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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
最終章 ~天下泰平~
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第四章 乱世の結末 ー三悪、天下の礎となるー

二月二十日。

山城国・伏見城


 洛中南部、鴨川と桂川の東側、宇治川沿いに位置する伏見は古来より“伏見長者”と称された橘俊綱が山荘を築いて別邸とし、その後は白川天皇に寄進されて帝の荘園となっていた場所である。この地を気に入った後白河上皇は壮麗な寝殿を造り、北朝の三代・崇光天皇は伏見御領を栄仁親王に下賜して代々の相伝地とし、伏見宮家を創設、乱世を経て著しく荒廃したものの宮家は今も館を有している。また後鳥羽上皇が鎌倉に対して討幕の兵を挙げたのも、この伏見の地であった。


 征夷大将軍・足利義輝は、その伏見の地に天下の象徴たる自らの居城を築かんと大動員して普請を加速させている。特に伏見城の天守が建つ場所は、南に巨椋池を一望できる風光明媚な観月所であり、空の月、川の月、池の月、盃の月と四つの意味を持つ指月と呼ばれ、それらを堪能できる壮麗な城として築かれる予定である。今は冬であるが、間もなく春の季節だ。さぞ朧月が美しいであろう。


 この伏見の地に、いま義輝はいた。


 天守台の石垣土台はほぼ完成し、堀や堤も普請が続けられている中で、今後は政務の中心となっていくだろう本丸御殿は、勝竜寺城と淀城、槙島城の建材を転用することで、ある程度の形だけは仕上がっていた。とはいえ内装の大半が手付かずであり、大広間には未だ畳や襖も殆どなく、二条城から移るには難しい状態だ。今回も義輝は普請の進捗を確認する目的で訪れており、一通り普請の様子を総奉行たる土岐左近衛少将光秀と見回って、本丸御殿へ入っている。


 そこへ義輝は一つの屏風を持ち込んだ。かつて義輝が依頼し、そのままとなっていた狩野永徳の“洛中洛外図”である。


 洛中洛外図は上杉謙信へ贈る為に義輝が永禄四年(一五六一)に狩野永徳へ作成を依頼したものであり、謙信を幕府管領の如く描き、公方御所へ向かうところを描いている。かつて義輝に力のなかった時代、周辺情勢から上洛が出来ないでいる謙信へ対し、その任を全うするよう働きかける為に描かせたものだ。


 絵が完成したのは永禄八年(一五六五)九月のことであり、永禄の変によって義輝は京を追われている頃で手に入れることが出来ないでいた。その後の十一月には諸大名の力を借りて帰洛を果たし、将軍職に再任されたので永徳からは改めて納品されたのであるが、十二月の評定で管領職の廃止が決まった為に屏風を謙信へ贈ることが出来なくなり、二条城の蔵に保管されたままとなっていた。


 その洛中洛外図を義輝は伏見へ持ち込んだ。それは今から会う人物に見せる為だった。


「上様、連れて参りました」

「うむ」


 大広間に入ってきたのは三好左京大夫義継であり、そこ後ろには兵に縄で縛られた一人の老僧の姿があった。


 老僧といえど暫く手入れをしていない所為で頭の髪は白髪ながら短く生えており、生臭坊主のよう出で立ちで身なりも悪い。これまた人相も皺面も相まって醜く、義輝を睨みつける眼光がそれを更に悪くしている。


 この男を義輝はよく知っている。義輝が生涯の宿敵として戦い続け乱世の梟雄とも称される男・松永久秀である。


「よう参ったな、久秀」

「……ふんっ」


 義輝が声をかけると久秀は一瞥して視線を逸らし、鼻を鳴らした。小姓たちが総じて鼻や耳を真っ赤にさせながら“無礼者ッ”といきり立つも“止めいッ”と一喝する光秀にたじろぎ、場は一瞬にして緊張が走った。


「上様、申し訳ございませぬ」

「構わぬ。皆の気持ちは、余も判る故な」


 喧騒を謝罪する光秀に対し、義輝は右の掌を挙げて軽く頷き“無用”と告げた。今も不機嫌な様子で視線を反らしている久秀をマジマジと見つめる義輝であったが、不思議とかつては全身を駆け巡るほど燃え上がるような憎悪が湧いて来なかった。


(久秀は紛れもなく母や輝若の仇、されども永禄の変事は余の無力さが招いたことでもある)


 義輝は無力だった過去を振り返る。永禄の変こそ義輝が自身の無力さを痛感した出来事だった。


 それまで家臣たちが命を落とすことはあっても、自身の身内が死ぬことはなかった。単純に受け止めた時に重みが違う。久秀だけは許さぬという想いは当時から変わっていないが、目の前にした時の感情はまるっきり違っていた。


 思い返せば博多合戦で久秀を捕らえた時も同じ気持ちだった。すぐに久秀を呼びつけてその場で斬首することも出来たのだが、九州平定を優先させた。今までの自分ならば、その順番を違えたはずだ。


 それは自らが勝者であるが故か。それとも縄目を受けて惨めな姿を晒している宿敵を目の前にしている余裕、優越感からか。憎しみが湧いて来ない理由を義輝は自身で掴み兼ねていた。


(やはり以前とは違って、上様は落ち着いておられる)


 その様子を傍目から窺っている光秀も表情にこそ出さないまでも、内心で驚いていた。


 以前に義輝と久秀が対面したのは、謀反方との決戦に敗れて花隈城に在陣している時である。その時に光秀は不在で居合わせなかったが、伝え聞くところによれば主は久秀に斬りかかり、柳生宗厳が制止しなければ久秀を殺していても不思議ではなかった程、激しい剣幕で迫ったという。


 ただでさえ義輝は剣の腕前が天下一との評判も高い。光秀も義輝と何度か太刀を合わせた事があるが、勝ったことは一度としてない。剣術に覚えはあっても義輝の腕前は次元が違う。その義輝が仁王の如く怒り狂ったならば、宗厳と言えども止めるのに難儀したはずだ。


(やはり上様は変わられた。いや一皮、剥けられたというのが正しいか)


 九州征伐の際、光秀は久秀の存在が明るみに出たことを理由に義輝の出馬を後押しした事がある。その時も義輝は久秀に対する執着が薄いような感じはしていたが、流石に本人を目の前にすれば激情に駆られる可能性もあると思い、密やかに会見には強い覚悟を以って臨んでいた。


 ところがである。義輝は平素と変わらないように思えるのだ。同じく久秀に強い恨みを持つ義継の表情は険しく、久秀を激しく睨み付けているのとは対比する。


「久秀、この城はどうだ?普請の真っ最中であるが、余の新たなる居城となる城だ」


 義輝は余興とばかりに久秀へ伏見城のことを訊ねてみた。


 伏見城は未完成であるも、概ねの縄張りは出来つつある。義輝は義継に久秀を連れてくる前に城をぐるりと一回りするように命じていた。


 その理由を掴み兼ねていた光秀と義継であったが、まさか久秀から感想を聞くためだったとは驚いた。


「……ふん、何故に儂がそのようなことを語らねばならぬ」

「ただの興味に過ぎぬ。左京大夫に連れられて一回りしたのであろう?貴様は城造りは得手であったな。その貴様から見た余の城を知っておきたいのだ。どうせ完成する頃には、この世におらぬのだ。冥途の土産には丁度よかろう」

「ハッ!ほざき寄るわッ!何故に儂が攻めるかもしれぬ城を語らねばならぬ?弱味は残して置いた方がよいに決まっておろう」

「ほう……左少将、備えが弱いところがあるようだ。練り直せ」


 得意顔でほくそ笑む義輝を見て、久秀は不快に表情を歪めて忌まわしそうに“ちっ”と舌を打った。


「はっ、申し訳ございませぬ。再度、官兵衛と共に練り直します」


 光秀は悔しそうに唇を嚙み、殊勝に首を垂れた。


 伏見は義輝が足利の天下を象徴として築き上げる城だ。光秀の坂本城も存分に心血を注いだのだろうが、今回ばかりはその比ではないだろう。恐らく光秀同様に築城に長ける黒田孝高と共に昼夜を問わずに諮り、その威容さや防備を完璧に詰めたはずだ。


 それが完成前とはいえ、久秀に弱味を見抜かれた。それも主君の前でだ。悔しくないはずがない。


 同時に義輝の抜け目なさも圧巻である。まさか宿敵である久秀の見識を縄張り造りに利用するとは思わなかった。然り、今の諸大名の中に本気で義輝を攻めようという者はいないだろう。そんな者の意見を集めたところで張子の虎、砂上の楼閣に違いない。しかし、これまでも久秀だけは将軍であろうが殺しにかかって来た。だからこそどうやったら伏見城を落とせるかを本気で考える。久秀の見識があって、この伏見は完璧となるのだ。


 それを義輝は判っている。


「それにしても驚いたな。未だに次があると思っておるのか」

「儂は幾度となく再起を果たしてきた。貴様を殺すまで、儂は死なん。生ある限り、貴様の命を狙ってやる!」

「き……貴様ッ!!」


 張り裂けるような殺意を部屋全体に満たした久秀に対し、またもや小姓たちがいきり立つ。今度は義輝が“話が進まぬッ”と一喝し、場を制した。


 小姓たちは一斉に稲妻に当てられたかのように縮こまった。その重苦しく、息さえも詰まりそうな空間で、義輝だけは余裕の表情を崩していない。


「もはや逃げられるとは思わぬがな。仮に逃げられたとして、どうやって余と戦うのだ」

「知れたこと!関東には幕府に従わぬ輩が未だにおる。奥羽とて同じだ。儂は三好の家宰として天下の権を握った。義昭を担ぎ、守護大名たちを束ねた。たった一年で大友を牛耳った。同じことを東国でもするだけよ。そして関東で火が付けば、治まったばかりの九州とて判らぬぞ。心から貴様に従っている者など、所詮は一握りしかおらぬ」


 と久秀は傲慢な面構えで得意げに言い切った。


 確かに久秀は、その手練手管を駆使して三好家中では専横を極め、謀反方でも武田信玄を追い出して首魁に君臨、九州では大友親貞に近づいて側近となり、大友を影から操った。まんざら関東に下っても人心を巧みに掌握する術を持つ久秀なら、それなりの立場は有するのは難しくないように思える。その能力はあると、久秀の力をある意味で認めている義輝も思う。


 ただそれは、かつてならだ。実際、その発言を聞いている光秀や義継、小姓たちは揃って開いた口が塞がらず、キツネに抓まれたかのような呆れた顔になっている。


 九州に関東の情報が入ってきたのは、久秀が博多を奪還した後に幕府軍から包囲されている時だ。それまでは義輝の後詰は到着しておらず、幕府が東国征伐を同時進行で行っていることなど判らなかったはずだ。


 幕府と敵対した大友、そして九州に来たばかりの久秀は東国を情勢を知る術を持っていない。


 当たり前だが、同時に三十万以上の軍勢を東西に派遣するなど常識外のこと。織田信長からの進言がなければ、義輝すら考えの及ぶものではなかった。だからこそ久秀は、関東は未だに北条の支配するところだと疑っていなかった。


「久秀、知らぬようだが教えてやろう。余は既に関東を平定しておる」

「な……なに?」


 放たれた言葉は、久秀の自信を打ち崩すには充分なものだった。


 それは光秀から見ても分かる。僅かに視線が泳ぎ、目には焦りの色が窺える。権謀術数の世界で生きてきた久秀は並大抵のことでは驚かない。仮に驚いたとしても表情には出さないはずだ。


 その久秀が、明らかに動揺している。


「ふん、どうせ九州攻めの為に北条と和睦でもしたのであろうが、あの北条が貴様に従うと思ったら大間違いだぞ。そんなものは平定とは言わぬ。一度、上杉に何かあれば、また北条は動き出すぞ」


 だからこそ久秀は、己の動揺を隠すために想定できる範囲で関東の情勢を口にした。


 以前に義輝は北条に守護職を与えて懐柔したことがある。北条は相模、伊豆、武蔵の守護職を得て関東には一時の平和が訪れた。九州を攻める為に関東が揺れては困る。故に義輝は北条と和睦したと久秀は考えた。しかし、あの家は代々で関八州の平定を掲げている。そう簡単に諦めるとは思えないという推測は正しい。


「流石の読みよな。確かに北条は降っておらぬし、和睦もしておらぬ。故に、滅ぼした。もはや北条という大名は、関東に存在しておらぬ」

「莫迦な。九州に兵を向けておきながら関東にも兵を出せるはずがない。上杉や武田では北条を倒すことは不可能なはずだ!」


 久秀が早口でまくし立てる。焦っている証拠だ。それとも認めたくないのか。一語一語はっきりと話す義輝と比べるから、それが余計に目立つ。


 最初、久秀は義輝が自分の前で強がっていると思っていたが、北条を滅ぼしたと聞いて脳裏には既に関東の絵図が広がっていた。久秀も三好長慶に従い、また謀反方として各地の大名とやり取りをしていた事からも、関東の情勢や大名たちの配置や関係は概ね頭に入っている。そこから分析して、上杉や武田に北条は倒せないと考えていたのだ。


 事実、北条が興って河越合戦で勝利を手にした時から、一時は押されることはあっても関東で北条有利の状況に変化はなかった。


 久秀の読み通り北条は謀反方の動きに乗じて関東で蠢動し、一時的に謙信が倒れた際には関東制覇へ向けて動きを活発化させた。奇しくも北条氏康が卒中で同時期に倒れたことによって北条の動きは鈍化するものの、氏政は諦めず戦い抜いて上武連合との合戦にも勝利している。それを制したのは織田信長である。久秀の想定通り上杉や武田では関東の兵乱を鎮めることは不可能だった。


「関東は織田大納言に平定させた。上杉は今ごろ奥羽を攻めておる。奥羽には余に逆らえる程の大大名はおらず、既に半分ほどの大名は余に恭順を誓っておる。十万の兵を送り込んでいるが故、まあ年内の平定は確実であろうな」

 

 と義輝は久秀の手前で言ったものの、現在は奥羽大名の二割程度が降っているに過ぎなかったが、上方と奥羽では情報が届くまでに時間がかかることから、義輝は多少の誇張を交えて久秀に告げた。しかし、それはかつて坂本で落ち延びた幕臣たちと打倒三好を画策して練っていた頃の楽観的な憶測ではなく、絶対的な自信から導き出された確信であった。奥羽大名は間違いなく自分に屈すると疑っていない。事実、この頃は謙信がいる会津黒川城へ奥羽大名たちの使者が送られ始めている。


(信長だと!?あの信長にこやつは大軍を預けたというのか?)


 義輝の采配を久秀は疑った。


 信長は元亀擾乱ではいち早く勝者の地位に辿り着いた大名である。伊丹・大物の合戦後、領国の濃尾に戻って武田信玄を追い払い、近江の浅井領を横領しては越前で朝倉を滅ぼした。京で義輝の侵攻を防がんとする謀反方から無視できない存在でありながら、幕府方としてもただならぬ功績を残した。


 仮に山崎の合戦で久秀が義輝の暗殺に成功して勝者となっていたとしても、損傷の激しい謀反方の軍勢では織田勢に太刀打ちできず、信長に膝を屈することになっていたはずだ。久秀も信長に抗することは難しいと判断しており、一時的な従属も已む得ないと考えていた。


 そんな信長が幕府で重用されるのは、織田家が大きいからである。信長が油断ならない相手であることは、義輝とて気が付いているはずだ。もし関東に大軍で下らせれば、かつての足利尊氏の如く東国勢力を糾合して巨大勢力となり、そのまま謀反に及びかねないと久秀は思っている。


(あの信長が関東を平定を任せた?であれば東国で一波乱あるやもしれぬな)


 確かに九州で久秀は、信長の名を見ていない。最初は義輝の本隊と共にいると思っていたが、遂にその名前を聞くことはなかった。もちろん気に掛けてはいたが、久秀の戦略では博多で先遣隊を破り、義輝が渡海する前に追い返す算段であったために信長と戦う予定なく、かつ義輝が赤間ヶ関に到着した頃は博多で幕府軍に包囲されており、それを調べるだけの伝手も手段も持ち合わせていなかった。


 その信長が関東を制した。このまま謀反に及ぶというのは考え過ぎではあるまい。


「その顔、また悪巧みをしておるな。どうせ大納言が余に叛旗を翻すやもしれぬと考えておるのだろうな。甘かったな」


 急に黙った久秀を見て、義輝は悪意を巡らせていると感じ、それを制した。


「大納言は余への叛心を持たぬ。その証として、大納言は領国を空にして東国へ赴いた。大納言が余に背けば、即座に領地を失うことになるだろうな。それを大納言は判っておる。故に北条を滅ぼし、余の天下一統に貢献しておる」


 確かに久秀の考える通り信長が義輝へ謀反することは可能だ。しかし、織田領である濃尾や伊勢、近江へ戻るには織田に対して良い感情を抱いていない甲斐の武田や駿河の今川領がある。もちろん上杉が織田に味方することは考えられないので、信長は謙信に勝つか備えを残す必要がある。


 そんなことをやっている間に、幕府軍が織田領に雪崩れ込むのは確実だ。そもそも尊氏が中先代の乱で後醍醐帝に叛旗を翻せたのは、関東に地盤があったからである。だが信長は関東に領地すらない。


「あ……有り得ぬ!そんなことは有り得ぬ!」


 声を荒げ、必死になって否定する久秀であるが、その様子は自分に言い聞かせているかのようであり、本音として信長が関東へ赴けば北条を倒すことも可能だということを自身が認識している証拠であった。


「……八年。八年だ、久秀」

 

 義輝の口から堂々と勝ち誇った声で“八年”という重い言葉が放たれる。書けばたった二文字、口にすればたった四文字でしかない短い言葉だが、これまでの苦労が、辛酸が籠められた強い意志に裏打ちされた響きがあった。


「なんだと?」


 それが何を伝えたいのか掴みかけた久秀は、思わず問い返した。


「貴様が二条の御所を、余を襲ってから八年が経った。その僅か八年で余は、天下を一統した」


 もちろん義輝の戦いは、ずっと前から続いている。征夷大将軍を引き継ぎ、正確には父・義晴が死んだ時から義輝は表舞台に立った。そこから長く険しい戦いが始まった。幾度も京を追われて泥水を啜り、細川、三好、六角、畠山などの思惑に振り回されながら将軍親政を目指した。


 転機となったのは間違いなく永禄の変である。それまでは京周辺で足踏みするばかりであり、義輝が実権を握って天下平定に乗り出すことは出来なかった。


 征夷大将軍が暗殺される。結果として義輝は生きていたが、事件当初は義栄を将軍職に就ける為に三好が義輝の死を喧伝したこともあって、天下には義輝は死んだという報が流れた。その事件が天下の形勢を大きく揺るがした。


 過去に六代将軍・義教が殺された事もあれば、鎌倉将軍も源氏将軍は暗殺と目されているために例のない話ではないが、武家の棟梁が暗殺されるという大事件には変わりない。過去にも将軍の中には、何処かで自分は殺されないと思い込んで無茶な行動に出た者は多々いる。


(まぁ、余も人のことを言えた質ではないがな)


 過去の自分を振り返り、義輝は思わず苦笑する。


 では何故、永禄の変だけが幕府再興への転機となったのか。それは義輝が九死に一生を得たからに思う。今までは義教も源氏将軍も殺されてしまってしまい、残された者は仇討ちするしかなかった。義教の時は将軍の権威が健在な頃で無事に仇討ちが果たされたが、ただそれだけであり、権威、権力は間違いなく失墜した。反面、同時に力をつけた守護大名たちが勢力拡大に乗り出し、幕府を脅かし、応仁の乱に至っている。


 だが義輝は生き残った。このままでは命が危険だということが天下に伝わったことにより、謙信が重い腰を上げ、一つのうねりとなって諸大名が呼応した。これまで散々に義輝が上洛を呼び掛けても動かなかった大名たちが、義輝の危機に動いたのだ。


 加えて義輝にとって都合のよい時機が重なった。


 当時は天下の権を握っていた三好長慶が死んだものの、それでも大きい三好家を脅かせる大名が京周辺にいなかった。遠国の上杉はもちろんのこと、織田も美濃を手に入れたばかりで京の支配に関わる暇はなく、朝倉義景も在京する程の余裕はなかった。


 あの時、もし信長が美濃を手に入れたばかりでなかったら、歴史はどう変わっていたかは判らない。もし謙信が立ち上がらず、織田単独での上洛となれば、その影響力は幕府内部にまで及んだだろう。しかし、現実は違った。


 義輝が今まで辛酸を舐め続けながらも一流の武芸を身に修めて来た事が、その命を救った。三好長慶が死に、六角が御家騒動で力を失い、畿内に権力の空白が生まれていた状況が生まれていたからこそ復権への転機となった。


「見るがよい、この屏風を。これが何か判るか、久秀」


 義輝の背後には黄金色に輝く二枚の屏風がある。二つで一つと成る、義輝が持ち込んだ洛中洛外図である。 


「京を描いた屏風であろう」

「そうだ。されど、ここに描かれておる京は存在せぬ。お主が全て燃やしたからだ」


 途端、義輝の声調が低くなる。そこには侮蔑の念も込められており、研ぎ澄まされた刃のような鋭利な視線が久秀を差している。


「ここに聚光院(三好長慶)の邸も描かれておる。左京大夫、さぞや懐かしかろう」

「は……、然様にございますな」


 と急に振られて答える義継であるが、義継が長慶に請われて三好宗家の家督を継いだのは、その死の一年前に過ぎず、在京した期間はもっと少ないので長慶との思い出らしい思い出は乏しく、実際は感傷に浸るだけのものはなかったが、語気を強める義輝の前で頷くしか義継は許されていないかのような重い雰囲気を感じ取っていた。


「ここでも余は、貴様に命を狙われた」


 永禄の変の後に義輝が上洛を果たし、二条御所の代わりとしたのが当時、政務を執る設備が整っていた旧三好長慶邸であった。ここで義輝は刺客に寝込みを襲われ、手傷を負い、二条城を普請するきっかけにもなった。もし細川藤孝が駆け付けるのが遅かったならば、今の義輝はなかったかもしれない。


「勝手知ったる邸だったからな。せっかく義栄を殺してまで油断を誘ったのに、貴様を仕留め損なったのは痛恨の極みよ」

「ふっ、減らず口は相変わらずよ。思えば貴様はいつでも余の命を狙ってきたな。二条や聚光院の邸ばかりでなく、吉野川や京でも……」

「そうよ!貴様さえ死んでおれば、儂が天下を握っていたものを!いつも邪魔しおって!」

「ははは……、終わったことを蒸し返すなど、久秀とあろう者が堕ちたものだ」


 口汚く恨み節を口にする久秀に拍子抜けした義輝は、思わず笑みを漏らした。


 これまで相対してきた久秀は、義輝が征夷大将軍ということもあり、表向きであっても少なからず敬意はあった。花隈城で義輝を煽った時ですら少なからず敬語を使用していたが、今の久秀は敬意の欠片もなく、将軍の自分に対して素で言葉を交わしている。


 それが義輝にとって希少で珍しく、面白く感じた。そして不思議に思う。何故に自分は、こうまでして久秀に憎悪を向けられるのだろうか。確かに将軍として相対してきた間柄であるが、義輝個人としては特に久秀に危害を加えたりはしていない。誣いて言うならば、息子の久通を討ったことだが、先ほどから久秀の口にする恨みの言葉に、息子の名前は一切ない。であれば、違う理由なのだ。


 果たして久秀が自分と敵対する理由は何なのか。何を目的に久秀は闘っているのか。それを聞く為にも、まず義輝が目指す理想を語らなければならないと思った。


「この屏風の京が存在せぬように、もはや古き時代は終わる。争いが続いた乱世を余が終わらせる」

「ふん!乱世を招いたのは貴様ら将軍家の跡目争いではないか。貴様は他人事のように諸大名が命令に従わぬなどと勝手を抜かすが、貴様ら将軍家が勝手気ままな振る舞いに我々が如何に苦心したか知るがよい」

「将軍家の諍いが自らの権威を貶めたなど今さら言われるまでもないわ。故にこそ余は自らの職務を果たすべく、天下を一統するのだ。そして明瞭な法度を布いて戦のない世を、泰平を築く。それが散っていった者たちへの責任であろう」

「それが迷惑というのだ。どうせ貴様が死ねば、また乱世に逆戻りだ。この世は喰うか喰われるか、奪うか奪われるかよ。その理は武士が興る前、平安以前から変わっておらぬ。世は才覚に秀でる者が仕切ればよく、阿呆は黙って従っておればよいのだ」


 と罵る久秀の瞳は、侮蔑の色で染まっていた。


 義輝は思う。この男は自分以外の存在を信じていないのだと。そして己より才能豊かな者は存在しないと思っている。だからこそ、こんなことが言えるのだ。義輝に何度も負けても、負けたことを認めない。所詮は水と油だ。


「そうまでして、貴様はどのような世を創りたいのだ」


 これまで義輝が抱いてきた全ての疑問は、その一言に示されていた。


 久秀が長慶に見出されたにも関わらず、恩義を顧みずに己が出世を望んでは策謀を張り巡らし、主君を追い落としては大仏を焼き、将軍の命まで狙った。そうまでして目指したものが何だったのか。それを義輝はずっと知りたかった。


 天下に覇を唱えた者たちは、何れも大志を抱いている。義輝はこれまで、そうした人物と何度も邂逅した。


 皆で力を合わせれば、何事も成せるという百万一心の精神を以って世の安寧を願った毛利元就や、仏法、王法、神道、諸侍の作法を定めて政を正しく執行せんとして源氏の世を望んだ武田信玄、禄と寿は応まさに穏やかなるべしと民を慈しむ世を求めた北条氏康、そして日ノ本を憂い、天下布武を掲げる織田信長。義輝が関わってきて、大きな勢力を築いてきた者たちは皆、己が望む世を明確に心に抱いていた。


 だが当の久秀はというと。


「そんなもの、儂は儂の思うがままに生きたいだけよ」


 とにべもなく言い放った。


 思うがままに生きたいだけと、久秀はそう言った。それはある意味で義輝が想定していた答えなのかもしれないが、心の中でそれを否定する自分がいた事は確かである。


 急に内から込み上げてくるものがある。それは途端に降り始める夏の豪雨のようで、堪えようにも堪え切れず、思わず口角が緩んだ。


「くっくっくっく……、そうか、そうよな。そうでなくては貴様らしくない。あっーはっはっは!!」


 そして義輝は相槌を打ちながら自ら頷いて、大きく笑った。


「上様?」


 その様子は光秀も義継も主君が可笑しくなったのではないかと思う程に突然で、普段の義輝からは想像できないほど異様だった。元々義輝は笑わない人物ではないが、ここまで大仰に笑うことは、まずない。


「よい、気にするな。ふふふふ……」


 義輝自身も、何が可笑しいのかはっきりとは分からなかった。思った通りの答えに安心感を抱いたのか、であれば僅かに感じる喪失感にも似た感情は何なのか。大笑いしているはずが、落胆してもいるのだ。


 思わず脳裏に、在りし日の聚光院の姿がよぎった。


「己が思うがままにしたいだけなど、存外つまらぬ男だったようだな。乱世を憂いて理世安民を掲げた聚光院の思想は欠片も見えぬ。天は何故に貴様に才を与えたのか」


 そう思う義輝であったが、もはや今の一言で久秀に対する興味を一気に失っていた。これまでの執着が一気に吹き飛び、呆れ果て、宿敵であったはずの存在に何の感情も抱かなくなった。


(松永久秀という男は、こんなにも小さかったのか)


 もしかしたら義輝は心の何処かで久秀に期待していたのかもしれない。己と天下を争った程の人物ならば、自分が考えもしない思想を持っているのかもしれない、望むべき天下の姿を描いているのではないかと。何せ自分を追い詰め、長慶にも認められた男なのだ。もしそうならば、この場で聞き入れ、次の天下に受け継いでいくのも勝者たる自分の役目だと考えていた。


 ところが久秀には理想という天下像がまったくなかったのだ。

 

 世に道理を広めて民を安んじるという理想を掲げた三好長慶は、人々が穏やかに暮らせるよう秩序ある世を目指した。その傍らにいて、この男は何も得なかったというのか。


「理世安民だと?あんなものは御屋形様の戯言に過ぎぬ。あのような甘い考えでは乱世は生き抜けぬ」

「長年に仕えていた聚光院のことを何も知らぬのだな。あれほど稀有な人物は他にはおらぬ」

「その割には何度も御屋形様の命を狙っていたな。御屋形様の存在が一番に邪魔だったのは、貴様ではないか!」


 そう指摘する久秀の言葉を義輝は遮ろうとはしなかった。それは久秀の言うことが事実であったからだ。


 天文二十年(一五五〇)当時、対立していた三好長慶を義輝は近臣の進士賢光に命じて暗殺を図った。長慶自身は手傷を負ったものの生還し、賢光は失敗から義輝が首謀者と露見することを避けるために自害して果てた。


 その後も表沙汰になっていない事件を含めれば、長慶暗殺の試みは数度に及ぶ。


「聚光院の存在が余の大きな障害であったことは認めよう。あの頃は聚光院さえいなくなれば将軍親政を取り戻せると本気で思っておったからな。されど仮に聚光院が死んだところで、恐らくは晴元が復権するだけで、余の立場は何も変わりなかったであろう」


 当時の義輝は二十歳にも満たない若輩者に過ぎず、父・義晴を失って長慶と対立していた細川晴元らに囲まれて育った。当たり前だが長慶のことを否定的に悪く言う者たちばかりで、義輝も長慶に対して良い印象を抱いていなかった。


 義輝が長慶への印象を変えたのは、永禄元年(一五五八)に和睦して京へ戻ってきて以降のことである。それからの義輝は打って変わって長慶と協調路線を歩んでおり、長年に共闘していた晴元と縁を切り、教興寺合戦では近江坂本にて支援を欠かさなかった六角ではなく、三好方を支持、その後は共に挙兵した政所執事である伊勢氏を打倒するなど、これまでの対立がなかったかのような親密ぶりを見せた。


 とはいえ義輝も心から長慶を頼りとしていた訳ではない。打倒・三好は諦めておらず、諸大名を上洛させて三好の力を弱めようと画策していた。ただ長慶は諸大名が長く京に留まることは認めなかったものの、義輝の政治的決裁を遮るような真似は基本しなかった。


 故に義輝は、各地で争う大名たちの調停や幕府内人事など自ら決裁することが出来た。長慶も必要に応じて義輝の政治的な追認を求めることも多く、結果として義輝は長慶と共存共栄を図れたと言っていい。


 ただ長慶が死ぬと、状況は一変する。独自の動きを続ける義輝を脅威に思った松永久秀らが、義輝への圧迫を強めたのだ。それが永禄の変に繋がっている。


「よう分かっておるではないか。足利将軍なぞ神輿に過ぎぬ。神輿ならば拝まれるのを有難がっておればよいにも関わらず、貴様は口を出し過ぎたのだ」

「果たしてそうかな?物言わぬ神輿が有用なら、聚光院は余を追放次第に義冬か義栄を将軍職に就かせたのではないか。その力が聚光院になかった訳ではあるまい」

「そこが御屋形様の甘いところよ。貴様といい晴元といい、息の根を止めぬ。故に儂が代わって貴様を殺そうとしてやったのよ!それなのに貴様は、儂から全てを奪いおった!」


 久秀は縛られた身体を前に突き出しながら、並々ならぬ憎しみ義輝へぶつける。その双眸は淀み、表情は歪み、まさに般若の如き深い恨みに支配されているようだった。


「上様、亡き聚光院様は常々に某に仰っておりました。将軍家あっての三好家である、と」


 脇から義継が口を挟んだ。尊敬する長慶を悪く言う久秀が許せなかったのだ。


 忘れもせぬ長慶と過ごした僅か一年の時間、兄弟たちを次々と失い、最愛の嫡男を亡くして消沈していた長慶の姿を義継は覚えている。全盛期に比べれば覇気は失われたかもしれないが、それでも義継にとっては偉大な人物に映っていた。


 その長慶は死ぬ間際まで、後継者たる義継へ道理を訊かせ続けていたのだ。そして義継自身、一時であれ教えに背いてしまった己を悔いている。故に三好は忠義の家と呼ばれるよう将軍家に尽くそうとしている。


「いま思えば聚光院は、余を将軍として認めておったのだろう。余でなくては天下の諸侯は治まらぬと」


 理世安民を掲げた長慶が道理を重んじたのは想像に難くない。義輝から他の足利公方に将軍を挿げ替えれば道理は乱れ、天下も乱れる。それは明応の政変から始まる足利公方の争いを見れば判った。仮に義輝以外が将軍に就いたとしても、その存在を諸大名は認めずにいたはずだ。三好領内には当時、平島公方家があった。自らの懐に足利の貴種がいたにも関わらず、長慶は義輝から将軍位を奪うことはなかった。これは細川氏が自らに都合の良い足利将軍を担いできたことと比べ、異質に思える。


 ただそれは、恐らく長慶にすれば違ったのだろう。長慶は先代・義晴から正式に将軍職を受け継いだ義輝だからこそ、その道理を重んじたのだ。


(その事に聚光院は気が付いていたのだろう。されど余は聚光院が口出しせぬことを良い事に諸大名に御教書を送って上洛を促したが、それはまだ早かったのだ)


 事実、義輝が上洛を要請しても断ってくる大名たちは多く、その殆どか幕府の要職や官位の申請を望み、自分たちの権益を保全して領地を広げるための大義名分とした。毛利元就と尼子義久による雲芸和議や上杉謙信と武田信玄の甲越和議の例からも、結局は争いは止んでいない。


(余が行ったことは、乱世を悪戯に混乱させただけのこと。争いを止めようとする一方で、新たな火種を生んだ。上方に確固たる地盤を築き、誰もが平伏すような将軍となってから、初めて地方で覇を唱える大名どもを屈服させられる。それを余は判っていなかった)


 それを義輝が知ったのは、信玄が一向一揆を率いて越前へ乱入してきた時である。この時、天下の諸将は見返りを求めず義輝の下へ馳せ参じた。あの時まで義輝は、征夷大将軍という存在を見誤っていたのだ。


 もし義輝が長慶を信頼して幕府再興を図れば、違う形で天下一統が進んだかもしれない。


「余が今少し早く聚光院を認めておれば、今ごろ三好家は余の重鎮として重きをなしていたであろう。許せ、左京大夫」

「お…畏れ多いことにございます。この左京大夫、そこの久秀の口車に乗せられて上様の命を狙った張本人でございますれば、許しを請わなければならぬのはこちらでございます」


 と突然の謝罪に驚いて座り直し、平伏する義継を見て久秀は嘲笑った。


「三好の当主ともあろう者が滑稽だな。貴様が失敗しなければ、このような目に儂が遭うこともなかったのだがな」

「黙れッ!今すぐに首を刎ねてもよいのだぞ!もはや何を言われても、上様への忠義は変わらぬ!」

「ふん!」


 かつては自分の言いなりだった相手が忠義面するのが気に入らないのか、久秀は不満げに口を尖らせた。かつての義継は久秀にとって都合の良い当主だったはずだ。いくら策を弄しても英明な長慶が久秀の思う通りに動いたとは思えない。むしろ三好を専横するに当たって最大の障害は確実に長慶だ。その長慶が死んで当主を若い義継が引き継いだ。展望が開けたと言っていい。久秀は、長慶の死を小躍りして喜んだはずだ。


 その久秀の前に義輝が立ち塞がった。これほどの強敵になるなど、当時の久秀は想像もしていなかったと思う。


「そちのもっとも気に入らぬことをしてやろう。久秀、余の天下の礎にしてやる」

「なんだと?」


 途端、久秀は困惑気味に嫌悪感を強めた。


「土岐少将、京での久秀の評判はどうじゃ?」

「かなり嫌われております。何せ都を焼いた張本人でございますれば、朝廷、寺社仏閣、民衆どれからも擁護の声は一つとしてありませぬ」

「その悪評を利用する。此度、九州の争乱は久秀が大友で暗躍した所為だ。それを天下に広く知らせよ」

「はっ。朝廷にも仔細を報せましょう。公家の者たちは日記をつけることが多いと聞き及びます。必ずや久秀の悪行を後世にまで伝えてくれましょう」

「それがよい。加えて謀反方の挙兵、実際は余に不満を持つ大名たちを信玄が上手く纏めたのだろうが、黒幕は久秀であったことにせよ。京を焼いたのだ。それを疑う者はおるまい」


 義輝の言うように実際の被害を受けたのは京に住まう人々だ。謀反方が瓦解した後に信玄も暴れまわったが、京には侵攻していない為に、京の民衆は信玄よりも久秀を恨んでいる。日ノ本で最も人口の多く、政事の中心地である京から“元凶は松永久秀である”と発信すれば、信じる者は多くいても疑う者は少ない。


「ほぼ皆無かと存じます。また久秀は前将軍である義栄公を殺め、東大寺の大仏殿も焼き討ちしております。その悪行も天下に報せるべきかと」

「うむ、任せる。それから左京大夫、聚光院が死ぬまで数年ほど前から、三好家では不幸事が続いた事を覚えておるか?」

「はい、よく覚えております」


 天下人・三好長慶が誕生するに当たって、その覇業を助けた弟たちがいた。次男の三好豊前守義賢、三男の安宅摂津守冬康、四男の十河讃岐守一存で、さらに嫡子の筑前守義興も後継者として器量は長慶に劣らないと評判であった。その弟と子が全員、永禄四年(一五六一)から長慶が死んだ永禄七年(一五六四)七月までの僅かな期間に相次いで死去したのだ。それぞれ死因は違うが、傍から見れば不可思議に思える。


「正直、そこな久秀が関わっていたかは判らぬ。されど聚光院らの死を、全て久秀の仕業とする。将軍を殺し、主君を殺し、京や大仏を焼いた久秀こそ、天下万民は乱世を生んだ大悪党と思うはずだ。そして、その死を以って乱世の結末とする」

「貴様!儂を利用するかッ!」


 久秀が急に吼えた。義輝のやろうとすることを察したのだ。


 乱世の根本は先ほど久秀も言っていたように将軍家の跡目争いにある。弱体化した足利将軍が自らの権威を守らんとして守護大名の家督問題に口を出しては、争わせ、権威を利用して潰し合いをさせたのだ。だが多くの人々は百年も前から生きている訳ではない。昔のことがどうだったかなど知る者は少なく、せいぜい記憶にあるのは三、四十年前のことくらいまでだ。久秀が乱世を招いたと言われれば、それまでだろう。


 つまり義輝は、久秀を乱世を招いた存在、象徴とすることで将軍家の過去を隠蔽し、義輝こそ乱世を終わらせて泰平を導いた英雄として天下に示そうとしている。学のない者にも判りやすい形で、時代に区切りを付けようというのだ。


 そういう点では、久秀は判りやすく打ってつけだった。


「儂が利用されるなど、あってはならぬことだ!しかも貴様に利用されるなど……!!」


 わなわなと全身は震え、憤怒の表情で久秀は喚いた。義輝を怨敵としてきた久秀が、それを受け入れられる訳はなかった。


「散々に人を利用してきたのだ。一度くらい利用されておけ。でなければ割に合わぬわ」


 として義輝は久秀を嘲笑った


 先ほどまで興味を失った対象だったはずが、悔しそうにする姿を見て今はとても痛快だった。満足だった。やはり松永久秀は、自分の宿敵であったのだと改めて思う。それを天下の礎に利用することで、義輝は長年の闘争に勝利で飾った。


「連れていけ」


 もはや役目は終わった。もう久秀と関わる必要はない。既に義輝にとって松永久秀とは過去の人物なのだ。確かに越えなければならない大きな壁だったが、いざ超えてみると大した事がなかったかのように思う。


「おのれ!義輝ッ!儂は死なぬぞ!見ておるがいい、必ずや貴様を殺してやる!殺してやるからなッ!!」


 連れて行かれる最中、久秀はさも怨念が人の形を模したように義輝への憎悪を滾らせた。そこには義輝の前に立ちはだかり続けた宿敵の面影はなかった。


 かつて義輝を“天下を治むべき器用あり”と誰かが言った。将軍である以上、自分が天下を差配するという意志は昔からある。それでも自分とて人だ。上手くいかないことが続けば、自分自身を否定してみたくもなる。そんな事は、何度でもあった。


 それが今、天下を騒がせた松永久秀という存在を小さく見えた。しかしそれは、恐らく自分が大きくなっただけのことと思う。三好長慶という存在を、今はっきりと認めることが出来るからこそ、そう思う。 


「十兵衛、そなたは麒麟という生き物を知っておるか」


 広間に残った光秀に対し、義輝はふと訪ねてみたくなった。


「はっ、見たことはございませぬが、四海が治まった穏やかな世にだけ姿を見せる一角の霊獣と聞いております」

「ようやく天下の一統が成る。久秀の死で、乱世を終わらせる。だが積み上げてきた乱世の業は、さぞ深かろう」

「承知しております。されどこればかりは、一つ一つ解決していくしかありません。百年も乱世が続いたのです。ならばその二倍、いや三倍もの長い泰平を築いてやりましょうぞ」


 口調こそ穏やかであるも、光秀は身体中から沸き立つ猛りを感じていた。それは義輝も同じで、生気が全身に漲るような感覚を覚えていた。


「その時代に麒麟はいるだろうか」

「必ずやおりましょう」


 義輝が莞爾に笑う。それに釣られて光秀も莞爾に笑った。


 松永久秀との戦いは、言うなれば乱世との決別であった。臣下が主君を倒し、下剋上が頻発して大きく秩序が乱れた時代が乱世である。その乱世を体現していたのが久秀である。それを打ち倒したのだから、その次は新たな時代の創造だ。


「忙しくなるな」


 義輝が外に出て空を見上げる。冬の太陽が中天に差し掛かり、雲一つない空に輝いている。義輝は冷え切った身体から仄かな陽の温もりを感じた。何処か心地よい。


 春の訪れは、そこまで迫っていた。




【続く】

 さて今回は拙作の中で大きな区切りの回となりました。松永久秀、ついに退場です。


 久秀という人物が本来はどういう人物であったかは諸説あります。大悪人とされるものや、実は謀反に及んだ事のないなど、様々です。三好家にも忠節を尽くしていたとされるものもあり、これほど捉え方の変わる人物は珍しいでしょう。それだけ久秀という人物に魅力があったことは確かであり、天守の先駆けや多聞櫓など時代の中でも有能さは光ります。信長登場前の京畿の争いにも彼の名前がありますので、やはり戦国乱世を語る上で松永久秀を欠かせないようです。


 その久秀の主君が三好長慶です。拙作では開始時点で既に故人である長慶は何度も名前が登場しているのみですが、やはり義輝を語る上で無視できないのが長慶です。史実の義輝が長慶をどのように思っていたかは判りませんが、義輝の帰京後に両者の関係が一変しているのは事実です。そして長慶自身が義輝を本気で排除しようとしなかったのも、歴代の管領細川と対比する点であり、後の織田信長にも通じるところがあります。


 拙作に於ける義輝の長慶評は今回の通りです。天下の重みを知った義輝だからこそ、長慶を認められたというところでしょうか。拙作の義輝でなければ、こうはいかなかったと思います。


 なお最後の光秀とのやり取りは完全なオマージュです。本来は予定になかったのですが、ドラマの最終回を見て加筆しております。光秀が叶えられなかった夢、義輝が果たせなかった理想、実現させたいと思うのが人ではありませんか!執筆開始から十年、構想から十五年ほどの拙作ではありますが、ドラマに対する敬意として一つの形として表現させて貰いました。それもあって2023年の第62作で長谷川天海が起用されないか密かに願望を抱いております笑

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新おつかれさまです。ようやくの大きな節目ですね。初期から読ませて頂いた者として感慨深く思います。 [一言] 義輝「久秀、この城はどうだ?普請の真っ最中であるが、余の新たなる居城となる城だ…
[良い点] まず一言、久秀との決着お疲れさまでした。ようやく一つの節目となりましたね。 あの天下の梟雄も人の子、長慶を「御屋形様」というのはまだ慕っているところがなんだかかわいいです。逆に長慶暗殺…
2021/09/18 18:12 ジェイカー
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