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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
序章 ~異見・永禄の変~
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第四幕 越前朝倉 -一乗谷評定-

五月二十四日。

越前・一乗谷城。


日も落ちた頃に義輝は敦賀郡司・朝倉景紀の軍勢に守られながら朝倉氏の本拠・一乗谷へ入った。とりあえず義輝は城下の安養寺へ案内された。


翌朝、義輝は寺の庭先から一乗谷を眺めた。


朝倉家は初代越前守護・朝倉敏景が一乗谷へ本拠を移してより凡そ百年、この地から越前を治めている。本拠たる一乗谷城は一乗山の尾根に長く築かれており、南北半里強もの大きさを誇る。足羽川を天然の堀とし、東・西・南は山に囲まれている。まさに鉄壁。


昨夜は暗くて分からなかったが、翌朝になって一乗谷の大きさが一望できた。また城下の賑わいも流石に京ほどではないが、相当なものだ。かなりの人間が住んでいるだろう。


(朝倉左衛門督……侮っておったが、一乗谷がこれほど繁栄しておるとは……。案外、期待できるやもしれぬ)


朝倉二万を自在に操るほどの男ならば、対三好戦の中核を担える。そう思った義輝であったが、そうそうに期待を裏切られることになる。


正午を迎える手前、左衛門督義景が家臣団を引き連れてやって来た。形式的な挨拶を受けた後に評定を開くことになっている。もちろん三好討伐についてだ。


現れた義景の姿を見て、義輝は唖然とした。


(まるで公家ではないか……)


華奢な体躯におっとりとした顔つき。顔色も青白く何より目が死んでいる。義景の姿に、戦国武将たる威厳はまったく感じられなかった。


反面、朝倉家臣から見た義輝の印象は違った。


体躯は平均よりやや大きい程度だが、筋肉質な身体は戦国武将に足るものであり、顔には真新しい刀創、眼光は鋭い。また生まれからくる高貴さも漂わせている。何より数日前まで死闘を演じていた義輝からは覇気が溢れていた。


「左衛門督義景にございます。まずは上様が御無事であったこと、祝着に存じます」


義景が挨拶する。それに対し、


(征夷大将軍ともあろう者が、命からがら恥も外聞もなく京を追われて何が祝着なものか!)


と胸中で叫ぶ義輝だった。


「うむ。余は此度、不覚にも京を追われたが、再び京に戻り、逆賊を討ち滅ぼす覚悟である。その為にも左衛門督の力、頼りにしておるぞ」


しかし、こう言わなければならない今の己の無力さを呪うしかなかった。


「勿体無きお言葉にございます。当家に全て御任せあれ。必ずや京への道、この義景が切り開いて御覧に入れましょう」


そう義景が立派に決意表明するが、その語気にはまったく力が入っていない。義輝は落胆した。これでは朝倉の兵も頼りにならない。そう思ったが、義景の後ろに控える家臣団の中にはそれなりに骨のありそうな者も垣間見えた。朝倉家とて無為に百年もの間、越前を治めていたわけではない。当主が戦に出ずとも、名将として武名を轟かせた朝倉照葉宗滴が鍛え上げし軍団は未だに健在だった。


「上様は帰洛を求めてござる。よって上様が京へ戻られるための策を講じて頂きたい」


いよいよ評定が始まった。藤孝が進行を行う。その手始めに義景に対し、意見を求めた。


「当家が声をかければ、近江の浅井が合力することは必定にございます」


が、中身は乏しいものだった。


浅井長政。江北三郡を治める若き太守である。永禄三年(1560)に起こった野良田合戦では六角軍二万五〇〇〇を一万一〇〇〇で破ったことは記憶に新しい。しかもこの戦、長政にとっては初陣であり、このように華々しく初陣を飾った例は珍しい。そんなことだから、義輝自身も長政には期待を持っている。しかし、朝倉と浅井が仲が良いことは誰もが知っていることだった。


(他に案はないのか)


義輝と藤孝も朝倉・浅井の両家連合を基礎に物事を考えている。だが義景はそこしか考えていなかった。そこから先の案なんて、義景にはない。何故なら義景自身、二日前まで義輝が自分のところに来るなんて思っていなく、二日前に景紀から報せを受け、もうこちらへ向かっているというから受け入れるしかなかった。義輝の手前、『迷惑だから出て行け』とは言えないだけなのだ。それでも二日間は考える時間があったのだから、少なからず何か案が出てきてもよいはずなのだが、元よりそんな智恵は義景になかった。


(それでようも『当家に全て御任せあれ』などと言えたものだ)


そもそも朝倉は長年に亘って浅井家としか同盟しておらず、朝倉・浅井で何事も何とかなると考える風潮がある。今回のことも朝倉首脳陣はそれ以上のことは考えていなかった。


「皆々方、三好・松永を侮ってはなりませぬ。先年、教興寺の合戦で三好修理(長慶)が動員し軍勢は、六万にも及びます。それを念頭に、策を講じられたい」


藤孝の話に場がざわめく。


無理もない。朝倉と浅井が上洛に動員できる兵は凡そ二万余である。それですら大軍なのだが、相手はその三倍の兵となると怖じ気づきもする。しかし、義輝も藤孝も今の三好に六万もの兵が動員できるとは思っていない。


三好の版図は全盛期から大きく変化していないが、三好長慶を失っている。この事で上方の反三好勢力が勢いづいており、その中核が義輝なのだ。機先を制されて京を追われはしたが、反三好勢力はどれも健在。もし義輝が朝倉・浅井と上洛軍を発しても、全軍をこちらへ向けることは出来ないだろう。せいぜい三万数千、これが義輝の見立てだ。


「恐れながら……」


末席で一人の武者が声を上げる。


「何者か?」

「左衛門尉景紀の子、景恒にございます」


朝倉景恒。昨年の加賀攻めで兄を亡くし、敦賀郡司職を継いでいる若き一門である。


「景恒。上様の御前ぞ。若輩者が出しゃばるでないわ」


上席から声が飛ぶ。一門衆の筆頭として紹介された朝倉式部大輔景鏡(かげあきら)である。この発言に景恒の父・景紀も眉をしかめている。この両者、仲が悪いのだ。それも景恒の兄が加賀攻めの陣内で景鏡との口論の末に自害したからだ。


「よい。考えがあるのなら申すが良い」


義輝が制す。


見苦しい。そう義輝は感じたのだ。意見があるのなら言えば良い。それがどんな者でもだ。でなければ評定に参加している意味がないというもの。それに若い者なら尚さら聞いてやらねば不満は溜まる一方となる。本来ならばこれを制するのは当主たる義景の役目なのだが、当の義景は景鏡寄りの考えのようで、義輝の裁定に不満があるようだ。表情は僅かにしか変わっていないが、分かる。生まれてよりずっと人の顔色を窺って生きて来なければならなかった義輝だ。このくらいは読める。


発言を許された景恒は揚々と話し始める。


「まずは若狭に兵を入れるべきかと」

「若狭へ?」

「はっ。若狭は今、守護の義統殿と先代の信豊殿が争っております」

「うむ。知っておる」

「義統方には当家が、信豊方には三好が支援しております」

「それも知っておる」


要は若狭において朝倉と三好が代理戦争を行っているのだ。現時点では義統方が優勢。しかし、予断を許さない状況にある。


「もし当家が公方様を戴いて上洛した場合、信豊方に背後を脅かされる可能性がございます。その前に、若狭を完全に義統殿でまとめる必要がございます」

「そうすれば、上洛の折に若狭の兵をも使えるか」

「御意」


流石に若狭と接する敦賀郡を治める景恒だ。若狭の事情に明るい。多くは父の景紀が手にしたものだろうが、着眼点は評価できる。


「されど余としても出来るだけ早く上洛したい。早々に若狭の争乱を鎮められるか?」

「公方様の御出馬があれば……あるいは」


自らの出馬。それは義輝も上洛まで考えていなかった。


「控えぃ!公方様に出馬を求めるとは図に乗るでないわ!」

「そうじゃ!そうじゃ!」


席上から景恒に向けて野次が飛ぶ。どれも景鏡派の者たちだろう。やはり見苦しい。これで上洛が叶うのか。そう思う義輝だったが、景恒の案は捨て難い。義統は義弟であり、若狭に自らの影響力を強めるために出て行った方がよいかも知れない。


「よい。余が出向こう。仕度を頼む」

「はっ!はっ!!」


景恒が頭をぶつけるのではないかと思うほど、勢いよく頭を垂れた。よほど嬉しかったのだろう。それほどまでに景恒は家中で孤立していたのだ。義輝の同意が得られたことで、今回の若狭出兵は景恒が采配できる。加賀攻めではないが、兄の無念も少しは晴れる。そう思った。


「公方様。上洛を目指すには、加賀一向宗との和睦が不可欠にございます」


今度は景鏡が意見を述べてくる。元々持っていた意見なのか、景恒に遅れまいとしたのかは分からないが。


「我らが越前を留守にすれば、一向宗が国内に雪崩れ込んでくることは必定にございます」

「で、如何にすればよい」

「当家を加賀守護に任じて頂けないでしょうか。その上で加賀へ攻め入り……」

「それでは火に油を注ぐだけであろう」

「そ…それは……」


言葉が詰まる。結局は景恒の意見が取り入れられたのに触発されて発言しただけだったか。自尊心が強い。それだけの人物。それが義輝の景鏡評になった。その景鏡が大きな顔をしていられる家中など、やはり底が知れている。


「事を荒立てる必要はない。要は余が上洛する間、じっとしてくれればよいのだ。奴らの大半は農民がほとんど。こちらから攻め入り、田畑が荒らされる心配がないと分かれば和睦にも応じよう」


この件については、余計な事情を挟まないためにも藤孝にやらせることにした。幕臣が直接出向き、やりとりをした方が相手の感情を刺激しないだけ和睦はまとまり易いだろうと思われた。


(されど、若狭を手に入れたとしても兵が足りぬ。左衛門督も思ったほど頼りにならぬし、やはり頼りにすべきは……)


義輝は静かに目を瞑った。脳裏に思い浮かべたのは二人の人物だった。




【続く】

第四回です。


ここまで順調に書き上がりました。このペースを続けたいところです。


また今回まで義輝の呼称が様々で分かり辛いと思います。(そうでもない?)


上様:直臣(藤孝)や守護大名クラス(義景)

公方様(義輝公):陪臣(光秀や朝倉家臣)

大樹公:身分に関係のない者(卜伝など)


という分け方にしています。(ただ信綱の場合、武家に仕えていた名残で公方と呼称しています)ま、雰囲気で変える場面もありますが…


※追記

初投稿作品で使い方に慣れず、タイトルが分かりづらく(第三回なのに二幕とか)なっていたのを修正しました。

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