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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第八章 ~鎮撫の大遠征・西国編~
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第十九章 博多談議 ー強き幕府と異国事情ー

十月八日。

筑前国・博多


 大友家の実質的な旗頭となっていた大友親貞を捕縛した将軍・足利義輝は、ここ博多で軍議を催して諸大名へ残る九州地域の平定を命じた。先陣を命じられた戸次道雪は明日の朝一で出陣を前に忙しく働いており、また肥前の制圧を命じられた実弟・大納言晴藤も軍の再編を急ぐ。


 そして自らも出陣を控えている義輝であったが、その支度は配下に任せて島井宗室や神屋紹策・宗湛親子など博多の豪商たちから挨拶を受けていた。


「この度の戦勝、誠に祝着至極に存じ奉ります」

「此度は戦勝の祝いの品を公方様へ御持ちしました。是非ともこの楢柴を御納め下さりませ」


 として宗室は天下に三肩衝と称される茶器の一つ・楢柴を差し出した。


「ほう……、これが楢柴か」


 思わぬ名物の献上に、流石の義輝も目を見開いて驚いた。


 楢柴といえば数奇を好んだ八代将軍・義政が所有していた事は有名で、その存在は義輝も知っている。義政の死後に将軍家の財政は苦しくなって売却されたと聞いていたが、まさか宗室が持っているとは思わなかった。


 ちなみに三肩衝の一つを初花と命名したのも義政であり、どれだけ数奇に入れ込んでいたかが判る。


「間もなく天下も治まる。慈照院様の良い供養となろう」


 失った天下の名物が将軍家に戻る。その事は天下の安寧を意味すると義輝は捉え、楢柴を受け取った。特に大乱を招いた義政の所有物となれば、亡き御先祖様もさぞ浮かばれるだろうとも思った。


「九州攻めには大軍を動員されたとか。黄金、兵糧、玉薬なども納めさせて頂きます」


 また神屋親子から小姓を通して義輝へ目録が渡される。その中身には膨大な額の金子や兵糧の数が書かれていた。大軍を擁する幕府としては有り難い限りであると同時に博多の豪商たちの力を見せ付けられた気分だ。


(こやつらの力の源泉は間違いなく明や朝鮮との交易、更には南蛮との繋がりも強かろうて)


 神屋氏については石見銀山の開発に携わって大きな富を得ている部分も大きいが、博多の豪商たちは地理的事情から外つ国との繋がりが強い。その昔は大内氏、昨今では大友や毛利と繋がって莫大な財を築いてきた。戦乱に巻き込まれながらも他者の追随を許さぬ程の財を保ち、その地位は暫く揺るぎそうにない。


 だがそれも義輝の匙加減一つだ。博多は名目上で幕府の直轄領となっているが、今回で初めて直接的な支配下に入る。この後も豪商たちの支配を認めるのか、認めないのか。義輝の裁量次第なのだ。


「町役免除など引き続き認めよう。徳政も出さぬ故に安堵いたせ」

「はっ!御心配りに感謝申し上げます」

「博多の復興は、この三渕左京大夫に命じてある。そなたらも尽力せよ」

「承知仕りました。仰せの通りに致します」


 と三人は深く頭を垂れて服従の意思を示し、隣に侍る三渕藤英にも目配りをして挨拶をする。


「して上様から其の方らに訊ねたいことがある。明と朝鮮が事じゃ」


 三人が表を上げた時、今度は藤英が義輝に代わり話題を転じた。


「明と朝鮮の国情、交易について知り得ることを話して貰いたい」

「それは構いませぬが……」


 三人の内で最も朝鮮との交易に力を入れている島井宗室が素直に承服の意を口にするも、どこか言葉にするのを渋っている感じが窺えた。


 幕府が交易を力で独占し、自分たちが締め出されるのではないかと疑ったのだ。


「上様は明ひいては朝鮮との交易を正式に再開する意向である。されど両国との交流は途絶えて久しく、そなたらの尽力は欠かせぬ。無論、彼の国との交流にはそなたらにも同道して貰うつもりだ」


 現状、明ならびに朝鮮との交易を表向き行えている大名はおらず、豪商らを通じて私貿易や密貿易を行っていることを義輝も藤英も事前に掴んでいる。かつて博多を押さえる大内と堺を押さえる細川との間で経済紛争が相次いでいたが、両方を手に入れた義輝にその問題は起こらない。軋轢を生むとしたら既得権益の握っている博多の豪商たちだ。


 だが藤英は“同道して貰う”という。同道には当然、彼らの船も出ることになる。つまり既得権益を奪うのではなく認めると暗に告げており、義輝は博多の商人を懐柔しようとしていた。


「両国の交わりが盛んになるのでしたら、何なりとお申し付け下さりませ」


 その言葉に安堵し、喜色を浮かべた宗室は恭しく礼をして明と朝鮮との交易について語り始めた。


「まず明でございますが、現在は明の海禁政策により交易は叶わず、遣明船も大内が滅んで以降は途絶えております」


 一方で朝鮮と日ノ本の交易には様々な特産品が売買されており、朝鮮から絹、羅、紗などの織物や生糸、薬材、書画などを仕入れ、その中でもっとも多いのが永楽通宝と呼ばれる明銭である。代わりに日ノ本側からは刀剣、槍、鎧、扇、屏風などの工芸品や銀、銅、鉄などの鉱産品が主で、特に銀や刀剣が多い。


 こちらも正式な国同士の交易は七十年以上も途絶えており、以後の交易は細川京兆家、大内家が独占、京兆家が力を失い、大内家が大寧寺の変で倒れると両国の交易は完全に途絶えてしまい、今では密貿易や商人たちによる私貿易が行われているのみだ。


 御陰で自国で銭を鋳造していない日ノ本では銭不足という問題が起こっている。幕府が力を失い、細川京兆家すら没落して久しく、畿内の銭不足は深刻化していた。悪銭が増え、撰銭令を出して押し止めるも限界があった。以前に義輝は北条氏の施政を真似て石高制に移行させたのは、銭不足から貫高制を維持できなかったからという理由が大きい。


 石高制なら米が通貨の特性を持つので、銭の不足を補うことが出来るのだ。とはいえ問題が解決したという訳でもない。


(今でこそ領地を広げることで賄えておるが、天下が一統されたなら現状の維持すら危うい)


 これは義輝を悩ませる戦後の課題の一つであった。


 戦国大名は他者から奪う者たちである。甲斐の武田が良い例で、山国である甲斐は貧しく、一国のみで経営は成り立たなかった。だからこそ信玄は他国へ攻め入り、人、物、金を奪うことで領民を養ってきた。


 それは幕府とて同じだ。


 苦しい台所事情があっても支配領域を広げることで財政を賄っている。しかし、天下が一統されれば領地を広げることは出来ず、息詰まる。それを解決するとしたら交易しかない。


 単純に国内で余っている物を売り、足りない物を仕入れるのだ。その第一優先が銭であった。


 今は幕府の石高制が基準となりつつあるが、あくまで幕府内のものであり、外様を中心に旧態依然のままな地域は多い。それでも幕府の支配域が広がって生野や石見の銀山を手に入れ、銭貨に変わって銀が通貨の代わりを果たすことで現状を維持できているが、今のままでよいとは義輝も考えていない。銭の不足を補うためにも早急な明、朝鮮との交易再開が必要と考えている。


 九州平定は、その契機となった。


「うむ。されば訊ねるが、明や朝鮮と交易を再開するに当たって障害となるものはあるか」

「一番の懸念は倭寇にございましょう。明は交易を禁止しており、呂宋を通じるか朝貢に及ぶしか方法がございません。それに伴い明に隠れて交易を行う者たちで海は荒れております」

「明は倭寇を取り締まらないのか」

「いえ、近年は取り締まりの動きもございます故、章州にある月港という湊から艘は出ております。されど数は多くなく、我々からの渡航は認められておりませぬ」


 明という国を話の中でしか知らない義輝は率直に驚いた。


 明は大国であり、常に強者として大陸に君臨している。かつて元と名乗っていた中華帝国は、日ノ本に十数万という大軍を送り込んで来たことがある。その大国が倭寇という存在に悩まされるなど、いま幕府の長として大軍を采配する義輝にとって理解に苦しむ内容だった。


「過去に鹿苑院様も明からの要請で倭寇を取り締まったと聞いておる。こちら側でも取り締まりが必要か?」

「明へは再び冊封を受けるかどうかという問題はございますが、朝鮮との交易は不可能ではございません。ただそれにしても倭寇は邪魔でございます」

「……ふむ」


 義輝は顎髭を擦りながら思案に耽る。


 明、朝鮮と交易を行うに当たって倭寇の排除が必要なのは間違いない。正直に言って明が苦戦している理由は定かではないが、倭寇の取り締まり自体は難しいと国内に敵なしの義輝には思えなかった。


 問題は明である。


 朝鮮とは倭寇を排除すれば概ね対等に交易が出来ると考えられるが、明とは体面が邪魔をしている。こちらから遜って冊封を受ければ交易は期待できるが、冊封を受けるかどうかは足利将軍の歴史を振り返っても賛否が分かれるところだ。


 最初に冊封を受けたのは鹿苑院こと足利義満であり、何度か名乗りを変えて冊封を受けることに成功し、朝貢貿易を行っているが、子の義持は冊封を否定、六代・義教が再開させている。


(天下泰平の世には強き幕府、将軍家が必要だ。今さら明の冊封を受けて諸大名は納得しようか)


 そして義輝の心根は、冊封に否定的だった。


 冊封といえば儀礼的にも明と主従関係を結ぶことになる。もちろん主は明であり、従は義輝を指す。膝を屈するということだ。そのような姿勢が国内の統治に良い方向で作用するとは義輝には思えなかった。とはいえ交易の必要性を感じていない訳ではない。ただ富を生み出す方法は交易だけに留まらず、また義満の時代と違って今は明だけでなく南蛮との交易も始まっている。明の産物も朝鮮や呂宋を通じて手に入れる事ができるのならば、冊封を受けてまで明に拘る理由が義輝にはなかった。


「左京大夫、倭寇を取り締まる策を考えておけ。宗讃岐守が出仕したのなら、朝鮮との交易再開の手立てを探らせよ。対馬は朝鮮との結びつきも強いはずだ」

「承知いたしました。して明とは如何なさいますか」

「一先ず国書は送るが、あちらの出方次第だ。冊封は受けぬ。余は帝以外に頭を下げるつもりはない」

「畏まりました」


 として明と朝鮮に対する外交方針が定まったところで宗室らは退出となった。義輝は残った藤英に対して今一つ定めなければならない外交方針について触れる。


「左京大夫、余が博多へ戻ってくるまでに調べておく儀が今一つある」

「宣教師たちのことでございますな」

「然様じゃ。フロイスめ、事もあろうか余の前で宗麟を庇いおった」


 その言葉には分かりやすい怒気が混じっていた。


 以前に厳島でのルイス・フロイスを引見した義輝は、フロイスから宗麟を赦免を請われた。その理由は一つ、宗麟が切支丹を保護していたからだ。


 それが理由だけなら良いが、今回の場合は違う。宗麟は朝敵に定められており、帝の敵であった。もちろん義輝が綸旨を出すように求めた事もあるが、経緯はともあれ宗麟は朝敵となったのだ。


 幕府内にも切支丹は多い。だが幕府内の切支丹から宗麟を救おうなどという勢力は現れていない。何故なら彼らにとって帝こそ絶対であり、その帝の命に逆らってまで宗麟を助ける理由にないからだ。


 かつて帝の命が蔑ろにされた時期もある。足利氏すら自らに都合の良い帝を奉じた過去がある。南北朝の時代である。しかし、二つに分かれた朝廷の時期ですら一定の権威を帝は保持しており、今は幕府の力が増大し、その幕府の後ろ盾となる朝廷の権威も高まっている。その頂きに座す帝の意思を日ノ本の武士達は否定できない。


 この国の者ではない宣教師たちだけが、この理を理解できていなかった。


 もちろん日ノ本の民ではない宣教師たちに理解しろとは義輝も思わない。仕えるべき主君は別におり、信仰の対象も文化も違う。今までは交易を通し、その辺りは尊重し合う事が出来た。その尊重を忘れるようであれば、義輝も容赦はしない。それは侵略と同義なのだ。


 侵略を征夷大将軍は許さない。


「切支丹というものが如何なるものか。この九州で判るであろう。余とて南蛮との交易は手放したくはないが、これも宣教師どもの態度次第となる」


 九州平定をまもなくにして義輝の眼は、既に日ノ本の外を向いていた。




【続く】

お待たせしました。


今回はどちらかというと戦後の話です。今まで義輝が天下統一後に諸外国とどう接していくかご質問などたくさん頂いておりました。今回は明と朝鮮へ対するものが中心でありましたが、義輝は義満と同じ道は歩まないという選択をしました。


これも強き幕府、将軍家としなければ乱世は再来するという懸念からです。冊封に入るというのは軟弱外交と国内では映り、強気の姿勢で臨むと考えてのことです。実際、盟主的な存在として将軍の地位にあった義満に比べて、数々の親征を経て日ノ本の統一を成し遂げる義輝の姿勢は大きく違う想像しています。


さて切支丹へ対する嫌悪感を口にした義輝ですが、秀吉が九州平定した頃を時期が違います。それがどのような差として生まれてくるかは次回以降の話となります。

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