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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第三章 ~新たなる乱世~
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第十六幕 鬼合戦 -元春 対 道雪-

十一月十三日。

長門国・赤間ヶ関


九州に大軍を送り込んでいる毛利の本陣は、中国にある。毛利の総帥・陸奥守元就は、ここ赤間ヶ関で全軍の指揮を執っていた。とは言っても大軍が屯しているわけではない。軍勢の大半は筑前立花山で大友勢と睨み合っており、残りは門司城で兵站を維持している。


その元就の許へ急使が駆け込んでくる。


「も…申し上げます!周防秋穂に大内輝弘の軍勢が現れ、高嶺城に向かって進軍しております!」

「大内…」


慌ただしい様子に変事を予期した元就であったが、忘れて久しいその名を、ここで再び聞くとは思ってもいなかった。


(今頃になって、何故に大内なのだ!?)


大内、そして尼子。かつて中国地方で覇権を争い、多大な影響を及ぼした大名家の名だ。元就も両家の狭間で御家存続を保っていた過去があるが、その二つは既に滅びている。元就が滅ぼしたのだ。故に元就にとって、大内は既に過去の存在でしかなかった。


天文二十年(1551)。重臣・陶晴賢(すえはるかた)(当時は隆房(たかふさ))が主君である大内義隆に対して謀叛、大寧寺(だいねいじ)で自害に追い込んだ。晴賢は大友家より大友晴英(おおともはるひで)(母が大内家の出自)を呼び寄せ、義長と改名させて新当主へと据えた。


これが毛利発展の契機となった。


元就は晴賢との即座の敵対は避けたが、後に反晴賢の大内家臣と結託して反攻、天文二十四年(1555)に厳島で晴賢を討ち取り、二年後には大内家そのものを滅ぼした。


既に大内家が滅びて十一年、義隆の死より十七年が経っている今になって、大内を名乗る者が乱を起こした。流石の元就もこれは予想もしていなかった。


「して、城は如何した?経好の留守で大した兵は残っていないはずだが…」

「奥方様の命にて急ぎ防戦の支度を調えております。奥方様は大殿の援軍が参るまで城は死守いたします故、ご心配は無用に願いたいとのこと」

「ふっ…心配無用とはあの女丈夫め、経好もよき妻をもったものだ」


経好の室は元就も唸るほど勝ち気な女子(おなご)で、芯が強く頭もいい。男として生まれていれば、さぞ名のある武将となっただろうと思う。だが感傷に耽っている時間はない。報せを受けた時点で、高嶺城が攻められていることは容易に想像がつく。そのような女子だからこそ、救ってやらねばという気になってくる。


元就は即座に選択を迫られることになった。


「兵が足りませぬ。ここは九州より撤退するしかないかと」


選択肢の一つを進言してくるのは、家老の口羽通良(くちばみちよし)だ。


赤間ヶ関にいる二千ほどの兵では乱の鎮圧は不可能、それ以前に兵站のことを考えるとここの兵は動かせるものではない。乱の鎮圧だけを考えれば、確かに通良の言う通り九州から兵を呼び戻すしかないように思える。元春と隆景ならば、大友の大軍を目の前にしていても上手く撤退するだろう。しかし、それは九州を諦めることを意味する。


九州ひいては博多の確保は、今後の毛利存続に大きな影響を及ぼす。毛利は大国であるが、実際は国人衆の連合組織に過ぎず、それを維持するのに必要なのは“忠”や“義”ではなく明瞭な“利”だった。博多は大森銀山に並んで“利”の象徴。国人衆たちを繋ぎ止めておく為にも博多は是が非でも手中に収めなくてはならない土地であった。だからこそ元就は、再び九州へ兵を入れたのだ。


(隆元さえ生きていてくれたなら…)


ふと元就の表情に悲壮感が漂った。


もし家中の統制に優れていた嫡男の隆元が生きていれば、元就は違う選択をしたかもしれない。だが元就が愛した隆元は、永禄六年(1563)に死去している。故に元就はもう一つの選択肢を考えることとなった。それを実行するに当たって障害となるのが幕府であるが、今春に起きた幕府による伊予平定を思い返せば、光明が見えてこないでもない。


元就は周囲の存在を忘れたかのように、思考を深めていく。そして一つの結論に至った。


「大殿。それは余りにも無謀では…」


主の方針に通良が不安を口にするが、元就は首を左右に振って否定した。


そして元就の決断が、早馬となって各地へと飛んだ。


=======================================


十一月十五日。

筑前国・立花山城


大内輝弘が山口へ侵攻したという報せは、毛利の大軍が展開する立花山城へも伝えられた。中国の現状を把握している元春と隆景は、即座に帰国が命じられるものと思っていたが、意外にも元就の命は九州攻めの続行であった。


「如何に思う」


こういう時は隆景に訊くのは一番だった。武将としての気質が違う元春では、如何に父とはいえ考えが読めないことも多いが、気質の近い隆景ならば父の意図するところ汲み取ることが出来た。


「恐らくは山陰の兵を使うものかと存じます」

「出雲と伯耆の兵を動かすと?それでは大内に続いて尼子が騒ぎだそう」

「それは…左様ですが…」


実兄の懸念は隆景も理解するところであり、故に言い淀んだ。尼子は滅びたが、旧臣らが今でも毛利に反感を抱いているのは間違いない。一度こちらが隙を見せれば、どのような行動に及ぶかわかったものではなく、一定の兵を山陰に残しているのはその懸念を考慮してのことだった。


「珍しく父上は賭けに出たのではありませぬか?」

「賭け?」

「尼子の遺臣が蜂起いたすとすれば、旗頭たり得る人物が必要となりましょう。今のところそれに該当する人物と言えば、幕府が抱えている尼子勝久なる者のみにござる。この隙に幕府が勝久を出雲へ差し向ければ、一波乱あるのは間違いございませぬ。されど父上は、幕府が動かぬと考えているのでしょう」


隆景は父の考えは理解したが、何故に幕府がこの好機に勝久を動かさないかがわからなかった。勝久を抱えた以上、義輝は尼子再興を考えているはずだ。しかし、それを聞いて元春は納得したような表情を浮かべた。


「ふむ。公方様ならば、さもあろう」


逆に元春は、父の考えは理解し難いが将軍の考えには以前から共感するところがあった。


永禄の変以前の義輝は力がなかった所為か三好長慶の暗殺を企てるなど手段を選ばないところがあったが、以後は武人としての気質が表に現れ始め、常に昂然としているところがある。毛利の目が光る伊予で幕府が尼子勢を抱えていることを隠そうともしなかった将軍が、密かに勝久を出雲へ潜伏させて騒動を起こさせるような真似をするだろうか。それよりは平然と元就へ出雲を返還するように命令するか、あるいは勝久に兵を与えて正面から攻めてくる方が、あの将軍らしいというものだ。


そう父が判断したのならば、元春としては課せられた役目を果たすのみである。元春の腹は決まった。


「ならば大内が事は父上に御任せするとして、我らは大友勢を討ち破る算段でもしようではないか」


と言って諸将を招集して軍議を開いた元春であったが、この数ヶ月で対大友戦の議論は尽くされていた。よって誰からか新たなる方策が出ることはなく、軍議は当初から行き詰まった。


その辺は承知済みの元春は、諸将へ一つの問いを投げかける。


「敵の要は何処であろうか」

「申すまでもなく、戸次道雪を於いて他にございませぬ」


答えたのは楢崎信景だ。緒戦で道雪と戦い、その強さを身に染みて知っていた。


「然り。されば道雪の部隊が崩れれば如何になる」

「それは、我らの勝ちにございましょう。大友には吉弘、田北、斎藤など歴戦の猛者がおりますが、道雪に比べれば一段と劣ります。要の道雪さえ敗れば、御味方の勝利は疑いござませぬ」

「うむ。皆はどうじゃ?」


元春は全員に意見を求めたが、これに関して同意しない者はいなかった。皆が戸次道雪こそ最大の敵と感じていた。


「ならば次の戦は、道雪の部隊を破ることのみに絞る」


元春が力強く宣言し、己の存念を延べ始める。これには諸将も唖然とし、隆景を始め福原貞俊、宍戸隆家らが猛反対した。しかし、結局のところ元春が押し切ってしまい、大友との決戦が決まった。


凡そ五ヶ月の膠着を破り、毛利と大友が再び激突することになった。


=======================================


十一月十五日。

筑前国・長尾


その日、俄に敵陣が慌ただしくなったことを道雪は気付いていた。大友方では大内輝弘が周防へ上陸したことは周知のことであり、今にも毛利の撤退が始めるだろうと予測しており、毛利に動きがないか監視していたのである。


「敵方が動き出しました」

「ほう。意外に早かったな」


伝令より報告を受けた道雪は、策が嵌まったことを確信した。


「すぐに追撃に移る。狼煙の支度はできておるか」

「下知があれば、すぐにでも上げられます」

「うむ」


道雪は満足そうに頷き、再び視線を正面へ移した。ようやく長陣が終わるのだ。道雪は毛利が退き始めるのを今か今かと待った。


「毛利勢が動き出しました!されど、こちらへ向かって参ります」

「慌てるな。馬鹿正直に兵を退くことなどありはせん」


道雪は兵たちに自制を促した。基本的に撤退には追撃を免れるべく何かしらの策を講じるものである。毛利は大軍であるから、恐らく威容を示し、徐々に退くつもりなのだろう、と道雪は読んだ。そうだとしても、道雪は大いに追撃して二度と九州へ戻ってこられないように大打撃を与えてやるつもりだった。しかし、その思惑は一瞬にして崩れ去ることとなった。


「敵が寄せて参ります。あれは三引両の旗印…、吉川!吉川元春ですッ!!」


味方の悲鳴にも似た声に道雪は耳を疑った。撤退戦に於いて敵が寄せてくることはあったが、相手が問題であった。吉川元春は、毛利の総大将である。その総大将が殿軍を務めていることなど前代未聞である。


「有り得ん!ええい、前に出せ!儂がこの目で確かめる」


道雪は即座に最前線まで輿を運ぶように命じる。自らの目で確認しないことには信じることが出来なかったのだ。ただ味方が嘘を報告するはずがなく、最前線へ赴いたところで眼前に広がるのは三引両の旗だけであった。


「急ぎ御屋形様に伝令じゃ!恐らく中入りは失敗しておる。毛利は本気で攻めてくるだろうから覚悟を成されるように、そうしかと御伝えせよ!」

「承知仕りました!」


本当は未だ大内輝弘の策戦は継続中なのだが、思わぬ毛利の攻勢に道雪は失敗したと断じた。


「鉄砲を撃ちかけよ!」


ともかく敵の勢いを削るべく、道雪は鉄砲による射撃を試みる。しかし、銃撃を受けたにも関わらずに相手の勢いは弱まることなく此方へ迫ってくる。やはり毛利は本気のようだ。本気で勝ちにきている。


「さて…、儂も覚悟せねばなるまいぞ」


予想外の展開に道雪はほぞを嚙んだ。中入りの失敗がではない。毛利が攻めてきたことでもない。総大将であるはずの吉川元春が先陣を務めていたことだ。


「ふっふっふ、道雪めの慌てようが目に浮かぶわ」


一方で道雪の陣へ迫る元春の目には、敵陣の混乱ぶりが手に取るように判った。そして勝利を確信する。


そもそも元春が先陣を務めているのには訳がある。元々毛利勢は総帥たる元就と家督の輝元の不在から九州攻めの総大将は元春と定められていたが、実際は元就の方針の下で小早川隆景と福原貞俊の三者による合議で軍を動かしていた。そして今回は、大友最強の部隊である戸次道雪を討ち破ることが目的である。ならば毛利方としても最強の部隊を当てなければならず、それは元春を於いて他にない。故に総大将の役目を隆景に任せ、自らが先陣を務めたのであった。


「行け!一撃で踏み破ってしまえ!」


元春の下知が飛び、吉川勢が激しく鉄砲を撃ちかけた。これに戸次勢は堪らず怯み、その隙に吉川の兵は柵を引き倒して逆茂木を撤去していく。これで元春の進撃を阻む者はなくなった。


「何をしておるか!それでも儂の兵か!吉川如きに押されるでない!」


兵の不甲斐なさに道雪は激怒し、大声で叱咤した。


先ほどまで追撃戦のことしか頭になく、勝った気でいた兵たちは一転して守勢に追い込まれたことにより気持ちで相手に負けていた。ここまで簡単に押し込まれるなど、道雪の配下では滅多にないことである。しかし、常より“勇将の下に弱兵なし”と家臣らへ申し聞かせている道雪としては、この状況を予想できなかった己に責任があると思う。


「よいか、これより一歩も退いてはならぬ。我らの後ろには御屋形様がおられるのだ。負けは許されぬと思え」

「はっ」


道雪は気迫のこもった声で、自隊へ命令を下す。


それから戸次勢は蘇った。物見がてら最前線へ赴いていた道雪が、そのまま止まって兵を指揮していたからだ。兵たちは我に返ったように吉川の猛攻を受け止めた。


「道雪め…、やりおるわ」


だが吉川勢も元春が指揮しており、戸次勢に引けを取るわけではない。久しぶりに骨のある相手とぶつかったことにより、元春は闘志を湧き上がらせていた。


「道雪を探せ。輿に乗っているはずだから目立つはずじゃ。奴を討ち取れば、我らの勝ちぞ」


道雪の足が悪いのは有名な話であり、元春自身が馬を走らせて道雪の姿を探した。その姿を見つけて襲ってくる兵もいるが、雑兵の刃に倒れるほど元春は弱くはない。


「うぬらには用はない。儂が用があるのは道雪だけじゃ!」


雑兵を一人、元春が馬上から突き刺す。さらに右から迫る兵に視線を移した時、その背後で輿に乗って部隊を指揮する武将の姿を捉えた。紛れもない戸次道雪である。


標的を見つけた元春は、目を輝くばかりに光らせた。互いに最前線で兵を指揮していたことから、どちらも一進一退で(せめ)ぎ合っている中、大将同士が相まみえるという現象が起こった。


「邪魔じゃ、どけ!」


愛馬を操り、蹄で敵兵を蹴り倒した元春は、馬腹を蹴って脇目も振らずに道雪へ迫った。


「道雪、覚悟ッ!」


道雪の姿を捉えた元春が、勢いよく馬を輿に寄せる。馬の全体重がかかった体当たりを食らった担ぎ手たちは思わずよろめき、道雪の乗った輿が傾く。この隙に元春は道雪の命を貰うべく鋭い突きを放った。雷切(らいきり)という名刀を所持している道雪であるが、半身不随であるために刀を振るって攻撃を防ぐ術は持たない。


元春が道雪を討ち取った…かに思えた。


ガキンッ!という大きな金属音がしたかと思うと、道雪が愛刀を腕の力だけで振るって元春の攻撃を受け止めていたのである。


「この首、易々とくれてやるわけにはいかぬわ!」

「ならば獲ってくれよう!」


元春の第二撃が道雪を襲う。先ほど渾身の一撃を受け止めた道雪からすれば、発した言葉とは裏腹に次の攻撃を防ぐ力は残っていなかった。


「殿!」


元春の槍が道雪の胸板を貫くかと思われた瞬間、担ぎ手の一人が間に割って入り、主の身代わりとなって果てた。それによって道雪は輿から転げ落ちる事になったが、九死に一生を得ることになった。


「おのれ…!!」


大事な家臣の死に怒りを露わにした道雪であったが、自身で立てない以上はどうしようもない。恐らく道雪自身、生涯に於いてこの時以上に己を不甲斐なく思ったことはないだろう。


「うぬ…こやつら、ええい!」


元春は尚も道雪を討ち取ろうと躍起になるが、道雪の家臣たちが身を挺して壁になっており、なかなか近づくことが出来ない。こうしている内に周囲には戸次の兵が集まり始め、元春も脱出を考えなくてはならなくなった。


「元春殿!こちらへ御退きなされ!」


そこへ後続として進撃していた宍戸隆家が救援に駆け付けてくる。だが道雪にしても目の前に転がった大将首、しかも家臣の仇を逃すわけにはいかない。


「儂のことはよい。元春を討ち取れ!さすれば我らの勝ちじゃ」


今すべきことを明確に配下へ伝える。それに反応し、今まで主を守っていた戸次勢が一斉に攻勢に転じてきた。並み居る兵を元春は薙ぎ払っていくが、兵の一人が繰り出した刃に愛馬の足が斬られ、元春はドッと投げ出された。


「うぐっ…」

「元春殿!?」


地面に叩きつけられた元春に激痛が走り、表情が苦痛に滲む。堪らず隆家の一党が敵兵との間へ割って入り、形勢は五分に戻ったが、そこで両者は互いに睨み合ったまま膠着する。


だが元春と道雪は互いに地面に這いつくばったまま、まるでその場に二人だけしかいないかのように鋭い視線を交わし合っていた。


「道雪よ、毛利は負けぬぞ」

「儂がおる限り、大友は滅びぬ」


どれくらい時が経ったかは判らないほど、両者は動かなかった。しかし、勝敗は最初から決していた。壮年でもっとも気力が溢れ五体満足な元春に対し、歩行すら困難な道雪。ここで乱戦になれば、不利なのは明らかに道雪だった。


隆家の援護を受けた吉川の兵は相手を討ち取ることを考え、戸次の兵はどうやって主を退避させようかを考えていた。


きっかけとなったのは、大友方の劣勢が伝えられた時だった。


毛利方は元春が道雪に攻めかかったのと同時に、全軍を動かしていた。しかも大半の大友勢が戸次勢と同じく追撃の姿勢から毛利の攻撃を受けたために当初より守勢を強いられていた。それでも道雪の粘りによって前線は維持されていたが、隆景が鮮やかな手並みで戸次勢へ救援が駆け付けないように兵を繰り出しており、道雪が元春に手を取られて指揮が不可能となっている間に一部の隊が崩れ始めた。


「かかれッ!」


敵方の動揺を敏感に感じた元春が、兵へ突撃を命じる。


「殿を守れ!指一本たりとも触れさせるでない!」


道雪の家臣・由布掃部助(ゆふかもりのすけ)が主君を輿へ運ぶように命じ、後方へ落ち延びさせようとする。


「退くな!ここで退いてはならぬ!儂に構うな!」


道雪は止まるように命令するが、掃部助は聞く耳を持たず道雪を全速力で逃す。


「逃がすな!ここで道雪を討ち取るのじゃ!」


追いすがる吉川勢を戸次勢は死兵となって防いだ。掃部助は討たれたが、多くの兵を道連れにした。流石に元春も配下を無駄に死なせるわけにはいかず、道雪を討ち取るのを諦めた。首級を挙げられなかったのは残念であるが、戸次勢の敗走により勝敗は決したと言って良かった。


道雪が後方へ退くと、堰を切ったように毛利勢が大友の陣形を食い破った。軍勢は多々良川を一気に越え、宗麟のいる博多を目掛けて進撃していく。宗麟も予備隊を出して防ごうとするが、挽回できずに博多を放棄して筑後まで退却するしかなかった。


幸い吉弘鎮信が殿軍となって被害を最小限に抑えたが、筑前の失陥により高祖城、古処山城、宝満城の囲みは解くしかなく、こちらは城兵の追撃に遭って大打撃を被ることになった。唯一龍造寺相手に優勢であった蒲池鑑盛のみ無傷で帰還することが叶った。


宗麟は筑後川を防波堤に二万の兵を展開し、久留米城へ本営を据えて高良山と肥前国勝尾城(かつのおじょう)へ五千ずつ兵を入れた。この地で毛利の侵攻を阻もうというのだ。


対する毛利は、秋月、高橋、原田に龍造寺の兵を加えて六万にまで膨れ上がっている。その差は士気の高さも相まって歴然だった。


その頃には中国の状勢が伝えられ、危機が去ったことを毛利方は報されていた。


大内輝弘は元就が集めた擬兵に騙されて高嶺城の攻撃を中断、立ち往生している内に山陰から毛利の援軍が駆け付け、上陸した秋穂浦へ撤退していったという。後に輝弘は若林鎮興に見捨てられて豊後へ戻る術を失い、自棄になって最後の一戦を試みるが敵うわけもなく、自刃して果てることになる。


長い九州の戦いは、毛利元就の完全勝利となった。


「おのれ毛利め…、このまま終わる儂ではないぞ。必ずや博多を取り戻し、九州から追い出してくれるわ!」


だが宗麟は未だ諦めていなかった。その胸中には大逆転となる奇策を秘めており、それを実行に移すために筑後での防戦は道雪に委ね、供回りのみを引き連れて豊後へと帰還していった。




【続く】

まだ九州編が続きそうな最後でしたが、今回をもって九州編は終了です。次回は上方へと戻り、宗麟の秘策とやらは次々回で明らかとなります。


6/8 雷切のルビを修正しました。

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