第十一幕 雪解け -等持院尊氏の系譜-
十一月八日。
阿波国・勝瑞城外
吉野川合戦は義輝の本陣が襲われるという危機的な状況に陥ったものの、馬廻衆の奮戦により奇襲部隊を撃破、これを機に戦況は完全に幕府方が圧倒することになる。将軍・足利義輝は全軍に三好勢の掃討を命じ、合戦は幕府軍の勝利に終わった。
討ち取った敵の数は一五〇〇を数え、負傷者まで含めると四〇〇〇近い数である。また三好三人衆の岩成友通を筆頭に寒川元隣、新開実綱らを討ち取った。それに対して幕府方は死傷者が一〇〇〇程であり、その大半が畠山高政の部隊となっていた。
「勝瑞城を取り囲め」
義輝はその日の内に勝瑞城を包囲した。但し、即座の攻撃命令は控えた。
理由は二つ。
一つは城内の兵が思ったよりも多いこと。三好本隊に篠原長房、松永久秀の軍勢が籠もっていたからだ。数にして凡そ五、六〇〇〇程と思われる。対するこちらは寝返った讃岐勢を加えて二万八〇〇〇に及び、力攻めが不可能な数ではなかったが、何よりもまず兵を休ませたかった。
勝瑞城を落としたところでこの地は阿波の東端に過ぎず、四国の殆どは未だに手付かずの状態であるからだ。特に大西頼武や一宮成助は勝瑞城に籠もらずに自領に退き上げており、今後も戦闘がいくつもあると考えられた。つまりは兵力の温存。これが二つ目の理由である。
「城方は開城を受け入れましょうか?」
「十中八九、拒否して参りましょう。こちらとしては最低でも三好長逸と政康、松永親子の首を頂かねばなりませぬ。奴らの性根は腐っております。自らの首を差し出すとは思えませぬ」
城攻めの軍議を開いても、これが大勢の意見だった。
「されど、もはや三好・松永の命運は尽きた。内応に応じる者もいるのでは?」
「そうよな。内から城門を開けてくれるほど、有り難いものはない」
「細川殿。掃部頭(細川真之)殿への調略は如何なっておりましょうや?」
「いま繋ぎを取っておるところにござる。一両日中には返事があるかと」
手早く城を堕とすには、内応者を作るのは一番いい。その中でもっとも可能性のあるのが細川真之であった。義輝はいったん軍議を閉め、繋ぎが取れ次第に再開させることとした。
翌日。その真之から藤孝へ密書が届いた。ただそこには信じられない事実が記されていた。
「な…なんということじゃ!急ぎ、上様に御報せせねば……」
朝餉の前だというのに、藤孝が義輝への目通りを願った。既に真之からの報せが入ることは予定済みであり、義輝は急な藤孝の来訪に首を傾げた。藤孝の報せは朝の眠気を覚ますには充分過ぎるなものだった。
「周蒿が生きておるだと……」
周蒿とは、先代・義晴の子で義輝と覚慶の弟である。永禄の変で一色藤長が救出に向かったが失敗に終わり、殺されたものと思っていた人物だ。
「左京大夫(三好義継)!どういうことじゃ」
義輝は三好義継と安宅信康を呼びつけ、詰問した。二人は永禄の変後の三好家中の内情を知っている。もし周蒿の生存を知っていて義輝へ報告していないとなれば、それは義輝へ対する重大な裏切りとなる。
「知りませぬ!周蒿様は殺したと、確かに久秀が……」
「信康も知らぬ事か?」
「まったくもって存じ上げぬことにございます!どうか信じて下さりませ」
二人は必死になって潔白を主張する。余りにも真に迫っており、演技だとは思えない。義輝に隠す理由も見当たらないことから、義輝は周蒿の生存が松永久秀の策ではないかと疑い始めた。義継は三好の当主であり、信康は一門衆である。その二人が知らないのであれば、周蒿の生存も久秀が我が身かわいさにでっち上げた嘘である可能性があった。
「…久秀め。この期に及んで悪足掻きをするか」
ただ、それならば真之から情報が伝わるというのも奇妙な話だった。本当に生きている可能性も捨てきれず、義輝としては確認が取れるまで城の攻撃を控えるしかなくなった。
引き続き、藤孝に真之を通じて城の内情を探るように命じた。
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場所が移り変わって城内。
こちらは混乱を極めていた。幕府軍の攻撃が迫っていることもあったが、それよりも事実上の総大将である松永久秀と三好長逸が言い争って指揮権が混乱しているのが主な原因だった。
「すぐに将軍が攻めてくるぞ!」
「貴様に言われんでも分かっておるわ!少し黙っておれ!」
「黙れとは何事か!こうなったのも貴様の所為であろう!」
「儂の所為じゃと!?お主も同意の上でのことであろうが!」
あまりにも見苦しい責任の擦り付け合いであり、そこに栄華を誇ったかつての姿はなかった。ただ無策なまま数日が経つと、一向に攻めてこない幕府方を不信に思ってか両者は冷静さを取り戻し始めた。
「将軍の動き、どう思う?」
「…内応者が出たな」
「何じゃと!?」
「考えてもみよ。義輝がこちらを攻めぬ理由はない。ただ一つを除いてな」
「一つ…?もしや周蒿のことか」
「あれのことは義継にも話しておらぬし、信康も知らぬ事だ。それを知ったということは、城内から内応者が出たということだ」
「何を悠長に話しておるか!一大事ではないか!?」
内応者の存在に顔面を蒼白させる長逸であったが、久秀は光明を見出したようで不適な笑みを浮かべていた。
「もしかすると死なずに済むかもしれぬぞ」
「どういうことじゃ?」
「周蒿の返還を条件に和睦する。阿波の一郡でも安堵されれば、そこから再び上り詰めてやるわい」
「おおっ!…されど、使者は何れを遣わす?かかる大事、余人には任せられぬし、儂らが赴けばその場で斬り殺されるやもしれぬ」
「平島の御人に御願いするしかあるまい」
久秀の言に長逸は大きく頷いた。
その日の夕暮れを待ち、久秀配下の忍びが城を抜け出して東南の方角へ走っていった。
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十一月十二日。
阿波国・義輝の陣内
決断を下せぬままにいる義輝の前に意外な人物が現れた。
「初めまして…ですな」
「そうなるな」
足利義冬。義輝の父・義晴の兄弟で傀儡将軍であった義栄の父である。現在は三好家の庇護の下で阿波平島三千貫を得て、次男・義助の後見に当たっている。
その義冬が和睦の使者として義輝も許を訪れたのである。
「義輝殿。ここらで矛を収めるつもりはござらぬか」
「あろうはずがない。それよりも足利一門に名を連ねながら、三好・松永なぞの走狗に成り果てるとはどういう了見じゃ」
「はてさて。一年半ほど前までは義輝殿も同じ境遇であったと思っておりましたが…、違いましたかな?」
「…相違ない。だが余は今も将軍であり、今まさに逆賊を討ち滅ぼさんとしておる」
「それは結構なことにござるが、その所為で我が子が犠牲になった」
「義栄がことか」
冷ややかな空気が張り詰める。義冬は老齢ながらも鋭い視線を義輝へ打ち放っている。それだけ、子を失った恨みが深いということか。だが、それに動じる義輝ではない。
とても話し合いという空気ではなかった。二人は正視したまま床几に鎮座し、互いに時を忘れたかのように動かない。相手が足利公方だけに、誰も口を差し挟むことができずに時間だけが過ぎていった。
長い沈黙の後、先に口を開いたのは義輝であった。
「義栄が死、余は無関係ぞ」
「今さら言い訳なぞ、見苦しいとは思わぬか?」
「義栄は戦場に出ておらぬ。討ち死にしたとの報は、久秀めの作り話よ」
「作り話じゃと?ならば義栄は……」
「恐らく、久秀が殺したのであろう」
我が子が暗殺されたという話に、義冬は愕然した。敵である義輝の話を鵜呑みにするわけではないが、そもそも義冬自身も久秀に信頼を置いている訳ではなく、どちらかと言えば義輝と同じ感情を抱いている。
(…あの久秀ならば、やりかねぬ)
義冬から見ても、義栄は不肖の息子だった。だが不出来だからこそ、人一倍かわいく思うこともある。その子に、征夷大将軍は重すぎた。ならばこれは、自らが背負えなかった重しを子に背負わせた結果ということか。
「止めじゃ、止めじゃ」
突然、義冬が吹っ切れたように大声を出した。先ほどまであった刺すような視線も、もうない。
「義輝殿。周蒿殿は生きておるぞ」
「まことでござるか」
「余が面倒を見ておる故、確かじゃ」
「義冬殿が?ならば周蒿は平島に?」
「いや、勝瑞じゃ。義輝殿が攻めてくると聞いて、長逸めが慌てて連れて行ったわ。勝瑞では掃部頭が世話をしておるはずじゃ」
義輝は心の中で安堵の溜息を吐いた。これほど嬉しい気持ちになったのは、京で御台所と再会した以来だろう。
「で、周蒿の命と引き替えに久秀らは何を望んでおる?」
「助命と所領の一部安堵」
分かっていたことだが、それを聞いた瞬間に義輝の中で怒りが込み上げてくる。この期に及んで助命だけでなく領地の安堵も要求してくるなど図々しいにも程があった。
「認められると思ってかッ!」
義輝が大喝した。その気迫は凄まじく、居並ぶ諸将も思わず震え上がってしまう程だ。だが義冬だけは、身体をピクリと動かしただけで無表情のままだった。
「そこでじゃ、義輝殿に頼みがある」
義冬が突然に話し始めた。
「周蒿殿は余が必ずや義輝殿の許へお返し致そう。変わりと言っては何だが、義助を頼みたい」
「…どういうことじゃ」
「余は六十年近く生きてきたが、余では幕府の再興は叶わなかった。こうなっては幕府の命脈、義輝殿へ託すしかあるまい」
ここ六十年と義冬が見てきた幕府の歴史の中で、ほんの一時の出来事かも知れないが将軍権力がここまで回復した時期はなかった。いま義輝がいる位置は、遠い昔に義冬が現の厳しさに触れる前に夢を見ていた場所であった。
「もうよかろう。ここらで和解を致しても。我ら一門がいがみ合っていたところで益はない。無論、義輝殿が我らを許して頂けるのなら…であるがな」
穏やかな口調であった。義冬とて今も長年に亘って将軍職を巡って争ってきた義晴・義輝親子に思うところがないわけではない。ただそれよりも一族の繁栄を願う心が強くなっていた。義栄の死、その真実を知って心境に変化があった。
(義冬殿も……)
その想い、それは義輝の抱いているものと同じであった。それが分かったなら……
「承知した。一先ずは山城国内で所領を宛がい、弟たちと同様に一門として遇する。それで如何じゃ?」
「上様!?それは!!」
藤孝、藤英ら幕臣らが一斉に反対の声を上げる。所領を与えるのはいい。だが“弟たちと同様”ということは、即ち義助にも足利家の家督(つまりは将軍職)を相続する権利を与えられたということになる。流石に幕臣の強い反発があった。
「よい。許すとは、そういうことじゃ」
「我が願いを御聞き届け頂き、痛み入りまする」
義冬が深々と礼をする。そこには先ほどまでの不遜な態度はなく、恭順の意思を合わせて示したと思われた。
「何の。我らは同じ一門ではありませぬか」
「そうよの。元より我らは同じ一門、争う必要はなかったのじゃ」
思えば、足利氏は幕府成立直後から内部争いに明け暮れていた。初代・尊氏・直義兄弟が争った観応の擾乱、六代・義教が鎌倉公方・持氏と争った永享の乱、同じく八代・義政の頃に享徳の乱があり、応仁元年(1467)には九代将軍の座を賭けた応仁の乱が勃発する。乱の鎮静化後には十代・足利義稙が明応の政変で追放され、十一代・義澄と不毛な争いを続け、今に至る。
はっきり言って足利幕府には安定期というものが存在しなかったと言っても過言ではない。最盛期であった三代・義満の頃ですら諸大名と相争っており、泰平にはほど遠かった。
(義冬殿の申す通りだ。もはや一門で争う事は止めなければならぬ)
その愚行を、ここで繰り返すわけにはいかない。
「ならば周蒿がこと、頼みます」
「任せておけ。余にも意地があるでな。この機会に積もり積もった恨み、晴らさせて貰うとしよう」
「義冬様!」
藤孝が歩み出る。
「細川掃部頭殿が我らへの内応する手筈となっております。城内では、頼りになされますよう」
「掃部頭がか?…ふっ、あれにも意地があったか。相分かった」
かくして松永久秀が己の命運を託して送り込んだ義冬が、義輝方に転じたのだった。
そして、足利家の長い冬も終わった。
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同日。
阿波国・勝瑞城内
義輝との会見を済ませた義冬は、勝瑞城内に入ると和睦交渉の経過を報告した。
「では、将軍は我ら何れか二人の首を求めていると?」
「周蒿殿の首一つで救えるのは三人の内で一人だけということじゃ」
「話にならん!」
久秀と長逸は同時に同じ言葉を吐いた。しかし、長逸は言葉とは裏腹に密かな策謀を張り巡らせ始めた。
(将軍がもっとも恨んでいるのは久秀だ。政康はあのような性格ゆえに自らの首を差し出すと申すであろう。となれば、儂が生き残る為には何としても久秀の首を差し出さねばならぬ!)
ただ義冬は長逸の表情を見て、己の掌に乗ったことを確信した。また一方で久秀も同じような顔つきであった。
(こやつら…、考えていることは同じか)
細川高国、晴元、三好長慶と政争を演じてきた義冬にとって、この程度の演技は軽いものだった。
「刻限は三日。それまでに結論を出せということじゃ」
それだけを告げると義冬は退出していった。この時より、長逸と久秀は互いの隙を窺い始めた。これにより周蒿から注意が逸れることになった。
義冬はさっそく藤孝に内応を持ちかけられている細川真之に接触した。真之は周蒿脱出に手を貸すことに同意、密かに仕度に取りかかった。
この動きに機敏に反応した者たちがいた。三好康長と三好政勝である。嘘であるとは言え義冬の言葉に従えば三好三人衆と久秀以外の助命が認められていることになっており、彼らは降伏に手土産が必要と義冬に近づいたのだった。
「ならば手伝って貰うとしよう」
真之の手勢だけでは心許なかった義冬は、彼らの協力を受け入れることにした。但し、真実は伏せた上であるが。
そして二日が経過した十一月十四日の夜半のことである。城内で喚声が響いた。しかし、幕府軍が攻めてきたわけではなかった。
三好長逸が、松永久秀を襲ったのである。
【続く】
周蒿の名前は最初の方こそ出ましたが、久しぶりの登場となりました。史実上の人物ではありますが、その器量はまったくの不明で有り、半分は架空の人物だと考えてもよいでしょう。
ただこの物語に於いて、義昭とは別の義輝の身内が欲しかったので生存とさせて頂きます。(どのような役割を果たすかは追々…)
さて、二月中の二章終了でしたが間に合いませんでした。申し訳ない。あと二回。一週間程度で次章へ進みたいと思います。