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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
最終章 ~天下泰平~
201/201

第十六章 畿内平定 ー義輝と長慶の共闘ー

 永禄二年(一五五九)二月


 先ごろに征夷大将軍・足利義輝と歴史的な和睦をした三好長慶は、義輝の帰洛後に正式に副将軍へと任じられ、その家格に相応しく三好一族は各地の守護職が与えられた。これにより義輝は約定を守ったことになり、長慶は義輝の事を信用して二人三脚で天下一統へ向けて歩み始めた。


 関係を修復し、両者の方針が一致した以上、動きは早い。


「まずは修理大夫の副将軍就任を余の名で知らせたにも関わらず、使者すら送らなかった無礼を咎めねばなるまい。修理大夫、丹波を攻めるぞ」

「承知しております。既に国元へは報せを送っており、四月には二万の軍勢が京に揃う予定でございます」


 これに対して副将軍就任以来、筑前守から修理大夫へと転任、従四位上へ昇進した長慶は、同じ位階だった細川晴元を一つ越えた。これに怒った晴元が潜伏先の丹波で騒ぎ始めると、待ってましたと言わんばかりに義輝は三好全軍を動員して丹波攻めの総仕上げにかかった。その数、都合二万を数えた。農繫期にこれだけの軍勢が揃うのは三好が如何に大きいかを物語っていた。


 今や丹波は雪が深く、その雪解けを待っているところである。義輝も自身で軍勢を率いて参戦するつもりであり、山城の領国化を進めている。


 その最中、ある男が上洛してきた。


「お初にお目にかかります。尾張の織田上総介信長にござる」


 尾張の有力大名・織田信長である。前年七月に尾張上四郡を支配する岩倉織田家を滅ぼし、尾張平定を成し遂げた人物だ。


「上総介の評判は聞いておる。良い面構えじゃ」

「……お褒めに与り恐悦至極に存じます」

()()()()()不愛想よな。して此度は何用じゃ」

「......諍いの絶えなかった尾張を平定したこと、公方様に御報せに参りました」

「報せは聞いておる。よう長らく争いの絶えなかった尾張を治めた。上総介の才覚は、将軍たる余が認めよう」

「はっ!ついては尾張につきましてですが……」


 と先を語ろうとする信長を義輝は右手を突き出して制し、驚きの方針を語った。


「いや、よい。もはや斯波家に尾張を統治する力はなかろう。よく将軍家に連なる斯波家を支えて尾張をまとめたくれた。礼を申す。が、今後は斯波の名が統治には差し障ることとなろう。斯波は足利一門、ならば家長たる余が斯波の身は預かる故、早々に上洛させよ。その後は上総介を新たな尾張守護とし、然るべき官位にも奏上しておく故、尾張は上総介の存念次第とせよ」

「……宜しいので?」

「力なき守護の存在は争いの火種にしかならぬ。尾張は上総介が治めるでよい。それが余の決定だ」

「……過分なる御配慮に感謝いたします」

()()()()()()は今後のそなた次第ぞ。今川との争いに余は干渉せぬ。尾張統治の大義名分はくれてやる故、己の力量にて危機を脱してみせい」


 そう言って義輝は信長を下がらせたのだ。終始、信長は態度を崩さなかったが、()()()()()()()義輝には、内心で信長が驚いていたのが判った。それが堪らなく面白かったのだ。


 もちろん驚いていたのは信長だけではなく、この場に副将軍として同席していた長慶も驚きを禁じ得なかった。それも義輝は愉快に思った。

 

「ふふふ、驚いたか?」

「はい。今川の動きを知っておられるとは、上様が斯様に諸国の事情に明るいとは驚きました」

「余とて朽木谷や坂本で安穏としていた訳ではないぞ」

「恐れ入ります。されど織田信長といえば尾張ではうつけと評判の者と聞き及びます。そのうつけに斯波家を退けて守護職を与えてよかったのですか?」

「修理大夫とあろう者が、上総介がうつけに見えたのか?そのうつけに一国を切り従えられると本気で思うか?」

「……なるほど、確かに思いませぬ」


 問われた長慶も己の考えが固くなっていることを笑いたくなった。


 足利という血を背負う義輝自身が、斯波という一族を否定して実力主義を重んじている。自身も実力でのし上がり、細川という名に嫌というほど悩まされた経緯が今もある。斯波が必要だったのは、尾張を平定するまでだ。確かに義輝の言う通り織田にとって今後は斯波という名は邪魔になるはずで、斯波も外敵が存在しなくなれば、今後は織田の排除に向かうはずだ。


「余は三好を認めたのだ。ここで織田を認めねば、乱世は終わらぬ。違うか?」

「仰る通りに存じます。某も副将軍の職務に一層と励みます」


 結局、三好も織田も同じなのだ。乱世をのし上がり、世の大儀であった将軍に認めて貰うことで世を乱す悪から正義となった。そして義輝は何が正義かを世に示さんとしている。それは力ある戦国乱世の時代に於いて、実力が全てだった。もちろん謀反を是とするつもりはない。その点では織田は斯波家を立てており、三好も将軍家を立てている。実力者たる彼らが諸国を治めれば、争いは減っていくはずだ。当然、その彼らを圧倒する将軍家の力があってこその話ではあるが。


 そして迎えた四月、遂に丹波攻めが始まった。


「いよいよ父上の仇を討てる。晴元は絶対に逃さん!」

「ああ。どうやら公方様は山名や一色に声をかけ、晴元の退路を断っておるらしい」

「波多野には八上城を明け渡し、晴元の身柄を引き渡せば許すと伝えておるようだ」

「そうなのか?それならば晴元も袋の鼠も同然だな」


 今回、晴元を父・元長の仇と考えている三好実休、安宅冬康、十河一存ら三好兄弟も勢揃いしたことで、三好勢の士気は天を突かんばかりに高まった。ちなみに実休は四国経略を担当している役割の大きさから、長慶の副将軍就任に伴って嫡男の孫次郎義賢と共に御相伴衆に任じられている。


 対する晴元とは言うと、前年の和睦で自分の身を売られたと知った途端に遁走、行方を眩ませていたが、すぐに所在は明らかになった。晴元が行きそうなところと言えば六角か若狭か丹波であったからであるが、長慶の昇進、副将軍就任を批判し、自ら騒ぎ始めたからだ。これも晴元の性格を知っている義輝が打った策だ。晴元は自尊心が強い性格であり、本人は義輝らに炙り出されたとさえ感じていないことだろう。


「長慶め!許せぬ!近江の六角、若狭の武田、河内の畠山に越前の朝倉に使いを送れ!長慶を包囲殲滅してくれるわ!」


 と激しく息巻いた晴元の思惑は、大きく空振りすることになる。


 波多野らを代表する膝下の丹波の国人らは自らが直接に指揮し、三好憎しから晴元に従っていたが、畠山高政は家臣の安見宗房に河内を追放されており、在国しておらず、若狭も信豊・義統親子の対立が激化していて国外への派兵など不可能であった。朝倉義景は晴元の娘を正室に迎えていたが、既に死去。隣国の若狭が荒れており、また朝倉家の軍権を握っていた宗滴が天文二十四年(一五五五)に死去した反動から立ち直りかけているところであり、戦うなら三好という難敵ではなく、兵を出せばあっさり勝ててしまえそうな若狭が良いと思っていた。とても晴元に付き合って大国・三好と事を構える覚悟はない。


 全て晴元が描いた机上の空論であり、諸国の情勢は今の晴元に付き合っていられるほど明るくはなく、むしろ暗いと言っていい。そして、その状況を作り出しているのが自分だとは当の晴元は夢にも思っていなかった。故にこそ諸大名の反応は悪かった。


「儂は管領ぞ!細川ぞ!何故に儂の命に誰も従わん!こうなれば頼るべきは六角しかおらぬ!」


 討伐軍が丹波へ迫る中、晴元はその退路を断つよう最後の希望である六角承禎へ依頼した。承禎にしても不利な晴元に味方するのは避けたかったが、実のところ承禎としては晴元からの依頼は渡りに船であり、政治的な立場が低下した六角を浮上させる良い機会と捉えた。


「管領殿との和睦を六角が調停しよう」


 と画策した承禎は、晴元に味方する素振りを見せて義輝、長慶に圧力をかけつつ和睦仲介を申し出た。


()()()()()詰めの甘い奴よ」


 義輝は和睦仲介を一笑に付して却下し、背後に迫る六角の備えをある男に任せた。それは突如として来たからやって来た。


「申し上げます!この先に新たな軍勢が出現。旗印には九曜巴、恐らく越後長尾勢と思われます!数は五千!!」

「莫迦なッ!?長尾が何故にこんなところにおる!?」


 義輝の上洛要請に応じて上って来た長尾景虎は、前回の時と違って五〇〇〇もの兵を引き連れてきた。既に長尾の名は関東管領の庇護者として知れ渡っており、甲斐の武田や駿河の今川も一目を置いている人物である。無論、承禎も名は知っている。六角勢からすれば五〇〇〇を相手に勝てないとは思わないものの、それなりの犠牲は覚悟しなくてはならない。そもそも承禎は戦するつもりはなく、和睦の仲介を目的に出陣してきている。ここで戦うことに躊躇した。


「相手は三好だとばかり思って上洛したのだが、まさか上様より三好を守るよう仰せつかるとはな……」


 一方で当の長尾景虎は困惑しながらも五〇〇〇もの兵を率いて義輝の後方を守っていた。しかも義輝は絶大な信頼を寄せるかの如く、守りを長尾勢のみに任せて丹波へ深く攻め入った。信頼されるのは悪い気はしないが、未だ自分は義輝にそこまで信頼されることをしたつもりもなく、ここでは戸惑いが勝っていた。


「されど上様の期待に応えられぬでは上洛した意味がない」


 そこは流石の景虎である。戸惑いつつも現状で最大の成果を上げようと兵を前に進めて逆に六角を圧迫し始めた。その景虎が生み出した時は義輝に味方する。


「儂は管領……、天下人なるぞ……」


 晴元は誰からも救援を得られず、丹波の旗頭であった波多野元秀は幕府に敵わぬと見て八上城を明け渡して降伏することになった。奇しくも自ら追い落とし、紺屋の(かめ)の中に隠れて生き延びようとして捕まった細川高国と同様、味方を全て失って一人空しく自害して果てることになった。


「儂の申した通り上様は約束を守られたぞ。これからは上様を信じ、共に歩むのが三好家の行く道だ」


 義輝と共に歩むことを誓った長慶とは異なり、三好の柱石たる弟たちは、未だ半信半疑であったが、今回の丹波攻めの成果を以て全員が考えを改めるに至った。


「まこと兄者の申される通りだったわ。何が公方様を変心させたかは判らぬが、これからの三好は将軍家と共に栄えるべきだな」


 これにて将軍家と三好との蟠りは完全に氷解し、三好一族は名実ともに自分たちが天下第一の大名となったことを喜んだ。


 そして京に戻った義輝は景虎との謁見を前に長慶を呼び出し、次なる一手を打ち明けた。


「修理大夫、余は長尾弾正と共に若狭を平らげる」

「長尾殿と若狭を……ですか?」

「うむ。もはや武田に任せても国は纏まるまい。故に余が預かることにした」

「はっ。では丹波から戻った軍勢を一部、若狭へ差し向けましょう」

「いや修理大夫には早々に畠山の紛争を鎮めて貰わねばならぬ。若狭は弾正だけで十分だ」

「されど畠山に兵を差し向けても当家には余裕があります。長尾殿は僅かに五千、若狭が小国とはいえ流石に数が足りぬかと存じます」

「案ずるな、()()()()()()()


 そう断言する義輝の根拠が長慶には分からなかった。

 

 確かに長尾景虎は越後内の抗争で勝利してきた人物だ。隣国との争いにも関わり、川中島では甲斐武田とも争っている。兵は弱くはないのは長慶も理解するが、自身の身を預けるほど信頼する強さはないはずだ。また数も足りないと思う。若狭は小国で一枚岩になっていないとはいえ、二〇〇〇か三〇〇〇くらいは揃えてくるはずである。幕府軍が多少は加わるとはいえ、俄か揃えの軍勢では役に立たない。今回の丹波攻めも三好勢のみが合戦を行い、幕府勢は義輝の本陣を守ることしかやっていないのだ。


()()()()()()。修理大夫には畠山を鎮め、早々に四国を平定して貰わねばならぬ」

「四国ですか?」

「そうだ。中国では毛利の勢いが強い。今でこそ尼子が抑えておるが、長くは保てまい。そなたが四国を平らげられれば、海から中国や九州を牽制できよう」

「……尼子に毛利が勝ちますか?」

「尼子も簡単には負けまいが、もはや落ち目よ。しばし力を落とした頃合いを見計らって余に改めて恭順を誓わせる」


 義輝の冷徹な視線が虚空を貫く。


 言っていることは理解する。八カ国の守護だからこそ勢力が弱まれば幕府を頼るはずだ。その際、幕府が今よりも力を持っていれば恭順は可能だろう。しかし、義輝のやっていることは力ある大名を貶める行為だ。その矛先が三好に向けられない保証はない。何せ天下第一の大名は三好なのだ。その枷とし、長慶に不安を抱かせないようにするための副将軍職でもある。


 長慶としては、義輝を信じると決めた。道理を重んじるにはそれが一番だと思っていたからこそ‟将軍家あっての三好家である”と家中に言い聞かせてきた。


「畠山にはそなたと十河孫六郎で当たれ。豊前守と安宅摂津守には四国経略に専念させよ。若狭を平らげ、畠山が片付いたなら次は四国ぞ」


 義輝は三好家を支える四兄弟たちに役割を与えた。


 三好の本拠は四国・阿波であるが、長慶は幕府を支えるため畿内に留まる必要があった。故に四国は次男・実休が四国を統治している。また淡路を治める三男の摂津守冬康は両者を繋ぐ大きな役割を担っている。もし義輝が四国に渡るなら、冬康が担当することになる。


 そして四男の十河孫六郎一存は、軍事で長慶を支えてきた。長慶自身も畠山との戦いには一存の力を大いに頼りにしており、畠山を抑える役目を一存に任せて泉州・岸和田城を預けている。実際、一存に睨まれて畠山は身動きを取れない状態にあり、充分に役目を果たしている。


「上様自ら四国に渡られますか?」

「無論だ。以前にそう申したではないか。もう忘れたか?」

「いえ、それは覚えておりますが……」


 長慶の懸念は義輝も理解する。義輝が都を離れれば、善からぬことを考える輩が出てくる。その最たる例が明応の政変だ。


 明応の政変では時の将軍・足利義材(後の義稙)が河内へ出陣している隙に細川政元が挙兵し、義澄を新将軍に擁立する企てがあった。その義澄も永正の錯乱に端を発した両細川の乱にて、義稙を擁した大内義興を恐れて都を離れ、将軍職を追われている。


 このように将軍が都を離れるというのは、政治的な不安要素が大きい。丹波や若狭はまだいい。何せ自分が畿内に留まっていれば、それを防ぐ自信はあるからだ。しかし、四国となると長慶はどうしても義輝に同行しなくてはならず、畿内が不安定になる。もう少し地盤を固めてから動きたいのが本音だが。義輝は時間がないと言う。


「案ずるな。四国へ赴く前に一条院の覚慶と鹿苑院の周暠を還俗させる。周暠は修理大夫に預ける故、鍛えてやってくれ」


 すると義輝は長慶の心中を見抜くかのように、弟たちの還俗させて預けると言ってきた。傀儡当主が有力家臣に一族を差し出す例は戦国乱世に於いて例のあることであるも、今の義輝と長慶の関係としては、人質として預けるような形は違和感がある。やるならもっと前だ。


「仰る意味が判りかねます」

「そう申すしかあるまいな。されどそなたなら周暠を預ける意味は理解したはずだ」

「……はっ。申し訳ございませぬ」

 

 義輝が四国へ赴いた場合、唯一義輝廃立に動けるとしたら、今まで幕政に深く関与してきた六角承禎である。特に承禎は政治的にも追い込まれており、一発逆転を狙おうとしても不思議ではない。その承禎の影響の強い大和・興福寺には、義輝の弟である覚慶がいる。義輝と長慶が同時に不在する瞬間を狙って新将軍に擁立しても不思議ではなかった。


 故に義輝は二人を還俗させると言ったのだ。


 将軍職へ就ける血統である先代・義晴の血統は義輝と覚慶、周暠である。覚慶は興福寺、周暠は鹿苑寺にいる。そしてもう一つの血統である義維の系譜は全て長慶が阿波で保護しており、天下に足利氏はまだいるものの、他の足利氏は将軍職を継げるほどの正統性はなく、無視できた。


 義輝が京にいない以上、周暠も京には置けない。故に周暠を預け、義輝ともども三好軍に身を投じるのが安全である。後は残る対抗馬と成り得るのは覚慶をどうするかだ。


「覚慶は上方には置かぬ。余の弟が二人還俗して上方に置けば、有らぬ諍いを生むやもしれぬ。長尾弾正に預けて越後へ下向させる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。覚慶が弾正と共にあれば、弾正の大儀は完全となろう」

「まさか上様は、覚慶様を鎌倉公方となさるおつもりですか?」


 率直な疑問を長慶は義輝へぶつける。


 そもそも将軍の血族は慣例から仏門に入ることが決まりである。実際に義輝の弟である覚慶も周暠も仏門に入っており、将軍家の家督争いが起こらないようにしていた。しかし、かつて八代将軍・義政は弟の政知を鎌倉公方として関東へ送り込んだことがあった。


「いや、その気は毛頭ない。関東に公方を置いてみろ、碌なことにはならぬ」


 義輝の言う通り鎌倉公方の歴史は、上方との対立の歴史だ。代々幕府に抵抗しており、独立や将軍職の簒奪など良い過去がない。だからこそ義政も信用できないことを理由に実弟を送り込んだが、結局のところ鎌倉公方を継承することは出来ずにいる。


 なら義輝が覚慶を長尾勢に預ける意図は何か。


「覚慶には越中を治めて貰う。北国は何かと安定せぬ。もし覚慶が北国を鎮めれば、弾正はいつでも上洛できる」

「それで越中ですか。確かに越中なら公方家で治まるかもしれませぬ」


 そう長慶が言うのも、かつて越中公方というものが存在したからだ。


 明応の政変で京を追われた十代将軍・足利義稙(当時は義材)は越中に在国したことがある。各地を放浪した義稙であったが、越中に座している間は公方としての権威を有していたのは間違いない。越中で北陸の大名を糾合し、束ねた例は良い前例となる。無論それから幾年もの月日が流れているが、人はいつしもかつての栄光は忘れられぬもの。越中は争乱の多い国であるが、守護権力が確立していないことから、公方家が成立する目算は高い。一向一揆の強い地域であるが、公方が座すれば越前の朝倉も能登の畠山も協力せざるを得ない。そして、その支援を信頼できる景虎へ義輝は任せるつもりなのだ。


(関東は弾正だけでは鎮まらぬ。であれば北条の足を止められればよい。越中に覚慶を置けば、弾正の眼は西に向くはずだ)


 職務に実直な景虎のこと、関東管領を任せれば関東中心の動きになる。しかし、北条を倒せるほどの勢力にはならない。あの家は()()()()()。如何に景虎が強いとはいえ、簡単に勝てる相手ではない。であるならば関東は現状維持で良いとして、早急に上方をまとめ上げ、その後に中央から軍勢を差し向けなければならない。その為にも景虎の眼を西に向けておく必要がある。最悪、関東は一時的に北条へ預けても義輝は良いと思っていた。それ以上の野心は相模の獅子と呼ばれた北条氏康にはない。その氏康の生きている内に上方を幕府でまとめれば、何とでもなる。


「そこまで某を買って下さるとは、法外の喜び。この長尾弾正がしっかりと覚慶様の身を立ててご覧に入れます」


 義輝の狙いを知らない景虎は、覚慶を預けるとの話に感動し、更なる忠誠を義輝に誓うのであった。これで関東管領以上を塗り替える大義を手に入れた景虎は、関東に捉われ続けることは防げる。


「頼むぞ。越中に覚慶あらば、必ずや余とそなたを繋いでくれよう。余も弱き将軍はこれまで。若狭を平らげ、その後は近江を併呑する」

「……近江は六角殿が治めておりますが?」

「そなたも存じておろう。六角は晴元に味方した。心底は知れておる。そのような者に都近くを任せては置けぬ」

「では転封を?」

「ふふふ、さてな。されど近い内にその()()()()()。またも修理大夫の力は借りることになろうが、六角領の大半は幕府が手にすることになろう。さすれば山城、近江、若狭は余の直轄となり、優に百万石を越える。幕府の中核を成すには充分と思わぬか」

「……仰ることは理解いたしますが、果たして六角が従いましょうか」


 そう景虎が思うのも無理はない。将軍の力は三好と組んで少しはマシになったものの、未だに有名無実に近い。大大名たる六角を転封させる力はないのだ。


「従わねば討てばよい。その為の三好であるし、そなたもおる。六角を討つとなれば浅井も味方に引き込めようし、織田もおる」

「織田?」

「そなたより少し前に上洛してきた者だ。今では尾張をまとめ上げた。間もなく今川とぶつかろう」

「今川治部と当たるのであれば、織田に余力はありますまい」


 景虎の懸念は尤もである。この時期の今川の武威は天下に轟いており、三好が畿内で覇を唱えていはするが、海道一の弓取りと称される義元の名声は武田や長尾、北条を上回る。景虎も川中島では義元の介入で引き下がるしかなかった程だ。


「案ずるな。今川の勢いはこれまでよ。上総介には敵わぬ」


 と言い切る義輝をこの時の景虎は不思議に思ったが、すぐに理解できる出来事が起こった。この一年後、尾張桶狭間で織田と今川が激突、圧倒的に織田が不利に思われたが結果は義元討死だった。さらに桶狭間の戦いに影響された浅井長政が六角と対立、不利な立場の浅井が野良田の戦いで逆転勝利を収めた。


 弱小の浅井が六角を破ったのだ。


 とはいえ浅井も無理をしての勝利であり、大きな損害を被っていた。六角も浅井を弱小と侮る訳にはいかなくなり、美濃齋藤家との関係改善に乗り出した。斎藤に浅井の東から圧迫させようと画策したのだ。


「今が好機ぞ」


 しかし、そのような時間を義輝は与えなかった。


 前年、長尾勢の力を借りて若狭をあっという間に平らげていた義輝は、一年をかけて検地を行って直轄地として取り込んでいた。また若狭小浜から将軍家直臣の朽木谷を通り、都まで通る鯖街道を整備して関所を廃止、物流を活性化させて財政を潤すと将軍家直属の軍兵を五〇〇〇まで増やしていた。


 そこに六角の敗北が報せられた。


 六角は大軍勢を擁して大敗、周囲には味方もいない状態だ。その六角領に義輝が待ってましたと言わんばかりに畠山攻めの為に用意された三好長慶の軍勢二万を転進させ、六角領へと雪崩れ込んだのだ。そして六角家から南近江を一気に奪い取ってしまう。


 六角承禎は京で蟄居を命じられ、僅かな領地を与えられて守護から奉公衆の一人にまで落ちた。また野良田で勝利した浅井長政も版図拡大する余力はなく、義輝から北近江の領有を正式に認められたことで幕府に忠誠を誓い、そのまま奉公衆に組み込まれた。長政にとっては浅井の独立と家格を上げることに充分な成果としたのだ。


 加えて六角の滅亡によって畿内に味方する勢力を失った畠山高政は、十河一存に攻め続けられ三好への抵抗は不可能と判断、義輝へ仲介を依頼して家督を実弟の政頼に譲って降伏した。義輝も畠山を滅亡させるには至らず、紀伊はそのまま安堵とした。流石に紀伊まで攻め入る余裕がないためだ。


 ここに畿内の平定が成され、天下静謐は誰もが成ったと考えた。しかし、義輝と長慶は違った。


「さて、総仕上げにかかるぞ」

「はっ!お任せくださいませ」


 斯くして畿内に抵抗勢力がいなくなった長慶は、前もって義輝と共に進めていた四国平定を一挙に果たさんとして阿波を統括する実休に土佐、伊予へ対する調略を指示した。


(上様は本気だ。この機を逃せば乱世は終わらぬかもしれぬ。四国を平らげれば、中国や九州にも影響力を及ぼせる。儂も腹を括るか……)


 四国の絵図を広げる長慶の眼光が強く光る。


 これまで人が変わったかのような振る舞いの義輝に長慶は主導権を握られ続けた。それだけ義輝は突拍子もない事で各地を平定してきた。長慶が義輝と組むことで、間違いなく天下は治まりつつある。


(畿内に加えて四国統一が成されれば、九州は大友、中国は尼子と毛利で治まるやもしれぬ。東国も長尾や織田など上様の影響が強い大名もおる)


 一度は諦めかけていた天下静謐が朧気ながら見えてきた。それは長慶にとって僥倖だった。叶わぬと思っていたものが目の前にあれば、誰だって掴みたくなる。


「……ふう」


 深く溜息を吐く。


 だがそれは決して悲観的なものからではない。むしろ先行きは希望で満ち溢れている。しかし、この数年で身体に不調をきたしているのは自分が一番に理解している。身体の重さに、思わずため息が出たのだ。


()()()()()()


 そう以前に上様は仰った。その時は何に焦っているのかと思っていたのだが。


(……まさかな)


 自分の不調を見抜いていたとは思えない。あの当時の自分は今のような不調を感じることはなかった。


(四国が片付いたら家督を孫次郎に譲ろう)


 立派な嫡男だと親の贔屓目ながら思う。義興ならば、自分が隠居しても幕府の重鎮として天下静謐の力となれるだろう。故に自分はこの四国平定で、全力を尽くす。そう心に誓った。


 そして迎えた永禄四年(一五六一)十月、遂に義輝は四国へと渡り、幕府勢一万二〇〇〇と三好勢四万が合流する。そして、その中には松永久秀の姿もあった。




【続く】


お待たせいたしました。


さて過去らしい話に変わった前回の続きです。協力関係となった義輝と長慶が畿内を平定していくお話です。最後の義輝の宿敵の名前が挙がりましたが、どう絡んで来るのか?かなりの年月をザっと書き連ねておりますが、それも次回や次々回で判明します。


一先ず過去回(と思われる)のエピソードは次回で終了です。次回は三好長慶からの目線で話が進みます。盆前の更新は....ちょっと私の職業は盆休みがないためお約束できないかもしれません(8/9~17で一日しか休みがない笑)

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― 新着の感想 ―
ここまで歴史が変わってるのに1話の状況に……まだ何かウラありそやな
前回に引き続きなんかおかしい過去回? これ、過去を悔やんだ義輝の夢オチでは・・・・
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