第九幕 吉野川合戦 -忍び寄る罠-
永禄九年(1566)十月二十七日。
淡路の安宅信康を離反させた義輝は、四国への上陸地点を大毛島とした。大毛島には土佐泊城があり、森村春が城主を務めている。その村春は信康離反の影響を受けて降伏を選択、道案内を買って出た。これにより幕府軍は四国へ安全に上陸することが可能となった。
次の目標は撫養城、木津城の二つであるが、守将・篠原自遁は幕府の大軍の前に恐れをなしてしまい、沿岸部で幕府の上陸を阻まずに撫養城を放棄して木津城に籠もってしまった。その木津城に、幕府軍は一斉に攻撃を仕掛けた。
籠もる兵は少なく落城は必至、自遁は勝瑞城の兄へ援兵を頼んだが、肝心の三好三人衆と松永久秀が出陣を拒んだために援兵を送ることが叶わず、木津城は孤立無援となった。
十一月二日。五日間の防戦の末に木津城は落城。自遁は郎党共に自害して果てた。
木津城を手に入れた義輝は、ここを三好征伐の拠点とした。木津城は三好が本隊を置く勝瑞城とは指呼の間にあり、一里(約4㎞)と離れいないためである。さっそく信康の部隊に物見を命じ、その報告を待って軍議を開いた。
「どうやら敵は、吉野川で我らを迎え討つつもりのようです」
「ほう。あくまでも余に楯突く気か」
元より三好・松永は滅ぼすつもりなのだから、相手がどう出て来ようが構わないのだが、何処までも将軍たる自分に刃向かおうとする態度が気にくわなかった。
「敵は東西に広く布陣しており、西方から…」
三好方は西方に安富盛定、寒川元隣ら東讃衆一六〇〇、大西頼武二〇〇〇、中央は新開実綱九〇〇、三好政康三四〇〇、一宮成助七〇〇、東方に香川之景、羽床資載ら西讃衆二〇〇〇が布陣している。また勝瑞城では三好長逸と篠原長房が総大将の三好長治と守護・細川真之を守っている。
流石は先日まで三好家中にいた安宅信康だ。敵の配置から数までしっかりと把握している。
「久秀は何処におる?」
「はっ。川を越えた東岸、北島に岩成友通と共に布陣しております。この地であれば、勝瑞城に押し寄せる我らの側面を突くことが出来まする」
途端に義輝は怪訝な顔つきになった。この辺りの地勢は知らないが、勝瑞城を守る部隊と一線を外れて独自に布陣している辺りが如何にも久秀らしい。兵力も四千余りというから無視も出来ない。
勝瑞城の中にどれほどの兵がいるかは分からないが、城外に展開している兵と合わせても凡そ二万前後と思われた。逆賊としては揃えた方であろうが、こちらは降った安宅勢を加えて二万五〇〇〇だから、少しばかり余裕がある。よほど下手を打たない限り負けはないし、負けるわけにはいかなかった。
「よし。陣立てを決める」
この時、義輝は陣立てを相談するのではなく頭ごなしに決めていった。これは今まで将軍家ではなかったことだ。昨年まで義輝は傀儡同然の扱いを受けていたことから、どちらかというと家臣が進言し、それを義輝が認めるという形で全てを行っていた。しかし、それでは将軍家の力は弱まる一方である。やはり何事も自分で決め、家臣たちはそれを遂行するという形を取らなければならない。聞けば、織田も上杉もその形だという。無論、忠臣の進言や諫言を受け入れる度量を合わせ持つ必要はある。
義輝は先手を西から和田惟政ら摂津衆、畠山高政ら河内衆、波多野秀治ら丹波衆を据えた。二陣には、諸大名の援兵七〇〇〇に任せ、その後方に明智光秀、義輝の本陣となる。一方で松永勢には安宅信康を当て、細川藤孝と朽木元綱に支援させる。
「畏れながら上様。もはや三好三人衆、松永久秀らの命運は風前の灯火にございます。戦の前に、調略を行っては如何でしょうや?」
筒井家臣・島清興の進言である。清興としては、このまま合戦を始めるのは余りにも芸がなく、自軍の損傷も抑えたいことから調略を仕掛けるべきと考えていた。四国の動勢に疎い清興であっても、ここまで相手を追い詰めている以上は二、三は内応してくる者がいるのではと思っている。
問題は三好・松永に深い恨みを持つ義輝がそれを許すかどうかだった。“降伏は許さぬ、撫で切りにせよ”と命じられることも覚悟しての進言だ。ただ安宅信康の寝返りを認めている以上、意外と認められるのではないかとも思っていた。
「流石は島殿にござる。手前もいま申し上げようと思っておったところです」
清興の考えに光秀が同意を示す。光秀としては元々三好征伐には乗り気でなかった。正確には、“早すぎる”三好征伐に反対している。それは義輝の性格上、自ら出馬することは止められず、万が一でも四国の地で命を落とすことになれば幕府再興の道が閉ざされてしまうからだ。故に畿内を固め、勢力差が圧倒的となってから四国へ攻め入るべきと考えていた。
しかし、既に四国へ渡ってしまったものは仕方がない。せめて敵の数を減らし、少しでも勝利の目をこちらに傾かせておく必要がある。
「誰を調略する?」
と義輝が訊ねても、四国の状勢に疎い諸将には当てがあるはずもなかった。ただ調略を進言した張本人である清興は…
「讃岐衆の中には心より三好に従っている者は少ないと思われます。また三好一門の中にも三人衆や松永久秀へ不満を抱いている者も多いかと。されど実のところ誰でもようございます。手当たり次第に調略の手を張り巡らし、敵を疑心暗鬼に陥れてやりましょう」
「うむ。ここまで追い詰められれば敵も味方から裏切りがあることは懸念しておろう。そこを衝くわけだな」
「はっ。左様にございます」
義輝は清興の会心の策に唸った。上手く行けば、これだけで勝てるかもしれない。
「ならば一人だけ、仕掛けたい人物がおります」
「兵部。何ぞ心当たりがあるか?」
「はっ。某と同族の細川掃部頭(真之)、阿波守護にございます」
「なんと?」
一同が驚きの声を上がる。それはこの合戦の名目上の総大将が細川真之であるからだ。つまり藤孝は敵の総大将を寝返らせようと言うのだ。
「されど兵部。余は阿波を掃部頭に任せる気はないぞ」
「御意。掃部頭殿は某が責任を持って引き受けまする」
藤孝には主君の考えが分かっている。義輝はかつて“諸大名へ多くの所領を宛がうべきではない”と言った。それは義輝の戦略の根底にあるもので、今もそれを元に動いている。つまり三好征伐の後、小国の讃岐はともかく阿波には将軍家の影響力が強い幕臣が置かれるはずと藤孝は予測していた。
(恐らく…、上様は儂に細川を束ねさせるつもりでおられる)
細川家の領地は余りにも広大すぎる。一時は畿内と四国を中心に八カ国(藤孝は和泉守護家出身)の守護を兼ねた。行き着く先で細川を名乗る者に所領安堵を言い渡していれば、かつての細川家が復活してしまうし、いくら所領があっても足りない。義輝は、それを望んではいない。
「ならば兵部に任せる。調略の進捗を見計らい、出陣の日取りを決める」
義輝の宣言により、軍議は解散となった。
その二日後、義輝の許へ織田弾正大弼信長より“北伊勢に六角方へ通じる動きがあり”と報せが入る。
(弾正……、伊勢に手を出すつもりか)
義輝には、信長が何故にこのような報せを送ってきたかなど分かりきってる。しかし、だからと言ってどうすることもできない。手を出すなと言っても聞くような相手ではない。
(早急に三好を討ち、京へ戻らなければならぬ)
義輝の軍勢が京にあれば、信長も無茶はしないだろう。織田家の勢力拡大は、幕府にとって危険である。そもそも義輝はそれを嫌って信長へ承偵討伐を命令した経緯がある。四国へ連れて行けば、それなりの恩賞を与えなくてはならなくなるからだ。ここで伊勢を獲られては、何の為に信長へ命令を下したか分からなくなる。
義輝は即断した。
「出陣は三日後とする。そう諸将に伝えい」
義輝は調略に費やす時間がなくなっていた。
=======================================
十一月七日。
阿波国・吉野川
合戦は摂津衆の攻撃により始まった。
「相手が昔の味方やて構うな!わいらは手柄を立てるだけや!」
池田家臣・中川瀬兵衛清秀が吼える。手勢に楯を構えさせ、自らも吉野川の渡河にかかる。
「弓隊、放てッ!」
対する寒川元隣も果敢に応戦する。大音声と共に幾百もの矢が楯の壁を越えて中川勢に降り注いだ。同時に悲鳴が上がるが、清秀もすかざず応射し、今度は寒川勢から悲鳴が上がった。
「者共ッ!かかれやッ!」
「怯むな!槍を突けい!」
中川勢がわらわらと寒川勢に殺到していく。寒川勢も次々と中川勢を槍で突き、後ろから飛び出した兵も槍の餌食になっていく。合戦は早くも白兵戦へ移っていった。
「摂津衆に負けるなッ!この機に積もり積もった三好への恨みを晴らすのだ!」
中央でも戦が始まった。畠山高政が襲いかかるのは新開実綱である。兵力こそ畠山勢が圧倒的だったが、新開勢には三好一の戦巧者・三好政康が支援しており、緒戦から畠山勢は劣勢に陥った。
「鉄砲!畠山の弱兵など一人残らず撃ち殺してしまえ!」
ド、ド、ド、ド、ド、と吉野川一帯に轟音が鳴り響く。三好勢は上方を失った後遺症で基本的に鉄砲の保有数が少なくなっていたが、この政康勢だけは違った。少ない鉄砲を掻き集め、四〇〇挺を揃えていた。弾丸の嵐が、畠山勢を襲う。
「湯川直春殿!討ち死に!」
「何じゃと!?」
「新開勢、川を越えて迫って参ります!」
戦の機先を制した政康は果敢に攻勢に出た。この戦で勝つしか将来はないと知っているからだ。兵力を出し渋る理由も余裕もない。
「み…美作!上様の御前で無様な醜態は晒せぬぞ。なんとかせい」
「信教の部隊を当てましょう!信教ならば、三好の相手は慣れておりましょう」
「うむ。けして退くなと厳命せよ」
遊佐信教は安見美作守宗房と同じくかつては河内守護代に列していた人物である。(現在の高政は河内守護を剥奪されている)宗房と信教は協力して高政を盛り立ててきたが、同時に政敵でもあった。その信教に宗房は危険な役目を負わせたのだ。
高政は宗房の言に従って遊佐信教に出撃を命じる。しかし、滅亡という危機に瀕して攻勢に出ている政康と合戦になっても政局に消尽する畠山勢とでは兵の勢いに圧倒的な差があった。
畠山勢は遊佐勢の後に保田知宗、甲斐正治らも出撃するが、劣勢を覆すことは出来ずに後退を繰り返していく。
そんな中、無類の強さを発揮しているのが左翼を任された丹波勢だった。
「これが、あれだけ我らを悩ませた三好か…」
波多野秀治の陣中は戦が行われているとは思えないくらい静まりかえっていた。丹波勢は相対する西讃衆の兵力を大きく上回っているとはいえ、こちらも赤井直正と籾井教業の二人しか出撃していなかった。それなのに相手を圧倒しているのだ。それ程までに丹波の“赤鬼”“青鬼”は強かった。
父の代から三好に苦しめられてきた秀治としては、三好の兵が薙ぎ倒されていく様は感慨深いものがあった。
「くそッ!援護はまだか!」
一方で追い詰められている西讃衆としては、いち早い味方の援護を必要としていた。しかし、本陣からは“まだ戦は始まったばかり”と一蹴され、丹波衆の側面を衝くはずだった松永久秀もまったく動かない。せめて松永勢が側面を衝く構えだけでも見せてくれれば、丹波衆の動きが鈍くなるはずだった。
「くそッ!くそッ!くそッ!三好め、我らを使い潰すつもりかッ!!」
香川之景は何度も拳を打ち付けては悔しがった。だからと言って状況が変わるわけでもない。
合戦は序盤から中盤へと移っていく……
=======================================
各地で合戦が本格化する一方で、まるで他人事のように戦況を見つめているのが北島に布陣した松永久秀であった。
「父上、西讃衆が苦戦しておるようですぞ」
「どうせ寝返る奴らじゃ。助けてやったところで無駄なだけよ。無視しろ。それよりも信康と細川兵部は如何にしておる」
「依然、動きはありませぬ」
「守勢に徹するつもりじゃな。よほど義輝を失うのが怖いとみえる」
北島に布陣した松永勢と向かい合っているのは安宅信康と細川藤孝の軍勢である。朽木元綱が二陣に控えているものの兵数で松永・岩成勢と拮抗しているために川を越えて攻め寄せる不利を犯せず、後ろには義輝の本陣が控えているため守勢に徹していた。
「友通を攻撃命令を出せ。そなたが軍監として赴き、必ず信康と兵部を釣り出せ」
「はっ。されど上手く行くでしょうか…」
「上手く行かせぬばならぬ。儂が再び天下の権を握るには、この方法しかない。わかったら早う行け」
久秀に促され、久通が陣を後にする。しかし、その足取りは重いものがあった。父より起死回生の策を聞いてはいるものの、後ろめたさがあった。その策の中に、味方を討つことが含まれていたからだ。
「筑州へ遣いを送っておけ」
松永久秀、最後の策が発動しようとしていた。
【続く】
義輝VS三好、最後の合戦前編です。
後編については一両日中に投稿します。