第十三幕 将軍再任 -天下の一統を誓う-
十二月二十日。
またしても京で諍いが起きた。
洛中で町衆に乱暴狼藉を働いた朝倉兵の一人を織田兵が斬ったのである。もちろん朝倉義景は信長に抗議し、然るべき処分を求めたのである。
「阿呆の申すことなど放っておけばよい」
これを信長は無視した。ただ事件はこれに終わらない。朝倉と同様に洛中で乱暴狼藉を働いた者がかなりいたからである。畠山、神保、武田などである。これらは織田兵に斬られるところまでは発展していなかったが、織田軍が京に入ってより規律が厳しくなっており、諸大名から抗議の声が続々と上がり始めた。
彼らは義景に同調、連名で弾劾状に署名して義輝に抗議したのである。
「余が上総介を咎めることはない」
義輝は義景らの訴えを一蹴した。何故ならば、信長より京で治安維持を務めることは報告を受けている。信長は全軍に“一銭でも盗んだ者は斬る”という刑法を布告しており、それが元で織田と朝倉の諍いに発展したことは言うまでもない。しかし、信長の行動は義輝の評判を高めており、現に町衆は織田勢に喝采を浴びせ、義景を一斉に批難した。
最終的には輝虎もが信長を擁護したために義景は口を紡ぐしかなかった。
両者の溝はますます深まった。
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十二月二十六日。
洛中・旧三好長慶邸
ついに足利義輝は征夷大将軍に再任された。上洛から僅か一ヶ月足らずで復職できたことは、関白である近衛前久が精力的に動いたことが大きな要因となった。
また同時に官途も右近衛大将に昇進した。
右近衛大将は源頼朝が幕府を開いたきっかけとなった役職で、歴代の足利将軍全てが任じられているわけではないが、武家にとっては特別な意味を持った。特に父・義晴が任官されていた職であるために、義輝にとっては感慨深いものがあった。
祝いの使者が各地より駆けつけてくる。丹波の波多野、赤井、播磨の赤松、別所、因幡の山名、丹後の一色、飛騨の姉小路、伊勢の北畠らである。彼らは大名自身の上洛こそなかったが、使者には不釣り合いな重臣らを義輝の許へ送っていた。
彼らは皆、将軍再任を祝う宴に出席することになっている。その将軍職再任を祝う宴の席で、論功行賞が行われることになっているのだ。諸大名は自身に如何なる恩賞が下されるか、胸の躍る心地でいた。何せ三好領は広大であり、一国単位で拝領できる可能性もあった。
その可能性を持った第一の人物が、織田信長であった。
「上総介、前へ」
「はっ」
義輝の呼びかけに、信長は歩み出る。その様子を義輝は満足そうに眺め、信長は義輝の前まで来ると平伏した。
「余のために三万もの大軍を引き連れ、駆けつけたこと誠に天晴れ。叛旗を翻した六角貞偵を討ち負かした武略、摂河泉を一月で平らげた功績は天下に比類なし。そなたには摂津一国を預け、管領職を任せたい」
義輝の“管領”との発言に座がどよめいた。織田家は幕府の正式な守護でもなく守護代の家老筋である。それが一気に管領なのだから無理もない。管領代を狙っていた義景などは歯ぎしりをさせ、苦々しくその光景を見ている。
だが、信長は管領職の辞退を申し出てくる。
「何故か」
義輝が問いかける。不思議とその表情に驚きはない。
「管領は上様を補佐するが役目にございますが、何れもその分を越えて幕政を牛耳っております。その様な職に就く気は毛頭ありませぬ」
「ほう…言うではないか」
実際、信長の言うとおりだから困る。管領が執事と呼ばれていた頃の高師直から、既に強い権限を持ち幕府の実権を握っていた。それは細川晴元の代まで続き、三好長慶に至る。
「では就きたい職はあるか」
「我らは上様の御為に馳せ参じた身にございます。就きたい職などあらず、摂津一国をも返上いたす所存にございます」
なんと信長は幕府の要職だけでなく領地すらいらないと言い出した。これに諸大名は驚きの声を上げるが、義輝はそれに驚いた様子はない。
「功績第一のそなたが恩賞をいらぬと言い出せば、如何する?何か存念があれば申せ」
「ならば管領職の廃止を奏上いたしたく」
管領職の廃止、それが如何なる意味を持つか誰もが分かっていた。諸大名の視線は一斉に上杉輝虎へ向けられる。畿内で将軍を補佐するのが管領であるが、関東管領も管領職の一つである。つまり信長の奏上は関東管領の廃止をも意味している。
「織田殿に同意いたす。我も関東管領職を上様に返上いたします」
まるで信長の発言を待っていたかのように輝虎が発言する。これに義輝が続いた。
「そう急ぐでない。上方と違い、関東は未だ動乱の極みにあろう。管領の廃止は認めるが、輝虎は関東が平定されるまで管領職のままじゃ。よいな」
「はっ。上様がそう仰るならば…」
輝虎が即座に引き下がる。
「輝虎、そなたには河内半国を任せようと考えておるのだが、まさか上総介と同じく要らぬと言い出すのではあるまいな」
「功績第一の織田殿が領地を返上いたし、我が受ける訳には参りません」
「お主ら……」
義輝は呆れるように言った。義輝が恩賞を与えようとすれど、信長も輝虎も全て辞退していく。これでは義輝の将軍としての立場がなくなり、論功行賞が何も進まない。が、表情はその言葉ほど落胆の色はなかった。
だが諸大名は違った。自分たちの恩賞がどうなるか不安になっていた。だが、義輝はそれを気にする素振りもなく続ける。
「よい、ならばそなたらの申し出は全て受けよう。所領も、余が預かる」
義輝は信長と輝虎に宛がうはずだった摂津と河内半国を自ら治めることを宣言した。
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遡ること二日前、十二月二十四日。
洛中・東寺
上杉勢が本陣を置いている東寺へ織田信長が松平家康と浅井長政を伴い、訪ねてきた。
「如何いたした」
「先ほど、上様より管領職を任せたいと内示を受けた」
信長は余計な前置きを一切省き、単刀直入に用件に入った。
「それは目出度い。織田殿が管領で儂が関東管領、二人の管領で上様を御支えすれば幕府の再建も早まろうというもの」
輝虎は信長の管領就任を素直に祝った。信長の武略は輝虎も認めるところであり、遠国・越後に本貫のある輝虎としては義輝の近くに信長がいてくれることを頼もしく思った。
「いや、儂は受けぬつもりだ」
「受けぬ!?何故か!」
思わず怪訝な表情を浮かべる輝虎であった。輝虎は野心などほど遠い人物であるが、名誉欲というか権威に対する憧れが強い一面があった。故にどのような理由で信長が管領職を辞退するのか掴みかねた。
信長は管領の辞退、さらには廃止する理由を説明する。ただ輝虎は自身が関東管領であるため、即座に信長の言を肯定するわけにはいかない。自分としては、その強すぎる権限を用いて関東を平定するつもりでいる。だが一方で信長の指摘も的外れでないと思う。実際、それは歴史が証明しているのだから。
「そこで上杉殿に頼みがあって参った」
「頼み?」
「儂は管領職の廃止を上様に奏上するつもりじゃ。また共に摂津一国を任されることになっておるが、摂津は上様に返上いたす。故に上杉殿も管領職の廃止を認め、儂と共に領地の返上をしては貰えぬであろうか?我らが領地を返上すれば、それだけ上様の力が強まろう」
「なんと!?」
信長の申し出は、見事に輝虎は心を打った。
輝虎としては、上方が平定され、義輝が将軍に復帰すればそれで終わりだと思っていた。しかし、信長は如何にすれば義輝の力を強めることが出来るかを考えていた。
(織田殿はそこまで上様のことを……)
これに輝虎が心を動かさない訳はなかった。
「ここにおる松平殿も浅井殿も上様の為に恩賞を辞退する所存じゃ」
「皆まで申さなくてもよい。織田殿の申すこといちいちもっともじゃ。儂も恩賞を返上いたす。管領職の件も承知いたした」
「おおっ。了承して頂けるか!」
輝虎の同意は、信長の申し出と共にすぐさま義輝に伝えられたのだった。
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論功行賞は続けられていたが、相次ぐ辞退によりその大半が将軍家預かりとなっていった。その中で驚くべき人事があった。
「次に左衛門督……」
「はっ」
義景が歩み出る。その表情は明るい。何せ信長が辞退したとはいえ一国を与えられたのだ。最初に義輝を保護し、上洛軍の中核を務めた自分にも相応の恩賞があると思っているからだ。
「近江滋賀郡を与える」
「は……?」
しかし、その考えは甘かった。義輝は大した働きもせずにもめ事ばかりを起こした義景に恩賞を授ける気はまったくなかった。思惑と違い、義景は言葉を失った。それに義輝が追い打ちをかける。
「そなたに与える滋賀郡だが、光秀に任せたい。よいか?」
「光秀に…ですか」
「余が京を追われてより、そなたとの繋ぎは光秀が担ってきた。京より近い滋賀郡を治めるのであれば、余と近しい者の方がよい。その点では、光秀が最適じゃ」
「それは構いませぬが…」
これに義景は渋々了承をしたが、絶句している義景としてはその意味をまったく理解できていなかった。
義輝は光秀を直臣に迎えようと言うのだ。しかし、義景に光秀をくれと言っても簡単に了承するわけもなく、交換条件を出される懸念もあった。そこで義輝は義景に滋賀郡を与えて光秀に任せることで、名目上は朝倉領となるものの実質上で光秀を直臣とすることにした。
「謹んで御引き受けい致します」
光秀としては義輝の傍近くで仕えることは望むべきところであり、まったく不満もない。それよりもいきなり一城の主に抜擢されたことに感激していた。
結果、三好・松永が支配していた山城、摂津、河内、和泉、丹波、大和の大半は足利家が治めることになった。義輝は将軍家が治める地域には、守護を置かないようにした。各地には代官を置くだけにする。これにより守護が力をつけて独自に将軍家の支配から抜け出すことを防ぐ。故に在地領主の殆どが幕臣に列することになった。
その他、畠山高政は河内南半国を安堵され、畠山義続などの北陸勢には山城国内で一万石ずつが在京領として与えられた。
また義輝は恩賞を辞退した者たちの官位の奏請した。官位の奏請は将軍の権限である。
上杉輝虎 正五位下・左近衛権少将
織田信長 従五位下・弾正少忠
浅井長政 従五位下・備前守(今までのは僭称だったため、正式に叙任)
松平家康 従五位下・三河守
これにより、一応は全ての者たちが義輝より恩賞を受け取ったことになる。但し、武田義統のみ義輝が若狭争乱を治めてくれたの御礼としての出兵として、何も受けなかった。
「余がこうして将軍へ返り咲くことが出来たは、皆の働きがあったからこそである。我が幕府の命運、未だ尽きぬと確信した」
義輝の語気に力が入る。感情が高ぶっている。
「戦乱の世が続き、天下には不義不忠の輩が跋扈している有様じゃ。これは将軍家の、余の力が不足している証である。認めよう、余の力のなさを」
座がどよめく。将軍が公の場で己の非力さを認めるのは異例のことだった。何であれ将軍は武家の棟梁であり、天下の主であるはず。しかし、義輝はもはや現実を受け止めることから始めるつもりでいた。実際、義輝は各地の大名を調停したが、それら全てを反故にされている。幕府権威が有名無実化しているのは明白だった。ならば、もうそれに拘る必要はない。
「しかし、それも今日で終わりじゃ。これより余は天下の一統へ向けて邁進する。邪魔立てする者は全て排除する。力ある者は功を立てよ、さすれば余は相応の恩賞をもって報いるであろう」
畿内の一政権として幕府を再出発させる。手に入れた領土で養った兵を率いて各地の争乱へ介入し、己に従わせる。他の大名が領土を広げているのと同様に。
「皆、大義であった!」
義輝が天下一統を誓い、動乱の永禄八年は終わった。
【続く】
第一章最終幕です。
大晦日ぎりぎりでの投稿、間に合いました。正直いって第一章は義輝が主人公っぽく書けませんでした。何せ兵も領地も人材もいないわけで、どうしても中核に話を書き難く、力不足を否めません。
第二章は義輝陣営中心の話です。もちろん謙信(輝虎)や信長もそれなりに登場します。
※次話の更新は少し開くと思います。