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剣聖将軍記 ~足利義輝、死せず~  作者: やま次郎
第八章 ~鎮撫の大遠征・西国編~
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第十七章 決着 ー梟雄の結末ー


 戦国乱世の時代は、長きに亘って続いた。


 始まりは東西両軍が将軍家継承問題で争った応仁の乱、もしくは細川政元が時の将軍・足利義稙を追った明応の政変などと伝わるが、もっとも古くは鎌倉公方と関東管領が争った享徳の乱に始まると主張する者もいる。とはいえ乱世が足利幕府の脆弱さが齎した結果であることは全員の見解が一致している。それは将軍・足利義輝の義理の祖父でもある近衛尚通が抗争に明け暮れる武士の様子を自身の日記の中で“戦国の世の時の如し”と記した事からも窺い知れる。


 その乱世の中に松永久秀という一人の武将がいる。戦国乱世を語るに於いて、この名を触れずにはいられない武将だ。それもそのはず、乱世を終わらせるきっかけとなった足利義輝という存在を最も苦しめたのが、この久秀であったからだ。


 松永久秀は永正五年(一五〇八)の生まれだというから、元亀三年(一五七三)時には既に六十も半ばであった。出自は阿波や摂津の土豪とも京・西岡の商人の出とも言われているが、定かではない。しかし、この乱世に於いて類い稀なる才能を有していたことは疑いようもなく、まだ三好長慶が細川家の被官だった時代に右筆として仕えてから頭角を現し始めた。


 久秀は単なる右筆ではなく有能な官吏であり、長慶もさぞ重宝した。細川の内紛を経て次々と所領が増えていく三好家を内から、そして次第に戦にも出るようになって外からも支えた。


 しかし、ここで特出すべきは久秀ではなく長慶の方である。


 久秀は有能であっても外様であり、三好家は長慶の父・元長の死によって大きく力を落としていたが、信濃源氏・小笠原氏の支流、それなりの名門である。阿波国三好郡を本拠とし、その歴史は鎌倉時代にまで遡る。譜代の家臣がいる中で久秀が重用されたのには、長慶の存在あってのことである。長慶の存在なければ、ここまで久秀は能力を伸ばすことは出来なかっただろう。


 とはいえ久秀も長慶の恩には実績で返した。


 公家や寺社との折衝や領地経営、版図拡大など当時は武に秀でた弟・長頼もおり、兄弟で三好家の隆盛に貢献したと言っても過言ではなく、久秀は三好家の家臣でありながらも官職に就き、幕府からも御供衆に列された。これほどの厚遇を受けたのは、家中でも当主の長慶を除けば嫡男の義興だけであり、久秀は三好の世継ぎと同等の地位にあったと考えられている。ただ本当のところ久秀にどれほどの実績と信頼があったかは、当の長慶本人でないと知る由もない。


 その信頼に対して久秀は、裏切りで応えることになる。


 永禄七年(一五六四)に長慶が死去すると、長慶を支えた三好実休、安宅冬康、十河一存ら兄弟、嫡男の義興が既に亡くなっていた事も重なって、家中では権力争いが勃発するようになった。実権を握った三好三人衆が久秀の権勢を認めなかったのだ。今までは長慶の存在が抑止力として働いていたが、その死によって三好家は凋落の一途を辿ることになった。


 かといって当初は義輝が共通の敵として存在していたことで、その対立は表面化することはなかった。しかし、久秀ほどの人物ならば義輝が死ぬことによって三好家がどうなるかは簡単に想像がついたはずだ。


 権力闘争はあっても外側に向けられていた三好の眼は、義輝を殺すことで完全に内側に向く。当時は河内の畠山、近江の六角や丹波の波多野など三好家の敵は健在で、奴らに衝け込む隙を与えるだけであることは久秀には判っていた。


「六角は手懐けた。畠山も波多野も大した相手ではない。儂の意のままとなる将軍を就け、御屋形様に成り代わって儂が天下を采配してやる」


 そう考えた久秀は、政敵であった三好三人衆を巻き込んで生前に長慶が反対していた義輝弑逆を実行に移してしまう。この時の久秀には天下人として振る舞う自分の未来像が明確に映し出されていた事であろう。


 だが永禄の変にて義輝は死なず、織田信長や上杉謙信など諸大名の合力を得て征夷大将軍に復職、四国へ遠征して久秀の野望を打ち砕いた。もし仮に久秀が家宰として身を引き、三好家が一つに纏まっていれば義輝も将軍職復帰は実現したかどうかは怪しいところだ。仮に実現するとしても確実に時期は遠のいただろう。それ程まで当時の三好家は上方で大きな勢力を有していた。


「将軍家あっての三好家である」


 そう語っていた長慶から久秀は一番に大切なものを学ぶことが出来なかった。久秀が三好家に忠義を貫いていたなら、後世の歴史家は評価を一変した事は疑いようもない。


 四国での敗戦後、行方を眩ませた久秀は守護大名の思惑に乗じて元亀擾乱を起こし、敗北して後も地方大名の不満と対立を上手く煽って九州で争乱の火種となっている。何度も敗れ、その度に復活してくる久秀が戦国武将の中に於いても特出して有能であることは認めざるを得ない事実だった。


 その久秀との戦いが間もなく終わる。それは一つの時代の終わりと始まりを意味していた。


 門司で戸次道雪の降伏を受け入れた義輝は、道雪を先鋒に博多への道を進むことを決める。しかし、この方針に道雪が異を唱える。


「拙者を先行させて頂きたい。決して裏切りは致しませぬ」

「元より先鋒は任せるつもりだが、そなただけが先行すると申すか?」

「はい。我らの降伏を博多にいる者たちは知りませぬ。幕府の軍勢とは別に行動すれば、事を大きくする前に決着をつけられます」

「……ふむ」


 義輝は顎髭を擦りながら思案に耽る。


 こちらは大軍、このまま進むだけでも事は足りる。久秀に何を企もうとも既に悪足掻きにしかならず、気にするほどのものではない。だが道雪が先行すれば、無駄な犠牲は払わずに済むかもしれなかった。


(ようやく乱世が終わるのだ。多くの者に泰平を謳歌して貰いたい)


 乱世に苦しめられた義輝だからこそ、そう純粋に想えたのかもしれない。そして主家に忠義を貫く目の前の男に報いてやりたいとも思った。


「よかろう。仕える家の為に全てを投げ出したそなたの覚悟を信じよう。されどそなたが先行すれば、必ずや久秀めは疑いの目を向けるはずだ。よってそなたに一つ策を授ける」


 道雪の申し出を義輝は受け入れることにした。そして道雪を傍近くに呼び寄せると、博多での振る舞いについてどのようにすべきかを伝える。


 その後、道雪には幕臣から数名を軍監として同行させ、手勢を纏めて博多へ先行させた。立花山城にいる幕府勢にも幕臣と共に使者を遣わせ、こちらの状況を報せると共に一芝居を打つよう策を伝える。


「豊前の大友は幕府に降った。されど博多の親貞はそれを知らぬ。我らが幕府勢を突破して駆け付けたように見せます故、芝居に御付き合い頂きたい」


 博多の北・立花山で指揮を執る幕府軍の大将は美作の代官・石谷頼辰である。当初は道雪の申し出を訝しんだ頼辰であるも、副使として幕臣が同行していたことに加えて義輝の書状を携えていたことから受け入れることにした。


「大友の奇襲ぞ!皆、散れ!散れい!」


 道雪の率いる三〇〇〇ほどの軍勢は幕府軍を強行突破する振りをして南下、幕府軍を激しく抵抗する様子を見せ、何人かは本当に倒れて見せた。実際に死傷者こそ出てはいないものの博多からは道雪が幕府軍を蹴散らして駆け付けたように見えただろう。


「おおっ!道雪ではないか、よう駆け付けてくれた!」

「遅れてしまい申し訳ございません」

「よい!気にするな!」


 その甲斐もあって、姿を現した道雪に親貞は自ら出迎えに行くほど喜びを見せた。博多での勝利を得ても包囲された実態を感じていた大友勢からは歓声が上がり、久しぶりに明るい表情を取り戻していた。


「門司の幕府勢はどうされたのです?抑え役を担っていた戸次殿が我らに合流できた訳を教えて頂きたい」


 その中で唯一、義輝の言った通り道雪に対して疑念の眼を向けてきたのが道意である。


 冷静であったと言ってもいい。やはり久秀は有能なのだろう。普通に考えれば豊前で四国勢と闘っている道雪が姿を現すはずもないのだ。姿を現すなら四国勢を破って道雪の率いた軍勢が到着するか、はたまた博多の窮地を知って一部の軍勢を差し向けることになる。その場合、当然ながら兵を率いる大将は総大将の道雪以外から選ばれる。道雪が博多に来ること自体、不自然なのだ。


 だが大友勢の誰もが道雪を疑わない。それ程までに道雪が家中で築き上げてきた信用は重かった。


「御喜び下さい。遂に傷が癒え、御屋形様が御出陣なされたのです」


 もちろん道雪とて道意に疑われることは想定しており、前もって理由を用意していた。宗麟が出陣となれば、道雪は総大将の任は自然と解かれることになる。自身の片腕とも言うべき道雪に対して、博多に赴いて指揮を執るよう命じても不思議ではない。


「おおっ!それは重畳じゃ!」


 手放しで喜ぶ親貞を余所に、道雪はチラリと道意を見た。


「誠に……」


 そう親貞の隣で頷く道意の眼は決して笑ってはいなかった。むしろ喜んでいないというのが本音だろう。


(宗麟が出てきただと?あれは重篤で合戦に出て来られるような状態ではなかったはずだ)


 道雪が言葉を尽くそうとも道意の疑念は消えていなかった。


 元々は宗麟の排除を画策していた道意であるが、田原親宏の謀反によって直接に手を出すことなく目的は達せられた。ただ宗麟は手傷を負ったが死にはしなかった。傷の具合によっては死ぬことも有り得るし、復帰してくることも考えられる。道意にとって一番に望まないのは、宗麟が復帰して前線で指揮を執ることである。


 だからこそ入念に宗麟の状態を掴むことに力を入れた。しかし、道意は正確な状態を掴むことは出来なかったのだ。


 正確には謀反が起こった当初は府内の混乱もあって、宗麟が意識不明の重体であることを知るのは難しくなかったが、大友としては幕府軍の到来が間近に迫っていた時期だ。当然ながら重臣たちは宗麟の周辺から人を遠ざけて隔離する。外に漏れたなら戦う前に敗北も有り得るからだ。


 そこから道意に情報は入らなくなった。道意は親貞の領国である肥前でこそ情報網を確立させることに成功していたが、大友の本拠地である府内に探りを入れるのはどうしても限界があった。何度か親貞から使者を遣わして容態を探ったものの“回復に向かっている”と言われるだけで本当のところは判らず、故に現在の宗麟がどのような状態であるか不明のまま幕府との戦いを始める他はなかった。


「それで御屋形様は何と?」


 しかし、道意の失策は最初の一手を間違えたことだった。大友家中で道雪の忠義は随一と評判であり、先ほど親貞が無条件で道雪の到来を喜んだように、久秀自身も大友家で過ごす内に道雪という男が“絶対に大友を裏切らない”人物だ思い込んでいた。もしここが上方なら、忠義というものがどれ程に信用の足らないものか久秀は一番に判っていたはずだ。ただ久秀自身、環境の違う九州で過ごす内に少しずつ昔の感覚を忘れつつあった。


 故に宗麟復帰そのものが道雪の虚報であると見抜けなかったのだ。


「某に肥前守様を救援し、博多で指揮を執るよう仰せつかっておる」

「……道雪が指揮を執るのか?」


 道雪の言葉もとい宗麟の指示に親貞が明らかな不満の表情を浮かべる。言葉に従えば、親貞は総大将から外され、道雪の麾下に入る。確かに苦境とはいえ自分は今山の合戦からこれまで負け知らずであり、大宰府と博多の二つの合戦で幕府相手に勝利したという自負がある。


 それが総大将解任という命令にどうしても不服を感じてしまうのだ。


「とはいえ博多の情勢は肥前守様の方が詳しゅうござる。某は補佐に努めます故に、これまで通り指揮は肥前守様がお執り下さいませ」

「さ……然様か、道雪が申すのであれば、そうしよう」


 それを承知か道雪はあっさりと総大将の座を蹴った。これに好感を覚えた親貞は、単純に頼もしい味方が増えたとして浮かれるばかりだった。また他の諸将も道雪らしい判断に異を唱える者もいなかった。


「御屋形様は幕府と和睦を模索してございます。されど公方様は御屋形様の申し出を頑なに拒み、屈服せよとの一点張りで話が進まぬ様子にて。肥前守様には何とかして博多の膠着を破り、公方様が態度を軟化させることを期待しております」


 と道雪は門司の状況を偽って伝えた。その際に僅かながら道意の口元が一瞬だけ緩んだ事を見逃さなかった。


(やはり公方様の申された通りであったか)


 そう道雪が確信に至るのも、門司を出る際に義輝より授けられた策があったからだ。義輝は門司にて道雪に久秀を信じさせるにはどうすればいいかを語っていた。


「よいか、下手な嘘はあやつには通じぬ。信じ込ませるには、真実を語る他はない」

「真実と申されても、我らが降った事を伝える訳には参りますまい」

「そう難しいことではない。仮に宗麟であるならば、この状況で如何に動くかそなたなら判るであろう」

「……我が主であれば、間違いなく和睦を考えるかと存じます」


 長きに亘って仕えてきた主のことだ。主の考えも性格も道雪には容易に想像がつく。これまでも宗麟は弱者に対しては大軍を用いて脅し、強者には外交にて対抗してきた。今回も宗麟が生きてこの場にいたならば、武力をチラつかせつつ和睦を図るはずだと考える。


実際、宗麟は守護国の分割統治を義輝に認めさせることで勢力維持を図ろうとしており、道雪の推測は当たっていた。これを無理やりに合戦に引き込んだのは、久秀の暗躍によるところが大きい。


「長く大友に仕えてきたそなたの申す事だ、間違いはなかろう。されど今さらの和睦など、余なら突っぱねておる」

「……なるほど、そういうことでございますか」

「飲み込みが早くて助かるぞ。宗麟の判断について、そなたなら間違うまい。肥前守の下にいる久秀なら、そう何度も宗麟に会ったことはなかろう。なら久秀に宗麟の考えを読むことは不可能だ。仮に読めたところで、今そなたが語った内容と大差あるまい。久秀はそなたの申すことを確実に信じる」

「そして道意は、上様なら突っぱねるはずだと疑わない」

「そうだ。あやつは余がどのような性格であるか判っていると思っておる。その確信に衝け込めば、あやつを信じさせることが出来る」


 宗麟を知る道雪と義輝が知る自らの性格、そこに嘘はない。だからこそ道雪が語った言葉を、久秀は信じてしまった。


「一先ず道雪は休め、明日からは忙しくなるぞ」


 親貞は道雪を労い、道雪は恭しく礼をすると下がって陣地に戻っていった。道雪が陣地に戻って暫くすると、同じ大友家臣の吉弘嘉兵衛鎮信と高橋孫七郎鎮種兄弟が訪ねてきた。


「此度は来援、感謝いたします」

「門司の様子は如何でございましょうや」

「おおっ!嘉兵衛に孫七郎か、そなたらも宝満城の戦いでは随分な活躍をしたそうだな。いやはや頼もしい。泉下で御父上も喜んでおろう」


 開口一番、道雪は大友の次代を担うはずだった二人の若者に賞賛の言葉を贈った。


「道雪殿に褒められるとは嬉しき限りですが、結局のところ勝たなければ意味はありませぬ」

「然様、我ら門司の様子をいち早く知りたくて道雪殿を訪ねて参った次第にて」

「ならば教えて進ぜよう。近う寄れ」


 と言って道雪は二人に手招きした。何事かと顔を見合わせた兄弟は不思議に思いながらも道雪の言葉に従い、歩み寄る。


「よいか、決して大きな声を出すでない。……御屋形様は傷が元で亡くなられた。そして儂は、公方様に降伏を申し出た」

「な……なんと!?」

「公方様は大友の名は残せぬが、血は残すと仰せられた。されど条件として肥前守様と道意を公方様に差し出さねばならぬ」

「道意を……では、あの道意が松永久秀であるとの噂は本当でございますか?」

「ほう。やはり知っておったか」


 博多での合戦後、毛利の間者によって道意が松永久秀であるとの噂は急激に広まっていた。これに対し大友側は味方の士気を貶める敵の謀略であると道意自身が否定し、その出自は宗麟にも説明している旨を親貞に伝えたことから陣中では噂の域を出ではいない。それでも噂が消えない事から疑いを持つ者は少なからずいたが、噂が消えないことを道意は逆手にとって、敵の謀略であると明確に結論づけ、大友勢の間では否定的な見方をしている者の方が多くなり、士気も目立って下がらなかった。


 この辺りは流石に久秀というところだろう。


「されど儂の到着で気は緩んだはずじゃ。今宵、手を貸せ。儂の手勢だけでは確実とは言えぬ」

「それは……」


 突然に主君の死を知らされた二人にとって、道雪の言葉は受け入れるのにどうしても時間がかかってしまった。


 二人には大友家を存続させたい想いが強い。他に方法はないのか、それがどうしても頭をよぎるのだ。もちろん道雪とて、それは判っている。その事は一番に道雪が頭を悩ませてきたからだ。しかし道雪には、降伏以外で大友を残す道を見つけることが出来なかった。


「儂を信じてくれ。今はそれしか言えぬ」


 家中を代表する道雪が若い二人に頭を下げた。


「あ……頭をお上げください!!」

「我らに対し、そのようなものはいりませぬ!!」


 これに驚いた二人は慌てた様子で、道雪に頭を何とか頭を上げて貰えるよう自身も頭を下げた。


 道雪とて二人の想いは判っている。亡き吉弘鑑理は同じ加判衆を務めた間柄で、忠義の篤い人物だ。その鑑理に育てられた二人が主家への忠義を重んじないはずがない。だからこそ自身が家中で築き上げた信用を信じたのだ。


 事を起こそうにも合流したばかりの軍勢はどちらかというと本陣からは離れた位置にいる。そして道雪自身は半身付随で身動きの取りやすい身体ではない。しかし、大友譜代である鎮信と鎮種は軍勢を本陣近くに置いているのだ。


 事を成功させるかどうか、この差は大きい。


 また二人にしても道雪は名将かつ御家に尽くしてきた功績は計り知れない。かつて宗麟が酒色に耽て政を顧みなくなった時、道雪は宗麟に諫言しようとしたが、それを嫌がった宗麟は決して会おうとしなかった。それを受けて道雪は自らの屋敷に京で評判の舞妓を呼び、連日連夜に亘って宴を催した。これを聞きつけた宗麟は自らも宴に参加したいと考え、道雪の屋敷に足を運んだのである。


「折檻を受けようとも主君の過ちを正すのが家臣の勤めでございます。我が身の可愛さに自分さえよければ他人はどうでもよいというのは卑怯者のすること。自分の命は露ほども惜しくはございませぬ。それよりも主君が世間の外聞を失う事が無念にございます」


 その席で道雪は諫言に及んだ。これによって宗麟は態度を改めたというのは家中でも語り草である。他にも宗麟が手に入れた猿を家臣たちに(けしか)けて弄んでいたことを咎めるため、自分に向かってきた猿を鉄扇で叩き殺したこともある。


「人を弄べば徳を失い、物を弄べば志を失いましょう。それが判らぬ御屋形様ではありますまい」


 まさに家臣の鏡とも言うべき道雪の振る舞いは、若い二人にとって憧れそのものであり、自分たちもそう在りたいと思うのはごく自然なことであった。


「仰せに従いまする」


 だからこそ二人は心が定まらぬ中でも道雪だけは信じることが出来た。道雪ならば、大友を裏切ることは決してないと確信しているからである。


 道雪と道意、互いに“道”という文字を名に持つ二人の命運を分けたのは、偏に“信用”の差だったのだ。皮肉だったのは、道意自身も道雪に対して大友を裏切らぬと信用していたことだろう。


 その夜、運命は定まった。


 久しぶりに心地よく眠れると思った親貞は深酒をしては遊女を呼び、気持ちよく寝込んでいた。そこを吉弘と高橋の軍勢が襲ったのだ。


「な……何事だ!?」


 突然の夜襲に寝巻姿のまま狼狽える親貞は、抵抗らしい抵抗も出来ず、あっさりと捕縛されてしまう。普段の行いから死力を尽くして主を守ろうとする近臣はおらず、皆が早々と逃げ出す有様で、鎮信も逃げる者を追わず、ただただ親貞のみ生け捕りにするよう兵たちに命じていた事から拍子抜けするほど簡単に目的を達せられた。


 とはいえ博多の外に兵を置いている道雪では、ここまで首尾よくはいかなかっただろう。


「嘉兵衛!この不忠者が!このような事をして許されるとは思うなよ!」

「咎は受けまする。されど大友を残す為と思い、堪忍なされよ」


 当然ながら訳も判っていない親貞は、鎮信の顔を見るなり罵詈雑言を浴びせた。鎮信とて未だ心中は穏やかでなく、道雪を信じて決起している。罰の悪そうな表情を浮かべると、すぐに喚く親貞を連れていくよう命令して自身は立ち去った。


 一方で鎮種は道意の捕縛を担っていたが、道意の寝所には姿かたちなく、目的を達せられないまま博多の町を駆けずり回っていた。


「必ず何処かにいるはずじゃ!探せッ!探せッ!」


 時間が経つ度に焦りは募っていく。途中で兄から親貞を捕縛したとの報せも受け、その焦りは頂点に達していた。


(もしや道意は肥前守様を囮に逃げたのではないか)


 兄からの報せでは、親貞はこちらの動きをまったく知った様子はなかったという。だが道意は親貞の側近である。道意が逃げたというなら、道意自身はこちらの動きを掴んでいたか、察していたかのどちらかであろうが、それなのに主である親貞の耳には一切いれていないのは不思議だった。


(それが貴様の本性か、久秀ッ!!)


 例え敵であれ主君を裏切るような行いに鎮種は激しい憤りを覚えた。声を大にして捜索を続けるものの見つけることは叶わず、その行方は知れず仕舞だった。


「やれやれ何事もなければ素知らぬ顔をして戻るつもりだったが、逃げて正解だったな。やはり長く歳は取るものよ。経験が違うわ」


 その道意とはいうと、万が一に備えて湊まで退避していたのだ。


 道雪が裏切ったと確信していた訳ではない。どちらかと言えば、未だ道雪は大友を裏切っていないのだろう。しかし、余りにも今の状況を推測するに不確定要素が多過ぎる。故に何事もなければ良しとして一時的に難を逃れる為に今夜は寝所で眠ることを避けた結果、襲撃を免れた。


「潜り抜けてきた修羅場が違うのよ」


 事態を知って、うまく切り抜けた久秀は勝ち誇ったように呟いた。


 暗殺、襲撃、騙し討ちと、この手のものは上方での政争では当たり前のように用いられた。味方と思っていた者がいつの間にか敵になっている事など日常茶飯事であり、相手を信じた者から命を落としていった。だからこそ道意は、いや久秀は相手を如何にして信用させるかを重点を置いてきたのだ。


 その結果、三好長慶の家宰として天下の政を行い、謀反方の首魁として守護大名の軍勢を指揮し、九州の覇者であった大友すら掌中に収めた。そこまではいい。


 なのに、あと一歩のところでいつも邪魔が入る。義輝という存在が、松永久秀の天下を妨げるのだ。


「あの時に殺しておけば……」


 その憎悪は久秀の中で身も焦がす灼熱の炎のように燃え(たぎ)っている。


 永禄の変で義輝が死んでいれば、今ごろは足利の天下は消滅していただろうに思う。あの時、久秀は三好義継と三人衆に将軍殺しの汚名を着せる為に自身の手で義輝を殺すことを避けた。彼らを信用させる為に息子の久通に任せたのだ。いざとなったら久通ですら切り捨てる覚悟をしていた。


 そして久秀は興福寺にいる当時は覚慶と名乗っていた義昭の身柄を押さえる役目を担った。ここが久秀らしいところだろう。


 当初の計画では義輝ら三兄弟を全て殺すことになっていた。事実、周暠と名乗っていた当時の晴藤は捕縛され、義輝が逃走に成功していなければ殺す予定だった。ところが久秀は義昭を殺す気はなかったのである。


 もし変事が成功すれば、平島公方たる義栄を将軍に就ける。その計画が実行されれば、久秀が持っていた実権は三好三人衆に移っただろう。だからこそ久秀は政敵に対する切り札として義昭の身を押さえにかかった。


 結果として久秀の姿勢は行軍の遅さを生み、その間に義昭は和田惟政によって救出される。その御陰で久秀の真意が漏れることはなかったものの三好家中での対立が義輝に隙を見せたことに変わりはない。


(まだ関東がある。北条が粘っている内に奥羽も切り従え、必ずや義輝を殺す)


 そう考えた久秀は、湊に停泊していた船に乗り込もうとしていた。親貞を見捨て、肥後で島津を引き付けている道薫を置き去りにし、関東で再起を図る。久秀にとって既に二人は自分が関東へ逃げるまでの時間稼ぎでしかなかった。


(海に出てしまえば、そう簡単に追っては来られまい)


 一度、壱岐を経由してから関東へ向かう。暫くは幕府の水軍も九州へ釘付けになっているはずだ。ならば東に行く船に構ってはいられないだろう。


「さて、此度は何方へお逃げになるつもりですか?」

「なに?」


 ふと船頭からかけられた言葉を訝しみ、声の主を久秀は凝視する。


 沖に停泊する船に移るため小舟に乗り込んだ久秀の前には、かつての家臣であり、今や義輝の傍で天下一の武芸集団となった奉公衆を率いる柳生兵庫助宗厳の姿だった。


 宗厳は義輝の命で配下を連れて道雪の軍勢に同行しており、密かに久秀捕縛の任を受けていたである。


「……貴様は、宗厳か?」

「ご無沙汰いたしております」


 その言葉と同時に久秀に白刃が向けられる。久秀はチラリと視線だけを周囲に向ける。船頭の姿をした宗厳の他、もう一人いる水夫もこの事態に慌てず、堂々と鋭い視線をこちらへ向けている。恐らくは柳生の者だと思われた。


「儂が海に逃げると考えたか」

「はい。ただ某ではなく、上様がでありますが……」

「……ちっ」


 義輝の名に久秀は苦々しく舌を打つ。またしても耳にする怨敵の名に久秀は無性に腹が立った。


(どう逃げる。言葉巧みに隙を衝いて海に飛び込むことは出来ようが、柳生の手の者を相手に逃げ切れるとは思えぬ)


 柳生は兵法家であり、家中の者は身体能力に優れる。特に当主の宗厳に侍る従者は精鋭中の精鋭のはずだ。老いた身である自身には万に一つとして逃げる手立てはない。


「儂を殺すか」

「いや殺さぬ。生きて連れてこいと上様の御命令だ」

「殺さぬだと?義輝め、何とも甘い男よ!」


 無性に腹立だしいが、笑ってやりたくなるほど滑稽だった。自分が義輝の立場なら、容赦なく殺す。邪魔者は殺してしまうのが一番なのだ。武家の棟梁たる将軍であるにも関わらず、この乱世をどう見てきたというのだ。かつて平清盛は源頼朝を生かしたばかりに平家の天下を奪われることになった。昨今では細川晴元が長慶を助命した結果、長きに亘って掌握していた細川による幕府の実権を奪われている。生かしていても良いことはない。だから殺すに限るのだ。


「一番に腹立だしいのは。その義輝に負けた儂よ!」


 年甲斐もなく、久秀は力任せに船底を叩く。拳に走る痛みが、滲む血が悔しさを物語っていた。


 元亀三年(一五七二)十月八日。

 

 乱世の梟雄と呼ばれた松永久秀は、歴史に残る大合戦で敗れるのでもなく、華々しく討ち死にするのでもなく、逃げ出そうとしたところを捕縛された。




【続く】

さてようやく久秀が捕まりました。恐らく皆さんが一番に思い描いたであろう爆死とはならず、申し訳なく存じます笑


また久秀、道意と表記が煩わしい部分があったかと思います。申し訳ございません。私なりの解釈で描いていますので、お許しください。


今まで久秀がしつこく義輝の敵で出てきたことに辟易された方も多かったかと存じますが、私なりに史実の久秀のしぶとさを買ったことも理由の一つです。また久秀には“ものさし”という役割を与えておりました。


ものさしとは何かを測るものです。では何を測るかといえば、義輝ひいては義輝の再建した幕府のことです。


最初、久秀は義輝の強大な敵として君臨します。それこそ史実通り手練手管を駆使しても歯が立たないほど圧倒的な強さです。義輝は命からがら逃げ伸びて、信長や謙信など諸大名の力を借りない事には勝てませんでした。


ただ義輝(幕府)も次第に力を付けていきます。元亀擾乱では互いに勢力をまとめ、ガチンコ勝負となります。一進一退の攻防は最終的に義輝に軍配が上がりますが、負った傷は大きく、武田信玄に苦しめられました。


そして今回、義輝(幕府)は九州で暗躍し、大友を牛耳った久秀をあっさりと捕縛してしまいます。久秀が主導権を握れたのは、義輝(幕府本隊)が九州に到着するまでであり、そこからは済し崩しにまともに闘うことも出来ず敗れ去ってしまいます。


義輝の力が如何に増大しているか、久秀を通して知ることが出来ます。


次回は九州平定がどう決着ついたかを描きます。1~2話内で収まり、終章~天下泰平~に入り、この物語は終わりを迎えます。(それでも今のペースだと年内に終わるか怪しいですが)


義輝と久秀の対面も残されています。まさに関ケ原後の家康と三成の如くですが、よって久秀がどうなるかについての質問には回答を避けさせて頂きます。


ようやくの決着、ここまで読んで頂いた皆様には本当に感謝を申し上げます。あと少しの御付き合いをよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[気になる点]  誤字です。 ×無性に腹正しいが、笑ってやりたくなるほど滑稽だった。 ×「一番に腹正しいのは。 腹正しい⇒『腹立たしい』 [一言]  続き、楽しみにしています。
[一言] ようやく決着がつきましたか。最後までしぶとかったですね しぶとい久秀のことだから明や女真、琉球に逃げてそこの高官になってそうな感じがしたんですけどね ここで捕縛ですか でも護送中に関節外しと…
[良い点] 遂にここまできましたか。わりと最初の方にこの連載に気付き、ずっと追ってきました。感想もちょくちょく述べつつ毎回楽しみにしていました。 東西それぞれ決着がつき、ほぼ天下一統が完成。仇敵久秀も…
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