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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第二章 ~三好征伐~
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第二幕 始動 -義輝の幕府再建構想-

一月六日。

近江国・坂本


年明け早々に明智光秀は近江の地にいた。新領の仕置きをするためである。


「やはり城を築くならば、この地しかないか」


光秀が辺りを見渡す。


左手には比叡山、右手には琵琶湖が見える。その中心を街道が通っている。琵琶湖の水運を握る堅田衆を麾下に加えた今、この地に城を築けば難攻不落の堅城が完成するだろう。


光秀は朝倉家に属したまま義景に与えられた滋賀郡の経営を任されている。これは京の東を義輝が実質的に押さえるための処置であることを光秀は察しており、己が抜擢されたことへ感謝している。光秀は新年早々から奮起し、義輝のために励むつもりでいた。


しかし、難問は尽きない。


まず第一に義輝の政権を維持するには京周辺を固める必要があった。その為には、京の東に位置する滋賀郡に強固な城郭が必要不可欠である。


光秀は始めに坂本より北へ一里(約4㎞)ほど進んだ雄琴城に入ったのだが、規模が小さく京を守る街道を押さえる城としては不足だった。故に、この地へ拠点を移すべきと考えている。だが城を築くには金がかかる。それをどう賄うかを考えなくてはならない。建前上の主家である朝倉家に金を無心する方法もあるのだが、果たして義景が首を縦に振るかどうか疑問だ。


次に人材不足がある。


光秀には家臣が殆どいない。主立った者は溝尾庄兵衛茂朝、藤田伝五郎行政ら光秀の父の代からの老臣たちくらいである。これについては美濃領主時代の近縁の者や旧臣を呼び寄せると共に領内の在地領主を積極的に起用し、浪人衆を召し抱えることにしているが、これからの話だ。


しかし、それよりも大きな問題があった。


「上様も気付いておられると思うが……」


光秀が見つめるのは坂本の地ではなく、その対岸である。そこは旧六角領、今の領主は将軍・足利義輝ではなく織田信長であった。


信長は論功行賞で義輝からの恩賞を辞退した。諸大名には“無欲な織田殿”として映ったかもしれないが、信長は自身で切り取った六角領(滋賀郡と山岡・蒲生領を除く)をそのまま治めていたのだ。論功行賞の時は、六角領は全て将軍家が収公するものと思っていたので何も思わなかったが、後に織田家側にまったく引き渡す動きがないことで、事の重大さに気が付いた。


(まさか恩賞の辞退は織田様の計略ではなかろうか……)


何度となく考えても光秀は不安を拭い去ることが出来なかった。噂ではあるが、本願寺や堺へ矢銭を課したこと、天下布武の印判を用いていることなど耳に入ってくる。


信長が恩賞を辞退したことで、上杉輝虎は上方に一切の拠点を持つことなく、官位だけを貰って帰国することになった。また管領職の返上も決定している。一方で信長は六角領を手にしており、輝虎の帰国後に上方で信長の力が大きくなるのは自明の理だ。


(もし織田様が上杉様を排除するために恩賞を辞退したとなれば……)


義輝は諸大名の恩賞辞退で旧三好領をそのまま手に入れた。それは京畿一帯七カ国にも及ぶ。しかし、今の光秀と同様に将軍家には七カ国を差配するほどの人材がいない。とすれば、自然と織田家を頼るしかなくなる。そうなってしまえば、三好と織田が入れ替わっただけで前の傀儡政権と何ら変わりがない。当初の論功行賞通りに上杉家の拠点が上方にあれば、信長も輝虎を意識してそれを防ぐことが出来たかもしれない。義輝もそれを考え、上杉家へ河内半国を与えるつもりだったはずだ。


(義景様は頼りにならぬだろうな)


光秀は建前上となってしまった主君の顔を思い浮かべた。


仮に輝虎でなくとも、義景が本気になれば信長の対抗馬として京に影響力を築くことは出来る。しかし、今回のことで上方の政争に関わることに嫌気を差しているはずで、現に年賀の挨拶を終えた義景は、帰路が深い雪に覆われているにも関わらず、軍勢に帰国の準備を進めさせている。


そこへ、溝尾庄兵衛が京より報せがあったことを伝えた。


「正月早々より如何した」

「何でも昨夜、上様が賊に襲われたとか」

「何ッ!?」


京には未だ七万の軍勢がいるのだから、義輝が襲われるという庄兵衛の報せは、まったく予期しないことであった。光秀は驚くとともに顔色が青醒めていく。


「上様は御無事なのであろうな?」

「はっ。手傷を負われたようにございますが、細川兵部様がお救い致したそうで」

「それは良かった。兵部様には何と御礼を申せばよいか」


光秀はホッと安堵の溜息を吐いた。


「ついては公方様が殿へ上洛を命じです」

「儂に?正月に御目にかかったばかりだが…」

「何か御伝えしたいことがあるようにございます。他に呼ばれている方もおられるようです」

「ふむ。ならば行って参る。上様の御様子も気になるしな」


颯爽と馬に跨がった光秀は、馬腹を打って京への道を急いだ。道中、義輝からの上洛命令の意図を量ると共に己の懸念を進言しようと考えていた。


=======================================


同日。

京・旧三好長慶邸


義輝が賊に襲われたと聞いて、真っ先に駆け付けて来たのが上杉輝虎である。


「上様は御無事か!?すぐに会わせてくれ」

「無理を仰らないで下され!」


輝虎はすぐに義輝へ目通りを願ったが、傷の治療中として待たされることになった。その間、輝虎はじっとしていられずに部屋の中を歩き回っていた。そうしている内に信長が義輝の様子を覗いにやって来る。


「おおっ、織田殿!上様が賊に襲われたらしい」

「知っておる。それよりも落ち着かれよ。上様は御無事だというではないか」

「そうであるが……不覚じゃ!儂が居ながら賊の侵入を許すとは……」


輝虎が悔しそうな表情で拳を床に叩きつける。と、その大きな音を聞きつけたのか、義輝が現れた。


「やれやれ。相変わらずじゃのう、輝虎は」

「上様!?」


現れた義輝の姿は痛々しかった。傷こそ衣服で隠れているが、足をやられた所為で歩くのに難儀しており、小姓に肩を担がれながら部屋に入って来た。


ゆっくりと、義輝が席に着く。傷の所為で座るのも一苦労だ。


「心配をかけたようじゃな」

「我らの職務怠慢にございます。以後は警戒を厳重にし……」

「それはよい。元々ここは三好修理(長慶)の屋敷じゃ。奴らにとって進入するのは造作もないことよ」

「と、いうことはやはり三好・松永の手の者が?」

「十中八九、そうであろうな」


実際、その確証はないのだが状況から判断して間違いなかった。だが、問題はそこではない。


「其の方ら参ったのならば丁度よい。話しておくことがある」

「はて?」

「昨年の変事、次いで此度の事で余は思い知った。余の身を守るにはこの刀だけでは不十分じゃ。この屋敷でも不足よ。やはり、城がいる」

「城…にございますか?」

「うむ。そこで其の方らに余の城を築いて貰いたいのじゃ。こんな屋敷など及びもつかぬ余の城をな」

「承知仕りました」


元よりその考えがあったのか、間髪いれずに信長が即答する。


「そうか、やってくれるか」

「上様の御身に万一のことあらば、天下の御政道に乱れが生じまする。上様の御城は、この信長が築いて御覧にいれまする」

「うむ」


義輝は満足そうに頷いた。これこそ、義輝の狙いだった。


義輝は城を築く費用について一切言及していない。そもそも城を築く金など初めから将軍家にはなく、信長に築城させることで全て織田家の負担させようというのだ。信長も体面上、粗末な城を築くわけにはいかず、相応の城が京に築かれることになるだろう。


「上様!某も御手伝い致しますぞ」


続いて輝虎も協力を申し出てくる。これも義輝の狙い通りだ。


「弾正が城を築いてくれるのであれば、輝虎には他にやって貰いたいことがある」

「他に…でございますか?」


思わず輝虎は首を傾げた。信長と同じく築城を命じられると思っていたからだ。


「うむ。余は何れ四国の三好を成敗せねばならぬ。となれば海を渡ることになろうが、三好には淡路に安宅水軍がおる。これを討ち破り、四国へ渡るには相応の軍船が不可欠じゃ。それを、輝虎に造って貰いたいのじゃ。無論、帰国までの間で構わぬ」


義輝は京畿七カ国を手に入れたが、海を渡すべき軍船は一艘も持っていなかった。そして、それを建造するだけの金もない。故に輝虎に造らせるつもりなのだ。


「はっ。そのような事でしたら御任せ下され」

「船大工は堺の者を使うがよい。水夫たちは、堅田衆の協力を仰げばよい」

「はっ。ではその様に致します」


義輝の予想通り、輝虎は軍船の建造を快諾した。


こうして、義輝は城と軍船の二つを無償で手にすることになった。


義輝の主命を帯びて二人が帰った後、義輝に呼び寄せられた幕臣たちが全て集まったのは夕方頃であった。ただ集められたのは信のおける者に限り、細川藤孝、一色藤長、大覚寺義俊、三淵藤英、京極高吉、和田惟政、上野清信、柳沢元政、大館藤安、朽木元綱、そして明智光秀だった。


「余は織田弾正に築城を、上杉左少将に軍船の建造を命じた」


開口一番、義輝は昼間の出来事をその意味と共に皆に伝えた。


「ならば三好征伐にございますか?」

「時節は十一月じゃ。皆もそのつもりで仕度をせよ」


将軍家は七カ国を手にしたとはいえ一度も年貢を徴収しておらず、遠征には最低でも一度は米の収穫時期を待つ必要があった。その為に各国ごとに代官を派遣して管理させることにしている。


具体的には、以下の通りだ。


山城 三淵藤英 勝竜寺城主

大和 京極高吉 多聞山城主

近江 朽木元綱(高島郡) 朽木谷城主

   山岡景隆(栗田郡) 勢多城主

   明智光秀(滋賀郡) 雄琴城主

   蒲生定秀(蒲生郡) 日野城主

摂津 和田惟政 芥川山城主

河内 一色藤長 若江城主

和泉 細川藤孝 岸和田城主

丹波 波多野秀治 八上城主


注目したいのは、波多野秀治の起用と京極高吉を旧領近江に戻さなかったことだ。


丹波は代々京兆細川氏の守護国であったが、複数の盆地を異なる領主が治めているのが実情であった。ただ秀治の祖父・稙通は丹波一国を統一したこともあり、国人衆の支持は高い。後に三好長慶の台頭で勢力を失っていたが、今回の義輝の上洛に呼応して八上城を奪還していた。その秀治に丹波を纏めさせようというのだ。


また旧守護の高吉を近江に戻さなかったのは余計な混乱を避けるためだ。そもそも応仁の乱に始まる足利幕府の混乱は将軍家の家督争いに端を発するが、諸大名が長きに亘って同じ地を治め続けたことで将軍家を凌ぐ力を得たことも大きな要因となっている。よって義輝は必要に応じて家臣の転封・移封を行い、諸大名の力を削ぐつもりでいる。かつて伊勢氏が世襲していた政所執事を摂津晴門へ任じたのも、その考えに基づくものである。


今回は京極高吉であり、近江から摂津へ移した和田惟政もこれに該当する。


彼らが義輝の名代として統治を代行し、他国に負けない軍勢を揃えることが出来れば将軍家は盤石となる。その手始めが三好征伐なのである。とはいえ、何年も待つことは出来ない。早期に幕政の安定化を図りたい義輝としては、一刻も早い四国遠征を考えており、その最短が十一月なのだ。幸いにも今年は閏月があるので、ほぼ一年ほどの時間はあった。


「されど上様。四国へ渡ってまで三好・松永を征伐するとなると、兵が足りませぬ」


藤孝が指摘する。


義輝の直轄領である京畿七カ国の国力があれば、四万ほどの軍勢を揃えられる計算となる。しかし、それは机上のものに過ぎず、領主が代わり統治して一年未満の土地から軍勢を催すとなると半分がいいところである。


「となると諸大名より援兵を出して貰う必要がございますな」


三好が四国で抱える軍勢が凡そ二万と考えると倍の四万、最低でも三万は欲しいところである。


「やはり織田殿に支援を仰ぐべきでしょうな」


藤長が言う。今回の上洛での織田軍の印象は強い。また美濃は比較的に京より近い一方で上杉が越後と遠国であることを考えると、信長を頼りとするのは自然なことだった。


「私はいま以上に織田様を頼りにすべきでないと存じます」


対して光秀が否定的な意見を述べてくる。“何故か”と問う藤長へ対し、光秀は自らが思う信長へ対する懸念を伝えた。藤長へでななく、義輝へ伝えるべく。


「何じゃ、そんなことか」


光秀の懸念に対する義輝の反応は意外なものだった。


「諸大名が好き勝手するは今に始まったことではなかろう。それを咎め立てする力が、今の余にあると思うてか」

「それは……」


光秀は答えに窮した。義輝の言う通りだからである。


足利将軍は何代も続いて傀儡将軍でしかなく、大大名が天下の権を欲しいままに操るための大義名分でしかなかった。出した命令の殆どが反故にされているのが現実だ。


「ならば、せめて上杉様へ上方に所領を預けるべきではございませんでしょうか?」

「輝虎であろうが、諸大名へ多くの所領を宛がうべきではない」

「何故にございましょうか。まさか上様は上杉様すら二心を御疑いなので?」


光秀としては義輝の反応は予想外だった。輝虎への信頼は絶大なものと思っていたからだ。


「疑ってはおらぬ。されど十兵衛(光秀)、仮に輝虎を信頼して関東で十カ国を任せたとする。輝虎の代では余の忠臣として命令に服すやもしれぬが、次の代は分からぬぞ。恩義を知らぬ者が跡目を継ぎ、将軍家に叛旗を翻すやも知れぬ」

「…………」


光秀は言葉が出なかった。否定できないからだ。そこへ藤孝が続く。


「されど上様。そのように誰も彼も御疑いでは、御政道に憚るのではございませぬか?」

「わかっておる。されど兵部、今は仕方ないのじゃ」

「今は…とは?」

「余は将軍家を諸大名が及びもつかないほど大きくするつもりじゃ。幸いにも余を奉じて上洛した諸大名らは互いに牽制し合い、力を削ぎ合うことに終始しておる」


朝倉義景は稚拙だが諸大名の力が増えないように画策したし、信長は領地を返上、管領職の廃止を奏上することで上杉の影響力を減らした。己の影響力が減ることになるにも関わらずだ。


「その果てに、余は七カ国を手にした。三好修理の頃は、山城一国だけだった余がだ」


義輝は過去に一度だけ三好長慶より山城一国の統治権を取り戻したことがあった。しかし、山城は朝廷領や公家領、寺社領などが複雑に入り乱り、京洛の統治の難しさに四苦八苦したものだ。逆にその煩わしさから解放された長慶に上手くやられたと思った。


それが一挙に七カ国まで増えた。


「ですが、その七カ国を統治できるかどうか。やはり諸大名の力を借りるべきかと……」


弱音を吐いたのは藤英である。かつて山城一国ですら持て余していたのだ。しかも今回は七カ国と領地は広がり、さらには昨年の変事で多くの人材を失っている将軍家では統治など不可能に思えた。


「無理ならば無理で、その時になって手放せばよい。せっかく手に入れた七カ国を初めから捨てるものではない。将軍家が諸大名の力を凌がなくては、世の乱れは治まらぬ」


将軍家が圧倒的な力を有してこそ初めて諸大名は服従する。それまでは、出来る限り諸大名の力は弱い方がいい。


「天下の静謐が成るかどうか、この七カ国を治めきれるかどうかに懸かっておるのじゃ。皆も左様に心得ておけ」

「はっ」


義輝の言に従い、幕臣たちは新地へ赴いていった。来るべき三好征伐の為に。


将軍・義輝の天下統一の戦いが、始まった瞬間である。




【続く】

ついに足利軍が誕生です。初陣はまだ数回先ですが、華々しい初陣が書ければと思っています。

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