第十二幕 一領具足 -元親の快進撃-
一月二十日。
土佐・瓜生野城
長宗我部元親は、念願の土佐平定へ向けて邁進していた。
「ようやく……か」
元親は溜息まじりに言葉を吐いた。
将軍・足利義輝より土佐守護職に任じられること凡そ一年余り。ようやく成果らしい成果を上げることが出来た。本山貞茂の拠る瓜生野城を陥落させたのである。瓜生野城は永禄七年(1564)に本山城が元親によって奪われて以来、本山氏最期の拠点となっていた。これを攻略したことは、土佐の一角を落としたことと同意であるが、瓜生野城は攻め落としたのではない。降伏して開城したのである。
昨年、元親は土佐守護となった余勢を駆って三度に亘り瓜生野城を攻めたが、全て失敗に終わっている。それも守将・本山貞茂の頑強な抵抗にあったからだ。その貞茂が今回に限って元親に降伏した理由は、蜷川親長の存在に他ならない。
幕臣である親長は、今回の本山攻めに初めて加わった。手勢にして僅か二〇〇〇足らずなのだが、幕府はこの時期に大軍を伊予へ入れている。つまり幕府が味方をしている元親に抗うことは、何れ伊予へ入っている幕府の大軍を相手することになる。それでは勝ち目がないと悟っての降伏だった。もっとも土佐は元親自身に平定させるとの約束であるので、義輝にその気はないのだが、その約束まで貞茂が知っているわけではない。
結局、貞茂は幕府の威を恐れただけであり、元親の力に屈服したわけではないのだ。それ故の溜息であった。
「敗軍の将とはいえ、貞茂殿は勇将じゃ。粗相があってはならんぞ」
元親は家臣らにそう命じた。
貞茂は元親に負けたとは思っていない。故に下手に扱えば、恨みを買うことになりかねない。それよりは厚く遇し、長宗我部の力となって貰った方が土佐の平定は早まるというものである。幸いにも貞茂は一条氏との関係が険悪であるために、そちらへ寝返る懸念もない。
貞茂は母が元親の姉であるために一門衆に列し、元親の偏諱を賜って親茂と改めた。
「蜷川殿。此度の援軍、感謝いたす」
「なに。宮内少輔殿には世話になった故、それを返したまでのこと」
「そう言って頂けると有り難い」
「して、この後はどうする?このまま兵を退いたのでは勿体なくはないか」
親長の問いに、元親は口元に手を添えて思慮に耽った。
元親が岡豊城を出陣してより未だ六日しか経っていない。これまで本山勢の抵抗が激しかったので、親長の援軍があっても優に一月や二月はかかるものがと考えていたのだ。それが思うより早く終わった。
「兄上。今ならば中村はがら空きぞ」
一条攻めを進言してくるのは実弟の吉良親貞だ。元々一条兼定によい感情を抱いていないために再三に亘って一条攻めを主張している。それでも前は相手が国司家であるために遠慮して元親と二人の時にだけだったが、元親が守護となってからは遠慮がなくなり、誰の前でも憚らなくなっていた。
「幕府の軍勢が伊予に入っている。伊予の争乱は御所様にも責任があり、これを攻めることは親長殿への返礼ともなろう」
そう言って親貞は兄に迫るが、元親は未だに一条を攻めることへの抵抗を捨てきれずにいる。
「岡豊城へ戻る」
考えた末に元親が下した決断は、帰城であった。これに親貞は尚も再考を促したが、元親が決定を覆すことはなかった。
「蜷川殿。此度の御礼を致したい故、我が城まで御同行願えますかな」
「もちろんですとも」
こうして長宗我部勢と蜷川勢は岡豊城へ向けて出発して行った。
岡豊城では連日に亘って宴が催され、領民にも酒が振る舞われた。歓待された親長には本山攻めがそれほどのものとは思えなかったが、元親はまるで己の欣喜雀躍ぶりを土佐中に見せつけんとばかりに宴を続けた。
宴が続いて八日目のことである。突然、元親が親長を呼んだ。その次の日のことである。蜷川勢が岡豊城を出て帰国して行った。
その三日後のことだ。元親は家臣たちの前で宣言した。
「安芸国虎を攻める」
同時に陣触れを発したのである。
土佐平定に於ける元親の敵は、一条、本山、安芸の三者。その内の一角が崩れ、一条氏が伊予へ出向いている今、安芸国虎は孤立していた。しかし、それはそれで国虎も警戒を厳重にしているはずで、馬鹿正直に正面から攻めたとしても勝機は乏しい。故に元親は本山攻めを終えて宴を催し、蜷川勢が帰国させて安芸方に“もう長宗我部の出陣はない”と思わせるよう一計を案じたのである。
その証拠に、帰国したはずの親長が岡豊城へ姿を見せていた。
元親の出陣命令が領内へと飛んだ。
城ではドン、ドン、ドンと太鼓が叩かれ、狼煙が上げられた。陣触れを告げられた領民たちは、傍らに置いてある具足へ身を包み、即座に主の許へと馳せ参じる。
瞬く間に岡豊城には、七〇〇〇もの兵が集まったのだから親長は驚いた。
「このように素早く兵を集めるとは……」
「ははは、驚かれましたか。これぞ我が長宗我部が誇る一領具足の力にござる」
一領具足とは、一領の具足しか持たない半農半士たちが、常に傍らに具足を携えて農作業に従事することにより素早い動員を可能とした仕組みのことである。一般的な寄親・寄子制度を取り入れてる大名家に比べると遙かに優れた仕組みであった。
親長は元親の許に身を寄せていた時期はあったが、一領具足を見るのは今回が初めてだった。
「出陣!」
元親の号令で蜷川軍を加えた九〇〇〇の兵が長蛇をなして街道を東へ進む。目指す先は安芸国虎の安芸城である。
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二月三日。
土佐国・安芸城
この日の朝、安芸国虎は長宗我部軍が動いたという報せを受け取った。報せを寄越したのは姫倉城主・姫倉右京であった。
「この儂を謀ったか!元親めッ!」
元親の策略に嵌まったことを知った国虎は、熱り立っていた。しかし、後悔しても遅い。兵は帰したばかりで再招集するには、どうしても二、三日かかる。その間に姫倉城は陥落するだろう。
「和議…しかござるまい」
重臣・黒岩越前がそのように進言したのには理由がある。元親が土佐守護へ任じられた際、国虎へ対して和睦の申し出があったのだ。故に今ならば元親も和議に応じる可能性があった。
「和議など降伏に等しい。この国虎に元親の風下に立てと申すか」
「されど、御所様の援軍は期待できませぬぞ」
国虎の正室は兼定の妹であり、安芸が攻められれば兼定が背後を衝く、として今まで元親に対抗してきた。それが現在は兼定が伊予入りしていることで不可能となっている。
「儂が御所様の援軍なしでは戦えぬ臆病者だと!?」
「誰もそのように申してはおりませぬ!」
黒岩越前の諫言に興奮冷めやらぬ国虎は耳を貸そうとはしなかった。その越前としても姫倉城が陥落間近の今、ここで主の説得を続ける時間の余裕はなかった。姫倉城の次に長宗我部の矛先が向くのは、間違いなく越前の居城・金岡城だからだ。
「ともかく拙者が時間を稼ぎます。その間に殿は兵馬を調えられませ」
「ええい!わかっておる。元よりそのつもりじゃ!早う、行けッ!!」
越前が国虎に追い出されるような形で城を退去して居城に戻った頃、既に長宗我部の軍勢は眼前まで迫っていた。
城を囲む軍勢は二〇〇〇に対して城兵は八〇〇。籠城戦では三倍の兵数が必要とされているので、けして黒岩勢が不利というわけではなかったが、相手が悪かった。
「まさか幕府勢とは…」
越前は城を囲む軍勢を見て唖然とした。
長宗我部勢は、障害となる金岡城を蜷川親長に任せて東進している。蜷川勢は柵に土塁を築いて城方の突出に備えた防戦の姿勢であり、城を攻める気配はない。明らかに抑えだ。
「かといって、幕府の軍勢を攻めるわけにはいかぬ」
主の有する兵は少ない。これに対して長宗我部は全軍で当たることになる。圧倒的に不利だ。それを打開する策として越前が思いつくのは、自分が包囲を突破して元親の背後を襲うことのみ。しかし、眼前にいるのは幕府軍であり、京畿を回復し、四国でも阿波と讃岐の二カ国に勢力を有する幕府へ弓引けば、この戦で勝てたとしても安芸家の滅亡は時間の問題となるだろう。
(殿…、申し訳ございませぬ)
越前は、主が独力で元親の軍勢を討ち破ってくれることを祈るしかなかった。
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二月七日。
土佐国・穴内城下
蜷川親長に金岡城の抑えを要請した元親は、無人の野を行くか如く安芸領深くに入り込んでいた。眼前には二つの城が見える。穴内と新荘、ここを突破すれば国虎の居城・安芸城まで阻むものは何もない。
その二つの城に、安芸国虎は三〇〇〇の兵と共に詰めていた。
「さて、如何にする」
元親は軍議を開いて諸将の存念を訊いた。
「兵力では我らが上、士気も高く力攻めが打倒かと」
そう主張するのは福留親政。長宗我部一の猛将であり、元親の嫡男・千雄丸の傅役を任された信頼に篤き武将である。
「下策じゃ。兵が多いとはいえ相手の二倍程度、無策で攻めれば犠牲は大きくなろう」
反対したのは吉田孝俊である。無論、代案あってのことだ。
「殿。ここは中入りが上策かと」
中入りとは、敵の背後に別働隊を送る戦術のことである。主に兵数が多い側が使うものであり、孝俊はそれを用いようと言うのである。
「山手側に間道がございます。抜ければ安芸城の背後、内原野という場所に出ます。本拠が危ういとなれば、国虎は兵を返しましょう」
「よい案だが、兵を返さねばどうなる」
敵に見つからず間道を通ることが出来るのは、せいぜい数百だ。国虎とて居城にそれなりの守備兵を置いているはずで、兵を退かない可能性もあった。
元親の懸念を孝俊は否定した。
「いえ、必ず返します。返さずとも、少なからず兵を割くはずです」
「その根拠は?」
「国虎の室は御所様の妹君にあらせられます。何かあらば、同盟に支障が出ましょう」
土佐に於ける御所の重みを元親は誰よりも知っている。故に元親は孝俊の策が上手く機能することを即座に理解した。
「それでいく。中入りは孝俊、そなたの手勢が務めい」
「はっ」
「国虎が兵を返したら追撃する。兵を割くに止まれば城攻めじゃ。先鋒は親政に任せる」
「お任せあれ」
次の日の正午過ぎ、安芸勢に動きがあった。八〇〇ほどの兵が城を抜け出して東へと向かって行ったのである。
「読み通りだな。ぼちぼち始めるか」
元親は全軍に攻撃命令を下した。
合図と共に将兵が穴内城へ迫る。
「今日中に城を落とすぞ!者どもッ!怯むなッ!!」
親政の大音声が兵たちを疾駆させる。城方からは絶え間のない矢の雨を降ってくるが、兵たちに怯む様子はなく、皆が揃って楯で防ぎ、じりじりと歩調を合わせて確実に城門へと近づいていく。
「それ!今だッ!!」
攻め手が門扉を丸太で叩き、兵には梯子をかけて城内への侵入を試みる。親政はそれを自ら弓を射って味方を援護する。その腕前は見事であり、射る矢が確実に敵兵を捉えた。その親政の援護により十数名の味方が城内への侵入に成功するのにさして時間はかからなかった。
味方は城内から門扉を開けた。
「儂に続けッ!儂よりも後ろにおる奴は厳罰に処す!」
解き放たれた門より福留勢が城内へと雪崩れ込む。これに親貞の指揮する味方が続き、攻城戦は白兵戦となった。そうなれば兵力に劣る安芸勢に勝ち目はない。抵抗も時間の問題であり、落城は必至だった。
「新荘城からの突出はないようですな」
「親泰が抑えておるのだ。出てきたところで返り討ちよ」
重臣・久武親信の懸念に元親は当然のように答えた。
元親は穴内城攻めの際、実弟・香宗我部親泰に新荘城の抑えを命じていた。兵力を穴井城へ集中させ、陥落させれば新荘城は自落するだろう、との判断からである。
穴内城は夕暮れまでに陥落。僅か半日にして城を落とせたのは、巧みに兵を動かして計略を仕掛けたからではない。単に組織的な攻撃を行っただけであり、もっとも効率よく城を攻められたからである。これは一領具足たちの力による。彼らは半農半士であるが故に忠節にも篤く団結力が強い。集団行動はもっとも得意とするところであり、農作業に従事していることから身体的に鍛えられているものばかりである。
これを長宗我部の猛将たちが指揮するのだから、兵はさらに強くなる。この一領具足たちを率い、元親は確実に力をつけている。
翌朝、元親の予想は的中し、新荘城はもぬけの殻となっていた。城兵が夜陰に紛れて逃げ出したのである。
二つの城を接収した元親は、その日の内に安芸城を包囲した。
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二月二十九日。
土佐国・金岡城
籠城戦を続ける黒岩越前は悩んでいた。城を包囲する蜷川親長からは一度たりとも攻められておらず、その気配もないために城内は至って平穏である。しかし、親長は再三に亘って城を開けるよう伝えてきている。同時に、主君・国虎の劣勢を伝えられた。
既に安芸城は包囲され、重臣の何名かも離反し、兵糧も尽きかけて落城寸前だという。頼みの一条も援軍を送る気配がない。
「この期に及んでは、安芸の名を残すことが大事…か」
越前は剃髪し、親長へ降伏を申し出た。その際、一つだけ条件を出した。
「国虎様の自害は避けられぬでありましょう。されど、国虎様の御嫡男・千寿丸様の御命だけは助けては頂けぬでありましょうか」
この申し出に親長は悩んだ。常では元服前であろうが嫡男を含め男児を生かすことはない。遺恨を残すだけだからだ。しかし、目の前の男は己の命と引き替えに主家の名跡を守ろうとしている。
(これを断れば、儂は上様に叱られるな)
義には義を以て応える。それが主の信念であり、目指す世の在り方である。
「身柄は幕府が預かることになるが、宜しいか」
「構いませぬ」
「ならば、もう一働きして頂こうか」
「主へ降伏を勧めれば宜しいのですね。お任せあれ」
この二日後、越前の説得により安芸城は開城し、国虎は菩提寺である浄貞寺に入って自害した。約定通りに嫡男・千寿丸は助命され、幕府が預かることになり京へと送られた。黒岩越前は主の正室を土佐一条家へ送り届けた後、長宗我部と幕府への仕官を固持して亡き主君の後を追った。
安芸城は、親泰が城主に任じられた。
元親はさらに奥地へと兵を進め、土佐東部を悉く支配下に置いた。これにより元親の残る敵は土佐西部を治める国司家・一条氏のみとなった。しかし、元親は“返す刀で一条氏を攻めるべし”とする親貞の進言を退け、岡豊城へと凱旋したのであった。
【続く】
連続投稿の最期です。
元親編ではありましたが、土佐統一には至りませんでした。しかし、これで四国に残っている勢力で幕府に属していないのは一条氏のみとなりました。この話の続きは、次章となります。
また幕府に預けられた安芸国虎の子ですが、再登場は考えておりません。京の寺に入れられたとでも思っていて下さい。
さて、次回は九州編です。毛利と大友の戦いを描きます。




