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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
最終章 ~天下泰平~
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第二章 凱旋 ー隠岐よりの文ー

※タイトルが以前と同じ内容でしたので、変更しています。

元亀四年(一五七三)二月四日。

安芸国・厳島


 九州での戦を終えて帰路に就いた将軍・足利義輝は、安芸国にある厳島にいた。


「此度は門司を出て一日と経たずに着いたな」


 一見して拍子抜けしたような表情を浮かべつつも、義輝の言葉には不満の感情はなかった。それというのも前回は周防灘にある大友水軍を懸念して、厳島に降り立った義輝は陸路から赤間ヶ関へ向かい、そこから九州に渡ったが、今回は門司からそのまま船で厳島へ向かったからだ。


 行程が変わったのは、航路の安全が保たれたことが理由だ。つまり戦が終わったことを示している。


 他にも以前と違うのは義輝が甲冑を身に纏っていないこと、そして九州の諸大名を引き連れているところだ。義輝は出征前に厳島神社の神主・棚守房顕へ帰路で諸大名を集めて猿楽を催すことを告げており、それが今日から予定通り行われる。


 出席者は足利公方である足利義助に義氏を始め、宰相と呼ばれ高い官職に就いている細川藤孝や毛利輝元、尼子義久や小早川隆景などの中国勢、三好義継や長曾我部元親ら四国勢に九州を代表する島津義久や相良義頼、龍造寺隆信など錚々たる顔ぶれで、多くの大名たちが義輝に付き従っており、古くからの幕臣も多く参加することになる。九州の大名たちが驚いたのは、参加者の中に関白・近衛前久と武家伝奏・勧修寺晴豊、二人の公家の姿があったからだ。


 どちらも公家の中では大物であり、事前に義輝より九州が平定された報告を受け、京から下向してきていた。武家伝奏の晴豊はともかくとして諸大名は、関白の動座に驚くばかりであった。とはいえ義輝は前久の腰の軽さは身に染みて知っており、動乱の渦中にあった関東まで赴いた前久にすれば平定された地方に赴くなど、何の抵抗も感じていなかった。


 その前久が厳島までやって来たのには明確な理由があってのことで、これから催される猿楽への参加など、単なる名目でしかなかった。


 それでも九州平定を祝う猿楽の演目は様々と全十三番、三日間にも及ぶ力の入れようであり、京より観世流の者たちを呼んでの興行となる。


 この観世流を束ねるのは七代目太夫の宗節であり、以前に毛利元就の前で演じたのも、この宗節である。実はこの宗節は義輝とも所縁のある人物で、義輝の元服に際して祝賀能に出演していたりする。また永禄七年に四日間にも及ぶ興行を行い、義輝も参加している。


 今回は一日短い三日間となるが、義輝は帰洛して後に織田信長など全国の大名たちが揃ったのなら、盛大に天下一統を祝い、再び猿楽を執り行いたいと思っていた。


 さて演目を勤めるのは、高齢となった先代に代わり八代目太夫を受け継いだ元尚である。この元尚とも義輝は面識はある。七代目の頃から一座に身を置き、息子のいない宗節の跡目を継げるようにまで成長、八代目に就いた。今回は宗節も同伴しているも、出番はなく演じるのは元尚の役目だった。


 苦労時代の演目は心から楽しむことの出来るものではなかった。もしかしたら義輝は、初めて心穏やかな気持ちで猿楽を楽しむことになるのかもしれない。


「流石は左府殿でおじゃるな。まさか年明け早々に九州の平定を聞けるとは思わなかったぞ」

「余の力なれば、当然のことでございます」

「当然でおじゃるか……、頼もしくなったのう。関東の平定も成り、残るは奥羽だけとか。此度のことに主上も大いに喜んでおられる。京に戻り次第に太政大臣への昇進されるのは、麻呂が約束しよう」

「有り難きこと。これで幕府は磐石にござる」


 そうは言っても政事を疎かに出来ないのが将軍である。前久が武家伝奏と共に赴いたのは、事前の打診があったからだ。


 既定路線とはいえ、遂に義輝は足利幕府にて最上の地位に昇った義満に並ぶことになる。義満を尊崇していない義輝にすれば感無量とまではいかず、心持ちはようやくと言ったところだ。


(これからが肝心なのだ。これからが……)


 天下の一統は、あくまでも泰平の世を実現する為の手段に過ぎず、到達点ではない。未だ戦国の気風は色濃く残り、仮に義輝の身に万が一のことがあれば、天下は麻の如く乱れるであろう。


 将軍家の確立と朝廷との関わり合い、諸法度の整備、大名の均衡化などまだまだ手を付けなくてはならない。外つ国とどう向き合っていくかも、まさに始まったばかりなのだ。


「殿下には今一つ、御願いの儀がございます」

「左府殿から御願いとは珍しいが、何かな?」

「間もなく奥羽も鎮まりましょう。なればこそ改元を望みたく」

「……改元とな」


 改元と聞き、前久の表情が少し曇った。その理由は、過去の経緯がある。


 義輝が将軍である期間、三度の改元が行われている。生まれた当時は天文であり、二十歳の頃に弘治へ変わった。そして永禄と今の元亀である。元々改元は朝廷の権限であるも、幕府と相談しながら取り決めるのが慣例であった。


 天文から弘治へ改元された時、義輝は朽木谷におり改元を知らなかった。義輝の許にも報せが届かず、恥をかいたのを覚えている。だからこそ次の改元は必ずと思っていた矢先、永禄への改元が行われたのだ。改元を強行したのは三好長慶であったが、前帝の後奈良帝の崩御によりものであり、正親町帝の即位に費用の負担を出来なかった義輝の落ち度でもあるも、これにより将軍の権威は損なわれたと言っても過言ではない。


 そして元亀への改元は、守護大名に担ぎ上げられた義昭の手によって行われている。


(ようやく、余の手で改元が叶う)


 もちろん義輝も京を取り戻した後に改元を考えなかった訳ではない。しかしながら安易な短期間での改元は影響も大きく、機会を見計らっていたところ天下一統の兆しが見えた。


 ならばこそ、その天下一統を境に年号を改めようと考えていたのである。


「天下一統は目前、世に泰平が訪れた事を報せるには絶好の機会かと」

「然もありなん。左府殿の願い、必ずや麻呂が実現してみせよう」


 義輝の不遇の時代を知っている前久は、これを快く受け入れた。源頼朝が治承・寿永の乱を治めた後に文治に改元されたこと、かつて後漢王朝を再興した光武帝に肖って後醍醐帝が建武と改元したこともあり、天下一統は改元の機会としては申し分ない。


 新しい世が始まることを、天下に広く伝える。義輝の心は、晴天の様に晴れていた。


「上様、猿楽の支度が整ったようにございます」

「うむ」


 前久と会談を終えると義輝は社殿に案内され、宛がわれた席に着く。目の前には演者が舞う舞台があり、水上に浮かんで見えるよう配置された趣向を凝らしたものだ。これは毛利元就が晩年に造らせたものであるという。


「素晴らしいものだ。亡き陸奥守は、どのような想いでこれを造らせたのかのう」


 一度だけ邂逅した戦国が生んだ英傑の姿を想い、義輝は感傷に浸る。優雅に舞う演者と心地よい海風に穏やかな時の流れを感じ、酒を口にして義輝の顔はほんのりと朱に染まっている。


(陸奥守よ。そなたにとって、天下とは何であったのか)


 元就は天下を狙うことを諫める遺言を残したと聞く。尼子、大内という二強の狭間で生き抜いた程の男が、本当に天下を望まなかったのか。話を聞く限りでは、元就という男はほとほと欲のない男だという。慎ましやかな生活を好み、酒は飲まず、名物を集めるようなこともなかった。また毛利領内では女子にも財産の相続権が認められているというから驚きだ。そんな欲のない男が、何故に天下で知らぬ者なしと言われる程までになったのか。


「……特に高尚な考えを持っていた訳ではありません。某は理不尽に抗い、藻掻いていたに過ぎませぬ」


 そう思っていると不意に頭の中で声が響いた。一度だけしか聞いたことのないものだったが、あの英傑の声だと明確に判る。


「藻掻いていただけだと?」

「父と兄は、尼子と大内の狭間で苦しめられ、酒毒で亡くなりました。甥は無理やりに戦場に駆り出されて心痛で死に、尼子の奸計に踊らされて家臣団は2つに割れ、弟を討つしかなかった。嫡男とて、それで失いました」


 今でこそ大国である毛利も、最初は安芸国・吉田一帯を治める小領主でしかなかった。大国に至るまで、多くの身内を失っている。


「余と同じではないか。余も武家の棟梁とは名ばかりで、三好、細川という大敵に苦しめられた。母、そして輝若を殺され、実の弟である義昭とて、余が裁かなければならなかった」

「戦国の世とは、乱世とは理不尽にございます」

「その理不尽に抗い、藻掻いてきたと?」

「せめて毛利だけでも、我が家臣、領民だけでも守りたかった。結局のところ、それだけにござる」

「……然様か。なれば、もう案ずることはないな」


 自分でも思うが、かなりの不穏分子は排除できたと思う。まだまだ強大な大名家は存在するが、かつてと違い将軍家には力があり、将軍たる自分には実権がある。老い先短い訳でもなく、これから世を定めていく時は残されている。


「一献、遣わそう」


 として義輝は杯に手を伸ばすが、持ち上げると同時に落としてしまった。


 杯が床に落ち、カンッという事が響いて一瞬だけ景色が歪んだ気がした。


 するとさっきまで当たり前のように話していたと思っていた元就の姿が消え去り、目の前には嫡孫である参議輝元の姿が映った。 


「上様?ちと酒の飲み過ぎではありませぬか?珍しゅうございますな」


 見間違えかと思い眉間に指を当てて深く息を吐いた矢先、隣に侍る藤孝か声をかけてくる。


「……大仕事を終えたのだ。少しくらいはよかろう」


 幻を見ていたのかと我に返る義輝であったが、そこに不安はなく、心地よさだけが残っていた。幻とはいえ、もう会うことも出来ない元就との邂逅は、恐らくは義輝の中で一つ、大きな区切りが着いた証なのだろうと思う。でなければ、ここまで酔うということもなかったはずだ。一昔前なら、こういう場面では暗殺を警戒し、義輝は常に気を張っていたのが嘘のように思える。


「……毛利宰相」

「はっ」


 故にこそ、義輝は輝元へ対して言葉をかけた。


「陸奥守が望んだ乱世の終焉、ここで終わらせられるかは、そなたの双肩に懸かっていると思え。九州を平定したとはいえ、油断は出来ぬ。宰相には期待しておる故、余と共に泰平の礎を築こうぞ」

「……はっ!亡き大殿が望んだ泰平を必ずや」


 そう意気込む輝元の姿には、まだ少し幼さが残る。しかし、これからの時代は、こういう若い者が主役だ。


「さて、やらなければならぬ事が山積みだな」


 として義輝は再び、杯を空にするのであった。


=====================================


二月十七日。

京・二条城


 九州平定を終えて、義輝は京の都に帰ってきた。


 出陣の際は京に軍勢を集結させていたこともあって、夥しい軍勢を伴っての出発であったが、帰還は途上で軍勢の一部を解散させての帰洛となり、義輝が率いるのは三万ほどまでに減っていた。


 それでも三万といえば大軍であり、群衆や公家たちは喝采を以って義輝の凱旋を出迎えた。京には北条幻庵を連行して先んじて入った今川氏真の軍勢もおり、警備の役を買って出ていた今川勢が道々を調えていたことで、義輝はすんなりと二条城へ帰還できた。


「九州ならびに関東の平定、おめでとう存じます」


 留守居役である摂津中務大輔晴門は、義輝を城門まで出迎えて開口一番に半年間の成果へ祝辞を述べた。


「うむ。中務大輔も留守居役、大義であった。余のいない間、大事はなかったか」

「はっ。上様がご不在にて、公家どもや叡山の坊主どもが多少は騒ぎましたが、九州や関東での戦況が届く度に静かになりました」

「ふっ、どうせ余が手こずることを望んだのであろう。戦を知らぬ輩のしそうなことよ」


 として義輝は鼻を鳴らす。


 騒いだのは、足利義昭や武田信玄に味方した者たちであり、いま形見が狭い思いをしている者たちだ。義輝が困れば、自分たちの立場が少しは改善すると考えたのだろう。


 しかし、今回の遠征は元亀擾乱で不穏分子が取り除かれた後のものであり、もはや大友や北条であっても幕府に逆らえる勢力ではなくなっている。失敗する要素は、微塵もなかったのだ。それを公家や坊主たちは理解していない。


 とはいえ、そんな輩を気に留める必要も今の義輝にはなかった。もはや義輝を止められる勢力はなく、これからゆっくりと朝廷も管理していけばよい。明確な法度が必要だと、義輝は考えていた。


「それと、こちらをお渡しするかどうかは迷いましたが……」


 と思案に耽っていると晴門が神妙な面持ちで一通の書状を差し出してきた。表情は暗いも、深刻そうではない。


「やはり何ぞあったのではないのか?」


 常にならざる様子に、義輝は懸念を口にする。しかし、それはすぐに晴門から否定された。


「いえ、こちらは隠岐から届けられた書状でございます。故に御覧になられるかどうかは、上様次第にございますれば……」

「隠岐……か」


 合点が行ったと義輝は頷き、今度は表情を曇らせた。


 隠岐は罪人の配流先だ。隠岐にいる罪人で、義輝にまで書状を届けられる人物もとい届けようとする人物は一人しかいない。


 義輝の弟・義昭である。


「どうして、これを?」

「上様にお伝えしたいことがあるとのこと。上様が御覧になられない場合は、姫路大納言様に届けて欲しいと。如何なさいますか?」

「……いや、余が読もう」


 義輝は一度だけ深い溜め息を吐くと、書状を手に取り、開き始める。そこには、弟の言葉が綴られていた。


「兄上、ご無沙汰をしております。まずは罪人の身で在りながらも、こうして文を送ること御許し下さいませ。つい先日、隠岐にも兄上が九州ひいては関東を平定し、奥羽の者たちも降りつつあると聞き及びました。隠岐で私を世話する者たちは、みな幕府に忠義の厚い者たちであり、兄上の活躍が嬉しく、こうして私へ天下の情勢を報せてくれるのです。故に咎めることはしないよう伏して御願い申し上げます。この書状をお読みになられる頃には、我らの悲願であった天下一統を成し遂げられているやもしれませぬ。もしかすると早いやもしれませんが、この言葉だけは御伝え致したく、筆を取った次第です」


 久しぶりに見る弟の字に、義輝は懐かしく、感情を深く揺さぶられる。まだ三年ほど前に過ぎないのだが、数十年も会っていないのかのように錯覚さえある。


 義輝は今回の遠征に際して各地の情勢を幕府の勢力圏へ随時、伝わるように仕向けていた。九州征伐にしろ東国征伐にしろ満を持しての大遠征である。動員数は東西で三十万を超え、幕府優勢のまま進む事が予想された。となった場合、義輝が懸念したのは大友や北条などではなく、上方ないし幕府の版図内で騒動が起こることである。故に義輝は各地に幕府の平定が順調に進んでいる事を報せ、厄介ごとが起こることを防ごうとしていたのだ。


 もちろん報せは義昭のいる隠岐にも定期的に届けられており、隠岐で義昭の監視をしている幕臣の何れかが、天下一統が近いことを義昭に報せたのだろう。


「天下一統の儀、祝着至極に存じ奉ります」


 それは、まるで目の前で弟が祝辞を述べてくれたかのように義輝の心に響いた。


「我らが争って三年余り、このように早く悲願を成就されるとは、やはり当時の私の眼は曇っていたようてございます。改めて己の不明を御詫び申し上げます」

「……ふっ」


 その文面を読んだ途端、義輝は可笑しくなってしまい、思わず笑みが溢れてしまった。義昭が義輝の下で幕政に従事していた頃、何かと義輝に反発しがちだったのが、義昭である。その義昭が、こうも素直だとむず痒くなってしまい、笑ってしまったのだ。


(思えば最後に会った義昭も、かように殊勝であったな)


 最後の対面で、義昭は幕府を自分に託した。また晴藤からは、義昭から自分を支えるよう告げられたことも聞いている。


(このように早く余が天下を纏め上げられたのは、そなたがいればこそよ)


 義輝の政権で重要視されずに謀反を起こした守護大名たち。一向一揆と手を組んで、義輝に対抗した武田信玄。これらは全て、義昭を担いだ。


 義輝の幕府に不満を持つ者たちが、義輝に弾き出された者たちが義昭を奉じた。義輝に付いていけない者たちが、義昭を求めたのだ。


「よいか。確かに兄上は強い。如何なる苦境でも信念を揺るがされることはあるまい。されど、その強さ故に見えぬものもある。誰もが兄上のように強くはないのだ。そのような者たちが儂を頼り、此度の挙兵に繋がっておる」


 かつて晴藤の前で、そう語った義昭は謀反方を離反して義輝の子・千寿王を守り、幕府の命脈を義輝に託したのだ。そして最期には自ら幕を引くことで不穏分子は一掃され、天下一統は早まった。もし謀叛が起こらなければ、今頃は内部闘争が激しくなって、とても遠征などと言っていられなかったことだろう。


 義昭がいたからこそ、その膿を出し切ることが出来たのだ。義昭の功績を、義輝だけが認めてやれる。悔やまれるのは、その喜びを分かち合えぬことだ。


(義昭よ、我ら兄弟が築きし天下ぞ。まだ泰平の世の実現が残っておる。隠岐にて余の夢、そなたの夢を見届けるがよい)


 そう心の中で語り、義輝は書状を畳んだ。


 そして義輝は、遂に泰平の政事に着手していくことになる。義輝が奥羽平定を受けて天下一統を宣言する五カ月ほど前のことである。




【続く】

長らくお待たせして申し訳ございません。緊急事態宣言からまん延防止と不規則な日々が続き、先日に私が住む福岡も落ちついて更新が出来ました。今後もどうなるか未知数ですが、何とかペースは戻していきたいと考えております。


今回は久しぶりに(直接ではありませんが)義昭の登場です。義輝の天下一統が現実味を帯び、もはや一統は成ったも同然というのが都の空気となっております。元就といい過去の人物が少し出始めております。


最終章では既に亡くなっていたり、登場しなくなった人物に触れる機会も多くあり、今回は第一弾として元就と義昭でした。次回は登場の予定はしていませんが、いよいよ久秀との決着を描く予定です。(久秀は捕縛されて京に護送されている)

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 「細川・三好のせいで自分は肩身の狭い思いをした」と書いてありましたが、あまりにも被害者意識が強すぎると思います。 資料によれば、三好前当主の長慶は義輝を蔑ろに扱った事は無く、自分を…
2021/07/16 17:49 ジェイカー
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