はっ。上様は山名豊弘を傀儡の守護とする武田高信の所行に御怒りでございます。幕府としては豊弘殿を因幡の守護として認めるわけにはいかず、これを討伐する所存にございます。そこで先手を山名金吾へ命ずる…と上様の御言葉にございます」

「はっ。謹んで御請け致します」


形式的に祐豊が平伏し、命令の受諾を宣言する。だがその双眸は怪しく光っていた。


武田高信は祐豊にとって因幡を奪い取った憎むべき敵であったが、毛利の支援を得ているために山名単独での討伐は困難を極めた。そこに四万を越える幕府勢が到来したわけだ。これを利用し、失地回復を図る。


「ところで高信討伐のちの因幡でござるが、当家に返して頂けるのでありましょう?」


既に勝った気でいる祐豊が、因幡の統治について言及する。因幡は長く山名氏の守護国であり、祐豊は当然のように自分の元へ返ってくると考えていた。


それを聞き、光秀が笑顔で返答する。


「もちろんにございます。因州は引き続き山名殿へ御任せするというのが、上様の御意向でございます」

「それはようござった」


祐豊も満足そうに頷く。それを聞いた光秀は、一呼吸おいて言葉を続ける。


「されど高信の叛乱を阻止できなかった山名宗家の咎は問わねばなりませぬ。高信成敗の後に因州は御返し致しますが、但州は召し上げとなります」

「な…!ば…莫迦な!?」


光秀の言葉に祐豊は愕然とした。声が、さっきとは裏腹に淀んでいる。


かつて全国六十六ヵ国中十一ヵ国の守護職を占めて“六分ノ一殿”と呼ばれた山名氏も、今では一族で二ヵ国の守護にまで落ちぶれている。それを義輝は一国のみとするという過酷な命令を下した。実際に祐豊が治めている土地は但馬に因幡の一部であるため、高信討伐までその所領の大半を失うこととなる。


(山名殿には気の毒だが、止むを得まい。生野銀山をいち守護大名の手に委ねておくわけにはいかぬからな)


今回の沙汰は余りにも厳しすぎた。召し上げるならば、争乱の地である因幡であり、安定している但馬こそ安堵されるべきである。しかし、義輝は但馬を召し上げた。その真意に光秀は気付いている。


全ては原因は、但馬にある“生野銀山”にあった。


生野銀山は月百貫近い銀が産出される日ノ本有数の鉱山であり、一昨年に大きな鉱脈が発見されている。その様は“銀の出ること土砂のごとし”と云われるほどであり、都からも近く幕府の大きな財源と成り得た。これを一大名の手に委ねておくことは幕府として認められるものではない。今回の西征で義輝は、毛利が有する石見の大森銀山を手に入れるつもりでいる。それに加え、生野銀山をも掌中に収めんとしていた。


故の但馬召し上げである。奪われる山名からすれば受け入れ難い命令であるが、今の幕府に逆らうだけの力は祐豊にはない。


その後、武田高信征伐の軍評定が開かれたが、祐豊は肩をガックリと落とし、茫然としたまま話をまるで聞いていなかった。


その夜のことである。祐豊は居室で一人、酒を煽っていた。


「くそッ…!儂が…、名門・山名の当主たる儂が因幡一国だと。有り得ぬ。有ってはならぬことだ!くそっ!」


祐豊が酒を(あお)り、一気に杯を空にする。既に何杯呑んだかは覚えていない。しかし、どうしても酔えなかった。


「くそッ!」


幾度となく怒鳴るが、虚しく響くだけで何かが返ってくるわけではない。側近や小姓たちも今日は主の勘気に触れまいと自邸に戻っている。


「御屋形様。御客人にございます」


宿直(とのい)として残っていた小姓が、来客を告げた。


「客?こんな夜更けに誰じゃ」

「はっ。朝倉家中の鳥居兵庫助殿にございます」

「朝倉じゃと!?朝倉がいったい何用だ」


朝倉と聞いて、祐豊の機嫌が一層わるくなった。祐豊にとって朝倉は、領地を召し上げた将軍の手先。一瞬“追い返すか”とも思ったが、自らが属す軍勢の総大将からの遣いを追い返すのは拙い。祐豊は乱れた衣服を正してから、遣いが待つ部屋へと赴いた。


「御初にお目にかかります。朝倉家臣・鳥居兵庫助景近にございます」

「山名右衛門督である。夜分遅くに何用だ。訪ねてくるならば、それなりの刻限というものがあるだろう。朝倉殿の御家臣は、それくらいの分別もないのか」

「はっ。申し訳ございませぬ」


開口一番、祐豊は景近を叱責した。不満を僅かにぶちまけた格好となったが、今の祐豊にはこれが限界だった。一方の景近は、その言葉を受け流すかのように謝罪の言葉を口にしただけだった。


「して何用だ」

「こちらを御納め頂きたく、まかり越した次第にございます」


そう言って景近が家来に命じて運び込んだのは、黄金であった。その量にして、一万貫は下らないだろうと思われる。


「何の真似じゃ」

「実は此度の沙汰、主命とはいえ主としても本意ではございませぬ。右衛門督様へは是非とも此度の戦で手柄を立てて頂きたく、これは戦費の足しに、と主よりの餞別にございます」

「餞別のう…。朝倉殿は随分と心配りのできる御仁であるようじゃ」

「いえ。今後とも守護大名たる山名と朝倉が友誼を深め、共に手を携えて参れればと存じます」

「うむ。左衛門督殿に、儂が礼を言っておったと伝えてくれ」

「はっ。しかと御伝え致します」


景近が引き下がる。


(義景めも相当に焦っておるようじゃな。あれも守護大名の端くれ。せいぜい利用させて貰うとしよう)


祐豊の表情は先ほどまでと打って変わっていた。


同じ守護大名といえど、山名氏は室町幕府の初期より大勢力を誇った名門である。応仁の乱のどさくさで守護大名化した朝倉とは家格が違う。その誇りから、祐豊は朝倉を下位に見ていた。


翌日、祐豊は何事もなかったように此隅山城を出陣した。




【続く】

毛利が撤退し、九州編が終了しました。


ちなみに宗麟の筑前奪還作戦や熊退治の模様は記述こそ何処かでしますが、今章にあった九州での戦いのように細かく描くというようなことはしない予定です。まあ熊退治がどうなるかは、歴史に詳しい読者様らは既にお見通しでしょうが…


さて三村です。こちらでも宇喜多憎しで道を誤りそうです。義景も義景で怪しい動きをしていますし、西征編もすぐに両軍が相まみえる状況となります。


次回は山陽勢を中心に描きます。

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