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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第二章 ~三好征伐~
26/201

第七幕 勢州軍記 -織田家の躍進-


六月十六日。


将軍・足利義輝は三好・松永へ対して討伐令を発した。その翌日には将軍の命令書と共に織田信長の許へと届けられた。


「秋口には出陣となろう」


信長は家臣らへ仕度を整えておくように命令を下す。しかし、いくら時が過ぎようとも織田家へ義輝から出陣命令が届くことはなく、十月に入ってようやく幕府軍が織田家抜きで三好征伐を行うことが分かった。


「将軍は何を考えておるのじゃ。当家の支援を仰がずに勝てると思っておるのか?」


信長の家臣たちは一同にそのように考えていた。確かに浅井や朝倉などは援兵を出すようだが、大半は俄造りの幕府軍である。対する三好・松永は四国が本貫であり、数こそ少ないが軍勢の力は畿内で戦った以上のものであると予想される。特に破れれば滅亡だけに、抵抗の激しさはかなりのものだろう。それに幕府軍が対抗できるとは思えず、織田家への出陣命令が下らないことに誰もが首を傾げた。


ただ信長のみ沈黙を貫き、家臣らへの出陣命令も取り消すことはしなかった。


十月十日。義輝が四国へ向けて京を出陣した。この時、義輝は一つの命令を信長へ発した。


「甲賀の六角承偵を討て」


先の上洛戦で三好・松永へ与した者たちは畿内から一掃されたかもしくは降伏した。その中で唯一残っていたのが六角承偵である。承偵は近江国・甲賀郡へ逃れ、支配下にある伊賀の国人らと未だに抵抗を続けていた。畿内から幕府の軍勢がいなくなれば、旧領奪還へ動き出す可能性があり、義輝は京極高吉や山岡景隆へ京の防衛を命じると共に信長へ六角承偵の討伐を命じた。


「出陣する」


義輝の命令に従い、信長は佐久間信盛、柴田勝家、森可成、中川重政ら近江の領地を任せている者どもに承偵討伐を命じると自らは岐阜を発った。しかし、不思議なことに先発する滝川一益からの軍勢は近江ではなく尾張へ向かっていった。


「何故に近江へ向かわれませぬ」


家臣の滝川儀太夫が疑問を投げかける。


「向かっておるとも。但し、東海道を進むがな」

「東海道?また何故にござる」

「御屋形様は京への道を確保することを何よりも重く見られておる。されど東山道の途上には浅井の領地があり、何らかの理由でこれが封鎖されれば京への道は断たれることとなる。されど東海道を抑えておれば京との連絡を保つことが出来る」


元より主君から密かに伊勢方面への調略を命じられていた一益は、その重要性を誰よりも理解しており、主君の狙いも把握していた。織田家は大兵力を持っているので将軍より援兵を求められても数千と読み、同時に伊勢に兵を入れることは可能だと踏んでの出陣だった。故に信長は義輝よりの命令がなくとも出陣命令を取り消さずにいたのだ。


十月二十六日。義輝が淡路へ渡ったという報せが届くと同時に信長は軍勢を伊勢へ入れた。


先手の滝川一益がいち早く桑名を抑えると、矢田城、柿城を抜き、羽津、浜田城の赤堀氏は降伏、釆女(うぬめ)城は力攻めの末に落城した。ここで信長は東海道を進むのではなく伊勢路へ入る。この機に伊勢すら版図に加えようという信長の狙いが明白になった瞬間であった。


これに驚いたのが楠城城主・楠木正具である。迫る織田軍に対して急ぎ守備を整えたが間に合わず、降伏。道案内を願い出たことにより助命された。


次いで織田軍が攻めかかったのが高岡城であるが、城主・山路弾正の抵抗により戦線は膠着、城下を焼き払って裸城にするものの城を落とすことは出来なかった。


「神戸城を攻める」


信長は方針を転換し、山路弾正の主君である神戸具盛が籠もる神戸城を攻略することにした。具盛も山路弾正に倣って徹底抗戦の構えを示したが、織田の大軍を目の前にすると己の不利を悟って和睦の道を探り始めた。


「我が子・三七郎を養子とするならば降伏を受け入れよう」


それが信長の条件だった。信長としても義輝に協力して幕臣となった蒲生定秀の娘を娶っている具盛を殺す気はさらさらなかった。具盛はこれを受諾、同時に高岡城も信長に属することになる。


その具盛と交渉する間、既に信長は次なる一手を打っていた。


=======================================


十一月七日。

伊勢国・長野城


長野城を治める長野氏は藤原氏を祖に持つ由緒正しい名家である。ただ今の当主・具藤には長野の血は一滴も流れていない。具藤は南伊勢五郡を領する伊勢国司・北畠具教の次男で、永禄元年(1558)に具教が長野氏を攻めた折に和睦の条件として養嗣子に送られ、永禄五年に家督を継いでいる。まさにいま信長がやろうとしていることを北畠方もやっているのだから、この手は戦国大名の中では敵の力を削ぐ有効な手段の一つであった。


「急ぎ籠城の仕度をせよ。霧山の父へも援兵を請うのじゃ」


まだ十六歳でしかない若い具藤は、当然のように父・具教の支援を仰ごうとする。それはいいのだが、この織田の侵攻を好機と捉えた者たちがいた。分部光嘉、川北藤元ら長野一族である。


「我が兄・藤敦が織田家を手引きしたようにございます」

「なに!?」

「いま信長は神戸城を攻めておりますが、落城は時間の問題。織田は大軍、今のうちに藤敦を攻めなければ敵はますます増えるばかり。御所(具教)様の援軍が到来する前に少しでも敵勢を減らしておく必要があるかと存じます」


光嘉は具藤の前で熱弁を振るった。しかし、それは忠義の心からではなかった。


兄・細野藤敦はあくまでも外敵から長野の領地を守る気でいる。その気持ちは分からなくもないが、光嘉にとって敵とは主家を乗っ取った北畠家であり、信長ではなかった。北畠具教は実子を養嗣子に送り込んだに留まらず、我が子に家督を継がせるべく光嘉の父・藤定と祖父・稙藤を暗殺している。暗殺の証拠こそなかったが、二人が同日に死去していることにより光嘉らは暗殺を疑っていなかった。


(何としても長野の家を残さねばならぬ)


長野家の内情は滝川一益を通じて信長に報されている。光嘉は密かに内応を滝川一益から持ちかけられており、信長の実弟・信包を長野の家督に据えること、先代・藤定の娘を信包に嫁がせることを条件に安濃・奄芸(あんき)の二郡は安堵することになっている。既に信長がそれを認めたというので、後は結果を出すべく行動するだけだった。


ただ当初の予定では光嘉は、兄と共に先導役を買って出て具藤を倒すつもりであったが、兄が抗戦の道を選んだことから変更せざるを得なくなった。兄の命を救い、北畠を討つためには一計を案じる必要があった。


「安濃城を攻めるぞ」


具藤は光嘉の言葉に従って安濃城へ兵を進める。いきなり攻められた藤敦は止むなく防戦するが、途中で長野城が光嘉に乗っ取られたことを報された長野勢は一気に瓦解、具藤は多芸城に逃れた。それも束の間、藤敦は今度は織田軍に包囲されてしまう。


「長野の家は終わりか…」


弟たちの策謀を知らない藤敦は絶望に打ち(ひし)がれたが、ここから先はまさに茶番だった。


織田軍は形ばかり安濃城を攻めた。雑な攻め方であり、これを藤敦は意図も簡単に跳ね返す。そこへ光嘉が仲介に現れた。


「お約束通り、降伏いたします」

「一益より話は聞いておる。されど安濃城の開城が先だ」

「ごもっともにございます。すぐに兄を説得いたす所存にて」


光嘉は安濃城に入り、兄の説得に当たった。


「どうか織田へ降って下され」

「莫迦を申すな。織田家から養子を貰うこと、北畠のやったことと違わぬではないか!」

「わかっており申す。されど織田は北畠と違い大国、当家との縁組みも承諾されたからには、その庇護の下で長野は生き延びることが出来まする」

「光嘉よ、長野家が独立する道はないのか…」

「私とて悔しゅうござる。されどこれも乱世の倣いにございましょう、兄上」


如何に藤敦が抵抗しようと、それが滅びへの道だということは自身でよく理解していた。せっかく光嘉が取り付けた織田家との約定も反故になってしまうだろう。


十一月十三日。安濃城は開城した。


信長は軍勢を反転、東海道へ戻って亀山城の関盛信を圧迫した。


関氏は六角の被官であり、神戸氏と同じく蒲生と婚姻関係にある。ただ表立って義輝の味方をした蒲生と違って未だに態度を鮮明にしていなかった。これが信長が攻め込む格好の大義名分となった。


「これはいかん!左兵衛大夫(蒲生定秀)殿に調停を御願いせねば…」


元より主君・承偵の援軍など頼めるはずもない盛信はすぐさま定秀に調停を頼むと織田軍へ恭順する意向を伝えた。信長も神戸氏同様に蒲生との縁戚のある関氏へは遠慮があり、恭順するならば所領は安堵ということで決着した。


これにより北伊勢八郡は織田家が領することになった。北部四郡は滝川一益に預けられ、神戸・長野が二郡ずつを領することになった。


信長が岐阜を発って僅か一月余りのことである。織田勢の快進撃は止まるところを知らなかった。


=======================================


少し遡ること十月三十日。

伊勢国・霧山御所


伊勢の過半を有する北畠氏の本拠である霧山城は、国主・北畠具教が国司であることから御所と呼ばれていた。そもそもが出自が公家であるが故に官位も高く、従三位・権中納言と義輝と同列にある。しかも具教は新当流を学び上泉信綱にも教えを請うなど義輝と共通点も多かった。具教の父・晴具は前将軍・足利義晴に味方して上方で戦ったこともある。それ故に今の幕府に抗するなど考えたこともなく、どちらかというと剣豪であり覇気の溢れる具教は義輝の力を背景に伊勢一国をまとめ上げようと画策していたところだった。


その矢先、織田信長が攻めてきた。


「信長めが!如何なる名分で伊勢に兵を入れたか!」


将軍・義輝より織田家に六角承偵討伐が命じられたことは伝え聞いている。だからこそ織田家が戦支度していたとしても何ら警戒していなかった。そこが具教の甘さだった。


具教は伊勢国主として、常に有利な立場で戦をしてきた。ただそれは伊勢の小領主たち相手であり、国同士の争いをしてきた戦国大名たちからすれば小競り合いに等しかった。その程度の経験しかない具教に織田信長の相手が務まるはずもなかった。


北畠具教の正室は六角定頼(承偵の父)の娘であり、世間的に北畠氏は潜在的な六角方であった。北伊勢の領主たちも六角氏との交わりが強く、承偵討伐の名分を得た信長の格好の的となった。もし具教が信長の侵攻を防ぎたかったのであれば、先年の暮れに義輝が将軍へ再任された時もしくは正月の年賀の際に上洛するべきだった。しかし、公家出身の具教としては武家の序列こそ尊重はするものの位階こそが身分の表すものであり、従三位と同列にいる義輝にわざわざ自分が挨拶に行くなど考えもぜず、家臣を使者に遣わしただけに終わっている。そこを衝け込まれた。


「義輝殿に訴えるのじゃ。急ぎ京へ使者を向かわせよ」


具教の許から早馬が放たれるが、義輝は四国へ出陣しており京にはいない。留守居役の一色藤長が応対して義輝の沙汰を仰ぐべく使者を送るが、こちらには具教ほど差し迫った感はなく、また海を渡らなければならないこともあり、義輝から御教書を預かった使者が戻ってきた頃には北伊勢は完全に織田家のものとなっていた。


それでも義輝の命令で元通りとなると期待していた具教であったが、信長は先んじて義輝へ“北伊勢に六角方へ通じる動きがあり”と報告しており、ここでも具教は出遅れていた。結局、北伊勢八郡は織田領となり、具教が出来たのは織田軍のこれ以上の南下を防ぐことだけだった。


「許すまじ織田信長!」


信長の一方的なやり口にやり場のない怒りを覚えた具教だった。これが大きな火種となるのは、まだ先のことである。


=======================================


一方、その頃で討伐の対象となった六角承偵は何をしていたかというと…


「好機じゃ。信長の目が伊勢に向いておる隙に観音寺城を取り戻す!」


義輝に叛逆し、織田信長に敗れた承偵は甲賀郡・石部城で反抗の機会を窺っていた。その時、義輝が宿敵・浅井長政を伴って四国へ出陣し、織田軍が伊勢へ侵攻した。近江の織田勢こそ残っていたが、承偵にとって近江は庭も同然であり、勝機はあると踏んだ。


承偵は甲賀の軍勢を糾合して四〇〇〇を揃え、織田領へ攻め入った。


この時、承偵討伐を任された柴田勝家らは観音寺城で承偵の行方を探らせていた。承偵は行方を眩ますことに長けており、居場所が依然として掴めなかったからだ。そこへ急報が入る。


「六角勢が出現!長光寺城へ向かっております!」

「何じゃと!?」


長光寺城は過去に観音寺城攻めの拠点に使われたことがあり、六角勢の狙いが観音寺城にあることを明白だった。


「承偵如きに城を奪われたとあっては御屋形様に叱られようぞ」


観音寺城に籠城することも可能だったが、柴田勝家と佐久間信盛は手勢八〇〇を自ら先導し、六角勢に先んじて長光寺城入ることにした。


「可成殿、重政殿は後詰を頼む。城の内外から承偵を挟撃しようぞ」

「任せておけ」


この勝家の策が功を奏し、承偵は長光寺城を囲むも攻めきれず、挟撃されて敗退した。この時、籠城支度が整っていなかった城内では残り少ない水を勝家が瓶ごと割ったとか割らないとか、そういう話があったそうだが真偽は定かではない。


撤退した承偵は尚も抗戦を続け、野洲川を挟んで合戦に及ぶも三雲定持、浮気員定、高野瀬重久ら重臣七八〇余名が討ち死に、大敗した。結局、承偵は石部城へ戻ることとなり、そこで半年に亘る籠城戦を行うことになる。




【続く】

今回は信長編です。


とはいっても殆ど信長がしゃべることはありませんでした。概ね、この辺りも史実通りですが、唯一次男信雄(茶筅丸)が北畠入りすることはありませんでした。また瓶割柴田の話も数年早いです。(六角の南近江再侵攻)


少しずつですが、歴史が変わり始めています。


次回、信玄編です。

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