表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第三章 ~新たなる乱世~
35/200

第四幕 復活の嫡男 -女戦国大名の決断-

永禄十年(1567)五月二日。

遠江国・掛川城


遠州・掛川城は今川家臣・朝比奈泰朝の居城である。昨年十一月に駿府を追われた今川氏真は、近臣や郎党と共に泰朝の許へと落ち延びていた。城内は今川の当主が在城していることもあり、兵も五〇〇〇と多いが、武田軍相手に逆襲できる力はない。せいぜい上手く戦えば徳川勢に善戦できる程度である。


故に泰朝は二方面へ兵を割くことを断念、全軍を徳川へ向け、駿河方面は北条勢に望みを託すことにした。


最初こそ泰朝の策は上手く機能した。曳馬城で徳川を抑え、武田本隊を薩埵峠に釘付けとした。それが織田軍の到来で跡形もなく消え去ってしまう。


「まもなく織田勢がこちらへ攻めて参ります!」


曳馬城で織田の攻撃を受けた泰朝は、急ぎ居城へ戻って主君へ報告した。案の定、氏真は狼狽した。


「の…信長が来るのか!?」

「曳馬城の陥落は時間の問題…いや、もう落ちているかも知れませぬ」


一難去ってまた一難とはこの事である。氏真にとっては、この数ヶ月は悪夢でしかなかった。北条が武田と睨み合っている以上、織田とは単独で戦わなくてはならない。しかし、相手は尊敬する父が数倍の軍勢を以てしても敵わなかった織田信長である。勝てる自信が、氏真にはなかった。


その織田軍が、城下に現れた。その数、五万二〇〇〇。しかもだ、その直後に城の東側からは武田の大軍が押し寄せて来た。織田と武田は同盟している。無論、徳川もだ。今川にとっては全てが敵だった。


城を包囲する七万の軍勢に城内は戦慄し、恐怖した。城兵は浮き足立ち、家臣たちも慌てふためき、念仏を唱え出す者まで現れ始めた。


「もはやこれまでか……」


泰朝は絶望に打ち拉がれた。武田が姿を現した以上、唯一味方だった北条は和睦したか敗れ去ったかのどちらかだろう。望みは、完全に絶たれてしまった。


「狼狽えるでない!それでもお前たちは、天下に名高き今川の家臣ですか!」


そんな彼らを上座から一喝する者がいた。


甲高く、力強さを感じるこの声の主を今川の者たちは誰もが知っている。そう声の主は主君・氏真ではなく、その隣に座す尼僧。彼女である。


彼女の名は寿桂尼。第七代当主・今川氏親の正室にて名将・今川義元の生母。女性でありながら氏親、氏輝、義元、氏真の四代に亘って政務を後見しており、分国法・今川仮名目録の制定にも関与している優れた政治家であった。


「外を御覧なさい。どうやら私たちには、まだ取るべき道が残されているようです」


寿桂尼は(なだ)めるような口調で話す。彼女の言葉に従って、家臣たちは揃って城下を窺う。するとどういうことだろうか、味方同士であるはずの織田と武田が、まるで睨み合うかのように陣を構えているではないか。


「これは如何なることじゃ」


思わず発した泰朝の疑問に、答えられる様な者はいなかった。ただ寿桂尼だけは、深く目を閉じて思案に耽っていた。


=======================================


同日。

遠江国・掛川城下


織田軍に僅かに遅れて掛川城へ辿り着いた信玄は、花沢城攻めに手間取ったことを後悔した。


「花沢城をすぐさま落としていれば、織田が来る前に氏真を降せていたものを…」


そうは言うものの、掛川城を攻めている最中に織田軍が到着するという場合もある。正面から対峙できたのは悪いことばかりではなかった。


「今ならば織田は陣を敷き終えておりませぬ。攻撃いたしましょう」


実子の勝頼が織田攻撃を進言する。それを信玄は却けた。


「陣を敷き終えておらぬのはこちらも同じ。しかも我らは圧倒的に数で劣っておる」

「弱兵の尾張勢など、どれだけいても同じ事。我ら甲州勢には刃が立ちますまい」

「…………」


勝頼を信玄は無言で睨み付けた。凄まじい剣幕に、勝頼は訳も分からずたじろいだ。


(あれが見えぬのか…、お前は!!)


信玄が視線を戻した先には、最前列に並ぶ織田兵の姿があった。しかもその殆どが、鉄砲を担いでいる。数にして、凡そ二千を優に超えていた。


(信長め。いつの間にあれ程の鉄砲を揃えたのだ)


武田軍も鉄砲をそれなりに有している。それは信玄もまた鉄砲の有用性に気付いていたからに他ならない。しかし、流石に二千挺も持っていない。


織田軍は二千挺を越える鉄砲に五万二〇〇〇の軍勢、さらに土塁を築く傍らで空堀を掘り、柵を建て始めていた。


(織田信長か……、侮れぬ男よ)


あの織田軍に無策で立ち向かうほど信玄は愚かではない。例え勝てたとしてもこちらの損害は計り知れず、結局のところ駿河攻めは失敗に終わるのは目に見えている。


その時である。轟音が、辺り一帯に鳴り響いた。今まで聞いたこともない、大きな音だ。


「何事じゃ!?」

「織田軍が鉄砲を一斉に放った由」

「攻めてきたのか!」

「いえ、空砲のようにござます」


織田軍の思わぬ行動に陣内は混乱するが、信玄には織田軍の行動が何を意味するか分かっていた。


(儂に退け…、ということか)


あからさまに鉄砲を見せつけ、大軍で威圧するはこちらを退かせるためである。そうならば、打つ手はまだある。信長がこちらと戦う意思がないのであれば、交渉次第で駿河一国を手に入れることは不可能ではない。互いに警戒して対峙しているとはいえ、武田と織田は同盟関係にある。


(この程度の脅しには屈せぬ)


武田の陣営から、早馬が織田陣営へと走っていった。


=======================================


場所は変わって織田陣営。


「もの凄いものですな。あれ程の鉄砲は見たことがありませぬ」


鉄砲の一斉射に諸将は歓喜していた。援兵を受けた家康などは、鉄砲の威力に驚きながらも頬を緩ませている。その中で光秀は信長の恐ろしさを知ることになった。


(私の認識が甘かった。鉄砲は数百挺あったところで無意味なのだ。何千挺も揃えてこそ、初めて脅威となる)


鉄砲は放った後に弾込めに時間がかかること、撃ち過ぎれば銃身が熱くなって使えなくなるなど弱点が多いが、大量に揃えてしまえば大半の弱点は克服できる。それを見抜いている信長は流石であるが、これを知れたことは光秀にとって大きな収穫だった。


今回、織田軍の集めた鉄砲の総数は二千三百挺。かなりの数だが、これでも信長は足りないと考えている。しかし、これが一斉に放たれれば、敵の一部隊くらいなら簡単に潰せるだろう。今の一撃で、恐らくは武田方にもそれが伝わったはずだ。


(織田様は武田と戦う気がない。かといって上様の命に従わぬつもりもない…か)


光秀は信長の真意に気付いていた。その上で義輝への忠節を量りかねていた。織田信長という男は、知れば知るほど分からなくなるらしい。


そんな時である。武田から使者が訪れたという報せが届いた。


「通せ」


信長の命令に従って、武田の使者が現れる。


「馬場美濃守信春にござる」

「ほう…、あの鬼美濃でござるか」


思わぬ大物の登場に、信長は信玄が内心で焦っていることに気付いた。ただ信春は一切おくびにも出さず用件を伝える。


「織田様は当家と盟友の間柄。されど見たところ、当家を攻撃せんと鉄砲をこちらへ向けております。先の空砲といい、これは如何なることにございましょうや?」

「我らは幕府より武田殿を駿河より退かせよ、と命令を受けておる。武田殿は如何なる名分があって、駿河へ兵を入れられた」

「これは異な事を仰る。今川領へ兵を入れたのは当家だけにあらず。徳川殿も遠江に兵を入れてござる」


信春からすれば、幕府の命令は公平性を欠くものだった。何故に武田は駄目で、徳川は良いのか。それは義輝が諸大名の強大化を望んでいないからである。大国の武田がいま以上に力を付けるのは拙いが、弱小の徳川なら多少は目を瞑れる。もっともそれを知っているのは、この中で光秀だけである。


「そのような事は知らぬ。儂は上様の命に従うのみ」


ただ信長からすれば、義輝や武田の事情など知ったことではないし、反論する必要もなかった。命令を受けたから従っている、だけで織田の理屈は通る。また家康も、幕府の命に従っている方が得であるために下手なことは言わない。


「ならば、当家が駿河から手を引かねば、織田様は同盟を破棄して当家と一戦に及ぶと?」

「上様の命に従う、と申したであろう」


あくまでもその一点を主張する信長。しかし、強気の姿勢を崩さないのは信春も同じだった。


「ようござる。後で後悔なさるが宜しかろう」


それだけを言って、信春は去って行った。互いに喧嘩別れのようになったが、最初の交渉はこれでいい。後日、また交渉が再開されるはずだ。


だが、信長の読みは外れた。使者が来たのは武田からではなく、今川からであった。


使者はまず徳川家康を訪ねた。今川にとって信長は仇敵であるが、家康は元家臣であり縁者である。それを頼ってのものであったが、驚いたのは今川方の使者を務めていたのが寿桂尼であったことだ。


「久方ぶりですね、元信殿。いえ、今は徳川家康殿でしたか…」

「寿桂尼様!?」


驚いた家康は、慌てて寿桂尼に近寄り、膝を折った。それほどまで、家康にとって今川を背負ってきた寿桂尼という存在は、敵対した今も敬慕に値する対象であった。


「どうなされたのです。このような物々しい場所、寿桂尼様には似合いませぬ」

「変わりませぬね、貴方は。変わったのは世情ですか、東海一の弓取りと謳われた義元は死に、家康殿は今や敵方、そして今川の命運は風前の灯火……」


寿桂尼はまるで昔話をするかのように、家康へ語りかけた。が、その瞳には諦めの色はない。


「信長の許へ案内しなさい」

「はっ」


家康は寿桂尼の言葉に動かされるように、信長の許へ足を進めた。


その信長だが、女が使者としてやって来たことが明らかに不満なようだった。何しに来たのだ、という感情を平気で顔に出している。


「貴方が信長ですか。憎らしい顔ですね。我が子を討った仇がこのような男とは…」


信長の許へ案内された寿桂尼は、開口一番に恨み節を吐いた。この辺り、寿桂尼が女であることを物語っている。


「そのようなことを申しに来たのではあるまい。言え」


その対象である信長は恨み節を聞いたところでいい気はしない。時間の無駄だった。信長からすれば、領土を守ろうとした結果であり、非は義元にある。さっさと用件を済ませて帰らせようとした。


「武田を退かせる策があります」


寿桂尼の一言に、信長は眉をピクリと動かせた。


「乗るのであれば、天竜川より西は家康殿に差し上げてもよい」


掛川城は既に天竜川より東に位置するが、西方は街道沿いを押さえたのみで未だ今川領であった。これがただで手に入るのは悪い話ではない。


「策を聞かねば判断できぬ」

「分かりました…」


寿桂尼が策について語り出す。最初は“女子の話”と軽んじていた信長も、話が進む度に身を乗り出して聞き入っていた。そして最後には…


「乗った」


と一言だけ言って、了承したのである。これに困ったのが光秀である。


「上様の了承を頂いて参れ」


と一方的に命令されたのからだ。寿桂尼の策には、将軍の御墨付きが不可欠だった。


ただ光秀にとっても寿桂尼の策は舌を巻くほどのもので、恐らくは武田方でも今川がこのような行動に出るとは考えていないはずだ。成功する可能性は高いし、当事者たる今川からの申し出であれば義輝も承諾すると思われた。


光秀は京へ向けて早馬を走らせた。


=======================================


五月十六日。


両軍が対峙して十二日。これまで三度ほど両者の間を使者が行き交ったが、結論が出るほどのものではなかった。故に両軍の対峙は続いた。


寿桂尼が武田陣営に姿を見せたのは、そんな時である。従者に明智光秀を伴っていた。


(何故に私はこのような場所にいるのだろうか)


振り回される己の身を呪ったが、武田信玄という武将を見てみたかったという興味にも駆られ、この場に同行することを受け入れた。というより、寿桂尼の策は光秀の存在を以て完璧となる。


「………話は以上です。もし武田殿が受け入れられない場合は織田、徳川、浅井、今川、北条が総力を上げて御家と戦うことになりましょう」


寿桂尼の話は脅し同然だったが、武田の家臣たちはみな破顔して喜んでいる。その一方で、信玄の心中は複雑そのものであった。


(よりにもよって義信を氏真の後見役とせよとは、如何なる了見じゃ!)


寿桂尼の出した条件は三つ。


一つは氏真を駿府に戻し、駿河一国と遠江半国を返すこと。その代わり、武田義信を氏真の後見役として今川の政務を任せることとする。そして最後は、天竜川より西を徳川家に割譲することである。これを将軍が認めたというのが、この策の決め手だった。光秀がいるのはこのためである。


これは実質、信玄の思惑通りに事が進んだことになる。義信の後見役就任は、武田が今川家を乗っ取るようなものだ。労せずに今川領が手に入ることを意味している。


(私の命はそう長くは持つまい。私が死ねば、氏真では今の今川家を保つことは不可能。ならば、代わりに守ってくれる者が必要じゃ)


家中には信玄に対抗できる人材がいない。そこで寿桂尼が考え出した今川家存続の起死回生の策が、義信の後見役就任だった。同年の義信が成人している氏真を後見するとは可笑しな話だが、寿桂尼はそれを押し通した。


(義信殿ならば、今川を守ってくれよう)


義信は信義を重んじる人柄であると、孫娘からの便りで何度も聞いていた。蟄居となったのも、今川攻めが原因なのではないかと予想している。その義信に敢えて今川家を預ける。そうすれば義信は信玄に対抗する力を得ることになり、簡単に失脚しないはずだ。もちろん今川家中からは義信へ対する誹謗中傷は絶えないだろうが、それは自分が生きている限りは何があっても抑え込むつもりでいる。


さらに遠江半国を割譲して織田、徳川を懐柔したことも大きな意味を持つ。将軍家の縁者たる今川家は、義輝を通して彼らの支援を得られることになった。


(どうしたのです、武田信玄。貴方には受け入れるしか道はないはずですよ)


滅亡寸前だった今川方の自分が、信玄に対して優位に立っていることは非常に心地よかった。


「御屋形様。これは我らにとっても最善の道かと」


信春が家臣を代表し、意見を述べる。


義信の後見役就任は、義信復帰のよい名目となる。故に寿桂尼の申し出には大賛成だった。そもそも武田の家臣らは義信の器量を認めており、武田の家督を継ぐに足る者と考えている。このまま廃嫡になることは避けたい、と心の奥では思っている者が大半だ。要は親子が仲良くすればいいだけの話で、そこに政治的な思惑は一切ない。故に、信玄は断れないと寿桂尼は読んでいる。


「承知した。義信には駿府へ向かうよう申し伝えておく」


信玄が受け入れたことで、和睦が成った。後は光秀が証人となり、義輝へ報告するだけである。


(此度はよいものを見せて貰った。世にはこのような女傑もいるのだな)


状況に振り回されっぱなしだった光秀であったが、不思議と悪い気はしなかった。


翌日。両軍は陣を引き払い、東海道に平穏が戻った。今川義元が死んで以来、七年ぶりのことだった。


=======================================


五月二十一日。

甲斐国・東光寺


寺社の境内に、大急ぎで近づく者があった。男は息も絶え絶えながら、報せを伝えるべく主のいる仏殿へと急ぐ。


「若殿!御喜び下され!」

「何じゃ、騒々しい」

「御屋形様が若殿の蟄居を解かれましたぞ!」


息を切らせながらも、男は主へ事の次第を伝える。その男の表情に比べ、仏殿で祈りを捧げていた“若殿”と呼ばれた者は、さして嬉しそうではなかった。


「若殿に、駿河へ下れとの御沙汰にございます」

「駿河へ?」


男は事情を知らない若殿へ駿河での一件を伝える。それを聞いた若殿は、表情を変えることなく溜息を一つだけ吐くと、静かに立ち上がった。


(我は既に武田を捨てた身だが、思いがけず拾った命、氏真殿と共に歩むのも悪くはない)


仏殿から出で、大空を見上げる。夏の日差しが、顔面を照りつけた。


「参るぞ」

「はっ」


武田の嫡男。太郎義信復活の時であった。




【続く】

武田義信が復活しました。織田VS武田を期待していた読者さまには申し訳ありません。どうしても私には、この時点で信長が武田戦に踏み込むとは考えられませんでしたし、信玄も織田の大軍の前に無茶をしないだろうと考えました。


互いに相手よりも大軍を揃え、勝てると踏む戦いしかしない。信長と信玄は兵法を踏まえた戦を徹することで似ていると私は思っています。


また私自身、寿桂尼の存在は意外と大きいのではと感じており(史実では寿桂尼の死後すぐに今川家は滅亡した)、その政治力を果敢に発揮して貰いました。実際、今川が生き残るには軍事的に動いたのでは不可能、こうするしかないと考えた次第です。


異論はあると思いますが、私なりの解釈です。


次回、この話の延長で関東編です。その後に義輝側に戻ります。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ