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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第三章 ~新たなる乱世~
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第三幕 東海の乱 -今川領争奪戦-

永禄十年(1567)三月十六日。

京・二条城


京で政務を執る義輝の許には、東国で暴れ回っている武田信玄の動向について次々と報告が届いていた。


北条家が今川方として介入、薩埵峠で武田本隊と対峙中であること。それにより関東で戦線を押し上げていた軍勢を退き戻したこと。武田の別働隊が富士郡の大宮城を攻めていること。徳川軍が遠江に侵攻し、曳馬城を攻囲中であること、である。


この中で義輝が意外だと思ったのが、武田が立ち往生していることである。電光石火で駿府を落としたものの、信玄は遠州へも兵を入れたことにより兵力が分散、未だ駿河を半分しか収められずに戦局は膠着状態に陥ってしまっている。


「これは…上手く動けば東国の問題が片付くやも知れぬ」


そう思ったのも、この一連の動きに武田、北条、上杉など東国に於ける大大名が全て絡んでいるからである。


「和州(三淵藤英)!これを急ぎ信長と輝虎へ届けよ」


そう意気込んで藤英に渡したのは、二つの御教書であった。それを持った早馬が二条城の門を駆けだして行ったのは、僅かに四半時(30分)後のことだった。


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三月十七日。

美濃・岐阜城


将軍・足利義輝より御教書を受け取った織田信長は、御殿の自室でひとり思慮に耽っていた。


(早すぎる……)


義輝の命令は、“武田を駿河より追い払え”ということだった。明確に“武田を討て”とは書かれていない。これは武田と同盟中の信長へ配慮してのこととも考えられるが、信長は違うと考えている。


(義輝公は儂を試しておる。儂が如何なる手段を用いて武田と対するかを見ておるのじゃ)


信長としては、どの様にして武田と戦うかは既に考えてある。だが、それには相応の支度が必要だった。自身の想定では、武田とやり合うのは早くとも五、六年は先のこと。その為の、時間稼ぎの同盟であった。


いっそ無視するか、とも考えたが、それは不可能だと判断した。義輝は今回の件につき、関東管領である上杉輝虎を含む関東諸侯を総動員するつもりでいる。今の幕府の力ならば、概ね大名たちは命令に従うだろう。つまり美濃から関東までの全域で大規模な合戦が行われることを意味する。その中で、自分だけが命令を拒否する力を有しているが、下手をすれば多くの大名から不興を買うことになり、“臆病風に吹かれた織田信長”という世評も立ってしまう。


(この状況で信玄を圧倒するには……)


信長の目がゆっくりと見開く。一つの結論に辿り着いた。後は、この要求を義輝が受け入れるかどうかだが、目算はあった。


翌日。信長は義輝の返答を待つことなく陣触れを発した。


=======================================


三月二十一日。

近江・坂本城


明智光秀の許に、義輝から出陣命令が下った。だが、今回は戦支度にかなりの時間を要することになった。


出陣予定日は四月九日。十八日も後になる。


「上様…いや、織田様は何を御考えなのか…」


戦支度に時間を要する理由は、諸大名から鉄砲を借り受けるからである。全部で四百挺、義輝が治める京畿七カ国(四国と淡路は除外)から借りられるだけ集めた数を織田家に貸し出すことになる。信長は東国出兵に、鉄砲の貸与を求めてきた。もちろん相応の金銭が支払われるため、義輝にとっても悪い話ではない。ただ他家に鉄砲を大量に貸し与える訳にはいかず、義輝は全て明智勢に預けることを条件とした。信長がそれを受諾しため、光秀は慌てて鉄砲隊を組織せざるを得なくなった。


「まったく、少しは私のことも気にかけて頂きたいものだ…」


一人、光秀は愚痴っていた。


義輝も信長も、光秀の事情など一切考えていない。そもそも鉄砲は幕府から預かるものと明智家にあるものを合わせれば五百挺を数えるが、いくら鉄砲隊を増やす気でいる光秀とは言え流石に五〇〇人もの打ち手を抱えていない。鉄砲だけ預けられても困るのだ。そこで光秀は、打ち手を含めて鉄砲を借り受けることを義輝に願い出た。


よって明智軍は総勢一六〇〇と増えたが、打ち手は畿内中から集まるため、出陣するのにどうしても時間がかかる。不思議と、せっかちな信長も支度に手間取ることを了承した。


「まあよい。織田様が何を考えているかは知らぬが、きっちりと見極めさせて貰おうぞ」


分からぬものを考えても仕方がないと割り切った光秀は、兵糧、弾薬の不足がないよう自ら戦支度を指揮するのであった。


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三月二十二日。

近江・小谷城


信長の義弟である浅井長政の許に、信長から援軍要請が届いた。これに長政は首を傾げた。


「義兄上ならば、三万や四万の兵を揃えられよう。何故に浅井の力が必要なのか?」


信長が義輝より武田征伐を命じられたことは知っている。それに加わって欲しいという要請が信長から届いているのだが、東海道にはもう一人の盟友・徳川家康がいる。北条家も反武田側であると聞いているので、自分が手助けする必要性をどうしても感じることが出来なかった。


「手伝い戦に益はない。断ってしまえ」


長政の父・久政が拒否の意向を示す。久政は根っからの織田嫌いで、於市の輿入れにも最後まで反対を貫いた人物だ。それを押し切ったのは長政本人なのだが、久政は婚姻を結んだ後でも平気で織田への悪態をついていた。それが原因で、年々親子の関係は悪化し続けている。


「拙者も御断りするのがよいかと存じます。織田様よりの依頼ですが、幕府からは何も言われておりませぬ」


家老の赤尾清綱が久政に同意する。ただ理由は久政のように感情的なものではなく、いま言ったように幕府からの命令ではないため、信長を助けても恩賞は得られないからだ。それよりも幕府から拝領した高島郡の統治に専念すべき、というのが家臣たちの考えだった。


「しかも鉄砲を貸せとは、我らは信長の家来ではないぞ」

「別に貸せ、とは言っておらぬでしょう。貸して欲しいと言ってきているだけです」

「軍容を指定すること自体、浅井を軽んじている証拠だと申しておるのだ」


織田絡みで長政と久政が言い争うのはいつものことだ。ただ結局は長政が押し通してしまうことが多い。未だに久政を慕う者は少なくないが、何と言っても今の浅井の発展は長政によるものである。多くの家臣は、長政を信望していた。


今回も、同じだった。


「他ならぬ義兄上の頼みじゃ、断れぬ。儂自ら軍勢を率いて出陣致すこととする」


こうして、浅井軍の出陣が決まった。


=======================================


四月十一日。

美濃・岐阜城


入念な準備をして出陣したはずの光秀だったが、すぐに待ち惚けを食らった。岐阜にて織田軍と合流したのはいいが、織田軍の出陣がまだ先になるとのことで、それまで城下で待たされることになった。


「まったく織田様は何を考えておる!我らを呼んでおきながら、自分は戦支度が終わっておらぬとは!」


光秀の家臣・三宅弥平次は憤慨して不満をぶちまけた。このこと自体は皆が思っていたことであるから、咎める者は一人もいない。光秀を除いては。


「織田軍は我らとは比べものにもならぬほど人数が多い。戦支度に時がかかるのは仕方あるまい」

「されど、殿!援兵として駆け付けた殿に労いの言葉一つかけることなく、鉄砲の数だけ聞いて下がらせるなど無礼にも程がありましょう!」


これより一刻(二時間)前、信長へ挨拶に出向いた光秀は持参した鉄砲の数だけ聞かれ、退席させられた。失礼な話ではあるが、不思議な話でもある。


(此度の戦…、それ程までに鉄砲が要であるということか)


鉄砲の有用性は光秀も理解している。故に鉄砲を買い集め、部隊を組織しようと考えている。また信長も諸大名の中では鉄砲を多く集めていると聞いている。光秀がまだ斎藤家にいた頃、正徳寺で織田信長と会見した斎藤道三は、信長が五百挺の鉄砲を有していたところを見ている。今から十四年も前の天文二十二年(1553)のことだ。


今ではいったいどれほどの鉄砲を持っているのだろうか。


(その鉄砲で何をする気なのか……)


考えても考えても結論は出なかった。例え聞いても、信長が答えてくれるとは思えない。結局、時間だけが過ぎていき、光秀が岐阜を発ったのは四月十七日のことだった。


流石は織田軍だった。数は圧巻の三万八〇〇〇、先の上洛戦よりも多かった。街道を犇めく軍勢の数は浅井、明智を合わせれば四万五〇〇〇にも達する。これに徳川が加わるのだから、五万を越えるのは間違いなかった。


その織田軍は、家康の待つ曳馬城を目指して東海道を下っていく。


=======================================


四月二十二日。

駿河国・薩埵峠


ここで武田軍は北条氏政と対峙していた。


武田軍一万八〇〇〇に対し、北条軍は四万五〇〇〇。圧倒的に北条が有利だったが、峠は大軍の利を生かせるほど広くはない。ましてや自ら領土を広げようという戦を止めてまで、他家の戦に介入しなければならなくなった北条勢の士気はけして高くない。


「して、関東の動きはどうじゃ?我らの動きに呼応する気配はあるか」


この戦、互いに背後を脅かす策を用いていた。武田は関東の反北条勢力に呼びかけ、北条は上杉輝虎に信濃攻撃を要請している。ただ元から北条家と敵対している関東勢に信玄の要請を断る理由はないが、先ほどまで北条と戦っていた輝虎が信濃へ兵を向けるとは考え難かった。


「未だ動きはありませぬが、どうやら景虎が大反攻の機会を窺っているようにございます」


透波忍からの報告に、信玄は満足げに頷いた。


「直に北条より和睦の使者が参りましょう。さすれば我らは駿河攻めを再開できまする」

「今川相手に、随分と手間取るものよ」


駿府を短期間で陥落させた信玄としては、五ヶ月で駿河半国しか手に入れられていない現状は遅く感じられた。とはいっても信濃一国に十五年かけたことから考えれば、上出来と言っていいだろう。後は北条と和睦し、残り半分を手中に収めるだけである。


その時、信玄の思惑を一瞬にて吹き飛ばす報せが届く。


「織田軍が東海道を東へ進んでおります!」

「何じゃと!?」

「織田は動かぬはずではなかったのか!」


響めきが場を一瞬にして支配した。織田軍が何処へ向かっているかなど考えるまでもない。徳川家康のところだ。流石の武田の猛将たちも、顔面を蒼白させながら報せを届けた透波へ疑問を投げかける。


「数は分かるか?」

「凡そ四万五〇〇〇ほどかと」

「して、織田軍は何処におる」

「確認したのは、三河に入ったところでございます。今頃は吉田辺りかと存じます」

「うぬぬぬ…これは憂慮すべき事態ぞ」


徳川とは遠江に兵を入れたことで抗議を受けている。それが即刻、敵対に至るとは思っていないが、織田の援軍は明らかに武田戦を視野に入れたものである。徳川の遠江平定を手伝うだけなら、多くとも一万やそこらで事足りるはずだ。


何故に織田が動いたのか、その答えに辿り着ける者は信玄をおいて誰もいなかった。


「織田軍の他に、何処かの軍勢が混じっているようなことはなかったか?」

「…そういえば、ございました。あれは北近江の浅井勢だと思います」

「浅井長政か…。確か、信長の妹が嫁いでおったな。で、他には?」

「見知らぬ軍旗が一つ。水色の桔梗紋でございましたが……」


水色桔梗と聞いて、誰の軍旗か分かる者などいない。ただ信玄だけは上方の情報を可能な限り報せるようにしていた。主に将軍家の周りにどの様な人物がいるかは、ほぼ掴んでいる。


(…明智光秀か。ならば、信長を動かしたのは将軍か!)


この時、信玄は義輝の力を甘く見ていたことを痛感させられた。だが、後悔したところで状況が変わるわけではない。


(しかし、将軍が動いたとなると関東は荒れる。ならば北条は嫌でも兵を退かねばなるまい)


信玄は瞬時に策を講じる。現状から判断し、最も有効な策を。


「昌豊!北条との和睦を何としても取り纏めよ。近々関東の大名どもが将軍の命によって動く。氏政に教えてやれ」

「将軍が?はっ、畏まりました」

「江尻城の信君に使いを送る。何があっても城を死守せいと伝えよ」

「御意」

「他の者は陣払いじゃ。北条との和睦が成り次第、全軍で掛川城を目指すぞ」

「掛川…でございますか?」


きょとんとした顔で信玄を見つめる家臣たち。主が何やら気付いたらしいことは表情から読み取れたが、何のために掛川を目指すのか誰もが理解していなかった。何せ掛川は遠江である。まずは駿河の平定が最優先ではなかったのか。


「信長が来る。その前に駿河を平定するなど不可能じゃ。掛川の氏真を降し、一挙に今川領を手に入れる」


織田軍が迫る中、城を一つ一つ落としていたのでは時間がかかりすぎる。ならば、氏真を降して今川領の全てを手に入れてしまおうというのが、信玄の策である。


二日後、武田と北条の和睦は成った。北条も関東の状勢には危機感を募らせており、特に沼田の上杉輝虎が動いたという報せが入ってからは和睦を考えるようになっていた。ただ体面から、自分から言い出すことが出来なかったのだ。


「それッ!急いで進めッ!」


“疾きこと風の如く”風林火山の軍旗が示す通り、武田軍の動きは拙速だった。しかし、途上で今川方の花沢城を猛攻の末に陥落させたが、四日間を要してしまったことだけは痛手だった。


武田軍は掛川城に辿り着いたのは五月二日。奇しくも織田軍が掛川城へ辿り着いたのも、五月二日であった。




【続く】

再び東国編です。


織田軍の登場により、信玄の駿河攻めが史実と異なって参りました。次回はまだ東海の話ですが、上杉側の話も書いていきます。(義輝側はまた少しお休みです)

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