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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
最終章 ~天下泰平~
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第十三章 天正大地震 ー揺れる都と新将軍の治世ー

天正十三年(一五八六)十一月二十九日。

京・二条城


 百年に亘る乱世を終焉に導いた足利幕府十三代将軍・義輝が遂に隠居、家督を譲った。かつて義輝の父・義晴も若くして将軍職を譲り、大御所として実権を握り続けたことがあるが、その際の幕府は有名無実化しており、義晴の握る実権は大きなものではなかった。しかし、義輝は違う。既に天下は足利の名の下に一統され、古今例を見ないほど強大な権力を有している。家督を譲れども義輝の存在は誰も無視できず、大御所として引き続き全国の大名たちを統制する存在として君臨していた。


 とはいえ義輝も伏見に居続ければ新将軍が形骸化してしまうことを懸念し、隠居の身分として本拠を伏見城から馴染みのある二条城へと移していた。


「伏見は平時は広すぎるからな。こちらの方が性に合っておるわ」


 と笑う義輝に付き従う古くからの幕臣たちも同じ気持ちだった。手狭な朽木谷や坂本での暮らしが長かった者たちからすれば、やはり伏見は広大で落ち着かないのだ。よって自然と義輝の周りには三渕藤英や細川藤孝こと幽斎兄弟、蜷川親長、上野清信、摂津晴門など弘治、永禄年間から政権を支えた者たちが多く集まっていた。


「そうは申してもうえさ……いえ大御所様、伏見からの御機嫌窺いも多くなりましょう。部屋割りなども見直す必要があるかと存じます」

「そうよな。いま暫くは余が導いてやらねばなるまい。気苦労が堪えぬな」

「そのように面倒そう申されますが、実のところ厄介ごとが減って気楽なのではありませぬか?」

「ま、無用な謁見は確実に減るからな。少しは肩の荷が下りたわ」


 義輝を倣い、彼らは総じて次代に家督を譲っている。同世代では土岐光秀のみが隠居を受け入れられず、第一線で新将軍・義忠の補佐として残っているくらいだ。


「帝の代替わりも済、京は落ち着いておりますが、改めて二条城が大御所様の御座所となるのであれば、城の改築も必要かと。取り急ぎ諸大名へ普請を命じます」


 伏見へ政庁が移って以降、二条城は京都所司代・摂津中務大輔晴門が政務を司る場所として利用していたが、新将軍が誕生してからは義輝が再び本拠として利用することが決定すると大改築が行われ、天守と本丸御殿が質素なものから壮麗なものへと建て替わった。将軍の御座所たる伏見城でも政事は行われるが、重要案件に関しては二条城で裁可を下す方針だ。こうして義輝は次第に実権を義忠へ委ねていき、いずれ自分が死んだ後は政権を将軍自身が執り行えるよう下地を作っておく考えであった。


 それは今は難しいと判断しているのと同意であり、その事を表す大事件が起こった。世にいう天正大地震である。


 この日、義輝は二条城で政務を執った後、早めに就寝していた。その夜に大きな地揺れ、大地震が起こったのである。実はこの二日前にも大きな揺れがあったが、小さくはないものの建物の倒壊がある程ではなく、誰もが安堵し、いつもの生活に戻った直後のことだった。


 揺れは激しく、過去に経験したことのないものだった。


「すぐに避難せよ!急いで城から脱するのじゃ!!」


 就寝していた義輝は即座に跳ね起きると大御台を連れて居室を出る。戦国乱世で培われてた鋭い感覚は衰えておらず、咄嗟であっても身体は動き、頭も回った。


「大御所様!御無事で!」

「大事ない!されど余が留まっていては皆も避難できぬ!まずは安全な場所へ逃れるぞ!そなたらは余の健在を叫びながら城を脱せよ!」

「しょ……、承知!」


 義輝の下命を受けて宿直の者もすかさず散るが、冷静さを失っていないのは近習くらいなもので、城内は慌てふためいている者の方が多い。至るところで悲痛な叫び声が生じ、城内は阿鼻叫喚と化した。


「よし、殆どの者は逃げられたようだな」


 それでも多くの人間の命が助かったのは、幸いにも二条城は平城であり、庭園などもあった為に建物からの脱出は困難ではなかったからだ。ただ朝を迎えた頃、建物が大きく歪んでいるのが確認された。


「中に入るのは危険じゃな。城も建て替えねばならぬか」


 二条城の基礎自体は永禄の変後に廃材などを利用して急ごしらえで普請したものであり、柱が歪んでいたり、一部で倒壊している個所も見受けられた。不幸中の幸いだったのは、揺れは深夜に起こった為に詳しい状況は確認できないまでも、火事の類は少なかった事だ。かつて京は松永久秀に焼かれた経験があり、多くの者が火を恐れている。故に義輝も都の復興に伴って火消しを多く整備しており、それらが自発的に活動して火種を小さいうちに消していた事も成果として確認できた。


 だが悠長にしている暇は義輝にない。


「所司代を呼べ!洛中の様子を探らせ、改めて火消しに回らせよ。今でこそ大した火事は見られぬが、燻っているやもしれぬ」

「承知しました。急ぎ、所司代へ御伝え致します」

「伏見にも赴け!将軍の無事を確認するのじゃ!余は内裏へ参る」

「内裏へ?」

「帝の御身が心配じゃ。ここから内裏は近い、公家どもへ余の健在を示す必要もある」


 と義輝は理由を告げた。帝からしても義輝の安否は気になるところであろうし、公家は必然的に内裏に集まるだろうから、義輝が赴けば健在を知らしめることになる。


「ここに残していくことを許せ。随時、幕臣たちが余を心配して駆けつけてくるであろう。大御台は余が生きておることを皆に伝えるのだ」

「承知しました。大御所様も御無事で」

「うむ」


 義輝が矢継ぎ早に指示を出し、幕臣たちが散っていく。それと同時に駆けつけてくる者たちも多く、陽が昇り切る頃には洛中の状況も判明していった。


 伏見は石垣の一部が崩れたものの、天守などは無事で義忠も難を逃れていた。一部、建物の倒壊もあり死人も出ているが、被害は南側に少なく、北側が大きかったことから地震の震源は北側にあると予想された。


 事実、近江や越前では洛中以上の被害が出ており、特に近江長浜城は全壊、羽柴家の当主であり織田信長の四男である秀勝が圧死、他にも美濃大垣城や飛騨帰雲城などいくつもの城が倒壊し、大名や武将たちが何人も亡くなった。


 そして、この未曽有の事態に将軍・義忠は何も出来なかった。命からがら伏見を脱出し、父の安否を確認するよう指示を出しただけだった。その後、何をしたらよいのか分からなかったのだ。義忠の近習たちも第一線で活躍していた者たちから代替わりした二代目たちばかりで、地震への初動は遅れに遅れた。


 この時、活躍を見せたのが京で隠居していた三好義継であった。建前上、他の諸将に倣って隠居していたが、年も比較的に若く、非常時ということもあり、将軍家の危機にいち早く駆け付けた。


「既に大御所様の指図で火消しは動いております。すぐに食べ物に有り付けない民衆で都は溢れるはずでございます。まずは蔵を開けて炊き出しを行いましょう。また米や塩などが値上がりするはずで、それらを一先ず幕府が買い上げて民衆に配り、不当な値上げをする輩を取り締まる必要がございます。その間に被害の少ないかった諸大名に上洛を命じて兵糧を運び込み、家屋の普請に当たらせましょう。無論、某も既に領国へ急使を遣わせてございます」


 幕臣でない大名の一人である義継は、隠居後は自らの領地ではなく将軍家に近く仕えたいという希望から伏見の大名屋敷で暮らしていた。主な役割は幕府中枢部と懇意にしながら領地との橋渡しを担っており、地震を受けて直後に誰よりも早く登城してみせた。


「大御所様の御意志を諮っておらぬまま決断を下せようか。まずは大御所様に御伺いを立てるべし」


 ところがである。一部の近臣からは伏見が主導権を握って事に当たることを懸念する声が上がった。この二年ほど伏見と京が近すぎるが故に、何事も義輝の裁断を仰いでいた事が裏目に出た。自身たちで決断することを極端に嫌がったのだ。


「これは異な事を仰る!天下の御政道を司るのは上様でござる。その上様が御裁断を下されて何が悪いか!今にも民の命が失われようとしておるのだぞ!一刻も早い決断が必要となる」

「しかし……」


 なおも決断を渋る近臣たちを一瞥すると、義継は神妙な面持ちで義忠に訴える。


「対応が遅れれば遅れるほど上様の、幕府の対面は地に落ちる。上様、道理は適ってございます。後は民を安んじることこそ、幕府の務めかと存じます」


 これを頼もしく思った義忠は“尤もだ”と頷き、義継の献策するままに花押を書いて幕命を下し始めた。


「田畑の荒れ具合によって来年の年貢は免除せざるを得まいが、今はともかく住まいを失った者には施しを厚くし、厳しく取り立てをする者がおれば厳罰に処すべし。数日の内に諸国から兵糧も運び込まれる。街道の整備も忘れるな」


 義継は次々と矢継ぎ早に献策し、これに義忠も応じていく。途中で義輝との連絡も繋がり、帝との拝謁を終えた義輝が伏見へやってきて状況を把握、大御所として将軍の決断を追認した。


「余の名があれば、諸大名の動きも一層に素早くなろう」


 として改めて大御所として諸大名に命令を下した。これにより被害の大きかった地域は混乱こそあれ、年が明けて春を迎える頃には一応の平静を取り戻すことに至ったのである。


 そして改めて義継は義忠に呼ばれ、地揺れ対応の恩賞が与えられた。


「左京大夫の御蔭で余の面目も保たれた。礼を申す」

「もったいなき御言葉、恐悦至極に存じ奉ります」

「恩賞は何が良いか迷いはしたが、余が左京大夫の忠義に報いるには河内国寝屋川、下仁和寺ら十七カ所の代官職を任じるのが良いと思った。無論、受けてくれるよな」


 河内十七カ所とは、河内国茨田郡西部に位置する十七の惣村群のことである。かつて義継の祖父・元長が代官を務め、紆余曲折ありながらも長慶が受け継いできた三好家所縁の荘園である。そして義継の代で畿内の所領を失った三好にとって、十七カ所の代官職へ返り咲く意味は大きかった。


「過分なるご配慮、栄誉に存じ奉ります。願わくば次男・義茂に代官の任を任せて頂ければと存じます」


 しかし、それを義継は自ら受けることを辞退した。


「自ら代官は務めぬと申すか」

「過ちであり、許しを得られたとはいえ某は大御所様の命を狙った過去がございます。その我が身が上方で手勢を率いられる立場を得るというのは、道理が通らないと存じます」

「その事、余が生まれる前のことであろう。今しがた左京大夫も申したが、大御所様も許されたのだろう?」

「それでも我が愚挙、愚行により輝若丸様の命も奪っております。故に隠居した後は、こうやって我が身一つで御奉公させて頂いている次第にございます」


 輝若丸とは、義輝の嫡男であり、義忠にすれば兄に当たる人物だ。永禄の変で命を落としていることから義忠にとっては会ったこともない存在だけ知り得る兄のため、兄弟という実感は当然ながらない。


「左京大夫が道理を重んじる姿勢は余も理解するところだ」

「道理が通らなければ、世は鎮まりませぬ」

「なればこそ、左京大夫が道理を重んじる理由を教えてはくれぬか。余の役割も道理が正しくなる世を創ることと心得ておる。左京大夫の考えを聞き、余の治世に活かしたい」

「……上様は理世安民という言葉を御存じでしょうか」

「はて?聞き覚えのあるような、ないような……」

「我が三好の旗印であり、我が養父・聚光院様の言葉にございます。道理を以て世の治め、民を安んじるという意味にございます」

「なるほど……、大御所様を苦しめたと聞く三好殿らしからぬ言葉だな」


 義継は罰の悪そうに表情を歪めるも、止む得ないと心で割り切った。


 義忠にとって当たり前のように義輝が正義なのだ。その義輝の覇業を阻んだのが松永久秀や武田信玄、細川晴元であり、三好長慶である。ここに生前の長慶を知っている者がいれば話は変わってくるのだが、周囲に義継を除いて長慶を知っている者はいない。そして義継ですら、養子として家督を継ぎ、一年ほどで長慶は死去しているのだ。


「将軍家にとって聚光院様がどのような存在であったか否定は致しませぬが、聚光院様は常々“将軍家あっての三好家である”と仰せでありました。それは道理を守らんが為のこと」

「そのような事を言っていたのか。されど余が聞き及んでおるところでは、道理に反したこともやっていたと思うが?」

「当時は乱世でございます故、やむを得ない事由もあったことかと存じます。聚光院様が健在な頃は某も元服前にて、その辺りのことは大御所様が御詳しいかと存じます」


 と義継は、そこで敬愛する長慶の話を切り上げた。


 将軍家の嫡子、後継者の立場にいる義忠が義輝と相対していた長慶に対して良い感情を抱いているはずはなく、否定的に思うのは仕方のないことだ。その義忠の前で長慶を肯定することは、義輝への否定にも捉われ兼ねない。三好家を忠義の家としたい義継にとって好ましくない状況だ。もし義忠が長慶について興味を持ち、知りたいのなら父親に聞けばいい。当事者として、一番に接してきたのは他ならぬ義輝自身なのだから。


(聚光院様に対して大御所様も含むところはあるだろうが……)


 そう思いつつも、天下一統直前くらいから義輝の反応を鑑みるに、意外と悪いように考えていないのではないかと義継は思っていた。


「そうであれば何かの折に大御所様へ伺ってみよう」


 後日、義忠は二条城を尋ね、長慶について聞いてみようと思っていた。




【続く】

またまた投稿が遅くなり申し訳ありません。


今回は天正地震の話です。当然ながら新将軍は幼く地震対応をできず、まさかの活躍・義継です。拙作の義継は将軍家に歯向かったことを後悔した人物として描いています。史実でも三好の棟梁として武門の意地を見せており、信長公記でも評価をされています。実際、長慶没後の三好家は三好三人衆と松永久秀がクローズアップされることが多く、何処まで義継の意思が繁栄されているのかは不明ですが、こうやって若くして亡くなった人物が活躍できるのはIF小説の醍醐味として考えて頂ければと存じます。


次回、ようやく義輝が長慶について語る回となります。

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