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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
最終章 ~天下泰平~
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第十五章 天下への道 ー叶わぬ夢の話ー

またまた長らくお待たせしました。


暫くログインも出来ず、休みも仕事ばかりで本当に書く時間すらなくなってきております。ですが、久しぶりのログイン、5月6月にランキング入りしていた記録あり、ブックマークして下さっている方も久しぶりに多く増えておりました。


改めて感謝を申し上げます。読者の方こそ、モチベーションアップに繋がります。


間もなく完結という直前、更新ペースを戻せるとは今の状況で思いませんが、7月中にもう一度は必ず更新することをお約束します。完結まで是非お楽しみください。

永禄元年(一五五八)八月三日

京・妙覚寺


 この日、都は騒然としていた。


 つい前日まで近江から京へ向かう要衝に位置する将軍山には(おびただ)しい軍勢がひしめき合い、長く睨み合いが続いていた。去る六月に両者は一度ぶつかり、互いに損害を出しつつ後退したものの膠着状態は三か月にも及んでいる。


 武家の長たる征夷大将軍・足利義輝が率いる幕府軍は僅か三〇〇〇余り。それに対して天下人・三好筑前守長慶が率いる軍勢は一万五〇〇〇もの陣容を誇っていた。城攻めは通常で三倍の兵力が必要と云われているが、その兵力差は実に五倍にも達しており、幕府軍が劣勢なのは誰の目にも明らかだった。


「六角が駆け付けてくれば……」


 明らかな形勢に幕府陣営には焦燥感が募っていた。


 挙兵の際に意気軒高と騒いでいた幕臣たちも鳴りを潜め、今は近江で大勢力を誇る六角義賢の後詰に望みを繋いでいる有様だ。自分たちで目の前の敵勢を跳ね除けるという考えを持つ者は皆無に等しい。


 一方で三好長慶の勢力は強大で、その版図は本貫の阿波を始め、讃岐、摂津、河内、和泉、大和と都のある山城にまで及び、土佐や播磨、丹波など周辺にも勢力を伸ばしており、これに対するには諸大名の支援は不可欠であった。もちろん三好の台頭を快く思わない大名は多く、幕臣たちは三好憎しの感情は根深いとして挙兵に至ったものの、いざ起ってみると及び腰の大名ばかりという有様で、今の状況では正面からの戦で勝てないことを幕臣たちも悟っていた。


「滑稽だな。改元費用を惜み、上様と元管領が挙兵したのに味方は集まらずか……」


 その様子に総大将の長慶は敵方の稚拙ぶりを評して溜息を吐く。


 今年、元号が弘治から永禄へと改元された。もちろん朝廷は幕府に相談し、費用の捻出を依頼したが、対三好に抗する資金が減ることを危惧し、これを突っぱねた経緯がある。故に朝廷は三好に相談し、改元に至っている。これを不服とした幕府では未だに永禄の年号を使用せず、弘治として記録を付けている。


 暦のことは宮廷行事の中では大事に入る。帝が即位式を行えずとも改元を行っていることから推測すれば、その重要性は明らかである。その改元を無視してまで挙兵した将軍は、僅か三〇〇〇しか集まられていない。それを滑稽と長慶は評した。


「上様には苦労が足りぬのだ。大事を成すには、屈辱の一つや二つは堪えなければならぬ」


 そう呟いた長慶の言葉には重みがあった。

 

 自分は細川晴元を父の仇と知り、叔父・政長を共犯者と分かっていても頭を垂れてきた。相手から見れば己は腑抜けに見えただろう。自分を父の仇と知ってか知らずか頭を下げるなどと心の中では思っていた事だろう。無論、こちらは甘んじて受け入れて機会を狙っていたに過ぎない。父が死んでから仇を討つまで16年も屈辱に堪えてきたのだ。それは緻密(ちみつ)に寝られた策謀があってこその話、相手が気に入らないくらいで挙兵するようでは大事話せない。それほど自分は甘くない。


「畠山は兵を起こせぬ。ましてや六角など、恐れるに足らず」


 もはや征夷大将軍と真っ向から対峙する長慶の態度に焦りの色はない。むしろ悠然と持久戦に応じる構えだ。それもそのはず、目の前の情勢は圧倒的で、一万五〇〇〇を揃えてもそれは三好家の最大動員数の半数以下でしかない。その気になれば五万も六万も兵を出せるのだ。しかも京と堺を掌中に収めており、大坂湾も支配下にある。兵站も強固だ。故に畠山も家臣の安見宗房との対立で動けず、味方の少ない六角も何とか面目を保とうとして軍を起こさず、和睦を水面下で提案してきている。つまり六角に戦意はなく、三好の勝ちは揺るがない。後はどう始末を付けるかである。


「殿、恐らく六角の狙いは北近江にございます。報せによれば浅井家中ではしきりに六角への反発が高まっており、軍勢を温存して浅井を圧迫せんとしているのでしょう。家臣の娘を下野守の嫡男に嫁がせようとしているようにございます」


 そこへ家宰の松永久秀が間者からの報せを伝える。


「六角は足元の近江が揺れておるか」

「はい。逆に我らは後顧の憂いがありませぬ。我が方が圧倒的に優勢なれば、これに付き合う必要はございませぬ。公方様が実力行使を好まれる傾向にあり、焦らしに焦らせて我が方の優位を引き出しましょう」


 久秀は安易に妥協することを避けるよう進言する。昔から久秀は強硬なところがあり、長慶の迷いを断ち切るような進言を繰り返していた。


 今回、義輝の挙兵で都の緊張は一気に高まった。迫る幕府軍に三好方はすかさず軍を派遣して幕府軍を追い詰めていった。その過程で北白川でぶつかり、奉公衆をいくらか討ち取って凱歌を挙げている。それから膠着状態に陥ったものの打つ手がないのは幕府側であって、三好側ではない。長慶の実力を持ってすれば、このまま押し潰すのは可能なのだ。


「改元費用も碌に出せず、戦ばかりに終始する公方様に将軍たる資格なし!ここは立場の苦しい六角や畠山に阿波公方様への禅譲を認めさせるべきにございます。亡き御父上の悲願を達成する絶好の機会に存じます」


 故に久秀は執拗に主君へ対し、義輝の将軍職剥奪を提言していた。


「またそれか。父上の願いは承知しているが、道理に反する。それに先の戦いで上様には戦の優劣は感じて頂けたはずだ。一部で強硬な幕臣たちの戦意さえ挫ければ、和睦は成ろう。無駄に追い詰めることはあるまい。あくまで悪戯に都を争乱に陥れること、それを我らは戒めるのみぞ」

「殿の寛容な心遣いがあの公方様に伝わるとは思えませぬ。和睦が成ったとしても、また殿が憎くて兵を起こしますぞ」

「その度に御諫めすればよい。それが家来たるものの務めだ」

「その家来を守るのが主君の役目、御役目を全うされている御屋形様に比べ、公方様は明らかに力不足でございます。ここは隠居して代替わりして頂くのが宜しいかと存じます」

「くどいぞ!将軍家の家督に口を出すなど畏れ多いと何度も申したはずだ。それこそ上様が御決めになられることだ」


 これに長慶は和睦を譲らず、ただただ義輝が折れるのを待っていた。体面もあるだろうから、朝廷にも密かに働きかけている。朝廷とて改元費用を出さなかった幕府に良い印象を抱いていないだろうが、都に戦火が飛び火するのを懸念しており、和睦仲介には前向きな姿勢を見せている。


 ところがである。ここで歴史が動いた。


「筑前守を副将軍に任じ、嫡男の孫次郎を相伴衆に列しよう」


 待ちに待ったと言えばそれまでかもしれないが、義輝が折れたのである。しかし、居心地の悪い折れ方で、今までが嘘のような厚遇であったのだ。しかもただの厚遇ではない。明らかな罠を警戒すべきほどの厚遇であった。


(六角とはまだ話が着いておらぬはずだ。あの承禎が条件も固まらずに和睦に応じるとは思えぬが……)


 その報せに長慶は困惑した。


 確かに圧力はかけた。先月に叔父・三好康長が四国勢の先駆けとして駆けつけてきた。これに彦次郎実休ら長慶の下の兄弟たちが続く予定である。早ければ今頃は堺に上陸しているかもしれない。


(彦次郎らが到着する前に和睦を求めたか。いや、そのように先が見通せる公方様ならば、そもそも挙兵などするはずがない)


 当初から和睦が狙いで、挙兵して武力に訴えかけているのは手段として理解できる。しかし、挙兵する本人が征夷大将軍本人の場合、実のところ挙兵しない方が和睦では好条件を引き出せる。挙兵する素振りを見せ、幕府方に味方する大名家の名前を流布し、三好を疑心暗鬼に陥らせる。このままでは拙いと思わせて交渉し、良い条件で手を打つのが利口なやり方だ。


 何故なら挙兵してしまえば、誰が味方で誰が敵なのか分かってしまうからだ。結果論として圧倒的な兵力を得られるならそれでもいいが、現に三〇〇〇程度しか集まらなかった。三好家にとって三〇〇〇など意味のない数字なのだ。まさに”恐れるに足らず”である。三好にとって明るみに出てしまった優劣に遠慮する必要はなく、久秀でなくとも強硬策が出るのも無理もないのだ。


(……故の全面降伏か。されど儂を副将軍にするなど六角が認めまい。そもそも何故に副将軍なのだ?相伴衆と言われた方がまだしっくりするが……、やはり罠か)


 六角承禎は前管領代であった父・定頼に及ばぬものの畿内で覇を唱える三好に対して、一定の勢力を維持して対抗してきた人物である。英傑であった定頼の死後、六角は確かに揺れたが持ち直し、依然として近江から伊賀、北伊勢にかけて版図を維持している。北近江が揺れていようが、今のところ表面的には六角は往年の如く健在だ。


 その承禎が己の面目を保てぬような和睦に応じるとは思えなかった。長慶が副将軍に就いてしまえば、管領代なんぞ実も名もない形骸化した名誉職と化してしまう。それとも副将軍という常設していない役職に任じ、三好を有名無実化するつもりなのか。


(それは能わぬ。そもそも儂は陪臣であって守護でも守護代でもないのだ。その儂が畿内で版図を維持しているのは、晴元のように役職云々だからではない)


 管領という立場に甘んじてきた男とは違うという自負を強く抱いている長慶であるが、今の矛盾が様々な弊害を生み出しているのも事実であり、次々と三好を認めぬ敵が湧いて来る。それを正さなくてはならないのも理解しているし、無視してしまえば己が理想とする世の中‟理世安民”が成り立たない。それほどまでに天下静謐は困難だった。


 そうした中で副将軍という役職は魅力的だ。家格の低い三好家としては、飛びつきたくなる役職である。


 それもそのはず、古来より征夷副将軍という役職は存在するも、足利幕府における副将軍は初代・尊氏の弟である足利直義や今川範政、斯波義寛の限られた人間、しかも足利一門に連なる人物にしか任じられておらず、その任命権が将軍職と同様に朝廷が持っていることから、義輝が長慶を任じた場合はそう簡単に取り上げることも出来ない役職である。そして朝廷は今回の改元で三好に好意的だ。


(ここは慎重に事を進めよう。されど副将軍というものが出てくるとなると和睦に六角の意思がないのは確実だな)


 事実、義輝の動きに和睦の仲介を買って出ていたはずの六角承禎は慌てて止めに入っていた。しかし、時はすでに遅し。義輝は側近の奉公衆たちを引き連れて三好の陣を訪れると一方的に長慶を呼び出し、そのまま長慶の副将軍職就任の回答を求めてきたのである。


「……過分なる御下命かと存じますが、何故に某を副将軍に?」


 この強引な手に流石の長慶も戸惑いを見せた。明らかな罠であると感じ取った疑念は拭い去れていないのだ。その様子を見て、義輝は僅かに口角を緩めた。


「そなたでもそのような顔をするのだな。それを見られただけで満足よ」

「上様、誤魔化さないで頂きたい」


 そう強く長慶は否定するも、今までの義輝とは明らかに違う雰囲気を感じ取っていた。年齢を重ねて風格が出てきたというには生易しい、端的に言えば不自然なほど堂々とし過ぎているのだ。


「理由は単純よ。そなたが天下第一の力を有しているのは否定しがたい事実だ。そのことは異国の者である南蛮人も認めておる。日ノ本の副王などと呼ばれているらしいな」


 長慶が思考を巡らせているのを知ってか知らずか、更に義輝は追い打ちをかけるかの如く詰め寄った。


「誰がどのようなことを申したか存じ上げませんが、上様がそのような噂を御信じなられぬ方が宜しいかと存じます」

「そうは申すがな、そなたが天下第一の力を有しているのは疑いあるまい。そのそなたが副将軍を務めねば、道理に能わぬ。そして、余はその道理を定める力がある」

「……御話は理解いたします。されど某にとって有難く名誉な御話にございますれば、六角殿や畠山殿が認めますでしょうか?それに前管領殿も……」

「余の決定を家臣が認めぬ。それこそ道理に能わぬ。余が申すのもなんだが、そも家格で世が治まるなら乱世は起こっておらぬ。いま力ある者を認め、相応しき役職に取り立てるのが余の将軍としての務め、それに従わねとならば滅ぼすまでのことよ。そなたには、その力が有ろう」

「……これまで上様を支えてきた者たちを捨て、三好を選ぶと仰せになられますか」


 義輝が言ったことは、実のところ三好への鞍替えである。今まで細川や六角、畠山という頼ってきた相手を三好に替えることを意味している。この戦国乱世では珍しくもない話だが、道理を重んじる長慶にとっては受け入れ難い話だった。


 確かに副将軍という役職は、将軍に従って叛徒を討伐した役職だ。義輝はそれを自分に行わせようというのか。


「果たして余を支えてきたのかの?余の振る舞いに拙いところはあっただろうが、余が幼いことをいいことに都合よく扱ってきただけではないか。現に余は、晴元に城を囲まれたこともあるぞ」


 今より十年ほど前の天文十六年(一五四七)に義輝は、父・義晴と共に山城国・将軍山城で細川晴元の軍勢を相手に籠城戦をした過去がある。両者が対立に至った経緯は義輝の元服に伴い、管領である晴元が加冠役を務めるはずのものを六角定頼を管領代として任じ、執り行ったからである。


 しかし、それも晴元側の言い分に過ぎない。晴元は自身の権力闘争ばかりで、義晴・義輝親子を京に置き去りにしたまま丹波へ逃げていた。元服の際に将軍の傍に侍らない晴元に問題があるというのが、義輝側の見解だ。その上、そもそも晴元が義晴を支持したのも忠義からではなく、管領に就くためであったのもある。それほど節操のない男なのだ。


 そして、晴元が節操のない男であることは、その家臣であった長慶が良く知っている。


「余がそなたを選んだ証を欲するなら、晴元に討伐令を出しても良い」

「それは……!!」


 これに長慶が心を動かしたことは義輝も判った。


 父・元長の仇である叔父・政長は長慶が討ったが、晴元が関係していることを長慶は知っているのだ。しかし、主筋であることから命を奪うことは避けていた。もし幕府が正式に討伐令を出すのなら、私怨を抜きにして晴元を堂々と討てる。まず間違いなく弟たちはそれを望むだろう。


「晴元は己が復権を目指し、世を乱しておる。それが大義であるなら良いが、結局のところ己の都合でしかなかろう。此度はそなたと話すために敢えて担がれてやったが、京兆家の人間は、いつも己の事ばかりだ」


 その言葉には長慶も頷く他はなかった。


 先代の細川高国は己の都合で将軍を替え、晴元も阿波公方を支えると言いながらも高国を追うと長慶の父・元長を切り捨てて義晴に鞍替えした。そして義晴、義輝親子と対立しながら三好に天下人の座を追われると今度は義晴方に恥も外聞もなく鞍替えした。


 そこに大義の欠片もない。


「晴元を討っても構わぬので?」

「構わん。あれは天下には不要だ」


 長慶は平静を装ったが、驚きを禁じ得なかった。


(京より東に三好は大した影響力を持たぬ。されど上様という大義名分を得てしまえば遅々として進まぬ丹波の平定は可能だろう。それだけに征夷大将軍という存在は重い)


 三好と六角・畠山陣営を比較すれば明らかだが、三好が優勢である。これまで征夷大将軍であった義輝が六角・畠山陣営に属していたからこそ伍することが出来ていたと言っても過言ではない。その均衡が崩れる。そこから義輝の狙いもはっきりする。


「代わりに山城は返して貰うぞ。但し、丹波は筑前守の好きにするがよい」

「山城を得て某に対抗しようとなされるおつもりか」


 公然と長慶は言ってのけた。


 義輝がここまではっきりと口にする以上、下手な肚の探り合いしない。その手には乗らぬと堂々と告げ、長慶は義輝を牽制した。


「くっくっく……、今日は面白き日だ。このようなこともあるとはな。山城を得たところで丹波を得た三好と戦えるとでも?余がそなたと和睦すれば承禎とて敵対はすまいが、反発して余の味方ではなくなるはずだ。山城一国しか持ちえない余が三好と戦えると本気で思っておるのか?」


 義輝の味方は六角や畠山だけではない。潜在的には越前・朝倉や北近江・浅井や若狭・武田などもいる。これまで上手く機能しなかったのは、その中心にいるのが元管領の細川晴元であり、殆ど勢力を失っている晴元が主導し、己の権勢を中心に考えているために多くの大名たちの利害を調整できなかったことにある。


 山城を将軍が統べる様になればどうなるか。結果、どうにもならない。


 山城は荘園や寺領なども多く、幕府の好きに出来るところは少ない。扱いを間違えれば、それこそ訴えが山ほど来る。正直、六角の居候となっている今よりマシという程度が正しい。


 ただ気になるのは義輝の対応だ。どうも考えていることに相違があるようにしか思えない。


「余は余に服わぬ者どもなどどうでも良い。そなたも四国を平定すると良い。四国まるごと守護職をくれてやろう。何なら余が自ら援軍となり、渡海しても構わぬぞ」

「いったい何を仰っているの……」

「察しが悪いの、筑前守。余はそなたを認め、余とそなたで天下の形を今一度、創り直そうと言っているのだ。三好の名を天下に、歴史に刻む時は今ぞ。但し、そなたの懸念も判る。一度はそなたとの約定を破った余だ。家中にも反発は生まれよう。今のそなたでは余を信じることができまい。故の副将軍職よ」

「……確かに」


 義輝に指摘され、長慶は冷静さを取り戻した。


 副将軍という手形を義輝は三好という家に与えようというのだ。幕府内で家格という見えない壁にぶつかっていた長慶にとっては充分すぎる対価である。


「筑前守よ、つまらぬ意地の張り合いで天下を騒がせることはないと思わぬか。余が言えたことではないかもしれぬが、元々そなたは晴元を恨んでいても余に遺恨はなかろう。余も晴元には大いに振り回された。奴はそなたを憎んで幕府を利用し、余の意向など聞こうともせぬ。そのような者など余から捨ててくれるわ」


 吐き捨てるような口調に義輝の感情に嘘がないと感じ取った長慶は、この和睦を受け入れることを示すかのように頭を深く垂れた。


(将軍のいない京を維持することはできるが、それ以上はこの数年で難しいことは判っている。ならば細川や六角、畠山を超える家格を手に入れ、上様と共に歩めば……油断は出来ぬがな)


 全て信用した訳ではない。しかし、この降って湧いた副将軍就任は一蹴してしまうには惜しいのは確かである。ならば義輝という存在そのものを飲み込んでしまい、真の意味で幕府を担う。幸いにも政所執事の伊勢は三好方だ。これに将軍という大義を囲い込んでしまえば、六角だろうが畠山だろうがどうにでもなる。


「上様の御気持ち、この筑前守痛く感じ入り申しました。我が力、我が軍勢を如何様にでも御使い下さいませ」

「そなたと和解できた今日という日を、余は忘れぬ。共に天下を一統しようぞ」

「ははっ!」


 歴史的な和睦が行われ、幕府は三好家と共に戦国乱世を歩んでいく決断をした。


(さて、後は奴の始末をどう着けるかだな)


 義輝の視線は鋭く研ぎ澄まされる。元々敵はただ一人のみ。三好長慶の遥か後方で不気味の頭を垂れる一人の男に注がれていた。




【続く】

さて今回は初めて三好長慶が登場です。


義輝を語るに外せない人物でありますが、スタートから故人であった為に今まで登場の機会はありませんでした。そこで満を持して登場しています。


話は義輝の帰京前の時間軸、そこで義輝が長慶と敵対することを止めたらどうなったのか?この頃の情勢は複雑怪奇であるため、異論反論はたくさんあるかと思いますが、それはあくまで拙作でのことと楽しんで頂ければと存じます。


次回、久しぶりに義輝の天下再興を支えた人物が再登場します。月内には更新しますので、いま暫くお待ちください。

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誤字報告です。 父が死んでから仇を討つまで16年も屈辱に堪えてきたのだ。それは緻密に寝られた策謀があってこその話、相手が気に入らないくらいで挙兵するようでは大事話せない。 緻密に練られた 大事は成…
三好政長は長慶の叔父ではないような……もっと遠い筈
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